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自分が感じることを信じること*YUKI




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YUKI

歌手、シンガーソングライター
本名は倉持有希(くらもち ゆき)
旧姓は礒谷(いそや) 「希望が有るように」と有希と名付けられた。
1972年2月17日生まれ 北海道函館市出身



アーティストとして活動を続け、プライベートではミュージシャンの倉持陽一さん を夫とし、2児の母であるYUKIさん。 彼女の持つ魅力についてリーディングしたいと思います。



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Birth No.20-11-2
〈その人本来の使命や資質〉

11(マスターナンバー)を持つ人は、最初は2の人生を歩み、徐々に40歳頃から変 容して11の人生を歩むことが多いと言われています。
2は調和や協調といった相手がいる環境で学ぶ数字といわれ、自と他の繋がりや2極 による対観念(無-有、陰-陽、生-死、善-悪など)から学びを得ます。 感受性豊かでロマンチスト。
11は1+1=2であることから2の感受性の振幅が増し、さらなる内面への探求へ向か う数字です。
聡明、天才的な能力、内面的苦悩、豊かな感受性。バイタリティー
YUKIさんは音楽、アートを通じて天と地の橋渡しをし、精神性を昇華させていると 言えるのではないでしょうか。

「無意識に出てきた言葉ならば、それを拒否する必要はないなと思いました。
皮肉 でも何でもなく、自分の中で上手く歌に昇華できたものであれば、
それは自分の伝 えたかった思いであることは間違いないと思ったんです(BARKS)」

また、YUKIが作り出す歌詞を見てみると、自分以外の人(夫、子供、友人)がいる ことで感じられる言葉を音楽にしていることがわかります。 相手がいる環境で学ぶという2という数字に表れているように思います。

「私は今までいろいろな人に助けられてきて、
人からいろいろなことを学んで、
人 と携わったことが必ず自分に残っていて。
それはその人からもらった“メッセージ= 伝言”だと思っているんです。(YUKIweb.net)」



Destiny No.9
〈表面意識・この世における使命や目的〉

9という数字は1〜8を内包していて混沌としている数字であり、7の『精神』と8の 『物質』をいったりきたりするといわれている。 曖昧な事象の焦点を絞る仕事を使命としています。
YUKIは長年、アーティストとして活動しているが、今までに発表されたアルバムに はそれぞれテーマがあり、その時の自分や環境を表した内容となっている。
アルバムを作るということは、揺れ動く気持ちをその都度見つめ、受け止める作業 だったのではないでしょうか。 その曲を聴いた人が何かに気づいたり、癒されたりするのは、彼女自身が揺れ動く 中で葛藤し、見つけ出した答えや思いが、曲に込められているからではないでしょ うか。



Soul No.1-10
〈価値観や内なる動機 魂の欲求〉

想像力とオリジナリティー 。
ピュアであることが大切だが、打たれ弱いのでシールドを張って守ることが大切 無から有を生み出すパワーがある
裏表なく一直線
音楽を創り出す、ということはまさに「無から有を生み出すこと」そのものなのだ と思います。 YUKIは音楽だけにとどまらず雑誌で連載を持ち、6冊の本を出版しています。ま た、ライブの時に販売されるグッズはYUKI自身がイラストを描いたりデザイン性も 高く人気があります。 彼女は40歳を超えてもピュアな歌声、笑顔で私たちを魅了し続けています。



Personality No. 8
〈他人からみた自分〉

カリスマ性がある、アピール上手
パワフル
ライブはまさに8のもつカリスマ性とパワフルさが発揮される場だと言えるのではな いでしょうか。自分の世界観を表現するステージはいつも観客を惹きつけて離しま せん。クセのある彼女の歌声も彼女の魅力の一つになっています。 彼女にファンがたくさんいる反面、苦手とする人も少なからずいるようです。好き だけでなく、嫌いな人も引き付けてしまうのは、彼女のカリスマ性の一面なのだと 思います。


Realization No.2-11
〈今回の人生での可能性や実現性〉

イメージの世界での価値ある創造物を現実社会で具現化すること
自分の立ち位置を冷静に把握し、地に足をつけ、イメージを形にしていく
BirthNo.と同じ2-11を持つYUKIさん。 「見えないものに対する信じる気持ちとかって、もっとさらに見えるようになって きた」と彼女自身も発言しているように彼女が感じるもの(目に見えるものも見え ないものも)を音楽を通して表現することで、それを聴く人たちの心を癒すことが 出来るのではないでしょうか。



Stage No.7
〈持ってうまれた数をどんなステージで発揮するか〉

探求するナンバー
会得したものを世の中に広め、人々の心を豊かにすること
アウトプットすることが大切
歌を作るという作業は、自分の内面を見つめ、外に出すという事の連続なのだと思
います。


Challenge No.5
〈この人生でチャレンジすると決めている数〉

変化のナンバー
JUDY AND MARYの解散前は歌詞についてメンバーとよくぶつかっていたようで す。
『JUDY AND MARY』のイメージを壊さないように、というメンバーに対して YUKIさんは「この歌詞は、もう歌えない。嘘は歌えない」と答えたという。 時に悩み、苦しみながらも変化を受け入れていく姿を見せていくことが、YUKIさん の進む道なのではないかと思います。
何年後には、もしかしたら歌ではない、何かをしているかもしれない。それでも彼女は彼女であり続けるのだと思います。




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【HISTORY】


1991年6月(19歳、YearCycle3) 映画「いつかギラギラする日」の撮影のために函館市を訪れていた恩田快人と出会 う

翌1992年2月(20歳、YearCycle4)JUDY AND MARY結成
新しいYearCycleが始まった年に出会いがありJUDY AND MARYというバンドが結 成されました。
3は創造の数字であり、楽しい、明るいなど新しいことを始めるには適した年と言え ます。 当初はベーシストである恩田氏の構想を表現するバンドという形であったため、メ ジャーデビューなどは考えられていなかったのですが、恩田氏の熱意によりメ ジャーデビューへと進み始めます。 4はステージアップの数字。メジャーデビューという流れになっていったことも彼女 にとっては必然と言えます。

1996年2月(24歳、YearCycle8) 『そばかす』がオリコンチャート初登場1位を記録。
紅白歌合戦に初出場。 繁栄の数字である「8」の年に名実共に有名になっていきました。彼女自身も8を持 つことからか、8の年は節目の年になっています。

1999年(27歳、YearCycle11)
JUDY AND MARYの活動を一旦休止。 人生の分岐点ともいえる11の年に活動休止。走り続けてきた彼女にとって「目標」 が何かわからなくなってきていたのではないでしょうか。 他のアーティストとの楽曲を発表したり、これまでと違った経験をすることで学び を深めたのではないかなと思います。

2000年2月(28歳、YearCycle12)
12のパターン打破の年にJUDY AND MARYの活動を再開。 初のベストアルバムを発表したり、アコースティックライブを行なったりと、これ までと違った活動を進める。
同年9月、真心ブラザーズのYO-KINGこと倉持陽一さんと結婚。 これはプライベートでの大きなパターン打破だったのではないでしょうか。 ティーンエイジャーの頃から家を出ることばかり考えて過ごしてきたというYUKI。 忙しそうな両親を見てきて結婚生活が楽しそうに感じられなかったようです。

ずっと結婚しないと思ってきたYUKIですが、倉持氏と出会って“結婚”という文字が すぐに浮かんだと彼女自身の著書でも言っています。それは、『彼といる時の自分 がいちばん好きだったから』だそうです。相手がいることから学ぶことの多い2とい う数字を持つ彼女らしい理由だと思いました。 以前からファンと公言していた倉持氏と電撃結婚したYUKIさん。 SoulNo.1をもつ「裏表なく一直線」な彼女らしい結婚といえます。




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2001年3月8日(29歳、YearCycle4)
新しいサイクルが始まった年にJUDY AND MARY解散。
4はステージアップの年。 YUKI自身も『なんかもう私たちが奮い立って何かをやったりするには、解散という カンフル剤しかなかったという(R&RNewsMaker3月号)』と話しており解散がス テージアップにつながったのではないでしょうか

2002年(30歳、YearCycle5)
1stアルバム『PRISMIC』 このアルバムタイトルはYUKIの造語である。訳すと“光の音”。 バンドからソロになり、曲作りからレコーディングから何もかもが変わって、YUKI 本人は、戸惑いもあったようで、たくさん悩んだと著書(『GIRLYWAVE』2004) にも記されている。戸惑いながらも「もっと好きにやっていいんだ!」と自由に チャレンジしていった先に出来た曲が収められている

2003年(31歳、YearCycle6)
2ndアルバム『commune』 テーマは“70年代”と“SLOW”。妊娠前から出産を控えた時期に作られたアルバム。 伸びやかな声、柔らかな声、愛や平和に包まれた年らしい内容となっています。

2005年(33歳、YearCycle8)
3rdアルバム『joy』 産休から復帰後にリリースされたアルバムで、ソロになって初めてオリコン1位を獲 得したアルバム。テーマは「強くて、軽やかで、踊れるアルバム」

しかし、同じ年に長男(1歳11カ月)が朝、自宅にて突然死していたことを自身の ホームページ上で報告しました。死因は明かされていないが乳幼児突然死症候群( SIDS)の可能性が高いと報じられました。 この年にツアー『TOUR“joy”』が行われ、その最初に「33年生きてきた中で一番つ らかった」と報告。自身のホームページでも「いつも通り『おやすみ』と言ったま まの突然のお別れでした」と夫婦連名でコメントを発表しました。

子供を亡くし、失意の中でもライブツアーを行なったYUKIさんに批判の声もあった ようですが、パワフルな8の数字を持つ彼女が8の年にライブをしたのは、外に向く ことで自身のバランスを保つためだったのではないでしょうか。
亡くなった息子さんを想い、書いたといわれる曲があります。

『バイバイ長い夢 そこへ行くにはどうすればいいの?
迷子になるよ 道案内してね
バイバイ暗い雨 夢で逢えたなら何を話そう 気が付けば 棘だらけだ あーあ
バイバイ長い夢 そこへ行くにはどうすればいいの? 迷子になるよ 道案内してね
バイバイ長い夢 いつか完璧な環になるように 次の手を教えていて
教えて』(2005.4.27 長い夢)

この曲のPVにはYUKIさん本人は出ず、『ゆきんこ』という彼女がデザインした キャラクターが出ています。 2という数字をもつ彼女は、冷静になれないこの時期に彼女以外の「誰か」を置くこ とで、内面の調和をとっていたのではないでしょうか。



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2006年(34歳、YearCycle9)
4thアルバム『Wave』 この年の8月、精神的な成長を意味する9の年に第二子を出産。 家族を第一に考えた暮らしを考えるようになったようです。

2007年(35歳、YearCycle10) 5thアルバム『five-star』ソロで初のベストアルバム この年から新しいステージに入ったYUKI

Cycle No.8
Pinnacle No.9
Challenge No.7 と3つの数字が隣合わせになっていることで、たくさんの葛藤が起こったのではない でしょうか。

ソロになって5年。 まだまだ新しい曲を生み出していきたい気持ちと、進んできた5年を振り返りたい、 立ち止まりたい気持ち。そんな行ったり来たりの気持ちが、ベストアルバムを出す という形になったのではないでしょうか。

2009年5月(37歳、YearCycle12) 第三子となる男児を出産。 公式サイトで「「穏やかな生活を楽しんでいます」と発表

2010年(38歳、YearCycle13)
6thアルバム『うれしくって抱きあうよ』 新たな音楽の方向性を模索している中で生まれた作品でそのタイトル通り、誰かと 抱き合う時に感じる人肌のやわらかな温もりと、じわじわと満ちてくるような幸福 感に包まれている作りとなっている。
インタビューでは「どの曲も“今”を歌っているなと思う」と語っている。
13は『創造と破壊』の年だと言われています。高次の次元へ進むために、これまで の価値観を捨て、創造する彼女の世界はとても大きくて温かくて優しいものでし た。

2011年(39歳、YearCycle5) 7thアルバム『megaphonic』。アルバムタイトルは「最高の音」を意味する。 この作品は東日本大震災などの時事問題を反映したメッセージ性の強い歌詞が多く なっていて1番が震災前、2番が震災後に作詞されたものが多い。 新しいサイクルに入った年に震災を経験。5が意味する『変化』は、時に残酷に、唐 突にやってくるものなのだと感じました。

2012年5月6日(40歳、YearCycle6)
アニバーサリー・ライヴ『YUKI LIVE“SOUNDS OF TEN”』を、JUDY AND MARY 解散ライヴ以来、約11年振りに東京ドームで開催。女性として初めてバンドとソロ の両方で東京ドーム公演を行った歌手となった。

自己回帰の6の年に、JUDY AND MARYの解散ライブを行った東京ドームでソロラ イブを行ったYUKIさん。 バンド時代の自分と、ソロの自分との違いに悩む時期もあったようですが、同じ会 場に立つことができるようになったことからも「調和」されてきているように思い ます。

2014年(42歳、YearCycle8) 8thアルバム『FLY』発表。「
踊れるアルバム」がコンセプトになっている。 Personal「8」を持つ彼女がCycle8の年に8枚目のアルバムを発表。 彼女らしく、彼女にしか表現できない世界を、楽しんで、のびのびと作り上げてい るのではないでしょうか。

2017年(45歳、YearCycle11)
9thアルバム『まばたき』 ソロデビューから15周年を踏まえてリリースされる作品で 「自称“ミス・大丈夫”(YUKI)がお届けするYUKI史上最強超ド級無敵ポップアルバ ム」と語っている。



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リーディングをして

リーディングをすることになった時に、すぐに思い浮かんだのがYUKIさんでした。
私が高校生の時にJUDY AND MARYに夢中になり、ライブに行ったり、カラオケで 歌ったりしていましたが、ここ数年は特に彼女の曲を聞くこともありませんでし た。 そんな中でも迷いなく「「彼女のリーディングをしよう」と思ったのは何故だった のか。
リーディングを始めて、私自身が彼女と同じBirth No.を持っていることが分かりま した。彼女に惹かれた理由が一つ、分かりました。

2016年からPinnacle、Challenge共に「1」に入ったYUKIさん。
Destinyにも1を持つので、さらに強く1の性質が出てくるのではないでしょうか。 彼女は、バンドからソロになり、今まで当たり前だったものが当たり前でなくなる という経験をしてきました。
自分らしいと思っていた自分が自分らしくないという 葛藤があり、そこから彼女なりに答えを出して進んできたYUKIさん。
たくさんの葛 藤を経て、不要なものを整理し新しいステップへ向かっているのではないでしょう か。
たくさんのことを知った上で、自分が必要だと思うものだけを持って、新しい ステージに向かうYUKIさん。
デビューから変わらぬ笑顔を見せてくれる彼女ですが、その笑顔はデビュー当時か ら比べものにならないほど温かく、周りを包んでくれているように思います。

プライベートでは、最愛の息子を突然亡くされました。この経験は、とても悲しく 大きな出来事だったと思います。その悲しみを抱きしめながらも、その後、お二人 息子さんを出産し、今は妻として、母として、アーティストとしてパワフルであり ながら、のびのびと活動されているように感じます。
経験してきたことの意味を、強く感じているのではないでしょうか。

これからも「どう生きていきたいか?」を自分自身に問いかけながら、彼女は彼女 の答えを出し、それを曲に乗せ、たくさんの人に届けてくれることと思います。

『自分が感じることを信じること』

彼女からメッセージをもらった気がします。



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Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th class
Kumiko at Saitama Kawagoe class
# by kej000 | 2017-02-28 22:31 | 数秘レポート

愛のうつわ「自己の思いを愛に溢れた言葉で表現する」*神谷美恵子


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神谷美恵子

愛のうつわ
~自己の思いを愛にあふれた言葉で表現する~ 


   出生名:前田美恵子
   生年月日:1921年10月3日
   逝去:1979年10月22日



医師、教師、作家、翻訳家、妻、母親、といろいろな顔を持ち、活躍された神谷美恵子さん。
ハンセン病と出会いやその他の経験や学びから感じたことを、文才も生かして世に投げかけました。
うつくしい文章からうかがい知ることのできるお人柄ですが、数秘からもその魅力を読み解いてみたいと思います。


★誕生数 
Birthpath Number ~生まれ持った資質・才能・運命~
 【19-10-1】 自分を創造し表現する

明るく前向きで、目標に向かって突き進む強い意志と瞬発力を備えています。
あふれる想像力で自分を表現し、行動します。
一見、上流階級でのびのび育ったエリートのようにも見られますが、幾多の壁にぶつかりながらも、自分を見失わず、運命とも思えるような出会いや自分の思いに素直に従い、やりたいものを形にしていかれました。
情熱的に物事に取り組み、表現してしく姿や言葉は、人々を惹きつけます。
まさにリーダー、指導者です。
そして、自分を信頼して発せられる愛のある思いに、人々は導かれ癒されたのだと思います。
また、自分の役目を果たしていかれたのだと感じました。


★運命数 
Destiny Number ~人生における使命・目的~
【5】 自由・チャレンジ

変化の多い環境の中で、旺盛な知的好奇心を活かし、自分も柔軟に変化しチャレンジしていきます。
有り余る冒険心と自由でのびのびした創造力やするどい分析力で、どんな仕事もこなせます。
既存の価値観を打破するチャレンジャーです。
父親や夫の仕事の関係からも、引越し、編入、留学など、また、戦争や病気など、その目まぐるしく変わる環境から多くのことを経験し学んでいきます。結婚し仕事と家庭の両立や、医学への思いと文学への思いなど、悩みながらも自分の中の制限と弱い心を取り払い、挑戦していかれました。
その経験と思いが、自由に心を開放して、言葉や行動に表現されています。
  
「・・・主体的に生きる、ということはしかし、ただ気ままに生きるということではない。たとえば、自ら進んで身を挺して何かに仕えることなどは主体的な行動のうちでも、もっとも主体的なものだといえる。いずれにせよ、主体性と自由には、つねに責任と何がしかの冒険が伴う。しかし、あえて責任を負い、冒険にのりだすことこそ、新鮮な生きるよろこびを約束してくれるのではなかろうか。」(『人間をみつめて』)


  
★ソウル数 
Soul Number ~魂の欲求~

 【9】 人類愛
崇高な理想へ向け、包容力、正義感、深い慈悲の心を持って、奉仕していきます。
すべての人の立場に共感し理解したいと人々に寄り添います。
 
“その人が生きてそこにいること、存在自体が誰かの何かの役に立つ”、“他人の役に立つ喜びを体感して人間どうしの交わりが相互に活かされ、それぞれ役に立つ存在として人間らしく生きていく”そうした存在をめざして、仕事をしていかれました。


「・・・・・・だれに見てもらうためでもなく、
ただそのよろこびの故に、こうして、ここにやってきて、
こうして生かされていることのありがたさ。
・・・・・・こうしたありかたが許されることのふしぎさ・・・・・・。」
(『人間をみつめて』)


『神谷美恵子の世界』の中で、川島みどりさんは、“美恵子の主体的な生き方と、その底に秘められた人間愛は、文字通り、ナイチンゲールの言う“犠牲なき献身こそ真の奉仕”通じる、そして、看護学生に「もっと自信を持っていいのよ。あなたたちは患者のそばに存在するだけでも意味があるのだから」との彼女のつぶやきを伝えたい“と書いています。

ハンセン病の問題などの治療の方針や、出版された本に対しても、すべての人が全くの批判がないかと言えば決してそうではないけれども、自分の信念に基づき、愛のある生き方を実践されたのだと思います。


★人格数 
Personality Number ~他者から映る自分~

【14-5】 真の自由の探究
その場その場で、素早く順応でき、多才でスピーディーな行動力があります。
「先生に会ったことのある人なら、嫌いになる人はいないのでは・・・。」と書かれていたり、“聖者”とも書かれるほど、人望が厚かったようです。女性が活躍していくには現代よりも更に大変な時代であったと思われますが、こころの声に従い、自分のやりたい道をすすんでいかれた人だと多くの人に映っているでしょう。
人はさまざまな事態にみまわれ、忍耐力をためされ、自己の生が全く無意味であると感じる状況になったとしても、その経験や葛藤に真に向かい合い、自分の答えを見つけていけるのだと、表現してくれた人だと思います。
自らも「生きていくこととは?人間とは?」と問い続け、学び経験し、それを多くの人に考え影響を与えた人です。



★実現可能数 
Realization Number

【6】 自己回帰
人々の役にたつ人間になるべく奉仕します。責任感と愛情深さ、人々に導きを与えることのできる知恵を持ち、行動します。包み込むようなやさしさと滅多なことでは投げ出さない面倒見のよさから、慕われ頼られます。調和を愛する理想主義者です。
 
ものを書くことへの思いと研究したい病への思いは、つきなかったようで65歳という若さで逝かれたのは、もしかしたら、悔いがあったのかも知れません。
けれども、それまでのご活躍は理想を実現できていると多くの人に認められたのではないかと感じます。





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History

★人生の歩み 
Year Cycle

1914年 1月 岡山市で誕生。二男三女の長女として育つ。    
(第一次世界大戦1914年7月~1918年11月)
1923年 9歳【19(10)】  父の仕事のため、スイスへ。

1926年 12歳【22(12)】  帰国

1927年 13歳【14(5)】 帰国後通っていた学校になじめず、登校拒否。新設されて間もない成城高等女学校へ編入。叔父の聖書研究会に参加するようになる。ものを書くということが、この頃から美恵子の大きな部分を占めるようになる。
変化・チャレンジの年です。受身であった時期、まだまだ受け取るものがたくさんですが、その中で自分はどうしていくのか訓練の始まりです。

1932年 18歳【19(10)】 津田英学塾本科に入学。

1933年 19歳【20(11)】 叔父がハンセン病療養所へ話をしにいく際に、オルガン伴奏者として同行。初めて見る患者の姿に大きな衝撃を受ける。
医師となることを考えて資料を取り寄せ、ひそかに受験準備を始めるが、両親や学長の猛反対にあう。ハンセン病の患者さんに会い、自分と同じ生を受けながら、どうして・・・と自分の存在そのものもゆさぶられたと感じた美恵子ですが、この分岐の年に、選択したい道にすすめなかったことも運命のような気がします。
また、この頃の初恋の相手の死も、その後、生きていくことの意味をを問い、医師をめざすきっかけとなったそうです。

1935年 21歳【22(13)】 津田英学塾卒業。同大学部に進学。
肺結核発病。 軽井沢の山荘で本を読みながら、療養生活。
英語科高等教員検定試験に必要な本を取り寄せ、読む。
国家試験に合格。結核も治癒。
思うように行かぬ中でも、あたらしい自分を探し基盤をつくりました。

936年 22歳【23(14)】 結核再発。再び療養所へ。ギリシャ語を独習し、新約聖書、
プラトンの『自省録』などを読む。 療養している時間を無駄にせず、次への模索です。
(この頃書いた詩を最後に掲載しました。)

1937年 23歳【15(6)】 結核治癒。病気も治り、愛、調和、家族を学ぶ周期の始まりです。

1938年 24歳【16(7)】 渡米。留学。

1939年 25歳【17(8)】 友との語らいの中で医学への決心を新たにする。
ニューヨークで開催していた万国博覧会の「公衆衛生医学」館に釘付けになる
美恵子に、ついに父の反対がとけ、医学の道にすすむことを許される。
第2次世界大戦1939年9月~1945年9月)

1940年 26歳【18(9)】 日米関係悪化。帰国。

1941年 27歳【19(10)】 東京女子医学専門学校へ編入。
導かれるように、ようやく医学への勉強を始められます。

1943年 29歳【21(12)】 医学を修める間も、ものを書きたいという思いにゆれる。
東京大学精神科医局長の島崎敏樹と出会い、精神医学への興味をかきたてられる。
国立療養所愛生園で12日間実習。園長の人柄にふれ、大きな影響をうける。
愛生園行きは、父の反対で、卒業後の進路を精神医学に定める。

1944年 30歳【22(13)】 東京女子医専を卒業。東京大学医学部精神科医局に入局。

1945年 31歳【23(14)】 空襲激しくなり、罹災被害者の処置にあたる。
父が文部大臣に就任。請われて、医局を休んで文部省で書類の翻訳などの仕事にあたる。
抗えない状況の中、本当の自由とは?と模索していきます。

1946年 32歳【24(15)】 父は文部大臣を辞職したが、そのあとも、GHQとの交渉における翻訳・通訳の仕事に従事。5月 医局に戻り、精神鑑定の仕事を手伝う。7月 植物学者と結婚。
週に三日医局に通い、家では英文論文の添削や、家計を助けるための和文英訳のアルバイト、家事に追われる。変化とチャレンジの多い年ですが、次の周期への糧となっていると感じます。

1947年 33歳【16(7)】 長男誕生。英語、フランス語、ドイツ語の家庭教師のアルバイトを始める。内省と探究の周期の始まりです。子どもが生まれ、ますます、自分のやりたいこととの葛藤がふえた状況の中、自分の今できることは何か?問いながら、しかし、子どもへの愛と感謝を忘れずすすんでいかれた姿は見習いたいところです。

1949年 35歳【18(9)】 夫、大阪へ単身赴任。訳書 マルクス・アウレリウス『自省録』。
次男誕生。

     
0 – 35 歳
Cycle Numbers 【1】  Pinnacle Numbers 【4】  Challenge Numbers【2】
自分を成長訓練させる時期、基礎となる学びを受け入れていく時期です。
個性の強い両親の軋轢に、人のこころは難しいものだという印象を早くから植え付けられたそうです。ハンセン病との出会い、これが大きな転機となりますが、海外での学び、戦争、キリスト教、
初恋の人の死や自らの病など、多くの経験が思索に影響をあたえました。



1951年 37歳【20(11)】 医局を辞め、一家は芦屋へ。
家計を支えるため、神戸女子学院英文科非常勤講師となる。
ここも分岐の年ですが、自分では選択できず、運命に流されるままといったところでしょうか。
家計を支えるための仕事で、医学、書くことに時間が取れないという苛立ちもありながら、教えるということによろこびもあったようです。

1952年 38歳【21(12)】 大阪大学医学部神経科に研究生として入局。
ハンセン病の精神医学的研究への取り組みということが心の中で育ち始める。家庭と学問の両立に苦しむ。

1953年 39歳【22(13)】 次男、結核発病。自宅でフランス語の塾を始める。
与えられた環境の中で、自分のしたいことは?できることは?またまた、考えさせられた状況であったと思われます。

1956年 42歳【25(16)】 神戸女子で語学に加え、精神衛生の講義も始める。
教える喜びを感じつつも、再び専任にとの誘いを断り、医学、ハンセン病への思いを 新たにする。
愛生園で非常勤職員となることが決まり、調査を行う。

1957年 43歳【17(8)】 非常勤職員としてスタート。
調査より、「生きがいがない」という悩みが多く見られたことから、「生きがい」についての思索が始まる。いろいろ思索してきたことをまとめあげる8の周期の始まりです

1958年 44歳【18(9)】 ゴッホ展を観に行った際に、自分の余生を「表現する」という使命に捧げるべき「啓示」を受ける。

1963年 49歳【23(14)】 津田塾大学教授となり、毎週上京。

1965年 51歳【25(16)】 長島愛生園精神科医長となり、月に二度、水曜から土曜を島で過ごす。津田塾大学は非常勤講師となり、年に一度集中講義をおこなう。「生きがいについて」を書き上げる。

1966年 52歳【26(17)】 『生きがいについて』(みすず書房)出版。
ひとつの集大成と感じます。しかし、ご本人にとっては、この作品が表層的ブームになったことに当惑したようです。

1967年 53歳【18(9)】 愛生園精神科医長を退き、非常勤となる。 



36 – 53歳
Cycle Nnmber【3】

36 – 44歳
  Pinnacle Numbers 【9】  Challenge Numbers【3】
視野が広がり、創造、表現していく時期、精神的成長の時期です。
医学、文学、そして家庭とどれにもよろこびを感じることができ、また、うまく時間のとれないジレンマを感じ、いろいろな思いを日記に書いています。作品にも影響をあたえたのでしょう。
『人間をみつめて』には、使命感についても書かれています。

ただ「そうせずにはいられないからやる」という「やむにやまれぬ」という必然性、すなわち自然さをそなえているはずである。必ずしも利益や結果を期待してのことでない「無償性」をそなえているはずである。

何かよび声がきこえたときに、それにすぐ応じることができるように、耳をすましながら、自分を用意して行くことだけだろう。そういう人のところに おそかれ早かれ使命が、何かのかたちをとって、現れてくる。前国連事務総長の故ハマーショルドはいう。
「使命のほうがわれわれを探しているのであって、われわれのほうが使命を探しているのではない。」

45 – 53歳
Pinnacle Numbers 【4】  Challenge Numbers【1】
経験してきたことを、独創性を持ち、慈悲のこころで、世に奉仕、発表していきます。



1971年 57歳【22(13)】 『人間をみつめて』(朝日新聞社)出版。
12月 最初の狭心症発作をおこす。

1972年 58歳【23(14)】 健康上の理由により愛生園を辞任。以後も、手紙や電話で患者との対話は続いた。この間、入退院繰り返しながら、『こころの旅』(日本評論社)『神谷美恵子エッセイ集』など出版。

1978年 64歳【20(11)】 岡崎の官舎に転居。『精神医学と人間』(ルガール社)刊行。
秋より翌年にかけて『みすず』誌に「V・ウルフ病跡おぼえがき」を連載。
十数年来構想をあたため、準備を重ねてきたウルフの病跡についての著作は、完成をみることはできなかった。

1979年 65歳【21(12)】 14回にわたる入退院、その予後から、いつまで意識を保っていられるだろうかという不安と恐怖を抱えつつ、自伝『遍歴』を執筆。
『生きがいについて』の改訂を終える。
10月22日、一時帰宅中に急性心不全の発作を起こし、死去。
晩年も、ギリシャ文学やウルフ病の研究など、まだまだやりたいことがつきなかったようですが、病床でも自分の思いを詩に表したり、訪れた人とは楽しく談笑し、ご自分の世界へひきこんでおられたようです。
完成の周期、体験してこられたことをできるかぎり表現して逝かれたと感じます。



54– 歳
Cycle Numbers 【15-6】  Pinnacle Numbers 【16-7】  Challenge Numbers【5】
本質を理解し、内省と探究をし、さらに活発に発信し、成功を果たします。
ご本人としては、完成されていなかった研究結果などもあり、まだまだ、書き足りないとの思いも
あったかもしれません。
しかし、教師として医師としての奉仕ともいえる仕事の仕方や、残していかれた多くの作品から、
人生を本当に力いっぱい楽しんでいきていかれた方だと思います。




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~リーディングを終えて~

レポートを書くことになり、学生時代に読んだ「生きがいについて」「人間をみつめて」の著者である、神谷美恵子さんが浮かびました。
ですが、Year Cycleが全て二桁ということで、なかなか読み解けませんでした。
もう一人、候補に考えたのは、ムーミンの生みの親 トーベ・ヤンソンさんですが、ヤンソンさんも
なぜか1914年生まれで、二桁の多い方でした。
ヤンソンさんの方が、誕生数【14-5】、運命数【9】、ソウル数【11-2】、人格数【7】、実現可能数【14-5】と自分の持っている数字と同じ数が多かったので、ヤンソンさんにするべきだったのか!?とも思いましたが、神谷美恵子さんの本を少し読み返しているうちに、時間がたってしまいました。

学生時代に読んだきりだったので、詳しい内容はすっかり忘れてしまっていましたし、神谷美恵子さんの人生も知らなかったので、こんなに病気と闘いながら書いておられたとは思ってもしませんでした。

そして、書いてある言葉がAeonsで聞いている言葉とリンクしてくるような気がして、実際、
Year Cycleは、なかなか読めなかったのですが、そのまま提出させていただきたいと思いました。
また、気になったのは、神谷美恵子さんと自分の数字のリンクが少ないことでしたが、5という数字がなんとなくフォーカスされてきて、ヤンソンさんにしてみても、5が入っています。
自分には、ない数字だ・・・と思っておりましたが、30 – 47歳のCycle Numbersが5、
48歳-のChallenge Numbersが5でした。

自分が何をしたいか・・・ずっとわからず、聞かれてもなかなか答えられなかった保育園のころ、小学生のころのことまで、少し思いだしました。

真面目だと茶化されるのは嫌だったり、素直に思ったことは、照れくさくて言えなかったり、偽善みたいだろうか、きれいごとたろうか・・・きれいごとのどこがいけないのか?理想をいうことは恥ずかしいことなのか?・・・など頭の中で、いろんな思いがごちゃごちゃになり、結局、自分が何を感じたのかわからなくなり、それを繰り返してきたことを思い出しました。

まだ、はっきりこれから何がしたいのかわからないのですが、自由に自分を表現したり、もっと変化を楽しむようにチャレンジしろ!!といわれている気がしました。
思い切ってためているものを爆発させてもよいのかもしれませんが、何か大きな変化をしなければ・・・と気負わず、少しずつ、人にちょっとしたヒントや刺激をいつの間にかあたえていたかも・・・くらいでも、外に向かって動きだせはよいのかも・・・とも、思いました。
と、いいながら、本当にやるの?といっているエゴ?がいる気もしますが、とりあえず、こうして今、学びを続けている自分を認めてあげてこれが外へつながる勇気となることを信じたいと思います。

最後に、結核療養中に生まれた詩を紹介させていただいてレポートを閉じさせていただきます。



 ********************************

 うつわの歌     1936.12.3

 私はうつわよ、
 愛をうけるための。
 うつわはまるで腐れ木よ、
 いつこわれるかわからない。

 でも愛はいのちの水よ、
 みくにの泉なのだから。
 あとからあとから湧き出でて、
 つきることもない。

 うつわはじっとしているの、
 うごいたら逸れちゃうもの。
 ただ口を天に向けてれば、
 流れ込まない筈はない。

 愛は降りつづけるのよ、
 時には春雨のように、
 時には夕立のように。
 どの日も止むことはない。

 とても痛い時もあるのよ、
 あんまり勢いがいいと。
 でもいつも同じ水よ、
 まざりものなんかない。

 うつわはじきに溢れるのよ、
 そしてまわりにこぼれるの。
 こぼれて何処へいくのでしょう、
 —そんなこと、私知らない。

 私はうつわよ、
 愛をうけるための。
 私はただのうつわ、
 いつもうけるだけ。




********************************
<参考文献> 『文藝別冊 神谷美恵子』河出書房新社 2014, 
『神谷美恵子の世界』みすず書房 2004


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# by kej000 | 2017-02-13 23:48 | 数秘レポート

オイラの夢は、世界に通用する映画監督になることだね*北野武 Vol.2


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Takeshi Kitano

Vol.1 
<人生の意味・気質・運命などの読み取り>
<History 1st Stage まで>より続き



【HISTORY】



Second-Stage 33~42歳 
Cycle:9 Pinnacle:12 Challenge:6


【#9複雑な二極性】~ドラマチック時期~ 浅草の一芸人からBIGスターへのシンデレラストーリーへ、その後は、フライデー襲撃事件によって前科持ちへ。

【#9寛容】事務所の金庫の中のお金がなくなり、先輩芸人が詮索をはじめるが、北野監督より「そんな暇があったら芸を磨け・・・」この件は、一件落着。

【#3 [#12]】~Realization & Pinnacle Number#3[#12]が、バイブレーション~ 
今まで以上の表現力、そして開花時期。

【#3 [#12]多忙】~仕事人間へ~ とにかく、忙しいことも通常よりバイブレーション。

【#12お金】~お金の源が集まる~ この時期より、収入が爆発的に増えてくる・また、お金を稼ぐ仕組み(源流)を発見?それが通常よりバイブレーション、1985年当時のレギュラー番組のうち、日本テレビ・テレビ朝日・TBS・フジテレビの20時台番組ですべて最高視聴率をマーク。
【#6 責任】~とことん人の世話をし、他者に尽くす、育てる時~ たけし軍団の始動 

◆「立派な師匠って言うのは、何百人もの弟子をみんな食わせた。芸人としてはやってはいけないような奴まで食わせている。そういう師匠はやっぱり凄いと思うんだ。」と語っています。

◆フライデー事件で連行される際、北野監督は軍団メンバーに対して「悪かったな、おまえら」、「おまえらの面倒は一生見るから」「おれ、ドカタしてでも、おまえらを絶対食わせるからな」と語ったとされます。

◆長男誕生、長女誕生。


◇33歳 YearCycle:28 Cycle:9 Pinnacle:12 Challenge:6
【#10】努力の結果で思うようにいかなかった流れががらりと思い通りに・・・
漫才ブーム 月収30万⇒1600万。ネタ本『ツービートのわッ毒ガスだ』を発刊し、年末までに約85万部の売上となったが、当初事務所側はせいぜい3万部程度の売り上げと見込み、印税全額を2人が受け取る契約を結んでいたため、思わる大金が転がり込んだといいます。

【#10最強運の結婚】【#6責任】妻は、元漫才師の幹子(旧姓・松田)。北野監督曰く、自分は別の女性に気を引かれていたが、幹子の両親が勝手に婚姻届を出してしまい、彼女らを前科持ちにしたくなくて訴える事が出来なかったということ。その後も実母のさきが離婚を恥と考えていて幹子の肩を持ったことなどもあり、ずるずると今に至っているとのこと。現在、別居生活30年の完全なる仮面夫婦。「最強運の結婚」改め「最凶運の結婚」?

◇34歳 YearCycle:2 Cycle:9 Pinnacle:12 Challenge:6
【#12】~ナチュラルパターン打破~ 「ひょうきん族亅・ソロ活動ヘラジオ出演
今後のテレビ界に危機感(子供に迎合した笑い)を感じ、萩本欽一といかりや長介を引きずり下ろし2人の牙城を崩さない限り、お笑いの未来はないと思っていたようです。

◇36歳 YearCycle:4 Cycle:9 Pinnacle:12 Challenge:6
【#4基盤作り】~自分の能力を社会で活かす(リーダーを目指す)~ 「たけし軍団」設立へ。名前の由来は、「石原軍団」のパロディ。弟子が増え、元相棒ビートきよしの代わりのような存在として、何か一纏めで団体芸をやりたいとして、テレビ番組に出演したのが始まり。

◇38歳 YearCycle:6 Cycle:9 Pinnacle:12 Challenge:6
【#6】~人間関係拡大・メディア影響~ 元気が出るテレビ・たけし城 最高視聴率

◇39歳 YearCycle:7 Cycle:9 Pinnacle:12 Challenge:6
【#7AM 批判的・神経過敏・反逆】
当初、北野監督は手を出さないよう軍団メンバーに言っておいたものの、当時の編集次長による「自分は空手が得意である」旨の発言をはじめとした、編集部員の挑発的言動が原因で暴行に至ったと記されている。北野監督が「担当者を出せ」と迫った後、どちらからともなく一斉にもみ合いになった。北野監督は「ブチ殺すぞこの野郎、おれは刑務所行きも覚悟している。」などと怒鳴りながら、粉末消火器を噴射した上、同誌の編集長及び編集部員らに室内にあった雨傘や拳で殴打したり蹴ったりして、肋骨骨折などで1ヶ月から1週間の怪我を負わせた。住居侵入・器物損壊・暴行の容疑で、大塚警察署によって現行犯逮捕された。

【#9-18 正義感】事件の発端は、親密交際していた女性に対し.『フライデー』の契約記者が、北野監督との関係を聞こうと声をかけたが、それを女性が避けて立ち去ろうとしたため、記者が前方に立ちふさがってテープレコーダーを彼女の顔に突きつけ、手を掴んで引っ張るなどの行為に及び、頸部捻挫、腰部捻傷で全治2週間のケガを負わせた。この行動に対して、抗議行動に出たものです。

【#9-18裏切りにあう】後に明らかになったのは、専門学校生に怪我を負わせた契約記者は雑誌『GORO』にて北野監督の記事を何度か扱っていたことを買われてフライデーに移籍した記者であるということだった。しかし、移籍を北野監督側に知らせずに、以前通り『GORO』の記者として取材していた。このことをフライデー側が隠そうとしたことが事件の引き金になったとも言われています。
【#7 内省】事件後、迷惑を掛けた人に対して、反省の弁を述べています。


◇40歳 YearCycle:8 Cycle:9 Pinnacle:12 Challenge:6
【#8】~結果が出る~
フライデー襲撃事件の判決 懲役6ヶ月、執行猶予2年。『史上最強の会見』「北野監督は大切なものを守ろうとしたけど、その方法が法に触れた。」と淡々と語る。認めるところは全て認め、聞かれたことには正直に答えた。眼光は鋭いが、とても澄んでいるよう感じられた。尋常ではない迫力でした。また、この事件がターニングポイントとなって、写真週刊誌業界の商業的なピークは終焉に向かっていきます。

◇41歳 YearCycle:9 Cycle:9 Pinnacle:12 Challenge:6
【#9 自己再生】北野監督は、復帰後やや精彩に欠ける時期を迎える。北野監督はここで「基礎から勉強し直そう」と思いたち、小・中学生が解くようなドリルを使って勉強したという。さらに、北野監督は大人としての知識や常識を学び、『平成教育委員会』発案の切欠となりました。
【#9】~完成・サイドビジネス・次の光へ~ けじめとして太田プロを辞め、オフィス北野を設立。来るべき時に備え、テレビに出演中もカメラ割りや立ち位置など、映画監督になったつもりで訓練していた事は、後に語られることとなります。




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3rd-Stage 42~50歳 
Cycle:9 Pinnacle:13 Challenge:2

【#9感情】~感情面で危機をもたらす~ 哲学的な態度を身に付け、直感に耳を傾け、宇宙の導きを受取る。
【#13修練】~第二のスタート創造と破壊~ 創造(北野武)と破壊(ビートたけし)。

【#13手放し完了】~社会的認知・収穫・前年までの努力が実る~ 映画初監督の座を掴む!

【#13変化】~自分自身でも驚くような変化を遂げる可能性~ 第二の人生はここから。

【#2 不信】~自己不信や自信のなさを体験、内気で臆病になり、他人に影響される~ 映画の評価が気になる・・・麻原彰晃の宗教観(人類愛)に深く陶酔し対談するほどに。

【#2協調性】~仲間からの深い満足感、何ごとも折り合いを付ける~

【#2謙虚】~へりくだった心をもって互いに相手を自分より優れた者としなさい~
俺は怒ったり、命令したりしない。まずは、スタッフに聞く。「こういうふうに撮りたいんだけど駄目かな?」、「このシーンはどうやって撮ればいい?」など。最終的には自分のやりたいようにやっているのだが、もしかしたらもっといい意見が出るかもしれないから、まず聞くんだ・・・



◇42歳 YearCycle:10 Cycle:9 Pinnacle:13 Challenge:2
作品①『その男凶暴につき』
【#10チャンス】~新しい可能性・チャンス到来・オリジナル作品~ 当初は深作欣二監督、ビートたけし主演、野沢尚脚本という予定のところ、紆余曲折あって自らメガホンを取ることになり、監督デビューを果たす。

◇43歳 YearCycle:11 Cycle:9 Pinnacle:13 Challenge:2
監督作品②『3-4×10月』  北野監督の脚本家デビュー

◇44歳 YearCycle:3 Cycle:9 Pinnacle:13 Challenge:2
監督作品③『あの夏いちばん静かな海』

◇46歳 YearCycle:5 Cycle:9 Pinnacle:13 Challenge:2
監督作品④『ソナチネ』

【#5】~海外評価~ 国内より、国外から人気となり火がつく。1993年のカンヌ国際映画祭で上映され、ヨーロッパでの北野監督の人気を決定付けた作品。イギリス国営放送BBCが「21世紀に残したい映画100本」の一本として『ソナチネ』を選び、イギリスでの北野映画の極めて高い評価が示されました。

◇47歳 YearCycle:6 Cycle:9 Pinnacle:13 Challenge:2
監督作品⑤『みんな~やってるか』自分の中では、最高傑作と思っているが、一般の評判は良くなかった。
【#13】【#6】~生と死(心の病)過労。自己破壊的~ 8月交通事故(自殺願望・うつ) 今、振り返ってみると、仕事のしすぎで神経がぴりぴりして、へとへとになってたってこともあると思う。新境地を拓くなんて不可能だと思ったし、堂々巡りをしてるような気分だった。なにか新しいこと、新鮮な空気を探し求めてた。少しずつ、重要な局面に近づいていったんだね。限界に達してたんだろうな。

◇49歳 YearCycle:8 Cycle:9 Pinnacle:13 Challenge:2
作品⑥『キッズ・リターン』
【#8 達成の時】~より高く新しい可能性を開拓~ 再出発『キッズ・リターン』は、一生心に残るような経験を描いた映画だね。撮影中は、タイムマシンに乗ってるような気分だったよ。事故を起こして、そのあと動けなくなって。『キッズ・リターン』は、そんな俺の社会復帰の作品になったんだ。救いの、償いの映画になった。





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Final-Stage 51歳~ 
Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2

【#21宇宙規模】~今後の人生への無限の可能性・何を全面に打ち出していくか~ 映画監督としては、世界的に有名となったが、このまま継続するのか?新たな展開を計画しているのか?天才Kitanoが、無限の可能性を享受出来る時に如何なる覚醒を果すか?

【#21完成】~人生における「完成」を目指す時~ 

【#22】~誕生数~ Birth path number#4[#22-#13]&Pinnacleとのバイブレーション。

【#22】「世の中、絆、愛、支えとか、表面的なものばっかりでイライラした。こういう時こそヤクザ映画を撮ってやろうとやる気が起きた。」

【#22偉業】~国際的スケールで、人々を巻き込み、偉業を達成する時期~ 見事バイブレーション。

◆世界各国の映画祭への出品、そして受賞(作品賞・監督賞等)
◆フランス芸術文化勲章
・シュヴァリエ(騎士) 1999年
・コマンドール(騎士団長) 2010年
◆シャンパーニュ騎士団
・オフィシエ・ドヌール(名誉将校) 2014年
・シャンベラン・ドヌール(名誉侍従) 2015年
◆レジオンドヌール勲章オフィシエ(将校) 2016年
【#22夢の実現】~『オイラの夢は、世界に通用する映画監督になることだね』~
【#2気遣い・気配り】~自と他の意識の繋がり・与えると受取るのバランス~

◆作法というのは、突き詰めて考えれば、他人への気遣いだ。具体的な細かい作法をいくら知っていても、本当の意味で、他人を気遣う気持ちがなければ、何の意味もない。その反対に、作法なんかよく知らなくても、ちゃんと人を気遣うことができれば、大きく作法を外すことはない。駄目な奴は、この気遣いがまったくできていない。人の気持ちを考えて行動するという発想を、最初から持っていないのだ。

◆他人への気遣いで大切なのは、話を聞いてやることだ。人間は歳を取ると、どういうわけかこれが苦手になるらしい。むしろ、自分の自慢話ばかりしたがるようになる。だけど、自慢話は一文の得にもならないし、その場の雰囲気を悪くする。それよりも、相手の話を聞く方がずっといい。



◇51歳 YearCycle:10 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2

作品⑦『HANA-BI」、受賞歴「ヴエネツィア金獅子」ヴエネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、ダントツの1位で金獅子賞(グランプリ)を受賞。日本映画としては1951年の黒澤明監督『羅生門』、1958年の稲垣浩監督『無法松の一生』に続く3度目の快挙でした。
【#22 Birth・Pinnacle】~開花 努力の結果、流れが大きく変わる~ 芸人でなく映画監督として認識されます。
【#10】~世界的認知~ 真の監督へ
【#10】~再スタート~

◆「『HANA-BI』で金獅子賞をとったことで、いろんなことが変わったよ。みんなが俺のことを本当の監督として見はじめるようになったもん。それに、事故を起こす前は、多かれ少なかれ、俺には自殺願望があったような気がする。だってなんでバイクなんか買ったのかも覚えてないもん、ふだん乗らないし・・・死という考えに直面しながらも、すべてから逃げてたんだよね。『HANA-BI』では逆に、死っていう運命を受けいれようとした。自分の抱える不安や怖れと向き合って、それを手なづけていく方法を見つけられたんだよ。
『HANA-BI』が、どれだけ俺の再スタートを助けてくれたか、この映画を撮ることが、新しい出発になるって感覚はあったね。そのチャンスをつかむべきであると。」
◆日本は漫才師が映画撮った、みたいな雰囲気があって、異業種の人間に対する偏見が強い日本人の見方には苦言を呈しています。


◇52歳 YearCycle:11 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2

作品⑧『菊次郎の夏』、受賞歴「シュヴリエ勲章」
【#10】(前年のYearCycle:10で企画等) ~過去手掛けていないものに霊感を受ける。新しい可能性とチャンス~「『HANA-BI』が成功に終わったあと、“クール”すぎたり、いかにも暴力的な映画からは少し距離を置いて、もっと瞹昧な映画を作りたいって思ったんだ。北野監督には、心温まるような、子供時代の話なんか撮れっこないだろうって思ってた人たちは、この「菊次郎の夏」を観て驚いただろうね。」
【#22】~愛・強い感受性~ 最愛の母死去。マスタービルダーとして、又ひとつ大きな悲しみを乗り越えることで、新たなパワーの源を手に入れることとなったことでしょう。

◆北野監督が芸人で売れるようになった途端、母が会いに来るたび「温泉に行く」、「孫に自転車を買ってやる」からと理由を付けて、20万円、30万円とお金を要求していました。教育熱心で優しかった頃の母・・・すっかり変わりはてた姿に、北野監督も「因業ババあめ!」と悪態をつくこともあったそうです。北野監督が、交通事故で顔面麻痺などの大ケガをしたときのことだ。週刊誌などで「たけし、再起不能」などと書かれ、芸能界に復帰できないかもしれないと悔しい思いをしていたという。
そんなとき、北野監督のもとを、さきさんが訪れ“通帳とはんこ”を置いていったのだ。何かと理由をつけて北野監督からお金をせびっていたが、それらはすべて使わずに貯金していたのだ。さきさんは「こういうことになると思ってな。お前は金遣いが荒いから、その金は全部とってあるから、あとの人生これで暮らせ」と言ったというのだ。万一、北野監督が芸能界で仕事ができなくなることも考え貯金をしていたそうです。北野監督は「母親の愛情のすごさってさ、たまんなかったね」と語っています。ちなみに、さきさんは、フライデー襲撃事件で世間を賑わせた時に、取材を求められた際は「あんなどうしよもないのは、死刑にでもして下さい。」と毅然と答え、その場の騒ぎを治めていました。



◇54歳 YearCycle:4 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
作品⑨『BROTHER』
【#4 継続力】「『ソナチネ』での失敗を、ちゃんと入れたっていうのはあるよ。だから『ソナチネ』の完成版。


◇55歳 YearCycle:5 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
作品⑩『Dolls』
【#5】~破壊・革新~  1度壊したい
「それまで俺が撮ってきた映画には、あんまり色がなかった・・"キタノ・ブルー"がつきまとってたからね。それを一回壊してみたかったんだ。


◇56歳 YearCycle:6 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
作品⑰『座頭市』ヴェネツィア銀獅子、日本アカデミー賞

【#6融合・調和】「ミュージカルと時代劇の融合!」「タップダンスに金髪の調和!」を実現。
『HANA-BI』でヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞をもらって、『座頭市』で銀獅子賞をもらってから、日本で俺はタレントとしてだけじゃなく、映画監督として認識してもらえるようになった。本当に、このふたつのおかげで、いろんなこと変わったよね。『座頭市』は、【Destiny#8 達成の時】俺の存在を世に知らしめる役割を果たしてくれたっていうかね、それまでの努力のたまものだね。『座頭市』は依頼された作品だったからね。映画を依頼されて引き受けるのは、これが初めてだった。でも、このチャンスは逃したくないって思った。【Realization#3[#12] 表現・感性・開放・遊び心】「『座頭市』で初めて、自分にとって娯楽とは何かっていう、真のコンセプトを自由に表現させてもらったと思う。映画の出だしから"これは“娯楽”だって観てる人にわかってもらいたかったわけ。西洋の批評家たちは、これは"和製ウエスタン"だって書いていた。これは当たってるよね。」


◇58歳 YearCycle:6 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
作品⑫『TAKESHIS'』


◇60歳 YearCycle:10 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
作品⑬『監督・ばんざい!』
#10】~運命をそのまま受け入れる・自然の流れに身を任せることの大切さ~
あの事故でわかったことは、運命なんてものは、自分でどうにか動かせるものじゃないということ。どんな運命が待っていようと、それをそのまま受け入れるしかない。」と語っています。


◇61歳 YearCycle:11 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
作品⑭『アキレスと亀』、受賞歴「日本数学会出版賞」


◇63歳 YearCycle:13 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
作品⑮『アウトレイジ』

作品内容が【#13カルミック】全ての“偽善や欺瞞など”を、斧で切り裂き粉々にしたい心境の中で制作。【#13収穫・社会的認知】「コマンドゥール勲章」受賞
【#13】~軌道修正~ さらなるステージの上昇


◇65歳 YearCycle:6 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
作品『アウトレイジビヨンド』(北野監督作品で初の続編)


◇68歳 YearCycle:9 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
作品⑰『龍三と七人の子分たち』、受賞歴「シャンペラン・ドヌール勲章


◇69歳 YearCycle:10 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
受賞歴「レジオン・ドヌール勲章」(フランスで最高の賞を受賞)

同勲章はナポレオン・ボナパルトが1802年に創設したもので、現在は文化や科学、産業、商業、創作活動などの分野における卓越した功績を表彰することを目的にしている。勲章を授与する元フランス文化大臣ジャック・ラング氏は「【#1】大胆で【#1】独創的な【#13】創造性から生み出された作品が、芸術ジャンルの限界をやすやすと乗り越え、演劇、テレビ、映画、文学などの約束ごとを変革して、現代のアートシーンに影響を与えてきた」とコメント。「あらゆる形態の大衆芸術の発展への熱心な関わりによって世界中で名をはせた【#1】型にはまらない完全無欠のアーティストとして存在していることにオマージュをささげたい」と受章について説明している。北野監督は「これまで自分のやり方でやってきた数々のことで、今回このような栄誉を授かることとなり、大変驚いています。そして、素直にうれしい気持ちでいっぱいです。これからも、自分の【#4】スタイルを守りながら、【#22】さまざまな仕事に精進してまいります。」とコメントしています。



◇70歳 YearCycle:11 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
北野監督⑱作目となる最新作・映画『アウトレイジ最終章』が、2017年に公開される予定。

【作品NO.#1+#8=#9完成・集大成】アウトレイジシリーズの完結版であって、決して映画監督としての完結とならないことを願うばかりです。




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【総論】

北野監督は、Year Cycle#10 Fortune(運命の輪・自然の流れに任せる)の時、思うように行かなかったり停滞する流れが激変し、ビックチャンスとなる新たなステージを手に入れています。それは、常に直向きな努力を怠らない北野監督への天からの賜物の如く・・・。

特に、33歳の時には日本お笑い界の人気者へと駆け上がり、42歳では監督未経験ながらも、映画監督の座を射止めたうえ、業界関係者の度肝を抜く作品を作り上げ鮮烈なデビューを果し、そして、51歳の時『HANA-BI』で、ヴエネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、ダントツの1位で金獅子賞(グランプリ)を受賞しています。

北野監督は、

「物体は激しく動けば、それだけ摩擦が大きくなる。人間だって、激しく動くと熱を持つのだ。はたから見れば、輝いている人間のことが、きっと羨ましく見えるのだろう。だけど、輝いている本人は熱くてたまらない。星だって、何千光年という遠くの地球から見れば、美しく輝く存在だ。“いいなあ、あの星みたいに輝きたい”人はそう言うかもしれないけれど、その星は堪ったもんじゃない。何億度という熱で燃えている。しかも燃え尽きるまで、そうやって輝いていなくちゃいけない。これは真面目に、結構辛いことなのだ。第三者にとっては、輝いている人を見ると、輝き始めるまでの努力も知らず、また輝き続けるための心の葛藤も知らないのに、漠然と羨望の眼差しをおくる。」

と発言しています。
【#22】を持つ北野監督ならではの、努力もせず行動に移すことも出来ない人間への痛烈なメッセージかと思います。勿論、これは常に輝き続ける努力を怠らないこと、そして多くの困難を克服しないと輝けないことを知っている、北野監督だからこそ出来る発言です。

マスタービルダーを名乗るのに相応しい数々の困難を乗越えた経験数、Destiny Number【#8】権威・指導力・名声・富、Soul Number【#4】の直向な行動・謙虚さ、そしてRealization Number【#3[#12]】日本人代表として日本の芸術・文化を世界に発信し表現する力など、すべての行動・言動などが数秘を学ぶ者にとっては、とても理解し易い実例のようであると感じられました。

また、大変興味深い発言として、数学に対する造詣が深い北野監督は、次のようにも語っています。
「もし道を間違えなかったら、数学の研究者になりたかった」と・・・1980年代の民放番組の司会進行中に「自分は漫才師になったので今がある、物理学の道に進んでいたら、もう既にノーベル賞を取っている」と真剣な面持ちで話し、編集されなかったこともあったとされています。
さらに、数学好きが高じ『たけしのコマネチ大学数学科』をスタートさせ、その才能を発揮させたこともあります。「数学というものは哲学であって、全ての事象は数学に支配されており数学で説明できる」とも発言しています。もしかして、北野監督は『数秘』を既に学んだことがあり、自らがマスタービルダーであることも認識されているのかも知れません。でも、だとしたら、学ぶ前と学んだ後の、自己の意識の変化の違いを是非ともお聞きしたいものです。

最後になりますが、近い将来の期待として二つ・・・。
一つ目は、北野監督が日本の首相(【#22】政治の分野での指導者)として、米国トランプとの【#22×#22】対決で、ユーモアたっぷりの返しで反撃する姿が見てみたい。
二つ目は、勿論のこと米国ハリウッドにて『アカデミー賞』を受賞するシーンを見ることです。



Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th class
in Bunkyo
Tetsuya S.
# by kej000 | 2017-02-06 10:29 | 数秘レポート

オイラの夢は、世界に通用する映画監督になることだね*北野武 Vol.1

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Takeshi Kitano
1947年1月18日
東京都足立区出身、血液型 O型、山羊座


『オイラの夢は、世界に通用する映画監督になることだね』

塗装職人の父・北野菊次郎(1897年4月1日‐1979年)と、母・北野さき(1904年‐1999年)の四男(幼少時に早逝した兄が一人いるため、実質は三男として育つ)として生まれ、「竹のようにどんなものにも耐えて、すくすく伸びて欲しい」との願いから「武(たけし)」と命名された。《両親の願い通りかは分かりませんが、想像以上の困難を乗り越え、世界が認める長~~く伸びた竹となったのではないでしょうか?》

大学入学の翌年に家出して、浅草で芸人の道に足を踏み入れる。
1980年代初頭に起こった漫才ブームの中で頭角を現し、「フジテレビのオレたちひょうきん族」などの多数のテレビ番組に出演し大人気となる。しかし、人気絶頂の最中、世間に衝撃を与えた、1986年の「フライデー襲撃事件」そして、1994年に起こした死の淵を彷徨うほどのバイクによる大事故と、数々の試練やトラブルが北野監督を襲う。ただ、そんなことも全て自らの糧としてしまう・・・今では世界が認める『天才 Kitano』として、国内外の在家信者であるキタニストから熱烈に支持される存在。





【基本データ】
①Birth path Number #4[#22‐#13]
Day#9[#18]・Year#3[#21]・Month#1・Day&Month#1[#19‐#10]
②Destiny Number#8
③Soul Number#4
④Personality Number#4[#22]
⑤Realization Number#3[#12]
⑥Stage Number#1[#10]
⑦Challenge Number#9[#18]
⑧Nature Number#1[#10]
⑨Action Number#8



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誕生数 Birth path Number #4[#22‐#13]

(資質・性格・個性・才能)

【#13】は、カルミックナンバーで創造と破壊を繰り返し、常に学びを喚起させられるナンバー。障害やトラブルを探し出して、渦中に自ら飛び込み困難を招くこともあるかもしれませんが、しかし困難を克服する度に、変容する修練を経験し、カルマの負債を清算することになるナンバー。
【#13】~生と死~ イメージとの大きなギャップ、「身内の死」に関する感情の高ぶり。

◆身内のように親しくしていた『逸見 政孝』の告別式では、弔辞を読む予定であったが、とても読める状態でなく参列者席で号泣。
◆母が死去した際、通夜の後に行われた記者会見で「俺を生んで良かったと思って欲しい・・・」と絶句し、その場でも泣き崩れた。

【#22】は、マスターナンバーであり、天と地の架け橋となるナンバーです。2+2=4(#4の増強版)で、【#4】の特性を全て持っており、有能で、頼もしく、気質が堅く、まじめである。

さらに【#22】は、現実的な世界でスピリチュアルな原理を使う能力を有しており、霊感・直感に基づく観点から物事に取組むとき最高の力を発揮することも出来ます。ただ、【#4】の人より、強運に恵まれていますので、同時に学びの機会(試される)として多くの障害やトラブルにぶつかることも多いです。しかし、そうした障害を克服する力を持っており、何であれ見事に克服していくでしょう。克服したのちに、【#22】の安定感とパワーの源が内側にもたらされます。あらゆる分野の創始・開拓・指導・権威者を目指す。

【#22体験】~人生の早期にさまざまな体験をし、体験から自信を培っていく人~
高校卒業後、明治大学工学部機械工学科に入学する。しかし、大学にはすぐに行かなくなり、新宿界隈で当てのない日々を送るようになる。当初、ジャズ喫茶や雀荘あたりをウロウロするが、長続きせずその後は。菓子の計り売り、実演販売員、クラブのボーイ、タクシー運転手、ガソリンスタンド、ビルの解体、羽田空港の荷役・・・などなど、アルバイトを転々とした後、芸人見習い志願として、25歳【Year cycle#20】で浅草のストリップ小屋でエレベーターボーイを始めるまでは数えきれないほどの体験をする。しかし、のちのち全てが必要な経験であったことを自覚する。

【#22挫折感】~最初のうちは何をしても結果が出ないような気がして、挫折感を味わったり、自分は理解されないなどと感じる~ まさに、前座時代は、演芸場のギャラは安いため、地方キャバレーなども回るようになるが、酔客相手の仕事を嫌い、出番をすっぽかしたり、酩酊して舞台に上がることが多かった。また、店を誹謗【#8am能力を認められない時、批判的になる】し、客やホステスに喧嘩を吹っ掛けたので、度々舞台から降ろされた。

【#22波乱の人生】逮捕歴・前科あり、顔面が崩壊するほどの事故を経験するも、その後の活躍を認められ、紫綬褒章受章の打診が来る。(俺はもらうような立場ではないとお断りを入れる。)まさに大波乱。

【#22あらゆる分野の創始・開拓・指導・権威者】
~国際的な関心事にまつわるプロジェクトの中で自分を活かす機会を見つけるでしょう~
芸人、役者そして、映画監督となり、今では世界を代表する映画監督『世界のKitano』として大活躍。

【#22卓越した才能】北野映画は黒沢明に愛されていたことは事実です。死を目前にした黒沢監督は「日本映画の未来は任せた」と言わせた・・・世界の黒沢が認めた才能。



【#1 Month Number】
~生まれ月のナンバー[#1]は、若年期の行動や雰囲気を現わす~

若年期のCycle#1・Pinnacle#1[#19]そしてNature#1[#10]とバイブレーションするためにより顕著に現れる。典型的な、すばしっこいガキ大将。


【#9[#18] Day Number】
~生まれた日のナンバーは、個性や行動特性を見る第二ツール。2桁なら波動が上がる~

【#9[#18] 】~人を惹きつける魅力~ 非常に高い波動で、多くの人間の心を掴み、国外からも多数のファンがおり北野監督を訪ねています。

【#9[#18] 】~若年期の経験が多い~ 関わった仕事・趣味・人との交流など盛りだくさん、兎に角多くの経験を積むこととなります。

【#9[#18] 】~ロマンティスト~ 本のタイトル名「星のはなし」という、絵本を出版するほどのロマンチストで、その他の執筆した書籍にも、星の話が登場している。しかし、同じ年に究極のバイオレンス映画の続編「アウトレイジビヨンド」を制作・公開するギャップもファンを魅了する一因。



運命数 Destiny Number #8
(才能・個性をどう活かすか、人生の目的・使命、社会的役割、社会へ打出す力)

権力の行使に関わる使命を携えています。その衝動と大望と才能ゆえに、権威あるポジションに立つ可能性がとても高い人。重要な決断を迫られるような局面でも、たじろぐことなく冷静沈着に対処できる人。集中力があり、やや格式ばっていて、堅実でとことん頼りになり、むやみにリスクを冒さず、何事も最初から決めてかからない姿勢を身に着けています。卓越したトラブル処理能力があり、常にバランスを回復させ、効率よくスピーディーにあざやかな手さばきで難題を次々に解決していきます。むしろ、そういう機会を楽しんでしまうでしょう。めったに時間を無駄にせず、よく自制し事情通で太っ腹です。



ソウル数 Soul Number #4
(魂の欲求、一番大切な価値観)

【#4 本質】~#22への覚醒を意識した#4本来の思考~(天才は天才を知る)
「99%努力したとしても、あと1%の才能がなければ、天才になんかなれない。だから、せいぜい我々に出来ることは、努力しかないから、せいぜい努力しなきゃどうしょうもない。つまり、1%の才能が、普通の人にはない。そこをして、天才と言わしめる。だから、我々に出来るのは、せいぜい努力でしょ。だとしたら、99%の努力なんか、当たり前だという意味だ。」と天才ならではの発言をしています。

【#4 頼りになる】~道義的な理由で、他者を助ける為なら全力で立ち向かう~
当時交際中の女性に対して、雑誌フライデーの記者が強引(女性の腕を掴むなど)な取材を敢行したことに対して抗議したが、反省のいろが微塵も感じられなかったので実力行使した。また、1980年代初頭に北野監督を慕って集まって来た軍団に所属するメンバーは、業界を干されて行き場の無かった者も少なくなかったのです。

【#4 基本・真面目】~基本に忠実~ 映画製作での拘りの一つとして、暴力シーンは淡泊に撮るが、音には拘っている。俺の映画で使っている銃の音はすべて本物だ。俺のところには、トカレフを撃っている時は、ちゃんとトカレフの音がしている。床に転がる薬莢の音までが本物だ。俺のところには、世界に出回っているほとんど銃やマシンガンの発射音の膨大なコレクションがある。音響さんがアメリカに行って、もの凄い苦労をして録ってきてくれたのだ。言わなきゃ誰も分らないだろうけれど、不思議なもので、観客は無意識にその違いを感じている気がするとのことです。

【#4 本質】~ものごとの本質を明らかにする~ 日本テレビから『24時間テレビ 愛は地球を救う』への出演オファーを受けたが、拒否したことを明かしている。さらに、「ヨダレを垂らした芸能人どもがめちゃくちゃ高いギャラを稼ぐくせに、これ以上貧乏人から金を巻き上げんな。チャリティーっていうくらいならお前ら全員ノーギャラで出ろよ」と発言、偽善番組とも述べています。
【#4 論理と感情の調和】「感情というのは抑えるのが当然なのに解放するのがいいって風潮になっている」ことを嘆くコメントを残しています。

【#4 信念】「最後まで押し通せなかったら、やさしさではない。途中でくじけるなら悪人になればいい。優しさは根性である。」とコメントしています。

【#4 働き過ぎam】~ワーカホリックになりやすい、リラックスできて自分が成長させられるような趣味を見つける~ 北野監督は、働き過ぎ解消の術を自然に身に着けたのか・・・所ジョージと非常に仲が良く、毎週日曜日に所の遊び場兼事務所である「世田谷ベース」へ遊びに行く。趣味の話などを酒とともに酌み交わすことが楽しみの一つとなっている。北野監督は「所から仕事以外の楽しみかたをというものをすべて教わった。」とも語っています。


人格数 Personal Number #4[#22] (他人からのイメージ)
非凡なオーラを与えます。どんな難題もきっと解決してくれると思われ、仕事を任せたいと多くの人が集まります。また、自分自身でも遣りたいことを山のように抱えています。


ステージ数 Sage Number #1[#10]
(活躍の舞台)

【#1-10】~絶対的存在や特別性~ テレビや雑誌・新聞の紙面、そしてスクリーンにて、たけし軍団・お笑い界・映画界などで常にトップランナーとして走り続けている。

【#1-10】~前世でやり残したカルマや、目的を今生で果たすためのカルミックナンバーで、人道的な目的や、人に癒しを与える方向へ向かいます。人生のある時期に全く別な道へ進む場合が多く見られる~ Cycle#10の時に、StageNumber#10とバイブレーションするのか?新たな活躍の舞台が用意されたり、活躍のステージがアップしたりします。勿論のこと、人に癒しを与える方向で活躍します。


チャレンジ数 Challenge Number #9[#18] (
現実に経験すること)

【#9】~愛と理解力で人類愛を実践~ 「愛」と言う言葉、それも真実の偽りのない愛が似合うと思います。

【#9 [#18]】~月の影響・若年期の経験~ 

◆中学は母親の希望で進学校に越境入学。そこでは成績が落ちしまう。また、雰囲気に馴染めずガキ大将になれなかった。その反動もあって、ボクシングジムに通い始めたようです。
◆子供の頃から、厳しい勉強を強いられて窮屈な思いをしていた北野監督は、これに猛反発.北野冢においても.近所の体裁を考えて「芸人を目指した北野家の武」という存在は無かった事になっていたそうです.

【#9 [#18] 物質主譱】~物質的野心には心を動かさない~
「金のことでつべこべ言うと、母親にこっぴどく叱られたものだ。誰だって、金は欲しいに決まっている。だけど、そんなものに振り回されたら、人間はどこまでも下品になるというのが俺の母親の考えだった。貧乏人のやせ我慢と言ったらそれまでだが、そういうプライドが、俺は嫌いじゃない。」

【#9 [#18] 寛容】「他人の裏切りを、心の中に毒持って生きて行くより、相手にいいこしてやったっていう感覚でいるほうがいいんだ。だって、裏切りなんてこれからもじゃんじゃんあるんだから。それをいちいち自分の問題にして、抱え込んだら、大変なことになっちゃうもん。」


ネイチャー数 Nature Number#1[#10]
(素の自分)

【#10 野心】~自信家で野心家・大胆不敵~ 『その男凶暴につき』、主演の立場を利用して「深作監督でなければ、出演しない。」また、「俺に監督をやらせたら、同じスケジュールで1本くらい映画、撮れると思うんだけどな」と啖呵を切って、見事に監督の座を勝ち取る。普通、映画監督未経験の北野監督が、深作欣二の代わりを務められるなんて、考えられない展開ですが、北野監督ならではの、自信溢れる態度と、大胆不敵な雰囲気に関係者が納得させられたのでしょう。



行動数 Action Number #8
(行動パターン)
【#8 コントロール・自信】

北野監督のNG芸能人は、菅野美穂。NGの理由は、映画『Do11s』撮影時に、菅野のシーンにOKを出した北野監督。それにもかかわらず、菅野は自分の演技に納得がいかなかったため、再撮影を何度も希望した……。この行動が逆鱗に触れそれ以来共演NGになったのだとか。「絶対に許さない」北野監督の信念。一見すると菅野の主張も一理あるかに思えるが、北野監督の映画監督としての持論はそれを許さない。ある記者会見では次ように語ったこともある。「たまに“監督、ここはこう撮るべきじゃないですか?”って言ってくる奴がいるんだけど、そいつ大嫌いで2度と使わない。監督に気に入られるように演技をするのが役者であって、監督の演出方法に意見するのは絶対に許さない」結果的にお互いのプロとしての信念が仇となり、共演NGとなった菅野。裏を返せば、それだけ二人が作品作りに妥協を許さないということだろう。
北野監督は映画に関しては自分への助言や提案は聞き入れません。ベテラン俳優でも、「自分はこう演じたい」などとロ出しをしたら下ろすそうです。本人自身、俳優として他の監督の下で演じる時は、一切口出ししないそうです。ドラマにしろ映画にしろ、それは監督の作品であり、俳優はただ命じられたまま演じるのが筋だというスタンスです。

【#8太っ腹】弟子の結婚祝いに、弟子から洗濯機の希望があったので、大きなタライを贈る・・・タライの裏には、‘百万円の束'が、張り付いていたというエピソード!!




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HISTORY


First-Stage 0~32歳 
Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8

【#1自立・種まき】~早期に自立を促される~ 19歳で自立を果たす
【#19カルマ】~カルマの負債を清算するため、家族や自分の殻から抜け出ようともがく~

小学生時代の北野監督はスポーツ大好き少年でしたが、母親が教育ママだった為に終始「勉強しろ」と言われていました。しかし特に勉強しなくても成績が良かった為、スポーツにばかり打ち込んでいたそうです。大変目立つ存在で、昭和のガキ大将そのもの、近所では有名でした。中学は母親の願望で進学校に越境入学、そこでは成績は「普通」になったし、雰囲気や状況的にガキ大将にもなれませんでした。子供の頃から厳しい勉強を強いられて窮屈な思いをしていた北野監督は、ついに猛反発して家を飛び出し、そして芸人の道へ。北野家では、近所の体裁を考えて「芸人を目指した北野家の武」という存在は無かった事になっていたそうです。19歳で、家を飛び出し自立を果す。本当の意味で天才Kitanoのスタート。

【#1成功の鍵】 ~個性や独自の才能を発見、新たな分野で究極の成功へ~ 
明治大学工学部に入学するも適応できず、紆余曲折の果て、芸人の世界へ、そして『世界のKitano』へ。
【#1 繋がり】~人との繋がり~ この時期に、多くの人と関わる。コントの師匠、漫才の師匠から、いろいろな人種の人達と出逢います。
【#19 AM】 ~過度の不安・心身のバランスに注意~ 

死ぬのが怖くて、どうにもならない時期があった。高校生から犬学生にかけて、毎日のように死について考え、死ぬことに怯えながら生きていた時期。死んだら人聞どうなるとか、天国や地獄があるのかとか、形而上学的な問題を思い悩んでいたのではない。自分が生きているという快感がないまま、生きたって記憶も何もないまま、この世から消えることが怖かったのだ。


◇17歳 YearCycle:21 Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8
【#21快楽主義】この時期、ボクシングジムに入門しているが、入門の動機はこんな発言から読み取れる。「快感には、みんな暴力的なものが内在してんだよ・・・」

◇18歳 YearCycle:22 Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8
【♯22】~大きなビジョンを描き、新しいステージに向かう開拓する年~ 明治大学入学。

◇19歳 YearCycle:23 Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8
【♯23】~環境の変動・自由・不安定~ 大学での生活には適応できず、五月病を患うようになり家出同然で一人暮らしを始める。その後、大学には通学せずに除籍。(のち、2004年9月7日、明治大学より「特別卒業認定証」及び知名度アップに貢献したとして「特別功労賞」を受賞。)

◇25歳 YearCycle:20 Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8
【♯20 出会い・愛する人とのコラボ】~永遠に目で語り合える相手・尊敬から結婚へ(男通しの結び付き)~この年、北野監督はその後の人生に多大なる影響をうけることとなる男(この上ないほどの理想的な師匠)と出会う。その男は、深見千三郎(ふかみせんざぶろう)北海道出身のコメディアン、舞台芸人・演出家・脚本家で浅草系の芸人に評価が高く、「師匠」と呼ばれていた。弟子には、渥美清、東八郎、ポール牧、萩本欽一、坂上二郎などなど…北野監督は、最後の弟子となる。弟子入りのきっかけは、エレベーター内で直訴したところ、何の芸もない北野監督にその場でタップダンスを披露し、「こういうのでも練習するんだな」と一言・・・弟子を許され、『前座芸人・北千太』が誕生しました。(後年、北野監督は、深見のタップダンスの余りの格好良さに感動としたことを発言しています。
また、簡単に弟子入りを許されたようだが、明治大学中退の変わり者に、依然より深見は目を付けていたようです。) その後は四六時中、深見から予告なしにボケをかまされ、間髪を入れずに罵倒するという技を仕込まれた。この日々の鍛練が、のちの独特な言葉の拾い方のアドリブによる巧みなかえしや、速射砲のようなテンポの速い漫才へと繁がります。座敷で飲んだあとに下駄履きに立ち、自分の靴をさっと出す北野監督に対して、深見は「ワザと違うものを出すんだ」と教える。その翌日、北野監督は、女性客のハイヒールを差し出し、深見は何ごとも無かったように、ハイヒールを履きながら「馬鹿野郎っ」とつっこむ・・・そんなやり取りも、北野監督の芸風として脈脈と受け継がれています。さらに、深見は「この馬鹿野郎」と言うなどロは悪い分人情味溢れる人物で、第子の暮らしぶりにも気を遣い、当時の北野監督の住まいを始め全ての面倒を見ていた。この点は、深見から鍛えられたというより、北野監督の本質と非常に良く似た点ではないかと思われ、そんな北野監督を慕うたけし軍団のメンバーは若き日の北野監督とどこか重なるようです。後年、北野監督自身も「芸人としての心意気・感覚すべてピッタリだった。自分はその心意気を継いでいる。」と語っており、別番組のインタビューでは「芸人としての生きざまは師匠の深見千三郎から教えられた。深見から言われた“笑われるのではなく笑わせろ“という言葉は未だに忘れられない」と語っています。深見の最期は、自宅であるアパートの自室でタバコの火の不始末が原因で火災を起こし、折しもはしご酒をして泥酔していたことが災いして逃げ遅れ焼死した。(59歳没)

たけしはフジテレビの『オレたちひょうきん族』収録中、楽屋で深見の訃報を聞いた。しばし絶句した後、たけしは、壁に向かい俯きながら無言でタップを踏み始めた。深見の葬儀の後、たけしは札幌での仕事へ向かうため羽田空港へ向かい、待ち合わせていた高田文夫に「深見のおとっつぁんもバカだよな死んだら人が焼いてくれるのに、自分で焼いちめえやんの」と師匠譲りの毒交じりの一言を口にしたといいます。


【#20】~出会いにより収入拡大~「ツービート結成」
ツービートは、最初きよしさんがボケで、おいらがツッコミだった。それでやってみたけど、これが‘間’をどうこう言う以前の問題。きよしさんは‘間’が悪い以前にネタがない。何を勘違いしたのか、舞台の上で世間話を始めちゃう。もちろん、客はクスリともしない。全くもってウケることのないきよしのネタに対し、北野監督はツッコミ入れるようになる。しょうがないから、おいらが「お金払って、お前の世間話とつまんねえギャグを聞いてどうする!」って、どんどん突っ込んでいったら、客がドッと笑ったんだ。それでお客が笑ったから、これだと思って、もうジャンジャン「こいつバカですから」と言いながら、きよしさんの出身地である山形の悪口をさんざん言った。そうしたら今度は、きよしさんがそのツッコミに対して、「そんなことはないよ」とか「よしなさい」って言うようになった。そうやってボケとツッコミが逆になったのが、みなさんの知っている「ツービート」のスタイルになったわけ・・・動き出す年となりました


◇29歳 YearCycle:24 Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8
【#6 やりすぎ】~自己破壊的~
【#19カルマ】~不当に軽んじられたり、手柄を人にとられて悔しいと感じることも多々あるが、その体験を通して正しい決断を学び、身につけることが重要~
演芸場での人気とは裏腹に、その破壊的な芸風は一部の関係者に受け入れられず激しい抑圧を受け、漫才協会から脱退を求める声すら起きたという。この年も、協会が主催するNHK新人漫才コンクールにツービートは3年連続で出場したが最優秀賞を獲得することは出来ませんでした。


◇32歳 YearCycle:27 Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8
【#9完成】~サイクルの成就~
『花王名人劇場』(関西テレビ 企画:澤田隆治)において、人気落語家・月の家円鏡(8代目・立花家円蔵)の共演者に抜擢され、古典派から「邪道」と言われた円鏡と、「邪道漫才師」ツービートを競演させ、「円鏡vsツービート」と銘打って放送されたこの企画が好感触を得たことで、「花王名人劇場」での、「激突漫才新幹線」制作への布石となり、後の漫才ブームへ繋がりました。




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To be continued to Vol.2

by Aeons Numerology Basic the 11th class
in Bunkyo class
Tetsuya S.
# by kej000 | 2017-02-06 08:27 | 数秘レポート

すべての経験を学びに変えて*ヒロミ・・『言い訳しない人生』 VOL.2




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ヒロミ

『言い訳しない人生』

Vol.1 に続く



《History》

Cycle number  その時期の学ぶべきテーマ
Pinnacle number どんな状況の時か
Challenge number その時期にチャレンジすべき課題


0-27歳
1965年-1983年
Cycle number 2 Pinnacle number 6 Challenge number 2
若年期(Month 2-Cycle/Challenge 2 受容)

1965年 昭和40年 東京八王子市に生まれる。父は大工。
遊びといえば、2歳上の兄について、山でアケビやザクロをみつけて食べたり、川で魚を釣ったり、素手で捕まえて焼いて食べたり。野生児でした。
後に釣り、マリンスポーツ、登山、様々な遊びが、彼の人生に大きな意味を持つことになりますが、この幼少期の野山での原体験がベースにあるのでしょう。また、家の前が父の作業場だったこともあり、小さいころからノミやノコギリを使い、木で色々な物を作っていたと言います。そのDNAと経験は皆様もご存じの通り、現在バラエティー番組でのリフォーム&リノベーションで遺憾なく発揮され、いったいどれだけマルチな才能があるのか舌を巻いてしまいますが、彼にとってはお手の物、という感じでしょうか。

子供の頃から自分でも認める甘えん坊でしたが、8歳の時に両親待望の妹が生まれ、家を継ぐ長男、可愛いがられる妹の狭間で、子供心に親のひいきを感じていたといいます。「次男である自分はいつかは家を出て行くものだと思っていた。」次男という立場を子供心に受け入れながら成長していきます。

中学時代はいわゆる「不良」の仲間入りです。人の影響を受けやすい9番、Cycle 2の中で、自分の兄達がそうなるのですから、彼にとっては自然の流れであったのでしょう。
しかし「どうせ悪いことをするなら、堂々とやる」そんな意味も分からないような「不良の美学」があったといいます。そしてその美学こそが、彼の行動哲学ともいえる「言い訳しない」生き方の原点かもしれない、とも述べています。

工業高校の機械科に進んだ1980年代。「自身の人生の中で一番刺激的な年代だった。」
「八王子に生まれてバイクに乗っていたら、みんな暴走族になるんだ。」
2月の早生まれだったヒロミさん、やっと16歳になり、免許を手にします。そして、「暴走族に入ります、辞めます、なんてものはなかった。」自然の流れで、仲間入りし、何百台のバイクと一緒に爆走するわけですが、ここでも義理や上下関係、周りをよく見て空気を読んで行動すること、様々なことを学んで行くのです。まさに誕生数・人格数ともに9の資質がこの頃より発揮されているのです。またこの時代に磨いた、先輩に怒られないようにからかったり、笑わせたりする術。失敗したら大変、命がけだったと言いますが、自然数 3 コメディアン度数No.1の3の波動、これがお笑い芸人としてのその後に生きてくることになります。


*1983年 18歳 (Year Cycle 27)
高校卒業間近、工業用工具の会社を経営する叔父から声が掛かり就職を決めます。サラリーマンを経験することになるのです。しかしまだまだ遊びたい盛り、土日は地元の仲間と車を乗り回していました。誕生数 9は冥界との関連のある数字。ヒロミさんは人生で2度も、生死を彷徨う大事故を経験しています。その1度目が、就職して3カ月目の7月。地元の仲間と集まった土曜の夜。心霊スポットで有名な奥多摩での肝試しレース。雨の中、タイヤが滑り、車がスピン、ガードレールにぶつかり、田んぼに突っ込みます。運転していたヒロミさんは車の外に放り出され、脾臓破裂の大怪我を負ってしまうのです。家族も「死を覚悟」と宣告され、泣いている父を見て、自身も「死ぬかも」。しかし、心底「死にたくねー。」と思ったといいます。「父を見て」と書きましたが、著書やTVトーク番組での本人談を総合すると、おそらく幽体離脱?の状態であったのではないでしょうか。


そしてこの事故が彼の人生を大きく変えていくことになります。
臓器の一つがなくなっても人は生きていられるのか、「もしかしたら、自分は長生き出来ないかもしれない。だったらやりたいことをやろう。」しかし、それまでやりたいことを真剣に考えたことすらなかったことに気づき、人生を考えるきっかけになって行ったのです。「嫌なことがあると、いいことの始まり。」と考えるようになるきっかけにもなったと本人が述べています。

またそれまでテレビを見る機会があまりなかったヒロミさんですが、この入院中はテレビばかり見ることになります。ビートたけしさん、明石家さんまさんが好き勝手にしゃべるのを見て、「『自分もテレビでしゃべりたいな』、と単純に思った。」と言います。

三か月後、叔父の会社の仕事に復帰するも、人生このまま機械工具の営業でいいのか、と思い始めます。しかし、散々迷惑もかけ、義理もある。いつ話そうか考える日々が続きます。6番の誠実さ、優しさ、揺れやすい6番と9番を合わせ持つゆえに、決断は苦しかったことでしょう。

そしてやめる決断をし、社長室に向かうと、
「あのね、おまえクビね。」
甥がいろいろ考え結論も出ていることを察していた叔父の優しさでした。その優しさを6のヒロミさんはしっかりと受け取るのでした。

その後、柴田恭平さんの映画「チンピラ」に憧れ、一時期チンピラを目指すも、これは難しかった模様、バイトを探すもなかなか採用にならず、新宿歌舞伎町のホストクラブにやっと仕事を見つけます。ここであるお客の女性から
「ヒロミ、面白いんだから、芸人になればいいのに」と言われます。
コメディアン度数No.1 、人を楽しませることに長けた3番をYear NumberとNatureに併せ持つ、彼の天性の才能がここから花開いていくことになります。


*1986年 21歳 (Year Cycle 3 創造力開花・忍耐と経験)
B-21スペシャル結成
そのホストクラブのお客の女性がのちにヒロミさんがったった一人、『師』と仰ぐ、セントアンドルイスの星セントさんと引き合わせてくれるのですが、初めて会った時には、「芸人は簡単ではない。やめたほうがいいよ。」と諭され、帰されます。ところが、辞めた方がいいと言われ、逆に心に火が付きます。

ホストクラブの仲間だった、デビット伊東、ミスターちんを誘い、トリオを結成、ヒロミがネタを考え、店が終わってから朝まで、3人で一生懸命練習したのです。そして、星セントさんにも「弟子」ではなく「後輩」として認められ、教えを請うことになります。3人のトリオ名「B21スペシャル」もセントさんが付けてくれました。

そして六本木のショーパブ、バナナパワーに出演の機会を得、サラリーマン、OLその他、様々な層の客を飽きさせないトーク術、客いじり。ここで鍛えられて行きます。しかし、その頃、東京のお笑いの登竜門のひとつでもあったバナナパワーも親会社のあおりを受け、この年閉店に。この閉店を機に本気でプロダクションを探し、「プロダクション人力舎」所属を決めます。

しかし、プロダクションに入ったものの、すぐにテレビに出られるわけではありませんでした。その当時はテレビ出演より地方営業の方がギャラが良かったのです。人力舎の方針もテレビはあくまで「営業の為の露出」でしかありませんでした。3人は、辛い思いもしながら地方のキャバレーの営業からおかまパブ、刑務所の慰問までを地道にこなしたのでした。その一方で、新人ライブやテレビのお笑い勝ち抜き番組にも挑みます。『ザ・テレビ演芸』では10週勝ち抜きシリーズで見事10週勝ち抜き、審査を担当していた糸井重里をして、『ネタだけなら今売れている芸人の誰にも負けない』と言わしめるほどでした。もちろん、ネタを書いていたのはヒロミです。Intelligenceの「7」が光ります。ほどなく、ダウンタウン、ウッチャナンチャンらと共に、「お笑い第三世代」と呼ばれるブームに乗り、ブレイクを果たします。


*1990年 25歳 (Year Cycle 7ステージアップ)

ゴールデン・アロー賞新人賞受賞 

*1991年 26歳 (Year Cycle 8 軌道修正)
8は、軌道修正のために現実的な問題も起きるナンバーでもあります。Year Cycle8の年の正に8月、レギュラー番組中大やけどを負い、再び生死の境を彷徨うことになるのです。火傷は身体の21%に及び、家族は命の保証はないことを告げられます。
一命を取りとめたものの、火傷の痛みだけでなく、毎日のガーゼ交換の痛みは壮絶、何度も気を失ったと著書に記しています。治癒の段階での痒みも筆舌尽くしがたいものだったでしょう。
番組も打ち切り、医者からは歩行は無理、と告げられ、芸能界をやめることも覚悟、人力舎を辞めることを決断します。

*1992年 27歳 (Year Cycle 9 次の光へ) 
芸能界を辞める決断をすると、気持ちが楽になったことが幸いしたのか、リハビリも進み、体も順調に回復します。無理かと思われたテレビの世界へも再び戻る目途が立ちます。しかし、事務所を辞めると言った手前、そのまま事務所に残る選択はしたくありません。ですが他事務所へ行くのは芸能界のルール違反。「自分でやるなら、独立を認める」との玉川社長の言葉に、義理を重んじるヒロミさんは、「最終的な責任は自分で取る」と決め、個人事務所 ビ-カンパニーを立ち上げます。

玉川社長に教わったことの一つが「社長の仕事は謝ることと金の工面」と著書に書いていますが、独立するものの、お金がうまく回り出すまでには、社長に教わったごとく、3年かかったそうです。B21メンバーと社員に給与を払うため、それまで断ってきたピンの仕事も必死に引き受けるようになって行きます。
翌1993年から、Challenge Numberは1。社長としての責任、そしてテレビではピンの仕事で「個」を打ち出して行くことで、更なる飛躍を遂げていきます。バラエティ番組の司会者としても頭角を現して行くのです。




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28-36歳 (1984年-2001年)
Cycle number 4 Pinnacle number 7 Challenge number 1

*1993年 28歳 (Year Cycle 10)
この年、アイドルで活躍中の松本伊代さんと結婚します。Year Cycle 10での結婚は0のバイブレーションでは楽しい家庭、1と読めばまさにソウルメイトとの結婚とも読み取れます。そして、この1993年からCycleが4、Pinnacleが7と、ともに変化。伊代さんとの結婚がヒロミさんの人生にとって非常に意味あることであったとわかります。人生の伴侶を得、4-家庭の基盤を築き、そして芸能界では7のステージアップ。この年から約10年、多くのレギュラー番組を持ち、MCとして超売れっ子の日々が続いていきます。しかしPinnacle 34-7が示すものは3-自身を表現することで4-安定を確立するのと同時に、7-探求と内省を求められる日々でもあったとも読めます。


*1995年 30歳 (Year Cycle 3)
長男が誕生。2年後には次男が誕生します。仕事にも恵まれ多忙を極め、スタッフとの打合せ、飲み会で帰りも遅い日々。それでも伊代さんは文句1つ言わなかったそうです。忙しい中でもヒロミさんはお風呂と夜中のミルクの準備はしていたと言います。15歳からアイドルでやってきた伊代さんが母になっていく姿に、「女の人は凄い。どんなに男が威張ろうが、結局男も女の人からしか産まれないことを目の当たりにした。」
運命数、ソウル数ともに6。愛情と家庭がテーマの彼らしい言葉ですね。




37-45歳  (2002年-2010年)
Cycle number 4 Pinnacle number 4-13  Challenge number 1

*2004年 39歳 (Year Cycle 12)
1995年から始まる、3のサイクルの最後の年、ヒロミさんは大切な人を失います。
放送作家 吉野晃章さん。ヒロミさんが芸能界に入った頃から一緒に番組を作ってきた人です。ヒロミさんにとっては「いつでもどんな時でも、俺の味方だった」大切な人。元々とんねるずの二人の高校の同級生で、とんねるずの番組も多く担当していました。亡くなる1年前に肺ガンが見つかり手術を受け快方に向かうも、翌年、急性白血病の診断。

6のアマチュア、『依存』。芸能界デビュー当時から一緒に企画を練ってきた吉野さんを失ったことで、芸能界で働く意欲も失せて行ったのではないでしょうか。また「芸人としての師匠はこの人だけ」と公言する、セントアンドルイスの星セントさんが7月この世を去ります。

この年4月、『発掘あるある大事典』MC降板を境に、仕事が激減、テレビからははぼ姿を消します。「干された」というのが本当だったのか。毒舌、生意気、大物芸能人にも媚びを売らないスタイルが売りでしたが、その傍若無人ぶりがあだとなったのでしょうか。
Pinnacle Numberを見てみますと、2002年から4-13に変わっています。この13は創造と破壊、修練の厳しいナンバーでもあります。数秘的に見ると、更なる飛躍のための浄化を経験することが示唆されているのです。

あるある大事典で共演の堺正章さんの怒りをかったのが『干された理由』とも噂されました。『俺のことを切ったと思われる人』は確かに存在すると思われますが、それが堺さん、というのは本当ではないようです。

世間はバブル崩壊後の不景気が続き、暫くはそのあおりを受けずに来たテレビ業界にも徐々に厳しさが増していました。番組制作側も、スポンサーの意見を無視はできなくなっていたでしょう。番組のイメージを良くするために、これまでの生意気・毒舌のスタイルは敬遠される傾向にあったのかもしれません。しかし、ソフトさも求められても、「変わろうともしたが、そう簡単に変われるものでもない。」そして、風向きが変わってきたのに、そこにしがみつくこともヒロミ流ではありませんでした。

彼のコアのナンバーは揺れやすい6と9ばかり。どの様な思いでいたのでしょうか。レギュラー番組がなくなったのを機会に、海外に行って大学に通うことも考えたそうです。しかしそれを止めたのが、堺正章さんだったと言います。『駄目だよ、海外に逃げちゃ。』堺さんの言葉に「逃げるって思われるのも嫌だ」そして「現実を見なさいということだ」と受け止めたのです。
Year Cycle 12は『パターンの打破』方向転換のきっかけの年でもあったのでしょう。経営者へとその軸足をシフトしていったのです。


*2005年 40歳 (Year Cycle 4)
この年から4のサイクルに入ります。経営者として、そして本気で遊ぶ、『時遊人』として、新たな基盤を作り上げていく最初の年です。この年からブライダルビジネス、テイクアンドギヴ・ニーズの野尻佳孝さん、サイバーエージェントの藤田晋さん、など、いわゆるヒルズ族と呼ばれるような、若手実業家達と遊びを通じての交流が始まっていました。
アメーバブログを始めたのももちろん、藤田さんの勧めです。「遊んでいた、というより、遊びを教えていた。」と言っていますが、若い時からビジョンを持ち、ビジネスでの成功を目指す、今まで彼の周りにはいなかったタイプの人間との交流が彼の次のステージへの方向転換のきっかけになって行きました。

トライアスロンを始めるのもこの年。トレーニングの必要性を感じ加圧トレーニングのジムに通い出したことがその後経営を始めるきっかけになったのです。トレーニングが楽しくなり、ライセンスも取得。自身もインストラクターの資格を取ります。経営は軽い気持ちで始まったといいますが、加圧トレーニングのブームに乗り、軌道に乗るにも時間はかかりませんでした。
昼間は大好きなバイクや車の改造に没頭したり、ゴルフ、登山。夕方からはジムへ。そんな過ごし方をされていた様です。時間ができた分、とにかく遊びにも一生懸命なのです。

46歳~ (2011年~)

Cycle number 3 Pinnacle number 5  Challenge number 1

*2012年 47歳 (Year Cycle 11)
この年、カーヴィーダンスで一躍有名になった、カリスマトレーナー、樫木裕実さんが独立。そのトラブルがワイド―ショーでも毎日取り沙汰されましたが、樫木さんが所属していたジムのオーナーがヒロミだったということで、驚かれた方も多いことでしょう。
彼女の独立で他のスタッフにも動揺が走り、独立についていくスタッフ、辞めるスタッフ、辞めて独立するスタッフも相次ぎ、お客さんも流れます。売り上げは半減、経営はかなりきつい状況に陥ります。店に残ってくれたスタッフのためにも、なんとか状況を乗り切りきろう、と、誕生数の欄でお伝えした通り、宝物のバイクや車を思いきって手放すのです。Year cycle 11の不必要なものをさらに絞り込んで手放す時でもありました。どう生きていくのか、決断を迫られる出来事が来るのも、この11の年なのでした。大事なものを手放す姿をスタッフに見せることは、スタッフのためも、絶対に店を守っていくという、意思表示でもありました。


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2012年は奥様松本伊代さんデビュー30周年。記念コンサートではサプライズで同じ衣装を着て出演、仲むつまじい姿を披露してくれます。

*2014年 49歳 (Year Cycle 13)
松本伊代さんがテレビ出演するにあたり、伊代さんについての話をする、という仕事が舞い込みます。自身がメインの仕事ではなかったのですが、伊代さんが面白い人、天然キャラということを伝えたかった、と言います。視聴率が良かったことから、次第に仕事のオファーが来るようになります。ここからの活躍は皆さんご存じの通りです。

一視聴者として、テレビの前でぶつぶつ言うヒロミさんに対し「そんなに言うなら自分でテレビで言えば?」と伊代さんに言われたことも再ブレークのきっかけだったとか。

*2015年 50歳 (Year Cycle 5 変化と自由 マルチ)
5のサイクルのスタートのこの年、6月に第34回イエローリボン賞(ベスト・ファーザー)芸能部門受賞

7月には伊代さんと「第3回ベストエンゲージメント2015」ベストカップル賞を受賞

ヒロミさんのCycle Numberは2011年46歳から3に入っています。実はこの3、#21-3なのです。#21は「人類救済」のミッションが託されているのです。9番のミッションは、
「愛と理解力を持って、穏やかに人類愛を実践する事」
「人を感化・教化させ得る才能を活かし、人を導く力を実践する(公的使命)」

「自分は遊びに救われたから、遊ぶことの楽しさもみんなに伝えていきたい。
いつか、『大人の遊びの学校』を作っておじさん達に遊びを教えたい。」


と著書の中で述べています。現在経営するトレーニングジムは後輩に譲り、ご自身は40~50代の人向けに、トレーニングとリンクさせた『遊びの学校』を作りたい、と構想をお持ちですが、「お金をとらず、何か教えてほしい人だけが体でいろんなことを覚えていく場」とおっしゃっています。『お金をとらずに』ということは、何か公的使命の様なものも感じていらっしゃるのでしょうか。絶対にそこは頑張っていただきたい、家族のために働きづめの日本のおじ様達を「遊び」で解放してあげてください!

奥様の伊代さんも52歳から同じくCycle Number 21-3。お二人はやはり特別なミッションを持ち、なるべくして夫婦になったお二人の様に思えてなりません。伊代さんも9番をお持ちです。全てを受入れる真の強さを持った方なのです。これからお二人で、どんな活躍をされるか楽しみでなりません。


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Reported by
Aeons the 11th Numerology Basic class in Kawagoe
Midori Nagamine
# by kej000 | 2017-02-06 00:18 | 数秘レポート

全ての経験を学びに変えて*ヒロミ・・『言い訳しない人生』VOL.1


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ヒロミ

小園浩己
Kozono Hiromi
生年月日 1965年2月13日




大物タレントを平気で愛称やチャン付けで呼び、、容赦ないツッコミを入れる生意気なスタイルで人気を博し、MCとしても活躍、絶頂期はレギュラー番組を10本も抱える人気者に。テレビで彼を目にしない日はない程でした。

ところが2004年『発掘あるある大事典』の司会降板を境に、テレビからほぼ姿を消します。「干された」というのは本当だったのでしょうか。その傍若無人ぶりがあだとなったのでしょうか。

そして10年のブランクを経て、再びテレビに戻って来てくれたヒロミさん。バラエティー番組ではなんとリフォームまで手掛け、マルチな才能で私たちを驚かせてくれます。復活のきっかけは、奥様松本伊代さんの天然ぶりを披露する話が受けたこと。今や芸能界切ってのおしどり夫婦のお二人ですが、そこに透けて見えるものが、何か彼の今世のテーマと重なるような気がしてなりません。数秘の面からヒロミさんの魅力に迫ってみたいと思います。




■誕生数 9-18■   
生まれ持った資質・性格・個性・その人の潜在能力
完結 寛容 人類愛

9は自然数の総てであり、完璧、完成、真理の数字とも言われています。自己再生、月のもたらす知性、
冥界とも関連のある数字です。1から8全ての数を内包する数字でもあります。。

9番を持つ人は、ドラマチックな人生を送る人が多いといわれますが、これまでに2度も生死を彷徨う大事故を経験し、お笑い芸人としてブレイクしてから20年の長きに渡り芸能界で活躍し、売れっ子MCへ昇りつめるも、テレビ界から10年も遠ざかることになる。しかし、その間を経営者として第2のステージを生きてきた、彼の人生もドラマチックそのものと言えるのではないでしょうか。そして#18が示すもの。#1その個の力を発揮することで、#8物質社会での成功も手にすべく生まれて来た方なのです。


~経験による叡智の習得~
9番は経験したことを知恵にし、それを自分のものにしていけるナンバーです。ヒロミさんの場合は、コアのナンバーの他にも特筆すべき数字をお持ちです。TypeⅢのbalannceが-(マイナス)。これはヒロミさんが経験を通して、後天的にいろいろな資質を獲得していく人であるということを示しています。しかもその値が-10。このマイナスに高い10が示すものも、また経験から学ぶ力の高さに他なりません。

~月のもたらす知性~
TypeⅡのIntelligenceで見ても、7と突出した数字を持つヒロミさん。若いころ不良だったイメージからは想像できませんが、そのずば抜けた知性・頭脳は研究者・哲学者レベルなのです。
その知性は、お笑いのネタ作り、企画作りで鍛えられ、のちにMC・司会者として遺憾なく発揮されていきます。番組の操縦者でもあるMCには、空気を瞬時に読む力、絶妙なタイミングでの突っ込みやフォローを入れる頭の回転の速さ、様々な力が求められます。絶頂期10本のレギュラーを抱えるほどであったヒロミさん。生意気・毒舌、大物芸人に媚びを売らないその芸風も、自身の素のキャラクターだけではなく、彼のセルフプロデュースの力で作り上げたものでもありました。

9番の性質は、加圧トレーニングジムの経営に飛び込んだ時、経営が傾いたときにも発揮されます。人格数も9。バイブレーションが重なり、その思い切りぶりもみごとです。不必要なものを手放し、本当に大事なことが何か、見極める力です。

9番の性質がアマチュアに出てしまうと、虚栄心や見栄で大切なことが見えなくなってしまいますが、彼はしっかりプラスの方向に使ったのです。芸能事務所からジムの経営にシフトすると、お金を生まないところにはお金をかけないことに徹し、事務所は中古のマンション、ジムのトレーニング機材も、中古品専門店に自ら足を運び購入するのです。

無駄な電気は消す、コピーは無駄に使わない、経費の見直しにも気を使いました。
人気トレーナーの独立で売り上げが激減、経営が厳しくなると、それまで好きで集め、自分で改造し、宝物のようにしてきたバイク7台、そして車も2台処分します。そして赤字だから頑張れ、とただスタッフにいうのではなく、「自身も身をもって痛みを負う」彼の美学でもあります。


~混沌・複雑な二極性・変容~
「俺の考え方は矛盾だらけ。何を始めるにも成功するだとか、売れるだとか、根拠のない自信だけ。でもその裏には、駄目ならやめればいいや、という気持ちを持っているのだ。そこが俺のいい加減なところ。人の考えなんて曖昧なのだ」と本人も著書に記していますが、9番が1から8までのすべての性質を併せ持つゆえの矛盾、曖昧さなのでしょうか。

絶対売れる、という根拠はないが確信めいた思いと、「こんなマグレみたいなものは、そんなに長続きはしない」という思いが常にセットだった、とも書いています。しかし「いい加減」とおっしゃっていますが、仕事への取り組みはB21スペシャルの時から、決していい加減ではなく、常に真面目に、懸命に努力する姿しか見えてきません。遊びでさえも一生懸命。努力した上で「駄目ならやめればいい」と考えられるのは逆にヒロミさんの強みでもあるように思えます。そう思えるからこそ、新しいことチャレンジできる。執着せず、手放すべき時にはさっと手放すことができるのも9番の彼の素晴らしい能力なのではないでしょうか。

40歳ごろから仕事が急激に減った時も、時代の風向きが変わり、自分のキャラクターは求められなくなった、と悟り、活躍の場をビジネスの世界にシフトしていきます。芸能界での成功に執着し、あがくことはしませんでした。状況も、時代の波をも受け入れていったのです。全てを受け入れ前に進むこともできるのは、9番の資質でもあります。

ジムの経営では、これまでの芸能界のルールは全く通用しない、一般社会の厳しさを学ぶことになります。人を育てる難しさ、育てたと思うと、引き抜き、独立の繰り返し。経営者として過ごした10年を「生意気な兄ちゃんが芸能界で調子に乗って生きてきた20代30代、そしてまるで違う一般社会とういう別の世界を見せてもらい、そこでの厳しさも勉強させられた。俺は(テレビに)出ない時間があって良かったんだ。必要だった。」と言っていますが、この10年の経験が、人間ヒロミを大きく、深く成長させてくれたのでしょう。



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■運命数 6■ 
この世における使命や目的
愛情・調和・家庭


6番は愛情・調和・家庭を表し。愛とパートナーシップを学ぶナンバーでもあります。
ここで言うところの愛はエゴの愛ではなく、unconditional-無条件の愛。

28歳でアイドル松本伊代さんと結婚、アイドルとお笑いタレントの結婚ということで、世間を驚かせましたが、今では芸能界切ってのおしどり夫婦。伊代さんを「ママ、ママ」と慕い、家庭人としてのヒロミさんの顔もよく知られるところとなりました。自身も『良き家庭人としても生きてきた。』と言っています。

料理も掃除も決して得意ではなく、天然キャラ炸裂の伊代さんを「ママはママのままでいい」と言い切る。「妻はこうあるべき」というのもない。条件付けの愛ではなく、その人のあるがままを良しとし、丸ごと受け入れ、そのままおいておくことができるのがこの6番の愛なのです。

これは決してヒロミさんが最初からそれができた、という訳ではなく、伊代さんの天然なキャラクターに大いに影響を受け、(『尖がったヒロミが伊代ちゃんのキャラクターに飲み込まれていった』-友人の藤井フミヤさん談)、結婚生活を通しての成長だったのではないでしょうか。
一方奥様の伊代さんも、売れっ子のヒロミさんが多忙を極め、家庭を顧みれなかった時も、また芸能界から遠ざかっていた間も、いつも変わらす、文句の一つも言わず、いてくれたそうです。
ソウル数も6、夫婦関係の中で、この無条件の愛を体現し、ある意味、1つの理想的な夫婦の形を、今またこの再ブレークの中で、私たち見せてくれているように思えてなりません。

6番は、『本当の自分に帰る』、自己回帰のナンバーでもあります。
後のHistoryのコーナーで詳しく書きますが、18歳で最初の大事故を経験し、自分が本当にしたいことは何か、模索するようになります。これは偶然だったのでしょうか。彼が本当の自分にたどり着くために、今世で、この九死に一生を得るほどの体験をすることが必要だったということなのでしょうか。

脾臓摘出、「臓器の一つがなくなっても人は生きていられるのか」「もしかしたら、自分は長生き出来ないかもしれない。だったらやりたいことをやろう。」
しかし、それまで、本当にやりたいことを真剣に考えたことすらなかったことに気づき、人生を考えるきっかけになって行ったのです。「嫌なことがあると、いいことの始まり。」と考えるようになるきっかけにもなったと本人が述べています。    

この運命数の6の78-15-6、成長の過程の数字のままに、#7お笑いの探求から#8達成・成功 次には経営者として#1新生・開拓し自己成長を遂げ、#5再び芸能界でマルチな才能を発揮しているのが彼、とも読み取れますね。



■ソウル数(魂の欲求)6■ 
価値観や内なる動機・行動の基準となるもの

運命数のみならず、コアのソウル数も6。
6番のkey wordのひとつ『美』。
彼にとっての行動の基準となるもの、それは表面的な目に見える美ではなく、ズバリ、行動の『美学』

「言い訳せずに、すべて、自己責任として受け入れる」
     
大工であった父から「怪我と弁当、自分持ち」と教わってきたと言います。また、その原点は中・高校生時代の、どうせ悪いことをするなら、堂々とやる、「不良の美学」なのではないかとも。マイナスな事が起きても、決して人のせいにはせず、ジタバタせず受け入れ、前に進む。どこまでも自己責任なのです。

そしてこの『美学』の中にはもう一つ、高いプロ意識。後のB-21メンバーとの下積み時代から、その意識は半端ではありませんでした。コントが滑ってしまった時には、「コントが滑ったのにこのお金をもらう訳にはいきません。また次の機会があったら呼んでください。」とギャラを辞退したと言います。売れ始めてからの生意気な態度や言動も、高いプロ意識の現れでもありました。「自分はちゃんとやっている、だから周りも100%でやろうよ」この意識は6番の『完璧主義』。それが極端な故に周りの生ぬるさは許せない。20代前半で番組をまかされ、そのぐらい強い気持ちでいないと負けてしまう、と思っていたと述懐していますが、この完璧主義はもろ刃の剣でもあったのです。「嫌なオーラ出しまくり、今思えばすごい嫌な奴」(本人談)いつしか若手芸人や現場スタッフと温度差が拡がり、軋轢も生じていたのでは、と想像できます。

しかし6番は深い思いやりの人でもあります。ヒロミさんを知る上で、このエピソードは是非紹介させてください。2003年、放送作家で、ヒロミさんが芸能界に入った頃から一緒に仕事をしてきた吉野晃章さんが肺ガンになり、更に白血病を発症します。骨髄移植の為のサポートがなんとか出来ないか、共通の友人である、とんねるずの木梨憲武さんと二人でお金を出し合い馬券を購入します。そして木梨さんの買った穴の馬が、なんと2着に入ったのです。
もちろん、それをそのまま吉野さんが受け取れるわけがありません。二人は見舞の帰りにさりげなく紙袋を渡します。吉野さんは食べ物くらいの気持ちでそれを受取ります。
紙袋の中身100万円には「JRA」の帯封が。そうです、これは二人からではなく、「JRA」からの贈り物なのです。
その甲斐あって吉野さんは骨髄移植を受けますが、思いもむなしく、昏睡状態になってしまいます。
ヒロミさんは、このまま吉野さんが戻らぬ人となるならば、最期を見届けよう、と決め、それから2週間、毎日病院に通ったと言います。そして、最後の時を、木梨さんと一緒に立ち会うことになります。死化粧を木梨さんが担当し、ヒロミさんはカツラを用意したそうです。「泣くだけ泣いて荼毘に付した」友人思いの誠実な人なのです。

≪ ハワイ ≫
運命数でも書きましたが6は自己回帰のナンバーでもあります。素のヒロミさんを表すナンバーは『3』。自分が本当に楽しいことは何か、追求するナンバーです。後に詳しく書きますが、ヒロミさんはとにかく多趣味。遊びが家庭と仕事と同じくらい大切なのです。そして、遊ぶことそのものが彼にとっての『自己回帰』なのでしょう。また自己回帰できる場所、ハワイも彼にとっては大切な場所。パワースポットなのです。ダイヤモンドヘッドが一望できる、友人の木梨憲武さんに勧められ購入したハワイのコンドミニアムも癒しの場所。家族とはもちろん、疲れた時は一人でも訪れると言います。



■人格数 9■ 
他者の目に映る印象や雰囲気


和田アキ子さんを「アッ子ちゃん」、ビートたけしさんを「おじさん」と呼ぶなど、先輩芸人やタレントも愛称やチャン付けで呼び、大物にも容赦ないツッコミを行うなど、上下関係や礼儀を一切無視するかの様な、とにかくやんちゃで毒舌なイメージ。しかし毒舌を吐いても憎めない、そこが許されるキャラクターだからこそ、できることでもあります。ヒロミさんのことをある芸人さんが「大物の懐に入りながら、絶妙に距離を縮められるのは真似したくても真似できない。芸人として羨ましい」と話していましたが、天性の人当たりの良さと、動物的本能を持った9番ならでは。頭で考えて動いていることではないのです。9番はそのベースに「人類愛・博愛」を持っていますから、突っ込まれ、いじられる側もその奥底に大きな愛を感じれば嫌な気はしないのかもしれません。

誕生数も9、そして人格数にも9 波動が重複されます。幅広い世界の人々と交流できる力も高く、芸能界から遠ざかっていた時代はヒルズ族などの若手実業家達と遊びを通して交流し、またトライアスロンでもビジネス界をリードする面々と様々な出会いを経験します。特にこのトライアスロンを通じて沢山の人に出会えたことを「人生の宝」と言っています。

ヒロミさんは自身を「減点視線があまりない」と言っています。人それぞれの個性を個性として受け入れ、あら探しはしないのです。9番の寛容、博愛の精神、そして9という数字が1から8番、全ての数を内包しているがゆえに出来ることかもしれません。減点視線がない、故に、相手からも受け入れられ、たくさんの人との交流が可能になるのではないでしょうか。

9番は大変な恥ずかしがり屋さんでもあります。奥様の松本伊代さんとの交際が発覚しそうになると、普段は生意気キャラの自分が、先輩芸人に「伊代ちゃんとほんとに付き合ってるの?」と突っ込まれたら絶対に嫌だ、耐えられない、という理由で、すぐさま伊代さんのご両親のところへ結婚の許しを請いに行ったそうです。とても可愛い人なのです。



■実現可能数 6-15■  
人生での可能性や実現性


タレントとして、みごとに復活を遂げ、バラエティー番組に引っ張りだこのヒロミさん。かつての様にMCとしてではなく、ゲストとして出ていても、あまたひしめくお笑い芸人の中で、その独特の個性が際立ちます。15の#1。さらに#5のマルチな才能を発揮し、番組になくてはならない存在になっているのが現在のヒロミさんではないでしょうか。そしてPinnacle Numberも2011年から#5に入っています。最近では、リフォームの才能も発揮され、益々マルチな活躍が期待できますね。

そしてこの15番、数秘では「自ら何とかしようとは思わないこと」これが波に乗るポイントなのだそうです。現在の再ブレイク、自分でも何でこんなことになっているかわからないそうですが、自ら仕事を掴みに行ったわけでは決してなく、オファーがもらえるだけでも有難い。あったら有難く受けるスタンスなのだそうです。これって、ヒロミさん、素敵すぎます。宇宙の法則そのまま行ってますね!



■Stage数 6■ 
活躍すべき舞台 


「良き家庭人」-実は家庭も彼の一つの舞台なのではないでしょうか。夫婦・家族はあら探しをしないこと、と彼は言います。誰にも個性、長所短所があり、見方によれば短所が長所だったりするのです。相手に不満があれば、それを不足と考え、自分が「補足」をすればいいだけのこと。「夫婦や家族は団体戦。種目別はそれぞれ得意な人がやって、どっちかが苦手だったらもう片方がやって団体優勝でいいじゃない」-伊代さんとの結婚生活でたどりついた答えなのです。片付け、料理、家事全般なんでも得意なヒロミさんのことは皆さん、ご存じですよね。
6番の活躍舞台には、世のため人のために尽くす仕事、手取り足取り教える教師というのもあります。
「遊びに救われたから、遊ぶことの楽しさもみんなに伝えていきたい。いつか大人の遊びの学校を作って、おじさんたちに遊びを教えたい」ヒロミさん、実はこんなビジョンも持っているのです。人生終盤のステージ、どの様に活躍されるか楽しみですね。
  


■Challenge数 6-24■ 
チャレンジすべき課題・試練


コアのナンバーの二つが6番、そして実現可能数・Stage・Challenge数も6、Day&Monthを加えると、これまた6個もの6。この突出した6は何を意味するのでしょうか。6をたくさん持つ場合、『幼児性』のエネルギーが出やすいと言われています。かのMichael Jacksonがそうであったように。またエネルギーがアマチュアの方向に出ると、自分と人との境界線がわからず、やり過ぎてしまうのです。どこまでやって、どこまでやらないか、その見極め、バランスを取ることが課題となります。24の#2もまさに自分と他人の境界線のナンバー、#4は秩序のナンバーです。

芸能界を「干された」と噂された、その原因として言われているのが、その傍若無人ぶり。共演者へのパンチ、頭を叩く、など、そういうキャラクターが売りでしたのでもちろん本人の演出もあったでしょう。しかし幼児性からついつい調子付いてしまうこともあったでしょう。現場のスタッフからは「もう少し優しく」などと言われたこともあったそうですが、軌道修正することもなく、ついついやり過ぎてしまっていたところがあったのではないでしょうか。

ですが、10年、芸能界から距離を置き、別の経験をすることで、6のアマチュアだった部分は克服され、「大人」の魅力さえ感じさせてくれます。
あ、克服、というのは、少し違うかもしれません。彼の甘えん坊で子供の部分は、「そこも大好き」と言って憚らない奥様がしっかりと受け止めてくれることで、逆に魅力にもなっているように思えます。

■Nature数 3■ 
素の自分・本質 
表現 楽観 感性


3はお笑い度数No.1と言われる数字。この資質を遺憾なく発揮し、一時代を築いたヒロミさんですが、これは人に喜び、楽しさを与えるナンバーであるとともに、自分が本当に楽しいことは何かを追求し、また内面のエネルギーを解放することが大切になってくるナンバーでもあります。

この数字に導かれるがごとくに、まさに「遊び」が彼の人生にとって、仕事と同じくらいとても大切なことになっているのです。

「ちゃんと遊ぶってことも、ちゃんと仕事をするってことと同じぐらい大事」

スポーツは火傷のリハビリで始めたものも多いと聞きますが、Balance-10、体験から学ぶヒロミさんは遊びを通して、沢山のことを学んでいるのです。楽しいこと、痛いこと、危ないこと、時間の使い方、時間の作り方、そして仲間。3を持つ人は、他者といろいろなことを共有することでエネルギーを回して行くことが大切ですが、いろいろなバックグラウンドの人たちと遊びでの交流を
通し、楽しさを分かち合っているのです。
多趣味は3番の特性でもありますね。


陸が 四輪・二輪レース。バイク・ゴルフ・クレー射撃・ロードバイク、マウンテンバイク・スノーボード・ミニスキ-・
トライアスロン・マラソン・登山
海は スキューバダイビング・ジェットスキー・ウエイクボード・釣り・サーフィン
空は スカイダイビング

クルマやバイクは乗るだけではなく、メカニック好きももちろん半端ではありません。改造も愛情を持ってとことん!
10年間、とにかく遊んだそうですが、やりたいことを思いっきりやることで、本当の自分を取り戻していたのでしょう。
そして遊びがそのまま,人生の『師』のごとく、たくさんのことを学びます。彼は遊びと人生をよくリンクして考えると言います。

「山あり谷あり」の登山はそのまま人生になぞらえ、そしてトライアスロンには、テレビに復活し始めた時、緊張を乗り越えるのに、精神的に助けられたと言います。
「完全に息が上がってしまい、溺れる恐怖心が湧いてきたとき、まず落ち着く、泳ぐのをやめて海に浮いてみる。力を抜けば身体は沈まない。大きく息を吸い、自分を信じること。自分に大丈夫、泳げる、と言い聞かせるのだ。不思議と焦りと恐怖心が消えていく。自分のペースでいい。『どうぞお先に言ってください』って感じだ。すると嘘のように楽しく泳げるのだ。」


■Action数 9■ 
行動パターン

「決めたら動く、頭で考えない」

動物的本能で動くのが9番。1~8すべての数を内包する9番は、頭で考えれば考えるほど動けなくなることも本能的に分かっているのです。核が定まれば、そこにエネルギーを集中し、行動できるのです。加圧トレーニングのジムの経営に踏み出したときもそうでした。

「出来ないのか、やらないのか」結果は一緒でも、やらないより、やってみたけど出来なかった、ということが大事、と言います。出来なかったら、その理由がわかることで、次のステップに進めるのです。経験することから学ぶ9番らしい言葉です。


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to be continued to the Vol.2

by Midori N.
# by kej000 | 2017-02-06 00:04 | 数秘レポート

表現することに終わりなんかない*石田ゆり子


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石田 ゆり子

Yuriko Ishida
女優
生年月日 1969年10月3日(47歳)

「いつまでも変わらない!奇跡のアラフィフ」などと称されることが多い石田ゆり子さん。デビューから約30年経ても尚、TVや映画など演技の場だけでなく、ナレーションやエッセイストなど、幅広い場面で活躍されています。男女問わず、好感度の高い彼女の魅力に迫ります。



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<誕生数 11-2> 

霊性のナンバーでもある11の人は、感受性が鋭く、他者にはないアイデアを生み出す力と才能の持ち主でもあります。また「これだ!」と直感したら突き進む、とご自身が語っている通り、直感に長けているのも11の特徴です。

1のダブルでもあるため、より「自己の信念」が強く、自分の感覚や時間を大切にします。エッセイストとして本を何冊も出版している石田さんですが、日常の何気ない出来事や自身の思いを綴るその内容は、他者には決して書けないであろう石田さん独自の感性と世界観が色濃く滲み出ています。文章を書いたり、絵を描くのが得意な石田さん。高い芸術性も11の特徴です。

2は愛について学ぶナンバーでもありますが、恋愛では一途に尽くす面があるようです。これまで噂になった方々の傾向をみると、お相手の男性は割とプレイボーイで、浮気や金遣いが荒く、時には石田さんが金銭面の援助をするようなこともあったとか…。真偽のほどは分かりませんが、2は共依存という問題を抱えやすいナンバー。2の女性性と1の男性性のバランス、相手との距離の取り方などが鍵となりそうです。


<運命数 14-5>

5は「変化」を表し、14は家族との協調がテーマになりやすいナンバーです。お父様が転勤族だったため、幼い頃からしょっちゅう引っ越しをしていました。が、子供のころからそれが当たり前だったこともあり、悲しいとか嫌だと思ったことはなく、また新しい場所へ行けるのだし、そこで新たなお友達を作ればいいというような感覚で、このような「変化」を柔軟に受け入れていたそうです。

また妹の石田ひかりさんが習っていた水泳に興味を持ち、親に頼んで習うようになってから水泳の才能を発揮。ジュニアオリンピックに出場し、オリンピック強化選手の候補になるほどの実力でした。が、お父様の台湾転勤が決まり、親と一緒に台湾で暮らしたいとの思いを優先させ、オリンピックの道は諦める選択をします。5も「親越え」が課題として出やすいナンバーです。石田さんといえば、お父様がよく娘さんの恋愛にコメントしていたので有名です。今も独身の理由の一つとして親が厳しすぎたからと語ったこともあるようです。

また5はマルチな才能に恵まれるナンバーでもあります。ピアノに水泳、中国語も堪能。大変な読書家で、文章や絵をかくのも得意。現在もTVドラマのみならず、映画に舞台、声優やナレーション。またエッセイストとして本を出版するなど、仕事でもマルチに活躍されています。


<ソウル数 10-1> 魂の欲求

10は直感などの感覚の鋭さを表します。また1はパイオニアとして改革していく使命も帯びていますが、インスタグラムで殺処分寸前の動物の保護を訴えるなど、日本の厳しい現状を伝えつつ、自身の考えや行動を世の中へ発信しています。石田さん自身も捨て猫をもらい受けるなど、言葉で訴えかけるだけでなく、自ら率先して行動しています。


<人格数 4> 人格・印象

女優の石田ひかりさんのお姉さんということもあり、品行方正できちんとした人、という印象があります。女優の他にも執筆業などの仕事も10年近く続けており、本を何冊も出版するなど、コツコツと積み重ねながら実績を残しているのも、実現する力が強い4そのもの。また組織のマネジメントに秀でたナンバーでもある4。実際に妹さんとご自身の所属事務所の社長さんでもあります。


<実現数 7> 資質を使って実現できること

“演じる”ということについて、人物に思いを寄せ続けているうちに、どこかで憑依してしまう…というような表現をしていますが、役柄によって入り込み方、アプローチを変えているそうです。深い洞察力を使いつつも知性とのバランスを保って、女優という仕事を実現されているのではないでしょうか。


<ステージ 7> 

自称“工具マニア”。台車やネジ、フックなどが大好きで、流行ものにあまり関心がなく、行列に並ぶのが嫌いで外食もほとんどせず、家で過ごすのが好きだそうです。世俗からの離脱というテーマを持ち、自身の内面と深く向き合う、まさに7の特徴です。


<チャレンジ 8> 人生で越えなければいけない壁

不可能への挑戦と開拓がミッションでもある8。このナンバーをチャレンジとして持っている石田さん。女優としてもイメージを打ち破るような役柄に度々チャレンジしています。
天童 荒太の『悼む人』の原作を読んで、夫を殺す複雑な内面を抱えた女性を演じたいと思い、映画化されたら是非やらせて欲しいと、自ら原作者に手紙で訴えかけ、役を獲得。女優をやめてもいいという覚悟で臨んだそうです。8は現実的な経験から多くを学ぶナンバー。まさに女優などの“仕事”でのチャレンジを通して、多くのことを学んでいるのかもしれません。


<Nature 6> 持って生まれた資質・特徴

無意識のさりげない優しさや気遣いがとても好きだ、という石田さん。6はまさに愛や美、調和のナンバーです。水泳選手として活躍していた当時。水泳はあくまでも自分との闘いなので、友人をライバル視したことは一度もない。むしろ良き仲間でしかなかったと語っています。まさに調和を重んじる6の特徴です。


<Action 1> 行動特性

デビュー作で共演した緒方拳さんにいつか誉めてもらいたいという思いから、何度もやめようと思いながらも、女優業を踏ん張って続けてきたそうです。まさに1の現状打破、開拓精神が行動の源になっているようです。




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History

0-34歳

Cycle Numbers#1、Pinacle#13-4、Challenge# 2
オリンピック候補になれたかもしれない水泳を諦め、芸能界へデビュー。ドラマや声優、執筆業など、仕事の幅を広げながら、恋愛で話題になることも多かった時期。13の創造と破壊を繰り返す中、多くの学びを得る時だったのもしれません。

16歳(Year Cycle #27)
自由が丘でスカウト。その1か月後、同じ場所で同じスカウトマンに今度は妹がスカウトされる。断りに行った母親が説得され、自身もこれは運命かもと直感し芸能界入りを決意。亀谷万年堂の前だったこともあり、これは縁起がいいと思ったそう。

18歳(Year Cycle #2)
ANAキャンペーンガールに選ばれる。水泳選手で嫌というほど水着を着ていたので、いやらしさがなかった。これが選ばれた理由だと語っている。

19歳(Year Cycle #3)
ドラマデビュー。この時の共演者、緒方拳のダメ出しから、誉められるように上手くなりたいと奮起する。

22歳(Year Cycle #6)
大ヒットドラマ、101回目のプロポーズに出演

24歳(Year Cycle #8)
ドラマ初主演

28歳(Year Cycle #3)
ドラマ不機嫌な果実に主演。大胆なラブシーンが話題に。3の強みである表現力の幅が広がったとき。

30歳(Year Cycle #5)
妹と自身の個人事務所を設立。社長に就任。

32歳(Year Cycle #7)
幻冬舎のWebマガジンにてエッセイをスタート



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35-43歳

Cycle Numbers#3、Pinacle#10-1、Challenge#4
これまでは妹ひかりさんの活躍の方が目立っていたが、このころから髪もショートスタイルが定番となり、エッセイの本が出版されるなど、自分らしさの表現が発揮され、女優としての評価も高まる。


36歳(Year Cycle #11)
11は第1イニシエーション(通過儀礼)とも呼ばれ、方向性の選択を迫られるとき。
映画「北の零年」では自分の生活を守るために夫を捨て、他の男性のもとに走る女性を好演し、アカデミー助演女優賞を受賞。
ニッカウィスキーの「女房酔わせてどうするつもり?」のCMも話題に。




44-52歳

Cycle Numbers#3、Pinacle#5、Challenge#2
「いつか絵本を作ってみたい」と語っている石田さん。サイクルナンバーが3でピナクルが5。運命数も5とマルチな才能を表すナンバーが重なっています。今後ますます活躍の場を広げていきそうです。


45歳(Year Cycle #11)
映画「悼む人」で夫を殺す複雑な女性を熱演。いい奥さんという役のイメージから脱したかった、とも。11の分岐点で明確なビジョンをもって自身の方向性を決めています。

47歳(Year Cycle #13)
11の第一イニシエーションで神性に向かったことで、良い結果が表れる。
NHKドラマ「コントレール」に主演。夫を殺した犯人を愛してしまうという複雑な役を好演。
今年からインスタをはじめ、1か月でフォロワー数23万人を突破。
また大変な話題となったドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」でも年齢を感じさせない可愛らしさが絶賛されました。




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<まとめ>

石田ゆり子さんを選んだ理由は、“なんとなく”の直感でした。実際に石田さんを読んでみて感じたのは、見た目は品があってふんわり可愛らしいイメージ。だけど、案外チャレンジャーで開拓精神に富んでいる。一方で周囲への心配りをしながらも媚びることなく、「自分らしさ」を追求し、上手に表現している人だということ。これはまさに私の目指す理想の女性像(人物像)なのです。だから石田ゆり子さんを選んだのだと思います。

最後に…
石田ゆり子さんらしいなぁと強く感じた言葉を引用します。
なぜあなたは演じ続けるのか?との質問に対して、こんな風に直感で答えたそうです。

「そこに山があるから」。
そうなのだ。そこに山がある、から。
山を見ると登らずにはいられなくなる登山家の心境、なのだ。
ものを表現することに、終わりなんかない。





Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th class in Bunkyo
Reiko Nakamura
# by kej000 | 2017-01-04 13:38 | 数秘レポート

常に進化する強さとその裏にある努力に*伊達公子

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伊達公子
Date Kimiko 【プロテニスプレイヤー】
生年月日 1970年9月28日生まれ。



6歳からテニスを始める。
1969年(18歳)プロテニスプレーヤーに転向。
1990年全豪オープンでグランドスラム(世界大大会)初のベスト16入り。
1993年全米オープンベスト8入り。
1994年日本人選手初のWTA世界ランキングトップ10入り(ランキング9位)を果たす。
1995年WTAランキング4位。
1996年26歳で引退。(引退時ランキング8位)
2001年レーシング・ドライバーのミハエル・クルム氏と結婚。
2008年プロテニスプレイヤーとして【クルム伊達公子】名にて復帰。
復帰初年、全日本選手権シングルス・ダブルス制覇。その後、挑戦の場を、世界に移し、世界ツアーに参戦。
WTAツアー優勝回数8回。
2016年46歳、1月までWTAツアーに参戦。同年2月左膝半月板の内視鏡手術。
そして4月選手復帰の為、再手術をし、現在リハビリ中。
その他、テニス解説、執筆、国際協力機構(JICA)オフィシャルサポーター・園田学園女子大学客員教授等勤めている。




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【Birth】誕生数  
***深層意識***生きる姿勢や才能、潜在能力など普遍的な資質

♯9 完結  
ひとつの周期が終わり次の段階へ、意識の断捨離、いらないものは捨て必要なものは残し、次の段階へ進んでいく開始のナンバーです。

伊達さんは常に進化する事、新たな挑戦をし、常に次の段階へ進むことへ挑戦し続けるという。
46歳の現在もプロテニスプレイヤーでいること、一年に2回大手術を行ってまでも、プロとしてプレーを続けることを選ぶということからもわかる。
自分をあきらめさえしなければ、人はいくつになっても成長し続けるものである。
不安や恐怖はつきもの。覚悟を決めてまずは動き出してみる。すると思わぬ可能性の扉が開く
まさかという可能性どんどん開いていく。
常に自分を内省し、要らないものは捨て、そして必要なものは経験としてきたからこそ、ぶれない自分をつくり、挑戦し続ける覚悟そして、進化する強さを得てきたのだと思います。
これがまさに揺るぎなく進む彼女の本質であり、今もこの先も進化し続け、挑戦し続けていくのだと思います。



【Destiny】運命数 
***表面意識***人生における使命や目的・何を実現していくか

♯44-8 秩序・繁栄 不可能への挑戦と開拓・現実性
〈成功:繁栄の#8〉
伊達さんは6歳から好きでテニスをはじめ、高校卒業後、プロに転向し、
日本人としては初のWTAランキング最高4位に登りつめる。

〈不可能への挑戦と開拓の#8〉
26歳で引退したが、11年という長いブランクにも関わらず、38歳というプロとしては不可能ではないかとう体力の時期に、再度プロテニスプレーヤーとして復帰。
彼女は20代、我武者羅にプレーしていたときより、今のほうが強くなったと感じる。常に平常心を保ち、冷静な判断と落ち着いた無駄のないプレーができようにうなった。
実際に、復帰初年、全日本選手権シングルス・ダブルス制覇。
翌年、世界に場を移し、WTAツアーに参戦。WTAツアー優勝回数8回という実績をあげる。

自分があきらめず進化し続けるように、あきらめなければ無限∞の可能性の扉が開く、進化し続けることができるということを、プロテニスプレイヤーという表舞台に立つことで、それは誰にいうでも起こることで、恐れずに、まずは動くこと、ということを自分が実践することで伝えているのだと思いました。
「誰かに何かを強制することはしません。でも私のやっていることで、何かを感じて行動に移してもらえたら、私にとってもい刺激になります。私がきっかけとなって、それぞれの人生に変化が起こるとしたら、本当に感激です。それを聞くと私自信も力をもらえます。」と彼女は言います。


【Soul】ソウル数 
***魂の欲求***一番大切な価値観、優先したいこと。心の叫び

♯3 発展  能動と受容の合体により、新しさの誕生・自分で楽しい事を表現していく

伊達さんは【楽しい】【うれしい】【好き】がすべて根本にあります。
テニスが好き、勝負が好き、そしてチャレンジすることが好き。
人はいつでもチャレンジができる、思い込みやブロックをはずせばそれは克服でき、楽しみにさえなる
この先どうなろうと未来を怖がるより、今この瞬間を思いっきり楽しもう。

引退後、3から10歳までの子供を対象にした『キッズテニス』を展開したときも、
この活動で心がけていることは、子供たちがテニスを教わっているというより、やっている時間が
楽しいと思えるようにすること。自分自身が楽しいがあるから、苦難があっても乗り越えられた、楽しいが自分の原動力になってきたから、子供たちにもまずは楽しいという感覚を教えたかったのだと思いました。
このキッズテニスは日本だけでなく発展途上国の子供たちにも、JICA(国際協力機構)のオフィシャルサポーターとして活動がされ、デニスもの存在さえ知らない子達に、テニスというものを伝えながら、知ることの楽しさを教え、そしてその子供たちのきらきらした目・楽しい笑顔を受け取ると、また何かを考え感じ、あらたなことに挑戦することができるという。
やはり伊達さんを動かしているのは、楽しい、うれしいということが全ての根源なのだと私は思います。

【Personality】人格数 
***社会的な仮面(ペルソナ)***他者に映る表面的人格

 ♯14-5  変化・破壊・自由・
 伊達さんはよく人に『伊達さんからよく力をもらっている』といわれることがあり、ありがたいと思っているそうです。
その中には、昔やってたことをまたはじめられた。という内容が多いようだ。
19歳のときからのお付き合いのカメラマンさんから『また、こうして撮影できるなんて思わなかった。伊達さんが復帰しくれたおかげで。以前の自分になかった構図を発見できて、勉強になるし、自信につながっている』前とは違うカメラワークやタイミングで自分の成長や変化に気づかされると話してくれたそうです。

伊達さんの38歳での復帰は多くの人の固定概念を壊し、いくつになっても進化し続けることをあきらめない彼女の姿は、変化することを事をあきらめていた人たち、自分をパターン化してしなっていることに気づかせ、そして変化する勇気をあたえているのだと思います。

伊達さんの#5は#14というカルミックナンバーを持つ。アルケミー#とも言われ、自分とは違うものを受け入れることによって、変化が起きていく。異文化交流である。
自分では不可能、ありえないと思えていることが、伊達さんの常に進化という姿に触れることにより、変化をもたらしているというのもこのナンバーの影響があるのだと思います。

【Realization】実現数
***今回の人生での可能性や実現性***

♯17-8 秩序    自己信頼と能力の育成、地道な努力を続け、常に達成を経向かう。
38歳で復帰した際に伊達さんは、20代でがむしゃらにプレーしていたときより、今のほうが強くなっていると実感しているそうです。体力的には衰えてきますが、20代になかったような能力が備わっきたと。
それは心の声と身体の声が聞けるようになったからだそうです。
周りに見える強さでなく自分に勝つ内なる強さを身につけたそうです。
26歳で引退したときの経験、そしてブランク11年間に、進化するため常に高い目標設定を置き、達成する為に常に地道な努力をしてきた結果が、強い自己信頼を得、38歳にしてプロテニスプレーヤーとして世界で活躍をし続ける今を築き、今後も進化し続けるのだと私は思います。

#17をもつ#8はネットワークで人と人とをつなげていくということをし、大きなコミュニティーを作ると言うナンバー。JICA(国際協力機構)のオフィシャルサポーターとして活動している伊達さんは、さまざまな形で行われる支援活動に触れることで、テニスを通じていったい何が伝えられるのだろうかと、深く考えさせられる機会が多くなったという。そして活動していく中で、一人で世界に繰り出し闘っていたにも関わらず『キッズテニス』日本というくくりにとらわれててしまう必要があったのだろうかと。。。考えたときに日本だけにとらわれず世界に出て行く意義を感じたそうです。
常に新しく出会う人とのつながりがまた自分を変えてくれる。可能性を広げてくれる。お互いに出会ったことによって豊かですばらしい経験をとなり、その経験から目標を持って、夢をもっていくことによって、可能性が広げられることを子供たちに感じて欲しいという思いが強くなったそうです。



【Stage】活躍する舞台 

♯7 飛躍  内省・自分自身を信頼し、自分の人生と精神を解き放つこと
 「Nothinig to Lose」失うものは何もないじゃない
彼女が復帰するときに、「テニスがやりたい」だけで踏みきってしまって良いのか、到底歯が立つとは思えないし、思いだけでそこにたってしまっていいのだろうか。
テニスは1日練習を休むと取り戻すのに3日はかかると現役時代彼女は身をもって知っている。だから11年間のブランクがかなり大きいものも、年齢が37歳ということで迷っていた。
そのとき、夫のクルム氏が言った言葉が 「Nothinig to Lose」だった。
今の年齢で負けても問題はないよ。以前ようにできるわけもない。それがどうしたの?同じことはできるわけない。今できることをすればいい。」
とにかくシンプルにやりたいことをやればいい。プレッシャーは自分自身でかけているだけ。
この言葉で、彼女は精神的にも今まで生きてきた人生にも解放されたのだと思います。
色々なことに取り組んできたブランクの間、やはり本気で挑戦できるはテニス以外にありえない。
そして彼女は復帰。いつも彼女は自分の内側にといかけながら、目標設定をし、今の自分にできることを地道に目標に向かいながら行動し、新しいことに挑戦し続けている。



【Callenge】課題

#10-1 絶対 夢を現実的に地道な努力で達成していくこと「今ここにある自分をみつめる」

WTA世界ランキングトップ10入りしたとき、もっと向上させようと、精神的に追いつめられ、そして限界を越えてしまいテニスが嫌いになり引退。そのときのことを耐えられるだけの器はなかった。といいます。
その経験を踏まえ、今ここにある自分をしっかりと見つめる。現実を受け入れる。その上で成し遂げたい夢があるならば実現する為に目標設定をし、日々の地道な努力おこたらないことが重要になってくるのではないかと思ます。
カルミック#10があるので、自分で狙って到達するものでもなく、積極的に取りにいく代物でもなく、ただ目の前にある日々の目標を目指しているうちに自分のもとに夢の実現が訪れてくるものかもしれません。




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History


-0歳から27歳-

【Cycle Number】どのようなことを学ぶ時期なのか:#9 完成
ひとつの周期が終わり、自己再生のする時期。不要なものは、手放し、本物を見抜くことを学ぶ。
自分を見つめなおす時期でもある。
6歳からテニスを始め、どんどん夢が叶い日本人選手初のWTA世界ランキングトップ10入りを果たし最高ランキング4位。しかし、ランクを上げることに執着し、プレッシャーに押しつぶされそうな毎日。そして周りに壁を作り孤独に徹していた。そして大好きなテニスがだんだん嫌いになっていった。そして心が疲れはて26歳のとき引退した。この時、すべてやるだけのことはやったので後悔はないとこの時期のことを語る。

【Pinnacle Number】どんな状況の時期か: #1 絶対
自分の創造性を表現していくこと「自分がどう生きたいか」、開拓と勝負の時期。
6歳からテニスを始め、26歳のプロ引退まで我武者羅にテニスをしてきた時期。
日本人選手初のWTA世界ランキングトップ10入りを果たし最高ランキング4位。
日本のテニス界を絶対的な存在感でひっぱて来た時期でもある。

【Challenge Number 】与えられた試練や今回の人生の課題:#8 秩序
部室は精神向上のための手段であり目的ではないことを知る時期。社会での成功をまず果たすし、そこから精神を学ぶ時期。
大好きなテニスへの引退は、これから彼女かどう人生を歩んでいくかのを考える為、現実に起きた問題であり、がむしゃらに走ってきた彼女を一度立ち止まり自分をしっかり内省し、軌道修正かける機会であったように思います。
26歳のYear Cycleが#8でDestiny#8と重なることからも軌道修正をかけられる時期だったのではないでしょうか。


-28歳から45歳-

【Cycle Number】#10-#1 絶対
夢を現実的に地道な努力で達成すること「今ここにある自分をみつめる」
自分を俯瞰してみる事、心、身体をベストな状態に持ていく自分をコントロールする事学び、また大好きなテニスプレーヤーとして、新たな強さを持って復帰。

【Pinnacle Number】28歳から36歳:#9
よい環境、人の中に身を置き自己の信念を固め才能を発揮する時期。
引退後、幅広く人と交流しし始め、3から10歳までの子供を対象にした『キッズテニス』を展開する
テニスを通じて、楽しいと思う気持ちが変化をもたらすこと伝える活動を世界子供たちに伝え、自らも
その楽しいから自分の進化、チャレンジが生まれることを改めて知る。
【Pinnacle Number】【Challenge Number 】37歳から45歳:#10―#1
不要なものを整理して、新しいステップへ焦点を定め明確な目標作りをする時期。
37歳で現役復帰を決める。20代のときとは違い自分に打ち勝つ内面をつくり、ただテニスがしたい、
挑戦することは楽しいこと、本気で挑戦できるのはテニスしかないという真の心の叫びで新たなテニス人生を始める。人に自分にPowerやエネルギー循環させることをが、自分にも自分以外の人にもいい循環を生むことを知る。

【Challenge Number 】28歳から36歳:#7
『精神性への目覚め』本来の自分を内省し、精神の充実を図り平穏さを保つことが課題であり、
38歳の復帰のとき、ブランクの11年間に自分の心の殻を解放し、それは心の声と身体の声が聞けるようなった。そして自分を俯瞰し、冷静な判断で落ち着いた無駄のないプレーをすることが復帰後20代とは違う自分のテニスをすることができるようになったと語る。



-28歳から45歳-

【Cycle Number】【Pinnacle Number】#17-8:秩序
冷静な思慮深さを養い、より高い新しい可能性を開拓していくこと時期。
46歳で左穂座半月版の手術を2度する。再びプロテニスプレーヤーとしてコートに立つためにそのせんたくをした。そこに会った彼女の思いは『元気にテニスをしたい・姿を見せたい』というおもいだけだった。
復帰後、自分がテニスを通じて、多くの人が変化したことを実感し、それをかの自信がほんとにうれしいと思う気持ちが、自分のために挑戦し続けてきた彼女が、今度は自分が元気でコートに立つことが、多くの人の変化する一歩につながるというまた新たな彼女の進化した表れではないかと思う。

【Challenge Number 】#1 
大いなるエネルギー感じ滞らせないこと、正しく導くことがこれからの課題になて繰るのではないでしょうか。それは【Cycle Number】【Pinnacle Number】で自己から集合体意識への変化の時期であるから、
よりこの課題が重要になってくるのだと思います。




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1976年(6歳)テニスを始める。#6
1989年(19歳)プロテニスプレーヤーに転向。#9
1990年(20歳)全豪オープンでグランドスラム(世界大大会)初のベスト16入り。#11(サイクル4)
1993年(23歳)全米オープンベスト8入り。#5(サイクル5)変化サイクル
1994年(24歳)日本人選手初のWTA世界ランキングトップ10入り(ランキング9位)を果たす。#6
1995年(25歳)WTAランキング4位。#7
1996年(26歳)有明コロシアムのフェド杯にて当時WTAランキング1位グラフに勝利 #8
1996年(26歳)現役引退。(引退時ランキング8位)#8
1998年(28歳)3から10歳までの子供を対象にした『伊達公子とテニスであそぼカモン!!キッズテニス』を展開 #10(サイクル5)
2001年(31歳)レーシング・ドライバーのミハエル・クルム氏と結婚。#13(サイクル5)
2002年(32歳)国際協力機構(JICA)オフィシャルサポーターとして任命され活動開始 #14(サイクル5)
2008年(38歳)プロテニスプレイヤーとして【クルム伊達公子】名にて復帰。#11(サイクル6)
2008年全日本選手権シングルス・ダブルス制覇。#11
その後、挑戦の場を、世界に移し、世界ツアーに参戦。WTAツアー優勝回数8回。
2016年9月 ミハエル・クルム氏と、別々の道を歩くことをお互いに話し合い離婚。#10(サイクル7)2,016年公私とも次の段階への準備にはいったのかもしれません。チャレンジし続ける伊達さんの次のステージーが楽しみです。
2016年(46歳)1月までWTAツアーに参戦。同年2月左膝半月板の内視鏡手術。#11(サイクル7)
そして4月選手復帰の為、再手術をし、現在リハビリ中。





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リーディングして・・・
今回、彼女をリーディングしたしていく中で【Birth】誕生数9は1-8の統合した数字ということが
実感しました。そのため感情のゆれが大きいと、感情のゆれが大きいということは、自分がぶれやすい。
プロテニスプレヤーはメンタルのスポーツ言われるほどのメンタルが大きく左右するスポーツ。
プロとして世界でプレーしていく中で、どれだけぶれない様に自分を内省し、その上、常に進化する強さを持つ為に、地道な努力を日々してきたかを痛感しました。

でもそこにはただ楽しい、好きだから、しやりたいからというシンプルな思いだけであったこと。
自分が楽しいという思いが、どれだけの力を持つのか。それは自分だけでなく多くの人を変化させる力になることを改めて思い知らされました。そしてこのレポートは私に必要なことを気づかせ、またいやおうなく自分を内省させられたか事かをこれを書き終えた今思います。

そして私の課題に目をそらしていたことを洗い出されたようでした。私も日々コツコツ努力を積み重ねていくことが必要、あきらめない、自分で限界を設定しないことを覚悟をきめてしていかなくては、と次の段階に行く為にと痛感しました。そして変化する一歩の勇気を私ももらったように思います。



Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th class
Akiko in Bunkyo class
# by kej000 | 2016-12-26 21:56 | 数秘レポート

熱き男・みやじ「胸をはって生きていこう」*エレファントカシマシ宮本浩次



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宮本浩次
Hiroji Miyamoto
1966年6月12日生まれ 現在50歳

ミュージシャン エレファントカシマシのボーカル・ギター担当。
東京都赤羽出身。
1981年、中学の同級生で結成。エレカシの作詞作曲を手掛ける。来年はデビュー30周年、音楽にかける熱い情熱とパワー、進化し続ける宮本さんの魅力と人生をみていきたいと思います。




誕生数 
B22-13-4 (生まれ持った資質・性格・個性・潜在能力)
22は強い感受性を持ち、高い理想を現実化できるナンバーです。
爆発的なパワーを持つ数字でその熱い情熱を世の中に伝えてゆく表現者であります。
22の卓越した才能という面では、宮本さんは小学生の頃合唱団に入っていてソロを任されるほど上手かったそうです。デビュー時も「破格の新人衝撃デビュー」とその才能を見出されました。
そして「自分たちの音楽は自信がある」「ちゃんと表現できる力を持っている」と自分を信じることができる人ですが、4の真面目という数字、それも堅苦しいほど真面目で高い理想を掲げ中途半端なことは出来ない人なのです。しっかり現実を見て取り組む姿勢が自信を持って自分の能力を社会で活かす事に繋がっているのだと思います。
真面目さ、不器用さ、正義感、真っすぐなところ、情熱という個性を音楽という形でバンドのリーダーとして表現しています。
13いう修練のナンバーは創造と破壊を繰り返し常に学びを喚起される厳しいナンバーでありますが、その経験が歌詞となり音楽としてバンドを進化させ、多くの人々の心の拠り所となり心を奮い立たせるパワーとなっています。


運命数
D9(人生における使命・目的・仕事・ライフワーク)
9は全体意識の数字なので、多くの人に愛を与え広い世界にむけて発信し活躍できるナンバーです。そして混沌とし、迷い揺れやすいナンバーです。
9の正義感や混沌とする心情をエレカシの曲からも感じます。
色んな経験やすべての感情を受け入れ、正直に音楽にして発信してゆくことが多くの人に光を与え使命なのかなと思います。


ソウル数 
S10-1(魂の欲求・一番大切な価値観)
自分の直感を信じて型にはまらずどんどん行動し、オリジナルを生み出して表現してゆくナンバー。
宮本さんは「何でも自分でやんないと」というのがあり、まさに1のリーダー気質で独創性を持つ人です。全身全霊で音楽を表現し、多くのミュージシャンや芸人、タレントから尊敬されファンも多いところに、「意味もなくすごい、それが宮本」「規格外」「宮本が歌えばそれだけで新しい価値観」という声があります。まさに彼の絶対的な存在感や特別性が現れているのではないでしょうか。


人格数 
P8(他者の目に映る印象や雰囲気)
力強く、パワフルに行動していく印象のナンバー。
向上心があり野心に溢れた情熱的な人です。
まさに力強い歌声、情熱的にステージで活躍する宮本さんそのものの数字が表れていると思います。破天荒な部分、リーダーとしてワンマンな印象も強いですが、実際は中学時代から変わらず寄り添うバンドのメンバーがあってこそ、そういった部分も生かされているのでしょう。

実現数
R13-4(今回の人生の可能性や実現性)
破壊と再生を繰り返しながらもいらないものをそぎ取り、軌道修正をしながら現実的に社会へ音楽活動で表現してゆく。それが自信になり豊かになることでより音楽に集中でき歳を重ねるごとにより良いもとを世の中に届けることができるでしょう。

ステージ数 
12-3(活躍の舞台)
楽しみながら表現すること。
ミスチルとの対バン、齊藤和義はじめ66年代生まれのミュージシャンとのイベントなどもこれまでありましたが、色んな人と12のコラボをするということで自分の枠が広がりより豊かになるようです。また執筆活動や俳優業などエンターテイナーとして音楽に限らず活躍の舞台は広がっています。

チャレンジ数 
8(試練数、試される数字)
不可能への挑戦と開拓をすること。
謙虚に人の意見に耳を傾ける。
リーダーだがワンマンになり過ぎず人と協調してゆくことも大事だといえます。

Nature数 
11-2(素の性質)
豊かな感受性を持ちさらなる内面への探求へ向かう意識。
宮本さんはとても繊細でひと一倍内向的な性格といわれています。
そういった面が音楽で表現し能力を発揮されています。

Action数 
5(行動性)
現状にしがみつかずに変化してゆくナンバー。
宮本さんは常に新しいロックを実現させたいと、現状にとどまることなく走り続けたいという思いで曲作りに励んでいます。





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Cycle Numbers その時期のテーマ
Pinnacle Numbersその時期の状況 
Challenge Number その時期にチャレンジするテーマ



0~32歳
Cycle Numbers   6 高い理想を掲げながらも自分をあるがまま受け入れる。
Pinnacle Numbers 9 迷いながら不要なものを手放してゆき完成される。
Challenge Number 3 視野を広げて自分の感性を表現してゆく。

33~50歳
Cycle Numbers   3 多くのことを経験し発展させてゆく。
Pinnacle Numbers 7 多くの経験が可能性を拡大してゆく。
Challenge Number 
(33~41歳)  1 新しいことへの挑戦
(42~50歳)  2バランスを整えて調整してゆく。  

51歳~
Cycle Numbers   4 人との和を心掛け堅実に生きる。今後の計画。
Pinnacle Numbers 1 現実的に新しい計画を立て努力してゆく。
Challenge Number 2 自己中心的にならず受け入れ調和してゆく。




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HISTORY

Year Cycle

8歳 19-21 発展
NHK東京放送児童合唱団で声楽指導を受け始める
歌の才能がこの頃から開花されていきます。

12歳19-25 内省
小学生時代がおしゃべりで目立つのが好き、正義感が強いタイプでしたが次第に周りの鼻につき嫌われて無視されるようになりました。
孤独になり人の恐ろしさを知った彼は極端に黙るようになったそうです。

13歳19-26 繁栄
中学に入りエレカシのメンバーとの出会いがあり気の合う仲間と楽しい時を過ごす。
仲間から音楽の影響を受ける。

15歳19―28 再誕生
今のエレカシのメンバーである石森さんと富永さんを中心とする中学の同級生で結成され宮本さんが中学3年生の時加入しました。
新しい人生の道が開きました。。

19歳 2-5 不安定
人に対する不安感がひどかった時期。
一人恐怖に陥るが自分で分析できるから病気じゃないと思っていたようです。

20歳2-6 調和
オーデションに入賞、デビューのきっかけをつかむ

21歳2-7 ステージUP
エピック・ソニーよりシングル「デーデ」、1stアルバム発売

28歳3-5 変化
7thアルバム「東京の空」宣伝活動に力を入れたがこれを最後に契約打ち切り、所属事務所も解散となる。曲を聴き手にどう伝えるか分かってないとダメな事に気づきました。。

29歳3-6愛
新事務所契約、ポニーキャニオンより「悲しみの果て」をリリースして再デビュー。
メディアへの積極的露出により売り上げを伸ばす。

30歳3-7 ステージUP
アルバム「ココロに花を」10位 10万枚
この時、宮本さんは具体的に7万枚以上売ると現実的に数字を出して曲作りに励んでいました。

31歳3-8 達成
フジテレビのドラマの主題歌として発売された「今宵の月のように」が80万枚を超える大ヒットとなる。
アルバム「明日に向かって走れ 月夜の歌」2位とまさに達成の時期。

この2年間は大きな変化を遂げた期間で以前のエキセントリックで威圧的なアプローチを一転、感情豊かなメロディーをライブで爆発させるポップなやり方に変えようやく正当に世間に受け入れられました。
曲と詩に一番自信のあるものさえ作っておけば、あとはどういう風にみんなに届けばいいのかを考えるだけと、新しい可能性への挑戦。

33歳 3-10 再誕生
ポニーキャニオンとの契約が終了し東芝EMIに移籍。
ライブの名曲、シングル「ガストロンジャー」発売。
ハードなロックナンバーで更に進化、エレカシの再誕生。

34歳 3-11 分岐点
音楽活動と並行して執筆活動やドラマ「フレンズ」出演、多彩な才能を発揮。

37歳4-5 変化
知人に全財産を持っていかれたことにより、高級マンションから引っ越し。愛車を手放す。
自分が求めているものは・・・音楽一つあるだけで幸せ。より音楽に集中できる環境になったと言います。

この時期、アルバム「扉」のレコーディングでは、中年になり今までとは違う中年の良さをロックで実現したいと何度も葛藤しながらも熱い思いで臨む。
もっといけるんじゃないか、信じる力がどこまで強いか...そういった思いが曲にも表れています。


40歳 4-8 野心
デビュー20周年。ユニバーサルミュージックへ移籍。
新たな気持ちで活動できると前向きな姿勢。

41歳 4-9 完結
「俺たちの明日」がCMのタイアップにもなり、ヒットがその後も続く。

42歳 4-10 スピリチュアルホール
生放送のラジオ番組での曲の紹介に気分を悪くし、暴言を吐き反響。
後日、謝罪する。

46歳 5-5 変化
左耳が聞こえなくなり、急性感音難聴と診断され手術をうける。
当面のライブ活動休止となる。

病気になって、今まで無茶をしていた生活から早起きしてちゃんと食事をし、大好きなタバコもやめ生活を改めたそうです。
これからも歌っていくために、病気がいいきっかけになったといいます。

47歳5-6 愛
療養生活を経て約1年後、活動再開。日比谷野外音楽堂で復活ライブ。
デビュー25周年、自身最大規模であるさいたまアリーナで記念ライブを行う。

48歳5-7 飛躍
14年ぶりのドラマの主題歌「Destiny」リリース。

49歳5-8 活力
復帰後、初のアルバム「RAINBOW」
エレカシの変化を感じさせる作品となる。過去の自分を否定するのでなくどんな自分も認め前を向いて歩いていく…そんな思いが伝わる、力強いアルバムです。

50歳5-9 変容
TVドラマ初主演。約16年ぶりのドラマ出演となる。
来年デビュー30周年の弾みになり、これからの宮本さんにますます期待です。




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最後に
ある日何気なくTVを見ていたら、活動休止を経て、復帰したエレカシ・宮本さんが現れ、彼の歌う姿を見て感情が凄く揺さぶられ心に響きました。
それから数々の曲を聴き、レポートを終えてなぜ宮本さんにこんなにも惹かれるのか・・・
宮本さんは、物凄く真面目で不器用で、繊細で真っすぐな人。
いつも一生懸命、自分に正直に生きていることが音楽からも伝わりとても魅了されます。
宮本さんと同じ数字は8です。共通の数字を大切に、これからも熱い情熱を行動に起こしていきたいです。
いつも心を動かす「胸を張って生きていこう」という歌詞。色んな自分を受け入れ、そして胸を張って生きていきたいという自分の思いに気づきました。



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Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th Class
Kaori Date in Itabashi class
# by kej000 | 2016-12-18 21:24 | 数秘レポート

自分を信じ続けた人の奇跡「奇跡のリンゴ」*木村秋則さん


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奇跡のリンゴ農家
木村秋則

Akinori Kimura
1949年11月8日生まれ



birth number 【誕生数:生まれ持つ素質】15-6 愛・調和
destiny【運命数:表面意識・天命・ライフワーク】15-6 愛・調和
soul【ソウル数:魂の欲求】 11-2 霊性・・天と地の橋渡し
personality【人格数:社会的な仮面】4 堅実・生真面目
realization【実現数:人生の可能性・目指す所】12-3 楽観・成長・発展

stage【ステージ数:人生の舞台】10-1 再誕生・開拓・新しいこと
challenge【チャレンジ数:人生の課題】22-4 創造・偉業
nature【自然数:素の自分】5 冒険・変化・知性
action【アクション数:行動パターン】3 発展・成長・遊び心




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【もの静かで控えめな外見から滲み出る、愛に溢れた本質】

『奇跡のリンゴ』という映画の主人公にもなった木村秋則さんは、それまで絶対に不可能だと言われていた無農薬リンゴの栽培に日本で初めて成功した方です。
主要なbirth numberとdestiny number共に『6』を持つ木村さん。
6は愛・調和と平和を意味し、自然を相手にする農業にもとても縁の深い数字です。6は陰陽の統合を意味し、理想と現実のバランスを取りながら調和し内面を成長させるナンバーでもあります。

他人からの印象を表すpersonarityは『4』で真面目で控えめな印象。

心の声を表すsoul number『11-2』は高度な霊性を示し、天と地の架け橋になりたいという、静かだけど凛とした真っ直ぐ突き抜けるような想いを心に抱き続ける人。
actionの『3』は人を和ませて楽しませる雰囲気を作っており、もの静かで不器用そうな印象の中にも思いやりが溢れ出る親しみやすい人柄、けれど真っ直ぐな芯の通った強い人だというイメージを抱かせるようです。

challengeは『22-4』で人生において大きな事を成し遂げるという人生の課題。

人生のゴールを目指すrealizationの『12-3』は人を楽しませたいおもてなしのナンバー。相反する1と2の意味を含んでの3であり様々な経験をして視野を拡大させるという意味もあり、challenge numberと共にその軌跡を彩るドラマチックな要素になっているような気がします。

リンゴを無農薬で作りたいと思ったのは、妻の美千子さんが農薬に過敏な体質で、度々農薬によるアレルギーで体調を崩して苦しんでいるのを見て放っておけないというところからでした。

人を癒したい、楽しませたいという本質を持つ木村さんが、それまでリンゴ作りに農薬は無くてはならないという、疑いもされなかった業界での常識を疑ってまでも無農薬リンゴを作ろうとした動機、それはまさに6の象徴する「愛」から発生する、人を楽しくさせたいという願いからでした。

小さいけれど何よりも強い愛という動機の種、それを天地を繋ごうとする揺るぎない意思が育み、そして絶対不可能だと言われていたりんごの無農薬栽培を夢物語で終わらせず実現させるという偉業に結実させたのかもしれません。



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<HISTORY>

【0~30歳】
〜青森からの上京と都会での自立、天命に向かう再誕生〜

cycle number『2』
pinnacle number 『19-1』
challenge 『6』

木村さんは1949年に青森県の農家の次男坊として誕生しました。
特別に裕福な訳ではないが一家で代々所有している農地があり暮らしに困る事も無いという平穏な幼少時代を送りました。

action「3」の物事に楽しみを見出して取り組める気質なのか、何にでも興味を持つ少年だった木村さんは中学になると機械を分解して仕組みを自分で研究し無線機を作り上げたり、物事の成り立つ仕組みに興味を持つとても好奇心旺盛な少年だったようです。

この頃の現状を示すpinnacleは「19-1」。
1は行動力などを示し、興味を持った事は次々と試し積極的にチャレンジしながらも、cycle平和、受容の「2」、平穏な環境に守られて伸び伸び過ごした子供時代が伺えます。

19はまた『力』の意味を持つ、家族からのしがらみから愛を学ぶナンバーでもあります。
stage numberの10-1は再誕生を意味し、幼い頃は良い家庭環境に恵まれるが、人生のある地点で生まれ直しをし、全く違う道を歩む事になります。

高校卒業後自分の将来を考えた時、家業の農業には未来の可能性を感じられないと思った木村さんは、都会へ出て会計士になろうと川崎の会社に経理として就職しました。
一度は故郷を離れたのも、家族からの本当の自立とは何か?を知るために本人の心が望んだ事かなのも知れません。

しかし間も無く家庭の事情でやむなく故郷に呼び戻され、22歳の時にリンゴ農家の婿養子になり、再びここから人生のテーマは大自然と共に生きる「農業」になります。

この人生舞台の突然の変化はまさに再誕生の10-1。

都会生きていくという自分の予想に反して再び青森に呼び戻されなければ、将来無農薬のリンゴを完成させるという壮大なストーリーも起きなかった事になるのです。

故郷に戻ってからしばらくは他と変わらない普通の農家として、数年後にはリンゴ以外の作物の栽培にも成功し、それなりの収入も得てに平穏に過ごせていた日々でしたが、農薬散布の度に起こる妻美千子さんの体調不良や、自然農法家福岡正信氏の本との出会いなど度重なるメッセージを受け、木村さんの気持ちは徐々に減農薬、更には今まで誰もやった事の無い無農薬栽培農法へと傾いて行きます。
そして30代になるこの辺りから運命は波の大きい次のサイクルへと徐々にシフトして行きます。


【31~39歳】
〜創造と破壊を繰り返し厳しい現実の中で限界を越えていく〜

cycle number『8』
pinnacle number 『13-4』
challenge number 『3』

1978年29歳の頃からリンゴ畑を完全に無農薬に切り替え、30代の始まりはまだ誰も足を踏み入れた事のない領域への未踏のチャレンジのスタートでもありました。

pinnacle numberの13-4は修練、破壊と創造を意味する厳しいナンバー。

自然栽培に取り組み始めた木村さんは、アイデアと希望に満ち、農薬の代用品になる、ありとあらゆる素材を次々と試して行きます。しかしその道のりは予想をはるかに越えて遠く、成功させる方法にたどり着くまで何度も様々な方法を試しては上手くいかずまた新しいアイデアを試す・・という日々の繰り返しでした。
3年経っても4年経ってもリンゴの花は全く咲く気配を見せません。
そんな事を繰り返しているうち、生活費にも事欠くようになり家族をも巻き込んで生活は破綻の一途を辿ります。
追い打ちをかけるように、そこまでしても信念を曲げない木村さんへ周囲の人々からの風当たりも徐々に強くなって行き、お金や地位などを表すテーマcycle8の厳しい現実と正面から向き合わされます。

challenge numberは楽しむという事を意味する3。
どんな現状でもそれを楽しむ事にチャレンジするという厳しい学びの意味にも取れますが、失敗をも楽しむ事が荒波を乗り越えていく唯一の秘訣だと教えてくれているような中々深い意味の数字です。

そんな状態がいつまで続くのか先の見えないまま精神的にも経済的にも追い込まれていった木村さんは、35歳のある夏の祭りの夜、ついに思い詰めて死のうと思い一人きり山奥へ向かいます。しかし皮肉な事にそこで偶然見つけた山に自生する野生のくるみの木の土から、無農薬栽培を成功させる決定的なヒントを見つけたのでした。
暗い闇の中で一筋の希望の明かりに出会った木村さんはそのヒントを元に一からやりかたを変え再びやり直そうと決意します。
そして、それが正解だったと答えるようにりんごの木は、1年、2年と徐々に花をつけていき、38歳の春、木村さんのりんご畑はついに花で満開となります。


【40〜48歳】
〜啓蒙活動、農業界からの風当たりと和解〜

cycle number『8』
pinnacle number『5』
challenge number『3』

cycle numberは引き続き現実的な物に向き合う『8』。畑の収量も徐々に増えて行き、経済的にもどん底だったころから段々浮上していきました。

challengeは楽しむという意味の他にも生産と知性を表す『3』
この頃から木村さんは長年身を以て会得した命を頂くという事の本当の大切さと、自然と戦わない自然栽培の素晴らしさを伝えるため、全国や時には海外を飛び回り農業指導や講演会を行っていきます。

現状のpinnacleは変化と冒険を示す『5』。
nature numberにも5を持つ為か重複した5の示す不安定要素や衝突といった出来事も続く時期です。
講演活動を始めた頃はまだまだ農薬を大量に使用する旧来の農法のみが常識だとして譲らない人々からの風当たりも強く、度々批判や嫌がらせにも合います。
しかしそういった数々の経験を乗り越えて時が経つにつれ少しずつ理解者も増えていき、批判していた人の中からも後になって共感してくれる人たちが現れるようになりました。

5は他にも知識の分野での啓発活動や知的分野や海外も意味し、まさにこの時期の流れにぴったりという感じでしょうか。


【49歳〜】
〜果物という物質の枠を越えて人々の心を元気にする奇跡のリンゴ〜

cycle number『5』
pinnacle number『7』
challenge number『3』

cycleの5は冒険と共に未知の世界を解明してそれを広めていく役割という意味もあります。

木村さんのリンゴはただ無農薬で体に良いというからだけで支持されているのではありません。食べる人の体を元気にするだけでなく、そこには育てる木村さんの愛と長年の経験から学んだ真実が栄養となり実となり、そのストーリーは食べる人の心も元気にしています。

そのリンゴは一つの果物という物質の枠を越えて人々に色々な事を伝えていきます。

無農薬栽培に挑戦するという天命に沿う人生を歩みはじめてからchallenge numberはずっと3でまるで波多き人生を歩みながらもそれを常に楽しむという人柄を物語っているようです。

pinnacleの7は探求。これまでに会得した研究や自分の体験を世の中へアウトプットするサイクルです。
木村さんのリンゴ栽培の記録は本にもなりyearサイクルも7に当たる2013年には『奇跡のリンゴ』という映画も製作されました。




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木村さんの人生の課題を示すchallenge number 22-4は現実社会において大きなことを成すマスタービルダーと言われるパワフルな数。まるで歩んできた道のりそのものを示している様な数です。

これほどまでに大きなことを成し遂げたのは、パワフルな推進力だけではなく、birth number とdestiny number 6の天命と感じることをコツコツ積み上げて行ける献身的な忍耐強さ。
それに加え実はかなり重要なのはnature数5の持つ革新性や旺盛な冒険心とaction数 3 の何事も楽しめる楽天的な遊び心の部分ではないかと思います。

人はただ前に進んで行くだけでは不意に強い横風が来た時に倒されてしまいます。

時にそれに一見横道に逸れているとも思える遊び心が加わる事で、一直線で平面的だったエネルギーにまさに3の示すような変化と循環が生まれ、起こる出来事に対して柔軟にいろんな角度から取り組んでいけます。

その時には意味を見出せない出来事も楽しんで経験する事によって肥やしとなり、そうやって喜び周り続けることで、小さな輪から年輪を増やし、いつの間にか年月を経て大きな素晴らしい1本の大木のようになっていったのかもしれません。

木村さんの生き方はこれからも多くの人を励まし続け、どんな事があっても自分を信じ続けたその先に人の心が発揮する力は奇跡と呼ばれる現実をも作り出すという、人間誰もが本来持っている無限大の可能性に気づかせてくれるのではないでしょうか。



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Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th Class
Keiko Osawa in Itabashi class
# by kej000 | 2016-12-18 20:56 | 数秘レポート

自由になる自由がある・・・*宇多田ヒカル

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宇多田ヒカル
Hikaru Utada

生年月日 1983年1月19日
33歳
出生地 アメリカ合衆国ニューヨーク州



2010年から「人間活動」ということで活動休止されていました ずば抜けた音楽性の才能、独特な感性の持ち主、宇多田ヒカルさん。「人間活動」という表現にもセンスを感じ、しかし変な違和感をも感じさせない。そんな風に感じるのは私だけでしょうか?
今年2016年に音楽活動(アーティスト活動)を再始動されました。
6枚目アルバム「Fantome」 CMソング、ニュースのエンディングテーマやドラマの主題歌を聞いてもやはり 彼女の存在感を感じる曲ばかり。
そんな宇多田ヒカルさんをリーディングしてみたいと思います。




Birth number 生まれ持った資質・才能・運命
『14-5』 自由、多才、変化
14-5は海外に縁のあるナンバーです。事実 彼女は出生地がアメリカ、2014年にイタリア人の方と結婚され、翌年2015年に男の子を出産。
結婚の前の年2013年は彼女の母親である藤圭子さんの自殺。宇多田ヒカルさんは初期からよく母親のことを歌っていて、ラブソングにおいてもその求愛の対象は実は母親なのではないかということは、彼女の熱心なファンならば気づいていたそうです。
そしてご自身の出産で母親になったことなどもそうですが、常に彼女の人生において
家族の問題を心で感じ、そこからの14-5の自由とは何か?がテーマになっているように感じます。
アルバムの「真夏の通り雨」の中で『自由になる自由がある…』という歌詞も印象的でした。彼女は5の生まれ持った才能である 音楽の力でお母さんを亡くされた 悲しみを乗り越えようとしているんだと感じざるを得ませんでした。それが今回の復活の大きな動機といっても良いのではないでしょうか。


Destiny Number  人生における目的・使命
『 7 』 飛躍 内省・探究心・独創性
バースナンバー5と言うところから自由がテーマであることを突き詰めていく、7の内省、
探求心、そして独自の感受性から独創的な音楽が生まれているそのような気がします。
また彼女はテトリス DSのエンドレス設定で、カウンターストップとなる99999999点を
記録されています。この記録からは探求心、と言う言葉よりはオタク的要素も感じられます。
そして宇多田ヒカルというアーティストは、ボツ曲がひとつもない とても珍しいアーティストだそうです。常にこれしか作れないというものに魂を込めて世の中に発信しているのも自分の経験を通して世の中へ広め、人々の心を豊かにすること。そんな使命を感じます。
彼女の言う人間活動や音楽活動 全てから精神性への目覚めを感じ取ることができます。


Soul Number 魂の欲求
『 9 』 完結 変容
魂の欲求やその人の大切にしている価値観です。
『 9 』は情緒豊かさと強さを持ち外交的ですが内向的という複雑な二極性を持っています。
自分の内にある崇高な信条を発見すること、自分も人も許すことで、全てを受け入れる真の強さ、エネルギーを得る。彼女の場合、音楽を通して人々を感化・強化させる才能を活かし、人を導く力を発揮するようです。
彼女は人間活動に入る少し前にブログで高校卒業からの10年を次のように振り返っています。
なんかもう、手探りで好奇心の赴くままあっちこっち迷走して、全然自分を大事にしないで、人と関わりあうってどういうことなのか、周りの人のことを大事にするってどういうことなのか学ばないまま、楽しいこともたくさんしたけど結局無責任で、だれもしかってくれない、仕事はうまくいっても実際は破滅街道まっしぐら…みたいな
それってめっちゃ青春やん!!
ずいぶん長い青春だな(笑)っていうか子供のままだったんだな。。。

複雑な二極性を感じつつ、自分のこれまでの人生に疑問を感じ悩みがちになっているのではと感じます。これこそ彼女の魂の欲求で新しい自分への変容を遂げようとしているのではと思いました。


Presonal Number 人からどう見られるか
『 7 』 飛躍 内省 観察 分析
洗練され個性的 がぴったりのように感じます。しかし彼女の身の上を知ると7の持つ内省からの飛躍が今は当てはまりそうです。
彼女が幼少期の頃から、母親である藤圭子は精神の病に苦しめられていたといいます。また「本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました」と苦悩したことをブログで綴っています。
当時のブログでも、“悲しい記憶が多いのに、母を思う時 心に浮かぶのは、笑っている彼女”と綴っています。
ドラマの主題歌になった『花束を君に』、『道』は亡き母へ向けたメッセージソングなのかもしれません。
彼女は運命数でも『 7 』がきています。母親の問題を通して自分自身の中に本当の自分を見つけ、自由とは何か的な精神性に目覚め飛躍していくことが彼女の人生のテーマと言っても過言ではありません。


Realization Number 人生での可能性・実現性
『12- 3 』 発展 表現 真実 楽観
3の持つ、精神的喜びを与える、表現する分野、芸術芸能と本当に今の彼女にぴったりあてはまるのではないでしょうか、感情を表現していくアーティストに多い数字です。
「子供ができたことで、母親を思うようになったそうです。すると日常的に藤さんの『幽霊』が目の前に現れた、『常に母親の存在を感じる』と周囲に漏らしていたそうです。子育て中、何をしていても悲しくなる時期が続きました。そこからかアルバムのタイトルである『Fantome』はフランス語で気配、亡霊 などを意味するそうです。

また ジャケットの彼女のビジュアルは、藤さんソックリ。それは、わだかまりが残ったまま離れ離れになった母への『成仏してほしい』という思いからだそうです。アルバムを出したあと、宇多田は『気持ちが落ち着いて、母を見ることが少なくなった』と周囲に話しています。
このエピソードからも表現力、感性、直感力を惜しみなく世の中のために使うパイプを音楽を通して創ること、自分の感情を誠実に表現し、内的エネルギーを ここも音楽を作ることで解放することに繋がるのではと思います。
そして 母親との関係に悩み続ける彼女ですが 3の持つ楽観的に、Biethの5の自由にで楽観的に自由に親に縛られることなしに 生きたいという思いを抱き続けているのかもしれません。


Stage Number 持ち合わせた能力をどんな舞台で発揮するか
『 11-2 』
2の豊かな感受性、高い芸術性、鋭い直感力、そして天才的な能力は今の音楽の世界で発揮されていることばかりだと思います。しかしそんな能力とはうらはらに内面的苦悩がつきないのかも知れません。


Challenge Number この人生でチャレンジすると決めてきているNumber
『 12-3 』 
感情を表現していくアーティストに多くみられます。12-3なのでコラボするとすばらしいものが生まれるのかもしれません。実際、今回のアルバムには1998年に同じレコード会社からデビューした同期の椎名林檎とコラボしており、他にも数名ともコラボしています。


Nature Number もって生まれた性質・要素・特性
『 5 』
Birthにも5がきていました。自由、多才、冒険、変化 と本当に内面の自由を見つけるために冒険をしている 彼女の人生そのものではないでしょうか。
5の人は、自分の目標を絞って一つの分野を極めるということが人生の中でテーマとなってくるでしょう。そして それは「本当の心の自由」を手に入れるためなのかもしれません。


Action Number 行動のパーターン
『 1 』
彼女の才能から音楽界での絶対的存在であり、自分の創造性を表現していくこと ピュアな心で「どう生きて生きたいか?」そこが彼女の行動パターンの原点のような気がします。




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Cycle numbers 0-31才 その時期のテーマ
『 1 』
ニューヨークの小学校に通っていた頃は2年から4年に飛び級しており、日本では清泉インターナショナルスクールへ通っていたが 芸能活動禁止の学校であったためアメリカンスクール・イン・ジャパンに転校した。そこでも1年飛び級しており、コロンビア大学に進学するが休学の末に中退している
このような大学こそ中退しておりますが学歴からも知的で特別性を感じます。

Pinnacl numbers  0-31才 その時期の状況
『 2 』
調和・強調・受容 
内面の調和と統一を計り 流れを受け入れ 与えることと受け取ることのバランスを計る時期だったようです。
1998年15才のとき『Automatic』でデビュー。累計出荷枚数は255万枚を超え当時はとても話題になりました。そして1stアルバム『First Love』も累計売上枚数765万枚を超え 日本国内の歴代アルバムセールス1位になっているほか2ndアルバム『Distance』では初週売上枚数が歴代1位となる300万枚を記録している。
また、2007年発表の「Flavr Of Life」は当時のデジタル・シングルのセールスにおいて世界1位を記録しました。
そしてイメージの世界での価値ある創造物を現実社会で具現化することがテーマだったのではないかと思います。


Challenge numbers 0-31才 その時期にチャレンジするテーマ
『 9 』
2010年8月から『人間活動』のためとアーティスト活動を無期限休止することを発表しました。のちに対談で語っていたことは「こういう世界からいったん離れたくて、いったんリセットしたいなと。段々わからなくなってきて、みんなに求められている私と、ただの私が離れていくみたいな。行きたい方向に行っていない、かといってどこに行きたいかもわからなくて、『いったん止まろう』と語りました。若干15才からスターとなったが故の苦悩が感じられ、まさに複雑な二極性、現実的で非現実的であるとも受け取れます。
活動休止中の音楽との付き合い方について聞かれると、「音楽はもちろん聞いてましたが、まったく歌ってはいなかった。ほぼ6年間歌っていませんでした。マイクを通して集中して歌うとかはまったくありませんでした」とコメント。歌からは完全に距離を置いていたことを明かしています。
音楽的な行き詰まりではなく、思春期からの本当の自分を感じなおしたかった、取り戻したかった、つまり9の持つ『 変容 』をテーマとしていたのかもしれません。


Cycle numbers その時期のテーマ 32-49才
『 1 』
33才で6枚目アルバムを発表しアーティスト活動へと復活をはたしました。
コピーライターの糸井重里氏から活動休止前は「歌いたくて仕方ない にしては苦しそうだった」と指摘されると、彼女は過去の自分について「確かに苦しそうな歌い方してましたね、休んでいる間に一番変わったのはそこで、苦しくない歌い方ができるようになったんです。」
また、『人間活動』は楽曲自体にも変化をもたらした。これまでどこか空想的な雰囲気だった曲にリアリティが増し、「あなたの音楽はより肉体的になった」との反応があったそうです。
彼女はそれを「一番うれしかった」と語り、
「すごく受け入れられた気がした。勇気を出して裸になって、それをちゃんと受け止めてもらえたんです。それは私がリアルな生活をして、“宇多田ヒカル”というイメージや求められているものから離れて、普通のことをしていたっていうのも理由だと思う」。そう語っています。
『人間活動』を経て彼女が得たものは とてつもなく大きなもので絶対的な存在がゆるぎないものになったことは言うまでもありません。過去にとらわれることなく、「今ここにある自分を見つめる」、不要な物を整理し、つまり親を喜ばすためにやってきたという音楽を一旦、手放し 一人の人間として成長し、新しいステップへと向かうことがこの時期のテーマではないかと思います。


Pinnacle numbers その時期の状況32-40才
『 4 』
2014年、バーテンダーのイタリア人の一般男性と再婚します。そして翌年 2015年、男の子を出産します。新しい家族を手にし 現在はロンドンに生活の拠点を構えているそうです。
4の持つ安定という言葉通り、家族という新しい基盤を形成し固定していく そんな時期のようです。現在の家族を通し、この世の秩序、法則をみぬき、ものごとの本質を明らかにしてゆくことが大切になるでしょう。


Challenge numbers その時期にチャレンジするテーマ32-40才
『 2 』
2014年に再婚し、家族ができたことで協調性、受容を学び、変化を受け入れていくことが
彼女のこの時期にチャレンジすることだと思います。






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History

Year Cycle
1983年  誕生   5
彼女はアメリカで父宇多田照實と母藤圭子のもとに生まれました、産まれてきたときは息はなく心配停止の状態で医師にはあきらめてくださいと告げられた父親はなりふり構わず 懸命に赤ちゃんの体をマッサージしたそうです。そして心臓が動き出し、大きな産声をあげたそうです。
生まれた瞬間から死から生へと変化をとげたとも取れます。
15才までの彼女はアメリカと日本を行き来し、突然の引越しを余儀なくされることが多々あり、友達にも挨拶できずでとても悲しい思いをしたと語っています。
彼女の10代は自分の中にこもることが多かったそうです。7才のときに一桁の3へと下がっています。創造や表現がテーマとなりますが自己不信、表現への恐れ、過敏と落胆が3の持つ意味に含まれています。

1998年  15才  11  
『Automatic』でデビュー売上枚数100万枚を突破してミリオンセラー

1999年  16才  12   
1stアルバム『First Love』を発売 歴代アルバムチャート1位1999年
『Movin’ on without you』を発売『First Love』をリカット『Addicted To You』を発売

2000年  17才  4  
『第 72回選抜高等学校野球大会』入場行進曲に「First Love」が使用された
5thシングル『Wait & See ~リスク~』発売 6thシングル『For You/タイム・リミット』発売
コロンビア大学へ入学

2001年  18才  5  
7thシングル『Can You Keep A Secret?』発売 2ndアルバム『Distance』発売
8thシングル『FINAL DISTANCE』発売 9thシングル『traveling』と
ライヴDVD『UtadHikaru Unplgged』を同時発売

2002年  19才  6  
コロンビア大学休学を明かす 卵巣腫瘍の手術行う
10thシングル 『光』発売 11thシングル『SAKURA ドロップス/Letters』発売
3rd アルバム 『DEEP RIVER』発売 紀里谷和明との結婚を発表
             
この年の 6 は慶弔、病気という意味があります。15才から10代後半を走り抜けてきた彼女ですが身体は正直に反応したように思えます。そして卵巣腫瘍の手術のあと ホルモン剤での治療で一定期間ですが体調をくずし活動休止になります。

2003年  20才  7  12thシングル『COLORS』発売

2004年  21才  8  13thシングル『誰かの願いが叶うころ』発売

2005年  22才  9  15thシングル『Passion』発売

2006年  23才  10  16thシングル『Keep Tryin’』発売  4thアルバム『ULTRA BLUE』
            17 thシングル『ぼくはくま』発売

2007年  24歳  11  18thシングル『Flavor of life』発売 紀里谷和明との離婚を発表している
            19thシングル『Beautiful World/Kiss& Cry』
この年は紀里谷氏との離婚しています。11の年なので独りの時間が必要となったのかもしれません。真の目標に向かって目標をしっかり掲げる年となったのだと思いました。

2008年  25歳  12 20thシングル『HEART STATION/Stay Gold』発売
            5thアルバム『HEART STATION』発売

2010年  27歳  5  1月から2月にかけて、初の北米ツアー『Utada "In The Flesh" 2010 Tour』を開催し、ロンドン公演含む全10公演を行った。
8月、アーティスト活動を止めて『人間活動』に専念すると発表

2013年  30歳  8  母である 藤圭子さん自殺

2014年  31歳  9  イタリア人男性と再婚

2015年  32歳  10 男児出産

2016年  33歳  11 6thアルバム『Fantome』発売 人間活動から復帰を果たす

人間活動に入られた年が『 5 』とBirth numberと同じです。
ここから5の周期になり 新しい音楽を創作するために人間的な生活がしたいと、5の持つ変化を運命でもあるかのように自ら選んでいます。彼女が生まれたとき、息がなく、医師にも諦めるよう告げられたにも関わらず息を吹き返したのと同じように彼女は人間活動を経て生まれ変わったのではないかと感じざるを得ません。
母親を亡くされた年は8で受容性と強さ、その強さとは悲しみのパワーを現実的に新しいアルバム『Fantome』を出すという方向へ向け、きっかけともなったようです。翌年、イタリア人と結婚をされます、その年は9。ドラマチックな時期であり変容のときだったのかも知れません。
結婚の翌年は10で出産をされました。お子さんができたことでいままでの価値観が変わり意識の断捨離ができたかのしれません。曲を聴いて専門家たちも彼女の作る曲は別格でもう次元が違うのだそうです。人間活動の中には母親の死もあり、結婚あり、新しい生命の誕生と経験して、彼女の歌声の根底は切なさ、はかなさだったようですが、そこへ自身が母親となったことで温かみも加わったのではないでしょうか。




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~宇多田ヒカルさんをリーディングしてみて~

彼女が『Automatic』デビューされたときは鳥肌が立つくらいの衝撃を受けました。
若干15才の子がこんな曲を作り、歌っていることにもびっくりしました。特に彼女のファンだったわけではありませんが彼女の出すアルバムや曲は持っているものが多いです。
Birth number 『14-5』 自由、多才、変化 は彼女の人生を調べれば調べるほど14-5と言う数字が物語っていることに驚きました。『 7 』という数字が2つあったので 色々な経験を通して自由や変化を探求し尽くし、音楽で世の中へ発信し精神的成長をしていく、素晴らしい人生な気がします。
そして母親の藤圭子さんが波乱な人生を送られてきたことは知っていましたが娘の宇多田ヒカルさんもこんなにも親子の問題として心に大きなものを抱えていたんだということを知れたことが今回、私にはこの講座を受けて得た中で一番占めていることかもしれません。
私と宇多田ヒカルさんとのNumberはぜんぜん違いますが、私の娘は抱えている問題があり、今も世間一般的な生き方はしていません。そんなところから娘の思いを宇多田ヒカルさんに重ねながらレポートを書いていました。
宇多田ヒカルさんの生い立ちからも普通の子供とは違う生き方をしてきて、歌も親に進められたから、親が喜ぶからはじめたといっています。そんな環境から親からの呪縛みたいなものがあって、心の自由を求めるのかもしれません。このことに気づいて宇多田ヒカルさんをとおして娘を見たとき、やっぱり自分の心の叫びと同じなのかもしれない、やっぱり自分を重ねているんだと感じました。
彼女の生き方は自分の心の中をよくよく感じ取って、魂に嘘をつくことなく生きているのではないかと思います。
このリーディングをして私の娘ももっともっと素晴らしい人生を自分の手で切り開いていくのではないか、そんな風に思わせていただけたリーディングでした。


Reported by
Aeons Numerology the 11th Basic class
Yoko in Itabashi class
# by kej000 | 2016-12-17 23:19 | 数秘レポート

孤高の自由へ * マツコデラックス

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マツコデラックス
松井 貴弘
MATSUI TAKAHIRO
1972年10月26日


テレビで観ない日はないくらいに活躍されているマツコさん。
人を傷つけずに弄ぶ?話術、画面からはみ出るほどのキラキラした好奇心、そして最後にポロッとこぼれる愛ある言葉、そのどれもが魅力的です。
なぜこんなに気になるのか?数秘でマツコさんを丸裸に??



誕生数10-1
(生まれ持った資質、個性、生きる姿勢や才能、潜在意識、普遍的な深いレベルでの目的、学ぶべき教訓など)

周りを圧倒する絶対的な存在感、唯一無二のキャラクター・・・#1はまさにマツコさんのイメージ通りのナンバー。発せられる力強いエネルギーはどうにも見る者たちを引き寄せますが、油断するとその冷静で鋭いコメントにバッサリ斬られる危険もあり。片やマツコさんが子供のようにピュアで裏表のなく感情を露わにする時、私たちは彼女から目が離せなくなってしまいます。

カルミックナンバー#10は、生まれながらの環境や与えられた価値観と本当の自分との間で迷い、悩み、ある人生のタイミングで全く新しい別の道への変化がみられるナンバー。答えを急いでしまいがちですが、ゆだねる方向へ行けるかどうかがカギとなります。幼少期から他者とは違うと認識せざるを得なかったマツコさんは、嫌でも 「いかに自分でいられるか?」 ということを意識せずには生きてこられなかったのでしょう。

「当初テレビに出るつもりもなかったんだけど、流れに身を任せるままに生きてきたら、今みたいな状況になったの。(中略)本能に逆らわずに流れに身を投じて生きてきた結果、自然とこうなったのよ。人生その繰り返しだった。」
「何かここは引っかかるな」という思いがあれば、その積み重ねが絶対何かにつながってくると思う。クソっと思いながらも、そのクソっという思いを積み重ねることによってどうしても我慢できない感情みたいなものが1個生まれてくるから。」

自身の想いで動くのでなく、自分のスピリットの領域で動いていることが感じられます。

「人間、自分のために生きているうちは幸福は感じないのよ。(中略)やっぱりヒトサマや別の生き物に愛情を注いでいるときが、いちばん幸福なのよ。(中略)分かっているんだけど、そんなときに “お前がそんなに簡単に幸福を手にしていいのか?ああ、見損なったよ“って、何かヘンな人が言ってくるのよ。そいつが、もう、”孤独と戦え!!“ってうるさいの。」

最近動物が好きになり、ペットを飼ってしまいそう・・・と不安がっているマツコさんですが、簡単にペットに逃げてしまってよいのか?と自問するあたり、もう意識レベルが異なっている気がします。冗談ではなく、マツコさんが救うのはペットレベルではないと自身の本能では悟っているのかも。最終的に人道的な目的や人に癒しを与える方向へ進み、世の中を導いていく指導者的な役割を担うのではないでしょうか。


運命数 13-4
(表面意識、与えられた才能や個性をどう生かしていくのか、人生における目的・使命、何を実現していくべきか、など)

カルミックナンバー#13は、創造と破壊を繰り返し、学んでいくナンバー・・・心の傷、多くの悲しみを経験し、その度に乗り越え、変容する修練を経験してゆきます。そして、その経験を生かして人を癒し、循環させていきます。

幼少期から自身が同性愛者(ゲイ)だという自覚があったというマツコさん。その葛藤は如何ばかりであったでしょう。幼いころのエピソードからもそれを窺い知ることができます。まわりの同級生が子供に見えて、遊んでいても全然楽しくなかったため、本能の赴くまま登校拒否した小学校時代。女の子を好きになれないと自覚していた上に、太っていた思春期。“みんなと一緒”を好む日本の学校教育や、周りの目が気になる多感な時期にあって、いくら成熟していたマツコさんでも悩まないわけがありません。

高校卒業後、美容学校に行くも、才能がないと感じあきらめ、その後ゲイ雑誌で編集者としての道をスタートさせるも、人間関係がうまくいかずに座絶。深くお付き合いしていた彼とも別れ、そこから実家にもどり引きこもり生活が始まります。
マツコさんは、自暴自棄になりつつも、#4本来の良さを生かし、忍耐強く着実にプロセスを踏んで、少しずつ目的を実現させてきました。このように数々の経験をされたマツコさんだからこそ、その言葉の中に愛とか優しさを感じて癒されるのでしょう。


ソウル数 30-3
(魂の欲求、深層心理、一番大切な価値観)

#3のナンバーをソウルに持つマツコさんは、まさに表現したい人。人に喜びを与える、人を楽しませるエンターテイナーであると思います。マルチで、遊び心や好奇心があって、感性が豊かで、表現していくこと、人に光を投げかけていくことで、マツコさん自身も喜びを強く感じているはず。

もともと雑誌の編集で注目され中村うさぎさんに見いだされてコラムニストとしてデビューされたので、どちらかというと活字の世界で活躍されていましたが、テレビの世界へ進んだきっかけは、初めてテレビの世界の人たちとお仕事した際に、「アタシ、この人たちと仕事をしていくんだわ」と、ビビビっと来たとのこと。

#30-3ですから、スピリチャルな直観力も豊かに発揮されるでしょう。テレビの方が反応をダイレクトに感じられる機会も多く、循環していく感覚が大きいことも、マツコさんがテレビの世界の方が合うと感じた理由のひとつかもしれません。

またマツコさんの場合、数々の苦難に直面してもそこからの復活が早く、「なんかもういいや!」とか、「なるようになれ!」と思った等のエピソードが多いのは、この#3の明るさが影響しているような気がします。
また中村うさぎさんに見いだされたのエピソードにもあるように、何らかのサポートを得やすいことも#3の特徴です。


人格数 10-1 (社会的な仮面、第一印象、他者に映る自分、表面的人格)
誕生数と同じ#10-1であるので、自分の内面と他者から見た自分にブレがないので、より強力に絶対的な存在感や特別性を印象づけます。


実現数 5(人生での可能性・実現性、どのような分野で活躍していくのか、など)
#5はマルチで、知性高く、芸能度数も高い。流行に敏感でトークもうまいので、テレビなどの表現の世界にピッタリはまります。
未知の世界を解き明かしそれを広く教えていくこと、まず自分が変化して人に刺激を与えていくといったミッションがあるので、今後の活躍はバラエティーだけにとどまらない可能性もあります。


Stage数 33-6 (活躍する舞台)
#6は愛と美と調和を求めていくナンバー。まず自分を愛し、家族を愛し、それから人を愛すること、あるがままを受け入れることを学んでいきます。世のため人のための仕事、美に関する仕事にかかわるナンバーで、芸能度数の高いナンバーでもあります。マスターナンバー#33という神おろし的な非常に高いバイブレーションの影響もありますので、最終的には平和や愛の世界を実現させるために活躍する方向に向かおうと決意なさるかもしれません。


Challenge数 20-2 (試練数、チャレンジする課題)
女性性を表すナンバー。マツコさん的には必須のナンバーでしょう(笑)マツコさんが良き相談相手的な絶対的安心感があるのは、#20-2というナンバーが示すように、スピリチャルな直観力や洞察力を生かして穏やかに自身のそして周りの変化を受け入れてきたからでしょう。


Nature数 8 (素質、素の自分、自然体の自分)
マツコさんは周囲を巻き込むほどにパワフルで情熱的、且つロマンチストな面もありカリスマ性十分で非常に魅力的です。

一人で向き合う作業の多い執筆活動よりも、組織やチームで動くテレビの仕事の方が本来のリーダーシップが発揮できて向いているというのもこの#8というナンバーから伺うことができます。これだけの影響力があるのですから、今後はテレビや日本を超えた大きな世界で新しい価値観を生み出すような、そんな力を発揮されるかもしれません。


Action数 4 (行動パターン)
自分の才能を生かし、着実に一歩ずつ目的を実現させるプロセスを学んできました。
美容学校も雑誌の編集も辛かった数々の出来事もすべて基礎があって、今のお仕事に生かされています。




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Cycle Number (環境や大きな流れ、向き合うテーマ、どういう学びをしているか)
Pinnacle Number (人生の山場、その時の状況やあり方、どんな状況の時期か)
Challenge Number (挑戦する課題、遭遇するトラブル)


0~35歳

Cycle#1/Pinnacle#9/Challenge#7
新しさを求め、独自性、独創性を大切にしながら、自分自身を模索していた時期。多くの経験を通じて視野をひろげ、より深く学んでいくことで、才能を開花させました。

(注)以下すべての年齢は、あくまでもご本人の著書等の記載からの推測であり、正確かどうか確認されたものではありません。


10歳 (Year Cycle #11)  
女の子を好きになれないことを自覚。
「周りに合わせるのがつらくなっちゃったの。子供でいるのが疲れちゃって」と小学校時代に不登校に。その後、「なんかもういいやって思ったの。仲良くする必要もないし、ひとりでいいや、って」と学校に復帰。

13~15歳 Year Cycle #5~7)  
中学時代。デブでゲイだが、「もうこうなったらなるようになれ!」と開き直る。

19歳 Year Cycle #11) 
アカデミックなゲイブームに影響される。

20~25歳ごろ Year Cycle #12、13、5、6、7、8) 
自分ことを見つめなおし、ゲイ雑誌の編集部に転職。
「何かしら世の中を変えていけるかも」と使命感を持つ。が、職場の人間とぶつかり5年ほどで退職。

25~28歳ごろYear Cycle #8~11)  
実家に戻り引きこもり。その後実家が引っ越すことになり実家を出る。

28歳ごろ  Year Cycle #11) 
中村うさぎさんに出会う。
「アンタは書くべき人間だ」と言われ、マツコデラックスの名前でコラムニストとしてデビュー。


29歳ごろ  ear Cycle #12) 
中村うさぎさんの対談集に当時無名ながら抜擢。

33歳ごろ Y ear Cycle #7) 
TOKYO MX 「2時に夢中!」に出演。

34歳ごろ Year Cycle #8) 
TBS 「ピンポン!」に出演。


36~44歳

Cycle#8/Pinnacle#9/Challenge#7
冠番組がどんどん増え、まさにこれまでやってきたことが結果に出るサイクル#8。
でもその達成に甘んじることなく、忙しさの中でも自分がブレることなく、良い環境に身をおいて高い意識をもつことが大切。
精神性に目覚め本来の自分を内省していくことで更なる飛翔があるでしょう。


37歳Year Cycle #11) 
フジテレビにて自身の冠番組「マツコの部屋」開始。

39歳Year Cycle #11) 
ラジオでも冠番組「井筒とマツコ禁断のラジオ」開始。
「マツコ&有吉の怒り新党」「マツコの知らない世界」など開始。

40歳Year Cycle #14) 
「月曜から夜更かし」開始。

43歳Year Cycle #8) 
「夜の巷を徘徊する」「マツコ会議」開始。その他、多数出演。
最愛の母が他界。



45~53歳

Cycle#8/Pinnacle#9/Challenge#9

54~歳
Cycle#19-10-1/Pinnacle#11-2/Challenge#9

現在44歳のマツコさんは、今後このまま順調に成功を収めつつ、よりスピリチャルな、全体意識へと移行していくでしょう。
カルミックナンバー#19 がありますので、最終的に自我を超えて、真の力のあり方を普遍の真理を学ぶことによって自立し、本当の意味での自信と威厳を現実社会で確立することを学ぶでしょう。




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マツコさんは昭和一桁生まれの慎ましいご両親の元に生を受けました。
母が39歳という、当時にしては高齢にて授かった大事な一人息子であっただけに、マツコさんは「女装でゲイ」ということをなかなか家族に打ち明けられず、苦悩されていました。
そこに「無職」という状況が加わった引きこもり時代はなおさらです。

特に内面で女性性を持つマツコさんは特に母親との関係が良好ではなかったようです。そんな中自宅が引っ越しすることになり、母親から並々ならぬ気迫で「今度の家には連れていけない。自分ひとりでなんとかしなさい。」と言われ、そこからボロアパートに引っ越し、消費者金融からお金を借り、執筆活動やドラッグクイーンなどをしてどうにか生活してゆきます。

その後徐々に売れてきて、処女作出版後はテレビ出演の話しが殺到するも、「母に見られたくない!」の一心でメディアへの露出をさけていました。ただ一回「サンデージャポン」に出演したものの、その結果はマツコさんの思うようなものではありませんでした。
「まともにコメントしたところで、結局はアタシの化け物ぶりが強調されるだけで、だだ醜態を晒すだけになってしまい、両親に申し訳ない、全国の同性愛のみんなに申し訳ないって、ひとりになった途端に号泣したわ。(中略)そのときアタシは思ったわ。ほかの出演者と同等に扱われるためには、同性愛者でもなければ、もちろん女装癖でもない彼ら、彼ら以上の力を手にいれなければならないって。」

その後、母親にみられないようにローカル局で力を蓄え、今のマツコさんへ成長してきたのです。マツコさんはこのローカル番組を母親は見ていないとずっと思っていましたが、なんと実は見ていた!という衝撃の手紙を母親から受け取ります。最後の一文は「今日も5時の生放送をみます」だったそうです。

「思わず大笑いしちゃったわ。そして孤独ではない自分を再確認し、号泣したわ。そんなあたしは絶対的孤独に耐えられるのだろうか。孤高の自由を手に入れられるのだろうか。」

マツコさんの最近の言葉に“孤独”がよく出てきます。
マツコさんのように少数派で時に社会的弱者になりがちな方は確かに孤独と向き合うことを余儀なくされることがあるでしょう。でも一方で差別されていて仲間外れだからこそ、誰にとっても“敵”にならない“ことを、毒舌であってもひとから嫌われない理由としても挙げています。


私たちは人生の中で、日々の生活の中で、当たり前のように、役割を生きています。
娘として、妻として、母として・・・いつの間にかそういった役割に存在意義を見出し、いつしか自分不在になっていることが多いのではないでしょうか。マツコさんのお母様が断腸の思いで、母の役割を手放し、マツコさんを突き放したことを契機に、今度はマツコさんも、男だとか、息子だ、長男だ、といった役割を全部とりのぞいて、男性・女性といった性を超え、そんないくつもの役割の先にある自分本来の光をつかんでいったからこそ、大きなチャンスの流れにのり、今の成功がつかめたのではないでしょうか。

惜しくも今年最愛のお母様を亡くされたそうですが、マツコさんがマツコさんとして活躍されていることをきっと天国から温かく見守っていらっしゃることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。

マツコさんのリーディングを通じて・・
自分らしく生きる。本当の自分に再生して生きていく。
私たちはいつだって、何回だって変わっていけるんだ!
私が本当に知りたかった答えがそこにありました。

最後に・・
偶然にも私とマツコさんは誕生日が同じ、Year Cycleも同じで、しかもひとりっ子など共通部分があることがわかりました。
彼女に勇気をもらって、私も自分を信じようと思いました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




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Reported by
AEONS Numerology Basic the 11th Class
Yuka in Meguro class
# by kej000 | 2016-12-14 11:23 | 数秘レポート

自分のじゃまをするやつは、たいてい自分なのだ*糸井重里

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糸井重里
ITOI SHIGESATO
1948年11月10日生


群馬県前橋市
コピーライター、エッセイスト、タレント、作詞家など多くの顔を持ち
株式会社ほぼ日 代表取締役社長。日本モノポリー協会会長。妻は女優の樋口可南子




Birth Number『深層意識』 

#25-7   7  飛躍

探究心、独創性、分析力と直観力のナンバー
専門家、マイペースを示す数字です。物事をあらゆる角度から深く分析したり興味のある分野に関して非常に詳しい。不思議なことに興味がある。また興味のないことには目もくれず少し凝り性なところがあるでしょう。ですので中途半端になるのを嫌い納得いくまでは気が済まない性格でもあります
現状に満足せず、絶えず自らや未来を変えていこうとする意志や力や内的情熱を秘めている人。

べたつきは好まないまでも友情には厚く意外な社交性を発揮することがあるでしょう。ただ基本的には一匹狼タイプなので共同でやる作業よりも、単独作業や活動向きといえます。コピーライターというゼロから生み出していくクリエイティブな仕事に大変向いています。僕は「仕事をするのが嫌」というのが前提としてあるんです。小さいときから会社に勤めるのが怖くてしょうがなくて。夢に見るほど嫌でした。「何時から何時 まで会社に来い」と言われて喜んで来る人がいるとは、僕はいまも思っていません。皆いつでも「どこかに遊びに行きたい」と思っている。そのことを前提に組織や仕事のあり方について考えてきたというのが本音なんですねとご本人もおっしゃっています。

「仕事は無いけど儲かっている」より「仕事は忙しいけど稼ぎが少ない」ほうが、より楽しいのではないかと常に考えている。オリジナル商品の「ほぼ日手帳」も手帳に満足した覚えが無かったため「自分が欲しい」が動機で売れる物なら何でも売りたいというのではなく、商品も読み物も、すべてコンテンツ『やりたいことしかしたくない』と。

僕は、バンドマンが観客を呼ぶために工夫するのと同じようなことをやってきました。ミュージシャンが最初にギターを習うとき、ギターでどう稼ぐかではなく、「どういう音楽をつくりたい」「どういう演奏をしたい」といったことを真っ先に考えると思います。利益や売上、顧客の価値について考えるのはずっとあとになってからだと思うんです。たぶん僕も、「まず音楽がつくりたかった」というミュージシャンと同じような感覚で経営してきたと思います
この発言も、物質的な利益より夢や希望を大切にする#7らしい発想だと思います。


Destiny Number『表面意識』
#66-12-3   3 発展

表現、生産、社交的、育む
いつでも楽観的であり陽気で前向き多くのことに興味を持つ人生。豊かな表現力を活かしてクリエイティブな仕事は天職です。成功を左右する最大のカギは人脈の開拓であり、多くの人と接して沢山の意見や情報を得ることが大切です。糸井さんは多種多様なジャンルの方々と交流し、色々な方面でのチャレンジ、活躍を見ていると#3を存分に活かして社会に打ち出しているのだと思います。社交的で、いつのまにか人気者になって他者からサポートが受けられる人ですが、自分の事務所のスタッフの友人であるみうらじゅんが盛んに出入りするようになり、それを「ガロ」の編集部に紹介し漫画家デビューのきっかけをつくるなど、自分だけでなく人の幸せも願える人です。
                       


Soul Number『魂の欲求』
#45-9-9   9 完結

#9はすべてを受け入れるという意味です。
人の影響を受けやすい数字ですが、自身も周りに大きな影響を与え感化させていく人です。
Soul#9は思いやり深く包み込む愛。絆の深い結婚。

1981年に一般女性と結婚し娘が生まれたものの、翌年の1982年には樋口可南子との不倫が発覚。その際、糸井さんは報道陣に対し不倫を認め、妻も不倫を容認しており、樋口さんも不倫関係で納得しているという「公然不倫」の状況でした。その後、離婚が成立し晴れて不倫関係を清算し結婚に至りました。ふたりの結婚生活は現在も良好で、「ほぼ日刊イトイ新聞」に樋口さんが登場したり、樋口さんの著書に糸井さんがアドバイスしたりと、公私ともにかけがえのないパートナーとして夫婦生活を歩んでいるようです。

(絆の深い結婚)
おふたりの間に子供はいません。糸井さんには娘が一人いますが、その娘が大きくなり、状況が分かるようになってから樋口さんと一緒になりたかったそうで、その結果が10年以上の不倫ののちの結婚だったようです。娘さんは「あんだ」というペンネームで「ほぼ日刊イトイ新聞」にもたびたび登場しています。そこでは糸井重里に対する思いや、幼いころの思い出話も披露しており、親子関係はいたって良好なようです。

(思いやり深く包み込む愛)
仕事に関しても、僕はただ、「こうしたら人が喜ぶんじゃないか」「こうしたら自分が気持ちいいんじゃないか」と思うことを中心にやってきたんです。自分だけのために、自分が決めたことだけをやるのは、なかなか困難なことなのだけれど、誰かのためにもなることは、あんがいやれるという気持ちも#9の全体意識、人類愛からきています。


Personality Number『社会的なペルソナ』
21-3-3   3 発展

#3は周りの人からはおちゃめな遊び人とみられます
日本モノポリー協会会長、バス釣り、巨人の大ファン、徳川埋蔵金探しなどと多趣味多忙なひとです
いつまでも若々しく明るく開放的なのでいつのまにか人気者になっています

Destiny Numberも3ですし、仕事も遊びも楽しく陽気に表現できます。さらにSoul Number#9の寛容さを備えているので、周りの人に対しての包容力も持ち合わせているので「僕の理想は、国でいえばブータンのような会社なんです。小さくても、国民総幸福量という独自のコンセプトを打ち出して、存在感を示している。「ほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞)」も同じで、売上や成長率はちっぽけでも、多くの人にいい影響を与えることができたら、と考えているんです」という姿勢で人と接することができるのでしょう


Realization Number『目指すもの』
10-1   1 絶対
開拓精神と行動力で常に新しいステップへ踏み出していける人です。
興味の無い物には無関心な部分もありますが基本的に不可能はなくリーダーとなり模範になります
自らの意志で決めていきたいので、上司や権威者と衝突することもあり対人関係が見方か敵かに分かれる傾向もあります

また、古いものを壊し、新しいく創造する開拓者の素質も持っています。行動していく中に失敗もありますがその経験を次ぎにいかせる強みへと変えることのできる人です。
直観を信じコツコツと自分の創造性を表現して踏み出していくことが大切です。
2015年コピーライター引退宣言をしました。既にコピーライター以外の多彩な分野で活躍されているので引退を宣言する必要もないのでしょうが、「自分が薦めたい商品ならいい。

でも、もっと改善できるはず、なんて思ってしまうと、納得して商品を語れない。だからコピーライターはやめました」
「エルメスにキャッチコピーはないですよね。よいコピーをつくることと、売れるものをつくることは別。よくないものをコピーで売るなんて、やめたほうがいい」
と#1らしく、自分がどう生きたいか、表現したいかという自己主張をし、破壊→創造の一歩を踏み出していきます。


Stage Number『舞台』
33-6   6 調和
美と調和のナンバー。身の回りの環境や持ち物などセンスのよさが光ります
愛情や家庭のナンバー。家族や身の回りのひとを大切に守っていく責任感を持つ

Challenge Number
17-8   8 秩序
自己信頼と能力の育成。地道な努力を続けより高い新しい可能性を開拓していく




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Cycle Number


0〜29歳 
cycle# どのようなことを学ぶ時期か = 2
pinnacle# どんな状況の時期か = 3 (21)
challenge# 与えられた試練・課題 = 1


幼少時から漫画好きで、漫画家に憧れていた。
高校の頃は文学青年の友達ができアングラ文学などに目覚める、文化祭で「ハプニング」的なことを企画するなど感受性が豊かで人の気持ちを敏感に察し、うまく合わせていくことの出来る時期
多くの人との出会いを通して、視野を広げて沢山の経験から自分を表現することを楽しんでいけた時期です
勤めていた会社が倒産し、フリーになる行動力と明確な目的づくりが必要となりました。

30〜38歳
cycle# 1 = pinnacle# 5 (32) = challenge# 3

#1らしく、自信に満ちあふれ、開拓の精神で創造していく時期、行動力もあり新しいことにチャレンジする時期
沢田研二のTOKIOの作詞をはじめ矢野顕子、矢沢永吉、松本伊代、忌野清志郎など多くの作詞をしたり、自身の名義での処女出版を刊行。「東京糸井重里事務所」設立
NHK「YOU」の司会も担当。西武百貨店の「おいしい生活」などのキャッチコピーでコピーライターとしても脚光をあびる。#5の自由、冒険心をフルに活用して「新しい風」をおこし形になったものを外向きに活発化して「コピーライターブーム」をよんだ。


39〜47歳
cycle# 1 = pinnacle# 8 (53) = challenge# 2

今までの経験、体験からの自信も万能感ある時期ですが状況が#5から#8に変わったことでさまざまな力の中でのバランスやコントロールが必要な時期のためこのサイクルに入ったころは「外部の人との交渉の席でもっと偉い人出しなさいと言われた。こういう僕とは全く別の理屈を持った人たちを巻き込んで仕事をしていかなきゃいけないという理不尽を感じた」そうです。「ゼロになることを意識するように心がけた」バランスを学び受け入れるようにするとよい時期です


48歳〜
cycle# 4 (22) = pinnacle# 6 (33) = challenge# 2
#22-4マスタービルダー

現実社会での大きな事業の取り組みが出来るナンバー インスピレーションが働くので才能を活かして開拓していけます。結婚、離婚 、死別など家族の問題から内面の強さを養う時期
変化を受け入れ思いやりと暖かさをもたらしていくことが大事です
既に自分の会社は立ち上げていましたが、このサイクルに入って、この先の糸井さんにとって重要なワークとなる「ほぼ日刊イトイ新聞」を始めたことは#22マスタービルダーなのだと思います。従業員たちを「乗組員」と呼び 毎週水曜日にそれぞれのやりたいことを提案、会議して進めていくなどはPinncle#6。仕事とは別の自分が良いと思ったものとのコラボするなど、まさに#2の調和、バランス。イメージの世界での価値ある創造物を現実社会で具現化すること、です。




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Hisutory


1948年11月10日 #25 
群馬県前橋市出身。生誕後に両親はすぐ離婚し、司法書士であった父親の元に引き取られ祖母に育てられる。その後実母と再会したのは1981年(31歳)だという。

1956年 8歳 #24
父親が再婚

1963年 15歳 #22
群馬県立前橋高等学校に入学

1966年 18歳 #25
法政大学文学部日本文学科に入学

1968年 20歳 #27
デザイン事務所「サムシング」に就職

1969年 21歳 #19 カルミックナンバー
栗田工業主催 TVCFアイディア賞で銀賞受賞
#19自立し本当の意味での自信を現実社会で確立していくことを学ぶナンバー
大学中退して友達に薦められて「宣伝会議」のコピーライター養成講座に通ってるうちそのままデザイン事務所に就職してこの賞が自信になりこの先の仕事につながったのだと思います

1971年 23歳 #21 発展
TVCF 金賞受賞

1973年 25歳 #23-5 変化
「サムシング」倒産。そのままフリーとなる。 同年、宣伝会議賞受賞
変化の年にフリーになりました

1975年 27歳 #25 飛躍
「このジャンパーの良さがわからないなんて、とうさん。あなたは不幸な人だ!」のコピーで東京コピーライターズ新人賞受賞
コピーライターとして大変大きな受賞となります

1976年 28歳 #26 秩序
漫画雑誌「ガロ」の編集者の南伸坊の依頼で。糸井が原作。湯村輝彦が画の「情熱ペンギンごはん」シリーズ発表
7月「さよならペンギン」を刊行

1978年 30歳 #28-10-1 完結
矢沢永吉の自伝本「成り上がり」の構成、編集を手掛ける。同書はベストセラーを記録した
2桁最後の年 #10−1この仕事は糸井さんの一世一代の大仕事、「おいしい生活」でも「不思議、大好き」でも無くこれが代表作と言われています。

1979年 31歳 #2  2桁から1桁になった芽吹きの年
「東京糸井重里事務所」を設立
沢田研二の「TOKIO」の作詞を担当「スナック芸大全」刊行

1980年 32歳 #3 発展
サブカルチャー雑誌「ビックリハウス」で「ヘンタイよいこ新聞」を担当
その関係で新進気鋭のミュージシャン、アーティストとの交際も始まる
12月 「ペンギニストは眠らない」刊行

1981年 33歳 #4 安定
結婚 女児誕生

1982年4月 34歳 #5 から 1985年3月 37歳 #8
NHK の若者向け番組「YOU」の司会を担当

1982年 34歳 #5 変化
西武百貨店の「不思議、大好き」「おいしい生活」などのキャッチコピーでコピーライターとしても脚光を浴びる  女優、樋口可南子と不倫

1989年 41歳 #3 発展
ゲーム製作の為の会社「APE(エイプ)」を設立。製作した「MOTHERシリーズ」はカルト的なファンを生んだ

1993年 45歳 #7 飛躍
女優、樋口可南子と再婚
Birth Number 7 で、#7の年には大きな飛躍を体験されています
Cyvle3の時なので前向きに明るく行動できたでしょう

1998年6月6日 50歳 #12-3 発展 
「ほぼ日刊イトイ新聞」開設
大切にしているのは、「やりたい」という気持ち(動機)で最初は事業と思っていなかったウェブサイトですが創刊日から一日も休まず毎日更新をつづけています。企業や元請けの広告代理店の事情が優先されて、自分の動機とは重ならなくなってきたことがきっかけで自分で決められる仕事をやりたいと思って始めたのも
cycle3-12(表現、開放)の年だからこそだと思います

2001年 53歳 #6 調和
雑誌「インパク」の編集長を務めて話題となった

2015年67歳 #11 霊性
コピーライター引退宣言
cycle5-11(変容、自由)引退がコピーライターという仕事を全否定するものではないのだと思いますがこのサイクルは自由な為に変容する年ですのでコピーライターという枠内だけの仕事でではなく商品作りなどからの総合的な仕事をしていくということなんだと思います。

2016年 Year Cycle 5-11 67歳
今年は変容の年です。新しい体験が訪れます。転居や異動により人間関係、家族構成になにかしらの変化がおこりそうです。コピーライター引退宣言というのもこの流れの乗っての考えなのだと思います

2016年 12月1日 11月10日でYear Cycle12
「東京糸井重里事務所」の社名を「ほぼ日」に変更しました
糸井さんの挨拶の中で
東京糸井重里事務所にも愛着がありますが、ほぼ日刊イトイ新聞をスタートさせて、個人の仕事を管理する
事務所でなく、はっきりと「チーム」でなにかを実現させていく会社に変化してきたからです
新しい名前を10年以上もずっと考えていました。紺屋の白袴というけれど、紺屋としては一生懸命になりすぎていてなかなか染め替えができませんでした。



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糸井重里さんをよんで

糸井さんはcycle4-11 40歳のころを「暗いトンネルに入ったみたいに辛かった。絶対に戻りたくないというくらいに。自分がまだ何者でもないことに悩む。30歳を迎える時の辛さとは別物」と語っています。

「今までの円の中だけにいる」ことが出来なくなる。自分でもうすうす今までのままじゃ通用しないと感じている。別のコンパスで描いた円に入っていって、今までとは全然違うタイプの力を発揮しなきゃいけない。その時、自分が万能じゃないし、役に立たない存在だと突きつけられる。

30歳頃、生まれてきてから続いていた2桁から1桁になった時に会社を設立。
50歳頃、ライフワークとも言える「ほぼ日刊イトイ新聞」を始める。

社名を変えようかと思い立つ頃も、今年12月に社名を変更したのもすべてYear Cycle11前後の時期に大きな変化の波にキチンとのって物事を動かしてきています。

私が中学生の頃に糸井さんの「ペンギニストは眠らない」という本に出会ってからずっと、好きだなって思っていましたが、今回初めて誕生日が一緒だと知りました。

同じナンバーも多く「読みやすい」と安易に考えたのですが、全く逆でした。「見たくない」です。
『ちゃんとメシ食って、フロ入って、寝てる人には敵わない』最近の糸井さんの記事です。
つまり、毎日のキチンと過ごすことが大切ってこと。究極です。できそうで簡単にはできないです。
そして、今の私には気づくことはできないこのような発想も、Cycleに気づき辛くてもそれを受け入れ進んできた糸井さんだからこそ行き着いたのだと思います。
最後も糸井さんの言葉です。


『自分のじゃまをするやつとは、たいてい自分なのだ』


Reported by
AEONS Numerology Basic the 10th class
Mayumi @ Yokohama class
# by kej000 | 2016-12-13 22:43 | 数秘レポート

神が与えた光・エトワールとしての輝き * イザベラ・シアラヴォラ




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Isabelle Ciaravola
イザベル・シアラヴォラ
1972年3月12日生



パリ・オペラ座のエトワールとして輝いた、イザベル・シアラヴォラさん。オペラ座きっての“女優”バレリーナとして広く愛された彼女は引退後もバレエに親しむ人々の心をとらえて離しません。有名なバレエダンサーは数多くいますが、その中でも個性際立ち、かつ現在も精力的に活動する彼女の魅力を、数秘によって紐解こうと思います。


 Isabelle Ciaravola イザベル・シアラヴォラ
 1972年3月12日生 元 パリ・オペラ座 エトワール (2014年引退)

 

【誕生数BirthNunmber】生まれ持った資質・・・♯7(25-7)

 7は飛躍、探究心、創造性のナンバーです。
 伝統のパリ・オペラ座に所属するダンサーの中でもトップ(主役)のエトワールになるまで、彼女は11回の昇級試験を受けました。というのも、18歳でオペラ座に入団してから、エトワールに任命される37歳までの間、19年の時間を要したのです。
(オペラ座ではダンサーは5階級のランク付けがされています。下から、群舞をする“カドリーユ”
 →出番の多い群舞は“コリフェ”→セカンドソリストの“スジェ”→ファーストソリストの“プルミエ”→主役・花形ダンサーの“エトワール”の順でピラミッドのような階層構成です。)
 在籍中、何度も受けてきた昇級テストは大嫌いと語るも、意思と夢をもって努力すれば誰でも上達するものだと思っている、と語り、エトワールに任命されるまでの間、一心にダンスの技術や演技の表現力に磨きをかけました。

 長い下積み期間にバレエを辞めたり、他のバレエ団に移りたいと思ったことはあったか、というインタビューに対しては、「若いバレリーナが出て自分は忘れられてしまうかもしれない、自分の在籍や進退が危ぶまれたとしても、オペラ座でエトワールになることを追い求めてきた自分のこれまでのことを思うと後悔したくない」という気持ちで自分の可能性を信じ踊ってきたと話しています。
 7というナンバーの持つ深い自己認識と、あきらめそうになる心…つまり感情を知性により支え、ひたむきな情熱で努力するという波動が、彼女の姿に重なります。


【運命数DestinyNumber】         ・・・♯3(12-3)

 3は“発展・表現・真実の解放・楽観”のナンバーです。
 彼女と3のもつ波動を重ねたとき、“表現力の高さ”というのが際立って感じられます。というのも、彼女はオペラ座きっての“女優”バレリーナとして活躍していたからです。
台詞・言葉が一切ないバレエの舞台は、ダンサーの表情や踊りといった表現と音楽で物語が作り上げられています。彼女の踊りからは、特に一つ一つの動きや表情、間の取り方が独特で、言葉というものを超える表現力を感じることができます。また、数々のドラマチックな作品に出演し、その演技力が高く評価されていることを考えると、3という数字の持つ“表現する分野で、見る人に精神的喜びを与える”というのがぴったり当てはまります。

また、12という数字も持っている彼女。この12という数字はコラボレーションナンバーともいわれ、誰かと組むことで道が開けるという意味があります。基本的にバレエの舞台では男性のソリストと組んで演技をしており、彼女の場合は息の合う男性パートナーに恵まれ、彼女自身だけでなく相手のパートナーも高く評価されることが多かったようです。そして、近年ではバレエコスチュームなどを大手メーカーと共同で制作しています。まさに、“コラボ”して道が開けています。


【ソウル数SoulNumber】魂の本質、求めるもの・・・♯2(11-2)

 2は“相対・受容”のナンバーですが、ここでは11も持っているので、11の持つ“霊性”という要素も濃く出ています。
 バレエを踊るにあたり、持って生まれた才能について考え、悩むことは避けては通れないことだと思います。これについて、彼女は才能について考えるより、まず自分自身の個性を表現できるよう励むこと、そして自己受容の大切さを語っています。また、どんなにやる気が起きないというときも、レッスン場にひとたび出向くと、そこで流れている音楽の波動に反応するように体が目覚め、自然と動き出すといいます。11の持つ霊性・感受性の強さ、理想に向かう揺るぎない意志、自分の理想を自らが体を使って踊り、表現することで具現化していくということを魂が求めているのでしょう。


【人格数 PersonalityNumber】・・・#1(10-1)

 10はスピリチュアルナンバーであり、カルミックナンバーです。彼女の経歴でも大きな転機が何度かあり、それぞれの節目で起きた出来事によって、それ以前と以後とで周囲の状況や環境・世界が大きく変わっていることから、カルミックナンバーの10が持つ、人生のある時期に天命の道に導かれるという特性が出ています。

 パリ国立音楽院(コンセルヴァトワール)に入学した時は、エトワールになるという志を固めたころでしょう。そして引退した今は、自分のこれまでの長い下積みの経験から、若手や後進をバックアップするために講師の職へと進み、ダンサーの育成に情熱をかたむけています。いずれも、対社会・対周囲の状況に対して起こす行動は、バレエという芸術の美しさ、そして表現することの喜びと素晴らしさを伝えたいという一貫した思いからくるものです。美や芸術という普遍の真理についての探究者として生きる道、そしてそれに向かう彼女の一途な思いとパワフルな行動力は、10の持つ“カルマを果たし、天明の道に進み人道的な目的で人に癒しを与える”波動や、1の持つ“行動力、決断力、絶対性、新生”という波動を受けてのことに違いありません。


【実現可能数 RealizationNumber】今世で実現していくこと・・・♯1(10-1)

 ここでも、前に挙げた人格数と同じ1、カルミックナンバー・スピリチュアルナンバーの10が出ています。
 1の持つ“絶対性、ピュアさ、独立”は、引退した現在は講師職を母校でつとめつつも、世界各地の講習会に出向き、バレエ用品のプロデュース業もこなしているところから、それが十分できるだけの行動力や計画性の高さを裏付ける要素です。

 さらに、彼女は東日本大震災の後、他のオペラ座のエトワールとともに被災地でのバレエレッスンを行い、経済やその他の事情でバレエレッスンを受けることが厳しい子どもたちのために行われる、ユネスコのダンス教育支援プログラムに参加するなどの社会貢献活動をしています。これは、10という数字の持つ“社会貢献”の波動から来るもので、彼女だからこそできることで、世に役立とうと、自らのエネルギーを発揮しているのでしょう。


【活躍の場 StageNumber】・・・#9

 活動の場は、9の“集合意識に働きかけ、芸術という切り口から、人を教化し導く”というものです。
 インタビューの中で、彼女は教えることに情熱がある、と語ります。プロダンサーの養成、アマチュアダンサーの講習といずれもジャンルを問わず、受講生の進歩を見つめ、かつ教えるという家庭の中で彼女自身も学び続け、進歩したいと言います。
 きっと、指導者としてのキャリアを積み、その名を知られるようになるでしょう。

【現世で生涯をかけて挑戦していくことChallengeNumber】・・・#2(20-2)

 1ケタ目に0、2ケタ目に2がくる“20”とうスピリチュアルナンバーを持っています。
0は“霊性の高さ”、2は“受容、協調”を意味しているところから、彼女自身がインスピレーションからくるイメージなどを受け取り、それを周囲と協調しながら、かつ真意が受け入れられるよう表現・伝えていくことが課題です。

 どんなダンスプログラムや企画も、授業を思い付いても、周囲との協調と協力がなければ成しえませんし、受け取る側の反応を予想したうえでどうアプローチするかを考えないと、せっかくの良いひらめきも生かすことができません。彼女の持つ絶対、唯一無二の強みを生かすための課題を、20という数字が示しています。




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【周期ごとで見る人生の道筋】

CycleNumber(サイクルナンバー)…何を学ぶかを示す 
PinacleNumber(ピナクルナンバー)…状況を表す 
ChallengeNumber(チャレンジナンバー)…与えられる試練や課題について示す


1:
0~29歳…サイクルナンバー#3、ピナクルナンバー#6、チャレンジナンバー#9
3の表現・クリエイトするということを学びながらも、おかれた状況は6の自己と周囲や環境との調和であり、かつ美にまつわる環境に触れることのできるものでした。そして、課題としては9の持つ“芸術分野での才能を発揮していくこと”、が現れています。

2 :
30歳~38歳…サイクルナンバー#3 ピナクルナンバー#4 チャレンジナンバー#2
引き続き、3で表現することを学びながらも、状況は4の表す通り、下積みや訓練をして自分の素養や地盤を固めること、試練は2で、様々な経験を受け止め自分のものにしていくこととなります。

3 :
39歳~47歳…サイクルナンバー#3 ピナクルナンバー#1 チャレンジナンバー#7
学ぶことは変わりませんが、状況が1の波動へ移行しています。下積みから、自分を強く光輝かせ、主役として立つという状況に変わったのです。また、試練としても7へ移行したので、可能性を信じてこれまでの自分を解放し、ステージアップを図るという流れになりました。

4 :
48歳以降…サイクルナンバー#1(19-1、10-1)
ピナクルナンバー#4(22-4) チャレンジナンバー#2
学びとしては、カルミックナンバーの10や19が出ています。10の再誕生や19の力…どちらもカルマの清算に取り組みながら、人道的な面で社会貢献するために表舞台にさらに出ていくことや、自分のこれまでの殻を打ち破るための試練に臨み、さらなる自己の確立と自信・威厳を強く世に出そうとしていくことを学ぶようです。また、状況としては22の“創造”…あらゆる分野の創始者になるという波動と、4の地盤を固めていくという波動から、新たに生まれ変わった自分の基礎を強固にしていく様子がうかがえます。試練のナンバーは2なので、壮大なテーマに臨む状況のなかで、ドラマチックな変容の場面に直面しても、それを受け入れていくことや、忙しさと自分自身のプライベートとのバランスをとっていくことが課題です。

彼女は現時点で44歳なので、これから最終周期で予想される48歳以降の動きがとてもドラマチックなものとなりそうです。




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【彼女の年譜】


0歳・・・YearNumber#25
 フランス・コルシカ島のアジャクシオに生まれる。両親は楽器商を営んでいました。
 生まれたころから12歳まで、20番台の数字が並んでいます。幼くして、知らず知らずのうちに精神的な学びを深めていったはずです。きっと、感性も磨かれていったのでしょう。

13歳・・・YearNumber#2
 パリ国立高等音楽院(コンセルヴァトワール)に入学。
 前年度で20番台のイヤーナンバーが並ぶ周期が終わっています。心機一転、目指す目標への扉をたたき、新たな世界へ踏み込んでいった年です。2番、“受容”の数字から、新たな世界を受け入れていった年ともいえます。

16歳・・・YearNumber#5
 パリ・オペラ座バレエ学校に編入。
 初めからオペラ座バレエ学校に入れれば良かったのですが、バレエを始めた年齢が遅かったため入学試験を受けることができなかった彼女。13歳で入った音楽院のなかで1位の成績をとったため、目標の学校に編入するという道に進むことができました。
 変化と自由を表す5番、またひとつ彼女の世界が大きく変わった年だということを示しています。

18歳・・・YearNumber#7
 パリ・オペラ座バレエ団に入団。群舞(カドリーユ)のクラスに在籍する。
 7という“解放、そしてステージアップ”の数字が出ています。学校を卒業し、やっと目指していたオペラ座の舞台に立てるバレリーナの一人になれた年です。

21歳・・・YearNumber#10
 上のクラス、以前のカドリーユクラスより出番の多い群舞(コリフェ)クラスに昇級。
 実は、この年から次の昇級までに7年間かかりました。奇しくも、ここで出ている10番は、彼女がコアに持っている実現可能数と人格数と同じもの。スピリチュアルフォールナンバーといわれる10番は、何度も出てきた“カルマの清算”が大きくかかわってきます。最短でエトワールになれるダンサーと比べれば、苦労は多かったと思いますが、それでも運よく進めてきた彼女のこれまでとは全く別の経験・・・どんなに努力しても、時機が整わない為に、自分の思った通りの成果が出ないこともある・・・を通して、その中で苦しみなどをも味わい、もがいていたはずです。

28歳・・・YearNumber#8
 やっと、群舞のコリフェから、セカンドソリストとして踊る(スジェ)クラスに昇級。
 これまでの下積みが報われ、群衆からやっとひとりのバレリーナとして立つことができるようになりました。ここでは8番が出ています。繁栄やこれまでの頑張りが結果として出ることを意味している数です。

31歳・・・YearNumber#11
 セカンドソリストから、準主役級のソリスト(プルミエール)クラスに昇級。また、徐々に講師としての話が持ち込まれるようになります。
 前回の昇級からこの年までに、彼女は一つのイヤーナンバーの周期を終えています。これまでの流れとは大きく変わったことが分かります。また、ここで11番の“霊性”を表すナンバーが出ていることから、この時期に出会った講師職・教える仕事というのがダンサーのつぎに彼女の生きる使命として差し出されたようです。
 
37歳・・・YearNumber#8
 37歳の誕生日から約2カ月後の4月16日、パリ・オペラ座の「オネーギン」初演初日、主役のタチアナ役で踊った直後、舞台上で、オペラ座最上級にして主役格であるエトワールに任命される。
 ここでも、繁栄や成果を意味する、8という数字が出ています。ようやく、彼女の黄金時代が幕を開けるタイミングが訪れました。

39歳・・・YearNumber#10
 フランス文化勲章を受章。また、フランスだけでなく世界各国に指導者として赴くようになる。
 日本国内は東京、京都、名古屋、北海道などで指導しています。
 
40歳・・・YearNumber#11
 レジオンドヌール勲章 シュヴァリエ(騎士)称号を受勲。また、仙台での被災地支援プログラムの講師として来日。
 
42歳・・・YearNumber#13
 オペラ座・ガルニエ宮での舞台、「オネーギン」のタチアナ役で、オペラ座を引退。
 ※エトワールに任命されたときと同じ演目と配役です。
 最後の舞台では30分もの間拍手が鳴りやまなかったという逸話が残りました。
 引退後はほどなくして、母校であるパリ国立高等音楽院(コンセルヴァトワール)の講師職の選抜試験を受けたのち、着任しています。実は、この年で彼女のイヤーナンバーの一つの周期が終わりました。引退後の新たな人生のスタートの節目ということが分かります。また、ここではカルミックナンバーの13が出ています。
創造と破壊を繰り返し、常に学んで行くとともに、自分自身のエゴに傾くことなく強い志をもって、うまく進めず痛みや苦しみで行き止まった人を指導者として導いて行くという流れが見えています。





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最後に…彼女の経歴を数秘によって追っていくと、いかに一途に努力して、誰もが憧れるエトワール“輝き”を手に入れたかが分かりました。そして、感性で生きつつも、感情には流されることなく、知性で生きてきた姿も見えました。演技やプライベートショットで見せる、すがすがしい表情や軽やかな振る舞い、気品ある姿からは、想像できない葛藤もあったことでしょう。とても華やかで強い女性です。エトワールとして実際に在籍できたのは、わずか5年という短い間でしたが、圧巻の存在感で人々を魅了し、大きな賞も授けられました。まさに大器晩成で、実り多く、素晴らしい現役時代を終えた人です。

彼女の踊り、そして彼女自身の生き方は、バレエという表現の手段を介して、芸術・美というものが、人の心に力を与え、奮い立たせてくれる素晴らしいものであること、神が与えてくれたものだという、ただ純粋なメッセージを伝えてくれます。きっとそれが彼女の使命であり、彼女はこれからも喜んでその大きな使命のために生き続けていくのでしょう。

彼女についてその魅力に迫っていくうち、純粋に自分自身の中に湧き上がる喜びの中から使命を見つけること、たとえ感情に揺さぶられても、知性で自己を保つこと、使命を全うするため一途に高みを目指し努力し続けることの大切さを感じ取りました。苦境に立たされても、停滞したままに思えても、自分の中にわきあがる喜びにより行動しつ続け、また行動できることが喜びなのだという彼女の姿は、私にとって精神的なロールモデルとなりました。そう、彼女は私の中のエトワール、輝きつづける星(目標)なのです。



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Reported by
AEONS Numerology Basic the 11th class
Maya @ Meguro class
# by kej000 | 2016-12-13 22:01 | 数秘レポート

どの瞬間もが感動に満ちた人生*ココ・シャネル Vol.2



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ココ・シャネルの人生年表

ココ・シャネル 数秘で読み解くその人生については、
Report Vol.1 をご覧ください


【イヤーサイクル】

1883年8月19日フランス南西部オーヴェルニュ地方ソミュールの救済病院で生まれる。

●10歳1893年から〈光と闇を体験する時期〉

●11歳 ナンバー13(4)試練
1895年2月16日12歳の誕生日を迎える前に母のジャンヌが病死、行商人の父アルベールに捨てられ、シャネルと、姉のジュリーは孤児院に預けられ、その後6年間に渡り、厳しい戒律の下で生活しました。

●17歳 ナンバー19(10-1) 複雑な二極性(#9)/創造(#1)/インスピレーション(#0)
19は、カルミックナンバーで,カルマの負債を精算するための経験をします。自分のから抜け出ようともがく時期。1900年、17歳のとき、シャネルは、孤児院を出て、フランスのムーランにある修道院へ送られます。
修道院女学校では、中流階級の娘もおり、自分の境遇との違を感じる経験、強靭な精神力はここで培われました。一方、ここで、叔母のアドリエンヌと一緒に、親戚とよりを戻し、バカンスをともに過ごすなど、徐々に自由を手に入れます。また、叔母は帽子に興味を持っており、制作しているのを見て創造性が芽生え始めました。

●18歳 ナンバー17(8) 情熱的、野心のあるパワフルな#8
1901年、修道院を出て、田舎町ムーランでお針子として店の見習いになります。この間に、お針子としての腕を磨きました。当時つきあいのあった将校たちに連れられ、グラン・カフェで歌手になりたいと夢見るようになります。シャネルは、お針子に留まらず、昼のお針子の仕事の傍ら、夜は歌手を志してキャバレーで歌い、オーディションを受け、芸能界への道を目指していました。

●19歳 ナンバー18(9)名声や富・地位を表すナンバー(#8)/完結の#9
この頃交際していた将校であるバルサンに伴われてパリ郊外、バルサンの牧場へ移り、過酷な環境から、抜け出したのです。そこは、ブルジョア階級の友人達の社交場となっていました。
20歳1903年より④<基盤を作る時期>

●26歳 ナンバー19(10-1) 
真の力のあり方と普遍の真理を学ぶこと時期で、自立し、本当の意味での自信と威厳を現実社会で確立していくことを学ぶナンバーです。
シャネルは、バルサンの屋敷で、乗馬を楽しみ、乗馬服で最初に服装革命していきました。当時は、スカートで横座りするのが普通だったのですが、シャネルは、ネクタイを締め、カチューシャに、ジョッパーズを履き、周囲に衝撃を与えました。また、当時の装飾華美の帽子に違和感を感じ、シャネルは、その装飾を取り払い、シンプルなデザインのものを自分で作って次第に評判になり自信を得ていきます。
1909年、制作していた帽子のデザインがそこで認められ、バルサンの援助により、パリへ移り、友人のために帽子のデザインを始め、自立への一歩を踏み出しました。

●27歳 ナンバー20(2)霊的な能力を豊かに発揮していくナンバー(#20)
1910年、バルサンと別れ、その友人で、一生涯愛する人物となるイギリス人青年実業家ボーイ・カペルとの交際を始めました。ボーイ・カペルの資力を借りて、パリのカンボン通り21番地に「シャネル・モード」という名で帽子専門店を開店します。女優や、オペラ・コミックの歌姫の帽子もデザインし、話題となり才能を発揮していきました。
30歳1913年より⑤<変化の時期>~第一次世界大戦~

●30歳 ナンバー14(5)新しい風(#5)直観力で独創性を追求し(#1)基盤を創る(#4)
 1913年、カペルの資金援助により、当時流行となっていた海水浴場ドーヴィルに二号店を開店します。そこは、一流ホテルやカジノのが建ち並ぶリゾート街でした。
また、#14は、過去生における「自由」の誤用を今世で理解するためのナンバーで、衝動的な欲求を克服し、真の建設的自由とは何かを学んでいきます。シャネルは、帽子から服へと移行し、自分の体形に合わせて服を作り、脚光を浴びます。妹のアントワネット、叔母のアドリエンヌもモデルとなって、海岸を闊歩し、歩く広告塔のように、独自のスタイルを積極的に売り込み、顧客を増やしていきました。

●31歳 ナンバー15(6) 直観力で独創性を追求し(#1)、環境の変動(#5)の中も、喜び活動する(#6)
 1914年8月3日、第一次世界大戦が開戦。周囲の店が次々と閉店していく中、二人は様子を見ようと、店を続けることにします。1915年7月には、ボーイとココを連れて優雅なリゾート地、ビアリッツに保養に出掛けた時、直観力から、ここが、三軒目の店舗を開くのに最適な場所と判断、オートクチュールの店、「メゾン・ド・クチュール」をオープンします。店は贅を尽くして建てられました。シャネルは、「世界は滅びようとしていた時、他の何かが生まれようとしていた。私は、何かを進めるチャンスだと思い前進した。」と、直観力で変化を読み取る力のを感じさせる言葉を残しています。
富裕層を狙った一着数千ドルもする高級ドレスは、飛ぶように売れました。誰よりも先に、こうした服飾分野をオート・クチュールの商売に取り入れて利益を上げるファッション産業にしたのです。多くの店が閉店する中、実用的で、シンプルなスタイルを追求し続け、さらなる発展につながりました。

●32歳 ナンバー16(7) 直観力で独創性を追求し(#1)、飛躍(#7)のナンバー
1915年9月、始めるのにいいとされるナンバー7の年、ビアリッツにて、初めてのコレクションを開き、デザイナーとしてのデビューを飾ります。独創的、デザインの服は、初めて開いたコレクションを魅力的なものとしました。

●33歳 ナンバー17(8) 直観力で独創性を追求し(#1)、飛躍(#7)に向かう、達成(#8)のナンバー
1916年、コレクションを発表し、大成功を収めます。当時、在庫で残っていたジャージー素材を買い取り、動きやすく、それまでのように身体の線を強調しないドレスをつくり、話題となりました。従来の常識に囚われず、新しい素材を試し、革新的なスタイルを提案していきます。
このころ、店の従業員は、前年度60人だったところ、300人を超え、ボーイへの借金を返済。長年の夢を実現させ、経済的に自立した女性実業家となりました。商品をいくら作っても足りない状況で、衣類用の布地は不足していましたが、かつての恋人、バルサン(繊維業の家の生まれ)のつてを辿って調達していました。

●34歳 ナンバー18(9) 優れた直観力でオリジナリティを出し(#1)達成(#8)完結(#9)に向かう
1917年、空襲に度々見舞われ、激しくなってくると、防空壕の中で着られる気軽なスーツを売り出しました。貴婦人階級もコルセットやドレスの着付けを手伝ってもらう召使いを雇う余裕がなく、ひとりで簡単に着られる服が必要になっていたのです。また、人手不足で、女性も働く必要があり、動きやすい服装が社会に求められており、シャネルは新しい女性の理想像をファッションで表現していきました。

●35歳 ナンバー19(10ー1)新たな時代の始まり(♯1)と、裏切りと傷心(♯9)
1918年に、第一次世界大戦が終戦。
カルミックナンバー19でもあり、真に力のあり方を普遍の真理を学ぶことによって、自立し、本当の意味での自信と威厳を現実社会で確立していくことを学ぶナンバー。
一方、8年余り付き合ったボーイ・カペルは、イギリスの上流階級の娘ダイアナ・ウィンダムと結婚してしまいます。上流階級に生まれなかったシャネルの苦悩が想像されます。シャネルは、カペルからもらったプレゼントを全て返し、腰まで届く黒髪をバッサリ切り、仕事に打ち込んでいきます。
このころ、シャネルは、パトロンであり将来親友となるミシア・セールと出会い(1917年)、ミシアのサロンで劇作家のジャン・コクトー、画家のパブロ・ピカソ、作曲家のイーゴリ・ストラヴィンスキーやジャン・コクトー、など様々な人物と交流し、人脈を広げていきました。新たな時代が始まる一歩を踏み出したのです。

●36歳 ナンバー20(2) 受容(#2)/生と死(#2)
私生活では、交際を続けていたボーイが車の衝突事故で死亡。堪え難い悲しみから、寝室全体を黒一色で飾り付け、哀悼の意を表しました。多くの女性たちも、戦争で男手をなくし、自力で生きて行かねばならなかった状況で、悲しみの中、女性は社会進出をしていきます。
1919年スカート丈をひざ下まで短く活動的にした「シャネル・レングス」の服は、当時のファッション傾向に大きな影響を与えました。

●37歳 ナンバー21(3) 受容(#2)/発展・拡大・豊かさを受け取る(#3)のナンバー
悲しみに暮れているシャネルを見かねて、ミシア・セールは、自身の新婚旅行先のイタリアへ連れ出します。そして、辛い経験を乗り越え、再び、ロシアから亡命してきたドミトリー・パヴロヴィチ大公との恋愛がスタート。#3は恋愛を育むナンバーです。
そして、仕事では1921年、本店をカンボン通り31番地に拡張。前年に会った調香師エルネスト・ボーによって生み出された、シャネル初の香水「N°5」、「N°22」を発表します。




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●39歳 ナンバー23(5)  受容(#2)/発展(#3)のナンバー
1922年シャネルが主人公のモデルとなった『ラ・ギャルソンヌ』が発表され、ショートボブが流行。
シャネルは「ファッションは着飾るものではありません。着るものを選ぶことであり、それは自身の生き方を表現するものなのです。」と語っています。シャネルの提案するファッション、恋愛と仕事に生きる自由なライフスタイルは、幅広く支持され、発展していきました。
40歳1923年より⑥<調和と(#15)革新の時期>

●41歳 ナンバー16(7) 飛躍(#7)
1924年フランス最大の香水製造工場を所有するピエール・ヴェルタイマーと共同でシャネル香水会社設立。5年後には、世界で一番売れる香水となり、20年後、権利争いに発展するものの、生涯生活していくのに十分な収入源を得ることになります。

●41歳 ナンバー17(8)飛躍(#7)達成(#8)
1925年、イギリス一の大富豪、第2代ウェストミンスター公爵と出会い、以降5年間に及び交際。
この間に多くもらった宝石類から着想を得た、模造宝石を使ったジュエリーを発表して大成功を収めます。さらに、コスチューム・ジュエリーを大量に製造する工房を開きました。
同時期、インスピレーションを受けて、オリジナリティを追求していき、後に「シャネル・スーツ」として発表されるスーツの原型がつくられました。

●46歳 ナンバー18(9)達成(#8)と完結(#9)のナンバー
1926年10月には、「リトル ブラック ドレス」を発表。大胆なまでにシンプルを極めたスタイルでファッション界に革命をもたらしました。それまで喪服として使われていた黒一色のドレスがモードとして認識されるようになります。

●46歳 ナンバー21(3)拡大、発展、豊かさを受け取る(#3)
1929年には、香水シャネルN°5が、世界で一番売れる香水となる。
10月に株価が大暴落、資金難にあえぐ暗い世相とは裏腹に、本物の宝石を使ったアクセサリーを販売。しかも、一つのアクセサリーがブローチになったり、留め金になったり多用途に使えるようになっていました。。シャネルは、カボン通りに構える店のひとつに、専門店を開き、このアクセサリーや、ベルトや、キルティングバック、スカーフなども合わせて販売します。
#21は、相反するものをまとめ上げるナンバー。キルティングバックのマトラッセは、革×綿入れ、革×金属チェーンと、二種類の異なる素材を縫い合わせることで表現された、あらゆるスタイリングにマッチするシャネルの定番的な存在となります。当時の女性のバッグはハンドバッグのみでしたが、両手が自由に使え、バッグの置き忘れを防ぐ目的で考案されました。今では、普通のこのスタイルも、大恐慌の嵐の中打ち出した、大胆なテーマだったのです。
プライベートでは、恋人ウェストミンスター公のために別荘を建てますが、1930年、イギリスの名門令嬢、ローリア・メアリー・ホンソンビーと婚約してしまいます。

●47歳 ナンバー22(4) 大きなビジョンを描き、新しいステージに向かう創造の#22
1931年2月、ハリウッドへ渡り映画界の大物、サミュエル・ゴールドウィンの要請で、アメリカ映画の衣装デザインを手掛けています。
50歳1933年より⑦<飛躍と(#16)真理の探究の時期>

●52歳 ナンバー18(9) 達成(#8)と傷心(#9)
ウェストミンスター公爵と別れた後、交際していたポール・イリブが1935年9月21日心臓発作で急死。その後、睡眠薬に依存しています。
そして、1936年6月、当時4000人を抱える大企業として成長したシャネルだったが、コレクション前の苛烈な労働条件に、労働者側がストライキを敢行。苦労してその地位を築いたシャネルには労働環境を重視する彼らの考えを受け入れられずに対立、不本意ながらも、組合側の要求を一部認めました。

●56歳 ナンバー22 (4)
22は、大きなことが成し遂げられ、夢が実現、ドラマティックなナンバーである一方、大掃除、大波のあるナンバー。1939年9月、第二次世界大戦が勃発。シャネルは一部店舗を残し全てのビジネスを閉鎖、一時引退します。

●57歳 ナンバー23(5) 環境の変化(#5)を受容し(#2)発展(#3)
5は、環境の変化、スピードのあるナンバーです。現状にしがみつくと、障害が起こりますが、シャネルは変化していくことで、チャンスをつかみ、人脈を広げていきます。第二次世界大戦中の1940年、フランスがドイツ軍に占領され、多くのフランス国民が窮乏生活を余儀なくされた一方で、シャネルはドイツ軍の愛人になることで、様々な恩恵を受けて暮らしたと言われています

●61歳 ナンバー18(9) サイクルの成就・完成(#8)裏切りや傷心(#9)
1944年フランス解放後に逮捕され、「対独協力者」、「売国奴」としてフランス中からの非難を浴びます。
しかし、イギリス首相であるウィンストン・チャーチルの計らいにより釈放され、その後シェレンベルクとともに戦後の数年間スイスのローザンヌへ脱出し亡命生活を送りました。

●64歳 ナンバー21(3) 受容し(#2)発展・拡大・豊かさを受け取る(#3)
1947年、シャネルとピエールヴェルタイマーとの間で、シャネル香水の販売権に関して、和解成立。シャネルは、世界中で販売される香水の売り上げの2パーセントを受け取る。

●67歳 ナンバー24(6) 受容(#2)死別などの問題から内面の強さを養う時期(#6)
1950年秋 親友だったミシア・セールが死去。
その後、ベンドア、バルサンも帰らぬ人となる。
70歳1953年より<達成(#18)と完結(#9)の時期>

●70歳 ナンバー18(9) 直観力で独創性を追求し(#1)、達成(#8)完結(#9)する
1953年秋 再びファッション界復帰を志します。理由のひとつは、退屈だったから。もう一つは、「ゆったりフィットした服で、女性たちをもう一度、解放してあげたかったから」だと言っています。当時、ウエストを協調し、スカートを膨らませたデザインの服が流行していました。
1954年2月5日、15年間のスイスでの亡命生活を終え、パリに戻ったシャネルは、ヴァンドーム広場を望むホテル・リッツに住まいを構え、2月5日、復帰記念コレクションを開き、復帰を果たしました。
シャネルの第二次世界大戦時の言動に対する嫌悪感が根強く残っていた当時は、「古臭い」としてヨーロッパではバッシングを受けたものの、アメリカでは評価されます。ライフ誌は、「71歳にして、彼女は我々にスタイル以上のものを示してくれる。彼女は本物の嵐を巻き起こした。」と支持され、シャネルのカムバックは、話題になりました。

●72歳 ナンバー20(2)
専門知識・クリエイティブ能力を発揮するナンバーで、世界で価値ある創造物を現実社会で具現化していきます。
1956年秋のコレクションで、「シャネルスーツ」を発表。ニューヨーク・タイムズ紙は「その着やすさとカジュアルさ、シンプルさは多くの現代女性のニーズを満たしている。」と書かれました。

●74歳 ナンバー22 (4)22は、大きなことが成し遂げられ、夢が実現、ドラマティックなナンバー
1957年10月4日、シャネル・スーツ(ブレードの縁取りがある、ウールのスーツ)は、ウーマンリブ運動によって女性の社会進出がめざましかったアメリカ合衆国では熱狂的に受け入れられ、アメリカで「過去50年間でもっとも大きな影響力を与えたファッションデザイナー」としてファッション界のオスカーに当たる、ニーマン・マーカス賞を受賞する。

●80歳 ナンバー19(10-1) 複雑な2極性(#9)
1963年11月、ケネディ暗殺事件。シャネルの服を愛用していた夫人が報道され、話題になりました。

●87歳 ナンバー26(8)達成(#8)
8は、現世と永遠の間の「死」を示し、また、無限と螺旋を示すナンバー。
1971年1月10日、この世を去ります。住居としていたパリのホテル・リッツで、亡くなる前日までコレクションの準備していました。シャネルの亡骸は、第二次世界大戦中のドイツへの協力及びフランスへの裏切り行為によって、高級墓地への埋葬を拒否されたこともあり、亡命生活を送っていたローザンヌの墓地に埋葬され、ラッキーナンバーとしていた、5頭の獅子に見守られ、シャネルの遺言により、墓石の周りには白い花が咲き乱れています。



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【感想】
 私は、このレポートをまとめる中で、シャネルの言葉や、人生に触れ、何度も何度も涙が溢れそうになりました。単なる斬新なデザインや、快適さ、機能性だけでなく、「女性を解放したい。」その強い思いに、心を打たれます。そのエネルギーを創造性に変え、女性の新しい生き方、スタイルを提案し続ける、その真っ直ぐな思いに感動しました。
 そして、今を楽しみ、今、自分に必要なものは作ってしまう実行力…友人の服も、さっと首にかけた鋏を出し、素敵に直してしまうし、修道院時代にも、スカートの丈を誰にも分らないように、こっそり短く切ってスタイリッシュな着こなしにしてしまう。「だれも気付かないだろう。でも、私はそこを直すのです。」と、自分のイメージを忠実に形にし、87歳まで元気で、自分のスタイルを貫く姿勢に、私もそうありたいと思いました。
 辛辣さも、その美的センスも、感性の鋭さも、実行力も、そして、常に時代にマッチする勘の良さ、その変化に柔軟に対応する受容性と深い愛、全てが魅力的です。
 ≪リーディングしてみて≫
 私の家族は、シャネルと同じバースナンバー#11-#2を持っています。シャネルをリーディングしてみて、「広い心で、受け入れた数だけ、器が大きくなるのだ」と、気付き、それと同時に、家族も同じ「広い心と、受容性」を持っていたことに気付きました。バース以外のナンバーは、私と共通しているところが多く、前述のように、学ぶところがたくさんありました。
 死後、何十年経った今も、シャネルの言葉は心に響きます。シャネルの生き方から学んだこと、全てを!心に刻み込みたいと思います。
 ココ・シャネルの伝記に出会わせてくれた、アイオンズ、講師の皆様、受講生の皆様、全てのご縁と、家族に心より感謝申し上げます。

参考文献
『あなたを変える ココ・シャネルの言葉』高野てるみ イースト・ブレス
『ココ・シャネル~時代に挑戦した炎の女~』エリザベート・ヴァイスマー 阪急コミュニケーションズ
『コミック版世界の伝記「ココ・シャネル」』漫画:久松ゆのみ 監修:塚田朋子 ポプラ社
『時代を切り開いた世界の10人⑦レジェンドストーリー「女性に自由を与えたファッションデザイナーココ・シャネル』学研
『誰も知らなかったココ・シャネル』SLEEPING WITH THE ENEMY
~COCO CHANEL’S SECRET WAR ハル・ヴォーン 赤根洋子・訳 文藝春秋
『ココ・シャネルの秘密』マルセル・ヘードリッヒ 山中啓子・訳 ハヤカワ文庫
『世界を変えた6人の起業家 シャネル』デーヴィット・ボンド・文 常盤新平・訳
『ココ・シャネルの「ネットワーク」

写真は、
https://cieljyoti.wordpress.com/2012/04/08/coco-chanel-gabrielle-chanel-1883-1971/
よりお借りいたしました。

以上。



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Reported by
Aeons Numerology the 11th Basic Class
Nao Izumi
# by kej000 | 2016-12-12 15:48 | 数秘レポート

どの瞬間もが感動に満ちた人生*ココ・シャネル Vol.1

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Coco Chanel

1883年8月19日生まれ

本名:ガブリエル・ボヌール・シャネル
   Gabrielle Bonheur Chanel


【Birth】誕生数 ~人生における目的・使命~ 20-11-2

≪霊的感受性の#11、霊性の#0≫
高次のバイブレーションを示す数字で、人と天を結ぶ波動。天からその波動を受け取り、現実社会に下ろす役割を持って生まれました。豊かな感受性と、高い芸術性でイメージを形にしていくことが人生における目的と使命です。
シャネルは11歳の時、母が病死、行商人の父に捨てられ、姉とともに孤児院に預けられました。その後の修道院での生活は、シャネルにインスピレーションを与え、当時礼服でしか使わなかった黒を採用、装飾を削ぎ落したシンプルなデザインの原点になっています。
また、シャネルは、聖堂の通路の5の数字のモザイク模様などから、5という数字に、純粋で神秘的なものを感じ、コレクションの開催日は2月5日と、8月5日と決めていました。香水、シャネル N°5の発表は5月5日、カムバックの日も2月5日と決め、成功していきました。 

≪鋭い直観力と神秘的な能力の#11≫
「辛辣さとタイミングの良さは、人々を時々唖然とさせた」と言われています。シャネルは、秀でた霊性と直観力で時代を察知して行動し、美的センスも、発言も核心をつき、人を惹きつける神秘的な能力を持っていました。

≪野心とバイタリティーの#1×#1≫
シャネルは、家族や恋人との死別、離別を繰り返す辛い経験をしています。でも、決して希望を捨てず、野心を持ち続け、自分のスタイルを発信し続けました。

≪オリジナリティの#1×#1≫
「私は人とはとても違っていた」
「かけがえのない人間になりたいのなら、人と同じことをしちゃだめ。」
「みんな、私の着ているものを見て笑ったわ。でもそれが私の成功の鍵。みんなと同じ格好をしなかったからよ」
「私は流行を作っているのではない。スタイルをつくっているのよ。」
「私の生き方そのものがモード(ファッションの流行)」
と語り、常に自分のスタイルを探求し続けました。
そして、創作過程は極めて独創的です。デッサン画を書かず、モデルを前に、首から下げている鋏で彫刻の様にカットし、ダーツを取り、何度も20回30回と検討を繰り返し、飲まず食わず立ちっぱなしで何時間も立体裁断をしてたそうです。でも、あるモデルは、「…私たちの肌と布がひとつになるような感じがしたわ。」と、身体を提供するのが楽しみだったと言っています。
 「私の後にクチュール、オートクチュールは存在しないでしょう。」と語り、シャネルは、生涯、プレタポルテ(高級既製服)を作りませんでした。1960年代中ころから、署名なデザイナーも既製服の部門を展開しますが、その流れに乗ることはなく、最後のクチュリエとして、信念を貫き通したのです。

≪優しさと受容性の#2≫
「女性たちの身体を自由にしてあげたわ。」というシャネルの言葉からは、広い愛が感じられます。成功を収めてからは、親戚や、芸術家、親しい女性など、沢山の支援をしていました。また、恋に落ちると、甘えて尽くす面もあったと思います。愛人の為に、豪華な別荘まで建てています。晩年はモデルたちに囲まれ慕われていました。

≪バランスの#2≫
 シャネルには人を惹きつける神秘的な魅力がありました。それは、男性性の#1と女性性の#2、強さと、優しさ、この相反する面をバランスよく持ち合わせていたからだと思います。


【Destiny】運命数 8 使命、目的、仕事、ライフワーク

≪情熱と野心があり、統率力・リーダーシップ・管理力が優れ組織の中のトップの#8≫
27歳で帽子店を始め、3年後に2軒目、4年後に3軒目の店舗を開店。5年目に60人だった従業員は、次の年、300人を超え、経済的に自立した女性実業家となりました。
≪実行力と信頼の♯8≫
何度か恋人の死別、別れを経験しながらも、持ち前のバイタリティーで、仕事にエネルギーを注ぎ、地道に、常に達成に向かう努力を続けています。
≪社交的で駆け引き上手な#8≫
18歳で修道院を出たシャネルは、ムーランでお針子として働く中で、客であった、地位のある人との交際を始め、成功への階段を昇り始めます。


【Soul】ソウル数 40-4 ~魂の求める欲求・深層心理~

≪規律・堅実の#4≫
シャネルは、「まるで尼さんみたいだ。」と言われるほど、たとえ、裕福になっても、規律正しい生活を送っていました。孤児院で育った経験が活かされています。

≪真面目で勤勉の#4≫
若いころは、愛人として、男性に経済的に支えてもらったとしても、必ず借りは返すと、男性と対等な関係性を築こうとしていました。

≪正義感の#4≫
「どうして女はコルセットで締めつけ、窮屈な服装に耐えなければならないのか」と、その思いを制作意欲のエネルギーに変えていました。

≪持久力の#4≫
「休養を取ることほど、私を疲れさせるものはない。」と自身も語っているほど、ワーカホリック。
14年間のブランクを経てカムバックして酷評された時は、
「続けたいの。仕事を続けて、勝ちたいのよ。」と、語り、その後も、自分のスタイルを信じ、提案し続けています。


【パーソナルナンバー】人格数 13-4  他者から映る自分

≪「修練」創造と破壊を繰り返す#13 継続と信頼の#4≫
 シャネルは、何度も死別や離別を経験しますが、その度に新たな友人や恋人との出会いによって、人脈を広げ、基盤を創りました。鋭いまなざしから、真の強さを感じさせ、人々から、信頼されやすかったと思います。

≪ヒーラーの#13≫
 優れた直観力で一人ひとりの個性を見抜き、その女性の魅力を最大限に引き出す服を見事に作り続けていました。まさに、「ヒーラー」とも言えるクチュリエです。




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【Realization】実現数 10-1 今回の人生での可能性や実現性

≪独創性・創造性を表現する先駆者・人を先導するリーダーの#1≫
 素早い決断力があり行動的でした。

≪再誕生のカルミックナンバー#10≫
前世でやり残したカルマや、目的を今世で果たすためのナンバーで、人道的な目的や、人に癒しを与える方向へ向かいます。
シャネルは、上流階級の女性を見て、窮屈なコルセットや、パット、階段を下りるのも困難なスカートを膨らませる下着、過度に装飾された重い帽子に違和感を感じていました。当時斬新だった、ウエストを締め付けない活動的な衣服、女性を解放し、新しい生き方、生活スタイルへと導きました。


【Stage数】…活躍する舞台 #12-3
≪楽しみ、創造力を発揮する#3≫
「私がやってきたことは、みんな子供のような無邪気さで やったことなの。」
「私は好きなことしかしない。私は自分の人生を、自分が好きなことだけで切り開いてきたの」
「私の頭を切ってみてごらんなさい。中は13歳よ。」(70代の頃お茶目に言った言葉)
「そのモードを作り上げて、私は夜、外出するようになった。いや、夜、出て歩く様になったからこそ、夜用のモードを作ったのだ」
まずは自分の為に、自分が身に付けたい服を作っていたシャネル。夜のパーティーや、乗馬、海水浴、いつも自分が日々の生活を楽しむために、楽しんで制作していたのだと思います。
≪コラボレーションナンバー#12≫
 パターンの全てを打破し、今世で今までになかったものを表現できる場が活躍の舞台です。
 シャネルは、様々な出会いの中で、香水・舞台衣装・映画衣装・宝飾加工など、沢山のコラボレーションをし、大成功を収め、その名を世界に広めました。


【Challenge数】~課題~ #22-#4
≪卓越した才能を活かし、理想を掲げ、目の前のことを着実に実現し、偉業を成し遂げる#22≫
創始、開拓、指導、権威者。天と地の懸け橋となるような社会貢献をしていくことが課題です。
 偉業を成し遂げるには、理想を現実化していく#11も#2をバースナンバーに持ち、#8の統率力、#4で地道に創り上げて行く、完璧なナンバーを持っています。
 大きな課題は、#2×#2、「全てを受容するような博愛精神」と「バランス」。
 数々の恋愛をしながらも、急速に拡大していく仕事とのバランスを取ることが課題だったと思います。そして、離別や死別の悲しみを受容し、仕事にエネルギーを注いでいく。この経験を何度も繰り返し、愛で受け入れること、これも試練でした。

≪憎しみの受容≫
「私の人生の出発点は、本当に幸いだった。」と、シャネルは、父に捨てられ、孤児院で育った辛い過去も受け入れ、感謝しています。また、
「神様がわたしにくださったいちばん素晴らしい才能は、愛の共通の感情のひとつである、嫉妬心というものを知らずに放っておいて下さったことかしら。」と、恋人の裏切りとも思える行為も受け入れ、乗り越えて仕事に邁進していきました。

≪悲しみの受容≫
「死んだ人を思ってあげれば、その人は、死人ではなくなる。」
「何ひとつ死にはしない。砂粒ひとつだって。だから、何ひとつ失われるわけではないの。私、こういう考え方が好き。」悲しい出来事を受け入れる勇気を与えてくれる一言です。

≪忘恩の受容≫
「真の寛大さとは、忘恩をも受け入れること。」
「食べるために働いているんじゃないわ。」「お金は使うために稼ぐもの。」と、財力は次のコレクションや、芸術家・親戚への支援に惜しみなく使いました。
潔く、見返りを求めない広い心で芸術家たちに接し、次第にその名を世界に広めていきました。

 シャネルは、「人生がわかるのは、逆境の時よ。」と語っています。
こうした辛い経験を受け入れ、乗り越えたからこそ、その数だけ、偉業を成し遂げることができたのだと教えてくれます。


【Nature 数】~素の性質~ #7

独創性・探求心・精神への目覚めと、内省の#7。
修道院で育ち、精神性や、神秘的なものに目覚めました。そこで得た感性を生涯、追求していきます。修道院での日曜日や、スイスでの亡命時期は、主に散歩をして過ごしたというシャネル。「私は、誰よりも仕事をしている」と言っていたシャネルですが、忙しい時期も、大地と一体となる感覚を重視していたのだろうと思います。大地の色として、部屋にはベージュのジュータンを敷いて愛用していました。「わたしはベージュの中に逃げるの。自然の色だから。」と語っています。自然を愛し、内省の時間を大切にしていたからこそ、直観力や、洞察力も高かったのではないでしょうか。制作においては、自然の色を重視していました。




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人生の流れ
【サイクル・ピナクル・チャレンジ数】
シャネルの人生を3~4期に分け、サイクルナンバー(環境や大きな流れ、向き合うテーマ)、ピナクルナンバー(どんな状況の時期か)、チャレンジナンバー(その時の課題や試練)をリーディングします。

①0歳~34歳
《サイクルナンバー8 》~環境や大きな流れ、向き合うテーマ~
バイタリティーを持って地道な努力を続け成功を目指し、富や名声を得ることを経験する#8。
33歳までに、従業員300人を超える、経済的に自立した女性実業家となりました。
《ピナクルナンバー9 》…どんな状況の時期か
様々な経験により智慧を取得し、その智慧を人に伝え、導く力を発揮。自分の中の崇高な信条を発見を、人も自分も許し、全てを受け入れる真の強さを得る#9。裏切りや、傷心も意味するナンバーです。
シャネルの言葉「わたしはずいぶん泣いたわ。」
 母を亡くし、父からは見捨てられ、孤児院、修道院で育ったシャネル。修道院寄宿学校では、中流階級との差別に辛い思いをしながらも、めげず、嫉まず、恨むまず、羨まない強い精神力を身に付け、裁縫の技術や、上流階級に人と対等に話せる最低限の教育(全ての人が教育を受けられるわけではない時代だった)、沢山のインスピレーション、規律正しい生活習慣を得ました。34歳までには、お針子たちを教育し、600人の従業員を抱える女性実業家となります。
《チャレンジナンバー7 》
 多くの経験から本来の自分を内省し、精神性へ目覚めること、探求することが課題。
シャネルは、修道院での生活で精神性に目覚め、自分のスタイルをひたむきに探求しました。もし、その経験がなかったら、上流階級の華美な装飾に、違和感を意義を感じることもなかったと思います。

② 35歳 第一次世界大戦終戦後~52歳 第二次世界大戦勃発前まで
《サイクルナンバー10-1 》~環境や大きな流れ、向き合うテーマ~
霊性と直観力でオリジナリティを発揮。地道な努力を重ねて成功への道を歩む#10-1
戦争や、死別、離別、様々なことを経験しながらも、仕事にエネルギーを注ぎ、自分のオリジナリティを提案し続けた時期です。時代を経ても古さを感じさせない、シャネルブランドの代表作を次々と生み出した時期。「N°5」「リトルブラックドレス」「シャネル・スーツ」「マトラッセ」「シャネル・レングス」「コスチュームジュエリー」など発表しています。
《ピナクルナンバー3 》~どんな状況の時期か~
表現力、感性、直観力を惜しみなく発揮し、友好を育み、発展する#3。
第一次世界大戦終戦後(35歳)、第二次世界大戦勃発(52歳)までの、束の間の平和と、開放感のあった時代、溢れる感性を具現化し、代表作を次々と生み出した時期です。芸術家たちとの交流を楽しみ、彼らの活動を支え、恋愛でも、仕事でもコラボして楽しんだ、華の時期でもあると言えます。

②前半 35歳~43歳
《チャレンジナンバー1》~与えられた試練や今回の人生での課題 
自分の創造性を発揮し、リーダーシップを発揮、新しい分野を創設してていくことが課題。
終戦後、シャネルは、女性の社会進出の流れをいち早く察知し、スカートの丈を短するスタイルや、黒の採用など、実用的で、斬新な独創的なスタイルを創り上げ、また、新たに香水業界にも参入し、香り・容器ともに斬新で、独創性を発揮していきました。

②後半 44歳~87歳
《チャレンジナンバー6 》~与えられた試練や今回の人生での課題 
真・善・美、無条件の愛、深い思いやり、陰陽の統合・男女融合、調和の#6
シャネルは、異なる素材・色を融合させて斬新な作品を発表していきました。
また、#6は、出会いと別れのナンバー。
パートナーとの死別などの問題から、内面の強さを養うでもあり、悲しみを仕事のエネルギーに変えて、シャネルブランドを成長させます。

③53歳~87歳 
《サイクルナンバー20-2》~環境や大きな流れ、向き合うテーマ~
急速な変化の中、変化を受容し、人間関係や、協調性を学ぶ#2
バースナンバーに20-2を持つシャネル、よりドラマティックに展開します。
第二次世界大戦を機に、一部店舗を除いて全て閉店、一度引退します。ドイツ人との関係を持っていたため、「対独協力者」として非難されスイスで亡命生活を送ります。その間、ヴェルタイマーとの間で香水販売権を巡って争ったり、ファッション界に復帰した際には逆に、宿敵ヴェルタイマーから支援を受け世界のシャネル・ブランドへと成長させました。それは、急速な変化の中、変化を受け入れ、人間関係を築き上げていったからだと思います。
 また、この時期のチャレンジナンバーは無条件の愛、深い思いやりのナンバー6です。人脈を利用し、拘束された甥や友人を助ける活動をしています。受け入れる愛、与える愛、見返りを求めない深い思いやりで行動することが、この時期の課題でした。

《ピナクルナンバー1 》~どんな状況の時期か~
直観力でオリジナリティを発揮。地道な努力を重ねて成功への道を歩む時期。
一度引退してからは、友人との死別が続く、孤独な60代でした。70歳でファッション界に戻ると、「メゾン・シャネルを再開したとたん、健康が戻ったの」と言っています。オリジナリティを発揮できる場にいることが、活力の秘訣のようです。亡くなる前日まで、コレクションの準備をしていました。



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Vol .2
「シャネル個人年表」へ続く

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Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th Class
Nao Izumi
# by kej000 | 2016-12-12 15:15 | 数秘レポート

Aeons Numerology Class

数秘学関連講座のご案内

アイオンズの数秘学関連の講座のご案内と説明をさせていただきます。


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Aeons Numerology Basic Course



先ず最初のステップは、数秘基礎講座です。
毎年、春分と秋分あたりに数秘学講座の参加の募集をさせて頂いております。
2017年、冬は、数秘基礎コースの12期生様の募集となります(祝!☆12期生☆)


● 数秘学の歴史
● 1−9までの数字の意味を識る
● 個人のコアナンバーの意味とリーディングの方法
● マスターナンバーとカルミックナンバー
● 生命の木
● リーディングセッション実践練習 数回
● 自分史の作成 
● 数字の逆相
● ヌメロロジー計算ソフトの解読法
● 数秘による相性の見方
● タイプ資質と特化項目によるリーディング
● 基礎科修了レポートの発表

以上のカリキュラムを全10回コースでお伝えしてまいります。


時間: 13時から17時まで
場所: 横浜クラス 埼玉クラス 板橋クラス 東京クラス
受講費:6000円(再受講は半額)

基礎科では、欠席は通常、認められません。
欠席回は他のクラスでの受講で代講をお願いしております。
また、2回まではプラス1000円にて、DVDでの受講が可能です。




アイオンズの数秘講座の特色は

*カウンセリングやセラピーに使えるスキルの習得を目指す
*自己認識を高め、潜在能力を発揮していくこと
*秘教・カバラの教えより、真理を学び、実践すること

を目的としてプログラムを構成しております。
基礎科では、簡単な3次元Levelでの現実に則したリーディング方法について学んでいただきます。
その後、修了した方は、アドバンス(4class)へ進むことが可能です。




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Aeons Numerology Advanced Class

アイオンズ数秘講座の大きな特色として、
10から22までの二桁の数字を学んでいただくことが可能です。

数秘学が三次元に対応する数字のヴァイブレーションだとすると
その後のUniversal Numerology は、この三次元と同時に存在する
多次元の数字のヴァイブレーションとなります。
この表裏一体を読み解くことで、全ての答えが導かれます。
そして、この二桁の数字たちはこの三次元と多次元の橋渡し的な
ヴァイブレーションとなっているのでありました。

特に、その方の現在の状況や、生まれ持った使命などを読み解くこと。
また、私たちが生まれてきた意味にまで遡り、そこに隠された
根深い問題やパターンにフォーカスすることが可能となります。

また、この二桁の数字には、カバラでいう探求の道筋の意が
こめられています。それは私たちが「ほんとうの自分」へ自己回帰していく
道筋でもあります。宇宙の真理(Universal Truth)です。
学びを深めつつ、深淵なる世界へご案内いたします。


● 二桁の数字の意味とその流れ(10−22まで)2class

二桁の2回の授業を受講された方は、次のカバラ応用のクラスへ進級が可能です。

受講費:●8000円 (再受講は半額)




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Universal Numerology


数秘基礎が3次元であったのに対し、こちらは多次元(宇宙次元)での数字の解釈を学んでいきます。生命の木とは何を物語っているのか。この地球に存在する全ては表裏一体。仮に3次元を表とした場合、この多次元が裏となります。そして、この裏・・目には見えないところにこそ、宇宙の秘密が隠されているのでした。こう考えていくと、数秘は或る意味では、このUniversal Truthへ至るためのステップであることにすぎない・・さらなる深淵なる世界へ歩を進めてまいります。



私たちはどこからきて、どこへ行くのか?

秘教といわれる「カバラ」を紐解き、生命の木に隠された神秘『宇宙の真理(Universal Truth )』を学んでいきながら、あらゆる次元、角度、視点からのリーディング・スキルを養っていただきます。

そしてもちろん、この宇宙の真理を知識だけではなく、実際に体験していただきながら、ご自身で先ずは「自分自身へ還る旅」へ。

人生を根源から変えること。
自分の人生をクリエイトすること。
自分が自分の人生の主人公になること。
ほんとうの自分を識ること。

同じ志の仲間がなぜか集います。
「ほんとうの自分に還る」こと。
宇宙の理を知り、その理に生きること。


全11回となります。

*欠席は2回まで。それ以上ですと退会扱い、
 または次期クラスでの参加をお願いしております。

受講費:8000円(再受講は半額)





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神託としてのTarot


全ての学びを統括する体系としてのタロット講座です。
古代、タロットは「神託」として使われておりました。
吉凶を占うのではなく、あくまでも宇宙の理(Universal Truth)を基盤にあらゆるシチュエーションを読み取り、根本に隠されているポイントを掴む力を養います。

最小限の知識とたくさんの実践により、右脳と左脳をバランスよく使いながらリーディングする方法を学びます。全12回です。

受講費:8000円(再受講は半額)




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卒業生用プログラム

この全ての講座を修了された方の次のステップとして

☆ マスター試験
☆ 個別スキルアップ指導プログラム
☆ 指導者育成プログラム Teacher's Course

があります。
さらなる活躍の場を広げられるよう、支援させていただきます。




マスター試験


各期修了日の翌週に、プロとしてのスキルが身に付いているかどうか?・・の
スキルテストを受験することが可能です。

★セッション形式による試験
・スキルは、数秘、ユニヴァーサル・ヌメロロジー、タロット(多次元占星術)
・45分の質疑応答
・その後、10分の講評
・クライアントによるアンケートの記入


審査の基準は以下の通りです。

○ クライアントの相談・要望に的確に答えているか?
○ プロとしての心構え、品行、服装は妥当であるか?
○ 吉凶占いではなく、理に基づいたカウンセリングが行なえているか?・・等々。


受験資格:
・数秘関連全行程を修了していること。
・何度でも受験可能です。

受講費:
・最終課程の講座料金(¥8000)

合否:
・合格者には、Aeons マスター資格を授与
・特典は、全講座が再受講費のさらに半額など



個別スキルアップ指導プログラム


前々からリクエスト戴いておりました、卒業生のための
スキルアップ・指導プログラムです。
ティーチャー制度のスキルアップ・プログラムに準じた個別指導を、希望者に開催します。

*10名のチャートをご用意の上、自力でリーディングをした上でお持ちください。
*全1日をかけて、その方のリーディング・スキルの見直しやアドバイスを徹底的に指導します。

日程:10時から17時まで(途中、昼食休憩含む)
金額:¥30000(¥3000/1名x10人分)



     *    *    *


アイオンズの講座は、
単なる知識の提供に留まらず、実践していくこと。
感覚を駆使していくこと。
あらゆる角度から、時間をかけてじっくりと「理解」を深めていただけるよう
プログラムを作らせていただいております。


ご縁ある方の受講を心よりお待ち申し上げております。
ありがとうございました。


                                2017年2月末日改訂
# by kej000 | 2016-08-28 09:12 | おもしろ数秘学

沢穂希*その強さの源を紐解く

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澤 穂希
SAWA HOMARE

1978年9月6日生まれ
なでしこジャパン元代表選手(2015年現役引退)



1986年 小学校2年生で地元府ロクサッカークラブ入団
1991年 中学入学現日テレベレーザ入団
1993年 15歳代表選出デビュー戦4得点
1999年 大学を中退し渡米
2000年 アメリカクラブチームでプロ契約
2003年 アメリカ女子プロリーグ休止の為、帰国
2004年 日テレベレーザプロ契約選手で復帰 なでしこジャパンの誕生
2006年 2008年 なでしこリーグMVP
2009年 ワシントン・フリーダムへ移籍
2011年 INAC神戸移籍 ワールドカップ・ドイツ大会優勝
2012年 バロンドール賞受賞 良性発作性頭位めまい症を発症 ロンドンオリンピック銀メダル
2014年 アジアカップ初優勝
2015年 ワールドカップ・カナダ大会準優勝 W杯6大会連続出場
2015年12月27日 皇后杯 全日本女子サッカー選手権大会、決勝戦決勝ゴールを決め引退



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華々しい功績ばかり並ぶ澤穂希さん。
2011年ワールドカップ・ドイツ大会優勝
1度も勝てなかったアメリカ相手にPK戦の末勝利した。日本サッカー史上初のWカップ優勝へ導いた。
世界1を勝ち取ることを目標に、長い年月かけて地道に走り続けた。目標に向かい、あきらめずに日々努力する凄さ。挑戦し続ける強い意思はどこからくるのか?彼女の強さの源について紐解いてみたい。



【誕生数】~生まれ持った資質・才能・運命~

『22-4』【創造-安定】
鋭い感受性を持ち、それを形にする創造性豊かなナンバーです。
マスタービルダーと呼ばれ、社会が求めるものを感受し、広い視野と実行力をもって、天と地の架け橋となるような社会貢献をするとされているナンバーです。
利己主義にならず、世の中のためにエネルギーを広く循環していくことで、卓越した才能が開花し、高き理想をも現実化する力を持ちます。そのためには2+2足して4の物事の基礎を真面目に取り組み、土台を築き、2のダブルの力、強い感受性で人々を受容していくこと。自己の目的を公的なものへと定め、目の前のことから着実に仕上げていくことといわれています。

澤さんは、小学校2年生の時、地元サッカークラブの入団を断られましたが、お母さんが何度もお願いし入団することができました。澤さんのサッカー人生はそこから始まります。大きな大会では、女子の参加が許可されず、出場出来ずに悔しい思いをしたこともあるそうです。澤さんは何度も何度も基礎を繰り返し、基礎を磨き上げることに時間を費やし、それが今のサッカーの土台となっているといっています。
そんな澤さんでしたが、一度だけサッカーの道が閉ざされそうになったことがあります。
所属チームでの契約更新がない20歳の頃、必死の思いで渡米を決意します。ここからが本当の挑戦となります。
澤さんは15歳の頃、両親が離婚されています。それからは母子家庭生活の中、高い学費を払って入学した大学中退をし、渡米を決断。体格、パワーでなかなか敵わない海外での挑戦で幾度も幾度もチャレンジしました。覚悟を決めた渡米の中、弱音を言わず、吐くことも許されず、自らを鼓舞し努力したのだと思います。

やがて努力と忍耐力で自分なりに見出した答えを実践し、海外でも認められるようになりました。そして日本人がアメリカでプロ選手としてプレーする、最初の道を拓きました。海外での経験で揉まれながら気付いたことは、パワー、体格で適わなくとも、優れた技術力、ボールが来た時の瞬間的な判断の早さだと言います。澤さんのこの経験が日本女子サッカーに光をもたらします。世界1の目標が澤さんだけが抱く目標ではなく、日本女子サッカーへの目標に変化していきました。後に続く後輩の道を切り開き、海外で挑戦する女子選手が増えてレベルアップしていきました。高き理想を掲げ、幾年も掛けて努力し走り続け、日本のサッカー界のために、人々に希望を与えるために邁進し、その結果得た偉業。日本国民のどれだけの人が世界一を信じていたでしょうか?しかし高く目標を定め、自らが努力し続けること、そして信じることでチームをまとめ上げ、世界一の栄冠を手に入れました。高き理想が現実化することを彼女は教えてくれています。澤さんの魅せ続けた背中は、とても大きかった。それは決して簡単な成功ばかりではなく、厳しく険しい茨の道だったからこそ大きく強く感じられたのだと思います。



【運命数】~人生における目的・使命~

『5』【変化】
好奇心旺盛で革新的な人。常に変化を求め、興味のあることに次々チャレンジします。
未知の世界の解明と、それを広く人々に新しい知識を与え、教え導くことが使命とされています。
システムを学び、その中で多岐に渡る才能を身につけていくこと。深く経験し、単なる欲望、知識とせず、智慧に変えていくことです。
集中力を養い、じっくりと経験を積むことで内面の自由を見つけることとなるとされています。



【ソウル数】~魂の求める欲求・深層心理~

『14-5』【自由-変化】
14カルミックナンバーで「真の自由を学ぶ」ナンバーとされています。
家族との協調、家や職の余儀ない変化などによって、真の建設的な自由とは何かを学ぶ。
柔軟に形式に捉われることなく自由に人生を切り開くこと。

澤さんは、20歳の時、アメリカのクラブチームへ移籍しています。大学を中退し、渡米を決断しました。
誕生数の4【安定】と運命数の5【変化】の間で葛藤し、安定に執着せず、新しい土地での新たな経験に挑戦しました。文化や言葉、食生活などの不安を抱えての決断。米国での生活は言葉がまったく通じず、ホームシックにかかり何度も日本へ帰りたいと思ったそうです。実力もなかなか認められず、パスも回ってこなかった。体格やパワーの差も縮まらず悩みもがいた日々、その中で見つけた答えは「自分のプレーを貫き通す」こと。その結果チームの中心選手となっていった。この米国での経験が彼女を大きく成長させました。

自分の力がどこまで通用するのか未知数の中、単身海外へ飛び出し、多くの経験をして才能を得ていきました。
得た才能を、強豪チーム相手に発揮し、日本女子サッカーの可能性を見出して行った。
澤さんは30歳の時、2度目の渡米をしています。この時も決断には多くの時間を要し、生活は充実し、安定した環境を捨て、成功するかわからない米国での再挑戦。安定とリスクを天秤にかけていて決断ができなかったと述べています。勇気ある決断をし、変化、成長を望み更なる高みを目指して、米国での経験を積み上げていきました。帰国してからは、強い外国チームにどのようにしたら、日本が勝利することが出来るのか、組織力の強さ、細かい足技、パス回し。自らがプレーすることで選手に伝えてくれていました。

様々な決断には、母の力、存在が大きく彼女を支えてくれていました。
~「チャンスの波に乗りなさい」~この言葉はお母さんが澤さんに伝えていたことです。
チャンスは必ず誰にでも訪れ、そのチャンスの波に乗るかどうかで人生が大きく変わる。だからこそ、チャンスの波が来たら、あれこれ悩むよりも、逃がさずに乗ることが大事。この言葉には、そんなメッセージが込められています。
「母からこの言葉を言われていたからこそ、チャンスだと思ったときは、迷わずに思い切り行動にでられました。未だにこの言葉は胸の中にいつもあります。だから可能性がある限り、絶対にチャレンジするって決めてるんです。やらないより、やって後悔したほうがいいですから」とインタビューでも述べています。

いつでも不安や恐怖を打ち消すために意識している言葉なのだと思います。真の自由を学ぶため、変化に立ち向かい、内面の自由とは何なのか、制限をかけずに内面が開放されることを、経験を積み重ねることで見つけて行きます。自分の思いを断ち切り、現状から飛び出して未知の世界へのチャレンジ!この精神を培うこと、経験を持って力に変えて行きました。



【実現数】~人生での可能性・実現性~

『9』【完結】
深い慈悲と寛容さ。愛と理解力を持って穏やかに人類愛を実践することです。
不要なものを手放し、自分も人も許すことで全てを受け入れる真の強さを得ます。
混沌の中、自分だけでなく、自分の背中を追い続ける後輩、未来を担う子どもたち、世の中の人々に影響を与え、教え導くことです。



【人格数】~外なる自分・他者から映る自分~

『9』
オープンで寛大。人の気持ちを理解し、多くのことを共感している印象を与えます。
物腰が柔らかく冷静。柔軟性があり幅広い人々と交流の出来る人

『苦しくなったら、私の背中を見て』
多くを語らず、この言葉に掛けた思い。チームを信じ、自分を信じて自らが原動力となり、前を向き走り続けた。その背中を見て、チームは追いかけ、共に走り続けました。澤選手の存在がチームに活力を与え、観ている人々に勇気を与えてくれました。
澤選手はベンチスタートの多い時期でも、チームメンバーを支え続け、貢献する姿。ピッチに入った時、他選手に与える安心感。そこからの軌道修正力は観衆の期待を大きくしました。
澤選手の姿は、多くの選手、これからプロを目指す子どもたちに大きな影響を与え、目標を創り出してくれる大きな存在となりました。

今では陽気に優しく笑う澤さんですが、渡米前はシャイで人見知りだったようです。
米国生活で英会話も上達し、曖昧な表現の通用しない米国、はっきりした意見や態度を求められる風土に馴染み、変化していったようです。
交流関係も広く、サッカー界だけでなく幅広い分野の方との交流も多いようです。
友達関係では、男女問わず、悩みを相談されることが多く、他人と喧嘩になったこともないそうです。


【Stage数】~活躍する舞台~

『6』【調和】
真・善・美、調和、愛のナンバー。
完璧主義にならず、あるがままを受け入れ、まずは自分を愛し、人々を愛すること。
愛と思いやりを持って人々へ奉仕する。平和と美を愛し社会貢献をしていくことです。


【Challenge数】~チャレンジする課題~

『5』
現状に留まることなく、変化を恐れず多くのことを経験して、人々に伝えること。
柔軟性と機敏さで進み、自分の枠組みを外して、新しい世界への冒険をしていくこと。
経験を積み重ね、広く啓蒙していくことがミッションです。

運命数・ソウル数に持つナンバーでもあります。
現状の自分に満足することなく、自分の抱く恐怖や不安に打ち勝ち新しいことを経験してきています。
今ある充実した生活、安定を断ち、変化を受け入れ挑戦した後は、いつでも成長した澤選手でピッチに立ち続けてくれていました。
“変化することが不安なのは、いつだって決める前だけだということ”と述べています。


【Nature数】~素質~

『11-2』【霊性】
 鋭い直観力と洞察力を持ち、豊かな感受性で人々を受け入れます。バイタリティーもありリーダーシップを発揮します。


【Action数】~行動パターン~

『1』【絶対】
素早い決断力があり行動的。独創性があり創造性を表現する先駆者となります。人を先導するリーダー



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***Cycle・Pinnacle・Challenge Number***


0~32歳
【Cycle Number】~環境や大きな流れ、向き合うテーマ~
『9』
様々な体験を通して人を受容し、不必要なものを手放し、本物を見抜くことがテーマ
直観力が鋭く、人の本音、状況を見抜き、社会貢献や奉仕活動に携わる経験が多くなる時期です。
混沌とし大きな揺れ動きのある年代でもあります。多くを経験することで自己を成長させ、他者理解を深める時です。

【Pinnacle Number】~その時の状況やあり方~
『15-6』
家族の問題から内面の強さを養う時期
家族や近しい人から多くの影響を受ける時期。周りの人からの期待に応えること、人に感謝されることで喜びを感じる。人への奉仕、愛を注ぐことを多く経験するでしょう。他者への愛、自己への愛、愛し愛されることの大切さを実感し学ぶ時期です。

【Challenge Number】~挑戦する課題や遭遇するトラブル~
『3』
自分を表現することが課題となる時期。
創造性、感性を自分らしく表現することがチャレンジとなります。


《Year Cycle 2》7歳の時、兄の影響で地域のサッカーチームに入団。
《Year Cycle 5》10歳 いじめに遭う。
《Year Cycle 9》14歳 日テレベレーザ入団
《Year Cycle 10》15歳 両親の離婚 サッカー日本代表
《Year Cycle 3》17歳 アトランタオリンピック代表入り
《Year Cycle 7》20歳 大学中退 渡米 アメリカクラブチーム入団
《Year Cycle 11》25歳 大怪我の中、アテネオリンピック予選活躍、オリンピック出場を得る
《Year Cycle 12》26歳 大活躍、アジアMVP、チーム優勝
《Year Cycle 7》30歳 二度目の渡米
《Year Cycle 9》32歳 INAC神戸移籍 ワールドカップ初優勝・大会MVP 国民栄誉賞


大きな愛を持って、人々を受容し、表現していくことがテーマの時期
出会いと別れを多く経験し、家族、友人、世界との繋がりを経験し、視野を広げて、大きな愛を学んだ時期だと思います。《Year Cycle 11》25歳の時、オリンピック最終予選では大怪我をして、戦線離脱をしていました。
チームメイトに、「なにもできなくていい、ピッチに立ってるだけでいいから」と懇願され、痛み止めを打ち痛みを堪えての出場。見事五輪の切符を手に入れました。チームメイトの愛、それに応える大きな愛を持って勝利した。その後は多くの仲間、スタッフの支えで厳しいリハビリを乗り越えて、オリンピックの舞台で活躍をした。
20歳、30歳共に《Year Cycle 7》の時渡米、世界を経験し、視野を大きく広げ彼女は飛躍していきました。これらの活躍で、澤選手は日本のレジェンドと称され、人々に大きな喜びと希望を与えてくれました。


===================================
 33~50歳
【Cycle Number】
『6』【調和】
 調和すること。人のために役に立つこと、世の中のために自分が出来る事を考える。奉仕や育成の時期です。
 人との関わりが多くなる時期でもあります。近しい人へ愛を注ぎ、社会貢献し、責任も学び奉仕の精神を培います。
【Pinnacle Number】
 33~41歳 『13-4』【修練-安定】
『4』安定、基盤づくりの時期。安定を手に入れる時期
『13』修練、創造と破壊を繰り返し、常に学びを喚起させられる時期。本質に目覚める時でもあります。

【Challenge Number】
 33~41歳 『1』
 リーダーシップ、自立について学びが課題となる時期。

《Year Cycle 10》33歳 FIFAバロンドール賞受賞 ロンドン五輪銀メダル 
病気(良性発作性頭位めまい症) 
《Year Cycle 12》35歳 代表落選
《Year Cycle 13》36歳 カナダワールドカップ銀メダル 結婚
《Year Cycle 5》37歳 サッカー引退新たな道へ・・・


本質に目覚め、人々のために奉仕し、調和して行くこと。リーダーシップを学ぶことがテーマとなります。
病気や代表落選などの経験で新たな発見、挑戦を見出し見事代表復帰しました。家族、安定を求める時期に結婚をしています。新しい命が授かったとのうれしいニュースも届きました。どんなお母さんになるのか楽しみです。
調和しながら内面の成長を目指し、愛と責任を養うこと。仕事、健康、家族の現実的な学びに向き合い理解、創造、表現していきます。現在37歳これからどのような人生を創造していかれるのか、日本の女子サッカーが、再び世界一の栄冠を手に入れる時、澤さんが指導していることを期待しています。




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最後に・・・
澤穂希さんは、絶対的信頼でチームを牽引していた。欲しい時、欲しい場所に彼女はいてプレーしていた。
チームが一番苦しい時に力を注ぐ、一瞬のチャンスを逃さず点を取る。華麗で力強い選手でした。
プレーしているときの力強く、美しい姿がとても印象的でした。
このリーディングで、現状に背を向けず、どれだけの努力が実を結び、人々を魅了するのか、変化を恐れ、現状に甘んじると、本当に見るべき世界から遠ざかり、出会うべき世界、人を失うのではないかと思えてきた。
自分の弱さも認め、日々高めること、大きく成長する可能性を下げず、変化を楽しく、そして厳しく向き合い経験をしていくことがこれからの人生を送る鍵かもしれません。
一歩踏み出す勇気、本当の自分に向き合う勇気をもらえたような気がします。
ありがとうございました。


Reported by
AEONS Numerology Basic the 10th Class
Yoko @ Yokohama class
# by kej000 | 2016-08-14 23:45 | 数秘レポート

俳優界を引っ張って行く若きリーダー*小栗旬

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小栗旬

本名  小栗旬  Shun Oguri

1982年12月26日生まれ



俳優界を引っ張っていく若きリ-ダ-

☆誕生数 4-13 <生まれ持った特質 本来の姿>
人生や生活のしっかりした基盤や安定を作るため コツコツと努力して足元を固めていくnumber そのこつこつと積み上げていく姿に周りの人々からの大きな信頼を得てその在り方自体がリ-ダ-になっていく人

また13は破壊と再生を繰り返すnumberでもある。
崩しては立て直し、その度に真面目に向き合いまた足元を固める努力を継続してける人でもある。
☆運命数  6 <この世における使命や目的>

6は愛と調和 チームワークの数字
また美の数字でもあり芸術的センスに優れた数字である。
世のため人のために尽くす仕事や 芸術的センスを生かし俳優 女優 歌手と自分のセンスを発信することにも長けている。

彼は俳優としての仕事を通して人との信頼関係 人との愛 一つの作品をつくるまでの責任 チームワークを学び続けています。出演した作品でのたくさんの人との出会いが彼の人生に大きな影響を与えています。
☆ ソウル数 3-21  <価値観や内なる動機 行動の基準となるもの>
  
  3は表現豊かで外交的なnumber
クリエイティブなナンバ-でもあり芸術 芸能 演劇にも向いている。
  自分の表現が人に光を与えます。
  彼の場合 人との出会いが今の仕事につながりました。
  子供の頃は人見知りでいじめや孤独を味わいましたが3の持つ社交性が人との出会いによって開花し 人が好き 仲間が好き 楽しいことが好きと気づくことができました。



☆人格数  3 <他者の目に映る印象や雰囲気>
 
 3は人を楽しませ自分も楽しむ その循環で空気を和ませる力を持っているNumber
彼も仕事仲間にサプライズプレゼントをして喜ばせたり 友達やお世話になった人に突然呼ばれても少しの時間でも必ず会いに行くというポリシー持っているそうです。
自分が行動することで人の喜ぶ顔が見られてまたそれを自分のエネルギ-にしているのです。

☆実現数 1-10  人生での可能性や実現性

リ-ダ-気質 開拓を表すnumber 1
開拓精神を持ち常に新しいステップを上るため 自ら先頭に立ち新たな可能性を切り開いていく人

彼の場合 事務所などの組織を超えてもっと才能のある俳優を上へ押し出そうと立ち上がり、また俳優の労働条件の向上を目指し組合を作ろうと組合を作ろうと動いています。
借金までして自らけいこ場を建て提供していrとのことです。まさに新たな場所を開拓しています。
☆ステ-ジ数  5  <活躍の舞台>
芝居 芸能も彼のステ-ジです。俳優以外に、声の良さにも注目され、ナレ-ション アニメの声優など活躍の舞台はどんどん広がっています。映画監督にも挑戦し最年少監督として新たなステップを踏みました。

☆チャレンジ数  1-10   <試練数 試される数字>
1は開拓と勝負の数 開拓者精神で常に突き進み挑み続ける数字 一人でもやりたいと思ったら行動できる力を持ち合わせている。
彼の場合、演劇に真剣に取り組むことを決めた時から自分が先頭に立ち演劇界を常に盛り上げています。

☆Nature数 6      <素の自分 自然体の自分>
6は調和を大切にし 家族、仲間など周りの人々に献身的に愛を注ぎます。
チ-ムワ-クを重んじ愛情を思いやりを持って行動します。
世のため、人のためとやりすぎてしまうと自分が苦しくなるので人との境界線がテ-マになっています。
☆Action数    4   <行動するときの自分>
4は仕事人生において安定、確固たる足場を作り上げるNumber.
足場を作るために真面目にコツコツと物事に取り組み、それが苦にならず、いずれ大きな実績を作り上げます。
 
彼の場合 稽古が終わっても自分の演技力を磨くため、彼が師と仰ぐ吉田鋼太郎さんの家に「どうしても稽古してくれないか?」と個人的に毎晩勉強しに行っていたそうです。すこし強引ですがその芝居に対する熱意や姿勢に吉田さんも心底感動したそうです。

  
☆ Cycle Number 8  33才から50才 <メジャ-サイクル>
組織のリ-ダ-になるNumber 契約の数字でもあります。
ますます大きな俳優になるためパワフルな仕事人間になるでしょう。
☆Pinnacle Number 1  33歳から41歳 <人生の山場 どんな状況の時期か?>
1は開拓精神を持ちいらないものを分別し、明確な目標を立て新しいステップへ行動してい時期です。
☆Challenge Number 6 33才から41才    
6は家族の問題から内面の強さを養う数字です。結婚、離婚、出産、死別などあらゆる家族のテーマから、それを経験してどう自分を整えていくのか?が課題になります。
小栗旬さんもご結婚されお子様が生まれて父親になり家族を持つ責任、父親になった覚悟を試される時期に入ります。また6は家族との境界線も課題になります。家族と仕事のバランスをどうとっていくかが、今後のテ-マになっていくでしょう。





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History

東京都出身 父は舞台監督 無類の漫画好き 
小6の時新聞の載っていたオーディションに応募 その後エキストラとして活躍

・13才    (Year Number 8)
・ドラマ 「木曜の怪談」に初出演
12才 小6の頃 オ-ディションに合格 
Year Number7で演劇の世界に目覚め探究し次年の8で現実へと近づいています。

・18才  (Year Number13)
ドラマ 「summer snow」の耳の不自由な少年の役で、注目を浴びる。
13は破壊と再生の数字 
13歳のドラマ初出演以来、周りの人の芝居に対する熱意や現場の雰囲気に圧倒され、
自分を見失う時期もありました。しかしいろんな職場や人に触れやっぱり自分には芝居しかない芝居がしたいという気持ちがあふれはじめて、芝居に真剣に向き合おうと決心して臨んだドラマ このドラマによって自分をとり戻し、再生の一歩を踏み出します。

・19才     (Year Number 14)
舞台 「宇宙で一番速い時計」で初舞台決定
14はしっかりとした支柱を意味します。芝居に真剣に向き合うと決心し支柱ができあがりその翌年の自分の映画に出てくれる仲間 自分と映画を作ってくれる人材を自ら集めます。
14に新しいチャレンジをして敢えて変化を求め新しい風を作ります。
監督業としてまた違った角度で俳優という仕事を見つめその後の自分俳優人生の糧となり
ます。
・21才    (Year Number 7)
 蜷川幸雄 「ハムレット」舞台に初抜擢
  7はステ-ジアップ、探究の数字、この年に蜷川さんの舞台に初出演。この蜷川さんとの出会いで芝居とは何か?演じるとは何か?という探究心 役を研究することを学びます。

・23才  (Year Number 9)
 ・ドラマ 「花より団子」ドラマでの出世作
  9は完成の数字。いままでの舞台経験で学んだことを糧にドラマの世界にも力を発揮し才能を開花させていきます。

・27才  (Year Number 13)
 ・テレビ「A-Studio」で笑福亭鶴瓶との出会い 
  13は破壊と再生と共に違った角度から物事を考えられる数字。鶴瓶さんとの出会いで、彼は誰とでも心の壁なく話す鶴瓶さんを見て衝撃を受け、今までの人見知りは損なことだと学んだといいます。それから人と話すことの喜び、楽しさを学び気づいていきます。

・28才     (Year Number 14)
 ・映画「シュアソ-サムデイ」で初監督 史上最年少の映画監督になる。
  自分の映画に出てくれる仲間、自分と映画を作ってくれる人材を自ら集めます。
  14の新しいチャレンジをしあえて変化を求め新しい風を作ります。
  監督業として、また違った角度で俳優という仕事を見つめその後に自分の俳優業の糧となります。
 
・30才     (Year Number 7)
 結婚 ドラマの出演がきっかけで山田優さんと結婚。7の年の結婚は信頼や絆を深めるのに最適の年。プライべ-トでも精神の充実を手にいれます。
32才     (Year Number 9)
・第一子誕生
お子さんの誕生により、の精神的なつながりがますます強くなります。
仕事でも初めての父親役がこの年に決まったり影響を受けています。




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《小栗旬をリーディングしてみて》

4の持つ真面目さ 1の持つリ-ダ-シップ 6の持つチームワ-ク、3の持つ明るさ
全てが俳優という世界で役立っていると思いました。
詳しく調べてみて彼のいろんな壁にぶつかり考えて悩んで、また変化して動き出す姿にみんなが魅了されていくのだと感じました。

《リーディングから学んだこと》
私は小栗さんの常に仲間をたたえて尊重する姿、いろんな壁にぶつかって悩んで考えて、また変化して動き出す行動力にいつも魅了されています。
詳しく調べてみて自分を同じ数字が多いことに驚きました。
それはきっと今までの自分の殻を打破し、行動する勇気を持つというメッセ-ジだと思います。
打破し行動するために私には何が必要か?考えた結果、まず自分を愛し、自分を信じることが必要だと気づきました。
簡単なことではないけどこれを忘れないように意識しながら過ごしていきます。


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reported by
AEONS Numerology Basic the 10th Class
Kan chan @ Kawagoe class
# by kej000 | 2016-08-08 22:18 | 数秘レポート

いのちをむすぶ おむすびの祈り*佐藤初女 vol.2


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いのちをむすぶ おむすびの祈り
Omusubi, Connecting Lives
Sato Hatume


続き編です。
こちらを最初にご覧になっている方は、是非、Vol.1からお目通しくださいますと嬉しいです。



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<人生の年表>
History 主な出来事


1926年 5歳(#17-22)
教会から聞こえるアンジェラスの鐘の音に心惹かれる初女さん。
高い波動をこの頃から受けていたのでしょう。

1934年 13歳(#14-21)
父親の事業が失敗し青森市から函館へ転居。
14の数字の示す、家族との協調、家などの余儀のない変化を体験することによって、
真の建設的な自由とは何か?を学ぶサイクルにありました。

1938年 17歳(#15-16)
結核、カリエスを発症。
女学校を中退し青森へ戻る。このころ聖女テレジアの自伝『小さき花』に出会う。
サイクル15(デビル)16のときの出来事です。
数字の16は、真理の探求を意味する数字で、多くの体験や事態に遭遇し
何度も価値観を変え、心理とは何かを探求することになります。
また人生の途中から運命的な絆に吸い寄せられるように神秘的な方向性へ
向かうことも示唆します。
初女さんにとっては、結核を発症し、同じく結核に苦しみながらもその信仰を全うした聖女テレジアとの出会いがありました。のちに洗礼を受けた初女さんは洗礼名を「テレジア」とされました。

1939年 18歳(#15-17)
小学校教員となる。

1944年 23歳(#15-22)
校長だった佐藤又一氏と結婚。
26歳の年の差、子連れ(長男24歳、長女21歳、次男18歳)という条件に
両親は猛反対するが、娘の意志の固さに最後は折れて結婚。
それを機に夫とともに小学校を退職。
なんともドラマチックな選択をした初女さん。
ちょうど22の数字の年でした。
大きな視野の愛のもと、新しいステージに向かったことを意味しています。

1945年24歳(#15-23)
空襲で焼け野原となった青森市から弘前市へ転居。その後、生涯を弘前を拠点に活動します。

1947年26歳(#16-16)
妊娠。命の保証はないと何人もの医師から出産を反対される。
16の数字のサイクルの始まった年です。
愛や信頼の価値を修正し、真理とは何かの探求が始まりました。

1948年27歳(#16-17)
息子を出産。

1953年 32歳(#16-22)
女学校時代からの念願であったろうけつ染めを習い始める。
このろうけつ染めが、のちに自宅で教室を開くことにつながり、
弘前イスキア、森のイスキア活動へと発展します。
初女さんの活動の拠点は、この22の数字の年に始まったと言えます。

1954年33歳(#16-23)
弘前カトリック教会で受洗。
霊名はテレジア

1956年 35歳(#16-25)
結核が完治したと実感。17年にわたる闘病生活が終わる。
一方、長年、桜の研究に没頭していた夫の又一氏が
自ら作詞作曲した「弘前さくら音頭」の発表会に
退職金を使い果たし困窮。

1957年36歳(#17-17)
染色作品が青森の物産として選ばれ、全国の百貨店に出品。
また各地の会場に出向き実演や染色指導を行うようになる。
新しい17の数字のサイクルの始まりの年でした。

1962年 41歳(#17-22)
この頃より初女さんの人柄と美味しい手料理を慕って
自宅に人が集うようになる。自然に悩み相談をうけるようになる。
数字の22の年です。その後の初女さんの活動の礎となる活動がここから
始まっています。

1970年 49歳(#18-21)
敬愛するヴァレー神父の「奉仕のない人生は意味がない」というお説教を聞き
大きく心を揺さぶられる。本格的に奉仕の道へ進む決意をする。

1973年 52歳(#18-24)
夫又一氏が逝去。亡くなる一週間前に受洗。

1978年 57歳(#19-20)
弘前学院短大で非常勤講師となり染色を教える。
数字の19のサイクルに入っています。
家族や自分の殻から抜け出ようともがく数字です。
激動の変化をくぐりつつ、真の力のあり方を普遍の真理を学ぶことによって
自立し、本当の意味での自信と威厳を現実社会で確立していくことを学ぶ時期と言えます。

1979年 58歳(#19-21)
主宰する弘前染色工房のために自宅の庭にろうけつ染の教室を増築。

1980年59歳(#19-22)
ヴァレー神父の急逝。

1983年62歳(#19-25)
長期滞在する人も増えたため自宅スペースを広げたいと願っていた初女さんの思いに様々な人が答えて、寄付により2階を増築。弘前イスキアと命名。地元の主婦たちがボランティアで活動を手伝うようになる。


1985年64歳(#19-27)
ヴァレー神父の意志を継ぎ、特別養護老人ホーム大清水ホーム後援会副会長、弘前カトリック教会信徒会副会長、日本共助組合連合会理事に就任。

1988年67歳(#2-3)
弘前イスキア開設5周年を迎え、感謝の記念ミサが開かれる。
5年間に訪れた人の数は400人を集い、自宅に長期間人を受け入れることに
限界を感じ、「自然の中にみんなが集い、安らげる場所を」と願う。

この前年の66歳から初女さんの人生は1桁の数字が始まります。
それまではずっと2桁の数字で続きでした。
自分の力ではなんともならない
状況の中で生き抜いてきました。
これからが初女さんの主体的な人生の幕開けです。

1989年 68歳(#2-4)
長年親交を深めてきた女性の両親から支援の申し出を受けて
岩木山山麓の土地購入。
日本善行会賞受賞。
数字の4が示す、安定、建設、基盤。
森のイスキアの基盤となる場所を確保した年となりました。

1992年 71歳(#2-7)
森のイスキア完成

数字7の年に完成しました。
飛躍の数字でもあり、深く一つのことを探求する数字でもあります。
弘前市内から車で1時間ほど行った、岩木山の麓に位置する
森のイスキア。世俗から離れて自然の中で内省する場所が完成したのです。

1993年 72歳(#2-8)
アメリカコネチカット州ベツヘレムにあるレジナ・ラウディス修道会から鐘が届く。
森のイスキアに鐘を響かせたいという夢が叶う。
ミキ女性大賞、ソロプチミスト女性ボランティア賞、弘前市シルバー卍賞受賞

1994年 73歳(#2-9)
ドキュメンタリー映画『地球交響曲第二番』への撮影開始。

数字の9の年に始まりました。
今までの初女さんの生き方を集大成する機会になりました。

1995年74歳(#2-10)
ドキュメンタリー映画『地球交響曲第二番』公開され、一躍脚光を浴びる。
東奥賞、国際ソロプチミストアメリカ連盟女性栄誉賞受賞

10の年の出来事でした。
それまで東北地方で知る人ぞ知る活動を地道に展開してきた初女さんですが
全国、世界に知られるひととなりました。


1997年76歳(#3-3)
宮城県青年の船に招待され、ロシア、韓国を巡る船上で公演する。
「おむすびの祈り」、「朝一番のおいしいにおい」が出版される。

3のサイクルがスタートした年です。
初女さんの持ち前のインスピレーションで導かれるまま
魂の喜ぶ旅が始まりました。
この後、全国各地、世界各地を飛び回りまわる生活が始まります。

1998年77歳(#3-4)
弘前イスキア、森のイスキアの命名の由来の地、イタリアイスキア島を訪問。

1999 78歳(#3-5)
バングラディッシュを訪問。
本2冊出版。

2000年79歳(#3-6)
鐘を贈ってくれたアメリカのレジナ・ラウディス修道会の院長が森のイスキア訪問。
本出版。
森のイスキアの裏の土地を確保したいという夢が、長年親交を深くしていた方の遺志により叶う。息子の芳信さんが「小さな森」と命名。

2001年80歳(#3-7)
アメリカ3箇所(ロサンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨーク)でおむすび講習会。

2002年81歳(#3-8)
息子芳信さん逝去。
森のイスキア10周年を記念して岩木山の巨石が設置される
本出版、NHK「こころの時代」に出演。


2003歳82歳。(#3-9)
「小さな森」をみんなが憩える場所にしたいという初女さんの思いを汲んだ支援者が
修景に着手。
本出版

2004年84歳(#3-11)
「小さな森」完成

2006年85歳(#3-12)
シンガポール訪問
テレビ東京「誰でもピカソ」出演
本出版

2007 86(#4-4)
本出版

2008年87歳(#4-5)
ハワイでおむすび講習会
本出版
数字4の周期が始まっています。

2009年88歳(#4-6)
ベルギーでおむすび講習会実施。
本出版

2010年89歳(#4-7)
知人より森のイスキアの近くの土地の提供を受け、念願の畑づくりを開始。
NHKプラネットの依頼にで「生物多様性」について講演。
本出版

数字7の年から、生物多様性について講演をしています。
今までの初女さんの食べもの、命と向き合うことの洞察が深まった結果と言えます。

2011年90歳(#4-8)
東日本大震災を経験。
パリでおむすび講習会。
本出版

2013年 91歳(#4-9)
「世界の平和を祈る祭典in 日本平」でキリスト教徒代表として登壇。
マザーテレサの言葉を読み上げる
主よ、きょう一日、
貧しい人や病んでいる人々を助けるために、
私の手をお望みでしたら
今日、わたしのこの手をお使いください。

主よ、きょう一日、
友を求める小さな人々を訪れるために
わたしの足をお望みでしたら
今日、わたしのこの足をお使いください。

主よ、きょう一日、
優しい言葉に飢えている人々と語り合うために
わたしの声をお望みでしたら
今日、わたしのこの声をお使いください。

主よ、きょう一日、
人というだけで
どんな人々とも愛するために
わたしの心をお望みでしたら
今日、わたしのこの心をお使いください。

ダライ・ラマと対面し、おむすびを振る舞う。
本出版


2014年 93歳(#4-11)
本2冊
2015年94歳(#4-12)
本出版
2016年94歳(#4-12)
2月1日逝去 月ナンバーは5から6へ変わったところでした。6は生と死、境界を超えることと意味します。

最後に、初女さんの最後の著作『いのちをむすぶ』のあとがきから、初女さんのこの言葉を引用して、結びにしたいと思います。

_________________________
私は今、94歳です。死にたくはないけど
死ぬことはこわくありません。
夫の信条は「最期の最期まで生きんとして生きる」でしたが、
私もこれまで通り、神さまにいただいたいのちに感謝しながら、
最期のときまで真実にいきていきたいと思っています。
(中略)
昔のように動けなくなったことは残念ですが、原点に返ったつもりで、
弘前の自宅で訪ねて見える方々をお迎えして、いのちを伝える活動をつつけています。
手料理でおもてなしすることもままならないけれど、ひとつの出会いがまた次の出会いへと
結ばれ、融合し、うねりとなり、波のようにどこまでも広がっているのが、はっきりと感じられます。
ひとりひとりに森のイスキアが宿っているー。そのことが何よりの励みです。

私も、もっともっと働きたいと願っています。
人はいくつになっても航海の途上にあるのですから、一歩でも半歩でも進み、少しでも広がっていきたいのです。
もうできないと悲観するのでなく、希望を持って次の展開を待っています。

2016年 まだ見ぬ海の彼方を夢見ながら 佐藤 初女


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*****************

初女さんと自分をつなぐもの。
しばらく考えて、思い浮かんだのは、
HOME、という言葉でした。
私は、いつからか、ホームを求める気持ちがありました。
自分自身がホッとくつろげる居場所。
心通い合う人たちと、そんなホームを作れたら。
そして、そんな仲間に囲まれて、旅立てたら、幸せ。
いつか、行き場のない人たち、静かに生活できるホームを作りたいと夢を持っています。


初女さんは、相手の方がホッとくつろげる、「ホーム」そのもののような方でした。

4年前、雪深い1月に弘前イスキアに初女さんを訪ねました。
お会いした初女さんの印象は、一言で言うと、「自然体」。
それは、流れる水のようなしなやかな自然な存在でした。
そして、ご自身の心と体を、最後の最後まで使い切るという
静かな信念が存在から感じられました。
それは、覚悟、という大げさなものではなく、
本当に、静かな信念。

冬の弘前は、それはそれは雪深く、何もかもが真っ白に埋め尽くされていました。
大きな自然を前に、私たち人間が何をあがいているのだろう。
人と人との間で生き、苦しみ、逃れるようにやってきた弘前は
私を優しく迎えてくれました。
大きな自然の前ではなんともならない、
そんな諦観を持った静けさを場所から感じました。
またそうした自然を前に、
人同士がゆるく結びつき、謙虚で優しい空気を感じました。


数秘を学ぶと決めて、卒業readingは初女さん、と思っていました。
同じ8、3、11−2を持ち、初女さんのソウル数9は、
自分のステージ数でもあります。

初女さんをreadingして、私は正直、こんなに偉大で地道で謙虚な生き方を
私はできるのだろうか。
否、初女さんだからできたことで、私にはとても無理。
そう思いました。
初女さんの言葉は、とてもシンプルで真実です。
「今を生きる」「いつも感謝の心で」

いつも感謝の心で、今を生きていたなら、自然と脚元に道が見えるでしょう。

この世に生まれてきたとき、人の間で生きようと決めてきた自分。
いつしか、この世に生きていく中で、方向を見失いつつありました。
今回、生まれてきたのは何のため?
自分が持って生まれたこの数字に込められた意味。
それを初女さんがもう一度気づかせてくれました。
私にとっても、神とつながることは行動すること。
祈りは行い。
魂が喜び輝くことを選んでいこう。
どんなに揺れ動いてもいい。
どんなことが起きても、すべては魂の経験。
透明に生きる。
自分を限りなく透明に、神様の一滴を受け入れられる器でありたい。
そう思いました。

すべては魂の経験のため。
これからは、恐れずに、自分の魂の声に従って
一歩一歩前に進んでいきたい。

そんなふうに感じました。
Viva初女さん!

Aeons Numerology the 10th Basic Class
Reported by Kannon @Kawagoe class
# by kej000 | 2016-08-06 10:11 | 数秘レポート

いのちをむすぶ おむすびの祈り*佐藤初女 vol.1

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いのちをむすぶ おむすびの祈り
Omusubi, Connecting Lives
Sato Hatume



青森県の岩木山麓にある「森のイスキア」。苦しみを抱え、心が傷ついた人たちを受け入れ、痛みを分かち合う癒しの場です。佐藤初女さんは半生を通じて心を込めた手作りの料理で、食を分かち合い、いのちを伝える活動をしてきました。
初女さんは数秘で読み解くと、どんな方だったのでしょうか。


さとう はつめ
佐藤 初女


出生名 神 初女 
    Hatsume Jin

生年月日 1921年10月3日
逝去    2016年2月1日




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〜Personality〜

(Birth No. 17−8) 生まれ持った資質・個性・潜在能力

「生命の樹」にみる8の特性は行動的で直観思考型、一つを長く追求する熱中を表す数字です。


(1)尽きない心〜無限大∞の8

「私には心がある。心は汲めども汲めども尽きることはない。その心を差し出そう。」

初女さんは8の数字が示すように直観思考型で行動的です。
ある時、通っていた教会の神父様が、こんなことをおっしゃったそうです。
「奉仕のない人生には意味がない。奉仕には犠牲が伴う。犠牲の伴わない奉仕は、真の奉仕ではない。」
この言葉を聞いた瞬間、初女さんは何かに打たれたような衝撃を受けたそうです。その日初女さんは「今のままではいけない。私にできることはなんだろう?」と考えながら家路につきます。その帰り道に、ある交差点に差し掛かったときに、こうひらめいたそうです。そして、それから約40年以上、半生にわたって見ず知らずの人を受け入れ、おむすびを握り、人々に生きる力を与え続けました。

8の数字は、無限大を示す∞(レミニスケート)を象徴しています。
汲めども汲めども尽きることのない心。その尽きない心は神様とつながっています。初女さんの出生時の姓が「神(じん)」というのは、まさに「神」とつながって生まれてきたことと体現しています。8は初女さんを象徴する数字と言えます。


(2)行動の数字8

「私にとって祈りとは生活です。
生活の動作、ひとつひとつが祈りです。
心を込めて食事をつくったり
ともに食卓を囲んだり
ごく平凡な日常の営みの中にこそ
深い祈りがあるのです。」

数字の8は、行動の数字でもあります。
初女さんは、敬虔なクリスチャンでしたが、
静かにじっと座って祈ることは少なかったようです。

初女さんにとって祈りとは動、生活の動作ひとつひとつが祈りでした。
8の数字の持つ動的な性質を体現していると思います。

(3)パワーの8

「訪れてくる人は神様の代わり」

8はとても強いパワーを持った数字です。初女さんは、どちらかというと物静かで前に出て行くタイプではありませんでしたが、その行動はパワーに満ちていました。

40代の頃から自宅を開放して「弘前イスキア」を開設し、のちに岩木山の麓に
「森のイスキア」を開設します。
時には夜中でも、初女さんを頼って来訪者が訪れます。どんな時でも初女さんはすべてを神様に委ねてドアを開け続けました。もともと病弱で、決して頑強なお身体ではないなかでの長年の活動で、時には倒れてしまうのではないかとご自身でも思いながら、それでも命が尽きるまでその活動を続けました。
それは8の持つ情熱と、実行力、バイタリティーの力強さを物語っています。

(4)リーダーシップの8

イスキア活動は初女さんの活動に賛同し、お手伝いを申し出る方達によって運営されていました。また全国には、初女さんの活動に賛同するグループもいくつか組織されていました。初女さんの思いや活動に賛同し、その行いを支える仲間の存在がありました。8のリーダーシップ、組織立てる力がここでは発揮されたといえるでしょう。自然と人が集まる静かなカリスマの持ち主でした。


Reading ナンバー
計算途中の2桁:若年期から本来の意図する方向への学びの経路は?
1+7=8
若い時期に1、その後7を学ぶことにより中年期以降に8(社会へ出て行く)が活用できるような基盤を築く

1・・・幼いころから教会の鐘に引き寄せられ、高次のエネルギーやインスピレーションを受け取っていたと言えます。
7・・・その後キリスト教との出会い、神様とのつながりを深めるなかで、内省を深めました。
のちにそれらが、8へと開花させました。

_________________________________

(Destiny No. 3)使命、目的、仕事、ライフワーク

Destiny ナンバーはMissionナンバーとも言います。
初女さんのMissionはなんだったのでしょうか。
数字の3には、発展、成長のバイブレーションがあります。
3の数字の持つミッションには、
「精神的な喜びを人に与えること」「人々に未知の光を投げかけること」とあります。まさに初女さんの社会的な活動の変遷は3を生かした実践でした。


(1)おもてなしの3
「あなたに喜んでもらえるように」

常に自身の内奥から湧き上がるスピリチュアルな導きを行動にした初女さん。
初女さんは精神的な喜びを人に与え、未知の光を投げかけ続けました。
自宅で染物教室をしていましたが、その部屋を誰でも温かく迎え入れ交流できる場にしました。1983年、62歳のとき「弘前イスキア」と名付けました。自分を見つめ直し、新たな生きるエネルギーを得られる場にしたいという初女さんの願いが込められています
初女さんは表現力、感性、直観力を惜しみなく世の中のために使うパイプを創ることを使命にもって生まれました。初女さんのパイプとは、人をありのままに受け入れることであり、おむすびで結ぶつながりです。

(2)広がる活動〜広がる場所を

「心にはいつも、前に進むための言葉を持っています」

数字の3には発展や成長、開放の意味があります。
初女さんの持ち前の感性の豊かさと楽観性でイスキア活動は育まれてきました。

「私の生き方は、自然に任せる、直観で決めるということが多いのですが、何も不安に思わずにそのようにできることは、きっと私が何も持っていないからだとおもいます。そしてそのことが私の最大の強みではないかと思っています。」
3の持つ波動は明るく純粋で、天からのサポートが来やすいと言います。自宅を開放して人を受け入れる細々とした活動が、いつの間にか周囲のサポートを受けながら森のイスキア開設と発展していきました。


(3)好奇心と行動力の3
「子どもの頃の夢が70代で叶いました」

 初女さんの行動が本格化したのは60代から。初女さんの活動が青森県内にとどまらず日本全国、また世界へと広がるようになり、各地から講演会に呼ばれることが増えていきます。もともと楽しいことが大好きで好奇心旺盛な初女さん。
周囲が高齢だからとハラハラするなか、初女さんは招かれれば二つ返事でどこへでも出かけて行きました。
制限をかけない純粋な3の波動の持つエネルギーを体現しています。

(4)与える愛、育む3
 小学校の教師時代に、その学校の校長先生だった夫と結婚しました。当時、初女さん23歳、夫は28歳年上で、3人の連れ子がいます。周囲は強く反対したそうですが、初女さんの決心は揺らぐことはなかったといいます。精神性高く、与える愛を象徴していると思います。
 結婚後は退職し、自宅で染物教室を開き、生徒さん達に染物を教え、また短大で染物の講師もしています。人を育て、育むことを選択し、行動しています。
自宅での染物教室は、その後の弘前イスキア、森のイスキア活動へとつながります。
初女さんは常に純粋な精神から行動を選択し、それが積み重なり、のちの大きな礎になっていったと言えます。


(5)明るさと闇

「苦しいと思うほど、とことん苦しみます。
もうこれ以上できない、
もう限界、というところのどん底まで落ちるのです」

父親が事業に失敗し倒産、生まれ育った青森を離れ函館へと引っ越しを余儀なくされます。その心労から、17歳で結核を発症します。電柱1本分の通学ですら吐血し、学校に行く事もままならなくなったそうです。じっと闘病生活に耐える日々が続きます。
 28歳の年の差結婚で結婚した夫には3人の連れ子があり、周囲の猛反対にあいます。また初女さん自身、妊娠しますが、病弱だったことから出産を諦めるようにとどの医者からも断られますが、最後は神様に全てを委ねて息子を出産します。しかしその息子も、初女さんが81歳の時に55歳の若さで夭逝します。

初女さんの持つ数字の3の明るさと精神性の高さは、様々なことを経験したからこそ得られた輝きなのです。

__________________________________

(Soul No.  18−9) 魂の欲求、一番大切な価値観

数字の9は自然数のすべてであり、完璧、完成、真理の数字とも言われています。
初女さんの魂は、なんでも受け入れる懐の深さを持っていたと言えます。

(3)体と心、物質と精神性を結ぶ9

「食べることはいのちをいただくこと」「いのちの移し替え」

9の数には、物質的なものと精神的なものの統合の意味もあります。
初女さんは自分の気持ちを、おむすぶに込めて、人々に差し出していました。

初女さんのおにぎりは、ただ丁寧に作ったというだけではなく、そこに込められていたのは「愛」そのものでした。そんなおむすびを口にして、傷つき悩む人々は生きる力を分けてもらっていたのでしょう。
「初女さんのおむすびを食べて自殺を思いとどまった」というエピソードは
初女さんの活動を象徴しています。初女さんの精神性がおむすびに、食に現れていました。

「おむすびの祈り

「おむすびを握りながら、なにを考えていますか」
とよく訊かれますが
私はなんにも考えていないんです。
おいしくなれとも考えない。
一粒一粒のお米を生かすように
ただ無心に握っているだけ。
十の工程があったら、十のどこにも心を離したくないから
考える余地なんてないんですよ。
ひとつひとつの工程に心をかける。
それが私の祈りです。
本当にお伝えしたいのは、おむすびの作り方ではなくて
「信仰とはなにか」ということなのです。

「信仰

 信仰のみなもとは、愛を受け容れること。
それは誰もが生まれたときからできていることで
特別なことではありません。
信仰はじぶんでつくるものではなく、与えられ受け取るものです。」


「お米が息ができるように、ふわっと盛ってさしあげます。
おむすびもね、お米がいきができるようにと思って握るのです。
あまりぎゅっと握ってしまうと、お米が息ができなくなってしまうから。」

できあがったおむすびは、ラップやアルミホイルではなく、タオルに包みます。

初女さんは食を大切にしてきました。それは、ご自身が肺結核を患い、喀血を繰り返していた女学生の頃、お見舞いに桜鯛の潮汁を頂いた時、鯛のお出汁がスーッと指先にまでしみわたったそうです。薬や注射では得られなかった感覚で、食べたい、生きたいという思いが体の奥底からむくむくと湧いてきたそうです。
初女さんにとって食べることは食材のいのちをいただくこと。
おむすびをつくるときも、その思いの根っこは一緒です。


(2)柳のようしなやかな心 9
初女さんの魂の数字9を現すこんな表現があります。
「心が大揺れに揺れても、芯が通っていればいいのです。
(略)人も木々と同じではないでしょうか。
木々がそよ風に揺すられたり、大風にあおられたりするように、人生にはいろいろな出来事が次々に起こり、心を揺らします。そんなとき、どれだけ心が揺れても自分を見失わず、しっかりと芯の通った生き方をしたい。私はそういう人間になりたいと願っています。」

柔らかな柳のようなしなやかさで、幅広い人と交流できる方でした。
包容力があり、魂の根本には奉仕できる喜びにあふれていました。
深い慈悲心と、自己犠牲。愛と理解力を持って穏やかに人類愛を実践していました。
晩年には「初女おかあさん」「日本のマザーテレサ」と言われるように、
初女さんは私たちにとってどんな時でも温かく受け止めてくれる
お母さんそのものでした。

数字の9は全てを包含する数字であるがゆえに、なんでもありになりがちですが
初女さんは奉仕に生きること、キリスト教という揺るがない信条を得て
全てを受け入れる真の強さとエネルギーでもって奉仕を実践していきました。

(3)思いやり深く、包み込む愛 9
 初女さんの人生は、与える愛そのものでした。小学校の先生をしていた初女さんは校長先生だった夫と結婚します。その当時、初女さん23歳、夫は49歳、夫には3人の連れ子がいたそうです。周囲は強く反対したそうですが、初女さんの決心は揺らぐ事がなかったといいます。23歳で3人の母親になる、それは本当の愛がなければできないことでしょう。
初女さんは常に受け取るよりも与える愛を選び、純粋な精神的喜びから行動を選択していきました。

(4)精神的成長 次の光を求めて 9
 初女さんのその人生は、ドラマチックで、激動の人生でした。
それは、時代や環境に翻弄される激動ではなく、初女さんが置かれた状況の中で心の声に従い、その活動を広げていく中での変化だったとも言えます。

「神さまが備えてくださった道を、自分であるいきます」

初女さんは、いつも自分の中に神様を感じていたそうです。辛いことや悲しいことがあったとき、どんなときでも神様が見ていてくださると思うと、勇気が湧いてきたそうです。
自分の中にある神の声を常に感じ、心穏やかに生き抜いた、そんな人生でした。

(5)母の愛
 Soulに9を持つ初女さんは、よく「母の愛」とおっしゃっていました。

「母性愛とは 言葉を替えれば受け入れること

人は受け止められたと思った瞬間から、本当の強さを発揮することができます。
どんなに苦しんでいる人でも、すべてを話して受け入れられていると思った時から、自ら解決策に気づいていくものなのです。
そのような母性愛がもう少し一人ひとりの心の中で芽生えるなら、混沌とした現代のような状況も、少しは変わるように思えるのです。」

初女さんは東北のマザー、初女お母さんとも呼ばれ、私たちの心の母のような存在でした。

(6)全てを受け入れる包容力の9

9の数字には、全てを包含する力があります。初女さんは、どんな人も状況も受け入れる包容力のあった方でした。また初女さんは、活動を深める中でこんなこともおっしゃっています。




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「響きあう

ぬか床って
生物多様性だと思うんです。
米ぬか、塩、昆布、鷹の爪、
きゅうり、にんじん、ナス、大根
食パン、りんご、ヨーグルト・・・
それぞれがそれぞれのままに
おいしさを引き出しあう。
あるがままにいるだけで
互いに支えあっているの。
多様なものが
多様なまま響き合いともに生きる。
それがいのちの摂理です。」

ぬか床からこんなことを考える初女さんは、精神が高く、実践する哲学者のようでした。
「人にもものにも、それぞれにいのちがあって、そのいのちが響きあう中で、私たちは生きています。難しく考えなくても、すでに私たちは多様ないのちの中で暮らしているのですね。肝心なのは、その関係に気づいているかどうかです。気づいていなければ人間の、あるいは自分の都合が優先されて当然、のような考え方に慣れされてしまいます。気づいていれば、自然と「感謝」の気持ちが湧いてきます。」

__________________________________

(Personal No. 3)他者に映るその人の表面的人格


敬虔なクリスチャンであり、自宅を開放して心病める人を受け入れ続ける・・・、
初女さんの活動を聞くと、どんな真面目な人だろうと想像されるかもしれません。
実際の初女さんは、とてもお茶目で、好奇心の旺盛な方でした。
自分が前に出るタイプではありませんが、人を癒し、人を惹きつけるチャーミングな方でした。

初女さんには、力んだところや無理をする様子はありません。
いつも、優しい東北弁でとつとつと話す自然体な方でした。
よく、揺らぐ柳の木のお話をしていました。
「柳の木のように風に揺らいでも構わない。
芯がしっかりしていれば元の位置に戻るから」
初女さんにはキリスト教というぶれない軸が一本ありました。

 初女さんの講演会の後は、参加者との分かち合いの時間を大切にされていました。
みんなからの質問や悩みにその場で回答する初女さんの、天然で素朴な回答に思わずみんなが笑いに包まれる。そんな純粋でまっすぐなところも初女さんの魅力でもありました。人をもてなす潜在的な力を持つ数字の3を体現するように、白髪を紫色に染めるおしゃれで上品な方でした。

___________________________________

(Realization No. 11-2)今回の人生での可能性や実現性

(11)
数字の11は最も高次のバイブレーションを示す数字です。
人と天を結ぶ波動であり、天からその波動を受け取り、現実社会に下ろす役割を持って生まれました。

「昔から人にお会いする時間は「神様の時間」だと思ってきました。
神様の時間ですから、自分の都合は後回しにして、最優先で時間をつくり、
心を傾けるのは当たり前です。これは私が神さまからいただいた大切な使命
なのですから。」

初女さんは鋭い直感力と秀でた洞察力で高次からメッセージを受け取ります。
そのメッセージを汲めども汲めども尽きることのない無限のエネルギーに変えて行きました。晩年には、講演会に呼ばれることも多く、全国各地、時には海外までおむすび講習会に出かけて行きました。時にご自身でも倒れてしまうのではないかと思うほどの過密スケジュールでも、不思議とその場になると力が湧いてきたそうです。
青森県弘前の地を愛し、特に岩木山を愛し、自然に囲まれた森のイスキアを愛した初女さん。「岩木山とともに、大自然の中で人々を迎えたい」そう言います。
初女さんは神からのメッセージを伝える、メッセンジャー的な存在だったのでしょう。

また11は1の2乗の数字でもあり、心を高次の世界に常に開け放ち、
直観を信じて自分の創造性を大きく世の中に築きあげた人とも言えます。
初女さんはよく「今を生きる」という言葉を好まれました。
それは数字の1を持つ初女さんのピュアでまっすぐな心で、
夢を現実的に地道な努力でもって達成する、その姿に他なりません。
自分の自宅を開放して、私財を全て奉仕に投入する、
そんな前例のないフロンティア精神は数字の1の影響でしょう。


(2)
また2の数字が表すように、調和と受容を体現した活動でもあります。
初女さんは「愛とは受け入れること」と言っています。
「人とお会いするときは「神さまの時間」と言います。


(Stage No. 1−10) 活躍の舞台
霊性に基づいた独創性を発揮し、新しい活動を創り上げました。

(Challenge No.  2−20)試練数
奉仕の精神にあふれた初女さん。与えることと受け取ることのバランスや人との境界線と常にバランスを考えていました。

(Nature No. 3)素の性質
与えられた生を楽しむ気持ちを持っていた初女さん。どんな困難も自らの糧にして、人への奉仕へと繋げました。

(Action No. 1) 行動特性
直感を信じて前進し続けました。


(Month No.10−1)若年期の様相
近くの教会から聞こえるアンジェラスの鐘の音に心惹かれる幼い頃の初女さん。その頃から今世の一生を決める霊性に導かれていたのでしょう。
(Day No. 3) 個性や行動特性を見る第2ツール
自らが楽しいと感じ、そのインスピレーションを活かして人をもてなすのが初女さんの持つ波動と言えます。


(Year No.13−4)年代意識数 宇宙数
13は修練の数字です。創造と破壊を繰り返し、常に学びを喚起されます。
障害の度に変容する修練を経験し、カルマの負債を清算することになります。
また4の数字はそうした受難を経て基盤が強固に揺るがないものになることを示しています。


〜Cycle /Pinnacle/ Challenge No. 〜
☆サイクルナンバー どのようなことを学ぶ時期か?
☆ピナクルナンバー どんな状況の時期なのか?
☆チャレンジナンバー 与えられた試練や今回の人生での課題

【0〜28歳】
〜母となる・出生から息子出産まで〜
*Cycle No 1  種まきの時期。焦点を定めて明確な目標を作る時期。
*Pinnacle No. 4 準備と前進の時期。
*Challenge No. 2 受容と協力。境界線を保ちつつ奉仕する人生を確立する。


【29〜37歳】
〜染物で入選・自分の如何ともしがたい状況を受け入れつつ、受容と学びを深める時期〜
*Cycle No 3 より多くを経験し、さらに想像力を発揮し豊かさを受け取る時期。
*Pinnacle No. 7 内省と探求
*Challenge No. 1  霊的資質に目覚める。感性と直観を生かす。心の柔軟性を学ぶ。

【38〜46歳】
〜人が集まる・イスキア活動の礎の時期〜
*Cycle No 3 より多くを経験し、さらに想像力を発揮し豊かさを受け取る時期。
*Pinnacle No. 2 独創性と奉仕を発揮する時期。交流を通じて自己成長を図る時期。
*Challenge No. 1  霊的資質に目覚める。感性と直観を生かす。心の柔軟性を学ぶ。

【47歳〜】
〜イスキア活動の発展〜
*Cycle No 4 収穫、基盤づくりの時期。ステージアップの段階
*Pinnacle No. 5 変化と自由の時期。変化を楽しむ機敏さと柔軟さを学ぶ時期。*Challenge No. 3  自分の感性を表現していく。外へ出て行き視野を広げる。




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それでは初女さんの半生を数字と共に細かくみてまいりましょう。
vol.2へと続きます 。どうぞ引き続き、ご覧くださいませ。
# by kej000 | 2016-08-06 09:59 | 数秘レポート

終わりなき旅*ミスチル・桜井和寿

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終わりなき旅  
Mr.Children/桜井 和寿

 
櫻井 和寿
1970.3.8(現在 46歳)  
  シンガーソングライター

【Birth(誕生数)】 #19-#10-#1
Birthとは生年月日をもとに算出するナンバーで【資質、性格、個性】を表します。
   
ミュージックシーンでは誰しもが認める絶対的存在の桜井和寿さん。
独創性あふれる歌詞とメロディーはピュアなハートの持ち主の桜井さんならではでしょう。#1のナンバーが示すように、新しいことへチャレンジしていく開拓精神やリーダー気質を兼ね備えています。

ミスチルだけにあらず、非営利組織「ap band」を設立。その活動の一環として「Bank Band」結成。活動から拠出した資金は、環境保護や自然エネルギー促進事業、省エネルギーなど様々な環境保全のプロジェクトのための資金としても役立てられています。

夢を実現するために地道な努力を怠らず、常にオリジナルを目指すこと。しかしながら、新たな可能性を切り開くフロンティアスピッリトの持ち主であるがゆえ、数多くのもがきも経験するでしょう。

また#1のほかに#10、#19というカルミックナンバーも持ち合わせています。
カルミックナンバーとは「カルマの数字」を意味します。

それぞれのナンバーに意味がありますが、#10は『再誕生』を意味し、前世でやり残したカルマや目的を今生で果たすナンバーで人に癒しを与える方向へ向かうことが多く見られます。  
スピリチュアルなナンバーの#0も持ち合わせていますので、直観力を生かして本来の自分に還る変化のタイミングをのがさないように注意をすればスムーズに物事が進んで行くように思います。

#19は『力』を意味します。リーダーとなる資質を持ち、人々や世の中のために偉大な貢献をするナンバーです。試練を乗りこえるために勇気を試されます。自立し本当の意味での自信と威厳を現実社会で確立していくことを学んで行くでしょう。


【Destiny(運命数)】 #12-#3 
運命数とは誕生数で与えられた才能や個性をどう生かしていくかを告げるナンバーです。
人生の目的(mission)、社会的役割を告げるナンバーといった方がわかりやすいでしょうか。

#3というナンバーは新しさの誕生やさらなる発展を意味します。
新しさの誕生には何よりも自ら表現することが重要になります。音楽を通じて表現することで#3のナンバーのバイブレーションを上手く生かすことができると思います。批判を恐れずに自らの感性や直観力を信じて自己表現をすることで人生はさらに開花し、ますます豊かさを受け取るでしょう。自分が楽しむことで人々にも喜びを分けあたえることができるはずです。


【Soul(ソウル数)】 #33-#6 
ソウル数とは魂の欲求を表します。ただし隠れた意識で本人が自覚してないこともあるようです。一番大切な価値観や優先したいことなど、強い内的な欲求です。
心の声を聞いて生きていくことは、その人にとって矛盾のない、つまり魂の要求に近い生き方を示すこととなります。

愛について学ぶ#6というナンバー。
実生活では前妻と離婚後、現在の奥様と再婚しています。最初の結婚では順風満帆とはいかなかったようですが、前妻との間に生まれたお子さんも大切に育てており子煩悩であると言われています。
前妻との間の愛の学びも自分自身が生まれてくる時に選んできた課題なのかもしれません。
全ての経験は自分の糧のために用意されているように思えてなりません。
また#6は自己回帰のナンバーでもありますので様々な問題にぶつかるたびに「自分とは何か?」と問いただしながら答えを探して行くでしょう。
迷い悩みながらも人生の中で献身的に愛を棒げることにより、すべてのエネルギーが調和に向かい魂の要求を満たす方向に進んで行くことでしょう。


【Personal(人格数)】 #6 
ソウル数に続きPersonalナンバーでも#6を持つ桜井さん。
人格数とは他人から見た自分のイメージ。その人の社会的な仮面(ペルソナ)を暗示します。

平和を愛し誠実で穏やかなミュージシャンの顔。家族思いで愛情いっぱいのパパの顔を持ち、公私共にバランスがとれている印象を持ちます。

【Realization(現実数)】 #4
Realizationはこの世で実現したいことを表します。

#4を持つ桜井さんは自分の能力を社会で生かしてリーダーとして活躍していくことを実現することが重要です。Birthに#1を持ち、リーダーの資質も持ち合わせているのでコツコツとまじめに取り組む事により着実に基盤作りが行われます。
ミュージシャンとしても家族を守る人としても確実に安定を手にして行くでしょう。
  


★Stage(活躍する舞台) #5
変化、刺激を表す#5のナンバー。
現状にしがみつくと淀んでしますので常に新しい風や環境の変動を意識しながら過ごすところが活躍の舞台になりそうです。
ミュージシャンの活躍の舞台は#5というナンバーがピッタリな舞台です。


★Challenge(チャレンジ) #22-#4
#4のチャレンジとは現実に経験するということ。 
良いことも悪いことも経験し現実的な問題の対処を余儀なくされるでしょう。
また#22はインスピレーションを受け取りやすく、波動の高い数字でもあります。
内なる声を聞き形にすることが大切です。大きなビジョンを持ち新しいステージでそれを実現していきましょう。


★Nature(素の自分) #9 
カリスマ性があり、繊細でロマンチスト。子煩悩な様子からも思いやり深く包容力があり、博愛的というイメージがピッタリです。


★Action(行動パターン) #1
新たなる可能性を開く先駆者。心をオープンにし、降りてくるインスピレーションを受け取り、己を信じて目標、目的を達成します。



◆Cycle Number[36歳~53歳] #8

『どのようなことを学ぶ時期か』
豊かさを受け取る時でもありますが、さまざまな『力』の中でバランス、コントロールが必要になる時です。組織の中で周囲との力の調整と統率を学ぶ時期のようです。


◆Pinncle Number[45歳~53歳] #9

『どんな状況の時期か』
完成の時であり、新しい流れに向かう時です。現状の中でどう動くかがテーマで、自分の中心(核)を定めエネルギーを集中させ、良い環境、世の中に身を置き自己の信念を固め才能を発揮していくことが大切です。


◆Challenge Number[45歳~53歳] #4

『与えられた試練や今回の人生での課題』
忍耐強く一歩ずつ目的を実現させて行こう。実現した事柄をフォーカスし、そこからプロセスを学び更なる壮大なビジョンを描くことによって、54歳以降ではそれらが形になってさらに外に向かって活発化していくでしょう。自分の脳力を社会で活かして、真のリーダーを目指すこと。




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◎History (Year Cycle)

若年期 Youth Number #3

勉強ができなかった若年期。それでも親は文句を言わなかった。教育方針は「何か一つみんなより自信をもって優れているといえるものを身につけろ」ということでした。ご両親もきちんと桜井さんの#3のナンバー活かすような子育てをしていらっしゃるところが素晴らしい。
小学校入学当初、体にイボが100個くらいあって「イボ野郎」とからかわれても、かえってみんなに注目を浴びて気持ちがいいとインタビューで語っています。#3の楽天的で陽気な様子がうかがえます。
また音楽は女がやるものと思いこんでいたので、音楽で歌わない姿勢を貫き往復ビンタを20発ぐらいくらっても歌はなかったというエピソードがあります。自分の意志を曲げずプライドが高く極端なところは#3のアマチュアの部分が出ていたのかもしれません。
1985年 15歳 #25-#7

4月関東高校(現 聖徳学園)に入学し、田原健一、中川敬輔らと共に軽音楽部内にバンド「Beatnik」結成。のちの「Mr.Children」となる。
高校に入り彼女ができたことが自信につながり、自分の性格や考え方がガラッと変わったとインタビューで語っていました。
高1の時から「プロを目指してやっていこう!」とオーデションにテープを送る日々だったそうです。
#25-#7ということもあり、プロを目指すための計画をより深める年になったと思われます。


1989年 19歳 #2

1月1日バンド名を「Mr.Children」と改名。
サイクルが2ケタから1ケタに変わった年のバンド名の改名。
ミスチルという名の種が芽吹き始めたようです。
本格化するバンド活動の中で人間関係と協調性を学び、自分の中に作り上げた創造物をアーティストとして現実社会で具現化していくことが始まりました。


1991年 21歳 #4

1月  3ヶ月の活動休止
11月 小林武史と出会う 
 
デビュー目前にひかえたインディーズ時代に3ヶ月の活動休止。「自分たちがどんな音楽をやっていくのか具体的な方向性が明確になっていない。永遠に評価され続けるバンドになるために土台をもう一度見つめ直したい」という理由からだと言われています。
丸3ヶ月後、再びメンバーが集まり自分たちの進みたい方向性を話し合った時「自分たちの身体の底から湧き出てくるメロディーを音にしたい」と意見が一致。自分たちが納得のいく活動をしてきたいという想い。妥協のない真面目すぎるバンドであることがわかるエピソードです。
また小林武史氏との出会いもミスチルの基盤づくりのためには不可欠であり、運命的なものを感じてしまいます。
何かを始めるのに良いと言われている#4。準備が整ったようです。後は前進あるのみです。



1992年 22歳 #5

アルバム「Everything」で「Mr.Children」としてメジャーデビュー。
世の中のバンドブームと差別化して「「Mr.Children」を見せることが課題でした。
小林武史プロデューサーについて、曲のことに関して『こんなにシビアな人は鬼か!』と思ったと話す桜井さん。一回自分の中で作り上げたメロディーを壊すのがすごく難しかったとも話しています。ひょっとしたらこうやってプロになってダメになっていくのかもしれないと感じていたようです。
#5のナンバーの神経質や不安定な部分が顔を出しているようにも思えます。


1994年 24歳 #7 

6 月 1日 5th Single 「innocent world」発売
9 月18日 4th Album 「Atomic Heart」発売
12月12日 6th Single 「Tomorrow never knows」発売
12月31日 7th Single 「everybody goes」発売
   36回レコード大賞受賞「innocent world」

ミリオン越えするセールスに、ミスチル現象という言葉がうまれ社会現象にまでに至ります。そんな大ブレイクを果たしたミスチルでしたが、本人たちの状況はといえば常にマスコミやファンに追われる状態に嫌気がさし、当時の桜井さんはプライベートで声をかけられることについても「本当に嫌ですね」と語っています。

売れることが夢だった
ミリオンヒットの連続。
しかし売れた先には何もなかった
と 話す桜井さん・・・
 
トイズファクトリーの元社員と結婚。
#7はステージアップのナンバーでもありますがバランスをとりづらいナンバーでもあります。
ミリオンヒットの先には自分の求めていたものと違う現実・・・「自分が求めていたものって何だったのだろう・・・」と内省する日々が続いたのではないでしょうか。
 



1997年 27歳 #10-#1

ギリギリガールズの吉野美佳との不倫が報じられる。
大ブレイクしファンやマスコミに追われ続け、病んでいた桜井さんは吉野さんとの出会いによって心の拠り所を見つけることになります。そういった不安定な精神状態は当然音楽作品にも影響を及ぼしています。

  1996年「深海」発売
  1997年「BOLERO」発売

「深海」はダークなサウンドで暗く、桜井さんの精神状態が大いに関わっていると言われています。
また「BOLERO」では何かに救いを求めているような曲が多いと言われています。しかし、精神不安定な状態で作った作品ですが、ファンや音楽リスナーには賞賛に価するアルバムといわれています。

4月 無期限の活動休止

音楽面・プライベート面・世間における自分自身に対するアイドル的な人気など、様々な面で悩みを抱え追いこまれていきます。「夢見たものと 夢がかなった時のギャップはあまりに大きくてそのへんで迷ったりしている」と話しています。デビューから約5年、無我夢中で突っ走ってきた彼らは言いました。「ミュージシャンとしての有給休暇みたいなもの。自分たちの時間を持ちたい」と。そしてファンの前から姿を消したのです。無期限の活動休止へとなりました。
「どう生きたいか?」が問われた#1のYear Cycle。
この状況を打開するためには、自らが切り開いて行くしかありません。しかしあらゆることを経験することで、のちの人生のための種まき期間だったと思える日が訪れるでしょう。


1998年 28歳 #11-#2
 
10月21日 活動開始
15th Single 「終わりなき旅」 発売

   誰の真似のもすんな 君は君でいい
   生きる為のレシピなんてない ないさ

   息を切らしてさ 駆け抜けた道を
振り返りはしないのさ
ただ未来へと夢を乗せて

 閉ざされたドアの向こうに 新しい何かが待っていて
   きっと きっとって 君を動かしてる
   いいことばかりでは無いさ でも次の扉をノックしよう
  もっと素晴らしいはずの自分を探して

 胸に抱え込んだ迷いが プラスの力に変わるように
   いつも今日だって僕らは動いてる
   嫌なことばかりではないさ さあ次の扉をノックしよう
   もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅

「終わりなき旅」より
 
今までの迷いがぬぐい去られ、前向きな様子がうかがえます。自分のための応援歌のようにも感じられます。
#11は真の理想に向かって目標をかかげる年であり、イニシエーションイヤーでもあります。
閉じこもらず現実社会の中で生きる意識を培い人と触れ合っていくことが大切です。


2000年 30歳 #4

5月前妻との離婚
6月吉野美佳と再婚

2001年に「優しい歌」を発表。
この歌は別れた元妻とその娘(優歌)に宛てられた曲だと言われており、元妻と娘に対する懺悔とともに愛を届ける歌だと言われています。
#4のナンバーが表すように現実問題の対処、堅実さと責任が問われる時です。
この曲もそんなタイミングで作られたのではないでしょうか。




2001年 31歳 #5

TBS開局50周年プロジェクトとして坂本龍一が呼びかけ地雷撲滅を訴えかけるチャリティー企画ユニットN.M.Lに参加。テーマ曲「ZEROLANNDMINE」が発売されCDの売上は地雷除去のため全額寄付されました。
強力な仲間とともに具体的に動いて波動を上げていく様子がうかがえます。創造力開花、視野の広がりを求める#3で始まったYear Cycle#5の年に見事なほど当てはまっています。

   8月22日 20th Single 「優しい歌」 発売 
12月24日 詩集「優しい歌」 発売

2002年 32歳 #6

7月23日 小脳梗塞により入院加療中と報道され、約半年の間ライブツアーを含めた音楽活動をすべて休止。

12月21日病気療養から復帰。音楽活動を再開。
 
#6の年は「生と死、病気」について向き合うことが多い年です。自己回帰のナンバーでもあります。
病気を通して本当の自分に還る旅をし、真の歓びとは何かを感受したのではないでしょうか。


2003年 33歳 #7

6月非営利組織「ap band」を設立。#7の飽くなき探求心は「ap band」設立というカタチでさらなるステージアップへと向かいます。
#7の年にスタートしたことで流れはスムーズに進むでしょう。

2004年 34歳 #8

1月、ap bandの活動の一環として「Bank Band」を結成。
#8はパワーを出し切ることが目的のナンバーであります。新しいカタチでのバンド活動でより情熱的に不可能への挑戦と開拓が行われることになるでしょう。

  第46回 レコード大賞受賞 「Sign」
2011年 41歳 #6
  
  3月11日 東日本大震災

4月4日配信限定シングル「かぞえうた」リリース。収益金はすべて災害復興支援プロジェクト「ap Bank Fund for Japan」へ寄付され東日本大震災の義援金や復興支援活動に充てられました。
#6は愛のナンバーです。奉仕の時期と読むこともできます。周囲の人への奉仕、サポートをし、社会で貢献することが求められたようです。


2014年 44歳 #9
 
  11月19日 35th 「足音~Be Strong」発売

ミスチル初のプロデュースシングルとなりました。かねてより小林武史プロデューサーとの決別が囁かれていましたが、今回新曲には小林氏はノータッチ、9~10月に行われたファンクラブツアーにも姿を見せることはありませんでした。 
農業に傾倒していく小林氏に必死に訴えかけたようですが桜井さんの声は届かなかったようです。小林氏が設立した新会社の赤字補填をミスチルが出した収益でまかなっていたことが決別を決定的なものにしたと言われています。
小林武史プロデューサーなしでのシングル制作発表時に桜井さんは「自分たちにも新しい風をふかせたくて気負いすぎたのでしょう(中略)また次の一歩を踏み出せます」とのコメントをしています。
#9のナンバーの「苦」を表しているように感じました。
ミスチル現象の始まりとなった1994年の「innocent world」から20年ほど続いてきた記録は惜しくも初のセルフプロデュースとなるシングルで途切れてしまうという結果になってしまいました。
しかし#9は変容のナンバーでもあります。自分の心の許せる環境・人の中に身を置いて、自分の信念を固め、さらなる才能を発揮する時でもあります。
今こそ、その流れをつかむ時なのではないでしょうか。
「終わりなき旅」は続きます。



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*・・・・*・・・・*・・・・*

傷つき悩んで・・・
つまずいて立ち止まって・・・

そんな時、不思議とミスチルの歌と
自分のことがリンクして
歌を通して桜井さんからのメッセージが
優しく自分に寄りそってくれました

イメージはいつでも雨のち晴れ

雨の日にもまた太陽が昇ることを
信じることができるようになりました

いままでも 「ありがとう」
これからも ずっと「ありがとう」

桜井さんの笑顔に癒されて
今日も元気をチャージ♪


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*・・・・*・・・・*・・・・*

Numerology the 10th Basic class
report by Kim Chang
# by kej000 | 2016-08-03 19:23 | 数秘レポート

本当の自分との出会いに♡ いわさきちひろ

本当の自分との出会いに * いわさきちひろ


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いわさきちひろ

本名 松本 知弘 
   Chihiro Iwasaki
生年月日 1918年12月15日

いわさきちひろさんは 子どもの水彩画に代表される日本の画家であり 
「子どもの幸せと平和」をテーマとした絵本作家です


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■誕生数 ♯19-10-1■ 生まれ持った資質・性格・個性と生きる姿勢や才能・その人の潜在能力

カルミックナンバーである10-1は 一般的に恵まれた環境で育つがその与えられた環境や物が本当にあなたらしく生きるものなのか問われてくる本当の自分はどうしたいのか生まれた環境と言うのは潜在意識にインプットされているのでインプットされているものを乗り越えて
自分がどうしたいのと言うところに行くのが10番である人生の大きな目的の中に自分の価値基準や環境ではない本当の自分の価値基準を見いだすのが大きなテーマになってくる

人生のある時期に全く別の道へ変化する場合が多く見られる前世でやり残したカルマや目的を今生で果たすためのナンバーで人道的な目的や人に癒しを与える方向へ向かうことが多く見られる ディスティニー8で社会で仕事をするまで専門領域を極め精神性を極めていくことです

19 まず生まれて与えられた環境や価値が本当に幸せなのかと問われるのが10-1そしてそこから私ってもっと違う価値なんだと言う方向へ行くのが19
19は1から9に移行するナンバー 9は「月」月は母とかも表す家族とか身内とかに親族も含めてカルミックメイトでセットになってきている自立に関しての学ぶ対象がセットで自分の身近な環境に持ってきている
その中で本当の権力本当の力とは何か本当の自立って何とずっと模索している本当の自分になっていき自信と威厳を現実社会で確立すると言うのが19は最終的には1人と言う意識ではなくみんなのおかげで自分がいるのだというところまで立ち返るということもあるおそらく声させてくれないような自我がある
家計から来ている長くかかるかもしれないが超えさせてくれない自我を振り切って自立を目指すナンバーです

ちひろさんの環境は正しく当時としては非常に恵まれた家庭環境であったようです
何でもできる方で絵の才能があり書をやっても先生の代役ができるほどの力を持っていて運動神経も優れ何でもこなす人のようでした

美術学校に進むことを望んだが両親の反対で洋裁学校へ入学 その後20歳のときに3人姉妹の長女だったちひろは両親の勧めで婿養子を迎え望まぬ縁で形だけの結婚であったが夫の自殺で終わりを迎えたつらく苦しい思いを持っての再出発だったのでしょう与えられたそうした環境の中でもディスティニー8番のバイタリティーとパワフルさで再び絵と書を始め自立を目指しました
1945年疎開先で戦争を迎えその時ちひろは初めて戦争の実態を知り自分の無知を痛感したようです 両親に相談することもなくこのことが共産党に入党したり後にちひろは「子どもの幸せと平和」を願い原爆やベトナム戦争の中で傷つき死んでいった子供たちに心を寄せていったのでしょうまた当時挿絵画家は美術作品として認められずその時ちひろは持ち前の行動力を発揮し絵本作家の著作権を守るための活動もしていました
ちひろ亡き後夫の義明と息子の猛はちひろの足跡を残すためにいわさきちひろ絵本美術館を開館しましたがちひろ美術館はちひろの作品の収集展示という個人美術館の枠を超え(日本の美術の一ジャンルとして正当に評価し絵本原画の散逸を防いで後世に残していくこと) に目的を広げて活動を展開しました夫と息子と多くの作家らの協力で大きな社会貢献に結びついたと思いますまさに19-10-1の人生だったと思いました

■Destiny Number ■運命数 80-8
仕事表面的意識 社会へ打ち出す能力

社会に出て現実に勉強してやってみる事項を拡大するために現実と向き合って忍耐でコツコツ社会の学びをする地道な努力を続け常に達成向かうことを目指す1人ではなく組織の中で大勢と強調してやっていくことで自己信頼を得て8の学びが大きく与えられる0のつくナンバーは0的な素質を豊かに発揮する能力に恵まれています直観力や洞察力が目的成就への有効な手段となります
ちひろさんはどんな状況の時でも学び続ける努力を続けた人であった

■Soul Number ■ソウル数 8

内なる欲求にはパワフルさと行動力があり情熱的で自信と大胆さ
またロマンチストで思慮深さも併せ持っていただろうと思われます
バイタリティーがあり自信を持って積極的に進んでいく夫の善明が衆議院選に初当選した時はちひろは画家 1時の母、老親の世話大所帯の主婦と並行して国会議員の妻として忙しい日々をこなしていたパワフルでバイタリティーある日々だったでしょう

■Personality Number■ 人格数 9
ひとから見られる自分

物腰柔らかく落ち着いた感じ人当たりが良く幅広い人と交流できる人
面倒見の良さどんなタイプの人にも自然に接することができる人

■Realization Number ■ 実現可能数 9
今回の人生での可能性や実現性

人を感化 強化させ得る才能を生かし豊かな才能発揮し愛と理解力を持って人類愛を実践していける人
慈悲の心を持ち人々に自分の経験から得た叡智を伝え社会貢献すること
いらないものは手放して自分も人も許すことで全てを受け入れる真の強さ、エネルギーを得るまた自分の生き方を世の中の人や未来を担う子供たちに見せることにより後に続く人たちの道標となり人の心に寄り添うことを目指しています穏やかに人類愛を実践することがミッションです

■Stage ■活躍する舞台 9

1から8の要素を持っている人なので
どんな人とでも交流できる冷静な人です
指導者 慈悲深く落ち着いているそっといるだけでエネルギーが伝わってくるような人なので心の分野や芸術など

■Challenge■ 20-2

人を思いやる優しい心で安らぎや癒しを与えるイメージの世界での価値ある創造物を現実社会で実現化していくこと
0のつくナンバーは霊的な素質を豊かに発揮する能力に恵まれています直観力や洞察力が目的成就への有効な手段となります

■Nature■ 11-2

物腰柔らかく 皆を見守っている感じ
控えめだが聞き上手なのでよき相談相手になってくれそうな方
細やかな気配りのできる女性的な信頼できる人

■Action■ 7

深い洞察力と論理的な分析力を持ってひたむきに探究を続け
いろいろな環境の変化の中でも好きなことに対する情熱を持ち続けて徹底的にやることで専門性を極める




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■Cycle Number ■

0から30歳
Cycle 3-Pinnacle 9-Challenge 3

3は豊かな表現力 感性多趣味多忙な人
9番は才能豊かな人
幼い頃から書くこと描く事に優れていて環境のいかなる変化の時も描き続け書き続けることに努力を惜しまなかった人です辛さや苦しみの中でも自分の感情を誠実に表現し内的エネルギーを解放していたのだと思いますそして絵を通して表現力を惜しみなく世の中の人や子供たちに使い寄り添っていたのだと思いますがピナクル9はいろいろな問題を抱えて精神的な成長をしなければならない直揺れに揺れていた状況だったと思います

33から44歳
Cycle 6-Pinnacle 16-Challenge 5

輪郭のはっきりしないちゃんと描けていない技法と批判を受け
ちひろ自身もそのことに悩み孤立していった中で 多くの体験や事態に遭遇し何度も価値観を変え まず自分を信頼し人を信頼することあるがままを受け入れることでちひろはこれまでの迷いを捨て 自分の感性に素直に描いていくことを決意して1962年の作品「子ども」を最後に油彩画をやめ水彩画に専念することにした
変化を受け入れ内面の自由を見つけていたのでしょう

45から53歳
Cycle 6-Pinnacle 7-Challenge 2

独自の画風を追い始め それまで培った技法は絵本などの作品にも多く取り入れられている多くの経験を重ね視野を広げよりたくさんの人と交流を重ね心を解放し分かち合い自分自身を信頼して変化を受け入れながら愛の精神で幅広く世の中の人や子供たちの心に寄り添っていったのです

54歳から
Cycle 19-Pinnacle 13-Challenge 2

環境ではない本当の自分の価値基準を乱す大きなテーマを見つけ社会に貢献すべく専門領域を極め精神を極め人々に癒しを与え自分の内面や周りを安定できる状況になってきているそんな時体の変化を知りそれを静かに受け入れその時まで命の象徴として子供たちを描き続けたのでしょう



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〈History 〉

1998年12月15日
建築技師である岩崎正勝と教師である文江との間に武生市で長女として生まれた
岩崎家は当時としては非常に恵まれた家庭であった ラジオ 蓄音機 オルガン等の品々がありカメラも所有しており当時の写真が数多く残っているちひろは絵や書の才能があり
その一方で水泳スキー登山などもこなしていたようです

1933年15歳 (Year Number 16-7)
岡田三郎助に師事 デッサン油絵を習う
母文江はちひろの絵の才能を認め母の勧めでデッサンや油絵を習う展示会で入賞を果たした
極めるものを見出せた時である
美術学校に進むことを望んだが反対にあって断念する

1936年18歳(Year Number 19-10-1)
コロンビア洋裁学院に入学
自分の望む進路ではなかったようです

1937年19歳(Year Number 20-2)受容
小田周洋に師事し 藤原行成流の書を習う
両親の意向を受容しながらも自分の進むべき道を模索しながら小さな1歩を踏み出している

1939年21歳(Year Number 22-4) 波乱の人生
婿養子を迎えた結婚
夫の勤務地である満州大連に渡る
3人姉妹の長女だったちひろは両親のすすめを断りきれずに婿養子を迎える望まぬ縁で形だけの結婚であった

1940年22歳(Year Number 23-5)変化
夫の自殺により帰国
再び小田周洋に師事し書を習う
辛い苦しい思いを持っての再出発だったでしょう

1945年27歳(Year Number 19-10-1)
空襲で家を焼かれ母の実家長野県松本市に疎開そこで終戦を迎える
このとき初めてちひろは戦争の実態を知り
自分の無知を痛感し、後に共産党に入党したりちひろは「子どもの幸せと平和」を願って原爆やベトナム戦争の中で傷つき死んでいた子供たちに心を寄せていたのでしょう
19-10-1自分が進む本当の自由を見出したのでしょう

1946年28歳 (Year Number 20-2)
疎開先の松本で日本共産党に入党両親に相談することもなく同年上京して人民新聞社の記者となる日本共産党宣伝部芸術学校に入り丸木俊に師事する
この頃から数々の絵の仕事を手掛けるようになる
20-2 変容体験を通して自分に植え付けられたもの排除して自分が体験していることを人に伝えていく

1949年31歳(Year Number 23-5)
紙芝居(お母さんの話)を描きこれをきっかけに画家として自立する決心をした松本善明と知り合う
5で人生の目的自由勇気を持って変化にチャレンジしていった

1950年32歳(Year Number 24-6)
松本善明と結婚 6番のテーマは愛を学ぶ 結婚 離婚を経験して自分の内面の強さを学ぶ
結婚にあたって2人が交わした誓約書が残っている
そこには日本共産党員としての熱い情熱とお互いの立場 特に画家として生きるちひろの立場を尊重しようとする姿勢が記されている

1951年33歳(Year Number 25-7)
長男松本猛誕生

1972年54歳(Year Number 28-10-1)
童画ぐるーぷ社の展覧会に出品これが「戦火の中の子どもたち」制作のきっかけとなる
10-1始まり新たなステップ再誕生

1973年54歳 (Year Number 2)
病気が見つかる

1974年55歳(Year Number 3)
人々に道の光を投げかけていたのでしょう
1974年8月8日死亡


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*いわさきちひろさんを読んで*

以前からちひろさんの絵が好きでした
あたたかく優しさ溢れるきれいな絵です
優しいタッチで子供たちの顔の表情を生き生きと表現できる人
幸せあふれる優しい人の描く絵だと思ってました 写真から想像する彼女の印象です。
今回彼女をリーディングするのはまったくの偶然からでした。しかし数字を見たときディスティニー、ソウル、パーソナルが私と同じ それに8と9が多い方にびっくりしました
私も多い方です。俄然リーディングする意欲が湧いてきました。でも第一印象とあまりに違うことの戸惑いと数字の持つ意味に改めて神秘と驚きを感じました
自分の人生にリンクする部分にも驚かされました。穏やかに優しく微笑んでいる写真のちひろさんからは想像できない 辛く苦しい人生を受容しながらそこから自立していく長い日々を地道な努力とそれでいてパワフルでエネルギッシュな人生をあまりにも早く駆け抜けたちひろさんに私のこれからの人生まだまだ頑張れると背中を押された思いでした

私の両親は今の私の歳にはすでに人生を終えています
この先の私の人生はおまけの人生だと思っていました。いまさらこの年でこんなに頑張らなくてもと思う気持ちも少しありました でもこれからのおまけの人生精一杯頑張っていこうと思わせてくれました。
そして8番を持っている私は結構この頑張りを楽しんでいるのも感じています
やっとスタートラインに立っている私ですが穏やかではあるがパワフルでエネルギッシュに進んでいこうと思いました

Reported by Yoshie
AEONS Numerology Basic 10th Class @ yokohama
# by kej000 | 2016-07-25 23:08 | 数秘レポート

微笑みの貴公子の強靭な精神性・・「ペ・ヨンジュン」

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Bae Yong-Joon 
ペ・ヨンジュン(裵 勇浚)
生年月日1972年 8月29日
43才(2016年7月現在)
ソウル出身(1男1女の長男)

「微笑みの貴公子」と呼ばれ、韓流ブームの火付け役になったペ・ヨンジュンをリーディングしました。

Birth 11-2 相対
<深層意識>
11は『霊性』のナンバーで、1+1=2であることから、2の感受性の振幅が増し、さらなる内面への探求へと向かいます。1と1でもあり、創造、独立、革新、行動力など1の長所の相乗効果も。
11は天と地の橋渡しとも言われ精神世界と現実世界を結び付けていくことがミッションになるので、俳優という芸術の道で精神性を昇華させていったのでしょう。
「微笑みの貴公子」といわれたヨン様スマイルは、世の女性に安らぎと癒しを与えました。
2は感受性が豊かで、とても優しく、人を思いやる心を持っているナンバーであり、彼自身もファンを「家族」と呼び、スタッフにも謙虚に接し、いつも細やかな気配りができる人でした。そんな優雅な物腰、心癒される笑顔だけでなく、内面に秘められた強靭な精神力、知性と教養にも魅了されたのでしょう。冬ソナ以降、慈善活動も積極的に行っています。最近の彼はというと事業家投資家として韓国で財閥に劣らない資産を築いています。

Destiny 6 調和
<使命や目的>
自分や誰かのためではなく、崇高な愛をもって世のため人のために尽くすナンバー。
まさに彼は使命ととらえ、周囲の人への奉仕やサポートをし、積極的に奉仕活動や寄付をし、社会貢献活動を行っています。
『冬ソナ』のブームで、日韓交流の立役者でもあり賞賛される反面、まだまだ反日反韓感情が根強い現実も受け止めていた彼は「私に役割があたえられているとしたら、国家領土に線を引く(竹島問題)ことより、アジアの家族(ファン)たちの心と心の線をつないでいくことではないかと思います。そしてその仕事に最善を尽くしたいです。」と答えていて、俳優として文化の交流を通しアジアを一つにしたいと念願し現在も活動しています。

Soul 6 調和
<魂の欲求、行動基準>
愛・美・調和、真善美の境地を極める、自己回帰へ向かうナンバー。
調和を象徴する意味では美的感覚にすぐれていますので、表現者として写真家として芸術面で才能を開花させました。誠実でやさしく周囲に癒しを与える人。Destinyも6ですので、ヨン様のイメージと彼自身にギャップはなかったのではないでしょうか。愛情や家族のナンバーで、家族や親しい人をとても大切にし守っていく。とても義理堅く、大切な人のため、また世の中の人のため、何かしたい!という奉仕の気持ちが強くヨン様の慈善活動は有名です。

Personal 9 完結
<他者からの印象>
物腰柔らかそうで人当りの良さは多くの人が彼に対し持つ印象です。『ヨン様スマイル』のイメージが強いからでしょう、こんなにもヨン様ブームになったのは、彼または彼の役が真善美を備えた理想の人だったからではないでしょうか。 

Realization 8 秩序
<可能性、実現>
自己信頼と能力を育成し、地道な努力を続け、常に達成へ向かうナンバー。とても情熱的なエネルギーの持ち主で、何事においてもとても前向きに突き進んでいく行動力と力強さがあります。映画監督の道を選んで映画会社に入るも雑用ばかり、そんな時期でも映画や芸能界に少しでも触れていられるだけで幸せと仕事をこなしながら夜は演技の勉強をしたり、そんな毎日が楽しかったと述べてます。社会的に活躍することがテーマ。お金や地位や名誉などに囚われず葛藤やバランスをとっていきながら物質社会で学んでいくこと。富や名誉を得た中で、今後の動向に注目したいです。

Stage 7 飛躍
<精神性の領域、仕事の舞台>
マニアックに探求するナンバーで、彼は常に俳優としては未熟だというコンプレックスがあり、自分の未熟さが恥ずかしいあまり、不足の部分を隠そうとしていたそうです。不足感は感じながらも、今はそこから解き放たれ、ありのままの自分をさらけ出し、ファンの前で「ぺ・ヨンジュンは発展していきますから」と公言し、自分にも向けたメッセージだと述べています。

Challeng 14-5 変化
<試練数、チャレンジ>
14は、過去生で自由を取り違えていたので今世で真の自由とは?を学ぶナンバー。また14-5は、機敏に動くバイブレーションをもっているので海外に縁があります。まさしく韓国にとどまらずアジアで活躍することで固定概念にとらわれることなく「自由」を探求しドラマチックにやっているのではないでしょうか。

Nature 3 発展
<自然にもっている雰囲気>
与えられた試練や今回の人生での課題。
上品で礼儀正しく知性があふれています。そして、一番の印象は「癒し」。


Action 2 相対
<行動パターン>
バースも2である彼は、優しく人を思いやる心を持ち、感受性豊かに直観的な洞察力も合わせながら、活動しています。また、平和的活動も積極的に行っています。




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Cycle Number : どのようなことを学ぶ時期か。

 0~34才 8 
バイタリティーを持って地道な努力を続け成功を目指し、富や名声を得ることを経験した時期。29才で冬ソナに出演し、31才ごろヨン様ブームで爆発的な人気を博しました。

 35~52才 11→2
理想に向かって強い意志を持ち、直観や感受性豊かに変化を受け入れながら調和していく。韓国では自分を隠さない、足りないものがあれば堂々と補うのが当然という考えで、何事も上昇志向が強い国民ではあるが、彼は成功後も「世の中は早く変わる中で、内面が停止していたらいつかは淘汰されます」と述べています。これからも常に地道に新しいことに挑戦していくことでしょう。


Pinnacle Number : どんな状況の時期か。

 0~34才 1
1番何が大切なのか?どう生きたいのか?をインスピレーションや直観を信じ、社会に
打ち出していく時。人に癒しを与えられるナンバーなので俳優としても人としても、そんなイメージを根付かせた時期だと思います。

 35~43才 3
発展の時。マルチに明るく楽しく表現をしていく。
まずは自分が光り、そしてまわりに光をなげかけていこうと、精神的な喜びを人に与えていく。芸能活動としては俳優業以外にもプロデューサーや若手俳優の育成などや、事業家としてもマルチに表現しています。

Challenge Number : 与えられた試練や今回の人生での課題

 0~34才 6
イメージの世界で価値ある創造物を現実社会で具現化すること。
彼は「冬ソナ」のアジアでのヒットを通し、韓国も日本も情緒や感情が同じということ、韓国と日本が近くなるきっかけに繋がったことに喜びと使命を感じたと述べています。

 35~43才 10-1
10は大きく流れが変わります。前世でやりのこした目的を今生で果たすナンバー。
人道的な目的や人に癒しを与えていく。日韓の架け橋という意味では、1でいう開拓者といえるでしょう。また、この時期に事業家としても成功していて、現在は、アジアでの大きなシェアを誇るエンターテイメント会社の筆頭株主として、彼が理想としていた「アジア各国のエンターテイメント業界と双方向で交流を広げる事業がしたい」という夢が実現されました。



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HISTORY

若年期 8
幼少期のヨン様は外で遊ぶより、屋根裏部屋などにこもって一人で物事に没頭する内向的な性格だったようです。玩具で遊ぶのも普通の子どもとは少し違って、タダ遊ぶだけではなく、解体して仕組みを調べてまた組み立てたり、 とにかく好奇心が強かったようです。
しかし、貧弱な子どもであったのかというとそういうわけでもなく、 父親のススメでテコンドーと柔道を習ったりもしていました。
12才 5(5のサイクル) 
さらに変化をする時期。
学校に入学すると勉強に没頭するようになります。彼の旺盛な好奇心が今度は勉強に向かったというわけです。中学時代の彼の成績は非常に優秀、いわゆる優等生でした。
15才 8
バランスを学ぶ年。
高校に入り、内向的な性格を改善するため、友人たちとのスポーツを楽しむよう心がけました。建築家になる夢を持ち始めた時期。
18才 11 
感受性を増し、内面への探求に向かう年。
大学受験に失敗し敗北感の中、将来どうすべきか考える為に無銭旅行へ出て、力仕事や物売りをし、また受験に挑むことを決意しました。
19才 12 
不要なものをそぎ落とし新たな1歩を踏み出す年。
2度目の大学受験も失敗。ここまでして大学に行く意味があるのか?と自分の生きる道を真剣に考えました。そして、かつて観たアメリカ映画に影響を受けていて「映画監督」になりたい!という夢が明確になり、映画制作会社に入社しました。
21才 5
大きな人生の転機の年。
会社では映画監督とは縁遠いポスター貼りや力仕事の雑用ばかり。映画に携われることだけでも幸せと日々仕事をこなす中、映画のためならどんなことでも身につけていくと意欲満々に、演技にも興味がでてきて、セリフのために発声やアクション、繊細さも必要とクラッシックバレエなど寝る間を惜しんで努力していました。
知り合いにドラマオーデンションの話をすすめられ、まだ準備不足な自分なので、受かりたくないと思いながらも受けたら見事合格しました。
22才 6  
忍耐と歓びと感受。メディアでの収入。
「愛の挨拶」で主役として俳優デビュー。俳優経験のない彼にとって重責で、そのプレッシャーで不眠になったりしながらもこのままではいけないと撮影後、夜に演技やセリフの指導をうけてました。毎日ムリをし睡眠不足と疲労で2ケ月で体重が12キロもおちました。そんな苦労の撮影の中、監督が見違える程よくなったと褒めてくれたたった一言で自信が持て、彼の演技者としての才能が芽生えた時期でした。
初めて俳優で収入を得ました。
28才12 
19才の12と違い、苦しい中での変化ではなく、自ら変化を選ぶことにより断舎離し内的エネルギーを解放。
二度の受験の失敗という挫折から乗り越えた今でも、根っこにまとわりついていた「失敗や敗北」というものを解くためにも大学へ行く必要性を感じ、また映画監督への夢の実現に向けて勉強したいという両方で成均館大学に入学しました。
29才 13 
急上昇、開始の年。
「冬のソナタ」に出演。韓国で放送とともに国内で「冬ソナ」旋風が起こりました。
32才 7(6のサイクル)  
調和のサイクルの中での飛躍の年。
アジアでの「冬ソナ」の大ブームで、「ヨン様フィーバー」が一気に過熱した年で、俳優として最高に開花した時期でした。しかし、その人気の渦中にいても彼は「経験が足りない」「まだまだ学ばないといけない」と冷静に次へのステップへと学びを深めていった時期でもあります。またこのころから彼の社会貢献(寄付)活動がスタートしました。
33才 8  
お金や地位や名誉を手に入れる年。
倒産寸前の会社に9億円を出資し筆頭株主。日本でも飲食店の経営にも。
34~35才 9→10 
ドラマチックに変容しながら未知の領域に入る時期。
4年ぶりのドラマ「太王四神記」に出演しました。今までの出演ドラマとはケタ違いの壮大な規模のスペクタクル時代劇でした。1年8ケ月に及ぶ撮影で度重なるケガをしました。
36才 11 
霊的感受性が強くなり、直観やインスピレーションが働く。消極的だと揺さぶられる年。
過密スケジュールの中、長期休養ためNYへ。常に精神世界と現実世界を行ききしている中で、精神的な平穏を保つための休養だったと。
韓国政府から「文化勲章」を受章
無断掲載による肖像権の侵害で出版社に損害賠償訴訟

37才 12 
コラボレーションの年。
「ヨン様フィーバー」から少し落ち着き、仕事の内容も少しずつ変化し、コラボレーションした仕事が多くなった時。そんな中過労でダウン、敗血症で入院。幸いにも初期症状で大事に至らず。
38才 13 
ヒーリングの年。
東北太平洋地震への寄付(7300万円)
42才 8(7のサイクル)
責任や義務、達成の年。
女優のパク・スジンと結婚



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ぺ・ヨンジュンを読んで。。。

「冬ソナ」出演をきっかけに彼の人生は大きく転換しました。彼自身の人生だけでなく、アジアにおける韓国の存在や、また日本においては経済効果や「韓流」というカルチャーを築いたことはひとつの歴史に残るものとなりました。
人気とともにアンチ思想の両方を彼は冷静に受け止めていました。バース「2」の急速な変容を冷静に受け止め、そして、その両方を感受し調和を目指していく。
そのために「韓流は一方的な流れにしてはならない」「重要なのはアジアのエンターテイメントを発展させていくこと」「相互に補充しあう関係を作りたい」と述べています。果たすべき役割に対し、強い責任感と使命を持ち、地道に謙虚に活動してきたのではないでしょうか。

あれよあれよとアジアの大スターになった彼、しかし常に自分は不十分だと感じていたそうです。それは「6」の完璧主義や心配性「2」の相対を受け入れず比較し劣等感や不足感など、アマチュアの部分がでているのかと思いましたが、調べていくうちに安にそれだけではなく韓国人特有の捉え方がそうだといくこと。

どういうことか、「苦しい時」日本人は気休めでもいいから楽しいことで紛らわそうとする。一方、韓国人は奥底に宿る一つの情緒に「恨(ハン)」というものがあり、それは単なる恨みではなく、「苦しみがあれば、それが宿命と受け止め絶えて生きていく」「心から願ったことが叶わなかった時、それが恨となってその人の心を苦しめる。」また、先祖から受け継いできた民族的感情の最たるものが「恨」だそうです。この「恨」が、韓国人の心の在り方と密接に結びついているということ。そこがまずベースにあることを踏まえ読むと「6」の「まず自分を愛する、受け入れる」。そのために「2」でおしんを経験し「6」の忍耐強さと「8」の負けず嫌いと強靭な精神力で、まずはありのままの自分や受け入れ、さらけ出し、解放したのではないかと思います。そこから「2」の他人を受け入れ「6」の人を愛し「8」の情熱で行動していく。

彼はこう述べています。その「恨」という情緒が、日本人の心に共感共鳴し、たくさんの人の心を掴んだのが「冬ソナ」と。そのことで彼もまた、韓国とアジアの人々の心が繋がったことに共感共鳴しました。それが根底にあったからこそバッシングを受けながらも揺れることなく、自身が架け橋になるように勢力的にドラマチックに駆け巡ったのではないでしょうか。
彼のプライベートはあまり情報公開されていないため、俳優として芸能人としてのイメージでのリーディングに比重が多くなりましたが、彼を取材した方や彼に関わった方は、素顔もやはり「ヨン様」そのもの。孤高な人生哲学を持ち、謙虚で穏やかで、しかし強靭な精神を持った男らしい男だそうです。現在は俳優活動をお休みされていますが、今後また俳優として新たな作品で出会えることを期待したいです。


Reported by Keiko
AEONS Numerology Basic 10th Class @ Yokohama

# by kej000 | 2016-07-25 22:00 | 数秘レポート

笑者でありたい・・「ミスチル・桜井和寿」


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櫻井 和寿 
Kazutoshi Sakurai
生年月日 1970年3月8日


日本のミュージシャンであり、Mr.Childrenのボーカリスト、ギタリストである。本名の読みは同じです。
東京都練馬区出身。アマチュア時代から一貫してMr.Childrenの楽曲の作詞、作曲を手掛けている。 2004年からはBank Bandというチャリティーと音楽をつなぐ活動をしています。



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[バースナンバー 10-1 ]
バンド結成から現在までMr.childrenを引っ張ってきたのはもちろんのこと、老若男女を問わない認知度はミュージックシーンを開拓し新たな音楽を創造してきたからこそ。Mr.childrenは高校生の時に結成されて以来、彼の作詞作曲のもと、活動をしてきました。メジャーデビューの話をもらった時の事ですが、櫻井さんの提案で音楽を見つめ直すために3ヶ月の活動休養を提案。メジャーデビュー前に活動休止をしようなんて聞いた事がありませんが、この斬新なプロ意識は音楽活動を今一度見直すというもので、3ヶ月後Mr.childrenは『気持ちがナチュラルなときに感動できるっていう普遍性のような魅力』目指すようになったと言われています。そして今もその方針は変わっていないのです。
まさに1のピュアな独創性と開拓精神に満ち溢れた創始者で、10の直感力に長けています。
また彼は、19の素質である激動の変化をくぐってきた方です。


[デスティニーナンバー 12-3]
最近のインタビューでは「何かのせいにするのではなく、発送を転換することでポジティブに明るくなれる。それを提案みたいな感じでやっている。それが今のMr.childrenです」とおっしゃっています。
実際、最近彼は歌うとき笑顔を浮かべて歌うことが多いと感じます。それは、笑顔で歌えるような曲ができるようになったということです。


彼はブレイク後、様々なことを経験しました。それは楽しいといえるものではなく悲しみと苦しみによるものが多く、彼がその時代にリリースした曲や詩には劣等感だったり現代への悲観的な投げかけ、さらに人間の脆さをテーマにしたものばかりでした。
上記のような非常に激しい人生を乗り切ったからこそ『愉しむ』『JOY』ということがどれだけ難しく大きなテーマなのかを理解する事ができるのだと思います。
また、ミスチル現象といわれる大ブレイクを果たしたミスチルでしたが彼は正反対に追い込まれていったというのはファンの中では有名な話です。彼が鬱状態だった時期と言われています。売れた途端にマスコミから追われ、自分たちよりも音楽を聴いてほしいという気持ちに苛まれていった時期があったとおっしゃっています。3のアマチュアの状態が強く出ていた頃でしょう。
この時の曲には彼の中のマイナスの部分との葛藤や現実社会の汚い部分をテーマにした曲が多く混沌の中でもがく櫻井さんのイメージが強く残ります。サイクルの説明の際に解説させていただきますが、彼はある出来事により大きく変化を遂げます
。まず歌うとき笑顔で歌いますぽ。そして歌というものへの探求は一語一句を音でどう表現するかという情熱と野心を強くしていきます。
また彼は、最近のインタビューの中で「僕は、笑者でありたい』と語っています。彼の中で、笑顔で愉しむという感覚が非常に鮮明に目指すべきものに変わっていると感じます。



[ソウルナンバー 6 ]
彼が変化するきっかけとなったの大きな出来事が結婚と離婚でした。売れない頃から支えてくれたマネージャー的な存在の方と結婚。その後Mr.childrenは大ブレイクを迎えました。おそらく奥様は身を投げ出し、彼等を必死で売り込んでいたのだろうと思います。しかし一方でプライベートでも仕事をしている、追い込まれている感覚になり自分達ではなく、音楽を聴いてほしいという気持ちが重なり、鬱状態へとなって行きます。そんなある日、彼のもとにある女性現れます。それが現奥様です。彼女と不倫関係になり、彼の実家の近所に住まわせていました。この時点で彼が心を許すことができる女性なのだと感じます。離婚調停中に彼は会えない不倫相手(現奥様)に歌を捧げます。そして、離婚が成立した後すぐ再婚をしました。その数年後、彼は元お子様とお子さんにも曲を残しています。『優しい歌』とい曲はお子様にあてられた曲だと言われています。彼は愛を表現する手段も歌なのだなとふつふつと感じます。
その愛は身内だけではなく、時には他者へも向けられます。彼は最近よく悲惨なニュースというフレーズを曲に使います。これは、『事件とか悲しいニュースの責任追求をするのではなく、自分の内面にもその責任や原因の一端があるんじゃないかと意識する』6の特質である本質を理解しているのではないかと感じる発言です。
また、彼はブッタの言葉に強い衝撃を受けたとおっしゃっています。『生まれたばかりの我が子が死んでしまった母親へ向けた、生きている子は生きているまま愛せばいい、死んでしまった子は死んだまま愛せばいい』という言葉。この言葉をきっかけに彼は『愛とは、想像力の事で自分以外の誰かを想像してあげる力のことをいうのではないか』という信念で曲を作るようになったとおっしゃっています。
自分は何者なのか自己回帰をし、他者へも愛情をおすそ分けできるまさに6のナンバーの方だと感じます。


[パーソナルナンバー 6 ]
おっとりというイメージはあまりありませんが、メンバーといる時はどちらかというとあまりしゃべらずニコニコしていることが多いイメージです。また、彼はお子様が4人もいらっしゃる子煩悩パパです。


[リアライゼーションナンバー 4 ]
感情と論理の調和という4の特性を強く感じます。彼の音楽は常に人生の出来事とともに変化しています。
また音楽業界への開拓は、時代によって変化していく曲と彼の認知度で証明することができると思います。


[ステージ 5 [
まさにクリエイティブな世界で活躍しています。


[チャレンジ 22-4]
彼のコアナンバーの波動は強いのですが、あれだけの影響力とパワーには何か物足りない感じがしていました。そして、チャレンジナンバーの22が大きな影響を与えているのではないかと感じました。
人生の課題に22という大きな数字をかがげている。ファンの中では教祖様のように感じる方もいるくらい彼のつくる言葉は影響力があります。
自己の目的を公的なものに定め、個人的利益を追わず大きな視野のもと広く循環する環境エネルギーを意識する、という22の目指す部分は、2004年から彼が始めているチャリティー団体『Bank Band』がまさに22を高めていくきっかけなのではないかなと感じます。



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year cycle

幼少期 3
勉強はできなかったが、運動神経が良かったそうです。体にイボが100個くらいあって『イボ野郎!』とからかわれたけど、『みんなから注目される、この状態が気持ちいい』思っていたそうです。まさしく3の楽観的な状態。
中学時代に不良グループの仲間にされ「万引きしてこいと』命令する番長が嫌で交番に行き自ら『僕は万引きしております』といい、親に知られ不良グループから抜けたそうです。自分の感情を誠実に表現したのでしょう。


15歳 19-25
2桁という世の中に運翻弄される数字の中でも音楽に興味を持ち初バンド『beatnik』結成。
現在Mr,chiidrenのギター田原とベース中川とはこのころからの付き合いである。
このころから感覚的に自分が一生付き合っていく人をチョイスしていたのかもしれません。


19歳 2-2
今までの二桁の人生から初めて1桁に変わる時、『Mr.children』とバンド名を変更した。そして渋谷でのライブで現音楽プロデューサー小林武史との出会いを果たす。人生で一番大きな出来事ではないかと思いますが、自分の意思だけで動けるサイクルにこんな重要な事や出会いがあったとは、驚きです。


22歳 2-5
小林氏がきっかけとなり芸能界でメジャーデビューを果たす。大きな変化となる。
しかし2のサイクルということは、どちらかといえば受け身で芸能界へ入って行ったのだなと感じます。
それは後々の発病とつながっていくのかもしれません。


24歳 2ー7
『crossroad』で大ブレイク。ミスチル現象という言葉まで誕生した最中、マネージャーをしていた女性と結婚。
まさに新たな生活状況のスタートを切っています。


27歳 2-10
精神不安定で鬱状態になる。以前から不倫していた女性とのスキャンダルで、泥沼離婚となる。このころが本当に辛い時期だったと思います。彼の歌っている表情に笑顔はなし。このころ活動休止します。


30歳 3-4
離婚が成立し、不倫状態だった彼女と結婚。今でもオシドリ夫婦と知られるほど仲が良い。
彼女のバースナンバーは21-3なので、何か本来の自分と重なる部分があったのでしょう。


32歳 3-6
小脳梗塞を発症。6のアマチュア状態。しかしこの時多くの仕事を一切休止し多忙だった日々に変わり少し時間ができたでしょう。彼はこのときに自己回帰をで自分は何を求めていて何がしたいのか本質を探り、奥様や身内の方の愛を強く感じることで愛というもののすばらしさに目覚めたターニングポイントなのかなと感じました。曲調が変わるきっかけはおそらくこの時の感覚なのではないかなと感じます。


33歳 3-8
環境保護や自然エネルギーなど様々な環境保護プロジェクトを低金利融資」する為の「bank band」結成。これは音楽プロデューサー小林氏と彼が結成している。8の時にきっちり契約を結んでいます。
またこのころから彼の詩には今までの恐れや恐怖心が感じられなくなりました。


46歳 4ー11
休止していたが、復帰しライブなど精力的に活動。昨年何かきっかけがあったのかもしれません。
Pinnacle no.が45歳から9に入っているので、スピリットな領域へ進み完結や色々な方の教祖のような役割を受け入れ、進んで行くような気がします。




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彼から私が学ぶこと
調べて思ったのは、やはり世界一いい男だと思えること!
そして、彼の純粋な心です、彼の曲は人生の変化と共にあり更に大きな高みへ向かっている。
私が彼から学ぶことはまさしくエゴを捨てる事だと感じます。
また自分のChallenge No.が32歳から40歳まで1のサイクル、41歳から49歳までもう一度1がchallenge No.で入ってくるのです。櫻井さんをみるきっかけとなったのも彼のB No.19-10-1を知る必要があったからなのかなと感じました。
そして、今櫻井さんのように好きでしょうがない、人生を共にする何かを見出すことなのかなと感じました。
彼のように私もPinnacle no.に9をも持っています。彼のように変化を受け入れ、成長していきたいと思います。



Reported by Kanae
AEONS Numerology Basic 10th Class @ Yokohama

# by kej000 | 2016-07-25 21:32 | 数秘レポート

人生をまるごと愉しむ*任天堂・岩田聡 

日本を代表するゲーム会社 任天堂(株) の経営者であり天才的プログラマーであった岩田聡さん
ゲームを通して世界に革新的エンターティンメント発信し続けた 彼の生涯を数秘で辿るレポートです



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岩田聡(iwata satoru)
1952年12月6日~2015年7月11日(満55歳)
任天堂株式会社 前代表取締役社長

岩田さんは、社長に就任してからの7年間で、任天堂の売上を約3倍に増やした敏腕経営者です。そして、一方で「社長にしておくのがもったいない」と言われるほどの能力をお持ちの、天才プログラマーです。「星のカービィシリーズ」をはじめ、数多くのヒットゲーム作品を生み出されました。

私は岩田さんの存在を、ネット上で公開されていた対談記事をたまたま読んで、知りました。特にゲームが好きなわけでも経営に興味があったわけでもなかったのですが、あっという間に岩田さんの魅力に惹かれました。岩田さんの、ロジカルな思考回路と人を思いやるあたたかさが同居している、不思議な魅力を紐解きたくて、リーディングさせていただきました。




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IWATA SATORU

Birth number:15-6
「6」は愛と調和、真・善・美、奉仕のナンバー。
Birth numberに6を持つ人は、誠実で控えめで、周囲に癒しを与えられる人、愛情深く思いやりがあり、様々な人の気持ちを受け入れられる人と言われています。

そして、岩田さんはまさに、6の人であったと思います。

岩田さんが32歳の時、当時勤めていたHAL研究所というゲーム開発会社が多額の借金を抱え、経営難に陥ります。岩田さんはそれまで役職にはついていたものの経営にはあまり関与せず、ゲームソフトの開発に専念されていたそうですが、自身が社長になることが一番合理的だと判断し、経営未経験の身ながら社長に就任。そして6年間で15億円の借金を返済してしまいました。

これは一見、岩田さんの冷静で合理的な判断力を表すエピソードのように見えます。しかし実は、岩田さん自身、理系的に何が得かと考えれば社長就任という選択肢はなかった、とお話されています。また、社長就任を打診されて最初に考えたのは、逃げることだったそう。それでも逃げずに、損をするかもしれない社長という道を選んだのは、「一緒に汗をかいた仲間がいるのに、どうして逃げられるかというのがいちばんおおきい要素」だったそうです。

仲間がいるから逃げない、という発想の根っこにあるのは、論理性でも合理性でもなく、仲間に対する「愛」だったと思います。
岩田さんがロジカルで常に「最適化」を考えてこられた方なのは、間違いありません。しかし、その発想や動機の根底に流れていたのは、「愛」だったのではないかと思います。

岩田さんの部下として働かれていた方は、岩田さんのことを、時に面倒だなと思うくらいに「人が好き」というエネルギーに満ちている人だったと語ります。
また岩田さんは、人が困っていることを解決したい、という動機があれば、自分よりも相手を優先してしまうことがあったそうで、もちろん冗談ではありますが、ある人から「それはもう一種の病(やまい)だ」と言われてしまったそう。

6ナンバーの人は深い思いやりを持っているがゆえに自分よりも周囲を優先してしまい、本来の自分を見失ってしまいがちともいわれていますが、岩田さんの「人のために」という想いには、自己犠牲的な悲壮感は見られません。他人の問題をまるで自分事のように考え悩む岩田さんは、周囲から見ればうれしそうにしていたそうですから、本当に心から、人が困っていたら解決したい、と望んでいたのでしょう。

岩田さんは、とあるインタビューで「私は、ただしいことよりも、人が喜んでくれることが好きです」と語られています。

天才プログラマーであり敏腕経営者であった岩田さんの、とても6ナンバーらしい言葉だと、思います。


Destiny number:4
「4」は、組織の土台や秩序をつくる、現実社会の中で基盤をつくっていくナンバー。

岩田さんは前出のHAL研究所で社長として見事に会社を立て直し、任天堂の当時の社長に経営手腕を買われて任天堂に入社。そのわずか2年後に代表取締役に就任されました。
任天堂という大企業の舵を取る中で、特に「開発体制」という組織の基盤づくりに力を入れ、ベテランと若手の両方が力を発揮できる環境を、と心がけてこられたそうです。岩田さんの死後、任天堂の経営体制は大きく見直されましたが、その体制も、岩田さんと役員陣とで何年も取り組まれたことだったので、大きな混乱はなかったそう。

思わぬところから、社会人人生の半分以上を会社経営者として過ごされた岩田さんですが、D4の使命をしっかりと全うされました。


Realization number:10-1
「1」はリーダーとして周囲を引っ張り、自分を信じて創造、革新、開拓していくナンバー。

岩田さんは任天堂の社長に就任して以降、まさに革新的といえるゲーム機を次々と発表されました。

「ニンテンドーDS」や「Wii」は、今でこそ大人気ゲーム機として世に定着していますが、どちらも発表当初は否定的な意見が多く、「任天堂が変になった」という声もあがったそうです。それまでのゲーム機の延長線上ではなく、まったく別の方向性を打ち出したWiiについて、岩田さんは「社運を賭けた戦い」とインタビューで答えられていました。そしてその戦いは、任天堂という会社はもちろん、ゲーム業界全体の戦いであったと思います。

岩田さんは任天堂に入社する以前から、ゲームをする人(=ゲーム人口)の減少を懸念されており、任天堂の社長に就任してすぐに「ゲーム人口の拡大」を目標に掲げます。ニンテンドーDSもWiiも、販売当初こそ様々な反発が生まれたものの、それまでゲームに手を伸ばさなかった層を取り込み、見事にゲーム業界の常識を覆しました。

周囲や会社の成長だけでなく、業界全体を見渡し、変化を恐れずに新たな価値観を生み出す行動力は、まさにR1の本領発揮といえます。

また、「10」は人生のある時期にそれまでと全く違う道、特に人道的な目的へと向かうことが多くみられるナンバー。プログラミング一直線だった岩田さんが、ゲーム業界を牽引する立場になって、業界全体を盛り上げる道に進んでいったのも納得です。


Soul number:21-3
「3」は人生をまるごと遊び、愉しみと笑顔を求めるナンバー。

高校時代からプログラムを書くことにハマり、大学時代にHAL研究所でプログラミングのアルバイトをしていたら、おもしろくてそのまま入社してしまったという岩田さん。一流大学から一転、社員5名の超零細企業に入社したことでお父さんと決裂し、半年間、口を聞かなかったそうですが、安定した地位やお給料よりも、「おもしろさ」を最優先された3ナンバーらしいエピソードです。

いきなり大借金を抱えることになった社長業も「やっていておもしろくてしょうがなかった」そうですし、困っている人を助けるのも、その人がかわいそうだからというより「人が喜んでくれるのがおもしろかった」からだそう。Challenge numberが「3」であることも考えると、もしかしたら岩田さんは「おもしろい」という経験ができたのが今世が初めてだったのでは?と思うほどに、とても無邪気に、あらゆることをおもしろがっていらっしゃいました。

また岩田さんは、大企業の社長とは思えないほどフットワーク軽く、自社製品のアピールの場に登場されていました。ゲームキャラクターのコスプレをして豊かな表現力でゲームの魅力を語られる姿は、3ナンバーの表現者・エンターテイナーとしての一面だったと思います。


Personality number:1
「1」は周囲から、エネルギッシュで、しっかり者、責任感が強い人と見られるナンバー。

岩田さんはお写真や動画で拝見する限り、とても優しくて穏やかな印象です。実際に、一緒に働かれていた方も、岩田さんから威圧感を感じたことはなかったそう。常に周囲に目を配り、相手の気持ちを思いやりながらコミュニケーションを取られていた岩田さんですが、頼りなさや気弱さは一切感じられません。むしろ強いリーダーシップをお持ちだったと思います。
任天堂は創業以来、同族経営をされてきたそうで、岩田さんが初めての血縁ではない社長、しかも入社して2年目という異例の早さでの就任でしたが、その状況で大企業を牽引されてきたのは、皆をひきつけるカリスマ性をお持ちだったことが、要因の1つとなっていたのではないでしょうか。


Stage number:3
「3」は表現、エンターテイメント、精神的な喜びを提供するナンバー。

岩田さんは生涯、「ゲーム」という世界を通してエンターテイメント性を発揮されており、自身が最も輝く舞台で活躍されていました。



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0歳 Year number:24
北海道札幌市に生まれる。

16歳 Year number:22
hp社が開発した電子計算機の存在を知り、アルバイトをして貯めたお金で購入。その魅力にとりつかれて独学で学びながらたくさんのゲームを作られたそうで、岩田さんのゲームエンジニア人生はここから始まります。

20歳 Year number:26
大学入学祝いを頭金にマイコンを購入。今とは比べものにならないくらいの低機能ではありましたが、その限られた機能の中でプログラムを打ち込んでいったことが、プログラマーとしての下地を作ることとなりました。

23歳 Year number:2
サイクル2=学びと自立の年に、HAL研究所入社。

25歳 Year number:4
サイクル4=昇格の年に、取締役に就任。

34歳 Year number:4
代表取締役に就任。
取締役に続き、「4」の年に、会社の経営基盤をつくるポジションに就かれました。

41歳 Year number:11
任天堂に入社し、取締役に就任。
11は真の理想に向かって、目標をしっかり掲げる年。その年に、岩田さんはゲーム業界全体を救うために、任天堂に入る決意をされました。

43歳 Year number:4
代表取締役に就任。
HAL研究所に続き、任天堂の社長の座も「4」の年に就かれました。

55歳 Year number:7
胆管腫瘍を患っていることを発表し、休養に入る。
「7」は休息の年。ここまで全力疾走を続けていた岩田さんに、少し強引ではありますが、ストップがかかりました。しかしその2ヶ月後には、もう復帰されます。

55歳 Year number:7(年度としては、8になる年でした)
2015年7月11日、逝去。

同年3月に、ディー・エヌ・エーと業務提携し、スマートフォン向けサービスを共同開発することを発表されており、新たな挑戦をしようとされていた矢先のことでした。

その後、ディー・エヌ・エーとの共同開発は一時中断することとなりますが、岩田さんの1周忌を迎える今年7月、任天堂初のスマートフォン用ゲームアプリ「ポケモンGO」が海外で配信され、またたく間に大人気ゲームとなりました。





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岩田さんをリーディングさせていただいて感じたのは、とても「持っている数字らしく」生きてこられたんだな、ということです。「数字らしく」ということは、本来の自分らしく、時の流れに逆らわずスイスイと乗りこなしてこられた、ということです。そして、数字らしく生きることができたのは、自分の本音とちゃんと向き合ってこられたからではないか、と思います。

岩田さんの言葉で一番印象的なのが、「私の名刺には社長と書いてありますが、頭の中はゲーム開発者です。でも、心の底ではゲーマーなんです」という言葉です。どんな立場にあっても、人をおどろかせたい、喜ばせたいと願い、子供のようにおもしろさを求め続けた岩田さん。そんな、自分の本音に素直に、そして心から人生を愉しまれていた岩田さんの生き方に、私は惹かれたのだと思います。


Reported by Eri
AEONS Numerology Basic 10th class @ Yokohama

# by kej000 | 2016-07-25 21:23 | 数秘レポート

生涯バンドマンにこだわった「忌野清志郎」


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忌野清志郎
(いまわの きよしろう)
職業:バンドマン
本名:栗原清志(くりはら きよし)※出生の時の名前は不明です。養子後の名前です。

生誕:1951年4月2日
死没:2009年5月2日


清志郎は、 RCサクセションのボーカルとして、日本のロック界に新しい風を起こし
「ロックンローラー現役で老衰で死んでいきたい」という希望はかないませんでしたが、
がんの闘病後もステージに立ち、あのソウルな歌声を聴かせくれました。
最後まで、アーティストではなく、シンガーソングライターではなく、バンドマンとして全うしました。人生そのものがロックの人でした。



★誕生数(生まれ持った特質・本来の姿)は、「22-13-4」

13-4は「修練」のナンバー。創造と破壊を繰り返す。オリジナリティ、リーダーシップを発揮する。ヒーラーの適正もあります。さらに、22は「創造」のマスターナンバー。創造性にあふれ、天と地の懸け橋となるような社会貢献をする。現実社会、組織の中で、大きな視野の愛のもと、偉業を成し遂げるパワーがあります。

「古いものを壊す側にいたい」・・・彼が生前に語っていました。
彼の作る音学の根底には、大ヒットするために綺麗にまとまるではなく、
今までの誰かを真似するでもなく、
とはいえ前衛的に走るではなく、
自分たちだけのオリジナリティやスタイルを模索し続けていたようです。
ラブソングばかりではなく、
時には、原発や君が代をテーマとした曲を歌う。
音楽やテレビ業界に向けての風刺的な曲を歌う。
時代時代に合わせて、ユーモアとお茶目な表現力で、
つねに権力的な立場に対して、正直な気持ちをこめた音楽もたくさんありました。
世間では、問題児として取り上げられるものの、
歌詞は、公平で、平和で「愛」のあるものでした。
彼は実の母と父を知りません。3歳の時に養子に迎えられ、その事実を両親は隠していたようですが、本人は知っていたそうです。甘えたいけど甘えられない・・・そんなジレンマを抱えていたと思います。両親の心の痛みも、自分の心の痛みも、両方を敏感に感じながら、人を感動させる歌詞を生み出してきたのかなと、改めて感じます。

彼の人生は
まさしく数字どおり、「創造と破壊」を繰り返しながらも、現実社会で、新たな視点を提示し、偉業を成し遂げてきたと思います。
私にとって「ヒーラー清志郎」。
彼の音楽と歌声は、みんなを元気にしてくれる「ヒーリング」そのものではないかなと思います。


★運命数(この世における使命や目的)は、本名:12-3 芸名:16-7

本名からも、3の数字があり、アートの才能がみられます。小さいころから漫画を描いていたということで、絵の才能もずば抜けていたようです。ミュージャンから素顔の清志郎に戻っても、絵本を出版したり、サイクリングなどの趣味に徹底的に打ち込むなど、子供のような好奇心で様々なことを挑戦していました。

芸名は7。ステージに立つと、奇抜な衣装と化粧で、場を盛り上げ、歌で感動させるエンターテイナーでした。7という音楽の追求に対してのマニアックさ、独創性もあり、皮肉を込めた歌詞もあったりと、つねに冷静に分析しながら、自分や世の中をみていたようです。霊的な感覚もすぐれ、詩や曲は丑三つ時に、天から下りてくることも多かったと語っています。16の要素の真理の探究とうテーマからか、年齢を重ねるごとに、普遍的な愛を、曲から感じることもありました。



★実現数(人生での可能性や実現性)は、本名:7 芸名:11-2

本名からの7では、音楽という表現で、人と人がつながり、幸せになるという素晴らしい仕事を成し遂げられました。からにこもりがちな性格も、音楽により開放することで、自信につながり、徐々に心の壁を取り払っていったと思います。

芸名からの11-2では、音楽がベースとなり、メッセージ性のある言葉選びにも、自分の霊性や創造性を発揮して、日本から世界の平和や調和、愛をつねに歌い続けてきました。自分一人ではなく、バンドマンとして、調和を大切に音楽活動も行ってきました。夢追い人で終わらず地に足のついた行動は、ファンだけなく、音楽業界も含めた現実社会でも、確実に認められていたはずです。


★ソウル数(価値観や内なる動機・行動の基準となるもの)本名&芸名:11-2

本名も芸名も同じでした。「11-2」。
バンドでもリーダーとしてではなく、みんなが同じお給料で、調和を大切にしていたそうです。
「2」調和とバランスの要素がとても強い人だなと感じました。なのでたぶん、「生涯バンドマンでいたい」と語っていたのだと感じます。映像でみると過激な様子もありますが、シャイで繊細な人でした。化粧するのは、シャイな自分から「忌野清志郎」に変わるためだったという話も聞いたことがあります。
オリジナリティの音楽に自信はあったものの、世間で認められるには、時間もかかりました。
心の揺らぎの中でも突き進めたのは、周りとの協力的な姿勢があったからだと思います。
繊細な感性は、現実社会では理不尽なことも多々あったと思いますが、音楽で精神性を昇華させていく努力を生涯されていたと思います。


★人格数(他者の目に映る印象や雰囲気)本名:10-1 芸名:5

本名は10をもっています。高校生の頃、母親が「息子が音楽に夢中になっていって、将来が心配です」と新聞の人生相談に投書し、それが新聞に掲載されたことがあるという話は有名です。
そんな中で、反対されながらも、自分の直感や感性を信じ、ピュアに積極的に行動し、突き進んでいきました。親から独立し、やるべき使命を全うした姿は、「10-1」の霊的な創造性をまさしく発揮したものだと思います。

芸名は5。自由で多才で革新的なイメージ。予想不可能なひょうひょうとしたイメージ。
どちらもステージの清志郎そのものが数字に表れていると思います。




★ステージ数(活躍の舞台・仕事)本名:9 芸名:12-3

本名では9。様々な実体験をもとに、人類愛や博愛精神を大切にし、芸術性を活かして、人々を導いていく使命があり、芸名は3で、音楽や絵の才能を活かして、人々に喜びを与えていくのが、活躍できる舞台となります。どちらも清志郎が実践してきたことかなと思います。



★チャレンジ数(今回のチャレンジ)本名:5 芸名:5

どちらも5。既存の価値観に縛られることなく、生まれ育った家族との関係、仕事として選んだ音楽、精神的にも肉体的にも、浮き沈みを経験しながら、自分のやりたい真実の音楽をつねに追求してきました。バッシングも多々あったかと思いますが、それに屈することなく、一つ一つ積み上げて、真の自由をつかんでいったと思います。



★Nature数(自然な雰囲気)本名:14-5 芸名:8

ひょうひょうとしているけど、カリスマ性がある感じはぴったりです。



★Action数(行動パターン)本名:4 芸名:2

一発屋ではなく、確実に自分のやりたい音楽での実績を積み重ねていき、だけど威張らずに協調性を大切にする人でした。






【 HISTORY】 

参考文献
『ロックで独立する方法』(忌野清志郎、太田出版)
『忌野旅日記』(忌野清志郎、新潮文庫)
『瀕死の双六問屋』(忌野清志郎、小学館文庫)
『Rockin’ on Japan特別号 忌野清志郎1951-2009』
『忌野清志郎が聴こえる 愛しあってるかい』(神山典士、アスコム)
『文藝別冊 忌野清志郎デビュー40周年記念号』(河出書房新社)
ウィキペディア
スポニチアネックス
朝日新聞コラム
徹子の部屋



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★0歳(year number 22-4)

東京都中野区に誕生します。


★3歳(year number 16-7)開放・内省

実母の死により、伯母夫妻に養子として迎えられたそうです。

清志郎は子どものころから、自分が養子であることを知っていて、親がそれを自分に告げないでいることも知っていたと、のちに語っています。彼の言葉によれば、「孤独に耐える術を身に着けた」子供時代だったそうです。



大きな変化は

★19歳(year number 23-5)変化

フォークグループ「RCサクセション」として「宝くじは買わない」でデビュー。


清志郎少年は、学校に馴染めず、かと言って不良でもなく、物静かな少年だでしたが、
中学・高校時代から、エレキやフォークブームに刺激を受け、
同級生でバンドを結成し、オーディション番組に多数出場していました。
番組で合格したのをきっかけにレコード会社と契約。
はじめは、アコースティック系のバンドとしてデビューしました。

数秘的にみると、year numberの二桁が、なんと42歳まで続いています。
ソロ活動ではなく、一人より三人、四人の、誰かと調和やバランスをとっていくバンドマン志向が、ここからも伺えます。

小さいころから絵の才能もありました。高校時代には、未来の自分たちのバンドの活動を、ノート一冊の漫画に描いて、オールナイトニッポンに送って、番組で紹介してもらおうと試みたらしいですが、失敗に終わりました。



★21歳(year number 25-7)開放

「僕の好きな先生」がヒットします。

音楽人生のステージアップはあったものの、その後ヒットが続きませんでした。
ヒットした曲は正攻法ではなく、イロモノ的だったと本で語っています。売れる曲と作りたい曲のギャップ・・・その後の曲作りのイメージでかなり悩んだそうです。そんな葛藤の中で、バンドとしても低迷期が続きました。



★25歳(year number 20-2)調整

事務所移籍。移籍と同時に発売しようと企んでいたアルバムが、契約条件のためにお蔵入りに。

契約が切れた後の1年間はレコードが出せないということで、レコードも出せず、バンド活動もままならずで、バンドの方向性を見直すことになりました。「個人と共同体」のジレンマに。仲良しの友達同士から始まったバンドマンのターニングポイントを迎えることになりました。


★26歳(year number 21-3)創造

メンバーの脱退の後、さして面識もなかった売れっ子ギタリストにより、ロックの新生RCへ。

偶然なのか、必然なのか・・メンバーが抜けて途方にくれていたとき、彗星のごとくあらわれたのが、RCのファンでもあった売れっ子ギタリストの春日さんという男性でした。彼のアドバイスやギタリストとしてのバンドへの参加により、ロックとしてのRCの原型が確立されていきました。高校時代に描いた漫画の通りの「夢のバンド」に近づいていったようです。曲にも新たな表現力が生みだされ、今までにない作品となっていきました。


★29歳(year number 24-6)調和

「雨あがりの夜空に」やアルバム『RHAPSODY』のヒットで、メディアの寵児に。

メンバーの脱退や加入を繰り返しながらも、低迷期に蓄えていた曲など、本当に自分のやりたい音楽が形になり、精力的にライブ活動を展開していきました。ライブでの人気も高まり、世間一般にRCサクセションの忌野清志郎が認知され始めました。ミック・ジャガーなどの影響でメイクを始めたり、パンクファッションにしたりと、一度見たら忘れられない、清志郎ファッションも確立されていきました。



★31歳(year number 26-8)繁栄

坂本龍一とのコラボ「いけないルージュマジック」でRC以外のユニット活動も。

テレビのCMにもなった「いけないルージュマジック」のユニット活動は、忌野清志郎の認知度をさらにアップしていきました。万人受けするとは言えないまでも、強烈な印象でお茶の間を賑わせていたのは確かです。



★34歳(year number 20-2)調整

事務所独立。その反面、個々のソロ活動が多くなり、バンド活動が低迷する。

数秘的にもセカンドサイクルに入り、「4」の安定から「2」の調整やバランスになったころです。pinnacleが9でchallengeが5なので、音楽やバンドとしての完成形に向けても、必要なことと不必要なことを取捨選択していき、その変化を受け入れるサイクルになっています。

実際に、自分たちの事務所を作って自由度をましたかのようで、バンド的には不協和音が発生していたようです。一つの目標をみんなが目指していた時代から、それぞれの方向性が変化していき、新たな道を模索していた時のようです。



★37歳(year number 23-5)変化

養父母の死をきっかけに、実の両親や弟のことを知る。

養母の死をきっかけに、養父が実の子ではないことを教えてくれたと清志郎は語っていますが、養子であることは小さい頃から知っていました。その養父の死をきっかけに、親戚の方から、実のご両親のアルバムや手紙などを初めて渡されたそうです。実の父は、弟だけをひきとって別れたことや、母親の写真、母親が歌が上手くてみんなをいつも笑わせいたことなど・・まさしく母の様子は清志郎そのものでした。それから、いつも母の写真をポケットにしまって持ち歩いていたそうです。長年の謎を知り、涙を流し浄化していくことで、今までとは違う心の変化がおきていったのは間違いありません。それは、曲作りにも大きく影響していきました。


★38歳(year number 24-6)調和

長男「たっぺいくん」の誕生。

30代後半で結婚し、長男が誕生。ライブで替え歌にしながら喜びを表現するなど、親バカぶりも発揮されていたようです。バンド内のメンバーはギクシャクしながらも、year number 6のとおりに私生活ではお喜びごとの年となりました。


★40歳(year number 26-8)繁栄

RCの無期休業宣言。個人事務所設立。

「忌野清志郎のRC」ではなく「RCの忌野清志郎」と常に語っていました。
ゴタゴタからの解放感があったとはいえ、この休業は、清志郎自身の一部だったRCがなくなり、ぽっかり大穴が空いた大失恋気分だったそうです。解散後の一年はとても新しいバンドを始める気分にはなれなかったとのことです。

過去から独立する機会にはなったようです。心の痛みはあったものの、繁栄の8、無限大の8のサイクルであることもあり、これからのステージの広がりが予想されました。


★43歳(year number 2)調整

俳優活動に挑戦。映画「119」の音楽を担当。新たな分野に挑戦。

year numberがはじめて一桁になった年は、役者や映画音楽という今までにない分野での仕事を積極的に広げていきました。これをきっかけに、様々な芸術の分野で表現をはじめています。



★44歳(year number 3)創造

映画『119』に音楽監督として参加し、第18回日本アカデミー賞で最優秀音楽賞を受賞。

RCサクセションの解散以降、前にも増してさまざまなバンド・ユニットを渡り歩き、その時の自分の気分に合った曲を作り続けてきました。活動の場は広がり、映画の音楽をはじめ、CMソング、時には絵本作家として、時には役者として、清志郎の個性を様々な分野で、楽しみながら発揮していた時代だったと思います。




★55歳(year number 5)変化

音楽の聖地「メンフィス」でアルバム「夢助」をレコーディング。
その2ヶ月後に喉頭癌で入院することを発表し、すべての音楽活動を休止。


メンフィスのキングオブソウル「オーティス・レディング」。
清志郎が、最も影響を受けたミュージシャンの一人だそうです。
その聖地でアルバム『夢助』をレコーディング。
新たな始まりを予感させました。
しかし、その発売をまたずに、喉頭癌がみつかり、入院治療を余儀なくされました。
癌の摘出をすると声が出なくなると宣告されたことから、手術はしないで治す方法を選んだと聞いています。
その決断は、最後まで、うたを歌い続ける覚悟だった、彼の強い思いを感じることができます。


★56歳(year number 6)調和・完全

日本武道館にて『忌野清志郎 完全復活祭』を開催し、本格的に活動を再開。

日本中のファンが待ち受けていた復活祭。清志郎の歌声は変わっていませんでした。
サイクル6が表すように、愛を学び、愛を与え、すべてを、あるがままを愛することを教えてくれる愛と調和のライブだったと思います。



★57歳(year number 7)開放・信頼

転移のため、ライブ活動を休止。

治療に専念しながら楽曲提供、ライブの飛び入り参加など、音楽活動も再開。ライブ活動はお休みしていましたが、精力的にできる限りの音楽活動を行っていました。まわりの存在を信頼し、今という時間を大切にして、精一杯生きていたと思います。


★58歳(year number 8)達成

2009年3月に体調不良で入院。5月2日に58歳の人生の幕を閉じ、天へと旅立たれました。

青山葬儀所でファンなどを対象にしたロック葬が行われ、弔問数は4万3000人に及んだそうです。

本人いわく、闘病後の復活祭では、「椅子にすわって地味に復活するのかと思ってたけど、バンドに戻れて本当に幸せだぜ!」とステージで声をはりあげてくれました。まだまだやりたいことはいっぱいあったかと思いますが、生涯ソロミュージャンではなく、バンドマンにこだわり、バンドマンを全うしたことは、彼にとっては本当に幸せだったと思います。



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最後に、
派手なようで地味な人だった、そんな清志郎の58年の人生は、つらいことも寂しいこともたくさんあったかと思いますが、誰に対しても平等で優しさにあふれた愛は、いつも私たちの心を明るく照らしてくれました。

歌と声で表現される彼のパフォーマンスは、日本を、世界を平和にしてくれるものだと思います。
永遠に私たちの心に生き続けるでしょう。



清志郎、たくさんの愛をありがとう!
「愛してます!!!!!」



清志郎の歌声をお聞きください
https://mojim.net/jp_video_u2_QnKykvIp4Yg.html?h=111911x7x11



reported by Moco
AEONS Numerology Basic the 10th class @ Yokohama
         
# by kej000 | 2016-07-25 21:08 | 数秘レポート

挑戦し続ける俳優 * 渡辺 謙


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渡辺 謙 

本  名  渡辺 謙
      Watanabe Ken 

生年月日  1959年10月21日 



■誕生数 ♯19-10-1 ■ 生まれ持った特質・本来の姿 
リーダー気質と開拓精神をもったカリスマ。焦点を定め、明確な目標づくりで自身を高めてゆく人。そのためには内なる直感を信頼し決断力を持って運命の風に乗ってゆくこと、自己信頼が ”一歩”を踏み出すカギとなるでしょう。

「ラストサムライ」のオファーに、彼は『自分には無理無理!』と断っていたそうです。これは♯10-1の自信不足のネガティブな面が顔を出したのでしょう。
当時は英語が全くできず、尻込みしてしまうのも仕方ないことだったかも知れません。
ですが改めて大陸を見据え、持ち前の開拓精神と芝居への情熱が化学反応を起こしたとき、こうと決めたら一直線:♯1が発動しました。 


■ 運命数 ♯7 ■ この世における使命や目的
♯7は物事のことわり、興味やアンテナに引っかかった事柄や人への内的探求者です。答えを知りたい。知的好奇心を満たしたい。哲学や心理学にも惹かれます。分析力とするどい洞察力があります。
また人生において経験する失意やつまづきの時が、学びの機会に。事態の原因や関係性、意味を理解し足がかりにして魂の成長に繋げてゆく人。そしてディープに掘って掘って得た叡智や研究結果を、世にお披露目して、シェアしながら人々の心を豊かにする使命をもちます。彼は演技・役を通して内観し、そして観る側の魂にもゆさぶりをかけるのです。


■ 実現数 (1&7)♯8 ■  人生での可能性や実現性
インスピレーションと仕入れた叡智を分析しゆっくりと育み、秩序だて、洗練させ、知恵と力にかえます。どっしりと構えて居ながら、周囲を細かくクリアに見る眼をもつので、人や状況をコントロールしリーダーとして采配をふるえる人です。
いまも大きな舞台で「力」を磨きながら、着実に信頼と人脈を獲得していますし、名声と成功を手にできるナンバーです。


■ ソウル数 ♯13-4 ■ 価値観や内なる動機・行動の基準となるもの
♯13は創造と破壊 ♯4は生活や人生における安定を手に入れる事、確かな手ごたえを感じたい気持ちが強いナンバーです。確かめながら、崩しては立て直し、軌道修正しつつ、真面目にコツコツ、コツコツ・・・。継続して自己管理と危機管理も忘れない。そうして足元を固め、準備をしていく。

彼はなんと彼の地の開拓にネックになっていた英会話を5ヶ月でマスター。言葉を学ぶことは同時にその国の型や作法も学ぶこと。イメージの世界を現実の世界で確かなものにするため♯4の「開始・前進する」と「勤勉さ」のエネルギーを使ったのでした。いまではインタビューも通訳なしで、熱のある返しをすべて英語で行えるほどに。

このとき頼ったのは、英会話教育家で、英語劇団主催者でもある奈良橋陽子氏です。

『演技に関してももちろん、生き方に関してもとてもストレートな方だと聞きました。』
『言葉の壁があったことは、渡辺さんにとってアドバンテージ(有利な点)だった。』
『勝元(謙が挑んだ役)は内に秘めていた思いがたくさんあって、それがやっとのことでごく少ない言葉で表に出てくる人物。それがサムライの美学であり勝元という人の魅力でもある。そこに渡辺さん本人の経験と重なるものがあったのではないでしょうか。』
                     「ラストサムライ」撮影時の奈良橋陽子談


■ 人格数 ♯21-3 ■ 他者の目に映る印象や雰囲気 
♯3はクリエイティヴなナンバーで芸術芸能・演劇の分野にも向いています。
彼の役者としての存在感は世界的に認知されています。
また♯3はお茶目で陽気で感性豊かなアイデアマン。人を楽しませ、自分も純粋に愉しむ・・・そのエネルギーの循環で場を和ませるムードメーカーです。
彼の子供時代のエピソードとしてこんな話があります。


■ 若年期の様相 ♯10-1 ■
彼が最初にハマったのは落語でした。小学校4年生の頃に興味を持ちラジオで聴くようになります。クラスメイトや全校生徒の前で創作落語を披露し、これがけっこうウケたというのです。演目は北海道の地図を描いて、北海道の変わった地名でダジャレを言うというもの。♯1は独創性・あふれる創造性のナンバー。 ♯3の遊び心が加味されたパフォーマンスは、未来につながる《最初のステージ》だったのかも知れません。


■ ステージ数 ♯10-1 ■
芝居の場、世界を股にかけた舞台が彼のステージですね。役者以外にもラジオ・CM・ナレーションや朗読などなど、テリトリー・活躍の場を拡大させています。


■ チャレンジ数 ♯6 ■
♯6は 『出会いと別れ』 結婚 離婚 妊娠 出産 プライベートでの家族問題などのナンバー。これまでの人生に喜びをもたらし、また時には影をおとすこともありました。
前妻との二年にわたる離婚劇がありました。
娘の杏さんは現在、双子を妊娠中。夏に「じいちゃん」になるのを心待ちにしています。

♯6は身体の病気を通してお知らせがくるナンバーでもあります。このレポートを書いている時にこんなニュースが飛び込んできました。「女優で奥様(南果歩)の勧めで受けた人間ドッグで胃がんが見つかり、早期だったため内視鏡による手術で取り除くことができた」
このときの人間ドッグを探してくれたのは娘の杏さんだそう。
“病気”は過去にもがっつり経験済みで、まさに挑戦・課題なんですね。


■ Nature数 ♯7 ■
柔和で親しみやすい反面、自分の王国を壊されたくない、分析力の鎧を着て自説に執着する面も。王国はさながら彼の秘密基地、独自の世界観で作戦を練るのかも知れません。

 
■Action数 ♯5■
得た知識や体験を積極的に発信し人々に刺激を与えるナンバー。諸国巡礼し社会的ヒーリングを施します。弁が立ちディスカッション好き。


■ TYPE Ⅱ ■ 
◇Maturity(成熟度・物を感知する能力) ♯2
感受性の鋭さ。集団意識と同化しやすい。
役者には、その役柄を自分の個性に寄せて演じるタイプと、いわゆる憑依型俳優と言われるタイプがいます。♯2からみると彼は後者なのだと思います。一般的にもそのように評されることが多いようです。




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<HISTORY>

新潟県魚沼市出身。
「謙」は越後の戦国武将・上杉謙信に因む。両親は共に教師(父は画家の渡辺亮一)。
乗馬、ゴルフをはじめスポーツ大好き。神戸製鉄ラグビーファン。特にプロ野球阪神タイガースのファンで、試合に幾度も応援にかけつけ、その熱烈な応援っぷりは有名。
家事全般好き。海外撮影時には自室に共演者が集まり自慢の手料理を振舞うことも。
無類の蕎麦好き。かなりのヘビースモーカー。高所恐怖症。

19歳 (year number 11)
武蔵野音楽大学を目指し上京。
中学校進学から高校卒業までトランペットに没頭、音大進学を希望しますが、父親が中学時代に病に倒れ仕事が出来なくなり、経済的理由から断念しました。劇団ひまわりに入団するも、3ヶ月ほどで退団。たまたま観た演劇集団・円公演の「夜叉ケ池」に感銘し、円の研究生に。
11番は分岐のナンバー。精神的にもゆさぶられ、人生の分かれ道でした。11は芸術にも向いているクリエイティヴナンバー。養成所を経て翌年20歳で正劇団員昇格。23歳までには舞台、TVデビューを果たします。俳優・渡辺謙のスタートです。

28歳 (year number 11)
NHK大河ドラマ「独眼竜正宗」主演で一躍トップスターに。「海と毒薬」でエランドール新人賞受賞。また11番。豊かな感受性と高い芸術性でスポットライトがあたります。

30歳 (year number 4)
映画初主演となるはずであった「天と地と」カナダでのロケ中に、血液のガンとも言われる急性骨髄性白血病に襲われる。映画は降板、それまで築き上げてきた足元が崩れます。

31歳 (year number 5)
発病当時、病状は深刻で生死の境をさまようような状況から、医師の懸命な治療と彼の強靭な生命力、妻の必死の看病によって、奇跡的に回復。芸能活動に復帰します。

35歳 (year number 9)
白血病再発、入院。また闘病生活を強いられます。9番・・混沌のナンバー。
このころ由美子夫人も精神的に追い詰められ、新興宗教を信仰するようになります。

36歳 (year number 10)
ついに白血病寛解。完全復帰し俳優業を再開します。前年9番の終結から10番の新たな変化の流れへ。この年は彼の人生でのCycle Nnumbers♯3に入り、新しい流れへ向かう大きな切り替わり時期でもありました。

44歳 (year number 9)
また9番の”複雑な二極性”のときです。
トムクルーズと競演「The Last Samurai」公開。ハリウッド映画進出をはたすや、勝元盛次役で第76回アカデミー賞助演男優賞にノミネート。国内外の各賞にも彼の名が多くあがり、注目を浴びました。
プライベートでは由美子夫人の借金問題などで離婚を決意。ここから泥沼離婚調停がはじまります。

46歳 (year number 11)
離婚調停の公判では、由美子夫人が借金のほとんどを信仰宗教と巨漢の怪僧で会長(故人)への多額送金が発覚。渡辺自身も、今も活躍している女優たちとの“交際”報道について際どい質問をされるシーンもありました。2年にわたる離婚劇は渡辺謙の勝訴で幕を閉じます。

離婚9ヶ月後、03年ドラマで共演をきっかけに交際を始めていた「カミさん」女優・南果歩さんとの入籍を発表。一説では、もともと渡辺の海外進出をアドバイスしたのが南さんだったとのこと。11番:パートナーシップの解消と新たな始まりの幕開けなのであります。

55歳 (year number 11)
≪全米芸術の聖地≫と言われるニューヨークのリンカーン・センター・シアターにて、ミュージカル「王様と私」でブロードウェイ・デビュー。しかも主演。もともと舞台役者だっただけに『人生最大の挑戦』。
デーリー・ニューズ紙は「全てのシーンと歌に壮大さと優美さが詰まっている」と賞賛。

56歳 (year number 12)
がん公表、手術と療養を経て、当初の予定より2週間遅れとなる3月17日から舞台「王様と私」に再出演して、仕事復帰することとなります。

12番はパターン打破のナンバー。そしていま、彼は人生でのCycle Nnumbers♯6、Pinnacle♯7、Challenge♯5のさなかにいます。もしかしたら彼の「べき」思考や完璧主義が心身のエネルギー循環に影響を与えているのかも。すこし視点を変えたときに見える景色から、人生に精神的な深まりと飛躍のギフトがもたらされるのかもしれません。



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☆ 「渡辺 謙」を読んで ☆
彼は何度も死に直面してきました。望まないのにやって来てしまった病、人生に挑み続け強く生きるひと。平凡な人生なんて誰一人いません。私たちもまだ旅の途中。Destinyに10-1を持ち、尻込みばかりしている私。もっと肩の力を抜いて違う景色を見に行かなきゃ。


AEONS Numerology Basic the 9th class
Harumi wrote,
# by kej000 | 2016-05-23 09:46 | 数秘レポート

安らぎと真の理想の道へ with Peanuts ~チャールズ・モンロー・シュルツ

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Charles Monroe Schulz
チャールズ・モンロー・シュルツ

1922年11月26日生まれ

アメリカ合衆国の漫画家
代表作「ピーナッツ」


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~Personality~

[Birth number 15-6] 生まれ持った資質、個性、才能、潜在能力

芸術的才能を持ち、忍耐強く、家族的な愛を大切にし、深い思いやりを持つ6番。
彼はこの芸術的才能を発揮し世界的に知られる漫画家として活躍しました。
彼の描く「ピーナッツ」という漫画には着飾る事のないセンスの良さが表れています。漫画自体は知らなくても、スヌーピーというキャラクターを知っている方は大勢いるはずです。この白と黒のスヌーピーを見ただけでもそのセンスの良さを感じられます。

また博識で信仰心にあつく、確固としてしかも心優しい人柄で、慎重に言葉を選んで話す人でした。
描く漫画に対してもそうであって、「憎しみは漫画にはふさわしくない感情だ。」と答えています。
ピーナッツの漫画は、子供たち同士の日常の短い会話の中に的確に詰め込まれた面白さと、深い心理、他者に対する思いやりを感じられます。

堅実さ、忍耐強さは、新聞の漫画欄に50年毎朝掲載し続けたということに現れています。

また「もともとくよくよ考え込む性質で内省型である」と言うように、6番のネガティブな部分も表れていました。広場恐怖症、強度の心配性を抱えていました。
彼は不安を少しでも減らすように、自分の子供たちを危険から守ることに、注意を払い、漫画の登場人物の子供たちの居場所にも安全な場所にという気を配っていたようです。


[Destiny number 10-1] 使命、目的、仕事、ライフワーク

1番はオリジナルを目指すこと。
あふれる創造力と独創性を漫画家として生かすことができたと思います。
「馴染みのあるものを、馴染みのない切り口で、人々の前に差し出して見せることができた時、その芸術は成功したと称えられる」ということを、本能的に理解していて、常に創造力を駆使して独創性を探し求めていたからこそ、子供漫画の中でも抜きん出た存在になることができたのです。
新聞連載を主流の1コマ漫画から複数コマの漫画という形で掲載を始めたことや、漫画の分野において初めて単行本化するなど、従来の方法とは違う形、新しい試みをいくつも行っています。

そして、10番の「人に癒しを与えるという方向へ向かう」ということは、世界に広がり多くの人に愛されているスヌーピーというキャラクターを作り上げたことが、それを意味しているのではないかと思います。

[Soul number 8] 隠れている価値観、心の中の欲求

成功している一方で、心配性、くよくよするなどの弱いイメージもかなり強く感じますが、根本は、とても男性的で、パワフル、情熱的、野心があり負けず嫌いであったようです。人見知り、心配性という着ぐるみを脱いでしまったら、かなりエネルギッシュで近寄りがたい人物だったのかもしれません。
現実的にも、自分の漫画の面白さを確信し配信会社への売り込みを熱心に続けています。自分の漫画が認められない訳がない、漫画家になるという自信と情熱はかなりのものだったと感じます。


[Personality number 11-2]

実際の彼は、はにかみ屋で穏やか、品位と威厳があり、背が高くジェントルマンであったそうです。
優しい穏やかな笑顔の写真からは、2番の持つ物腰柔らかに皆を見守っているような感じと、良き相談相手という言葉がぴったりでした。またインタビューの記事からでも受け答えの様子から11番の賢そうで、内気であることが伺えます。


[Realization number 7]可能性や実現性

彼は、アシスタントを付けず、描くことは全て一人で行っていました。それが50年続いた秘けつの中には7番の持つ真面目でひたむきであったことがあげられます。
心配性からくる自らの様々な心理分析が心理への探求心につながり、精神分析医のような言葉で、漫画に反映されています。
「会得した智慧や研究を世の中に広め、人々の心を豊かにすること」が7番のミッションにあります。
漫画家の中でも特別の存在といわれ、知性と独創性で漫画という専門分野を極め、漫画を通して、このミッションは達成されたのではないかと思います。


[Stage number 4] 
 
安定、継続の意味を持つ4番が活躍の舞台です。
毎日の新聞連載という場は、まさにその安定した、継続の場所となりました。
この安定した場所を基盤に本の出版やミュージカルなどのエンターテインメント、キャラクター商品などへどんどん発展していくことになりました。


[Challenge number 4]
ここも4番です。長きにわたりこつこつ真面目に積み重ねた結果の業績です。


[Nature number 8]
情熱的で、努力家、負けず嫌いは彼のパワーポイント。


[Action number 9]
穏やかで、思いやりのある行動ができた人。9番はカリスマ性のナンバーでもあります。


Day number26
大きなことを成し遂げる可能性がある数です。


<TypeⅡ 際立つもの>

*Lead 5
先見の明があり知性的リーダーシップをとる人。刺激を与える人。

*Emotion 5
5番の感情レベルは鋭利な感受性です。社会の出来事、人々の心理などを感じる能力が鋭く、また精神的、心理的ダメージも人一倍大きかったのではないかと思います。

*Intelligence 1
毎日のエピソードを描くのにインスピレーション、ひらめきや直感、ひらめき的頭の良さは不可欠だったでしょう。


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~Cycle・Pinnacle・Challenge numbers~

【0~30才】
*Cycle numbers(2)どのようなことを学ぶ時期か
変化を受け入れること。
牧歌的な家庭生活を送っていた少年時代でした。そんな平穏から母の病気、死による日常生活の変化、軍隊生活、結婚、仕事と、この期間に身近なところでの変化が重なりました。
内気だった彼は、逃げ場のない軍隊生活ではプラスになったこともあったようで、根性、負けず嫌いなどの強さが身に着いた時期でもあり、望まぬ環境におかれたことで意識、行動の変化につながった時でした。
漫画連載の仕事に就くまでの期間でもあり、絵に携わるいくつかの仕事を経験しています。

*Pinnacle numbers (1)どんな状況の時期か
始まりの時。
大好きな絵を勉強して、進みたい道をみつけ、それを開花させるための種まきを始めた時。

*Challenge numbers(6)与えられた試練や今回の人生での課題
出会いと別れ。家族の問題から内面の強さを養い、愛とは何かを学ぶこと。
母との別れ、失恋、結婚の時期でした。


【31~48才】
*Cycle numbers(8)
様々な力の中でのバランス、コントロールを学ぶ時期。
漫画の連載が続き、現実社会へ打ち出す能力が発揮され、数々の賞を受賞し始めた時期です。成功と共にお金や地位、名誉、を得ることが出来、責任や義務の大きさも増した時期だと思います。

*Pinnacle numbers 
[31~39才](40-13-4)
4番は安定、基盤作り。
13番は修練、常に学びを喚起させられる時。本質に目覚める時。
人生でたった一度のスランプを経験しています。仕事には緊張感が不可欠であることに気づき、家とは別の仕事場という安定した場所を作ったことでスランプを脱しました。

[40~48才](14-5)
14番は異文化交流。
ミュージカル上演、スヌーピーのぬいぐるみがアポロ10号に乗って月に向かって飛び立つなど、スヌーピーなどのキャラクターが漫画の中を飛び出して活躍し始めました。
5番の意味する新しい風に乗って、形になった物がさらに外に向かって活発に動き出した時期です。

*Challenge numbers 
[31~39才、40~48才、49才~](3)
31歳からのナンバーは全て3番です。
3番は豊かな表現力、精神性の高さ、芸術などを意味するナンバーです。
彼は長い間、日々漫画を描くことで、自分の感情を誠実に表現し、内的エネルギーを解放いていたと思います。
そして、漫画を通して、表現力、感性、直観力を惜しみなく世の中のために使い、彼独特の言葉やデザインで作りだしたキャラクターの個性で、3番のミッションである、人々に癒しと精神的な喜びを与えることをやり遂げたのだと思います。

【49才~】
*Cycle numbers(14-5)
変化、自由を学ぶ時。
離婚、再婚による家族関係の変化が訪れました。

*Pinnacle numbers(25-7)
ここから先、今までに確立されたものをより深めていく時期です。
精神の充実を計り平穏さを保ちさらなるステージアップをしていくことになる飛躍の時期です。


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~History~ 主な出来事

*子供時代(month number 11-2)
絵を描くのが得意な内気でおとなしい少年でした。控えめ、芸術と2番の要素です。幼稚園で彼の絵を見た先生から「あなたはきっと絵描きさんになるわ」と言われたことがいつまでも彼の心に残るほど力強いものでした。素晴らしい先生、その一言の影響力は、結果世界的規模になったのです。

*20才(year number 26-8)
陸軍に徴兵され、初歩訓練の最中に母を亡くします。
現実的な問題が起こった時でした。母の死がどれほど彼に影響を及ぼしたことか、悲しい現実が極度の心配や怖れへと向いてしまったように思います。一方では強さも身に付けました。軍隊での生活が彼を強くさせ負けず嫌いな性格が芽生え始めました。

*24才(year number 21-3) 
1947年6月地元の新聞に、『ピーナッツ』の原型となった『リル・フォークス』が掲載。
彼の創造力が漫画となって広く表現され始めました。開花の時。

*27才(year number 24-6) 
6番は歓びの感受、人間関係が拡大する時です。
漫画配給大手のユナイテッド・フィーチャー・シンジケーツへの投稿がきっかけで、1950年10月2日から『ピーナッツ』の連載が全米8紙で始まることとなりました。

*28才(year number 25-7)
1951年4月結婚。絆を深める7番の時。

*30才(year number 27-9)
『ピーナッツ』が始まって2年目。創作という不安定で孤独な状態からスランプに。9番のネガティブな部分に揺れ動いたようです。これは仕事場という新たな拠点を作ることで解決。
『ピーナッツ』が単行本として出版され、出版界に漫画の単行本市場という新分野をもたらすことになりました。続けてきた漫画人生の1シーズンの完結ともいえると思います。
ここで18番の10年サイクルが終わり、新しいサイクルが始まります。

*33才(year number 21-3) 
全米漫画協会が主催するリューベン賞受賞という贈り物を受けた喜びの年。

*42才(year number 3)
9年前と同じく3番の開花の年に、全米漫画協会が主催するリューベン賞史上初の二度目の受賞。
花は何度でも咲くのです。
31歳からのチャレンジナンバーはずっと3番です。その中のyear number3で2度の受賞でした。豊かな表現力と、創造力を発揮し続けています。

*49才~51才頃 月がわからないため数年の流れ。(year number 10~11~3)
10番 変化の時。本当の自分に向かっていく時。
11番 情熱的に、積極的に、素早い決断で直観とインスピレーションを頼りに進む時。
3番 創造、表現、開花を楽しむ時。
1972年離婚。1973年再婚。
家族関係の大きな変化の時であり、離婚、そして出会いと再婚はとてもスピーディでした。
新しい出会いで新たな生活がスタートしたように、2番で始まる10年のサイクルが終わり、楽しみながら、さらに創造力を発展し、視野が広がっていく3番の10年サイクルが始まります。

*57才(year number 9)
アーティストのトム・エバハートと意気投合。今まで一人で描き続けてきた『ピーナッツ』ですが、
トムは唯一の『ピーナッツ』のファインアーティストとして認められます。次の変化に向けて新たな試みです。
全体に意識を持っていくことで、さらに広がりを持たせること。本物を見抜く力を持って、新たな表現方法を見つけ、他者の才能を活かし導く、9番は完成の時であり新しい流れへ向かう時です。

*58歳(year number 10)
心臓のバイパス手術が無事に成功し、“病院の壁に何かを描いて”という看護婦からのお願いで壁にスヌーピーの絵を描きます。この時に、「手術を受けるだけでも悩んだのに、壁の前に自分の脚で立ち絵を描いている。やはり漫画を描くことが自分の天職だったのだと知って、この上ない喜びを感じた」と話しています。死を覚悟して臨んだ手術の成功、再び描くという勇気をだせたことは、10番の良い流れに乗れたことを表しているのではと思います。

*61歳(year number 4)
『ピーナッツ』の掲載紙は2000誌に到達しギネスブックの世界記録に認定。
継続と成功の証をギネスブックに認定という形で手にしました。漫画家としての土台はどんどん安定し、揺るぎないものになっています。

*63歳1986年(year number 6)
カートゥーン・アート・ミュージアムによってシュルツが漫画家の殿堂入りを果たす。
喜びを感受する時。漫画界でのトップの座、太陽のような存在になりました。
 

*77歳(year number11)
1999年12月14日 病気治療に専念するため引退発表
2000年2月12日 永眠
真の理想に向かっていく11番の時です。
年齢をみるとまだまだという気がします。成し遂げたことをみれば倍以上を生きたように思えます。



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彼自身なかなか解決できない悩みを持っていたようですが、漫画に登場する“子供たちのレモネードスタンド”をパロディーにした“精神分析スタンド”では、お悩み相談に、子供のキャラクターがあっさりと答えてくれています。
例えば、「精神分析スタンド 5セント」~「最近ひどい鬱状態なんです。どうしたらいいでしょう?」という問いに、「しっかりしなさい!5セントいただきます。」といったように。答えはとてもシンプルで、わかりやすいです。
不安や心配、それも一つの強い力に変えて、人を癒し、漫画家として生きたことで精神性を昇華させることができたのではと感じます。

永遠の眠りについたのは最後の日曜版(2月13日付け)が発行される数時間前でした。図ったかのように人生と共に終了した『ピーナッツ』。やはり共に生きたというよりも、絵も文章も彼自身であったと思わずにはいられません。
彼と漫画を切り離して考えてしまうと、彼自身の精神はなかなか羽の様に軽くとは行きにくかったと思いますが、“天職であった”と確かに思うことができた漫画と一体になることで、恐れも心配も包み込むことができて、自身の安らぎと真の理想に向かう道を進んでいたのだと思います。彼の優しい笑顔にそれを感じます。

参考資料:スヌーピーの50年・スヌーピーと生きる


Aeons Numerology Basic the 9th Class
Atsuko Kato
# by kej000 | 2016-04-07 22:20 | 数秘レポート

Love, Dream & Happiness  ~EXILE ATSUSHI

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EXILE ATSUSHI

本名 佐藤篤志
生年月日 1980年4月30日
 
現在35歳(誕生日をもって36歳になる)
Year cycle 15 (4/30以降7)
埼玉県越谷市出身 
歌手 シンガーソングライター 音楽プロデューサー





<Personality>

誕生数(生まれ持った資質) 16-7 真理の探究

16を持ったAtsushiさんは、多くの事態の遭遇や経験を積むことによって 価値観を変え
本当に信頼出来るものや愛を学び、真理=本当に変わらないものとは何かを探求する為に生れてきました。
そして16という数は人生の途中から運命的な絆に吸い寄せられるように神秘的な方向へ向かうナンバーなので、21歳の時にリーダー(社長)であるHIROさんに出会いEXILEに入り色々な経験を積む事により愛や信頼を学び メンバーとの絆を深め その経験から人の心に寄り添う様な楽曲を作詞・作曲したり歌うことが出来る人です。
又、真面目でコツコツと熱心に深く掘り下げることが得意で 音楽に対するストイックさは 後に続く後輩たちのよい手本となっているようです。
今までの辛かった経験や嬉しかった事や、達成した経験で得たものや学んだことが、彼の作り出す楽曲とパフォーマンスの世界観を通して人々の心に共感を生み、癒しを与えこれから更に深みを増していくことでしょう。
ただ、感情がテーマにあり 傷つきやすかったり 頭の中で色々考えすぎたり 揺さぶられたりしやすい為、コツコツとストイックに音楽に向き合いながら心と心を繋ぐ事が自分の使命だと自覚して活動しているとよさそうです。

運命数 11-2 霊性・相対

マスターナンバーである11は 天と地の橋渡しをする霊性の高い数字で 真の理想に向かって目標をしっかり掲げて 分かち合いと協調に目覚めていきます。
EXILEメンバーの中で一番涙もろい。
その人の背景や生き方を観察したのち楽曲を提供すると ATSUSHIさんはどうしてこんなに自分たちの気持ちがわかるのだろうとびっくりされる等のエピソードから、生まれながらにして鋭い直観や洞察力に加えて 豊かな感受性と芸術性があるのがわかります。

実現可能数 9 完結

9はカリスマ性のナンバーで人を魅了する豊かな才能を発揮し、音楽を通して愛と理解力を持って人類愛を実践していける人です。
又、自分の生き方を世の中の人や未来を担う子供たちに見せる事により 後に続く人たちの道標となり人の心に寄り添う事を目指しています。
そして、Mr.EXILEとして表の舞台で活動すると共に プロデューサー業で全体的に音楽を作り上げていく事も向いているようです。

ソウル数(魂の欲求)5 変化

新しい事に挑戦し、変化させることによって形になった物を外向きに発信したい。
今まで経験した事を楽曲の詩や曲に乗せ 人々の心に寄り添う曲を作り 歌い、
提供する事により、喜ばれたり希望を与える事が自身の喜びになっているようです。

人格数 (他者から見たその人の印象) 15-6 調和

芸術的才能やセンスの良さが長けていて 押しつけがましくなく 説得力もあるので
エンターテイメントや音楽を通して ずばり「愛」と「平和」を伝え社会貢献していく人です。

ステージ (活躍の舞台) 7 飛躍

彼の持っている真面目さやひたむきさが 最初の印象の怖そうなお兄さんから親しみやすさに変わり、音楽を通して人々の心を豊かにしていきます。
たくさんの経験から視野を拡げ 世の中に広めた結果 彼自身、そして彼の音楽を聴く人の心を開放していく事になるでしょう。

チャレンジ 30-3 発展

ATSUSHIさんは一桁に0がある為 直感的に自分が楽しいと思う事で表現し 人々に精神的な喜びを与え、自分も一緒に喜びを感じる事。
表面的な事だけではなくその裏側にある本質にも目を向け光を当てていく事。
自分が持っている表現力・感性・直感力を使い 人々のため、そして未来の子ども達を育む道標を創る事。

Nature (その人の雰囲気・本質) 10-1 再誕生

10は幸福な人生に甘んじる事なく 自分の道を行き、人に癒しを与える霊性のナンバーである。
彼はいくつも目標を掲げ達成してもなおそこで満足することなく 新たな挑戦をする彼の姿は 見る人へのエネルギーとなり 導きそして癒しを与えています。

アクション 4 安定

彼の行動パターンは 責任感が強く コツコツと丁寧にやっていくタイプで、真面目にやってきた事が基礎となり バラバラの物を1つにまとめていく事の出来る人です。



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<History>
若年期 4

独学でピアノを学んだ父親の影響でピアノだけは基礎から学ばせたいと 4歳のころからクラシックピアノを習い始め 高校に入るまで通っていました。
高校を卒業し 音楽専門学校ではヴォーカリストとしての技術を磨き 着実に音楽の基礎を学んでいきました。

2000年 20歳 year number 9

ASAYAN男性ヴォーカリストオーディションを受け 1万人以上の応募の中から最終選考の5名まで残るが、R&Bの探究が強く、コンセプトと合わないという理由から落選し挫折を味わいます。
この時、5サイクルの9なので 全てはよりよくなるためのチャレンジの時期でした。
落選後しばらくは周囲で見ているのも辛くなる程 荒れていて、孤独と理性の混乱を味わいましたが、次に向かうための模索の時期だったようです。

2001年 21歳 year number 10

ASAYANですごいやつがいると、彼の存在を知ったHIROさんの目にとまり 一緒にダンス&ヴォーカルユニットを作らないかという誘いを受け、EXILEの前身である初代J Soul Brothersに加入し 後に EXILEとなりました。
10は本来の自分に近づく為の変化の波がやってくるので、彼はその時しっかりと運命の流れをキャッチしたと言えるでしょう。
2003年 23歳 year number 12

12は それまでのパターンを打破する時期。
元々シャイで恥ずかしがり屋な性格の為、シャレ気付いている暇があったら音楽に集中したいという思いから その後の彼のトレードマークである坊主頭とサングラスを着用。
その年 紅白歌合戦に初出場しました。

2005年末~2006年夏 25~26歳 year number 14→6

2005年末くらいから ヴォーカリストの命である声帯にポリープを患い ファルセット(裏声)が出なくなってしまいました。
2006年3月にツインボーカルの相方だったSHUNが脱退し 9月の第二章開幕するまでの間に手術を受けました。
ツインボーカルの相方が抜けてしまう話が持ち上がった頃からヴォーカルが一人になってしまう事や、これからどうなってしまうかわからない不安の中もがいた結果 それまでの執着に気付き手離さざる得ない状況になりました。
そして誕生日以降イヤーサイクル6になり調和のサイクルとなりました。
この年EXILEヴオーカルオーディションを開催しTAKAHIROと それとは別にパフォーマーAKIRAも加入し新生EXILEとして第二章が幕開けしました。 

2009年 29歳 year number 9

3月より二代目J Soul Brothers として活躍していたメンバーを迎え入れ 14名となりEXILE第三章が開幕しました。
9月には一夜限りのソロライブを行い ソロ活動開始。
11月には天皇陛下御即位二十年をお祝いする祭典で歌と踊りを披露しました。
9はそれまで培ってきたものの完成の時。それまでやってきた事が世の中に認められる年。
又、次に進む為に新しい風を招き入れ 同時にソロ活動を始める事によって 後に続く後輩達のお手本となり 自分の新しい才能への挑戦を始めた時期でした。

2013年~2014年 33歳 year number 13→14

2013年末にリーダーであるHIROさんが勇退し社長業、プロデューサー業に専念する。
2014年に入りEXILEメンバー若返りを計るため パフォーマーオーディションを開催し新メンバー5名を迎え入れ 第四章が開幕しました。
破壊と創造を信頼出来る仲間と共に行い、軌道修正する事により変容を見事に行ったと言えるでしょう。

2015年 35歳 year number 15

年末に初期メンバーである3名が卒業する事により 初期メンバーが彼一人となりそれぞれの道を歩み出しました。 別れから内面の強さを養い成長を目指す時期になりました。



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そして 今年の4月をもって、7のサイクルに入り飛躍の時期になります。
研究や学ぶ事によりコンセプトや計画を深め、更に才能を開花出来るサイクルに入るので
これからのATSUSHIさんの活躍を期待し、彼の掲げるコンセプトである「LOVE」
「DREAM」「HAPPINESS」を世の中に広め人々の心を豊かにするエンターテイメントを楽しみにしています。

Aeons Numerology Basic the 9th class
Yukano Nishimura
# by kej000 | 2016-04-07 21:45 | 数秘レポート