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オッペンハイマーの記録  数秘クラス基礎科・レポートより

東京数秘基礎科クラスの生徒さんの卒業レポートです。

原子爆弾開発製造のためのマンハッタン計画に加わった「あの人」のバイオグラフィーを数秘と共に追っています。


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Julius Robert Oppenheimer ジュリアス・ロバート・オッペンハイマー


1904 年 4 月 22日 - 1967年2月18日 

ユダヤ系アメリカ人物理学者。ニューヨーク生まれ。


実業家の父親、画家の母親をもち、 芸術と教育に囲まれた裕福な家庭に生まれ育った。ハーヴァード大学を 3 年で卒業、ケ ンブリッジ大学から新しい学問として注目されていた量子力学の中心であるゲッチンゲン 大学へ移籍し、博士号を取得。カリフォルニア大学助教授の職を得る。第二次大戦中 に原子爆弾開発製造のためのマンハッタン計画に携わり、ロスアラモス研究所の所長 をつとめ、爆発実験を成功させた。広島・長崎に原子爆弾が投下された後、アメリカで は戦争を終わらせた兵器を開発した「原爆の父」として一躍有名になった。戦後はプリン ストン高等学術研究所の所長に就任。核兵器が戦略爆撃に使用されることを阻止する ために尽力したため、水爆の父テラーと対立。その後、ソ連のスパイ、国家機密保持が不可能な性格に欠陥をもつ人物などと社会的に貶められた。その後、フェルミ賞の受賞などで名誉を回復し、同僚には敬愛 されていたが、一般的なイメージは悪いままであった。指導してきたグループからノーベル賞受賞者を多数輩出するなど優秀な 教育者としても知られる。


Birth#4(22-13)

 Day#4(22) Year#5(14) 

Month#4 Day&Month#8 

Destiny#6 Soul#2(11) 

Personality#4(13)
Realization#1(10) 

Stage#2(11) 

Challenge#7 

Nature#9 Action#5 

Cycle 0-32 #4 33-50 #4 51- #5

Pinnacle 0-32 #8 33-41 #9 42-50 #8 51- #9
Challenge 0-32 #9 33-41 #1 42-50 #8 51- #1
TypeII Creation#2 Growth#6 Maturity#1 

Lead#3 Support#5 MakeMood#1 Body#5 Emotion#3

 Intelligence#1 TypeIII Balance -10



■Birth# [22-13-4]


ごく幼い頃は鉱物の研究という地道な作業にいそしみ、才能を次々開花させ、早い段階で基礎固めの#4 から卓越した創造 の#22 に移行したとみられる。
#22 に移行してからはダイナミックな時流の中、量子力学という新たな分野で研究、後進の指導にいそしんだ。戦争中は原子 爆弾研究開発に携わり、戦後は対立に負け名誉墜落。多くの功績、天に上り地に墜ちる波乱に富んだ人生、素晴らしい後 進の指導、その後の人類にも大きな影響を与える研究と、スケールの大きなマスタービルダーとして#22 の生き方を全うした。


【#4 真面目で勤勉 #22 卓越した才能】

オッペンハイマーは裕福な家庭に育ち、高層住居に住んでいたためか、外を駆けまわるよりも、本を読んだり鉱物の研究をしたり する、知的に大変早熟な子供だった。5 歳の時に父方の祖父から鉱物標本を贈られ、心をとらえられたオッペンハイマーは、 12 歳の頃にはニューヨーク鉱物学同好会の会合で研究発表を行うほどであった。
ハーヴァードは最優秀の成績で、3 年で卒業。B 評価が二つ、それ以外は全て A 評価であった。ゲッチンゲン大学でボルンと 共同で発表した論文、ボルン-オッペンハイマー近似は現在でも分子の量子力学を学ぶものが必ず理解しなければならない 重要事項となっている。



理論物理学者として、原子爆弾開発・製造の責任者として、教育者として数多くの業績を残している。

【#4 芸術、アート、自然、学問】

裕福で、画家の母を持つオッペンハイマーは幼い頃から、ゴッホやセザンヌが飾られる家で育つ。#6 にも関わるが美しい物を 愛し、才能を愛した。詩や小説、音楽にも親しみ、自分でも詩をつくったが、才能ある友人や恩師に酷評されていた。 またニューメキシコの荒々しい自然の中、馬に乗り駆け巡ることを愛していた。


【#22 カリスマ指導者として】

博士号取得後、カリフォルニア州立大学で助教授の職に就いた。最初は大変不評であったが次第に、学生たちの心をとら えるようになった。物理学の論理的構造の魅力的な美しさ、物理学の進展が与える興奮を、彼は学生たちの心に伝えた。 「オッペンハイマーの性格のいろいろの面が偉大な教師になるのに役立った。物理学者としての偉大な力量、広い知的興味、 頭の回転の驚くべき速さ、すぐれた表現の才、感受性の細やかさ、人目を惹きつける風采、そうしたものが人の集まりではいつ も彼を中心的存在とした。彼の学生たちは出来るだけ彼を真似ようとした。彼の身ぶり、彼の癖、彼の口調まで真似ようとした。」 と同僚の言葉。

グループでは電磁力学、宇宙線、宇宙物理学、核物理学が同じ場所で議論された。 アインシュタインが「アメリカ最大の理論物理学の学派」と呼んだオッペンハイマーの弟子からノーベル賞受賞者を多数輩出し た。


【#22 宇宙の英知とつながる】

特定の宗教は持たなかったが、ヒンズー教の宇宙観に強く惹かれており、バカヴァド・ギーターを原典で読むためにハーヴァー ド時代サンスクリット語を学んでいる。


【#22 敵が多い】

学生時代は知的才能を鼻にかけた言動が多くみられ、教師受けは良かったが、同級生にはそうではなかった。ゲッチンゲンで はセミナーの最中に「それは違う」と前に出て授業を中断させることもあった。生徒からのクレームのメモを目にしてからはそういう 行動は慎むようになる。 戦後、核兵器の使用に反対し、水爆の父テラーと対立。シラードとも対立し、オッペンハイマー聴聞会では共産党員でソ連の スパイだと嫌疑をかけられ、公的地位を追われる。人に善を見ていたオッペンハイマーはひどく痛めつけられた。


【#22 神経過敏】

ゲッチンゲン大学で生まれたばかりの学問量子力学の論文を書いていた時、ダイナミックな時流、爆発的進展の中で、神経を すり減らし叫び声をあげたり失神したり、ということが伝えられている。

【#22 地に足がつかない】 象牙の塔、浮世離れしたところがあり、世界大恐慌を知らなかったり、大統領選挙に行かなかったり。オッペンハイマーの終生 の親友ラビも「オッペンハイマーにあっては地上的な要素は希薄だった」と言っている。 ロスアラモス研究所所長になった時、軍管轄を受け入れ軍服を自ら着ようとして、周囲に「研究者はそれではいけない」と押し とどめられた。



■Destiny# [6]


アートを愛する心。理論物理学ではしばしば「美しい」という言葉が使われるように、新たな分野で発見が相次ぐ量子力学に魅 了されていた。人を愛し、仕事を愛し、平和と調和を愛していた。


【#6 美的センス】

画家の母をもち、家にはセザンヌやゴッホの絵が飾られていた。音楽や美術、詩や文学に関心を持ち愛し理解していたが、ア ートを生み出す才能は凡庸だったようだ。


【#6 家庭と愛情】

家庭を大事にし、母親にはこまやかな気遣いや贈物をし、喜ばせた。後年「母と一緒の時は会話に苦労した」と語り、必死に 良い息子を演じていた。 恋愛関係にあった女性とは振り回されながらも、献身的に尽くした。共依存の関係であったかもしれない。


【#6 親切さ】

大不況時代の貧しい学生たちをよく高級レストランへ連れて行っていた。 同僚に褒められた旅行鞄をその場でプレゼントしようとしている。 ロスアラモス研究所所長時代、研究員の妻の病状を気にかけていた。建設工事で働く人にもファーストネームで話しかけ、大 変好かれていた。

実業家の父から多額の遺産を基金とし、カリフォルニア大学に奨学金制度を設立している。


【#6 教育者・調和】

#22 でも書いたが、カリスマ性のある指導者として、学生たちと共に学び議論を戦わせ、多数の優秀な人材を育てた。 ロスアラモス研究所では研究者タックによると「世界最高級のクラブだった。他の研究所ではほんのわずかの内輪の人間だけ が仕事の内容を知っていて、他の者はわけがわからなくてもただ従うべきだという考えが専らだったのだが、オッペンハイマーはは じめからその馬鹿げた考え方を抹殺した。ほぼ無名の科学者だった私はここにきて、私が教科書の中の名前だとばかり思ってい た人物たちと意見を戦わすのが当然だとされているのを知った。素晴らしいことだった。一つの開眼だった。ここロスアラモスで、 私はアテネの精神、プラトンの理想の共和国の精神を見出した。」 研究者だけではなく画家や哲学者なども招き、文化的なコミュニティを作り上げていた。彼は誰に対しても親切で気にかけてい て、この研究所では劣等感を感じる人はだれ一人いなかったと言われている。


【#6 平和】

実弟のフランクが後日ドキュメンタリー映画『The day after Trinity』(メキシコの実験場はトリニティ実験場と呼ばれた)の中で語っ たところでは、世界に使うことのできない兵器を見せて戦争を無意味にしようと考えていたそうだが、人々が新兵器の破壊力を 目の当たりにしても、それを今までの通常兵器と同じように扱ってしまったと、絶望していたそうである。 また、戦後原爆の使用に 関して MIT の現代世界における物理学というテーマの講演の中で「科学者(物理学者)は罪を知った。そして、これは物理学者 が失うことのできない知識である」と語った。



■Realization# [10-1]


絶対性 創造 独立 男性性 革新 斬新 決断

恩師であるエーレンフェストもパウリもオッペンハイマーの機知にとんだ着想の豊かさについて語っている。 量子力学という学問が誕生し、新発見が次々となされる熱狂的な 1925 年~1930 年。最先端をいくゲッチンゲン大学・ハイゼ ンベルク、ディラック、パウリ、ノイマンなどの後を若い秀才、オッペンハイマーはしっかりとついて疾走していた。その様子を見た恩 師の言葉「こちらの数理物理学者のきらめく新星たちの誰を相手にしても互角に渡り合っている」。 一時は絶望と思われた原子爆弾の開発・製造に成功し「原爆の父」と呼ばれた。戦後は、二度とふたたび一般非戦闘員の 頭上で炸裂することのないように尽力していた。常に先頭、または先頭に近い位置で創造性を発揮していた。


■Soul#[11-2] 11:理想。神秘。夢想。洞察力。アイデアマン。自然。学問。 2:調和。協調。受容。協力。気配り。調整やサポート。芸術。宗教。

オッペンハイマーの心象風景とヒンズー教は密接なかかわりをもっていた。 ハーヴァードを卒業する時、文学の美しさと、神秘的ですらある理論物理の美しさのはざまで自分の知的焦点をはっきりさせるこ とができず苦悩していた。オッペンハイマーは「私が最も愛したのは物理学とニューメキシコだった」と語っている。 ロスアラモス研究所でも前述のように画家や哲学者、文学者を招き、文化的な理想のコミュニティを作り上げた。研究者だけ でなく、その家族や、建設工事に携わる人たちへの気配り、配慮も忘れていなかった。 「人生のほかのすべてのことにくらべて、科学することは幸せだ、と私は思う。」これは死の 3 年前のオッペンハイマーの言葉である。


■Personal# [13-4] 建設。固定。形成。実直。合理的。実現力。知識欲。生真面目。信頼。

C・スミスはロスアラモス研究所所長時代のオッペンハイマーを「現場のレベルのこまかい問題点まで理解して、それを研究所と してのより大きな目標に結びつける、信じがたいような能力を持っていた」と評している。 生真面目さゆえか、処世術に欠ける面もあったようで、プルーデンスを持たない男と評価を受けている。その純粋な一面が学 生たちには好意的に受け入れられたが、社会的にはいいように利用されてしまった。 Destiny#6の通りに生きなければならなかったのに、大量殺りく兵器の開発、製造、投下に結果的に関与してしまった。#13 が発 動し、社会的に抹殺されかけ、激しい罪悪感の中に身を削って生きていくことになってしまった。戦後は罪悪感と責任感、世間 からの迫害により、50 過ぎなのに 70 過ぎの老人にしか見えないほどに弱っていたようだ。ただ、オッペンハイマーを信じ、愛し、慕 う人たちは少ならからず権力に近いところにいて、1961 年からはオッペンハイマーの名誉回復に動き始める。また死の前年行っ たロスアラモス研究所での講演では、会場を埋め尽くした聴衆がオッペンハイマーに嵐のような喝采を送ったという。


■StageNumber# [11-2] 11:理想。神秘。夢想。洞察力。アイデアマン。自然。学問。 2:調和。協調。受容。協力。気配り。調整やサポート。芸術。宗教。

Soul#と同じ。魂の求めるものがそのままステージとして用意されていた。オッペンハイマーの活躍の舞台は学問と芸術、宗教の 中をベースに、頭脳と研究者仲間との協力関係で生きたといっても過言ではないだろう。


■NatureNumber# [9] 全体意識。人類愛。博愛。正義感。混沌。複雑。複雑な二極性。

学生時代は文学の友人と、化学科の友人とで壁をつくり交流はなかった。自身も文学と科学とで人生の焦点に揺れており、 二重生活者であったと評されている。
また教師となってからは慈愛を持って人を導き、感化する能力を発揮した。 他人の究極的な善意を信じるオッペンハイマーのナイーヴさが他人を操作する術策に代わる役を見事に果たしたと言われ、そ の性質が若者たちをも魅了した。


■ActionNumber# [5] 変化。自由。多才。機智。不安定。「新しい風」

ハーヴァードを卒業した直後に誕生した新しい学問、量子力学。文学と自然科学の間で揺れていたオッペンハイマーが量子 力学という未知の分野で生きていくことを決心するまで精神的に病むまでに不安定であった。決心してからは自分の人生に自 信を取り戻し、若い才能を最先端で発揮していく。


■ChallengeNumber [7] 知性。内省。探究心。独創性。分析力と直観力。世俗からの離脱。英知。平和的。独創性。知識を深め、落とし込み、独創的な創造をおこなっていく。オッペンハイマーの生き方、人生そのもの。


■TypeII
Creation#2 Growth#6 Maturity#1 Lead#3 Support#5 MakeMood#1 Body#5 Emotion#3 Intelligence#1 

自分の本質を見つめることにより、魂の成長を目指す。社会的集団無意識を独特の方法でキャッチする。 >文学ではなく、時代の最先端分野であった量子力学に飛び込み、戦争という時代の中で研究を通して自分の本質を見つ めていた。そして得た答えは「核兵器は悪だが、物理学は悪ではない」「私が最も愛したのは物理学とニューメキシコだった」。

指導者として、皆をひっぱっていくのではなく、支援する形で導き、場の雰囲気を独創的な方法で創り上げる。 >オッペンハイマーは学生たちに安易な問題は与えなかった。時間さえかければ結果が得られると思われる課題は取り上げず、

未解決の重要問題に彼自らが立ち向かい、時代に先んじたアイデアを抱き、弟子たちに協力を求めるという形をとっていた。 また不況時代、自分の学生たちを食事や観劇に連れ出したり、遺産を使って奨学金基金を設立したりした。

身体に関する情報は未入手。幼い頃から研究に没頭し、痩せていて運動も苦手、メンタルも患い、大病もした。激務に耐える ため、予想しえない健康法などを心がけていたかもしれない。
知性は幼い頃から非常に鋭かった。


■TypeIII
Balance -10
豊かな才能と家庭の豊かさをもっていたが、事業をつぐなどは考えず、経済的な支援はあったものの、1から自分で人生をつくり あげていった。数多くの経験、人との交流、挫折から多くのものを得、生み出していった。



●HISTORY●


◆0~32歳 Cycle:4 Pinnacle:8 Challenge:9


外で遊びまわるような子供ではなく、本や鉱物標本を愛する内気な子供であった。知的に早熟で祖父も父も財を惜しまず知識 を伸ばすために投資したようだ。
国内外を行き来し、様々な人、環境に接し、実績を残しながら経験を積んでいく。

・1916年 12歳 5(14)-7(16)

ニューヨーク鉱物学同好会で研究発表を行う。 >好奇心、向学心の赴くままに動き、成果を出し、ステージアップ。

・1921年 17歳 5(14)-3(21)

高山地帯で採石に熱中。大腸炎になり入院。予定していたハーヴァード入学が延期になり、うつ状態。 >未知の分野を開拓。熱中し過ぎたのか耽溺したのか、体調を崩し落ち込んでしまう。


・1922年 18歳 5(14)-4(22)

ニューメキシコに恩師と心機一転の旅行。ロスビノス牧場に滞在。自然の中、素晴らしい友人と人生論、文学談義を行い、 山野を馬で駆け巡る。体調を取り戻しハーヴァードに進学。 >新しい土地、新しい人間関係、新しい経験。友人と人生や文学について議論をかわし、自分の人生の基盤を固める。


・1925年 21歳 6(15)-7(16)

ハーヴァードを駆け抜け 3 年で卒業。最優秀の成績をおさめる。親友ファーガスンと文学談義の最中発作的に首を絞める事 件。精神科医に通う。
>秀才ゆえ、成績は良いが自分の本質を内省を深め探っていたか。


・1926年 22歳 6(15)-8(17)

イギリスへ行き、望んだ研究所ではないところで実験物理の仕事につく。とことん向いておらず失意。量子力学の論文を発表し、 新しい道の学問量子力学を志すことを決意する。新しい学問の進展の速さに神経をすり減らし、奇声を上げたり失神したり。精 神科医に通うが、医者に見放され、また自身も医者を見放すことで自分を取り戻す。秋にケンブリッジからゲッチンゲンへ移籍 し、量子力学の興奮状態の中、博士合を取得。ボルン-オッペンハイマー近似の発表。 >文学と科学で揺れ動いており、足場が固まっていなかったときの#8 の年で、安定しないながらも実績を積み重ねていく。


・1928年 2歳 6(15)-1(19)

ロックフェラーからの留学奨学金を得る。オッペンハイマーの性質を「機智に富むが良い形に鍛え上げられることが必要」と考 える恩師エーレンフェストがチューリヒのパウリの元で研究するように勧める。チューリヒでは物理学者たち相互の人間関係と自 由で開放的なコミュニティの素晴らしさを知る。研究者としても人間とにもパウリのことが大好きになる。 >チューリヒで過ごしたパウリとの時間はオッペンハイマーの生き方を決定的に左右したと言われ、自由で開放的なロスアラモ ス研究所のコミュニティ、文化につながっている。


・1929年 25歳 6(15)-2(20)

秋の新学期からキャルテクとカリフォルニア州立大学の助教授の職に就く。最初はしどろもどろの授業で学生に大変不評。 6(15)のサイクルが終わる 1933 年 29 歳 6(15)-6(24)になる頃には学生が 2 度 3 度と受講を希望する、絶大な信頼を受ける 教育者となっていた。 >一研究者の立場から指導者、教育者となるための変化。オッペンハイマーの人生のテーマは美しい学問と教育、指導で あったのだろうと思わせる。

・1931年 27歳 6(15)-4(22) 母エラ白血病で死去。最後まで良い息子を演じていた。

>6のサイクルの家庭、生死の課題。過保護なほどオッペンハイマーのことを気にかけていた母親の死は、大きな影響を与えた と思われる。


・1936年 32歳 7(16)-9(18) 秋。ジーン・タトロックと出会いデートをする関係に。精神を患っていた彼女の相手の心を試 すような愛し方に振り回される。 >その後別れることになるが、ジーンのことは心に懸けており、ジーンの死半年前にも見舞っている。結婚することはなかったが、 精神的に深い絆、つながりがあったのだろう。


◆33歳から41歳 Cycle:4 Pinnacle:9 Challenge:1

これまでの基礎の上にさらに基礎を積み上げ、結婚、ロスアラモス研究所所長となり、原爆の開発・製造にとりかかる。絶望 的とも思われた中成功し、広島・長崎に投下された。

・1937 年 33 歳 7(16)-1(19) 父ジュリアス心臓麻痺で死去。遺産は奨学金制度の基金に。 >財産という力の使い方を、自分の内面の豊かさのために使ったのかもしれない。社会に貢献することで、自信と威厳につな がったであろう。


・1938 年 34 歳 7(16)-2(20) ジーン・タトロックとの関係が彼女側から終了。
>2 のサイクルは恋愛面で共依存の危険。愛はあっても、その危険からオッペンハイマーを守ろうと彼女から身を引いたのかもし れない。


・1940 年 36 歳 7(16)-4(22) キャサリン・ぺニングと結婚。出会った当時、キャサリンは夫のいる身で共産党員であった。 >格上かどうかは情報がないので未確認。オッペンハイマーの弟夫妻も共産党員であった。絆は強いが共産党員が身近に いることで、後年の赤狩りで、苦しい立場に置かれることになる。

・1941年37歳 7(16)-5(23)

ローレンスに伴われ、原爆開発計画に関わり始める。長男誕生。 >専門性を高め、内省しつつ、未知の分野に飛び込んでいく様子がうかがえる。


・1942年 38才 7(16)-6(24)

理論家と実験化のお偉方のグループをまとめ、中性子の研究を組織的に進める集会を開催。迅速果敢、的確無比の理解 力、驚異的な記憶力、絶えず議論をもっとも重要な地点に押し戻し集中する確かな感覚で見事にとりしきった。 マンハッタン管区が発足。原爆設計担当の軍人グローヴスと出会う。グローヴスにより秘密研究所の所長にオッペンハイマー を起用される。 >専門性を深め、内省し落とし込むサイクルの分岐点であったように思われる。人間関係が拡大し、チームワークがカギとなる。 ロスアラモス研究所はオッペンハイマーによってアカデミックな理想のコミュニティとして創り上げられた。タック談、「ここロスアラモ スで、私はアテネの精神、プラトンの理想の共和国の精神を見出した。」


・1944年 40歳8(17)-8(17)

プルトニウム爆弾の実現が絶望的と見えた夏、憔悴しきり辞任の直前まで行った。精神危機を迎えていたジーン・タトロックを 見舞うが、その半年後睡眠薬の服用自殺。 >心身相当に疲労したであろうと思われる。8のサイクルの悪い面、自己破滅的、執着と恐れが強く出たか。


・1945年41歳 8(17)-9(18)

爆発実験を目前に控えた夏、水ぼうそうにもかかり、190cm の長身で体重は 65 kgから 50 kgにまで落ちた。 ドイツに原爆の製造ができないこと、ドイツ降伏の報に、原爆開発に集められた科学者達が日本への原爆投下反対の嘆願 書を提出。背景にはナチスに迫害されていた多くのユダヤ人科学者たちの存在があり、ナチスの原爆製造が不可能となれば、 これ以上大量殺りく兵器開発の理由がなかった。ユダヤ系アメリカ人であるオッペンハイマーも嘆願書を出したが、通ることはな かった。 爆発実験は成功。「爆風が過ぎるのを待って壕の外に出た。それは実に荘厳の限りであった。世界は前と同じでないことを私た ちは悟った。・・・私はヒンズー教の聖典「バカヴァド・ギーター」の一行を思い起こした。王子はその責務を果たすべきであること を王子にわからせようとヴィシュヌは試みている。そして王子の心を打とうとして、ヴィシュヌはその千手の姿をとり、「今我は死とな れり。世界の破壊者とはなれり」という。私たちはみな、何らかの形でそうした思いを抱いたものと私は思う」。 広島長崎原子爆弾投下。戦争終結。「原爆の父」の名をほしいままにする。 オッペンハイマーに陸軍の感謝状が贈られ、「ロスアラモス研究所、心身を挙げてこの研究所に尽くしてこられた男性、女性の

皆さんに対するこの感謝状を私は有り難く感謝をこめて受理いたします。末永く、この感謝状とそれが意味するすべてを誇りを持 って回顧するようでありたいと望みます。今はその誇りは深い懸念と共にあらざるを得ません。もし原子爆弾が新しい武器として、 戦い争う世界の兵器庫に加えらえることになれば、やがて人類はロスアラモスと広島の名を呪う時がくるでありましょう。 世界の諸国民は 1 つとならなければなりません。さもなければ滅亡が待っています。地球をかくまでに荒廃させたこの大戦が、こ のメッセージを書いたのです。原子爆弾がこのメッセージをすべての人にわかるようにはっきりと書いたのです。他の人たちも別の 時、別の戦争で、別の武器について同じ言葉を語りましたが、それが世界を制することにはなりませんでした。人類の歴史の誤 った通念に迷わされて、今度もうまくいくまいと考えるひともいます。我々はそれを信じません。我々みんなが直面する危機を前 にして、法においても人間の名においても我々は力を尽くしてひとつに結ばれた世界の実現を目指すのです。」 この言葉を残してオッペンハイマーはロスアラモスを去った。 >社会的成功をおさめたが、この成功により扉の開いてしまった次のステージが、決して自分が望んだものではないという現実 に向かい今後どうするべきか考え、ロスアラモス研究所所長を辞したのではないだろうか。


◆42歳から50歳 Cycle:4 Pinnacle:8 Challenge:8

ロスアラモスを去りプリンストン高等学術研究所へ。各地で講演を行う。水爆とミサイル開発に狂奔するアメリカ、人類を懸念し ていた。核兵器を戦略爆撃に使われることのないよう尽力していたが、徒労に終わる。


・1947年43歳 8(17)-2(20)

アインシュタインなど世界的な物理学者や数学者の所属するプリンストン高等学術研究所の3代目所長に若い物理学者を引 き連れ着任。数学部門に代わって物理部門が活動の中心となっていく。 >8の社会的成功の時、乞われて環境の変化に対応していく様子がうかがえる。ロスアラモスのような雰囲気にはならず、研 究所内の内紛に多くの心労を経験したようだ。


・1953年49歳 8(17)-8(26)

FBI 長官あてにオッペンハイマーはソ連のスパイであるという告発状が届く。 >人生のテーマの報酬を受け取るべき時に得たものは、社会的名誉の失墜であった。


◆51歳~ Cycle:5 Pinnacle:9 Challenge:1

公職を追放され、社会的抑圧を受けるようになる。戦争を終わらせた原爆の父オッペンハイマーのイメージは地に墜ち、心労か ら見た目以上に年老いていく。 その中でもオッペンハイマーを支持し信頼し愛する人たちの活動が少しずつ彼の汚名を雪いでいく。


・1954 年 50 歳 9(18)-9(18)

原爆に反対していたこと、共産党員が家族にいること、同僚が機密を持ち出したことなどからソ連のスパイの嫌疑をかけられ、 オッペンハイマーは聴聞会にかけられ、性格的に基本的な欠陥があるので国家機密を任せることはできない危険人物である と判決が下され、私生活も FBI の監視下におかれてしまう。オッペンハイマーを支持する声はプリンストン高等学術研究所だけで はなく、ロスアラモス研究所、アルゴンヌ国立研究所からも上がったがかき消されてしまう。聴聞会後、オッペンハイマーから以 前のような精神の溌剌さと生気のほとんどが抜け落ちたという。

これまで培ってきた自分の人生多くを脱ぎ捨てなければならない、辛い洗礼であったか。


・1963年 59歳 9(18)-9(27)

原子力委員会の委員長から、最高の栄誉であるフェルミ賞がオッペンハイマーに与えられる。これは 1961 年 9(18)-7(25)にケ ネディが大統領に就任し、その側近にオッペンハイマー支持者がいたことに端を発したものと思われる。
前回の 9-9 から今回の 9-9 の大きな変化。約 10 年の間に古い自分の人生から次の自分の人生へ、自己を欺くことなくき たので順当にステージアップできたかと思われる。


・1964 年 60 歳 1(19)-1(19)

恩師ボーアの追悼講演のため、ロスアラモス研究所に招待される。見た目はひどく年老いていたが、研究所所長のブラッドバ リーが「ミスター・ロスアラモス」とオッペンハイマーを紹介すると会場を埋め尽くした全員が立ちあがって嵐のような喝采を送った。 オッペンハイマーに対するこの自発的な愛情の溢出は、彼にフェルミ賞にまさる喜びを与えたかもしれない。
>Birth#22 の博愛とスケールの大きさ、Destiny#6 の愛と調和と思いやりと、カリスマ性ある指導者を強く印象付けるエピソード。 この道をとり続けていられれば、彼の人生はどれだけ素晴らしい色彩にあふれていただろうかと思うと、暗すぎる影を落とした原 爆の投下とその後の社会的名誉失墜は痛ましくてならない。ただ TypeIII が-10 であり、幾多の試練にも心折れることなく、研究、 後進の育成に邁進していた。


・1965年 61歳 1(19)-2(20)

喉頭がんによる死を自覚し、プリンストン高等学術研究所を辞任。アインシュタインか就いていた名誉教授の座を継いだ。(アイ ンシュタインは 1955 年 76 歳で死去している)

・1967 年 2 月 18 日 1(19)-3(21)

プリンストン高等学術研究所の物理部門の会議に出席後、自宅で倒れ死去。愛していたジュリアード弦楽四重奏団が演奏 するベートーヴェンの弦楽四重奏曲嬰ハ短調が告別式の最後を飾った。



【まとめ】


名誉に輝く数多の物理学者の中で、ひとり陰を抱え異彩を放つロバート・オッペンハイマーはかねてより非常に気になる存在で した。
今回、数秘というツールで彼の人生を紐解き、ひとつひとつ事象を追ってみて、これほどまでに真摯に Birth #22 を、Destiny#6 を、 Soul#11 を、Peronality#4-13 を、Realization#1 という自分の人生を生きた人はいないのではないかと思いました。 波乱万丈の人生で、社会的な頂点も、墜落も経験し、文学では「書くのを止められないのに、上達しないのも不思議だ」と友 人に手紙を書き、書き送ったものは酷評されても、物理学では輝かしい称賛を得ています。片や非常に自己中心的な人物と 言われ、片や「そんなところはみじんも思い当たらない」とも言われています。複雑で極端な二面性、光と陰。それを統合する愛。 美を愛し追及していく純粋な姿勢。Balance-10 からもわかるようにたくさんの苦労、経験から、自分の人生を最大限に生き創り上 げていった人。最初はどこで選択を誤ってしまったのか探してみようとも思いましたが、この暗さこそも彼の創り上げた成果で、彼 には非常につらくとも必要だったものとわかりました。本当に人はそれぞれ完全で完璧。人生に間違いや不必要なものは何一 つない。数秘の指し示す人生の奥深さに心を打たれました。


 2014/2/11 

東京クラス  Tsuyuki Koharazawa


by kej000 | 2014-03-14 11:08 | おもしろ数秘学