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アンパンマンの生みの親・やなせたかし氏の生涯   数秘学基礎科卒業レポートより

数秘基礎科クラスの生徒さまによる卒業レポート。
本日は、あんぱんマンの生みの親・やなせたかし氏の人生に迫ります。


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漫画家のやなせたかし氏にスポットを当てています。

 

★やなせ たかし★  


生年月日:1919年2月6日


    2歳 → 3サイクル

  12歳 → 4サイクル

13~22歳 → 5サイクル

23~32歳 → 6(15)サイクル

33~42歳 → 7(16)サイクル

43~52歳 → 8(17)サイクル

53~62歳 → 9(18)サイクル

63~72歳 → 1(19)サイクル

73~82歳 → 2サイクル

83~92歳 → 3サイクル

93~94歳 → 4サイクル

 

B=1(19・10)

D=8(44)

S=9

P=8

R=9

Stage=8

Nature:9、Action:7)


 


 

Birth path number [19-1番10-1番]

リーダーになるべくして生まれてきました。

激動の変化をくぐりつつ自立し、人道的な目的や人に癒しを与える方向へ向かってます。

直観や感性に恵まれており、自分の内なる力に注目してオリジナリティーある世界を繰り広げていました。それには、地道な努力が必要です。

彼は誰もが知る童謡を作詞したり国民的なアニメを発表していることからも分かる様に、成功者だと言えるでしょう。大器晩成型でした。

60歳を過ぎるまで代表作に恵まれなかった彼の人生は、若い頃より努力を惜しまず遠回りに思える事にも一所懸命取り組んだ誠実さを感じます。パッシングを受けても自分を信じて新しい事へ歩み続ける開拓精神があったと思われます。

   

Destiny number [44-8番]

多くの人をまとめる力があります。

パワフルに人との関わりを求めるので、組織のトップに立ち富や名声を得ました。

44-8番というナンバーは 粘り強さや完成させる力が、ずば抜けていると思われます。

彼はどんなに富を得ても贅沢をする事はありませんでした。

物質重視ではなく 大好きな仕事へ掛ける情熱で貪欲に仕事をこなしたと言えます。

「困った時のやなせさん」と言われる程に 周囲の人に慕われていました。

何をやらせても器用にこなすセンスがあります。

漫画家という垣根にこだわらず、舞台美術製作や放送作家も引きうけていたのです。

「とにかく貧乏は嫌だ」と言っていたそうです。8番のプライドもあるでしょう。

別の仕事で稼ぎながらも、その人脈によって本当にやりたい漫画の仕事にも繋げる社交性はお見事です。

 

Soul number [18-9番]

社会的に成功する人物です。

人類愛や悟りをテーマとして生まれて来ています。

やなせ氏は 「戦争体験・父や弟の死・母との別れ」など 混沌とした時代を生きています。その体験を軸に9番の特徴である人類愛意識を強く養ったと思われます。

代表作の「それいけ!アンパンマン」は【光と影】【陰と陽】【善と悪】と言った2極性の世界を分かり易く表現しており、必ず正義が勝つという事を子供達に教えています。

その反面、実は複雑なキャラクターもいて9番特有の哲学的な面を伺えます。

「正義は立場や状況で変わってしまうが、どんな状況でも餓えた人に食べ物を与えることは絶対の正義である」この信念により、アンパンマンは絶対的な正義なのです。

更に「自分が傷つくことなしに正義を行うことはできない」と語っています。

余っている物を差し出すだけでは足りないのです。やり過ぎちゃう9番とも言えます。

この代表作に至るまでには、自分の才能を全面に出して明るく革新者である経験と社交的で駆け引き上手なパワフルさが必要でした。

18-9番とは、現実世界で形に出来るパワーの先に深い愛があるという事なのでしょう。

 

Realization number [9番]

実行数も9番です。

愛と理解力を持って穏やかに人類愛を実践することがミッションでした。

人望もお金も才能に見合ったモノを手に入れています。

名声に甘んずることなく、ノーギャラで働くことも多く漫画の復興に取り組んでいました。

次世代を育み指導していたことからも、9番の「導く力」を遂行されていたと思います。

 

Personal number [26-8番]

Destinyと同じく8番。

見た目も、出来る男オーラをまとっていたのでしょう。

受容性とチームワークを大切にして仕切っていける人物だったと思われます。

 

Stage number [53-8番]

3つ目の8番。

社会的に大きな事を成し遂げる意欲が伺えます。

53-8番は、華やかな舞台が似合います。やなせ氏の職業は裏方でありながらも流行の最先端を生きているキラキラした世界だったと思います。

その中で、晩年は数々の受賞作品に恵まれ 勲四等瑞宝章もいただいています。

春の園遊会で天皇皇后両陛下に親しくお声を掛けられるなど 表舞台にも度々登場します。

実は80歳代には、ミュージカルやCD歌手デビューもしているのでした。

 

■その他

Nature[9]

8番と同じく、9番も多いですね。

「本当の正義は戦わない」とやなせ氏のお言葉。

辛い経験を 全て愛に変換出来た成功者だと思います。人に喜ばれる事が大好きで感謝も忘れない人物でした。

 

Action[7番]

小学生の頃より、絵を描くことに興味を持ち それを職業としました。

やりたい事への情熱は、漫画の仕事がない時期でも持ち続けています。

7番の知的探究心を生かし、徹底的にやった事が成功のポイントだったのですね。

Challenge[19-1番・10-1番]

カルミック№が2つ揃いました。Birth path numberと同じです。

このナンバーが、強調されていますね。

5歳の時に父を亡くし、間もなく母の再婚のため 叔父の家で育てられています。

叔父は裕福な家庭だったのでお金には困っていませんが、実父母と暮らした記憶が少ない幼少期の体験は寂しいものだったと推測されます。

ただ1人のオリジナルの家族である弟が戦死した時の気持ちが「アンパンマンマーチ」に反映されています。悔しかったに違いありませんが、そのエネルギーの出し方は光に満ち人々の心を強く打ちます。

また、絵柄はエンジェルの影響を受けています。

もしかしたら、やなせ氏は 天使が見えていたのかもしれませんね♪

 

 

❤若年期 Youth number [9番]

父方の実家は高知県にあり、伊勢平氏の末裔で300年続く旧家です。

東京生まれで4歳の時は異国の地 上海で過ごし、 5歳の時に35歳という若さで病死した父の兄である叔父を頼って帰国します。弟はすぐに預けられましたが、やなせ本人も小学2年生の時に母の再婚のため叔父に引取られています。(父の死:15番、母との別れ:18)

この頃を9番で表すと、「不安定」「警戒心」「人からの評価を気にする」内向的でおとなしい少年時代でした。本が大好きだったので「博識」とも言えるかもしれません。

絵に対する興味は、実父母の影響で小学生の頃にもちました。詩や絵を愛した父と、いつも人の輪の中心に居る様な華やかな母親でした。母親とはよく映画を観に行ったそうです。

叔父叔母の意を反して絵の道に進学しましたが、仕送りは欠かさず送ってくれていました。

 

❤20歳(year number21[]

東京高等工芸学校図案課(現:千葉大学工芸部デザイン学科)卒業。

学生生活はサイクル5の流れの中でした。たくさんの刺激を受け、自由に才能の基盤造りをしていたのではないでしょうか?「開花」の年に卒業です。

 

❤23~25歳(year number15・16・17[6・7・8])

前年、田辺製薬(現:田辺三菱製薬)宣伝部に就職。

日中戦争の為、徴兵されて乙種幹部候補生に合格。主に暗号解読や地元民への宣撫工作の為、紙芝居を演じたこともあったといいます。

人当たりの良い彼にはピッタリの役目ですが DeathYearで始まるこの時期は相当辛い経験だったに違いないです。なにしろ戦争ですから!

食糧がなくて タンポポなどの野草を食べていた経験も持っています。

❤26歳(year number18[])

日中戦争終結。9番という完結の年です。

やなせ氏は戦闘のない地域に居たので一度も敵に向かって銃を撃っていませんが弟は海軍の特攻で戦死しています。

この頃、戦友らと共にクズ拾いの会社で働いています。この時に拾った雑誌が切っ掛けで漫画家になる夢が蘇ることになります。

戦後の食糧が不足する中で、『正義』に対する持論が確立しています。

「逆転しない正義とは献身と愛だ」

この様に、正義とは立場で変わるものだと見抜いています。

その後誕生する アンパンマンというヒーローへのオマージュを予感させます。

 

❤27歳(year number19[])

絵への興味が再発して高知新聞に入社。編集部で編集の傍ら文章・漫画・表紙などを手掛けています。

自分の力を出せる1番らしい年です。

同僚として前の席に座っていた 後の妻となる女性 小松暢と出会います。

やなせ氏は すぐに好きになったそうです。

1番の年の出会いは電撃結婚にも繋がりそうですが、ソウルメイトだったかもしれませんね。

 

❤28歳(year number20[])

恋人の小松暢を追って上京。 暢さんはやなせ氏の才能を見抜いていて「田舎に居ては才能が埋もれる」と半ば強引に上京させています。漫画家を志しますが、生きるために三越宣伝部のグラフィックデザイナーになりました。兼業漫画家の道を選んだのです。

2番の年の「調整」する力が働いています。

この頃デザインした包装紙の筆記体文字は当初期間限定だったにも関わらず、今でも使われています。

 

❤29歳(year number21[])

6のサイクルの3番の年。資料では結婚の年がはっきりと書かれておりませんでしたが、この年だったのではないでしょうか?

結婚してからは、貧乏生活でしたが 暢夫人が全身全霊でやなせ氏をサポートしています。

強い絆を感じます。

 

❤33歳(year number16[])

コマーシャル漫画「ビールの王様」でデビュー。後のサッポロビールのCMです。

7番の年は、物事を回すのに良い年です。コツコツ頑張っているので16番でも順調!

❤34歳(year number17[])

三越を退社。7のサイクル8番の年です。

4番の年にコツコツ頑張った成果がこの年の成功に繋がります。本当に自分のやりたい事で現実的に動き出したのですね。

漫画で得る収入が三越の給料を3倍程上回ったことで独立を決意しました。

結果が出る年です。

 

この後しばらくは、漫画界の流れが変わり…やなせ氏は漫画の仕事が激減することになります。舞台装置製作・放送作家・作詞家など何でもやった時期です。

漫画以外の仕事で多忙でした。

 

❤42歳(year number25[])

前年に知り合った作曲家のいずみたく氏と組んで、今では教科書に載る程のスタンダード曲となっている「手のひらを太陽に」を作詞。ステージアップの1年になったと言えます。

 

❤45歳(year number19[])

NHK「まんが学校」の講師としてレギュラーに。これを切っ掛けに大人漫画から子供漫画の方へ変わっていく。1番の年にその後の方向性と向き合うことになった様です。

 

❤47歳(year number21[])

詩集「愛する歌」で詩人としてデビュー。本の出版は現在のサンリオ社長:辻信太郎でした。

インスピレーションを受取って実行する創造力開花の年です。

 

❤48歳(year number22[])

8のサイクル4番の年、週刊朝日漫画賞受賞。功績が形となって評価された年です。

この後も、流れに乗るサイクルが続きます。

 

❤50歳(year number24[])

手塚治虫の「千夜一夜物語」の美術監督を引き受けます。ヒットのお礼として、2年前に手掛けたラジオドラマ「やさしいライオン」を虫プロのスタッフを使わせてもらい映画化。そして大藤信郎賞を受賞。

アニメーションを経験することで、新しい世界に触れた年でした。

4番で仕上げた仕事を6番で調整する、歓びの年。

その実態は寝ずに仕事を続ける過酷な世界でした。

同年「アンパンマン」を発表します。この頃のモノは大人向けでした。

 

❤54歳(year number19[])

サイクル9の1番の年。「詩とメルヘン」を立ち上げ、編集長に。

次の流れに向かう9のサイクルで、詩人・絵本作家としての活動を本格化させます。

 

❤56歳(year number21[])

「やさしいライオン」を絵本にします。これが、初の絵本です。

その後、大人向けに描いていた「アンパンマン」を子供向けに改作し発表しています。

評論家やPTAには酷評されたこの作品は、子供達 特に2~3歳の幼児から絶大な人気を得ます。エネルギーが噴出する3番の年でした。

 

❤69歳(year number25[])

テレビアニメ「それいけ!アンパンマン」の放送開始。1のサイクル7番の年は、始まりの流れの中、ステージアップするのです。

この作品が大人気番組となり、売れっ子作家となりました。

私生活では、この年に暢夫人が癌で入院。余命三カ月と言われましたが、丸山ワクチンの接種で体調を持ち直します。絆が深まった7番でもありました。

 

❤70歳(year number26[])

多年にわたる童謡歌唱への功績に対して 第19回日本童謡賞特別賞受賞。

8番で名誉を得ました。

 

❤71歳(year number27[])

サイクル1の9番の年。「アンパンマン」にて日本漫画協会賞大賞受賞

アンパンマンをヒットさせ、1つの節目として完成させた年ですね。

 

❤72歳(year number28[])

春の叙勲で勲四等瑞宝章受章。暢夫人と共に園遊会に参加。

1番の年は「大物との出会い」がありますが、まさか天皇皇后両陛下だとは スケールが大きいです。恐れ入りました。

 

❤73歳(year number)

人生で初めてyear numberが1ケタになりました。

地元の高知県で行われていた一コマ漫画の大会「まんが甲子園」も立ち上げ時から深く関わり、晩年まで審査委員長を務めることになります。

そして 暢夫人との時間も大切にしています。

穏やかな晩年に向けて、バランスを取る時期なのでしょうか?それとも?!

❤74歳(year number)

暢夫人 死去。

やなせ氏曰く「痛快!第二の青春」が始まるのですが愛妻を亡くし、死神に取りつかれた様に元気がない中、仕事を猛烈にこなしています。

辛くとも陽気に明るく 生み出す道を選ぶ3番の年でした。

 

❤75歳(year number)

高知県香美郡香美北町名誉町民となる。

同年、故郷であるその地に美術館を建てる事を考えています。

新宿の実家の近くには直営店として「アンパンマンショップ」を開店。

「準備と前進の4番の年」でした。

 

❤76歳(year number)

日本漫画家協会文部大臣賞受賞

「アンパンマンの遺書」を出版。

“形になっていたモノが更に外向きに活発化する年”5番でした。

 

❤77歳(year number)

喜寿の祝いの会で、女流漫画家:里中満智子と架空結婚式を挙げます。出席者を驚かせるための企画でしたが、本格的だったので信じ切っている出席者へ「漫画家は本気で冗談を楽しまなきゃ」と笑ったそうです。6番の年に架空でも結婚!面白いですね。

計画中だった「アンパンマンミュージアム」が高知県にオープンし名誉館長に就任しました。その後館内に「詩とメルヘン館」も開館しています。

官庁や地方自治体、公益事業や業界団体などのマスコットキャラクターデザインを無償で引き受けていました。愛と奉仕の精神が出ている6番の年でした。

 

❤79歳(year number)

心臓手術を受けます。8番の年は「死」を示す場合もありますが手術成功。

里中満智子と2度目の架空結婚式を挙げました。またまた8番の年に架空結婚式()

皆に愛されているが故の企画なんでしょうね。

 

❤80歳(year number)

今まで多少の未練が有ったお金も名誉も要らなくなったと言います。

崇高さを感じる9番の年です。もう悟りの境地でしょうか?

帯状疱疹を患い顔にシミができて、一生残ると言われていても 間もなく消えています。

細胞が元気で 高齢で発症した癌もすぐ再発、その後10回も手術を受けています。

❤81歳(year number10[])

日本童謡協会功労賞受賞

日本児童文芸家協会児童文化功労賞受賞

日本漫画家協会理事長に就任。

自社ビルに日本漫画家協会をタダで入居させています。

この年齢においても、まだなおステップアップと言える理事長就任ですね。凄いです。

新聞は6紙読み、常に新しい情報を頭に入れています。

ただ、体調は悪いです。この年入院し、胆嚢・脾臓を切除しています。

 

❤82歳(year number11[])

「希望の歌」第31回日本童謡賞受賞

緑内障の手術を受けています。それでも活動的に自作のミュージカルを初演しています。

まだまだ、変化を受け入れる柔軟性があります。

 

❤83歳(year number)

高知県特別県勢功労者に。

熱をおして、ミュージカル「涙のデュオ」出演後、腸閉塞で入院しています。

自ら「オイドル」と名乗り、表舞台に積極的に出ますが相変わらず身体はボロボロです。

3番の年ですし、じっとはして居られないのでしょう。

 

❤84歳(year number)

第50回交通文化賞国土交通大臣表彰

『ノスタル爺さん』でCDデビュー。

4番の年は形として残るモノを生み出す年ですね。

 

❤85歳(year number)

新宿名誉区民となります。

若い時にはギラギラして見えた派手な服装を心から楽しんでいます。

 

❤89歳(year number)

東京国際アニメフェア2008第4回功労賞受賞

ついに“国際”的な賞も受賞しました。

まだまだ才能の開花は続きます。

節目となる9番の年でした。

 

 

❤92歳(year number12[])

視界がぼやけることを理由に漫画家引退を考えます。最後の大舞台として生前葬を企画しましたが、東日本大震災が発生し 不謹慎なので計画を白紙にしました。

3番の年らしく、お茶目な感性豊かと言える企画だったのですが…。

震災直後、アンパンマンが子供達を再び笑顔にしたことから引退をやめ、被災地向けにアンパンマンのポスターを作ったり、奇跡の一本松をテーマにしたCDを自主製作するなどしています。このエピソードは、もしかしたら翌年の4番で形にしたのかもしれませんね。

光を配るような3番の年でした。

 

❤93歳(year number)

高齢と体調不良を理由に日本漫画家協会の理事長を辞任。

4番の年は、現実的に身体への不調も出やすい時です。震災以降頑張った疲れも出たのかもしれません。

七夕の願いを聞かれると「もうあと2年生かして欲しい。そうしたら来年は25周年の映画を作れる。これで心置きなくこの世を去れる」と発言。

 

❤94歳(year number)

7月に行われた劇場版アニメ「それいけ!アンパンマン とばせ!希望のハンカチ」の初日舞台挨拶では…

「何とか今のところ死なないでいるんだけど、間もなくだね。病院からはあと2~3週間しか生きられないって言われてる。死ぬ時は死ぬんだよ。笑いながら死ぬんだよ。死ぬまで一生懸命やるんだよ」笑いながら語っています。

 

しかし裏では「まだ死にたくねぇよ。(ようやくアニメが)面白いところへ来たのに、俺はなんで死ななくちゃいけないんだよ」とも発言しています。

 

体はボロボロでも、魂は最後まで燃えています。

 

同年8月に入院。10月に心不全のため94歳の生涯を終えました。

 

「5の年はハプニングの年」やなせ氏の場合は常に走り続けていたので、決して変化を恐れたのではなく 魂は光の世界へ帰る道を選択したのではないでしょうか?

自分の人生をまっとうした人物だと思いました。

 

晩年はChallenge numberの9番をやり遂げてカルマフリーになったのでは?!と思います。

(追記)

気になった数値の感情特徴を追記しておきます。

(習っていない範囲なので曖昧です)

 

☆陰1[]

陰の要素が多い分、痛みを多く知ることが出来ます。

カルミック№1910 を持っていたことからも痛みを知り、それを乗り越えて愛にしたのだと思います。

 

Intuition 直感機能~自身から&環境から湧き出る~[]

直感値が4。時代の動きを直感で感じて活躍されたのでしょう。

ひらめきが大切でセンスを要求される職業でした。

そこには、説得力も伴っています。

80歳頃まで、新聞は毎朝6紙を読んでいました。時代に合った作品を生み出す直感もあったと思います。

 

Feeling感情機能~自己への憐れみ~[]

この数値が低いからこそ、被害妄想にならず前向きな人生になったのだと思います。

 

 

Other他者認識性[]

高い数値です。トップに立つ人物なので他者支配を望む気持ちがあって当然ですが5というナンバーが気になります。嵐を呼ぶナンバーです。

常に刺激を与える役割だったと判断します。

 

Maturity完成力・何かをなし遂げる力[]

この高い数値は信用や信頼にも繋がっています。底力があります!

 

Leadリーダーシップ[]

高い数値です。抜群の統率力をお持ちでした。

彼が亡くなって、光が消えたようです。

 

Emotion情緒・他者に対しての感情の働き[]

情熱的だったのですね。他のところにも嵐を呼ぶナンバーがたくさん出ましたが

行動力や実行力を伴った情熱家はカリスマ的です。

 

<あとがき>

 

正直言うと初めは「やなせたかし」という人物に興味はありませんでした。

 

ただ、ずっと心に残る曲として「アンパンマンマーチ」があります。

この歌詞を読んで、私は何度か涙を浮かべています。

幼児向けアニメのオープニングテーマ曲。

誰もが自然に口ずさめる程に慣れ親しまれているこの曲に、シンプルに核心をつかれている様な気がします。

やりたいことが分っている人はそう多くはないのです。

 

昔はね、「愛と勇気だけが友達?」って 寂しく思いました()

それでも大人になって「愛」と「勇気」の本質を思うと納得できましたよ。

愛も勇気も必ず ひとりひとりの人が本質に持っているもの。

だから友達の輪は無限に広がりますね。ワンネスです。

 

やなせ氏は、ご長寿でした。

晩年、体はかなりボロボロで 東日本大震災直後には、心筋梗塞と肺炎、腸閉塞を同時に起こして入院しています。

後に「“生きて”しまったんだよね。目も耳も悪いし、体は相当傷んでる。でも 生きている間にやれることはやると決めた」そう語られました。

 

被災地 仙台の少女から「私は地震がきても少しも怖くない。アンパンマンが助けに来てくれるから」と手紙が届きます。

そこで なんとかして元気づけなくてはいけない!と奮起されています。

その後、精力的に復興のために無償で働いている姿は 彼にしか出来ない要素がいっぱい詰っています。

もし彼(アンパンマン)が、いなければ、笑顔を忘れ 絶望に落ちてしまう ちびっこも居たかもしれません。

最後の大舞台とは、本人が企画した生前葬ではなく 震災の復興に関わることでした。

 

実父母との縁が薄い彼でしたが、ただ一つの教えを生涯守っています。

それは 「正直な人になりなさい」

この教えによって、損をすることもあったみたいですが…。 自分の心に嘘のない誠実な人生は素敵な出会いをたくさん引き寄せています。

 

さて、

話は変わりますが、私の今年のテーマは『統合』

 

この人物を選んだことにより、生きる強さと 「光と闇のバランス」を教わりました。

アンパンマンの世界は、2極性ながらも統合された世界なのです。

 

偶然に選んだ 私のターゲットは 必然だったと実感します。

 

「それいけ!アンパンマン」は世界で最もキャラクターが多いアニメシリーズとして世界ギネス登録に認定されています。

ワンネスには限界がないのです。

 

 

最後に・・・ 

 

私の数字の読み方は、まだまだ底が浅く甘いと思います。

いつか もっと自分が成長した時に、再び調べたいと思いました。

 

やなせさん

あなたの人生を調べさせていただき 感謝しています(*´人`*)

 

改めて、やなせたかし氏への心よりの尊敬を込めて ご冥福をお祈り致します。

 

     


reported by Sana

Aeons numerology basic class @ Kansai


by kej000 | 2014-04-09 20:38 | おもしろ数秘学