Kej の森

kejnomori.exblog.jp
ブログトップ

人生をまるごと愉しむ*任天堂・岩田聡 

日本を代表するゲーム会社 任天堂(株) の経営者であり天才的プログラマーであった岩田聡さん
ゲームを通して世界に革新的エンターティンメント発信し続けた 彼の生涯を数秘で辿るレポートです



d0214179_21164899.jpg




岩田聡(iwata satoru)
1952年12月6日~2015年7月11日(満55歳)
任天堂株式会社 前代表取締役社長

岩田さんは、社長に就任してからの7年間で、任天堂の売上を約3倍に増やした敏腕経営者です。そして、一方で「社長にしておくのがもったいない」と言われるほどの能力をお持ちの、天才プログラマーです。「星のカービィシリーズ」をはじめ、数多くのヒットゲーム作品を生み出されました。

私は岩田さんの存在を、ネット上で公開されていた対談記事をたまたま読んで、知りました。特にゲームが好きなわけでも経営に興味があったわけでもなかったのですが、あっという間に岩田さんの魅力に惹かれました。岩田さんの、ロジカルな思考回路と人を思いやるあたたかさが同居している、不思議な魅力を紐解きたくて、リーディングさせていただきました。




d0214179_21165124.jpg



IWATA SATORU

Birth number:15-6
「6」は愛と調和、真・善・美、奉仕のナンバー。
Birth numberに6を持つ人は、誠実で控えめで、周囲に癒しを与えられる人、愛情深く思いやりがあり、様々な人の気持ちを受け入れられる人と言われています。

そして、岩田さんはまさに、6の人であったと思います。

岩田さんが32歳の時、当時勤めていたHAL研究所というゲーム開発会社が多額の借金を抱え、経営難に陥ります。岩田さんはそれまで役職にはついていたものの経営にはあまり関与せず、ゲームソフトの開発に専念されていたそうですが、自身が社長になることが一番合理的だと判断し、経営未経験の身ながら社長に就任。そして6年間で15億円の借金を返済してしまいました。

これは一見、岩田さんの冷静で合理的な判断力を表すエピソードのように見えます。しかし実は、岩田さん自身、理系的に何が得かと考えれば社長就任という選択肢はなかった、とお話されています。また、社長就任を打診されて最初に考えたのは、逃げることだったそう。それでも逃げずに、損をするかもしれない社長という道を選んだのは、「一緒に汗をかいた仲間がいるのに、どうして逃げられるかというのがいちばんおおきい要素」だったそうです。

仲間がいるから逃げない、という発想の根っこにあるのは、論理性でも合理性でもなく、仲間に対する「愛」だったと思います。
岩田さんがロジカルで常に「最適化」を考えてこられた方なのは、間違いありません。しかし、その発想や動機の根底に流れていたのは、「愛」だったのではないかと思います。

岩田さんの部下として働かれていた方は、岩田さんのことを、時に面倒だなと思うくらいに「人が好き」というエネルギーに満ちている人だったと語ります。
また岩田さんは、人が困っていることを解決したい、という動機があれば、自分よりも相手を優先してしまうことがあったそうで、もちろん冗談ではありますが、ある人から「それはもう一種の病(やまい)だ」と言われてしまったそう。

6ナンバーの人は深い思いやりを持っているがゆえに自分よりも周囲を優先してしまい、本来の自分を見失ってしまいがちともいわれていますが、岩田さんの「人のために」という想いには、自己犠牲的な悲壮感は見られません。他人の問題をまるで自分事のように考え悩む岩田さんは、周囲から見ればうれしそうにしていたそうですから、本当に心から、人が困っていたら解決したい、と望んでいたのでしょう。

岩田さんは、とあるインタビューで「私は、ただしいことよりも、人が喜んでくれることが好きです」と語られています。

天才プログラマーであり敏腕経営者であった岩田さんの、とても6ナンバーらしい言葉だと、思います。


Destiny number:4
「4」は、組織の土台や秩序をつくる、現実社会の中で基盤をつくっていくナンバー。

岩田さんは前出のHAL研究所で社長として見事に会社を立て直し、任天堂の当時の社長に経営手腕を買われて任天堂に入社。そのわずか2年後に代表取締役に就任されました。
任天堂という大企業の舵を取る中で、特に「開発体制」という組織の基盤づくりに力を入れ、ベテランと若手の両方が力を発揮できる環境を、と心がけてこられたそうです。岩田さんの死後、任天堂の経営体制は大きく見直されましたが、その体制も、岩田さんと役員陣とで何年も取り組まれたことだったので、大きな混乱はなかったそう。

思わぬところから、社会人人生の半分以上を会社経営者として過ごされた岩田さんですが、D4の使命をしっかりと全うされました。


Realization number:10-1
「1」はリーダーとして周囲を引っ張り、自分を信じて創造、革新、開拓していくナンバー。

岩田さんは任天堂の社長に就任して以降、まさに革新的といえるゲーム機を次々と発表されました。

「ニンテンドーDS」や「Wii」は、今でこそ大人気ゲーム機として世に定着していますが、どちらも発表当初は否定的な意見が多く、「任天堂が変になった」という声もあがったそうです。それまでのゲーム機の延長線上ではなく、まったく別の方向性を打ち出したWiiについて、岩田さんは「社運を賭けた戦い」とインタビューで答えられていました。そしてその戦いは、任天堂という会社はもちろん、ゲーム業界全体の戦いであったと思います。

岩田さんは任天堂に入社する以前から、ゲームをする人(=ゲーム人口)の減少を懸念されており、任天堂の社長に就任してすぐに「ゲーム人口の拡大」を目標に掲げます。ニンテンドーDSもWiiも、販売当初こそ様々な反発が生まれたものの、それまでゲームに手を伸ばさなかった層を取り込み、見事にゲーム業界の常識を覆しました。

周囲や会社の成長だけでなく、業界全体を見渡し、変化を恐れずに新たな価値観を生み出す行動力は、まさにR1の本領発揮といえます。

また、「10」は人生のある時期にそれまでと全く違う道、特に人道的な目的へと向かうことが多くみられるナンバー。プログラミング一直線だった岩田さんが、ゲーム業界を牽引する立場になって、業界全体を盛り上げる道に進んでいったのも納得です。


Soul number:21-3
「3」は人生をまるごと遊び、愉しみと笑顔を求めるナンバー。

高校時代からプログラムを書くことにハマり、大学時代にHAL研究所でプログラミングのアルバイトをしていたら、おもしろくてそのまま入社してしまったという岩田さん。一流大学から一転、社員5名の超零細企業に入社したことでお父さんと決裂し、半年間、口を聞かなかったそうですが、安定した地位やお給料よりも、「おもしろさ」を最優先された3ナンバーらしいエピソードです。

いきなり大借金を抱えることになった社長業も「やっていておもしろくてしょうがなかった」そうですし、困っている人を助けるのも、その人がかわいそうだからというより「人が喜んでくれるのがおもしろかった」からだそう。Challenge numberが「3」であることも考えると、もしかしたら岩田さんは「おもしろい」という経験ができたのが今世が初めてだったのでは?と思うほどに、とても無邪気に、あらゆることをおもしろがっていらっしゃいました。

また岩田さんは、大企業の社長とは思えないほどフットワーク軽く、自社製品のアピールの場に登場されていました。ゲームキャラクターのコスプレをして豊かな表現力でゲームの魅力を語られる姿は、3ナンバーの表現者・エンターテイナーとしての一面だったと思います。


Personality number:1
「1」は周囲から、エネルギッシュで、しっかり者、責任感が強い人と見られるナンバー。

岩田さんはお写真や動画で拝見する限り、とても優しくて穏やかな印象です。実際に、一緒に働かれていた方も、岩田さんから威圧感を感じたことはなかったそう。常に周囲に目を配り、相手の気持ちを思いやりながらコミュニケーションを取られていた岩田さんですが、頼りなさや気弱さは一切感じられません。むしろ強いリーダーシップをお持ちだったと思います。
任天堂は創業以来、同族経営をされてきたそうで、岩田さんが初めての血縁ではない社長、しかも入社して2年目という異例の早さでの就任でしたが、その状況で大企業を牽引されてきたのは、皆をひきつけるカリスマ性をお持ちだったことが、要因の1つとなっていたのではないでしょうか。


Stage number:3
「3」は表現、エンターテイメント、精神的な喜びを提供するナンバー。

岩田さんは生涯、「ゲーム」という世界を通してエンターテイメント性を発揮されており、自身が最も輝く舞台で活躍されていました。



d0214179_21163969.jpg




0歳 Year number:24
北海道札幌市に生まれる。

16歳 Year number:22
hp社が開発した電子計算機の存在を知り、アルバイトをして貯めたお金で購入。その魅力にとりつかれて独学で学びながらたくさんのゲームを作られたそうで、岩田さんのゲームエンジニア人生はここから始まります。

20歳 Year number:26
大学入学祝いを頭金にマイコンを購入。今とは比べものにならないくらいの低機能ではありましたが、その限られた機能の中でプログラムを打ち込んでいったことが、プログラマーとしての下地を作ることとなりました。

23歳 Year number:2
サイクル2=学びと自立の年に、HAL研究所入社。

25歳 Year number:4
サイクル4=昇格の年に、取締役に就任。

34歳 Year number:4
代表取締役に就任。
取締役に続き、「4」の年に、会社の経営基盤をつくるポジションに就かれました。

41歳 Year number:11
任天堂に入社し、取締役に就任。
11は真の理想に向かって、目標をしっかり掲げる年。その年に、岩田さんはゲーム業界全体を救うために、任天堂に入る決意をされました。

43歳 Year number:4
代表取締役に就任。
HAL研究所に続き、任天堂の社長の座も「4」の年に就かれました。

55歳 Year number:7
胆管腫瘍を患っていることを発表し、休養に入る。
「7」は休息の年。ここまで全力疾走を続けていた岩田さんに、少し強引ではありますが、ストップがかかりました。しかしその2ヶ月後には、もう復帰されます。

55歳 Year number:7(年度としては、8になる年でした)
2015年7月11日、逝去。

同年3月に、ディー・エヌ・エーと業務提携し、スマートフォン向けサービスを共同開発することを発表されており、新たな挑戦をしようとされていた矢先のことでした。

その後、ディー・エヌ・エーとの共同開発は一時中断することとなりますが、岩田さんの1周忌を迎える今年7月、任天堂初のスマートフォン用ゲームアプリ「ポケモンGO」が海外で配信され、またたく間に大人気ゲームとなりました。





d0214179_21164590.png





岩田さんをリーディングさせていただいて感じたのは、とても「持っている数字らしく」生きてこられたんだな、ということです。「数字らしく」ということは、本来の自分らしく、時の流れに逆らわずスイスイと乗りこなしてこられた、ということです。そして、数字らしく生きることができたのは、自分の本音とちゃんと向き合ってこられたからではないか、と思います。

岩田さんの言葉で一番印象的なのが、「私の名刺には社長と書いてありますが、頭の中はゲーム開発者です。でも、心の底ではゲーマーなんです」という言葉です。どんな立場にあっても、人をおどろかせたい、喜ばせたいと願い、子供のようにおもしろさを求め続けた岩田さん。そんな、自分の本音に素直に、そして心から人生を愉しまれていた岩田さんの生き方に、私は惹かれたのだと思います。


Reported by Eri
AEONS Numerology Basic 10th class @ Yokohama

by kej000 | 2016-07-25 21:23 | 数秘レポート