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笑者でありたい・・「ミスチル・桜井和寿」


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櫻井 和寿 
Kazutoshi Sakurai
生年月日 1970年3月8日


日本のミュージシャンであり、Mr.Childrenのボーカリスト、ギタリストである。本名の読みは同じです。
東京都練馬区出身。アマチュア時代から一貫してMr.Childrenの楽曲の作詞、作曲を手掛けている。 2004年からはBank Bandというチャリティーと音楽をつなぐ活動をしています。



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[バースナンバー 10-1 ]
バンド結成から現在までMr.childrenを引っ張ってきたのはもちろんのこと、老若男女を問わない認知度はミュージックシーンを開拓し新たな音楽を創造してきたからこそ。Mr.childrenは高校生の時に結成されて以来、彼の作詞作曲のもと、活動をしてきました。メジャーデビューの話をもらった時の事ですが、櫻井さんの提案で音楽を見つめ直すために3ヶ月の活動休養を提案。メジャーデビュー前に活動休止をしようなんて聞いた事がありませんが、この斬新なプロ意識は音楽活動を今一度見直すというもので、3ヶ月後Mr.childrenは『気持ちがナチュラルなときに感動できるっていう普遍性のような魅力』目指すようになったと言われています。そして今もその方針は変わっていないのです。
まさに1のピュアな独創性と開拓精神に満ち溢れた創始者で、10の直感力に長けています。
また彼は、19の素質である激動の変化をくぐってきた方です。


[デスティニーナンバー 12-3]
最近のインタビューでは「何かのせいにするのではなく、発送を転換することでポジティブに明るくなれる。それを提案みたいな感じでやっている。それが今のMr.childrenです」とおっしゃっています。
実際、最近彼は歌うとき笑顔を浮かべて歌うことが多いと感じます。それは、笑顔で歌えるような曲ができるようになったということです。


彼はブレイク後、様々なことを経験しました。それは楽しいといえるものではなく悲しみと苦しみによるものが多く、彼がその時代にリリースした曲や詩には劣等感だったり現代への悲観的な投げかけ、さらに人間の脆さをテーマにしたものばかりでした。
上記のような非常に激しい人生を乗り切ったからこそ『愉しむ』『JOY』ということがどれだけ難しく大きなテーマなのかを理解する事ができるのだと思います。
また、ミスチル現象といわれる大ブレイクを果たしたミスチルでしたが彼は正反対に追い込まれていったというのはファンの中では有名な話です。彼が鬱状態だった時期と言われています。売れた途端にマスコミから追われ、自分たちよりも音楽を聴いてほしいという気持ちに苛まれていった時期があったとおっしゃっています。3のアマチュアの状態が強く出ていた頃でしょう。
この時の曲には彼の中のマイナスの部分との葛藤や現実社会の汚い部分をテーマにした曲が多く混沌の中でもがく櫻井さんのイメージが強く残ります。サイクルの説明の際に解説させていただきますが、彼はある出来事により大きく変化を遂げます
。まず歌うとき笑顔で歌いますぽ。そして歌というものへの探求は一語一句を音でどう表現するかという情熱と野心を強くしていきます。
また彼は、最近のインタビューの中で「僕は、笑者でありたい』と語っています。彼の中で、笑顔で愉しむという感覚が非常に鮮明に目指すべきものに変わっていると感じます。



[ソウルナンバー 6 ]
彼が変化するきっかけとなったの大きな出来事が結婚と離婚でした。売れない頃から支えてくれたマネージャー的な存在の方と結婚。その後Mr.childrenは大ブレイクを迎えました。おそらく奥様は身を投げ出し、彼等を必死で売り込んでいたのだろうと思います。しかし一方でプライベートでも仕事をしている、追い込まれている感覚になり自分達ではなく、音楽を聴いてほしいという気持ちが重なり、鬱状態へとなって行きます。そんなある日、彼のもとにある女性現れます。それが現奥様です。彼女と不倫関係になり、彼の実家の近所に住まわせていました。この時点で彼が心を許すことができる女性なのだと感じます。離婚調停中に彼は会えない不倫相手(現奥様)に歌を捧げます。そして、離婚が成立した後すぐ再婚をしました。その数年後、彼は元お子様とお子さんにも曲を残しています。『優しい歌』とい曲はお子様にあてられた曲だと言われています。彼は愛を表現する手段も歌なのだなとふつふつと感じます。
その愛は身内だけではなく、時には他者へも向けられます。彼は最近よく悲惨なニュースというフレーズを曲に使います。これは、『事件とか悲しいニュースの責任追求をするのではなく、自分の内面にもその責任や原因の一端があるんじゃないかと意識する』6の特質である本質を理解しているのではないかと感じる発言です。
また、彼はブッタの言葉に強い衝撃を受けたとおっしゃっています。『生まれたばかりの我が子が死んでしまった母親へ向けた、生きている子は生きているまま愛せばいい、死んでしまった子は死んだまま愛せばいい』という言葉。この言葉をきっかけに彼は『愛とは、想像力の事で自分以外の誰かを想像してあげる力のことをいうのではないか』という信念で曲を作るようになったとおっしゃっています。
自分は何者なのか自己回帰をし、他者へも愛情をおすそ分けできるまさに6のナンバーの方だと感じます。


[パーソナルナンバー 6 ]
おっとりというイメージはあまりありませんが、メンバーといる時はどちらかというとあまりしゃべらずニコニコしていることが多いイメージです。また、彼はお子様が4人もいらっしゃる子煩悩パパです。


[リアライゼーションナンバー 4 ]
感情と論理の調和という4の特性を強く感じます。彼の音楽は常に人生の出来事とともに変化しています。
また音楽業界への開拓は、時代によって変化していく曲と彼の認知度で証明することができると思います。


[ステージ 5 [
まさにクリエイティブな世界で活躍しています。


[チャレンジ 22-4]
彼のコアナンバーの波動は強いのですが、あれだけの影響力とパワーには何か物足りない感じがしていました。そして、チャレンジナンバーの22が大きな影響を与えているのではないかと感じました。
人生の課題に22という大きな数字をかがげている。ファンの中では教祖様のように感じる方もいるくらい彼のつくる言葉は影響力があります。
自己の目的を公的なものに定め、個人的利益を追わず大きな視野のもと広く循環する環境エネルギーを意識する、という22の目指す部分は、2004年から彼が始めているチャリティー団体『Bank Band』がまさに22を高めていくきっかけなのではないかなと感じます。



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year cycle

幼少期 3
勉強はできなかったが、運動神経が良かったそうです。体にイボが100個くらいあって『イボ野郎!』とからかわれたけど、『みんなから注目される、この状態が気持ちいい』思っていたそうです。まさしく3の楽観的な状態。
中学時代に不良グループの仲間にされ「万引きしてこいと』命令する番長が嫌で交番に行き自ら『僕は万引きしております』といい、親に知られ不良グループから抜けたそうです。自分の感情を誠実に表現したのでしょう。


15歳 19-25
2桁という世の中に運翻弄される数字の中でも音楽に興味を持ち初バンド『beatnik』結成。
現在Mr,chiidrenのギター田原とベース中川とはこのころからの付き合いである。
このころから感覚的に自分が一生付き合っていく人をチョイスしていたのかもしれません。


19歳 2-2
今までの二桁の人生から初めて1桁に変わる時、『Mr.children』とバンド名を変更した。そして渋谷でのライブで現音楽プロデューサー小林武史との出会いを果たす。人生で一番大きな出来事ではないかと思いますが、自分の意思だけで動けるサイクルにこんな重要な事や出会いがあったとは、驚きです。


22歳 2-5
小林氏がきっかけとなり芸能界でメジャーデビューを果たす。大きな変化となる。
しかし2のサイクルということは、どちらかといえば受け身で芸能界へ入って行ったのだなと感じます。
それは後々の発病とつながっていくのかもしれません。


24歳 2ー7
『crossroad』で大ブレイク。ミスチル現象という言葉まで誕生した最中、マネージャーをしていた女性と結婚。
まさに新たな生活状況のスタートを切っています。


27歳 2-10
精神不安定で鬱状態になる。以前から不倫していた女性とのスキャンダルで、泥沼離婚となる。このころが本当に辛い時期だったと思います。彼の歌っている表情に笑顔はなし。このころ活動休止します。


30歳 3-4
離婚が成立し、不倫状態だった彼女と結婚。今でもオシドリ夫婦と知られるほど仲が良い。
彼女のバースナンバーは21-3なので、何か本来の自分と重なる部分があったのでしょう。


32歳 3-6
小脳梗塞を発症。6のアマチュア状態。しかしこの時多くの仕事を一切休止し多忙だった日々に変わり少し時間ができたでしょう。彼はこのときに自己回帰をで自分は何を求めていて何がしたいのか本質を探り、奥様や身内の方の愛を強く感じることで愛というもののすばらしさに目覚めたターニングポイントなのかなと感じました。曲調が変わるきっかけはおそらくこの時の感覚なのではないかなと感じます。


33歳 3-8
環境保護や自然エネルギーなど様々な環境保護プロジェクトを低金利融資」する為の「bank band」結成。これは音楽プロデューサー小林氏と彼が結成している。8の時にきっちり契約を結んでいます。
またこのころから彼の詩には今までの恐れや恐怖心が感じられなくなりました。


46歳 4ー11
休止していたが、復帰しライブなど精力的に活動。昨年何かきっかけがあったのかもしれません。
Pinnacle no.が45歳から9に入っているので、スピリットな領域へ進み完結や色々な方の教祖のような役割を受け入れ、進んで行くような気がします。




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彼から私が学ぶこと
調べて思ったのは、やはり世界一いい男だと思えること!
そして、彼の純粋な心です、彼の曲は人生の変化と共にあり更に大きな高みへ向かっている。
私が彼から学ぶことはまさしくエゴを捨てる事だと感じます。
また自分のChallenge No.が32歳から40歳まで1のサイクル、41歳から49歳までもう一度1がchallenge No.で入ってくるのです。櫻井さんをみるきっかけとなったのも彼のB No.19-10-1を知る必要があったからなのかなと感じました。
そして、今櫻井さんのように好きでしょうがない、人生を共にする何かを見出すことなのかなと感じました。
彼のように私もPinnacle no.に9をも持っています。彼のように変化を受け入れ、成長していきたいと思います。



Reported by Kanae
AEONS Numerology Basic 10th Class @ Yokohama

by kej000 | 2016-07-25 21:32 | 数秘レポート