Kej の森

kejnomori.exblog.jp
ブログトップ

本当の自分との出会いに♡ いわさきちひろ

本当の自分との出会いに * いわさきちひろ


d0214179_2303655.jpg




いわさきちひろ

本名 松本 知弘 
   Chihiro Iwasaki
生年月日 1918年12月15日

いわさきちひろさんは 子どもの水彩画に代表される日本の画家であり 
「子どもの幸せと平和」をテーマとした絵本作家です


d0214179_2344111.jpg


  

■誕生数 ♯19-10-1■ 生まれ持った資質・性格・個性と生きる姿勢や才能・その人の潜在能力

カルミックナンバーである10-1は 一般的に恵まれた環境で育つがその与えられた環境や物が本当にあなたらしく生きるものなのか問われてくる本当の自分はどうしたいのか生まれた環境と言うのは潜在意識にインプットされているのでインプットされているものを乗り越えて
自分がどうしたいのと言うところに行くのが10番である人生の大きな目的の中に自分の価値基準や環境ではない本当の自分の価値基準を見いだすのが大きなテーマになってくる

人生のある時期に全く別の道へ変化する場合が多く見られる前世でやり残したカルマや目的を今生で果たすためのナンバーで人道的な目的や人に癒しを与える方向へ向かうことが多く見られる ディスティニー8で社会で仕事をするまで専門領域を極め精神性を極めていくことです

19 まず生まれて与えられた環境や価値が本当に幸せなのかと問われるのが10-1そしてそこから私ってもっと違う価値なんだと言う方向へ行くのが19
19は1から9に移行するナンバー 9は「月」月は母とかも表す家族とか身内とかに親族も含めてカルミックメイトでセットになってきている自立に関しての学ぶ対象がセットで自分の身近な環境に持ってきている
その中で本当の権力本当の力とは何か本当の自立って何とずっと模索している本当の自分になっていき自信と威厳を現実社会で確立すると言うのが19は最終的には1人と言う意識ではなくみんなのおかげで自分がいるのだというところまで立ち返るということもあるおそらく声させてくれないような自我がある
家計から来ている長くかかるかもしれないが超えさせてくれない自我を振り切って自立を目指すナンバーです

ちひろさんの環境は正しく当時としては非常に恵まれた家庭環境であったようです
何でもできる方で絵の才能があり書をやっても先生の代役ができるほどの力を持っていて運動神経も優れ何でもこなす人のようでした

美術学校に進むことを望んだが両親の反対で洋裁学校へ入学 その後20歳のときに3人姉妹の長女だったちひろは両親の勧めで婿養子を迎え望まぬ縁で形だけの結婚であったが夫の自殺で終わりを迎えたつらく苦しい思いを持っての再出発だったのでしょう与えられたそうした環境の中でもディスティニー8番のバイタリティーとパワフルさで再び絵と書を始め自立を目指しました
1945年疎開先で戦争を迎えその時ちひろは初めて戦争の実態を知り自分の無知を痛感したようです 両親に相談することもなくこのことが共産党に入党したり後にちひろは「子どもの幸せと平和」を願い原爆やベトナム戦争の中で傷つき死んでいった子供たちに心を寄せていったのでしょうまた当時挿絵画家は美術作品として認められずその時ちひろは持ち前の行動力を発揮し絵本作家の著作権を守るための活動もしていました
ちひろ亡き後夫の義明と息子の猛はちひろの足跡を残すためにいわさきちひろ絵本美術館を開館しましたがちひろ美術館はちひろの作品の収集展示という個人美術館の枠を超え(日本の美術の一ジャンルとして正当に評価し絵本原画の散逸を防いで後世に残していくこと) に目的を広げて活動を展開しました夫と息子と多くの作家らの協力で大きな社会貢献に結びついたと思いますまさに19-10-1の人生だったと思いました

■Destiny Number ■運命数 80-8
仕事表面的意識 社会へ打ち出す能力

社会に出て現実に勉強してやってみる事項を拡大するために現実と向き合って忍耐でコツコツ社会の学びをする地道な努力を続け常に達成向かうことを目指す1人ではなく組織の中で大勢と強調してやっていくことで自己信頼を得て8の学びが大きく与えられる0のつくナンバーは0的な素質を豊かに発揮する能力に恵まれています直観力や洞察力が目的成就への有効な手段となります
ちひろさんはどんな状況の時でも学び続ける努力を続けた人であった

■Soul Number ■ソウル数 8

内なる欲求にはパワフルさと行動力があり情熱的で自信と大胆さ
またロマンチストで思慮深さも併せ持っていただろうと思われます
バイタリティーがあり自信を持って積極的に進んでいく夫の善明が衆議院選に初当選した時はちひろは画家 1時の母、老親の世話大所帯の主婦と並行して国会議員の妻として忙しい日々をこなしていたパワフルでバイタリティーある日々だったでしょう

■Personality Number■ 人格数 9
ひとから見られる自分

物腰柔らかく落ち着いた感じ人当たりが良く幅広い人と交流できる人
面倒見の良さどんなタイプの人にも自然に接することができる人

■Realization Number ■ 実現可能数 9
今回の人生での可能性や実現性

人を感化 強化させ得る才能を生かし豊かな才能発揮し愛と理解力を持って人類愛を実践していける人
慈悲の心を持ち人々に自分の経験から得た叡智を伝え社会貢献すること
いらないものは手放して自分も人も許すことで全てを受け入れる真の強さ、エネルギーを得るまた自分の生き方を世の中の人や未来を担う子供たちに見せることにより後に続く人たちの道標となり人の心に寄り添うことを目指しています穏やかに人類愛を実践することがミッションです

■Stage ■活躍する舞台 9

1から8の要素を持っている人なので
どんな人とでも交流できる冷静な人です
指導者 慈悲深く落ち着いているそっといるだけでエネルギーが伝わってくるような人なので心の分野や芸術など

■Challenge■ 20-2

人を思いやる優しい心で安らぎや癒しを与えるイメージの世界での価値ある創造物を現実社会で実現化していくこと
0のつくナンバーは霊的な素質を豊かに発揮する能力に恵まれています直観力や洞察力が目的成就への有効な手段となります

■Nature■ 11-2

物腰柔らかく 皆を見守っている感じ
控えめだが聞き上手なのでよき相談相手になってくれそうな方
細やかな気配りのできる女性的な信頼できる人

■Action■ 7

深い洞察力と論理的な分析力を持ってひたむきに探究を続け
いろいろな環境の変化の中でも好きなことに対する情熱を持ち続けて徹底的にやることで専門性を極める




d0214179_2301589.jpg






■Cycle Number ■

0から30歳
Cycle 3-Pinnacle 9-Challenge 3

3は豊かな表現力 感性多趣味多忙な人
9番は才能豊かな人
幼い頃から書くこと描く事に優れていて環境のいかなる変化の時も描き続け書き続けることに努力を惜しまなかった人です辛さや苦しみの中でも自分の感情を誠実に表現し内的エネルギーを解放していたのだと思いますそして絵を通して表現力を惜しみなく世の中の人や子供たちに使い寄り添っていたのだと思いますがピナクル9はいろいろな問題を抱えて精神的な成長をしなければならない直揺れに揺れていた状況だったと思います

33から44歳
Cycle 6-Pinnacle 16-Challenge 5

輪郭のはっきりしないちゃんと描けていない技法と批判を受け
ちひろ自身もそのことに悩み孤立していった中で 多くの体験や事態に遭遇し何度も価値観を変え まず自分を信頼し人を信頼することあるがままを受け入れることでちひろはこれまでの迷いを捨て 自分の感性に素直に描いていくことを決意して1962年の作品「子ども」を最後に油彩画をやめ水彩画に専念することにした
変化を受け入れ内面の自由を見つけていたのでしょう

45から53歳
Cycle 6-Pinnacle 7-Challenge 2

独自の画風を追い始め それまで培った技法は絵本などの作品にも多く取り入れられている多くの経験を重ね視野を広げよりたくさんの人と交流を重ね心を解放し分かち合い自分自身を信頼して変化を受け入れながら愛の精神で幅広く世の中の人や子供たちの心に寄り添っていったのです

54歳から
Cycle 19-Pinnacle 13-Challenge 2

環境ではない本当の自分の価値基準を乱す大きなテーマを見つけ社会に貢献すべく専門領域を極め精神を極め人々に癒しを与え自分の内面や周りを安定できる状況になってきているそんな時体の変化を知りそれを静かに受け入れその時まで命の象徴として子供たちを描き続けたのでしょう



d0214179_2345397.jpg




〈History 〉

1998年12月15日
建築技師である岩崎正勝と教師である文江との間に武生市で長女として生まれた
岩崎家は当時としては非常に恵まれた家庭であった ラジオ 蓄音機 オルガン等の品々がありカメラも所有しており当時の写真が数多く残っているちひろは絵や書の才能があり
その一方で水泳スキー登山などもこなしていたようです

1933年15歳 (Year Number 16-7)
岡田三郎助に師事 デッサン油絵を習う
母文江はちひろの絵の才能を認め母の勧めでデッサンや油絵を習う展示会で入賞を果たした
極めるものを見出せた時である
美術学校に進むことを望んだが反対にあって断念する

1936年18歳(Year Number 19-10-1)
コロンビア洋裁学院に入学
自分の望む進路ではなかったようです

1937年19歳(Year Number 20-2)受容
小田周洋に師事し 藤原行成流の書を習う
両親の意向を受容しながらも自分の進むべき道を模索しながら小さな1歩を踏み出している

1939年21歳(Year Number 22-4) 波乱の人生
婿養子を迎えた結婚
夫の勤務地である満州大連に渡る
3人姉妹の長女だったちひろは両親のすすめを断りきれずに婿養子を迎える望まぬ縁で形だけの結婚であった

1940年22歳(Year Number 23-5)変化
夫の自殺により帰国
再び小田周洋に師事し書を習う
辛い苦しい思いを持っての再出発だったでしょう

1945年27歳(Year Number 19-10-1)
空襲で家を焼かれ母の実家長野県松本市に疎開そこで終戦を迎える
このとき初めてちひろは戦争の実態を知り
自分の無知を痛感し、後に共産党に入党したりちひろは「子どもの幸せと平和」を願って原爆やベトナム戦争の中で傷つき死んでいた子供たちに心を寄せていたのでしょう
19-10-1自分が進む本当の自由を見出したのでしょう

1946年28歳 (Year Number 20-2)
疎開先の松本で日本共産党に入党両親に相談することもなく同年上京して人民新聞社の記者となる日本共産党宣伝部芸術学校に入り丸木俊に師事する
この頃から数々の絵の仕事を手掛けるようになる
20-2 変容体験を通して自分に植え付けられたもの排除して自分が体験していることを人に伝えていく

1949年31歳(Year Number 23-5)
紙芝居(お母さんの話)を描きこれをきっかけに画家として自立する決心をした松本善明と知り合う
5で人生の目的自由勇気を持って変化にチャレンジしていった

1950年32歳(Year Number 24-6)
松本善明と結婚 6番のテーマは愛を学ぶ 結婚 離婚を経験して自分の内面の強さを学ぶ
結婚にあたって2人が交わした誓約書が残っている
そこには日本共産党員としての熱い情熱とお互いの立場 特に画家として生きるちひろの立場を尊重しようとする姿勢が記されている

1951年33歳(Year Number 25-7)
長男松本猛誕生

1972年54歳(Year Number 28-10-1)
童画ぐるーぷ社の展覧会に出品これが「戦火の中の子どもたち」制作のきっかけとなる
10-1始まり新たなステップ再誕生

1973年54歳 (Year Number 2)
病気が見つかる

1974年55歳(Year Number 3)
人々に道の光を投げかけていたのでしょう
1974年8月8日死亡


d0214179_234455.jpg



*いわさきちひろさんを読んで*

以前からちひろさんの絵が好きでした
あたたかく優しさ溢れるきれいな絵です
優しいタッチで子供たちの顔の表情を生き生きと表現できる人
幸せあふれる優しい人の描く絵だと思ってました 写真から想像する彼女の印象です。
今回彼女をリーディングするのはまったくの偶然からでした。しかし数字を見たときディスティニー、ソウル、パーソナルが私と同じ それに8と9が多い方にびっくりしました
私も多い方です。俄然リーディングする意欲が湧いてきました。でも第一印象とあまりに違うことの戸惑いと数字の持つ意味に改めて神秘と驚きを感じました
自分の人生にリンクする部分にも驚かされました。穏やかに優しく微笑んでいる写真のちひろさんからは想像できない 辛く苦しい人生を受容しながらそこから自立していく長い日々を地道な努力とそれでいてパワフルでエネルギッシュな人生をあまりにも早く駆け抜けたちひろさんに私のこれからの人生まだまだ頑張れると背中を押された思いでした

私の両親は今の私の歳にはすでに人生を終えています
この先の私の人生はおまけの人生だと思っていました。いまさらこの年でこんなに頑張らなくてもと思う気持ちも少しありました でもこれからのおまけの人生精一杯頑張っていこうと思わせてくれました。
そして8番を持っている私は結構この頑張りを楽しんでいるのも感じています
やっとスタートラインに立っている私ですが穏やかではあるがパワフルでエネルギッシュに進んでいこうと思いました

Reported by Yoshie
AEONS Numerology Basic 10th Class @ yokohama
by kej000 | 2016-07-25 23:08 | 数秘レポート