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どの瞬間もが感動に満ちた人生*ココ・シャネル Vol.2



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ココ・シャネルの人生年表

ココ・シャネル 数秘で読み解くその人生については、
Report Vol.1 をご覧ください


【イヤーサイクル】

1883年8月19日フランス南西部オーヴェルニュ地方ソミュールの救済病院で生まれる。

●10歳1893年から〈光と闇を体験する時期〉

●11歳 ナンバー13(4)試練
1895年2月16日12歳の誕生日を迎える前に母のジャンヌが病死、行商人の父アルベールに捨てられ、シャネルと、姉のジュリーは孤児院に預けられ、その後6年間に渡り、厳しい戒律の下で生活しました。

●17歳 ナンバー19(10-1) 複雑な二極性(#9)/創造(#1)/インスピレーション(#0)
19は、カルミックナンバーで,カルマの負債を精算するための経験をします。自分のから抜け出ようともがく時期。1900年、17歳のとき、シャネルは、孤児院を出て、フランスのムーランにある修道院へ送られます。
修道院女学校では、中流階級の娘もおり、自分の境遇との違を感じる経験、強靭な精神力はここで培われました。一方、ここで、叔母のアドリエンヌと一緒に、親戚とよりを戻し、バカンスをともに過ごすなど、徐々に自由を手に入れます。また、叔母は帽子に興味を持っており、制作しているのを見て創造性が芽生え始めました。

●18歳 ナンバー17(8) 情熱的、野心のあるパワフルな#8
1901年、修道院を出て、田舎町ムーランでお針子として店の見習いになります。この間に、お針子としての腕を磨きました。当時つきあいのあった将校たちに連れられ、グラン・カフェで歌手になりたいと夢見るようになります。シャネルは、お針子に留まらず、昼のお針子の仕事の傍ら、夜は歌手を志してキャバレーで歌い、オーディションを受け、芸能界への道を目指していました。

●19歳 ナンバー18(9)名声や富・地位を表すナンバー(#8)/完結の#9
この頃交際していた将校であるバルサンに伴われてパリ郊外、バルサンの牧場へ移り、過酷な環境から、抜け出したのです。そこは、ブルジョア階級の友人達の社交場となっていました。
20歳1903年より④<基盤を作る時期>

●26歳 ナンバー19(10-1) 
真の力のあり方と普遍の真理を学ぶこと時期で、自立し、本当の意味での自信と威厳を現実社会で確立していくことを学ぶナンバーです。
シャネルは、バルサンの屋敷で、乗馬を楽しみ、乗馬服で最初に服装革命していきました。当時は、スカートで横座りするのが普通だったのですが、シャネルは、ネクタイを締め、カチューシャに、ジョッパーズを履き、周囲に衝撃を与えました。また、当時の装飾華美の帽子に違和感を感じ、シャネルは、その装飾を取り払い、シンプルなデザインのものを自分で作って次第に評判になり自信を得ていきます。
1909年、制作していた帽子のデザインがそこで認められ、バルサンの援助により、パリへ移り、友人のために帽子のデザインを始め、自立への一歩を踏み出しました。

●27歳 ナンバー20(2)霊的な能力を豊かに発揮していくナンバー(#20)
1910年、バルサンと別れ、その友人で、一生涯愛する人物となるイギリス人青年実業家ボーイ・カペルとの交際を始めました。ボーイ・カペルの資力を借りて、パリのカンボン通り21番地に「シャネル・モード」という名で帽子専門店を開店します。女優や、オペラ・コミックの歌姫の帽子もデザインし、話題となり才能を発揮していきました。
30歳1913年より⑤<変化の時期>~第一次世界大戦~

●30歳 ナンバー14(5)新しい風(#5)直観力で独創性を追求し(#1)基盤を創る(#4)
 1913年、カペルの資金援助により、当時流行となっていた海水浴場ドーヴィルに二号店を開店します。そこは、一流ホテルやカジノのが建ち並ぶリゾート街でした。
また、#14は、過去生における「自由」の誤用を今世で理解するためのナンバーで、衝動的な欲求を克服し、真の建設的自由とは何かを学んでいきます。シャネルは、帽子から服へと移行し、自分の体形に合わせて服を作り、脚光を浴びます。妹のアントワネット、叔母のアドリエンヌもモデルとなって、海岸を闊歩し、歩く広告塔のように、独自のスタイルを積極的に売り込み、顧客を増やしていきました。

●31歳 ナンバー15(6) 直観力で独創性を追求し(#1)、環境の変動(#5)の中も、喜び活動する(#6)
 1914年8月3日、第一次世界大戦が開戦。周囲の店が次々と閉店していく中、二人は様子を見ようと、店を続けることにします。1915年7月には、ボーイとココを連れて優雅なリゾート地、ビアリッツに保養に出掛けた時、直観力から、ここが、三軒目の店舗を開くのに最適な場所と判断、オートクチュールの店、「メゾン・ド・クチュール」をオープンします。店は贅を尽くして建てられました。シャネルは、「世界は滅びようとしていた時、他の何かが生まれようとしていた。私は、何かを進めるチャンスだと思い前進した。」と、直観力で変化を読み取る力のを感じさせる言葉を残しています。
富裕層を狙った一着数千ドルもする高級ドレスは、飛ぶように売れました。誰よりも先に、こうした服飾分野をオート・クチュールの商売に取り入れて利益を上げるファッション産業にしたのです。多くの店が閉店する中、実用的で、シンプルなスタイルを追求し続け、さらなる発展につながりました。

●32歳 ナンバー16(7) 直観力で独創性を追求し(#1)、飛躍(#7)のナンバー
1915年9月、始めるのにいいとされるナンバー7の年、ビアリッツにて、初めてのコレクションを開き、デザイナーとしてのデビューを飾ります。独創的、デザインの服は、初めて開いたコレクションを魅力的なものとしました。

●33歳 ナンバー17(8) 直観力で独創性を追求し(#1)、飛躍(#7)に向かう、達成(#8)のナンバー
1916年、コレクションを発表し、大成功を収めます。当時、在庫で残っていたジャージー素材を買い取り、動きやすく、それまでのように身体の線を強調しないドレスをつくり、話題となりました。従来の常識に囚われず、新しい素材を試し、革新的なスタイルを提案していきます。
このころ、店の従業員は、前年度60人だったところ、300人を超え、ボーイへの借金を返済。長年の夢を実現させ、経済的に自立した女性実業家となりました。商品をいくら作っても足りない状況で、衣類用の布地は不足していましたが、かつての恋人、バルサン(繊維業の家の生まれ)のつてを辿って調達していました。

●34歳 ナンバー18(9) 優れた直観力でオリジナリティを出し(#1)達成(#8)完結(#9)に向かう
1917年、空襲に度々見舞われ、激しくなってくると、防空壕の中で着られる気軽なスーツを売り出しました。貴婦人階級もコルセットやドレスの着付けを手伝ってもらう召使いを雇う余裕がなく、ひとりで簡単に着られる服が必要になっていたのです。また、人手不足で、女性も働く必要があり、動きやすい服装が社会に求められており、シャネルは新しい女性の理想像をファッションで表現していきました。

●35歳 ナンバー19(10ー1)新たな時代の始まり(♯1)と、裏切りと傷心(♯9)
1918年に、第一次世界大戦が終戦。
カルミックナンバー19でもあり、真に力のあり方を普遍の真理を学ぶことによって、自立し、本当の意味での自信と威厳を現実社会で確立していくことを学ぶナンバー。
一方、8年余り付き合ったボーイ・カペルは、イギリスの上流階級の娘ダイアナ・ウィンダムと結婚してしまいます。上流階級に生まれなかったシャネルの苦悩が想像されます。シャネルは、カペルからもらったプレゼントを全て返し、腰まで届く黒髪をバッサリ切り、仕事に打ち込んでいきます。
このころ、シャネルは、パトロンであり将来親友となるミシア・セールと出会い(1917年)、ミシアのサロンで劇作家のジャン・コクトー、画家のパブロ・ピカソ、作曲家のイーゴリ・ストラヴィンスキーやジャン・コクトー、など様々な人物と交流し、人脈を広げていきました。新たな時代が始まる一歩を踏み出したのです。

●36歳 ナンバー20(2) 受容(#2)/生と死(#2)
私生活では、交際を続けていたボーイが車の衝突事故で死亡。堪え難い悲しみから、寝室全体を黒一色で飾り付け、哀悼の意を表しました。多くの女性たちも、戦争で男手をなくし、自力で生きて行かねばならなかった状況で、悲しみの中、女性は社会進出をしていきます。
1919年スカート丈をひざ下まで短く活動的にした「シャネル・レングス」の服は、当時のファッション傾向に大きな影響を与えました。

●37歳 ナンバー21(3) 受容(#2)/発展・拡大・豊かさを受け取る(#3)のナンバー
悲しみに暮れているシャネルを見かねて、ミシア・セールは、自身の新婚旅行先のイタリアへ連れ出します。そして、辛い経験を乗り越え、再び、ロシアから亡命してきたドミトリー・パヴロヴィチ大公との恋愛がスタート。#3は恋愛を育むナンバーです。
そして、仕事では1921年、本店をカンボン通り31番地に拡張。前年に会った調香師エルネスト・ボーによって生み出された、シャネル初の香水「N°5」、「N°22」を発表します。




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●39歳 ナンバー23(5)  受容(#2)/発展(#3)のナンバー
1922年シャネルが主人公のモデルとなった『ラ・ギャルソンヌ』が発表され、ショートボブが流行。
シャネルは「ファッションは着飾るものではありません。着るものを選ぶことであり、それは自身の生き方を表現するものなのです。」と語っています。シャネルの提案するファッション、恋愛と仕事に生きる自由なライフスタイルは、幅広く支持され、発展していきました。
40歳1923年より⑥<調和と(#15)革新の時期>

●41歳 ナンバー16(7) 飛躍(#7)
1924年フランス最大の香水製造工場を所有するピエール・ヴェルタイマーと共同でシャネル香水会社設立。5年後には、世界で一番売れる香水となり、20年後、権利争いに発展するものの、生涯生活していくのに十分な収入源を得ることになります。

●41歳 ナンバー17(8)飛躍(#7)達成(#8)
1925年、イギリス一の大富豪、第2代ウェストミンスター公爵と出会い、以降5年間に及び交際。
この間に多くもらった宝石類から着想を得た、模造宝石を使ったジュエリーを発表して大成功を収めます。さらに、コスチューム・ジュエリーを大量に製造する工房を開きました。
同時期、インスピレーションを受けて、オリジナリティを追求していき、後に「シャネル・スーツ」として発表されるスーツの原型がつくられました。

●46歳 ナンバー18(9)達成(#8)と完結(#9)のナンバー
1926年10月には、「リトル ブラック ドレス」を発表。大胆なまでにシンプルを極めたスタイルでファッション界に革命をもたらしました。それまで喪服として使われていた黒一色のドレスがモードとして認識されるようになります。

●46歳 ナンバー21(3)拡大、発展、豊かさを受け取る(#3)
1929年には、香水シャネルN°5が、世界で一番売れる香水となる。
10月に株価が大暴落、資金難にあえぐ暗い世相とは裏腹に、本物の宝石を使ったアクセサリーを販売。しかも、一つのアクセサリーがブローチになったり、留め金になったり多用途に使えるようになっていました。。シャネルは、カボン通りに構える店のひとつに、専門店を開き、このアクセサリーや、ベルトや、キルティングバック、スカーフなども合わせて販売します。
#21は、相反するものをまとめ上げるナンバー。キルティングバックのマトラッセは、革×綿入れ、革×金属チェーンと、二種類の異なる素材を縫い合わせることで表現された、あらゆるスタイリングにマッチするシャネルの定番的な存在となります。当時の女性のバッグはハンドバッグのみでしたが、両手が自由に使え、バッグの置き忘れを防ぐ目的で考案されました。今では、普通のこのスタイルも、大恐慌の嵐の中打ち出した、大胆なテーマだったのです。
プライベートでは、恋人ウェストミンスター公のために別荘を建てますが、1930年、イギリスの名門令嬢、ローリア・メアリー・ホンソンビーと婚約してしまいます。

●47歳 ナンバー22(4) 大きなビジョンを描き、新しいステージに向かう創造の#22
1931年2月、ハリウッドへ渡り映画界の大物、サミュエル・ゴールドウィンの要請で、アメリカ映画の衣装デザインを手掛けています。
50歳1933年より⑦<飛躍と(#16)真理の探究の時期>

●52歳 ナンバー18(9) 達成(#8)と傷心(#9)
ウェストミンスター公爵と別れた後、交際していたポール・イリブが1935年9月21日心臓発作で急死。その後、睡眠薬に依存しています。
そして、1936年6月、当時4000人を抱える大企業として成長したシャネルだったが、コレクション前の苛烈な労働条件に、労働者側がストライキを敢行。苦労してその地位を築いたシャネルには労働環境を重視する彼らの考えを受け入れられずに対立、不本意ながらも、組合側の要求を一部認めました。

●56歳 ナンバー22 (4)
22は、大きなことが成し遂げられ、夢が実現、ドラマティックなナンバーである一方、大掃除、大波のあるナンバー。1939年9月、第二次世界大戦が勃発。シャネルは一部店舗を残し全てのビジネスを閉鎖、一時引退します。

●57歳 ナンバー23(5) 環境の変化(#5)を受容し(#2)発展(#3)
5は、環境の変化、スピードのあるナンバーです。現状にしがみつくと、障害が起こりますが、シャネルは変化していくことで、チャンスをつかみ、人脈を広げていきます。第二次世界大戦中の1940年、フランスがドイツ軍に占領され、多くのフランス国民が窮乏生活を余儀なくされた一方で、シャネルはドイツ軍の愛人になることで、様々な恩恵を受けて暮らしたと言われています

●61歳 ナンバー18(9) サイクルの成就・完成(#8)裏切りや傷心(#9)
1944年フランス解放後に逮捕され、「対独協力者」、「売国奴」としてフランス中からの非難を浴びます。
しかし、イギリス首相であるウィンストン・チャーチルの計らいにより釈放され、その後シェレンベルクとともに戦後の数年間スイスのローザンヌへ脱出し亡命生活を送りました。

●64歳 ナンバー21(3) 受容し(#2)発展・拡大・豊かさを受け取る(#3)
1947年、シャネルとピエールヴェルタイマーとの間で、シャネル香水の販売権に関して、和解成立。シャネルは、世界中で販売される香水の売り上げの2パーセントを受け取る。

●67歳 ナンバー24(6) 受容(#2)死別などの問題から内面の強さを養う時期(#6)
1950年秋 親友だったミシア・セールが死去。
その後、ベンドア、バルサンも帰らぬ人となる。
70歳1953年より<達成(#18)と完結(#9)の時期>

●70歳 ナンバー18(9) 直観力で独創性を追求し(#1)、達成(#8)完結(#9)する
1953年秋 再びファッション界復帰を志します。理由のひとつは、退屈だったから。もう一つは、「ゆったりフィットした服で、女性たちをもう一度、解放してあげたかったから」だと言っています。当時、ウエストを協調し、スカートを膨らませたデザインの服が流行していました。
1954年2月5日、15年間のスイスでの亡命生活を終え、パリに戻ったシャネルは、ヴァンドーム広場を望むホテル・リッツに住まいを構え、2月5日、復帰記念コレクションを開き、復帰を果たしました。
シャネルの第二次世界大戦時の言動に対する嫌悪感が根強く残っていた当時は、「古臭い」としてヨーロッパではバッシングを受けたものの、アメリカでは評価されます。ライフ誌は、「71歳にして、彼女は我々にスタイル以上のものを示してくれる。彼女は本物の嵐を巻き起こした。」と支持され、シャネルのカムバックは、話題になりました。

●72歳 ナンバー20(2)
専門知識・クリエイティブ能力を発揮するナンバーで、世界で価値ある創造物を現実社会で具現化していきます。
1956年秋のコレクションで、「シャネルスーツ」を発表。ニューヨーク・タイムズ紙は「その着やすさとカジュアルさ、シンプルさは多くの現代女性のニーズを満たしている。」と書かれました。

●74歳 ナンバー22 (4)22は、大きなことが成し遂げられ、夢が実現、ドラマティックなナンバー
1957年10月4日、シャネル・スーツ(ブレードの縁取りがある、ウールのスーツ)は、ウーマンリブ運動によって女性の社会進出がめざましかったアメリカ合衆国では熱狂的に受け入れられ、アメリカで「過去50年間でもっとも大きな影響力を与えたファッションデザイナー」としてファッション界のオスカーに当たる、ニーマン・マーカス賞を受賞する。

●80歳 ナンバー19(10-1) 複雑な2極性(#9)
1963年11月、ケネディ暗殺事件。シャネルの服を愛用していた夫人が報道され、話題になりました。

●87歳 ナンバー26(8)達成(#8)
8は、現世と永遠の間の「死」を示し、また、無限と螺旋を示すナンバー。
1971年1月10日、この世を去ります。住居としていたパリのホテル・リッツで、亡くなる前日までコレクションの準備していました。シャネルの亡骸は、第二次世界大戦中のドイツへの協力及びフランスへの裏切り行為によって、高級墓地への埋葬を拒否されたこともあり、亡命生活を送っていたローザンヌの墓地に埋葬され、ラッキーナンバーとしていた、5頭の獅子に見守られ、シャネルの遺言により、墓石の周りには白い花が咲き乱れています。



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【感想】
 私は、このレポートをまとめる中で、シャネルの言葉や、人生に触れ、何度も何度も涙が溢れそうになりました。単なる斬新なデザインや、快適さ、機能性だけでなく、「女性を解放したい。」その強い思いに、心を打たれます。そのエネルギーを創造性に変え、女性の新しい生き方、スタイルを提案し続ける、その真っ直ぐな思いに感動しました。
 そして、今を楽しみ、今、自分に必要なものは作ってしまう実行力…友人の服も、さっと首にかけた鋏を出し、素敵に直してしまうし、修道院時代にも、スカートの丈を誰にも分らないように、こっそり短く切ってスタイリッシュな着こなしにしてしまう。「だれも気付かないだろう。でも、私はそこを直すのです。」と、自分のイメージを忠実に形にし、87歳まで元気で、自分のスタイルを貫く姿勢に、私もそうありたいと思いました。
 辛辣さも、その美的センスも、感性の鋭さも、実行力も、そして、常に時代にマッチする勘の良さ、その変化に柔軟に対応する受容性と深い愛、全てが魅力的です。
 ≪リーディングしてみて≫
 私の家族は、シャネルと同じバースナンバー#11-#2を持っています。シャネルをリーディングしてみて、「広い心で、受け入れた数だけ、器が大きくなるのだ」と、気付き、それと同時に、家族も同じ「広い心と、受容性」を持っていたことに気付きました。バース以外のナンバーは、私と共通しているところが多く、前述のように、学ぶところがたくさんありました。
 死後、何十年経った今も、シャネルの言葉は心に響きます。シャネルの生き方から学んだこと、全てを!心に刻み込みたいと思います。
 ココ・シャネルの伝記に出会わせてくれた、アイオンズ、講師の皆様、受講生の皆様、全てのご縁と、家族に心より感謝申し上げます。

参考文献
『あなたを変える ココ・シャネルの言葉』高野てるみ イースト・ブレス
『ココ・シャネル~時代に挑戦した炎の女~』エリザベート・ヴァイスマー 阪急コミュニケーションズ
『コミック版世界の伝記「ココ・シャネル」』漫画:久松ゆのみ 監修:塚田朋子 ポプラ社
『時代を切り開いた世界の10人⑦レジェンドストーリー「女性に自由を与えたファッションデザイナーココ・シャネル』学研
『誰も知らなかったココ・シャネル』SLEEPING WITH THE ENEMY
~COCO CHANEL’S SECRET WAR ハル・ヴォーン 赤根洋子・訳 文藝春秋
『ココ・シャネルの秘密』マルセル・ヘードリッヒ 山中啓子・訳 ハヤカワ文庫
『世界を変えた6人の起業家 シャネル』デーヴィット・ボンド・文 常盤新平・訳
『ココ・シャネルの「ネットワーク」

写真は、
https://cieljyoti.wordpress.com/2012/04/08/coco-chanel-gabrielle-chanel-1883-1971/
よりお借りいたしました。

以上。



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Reported by
Aeons Numerology the 11th Basic Class
Nao Izumi
by kej000 | 2016-12-12 15:48 | 数秘レポート