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常に進化する強さとその裏にある努力に*伊達公子

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伊達公子
Date Kimiko 【プロテニスプレイヤー】
生年月日 1970年9月28日生まれ。



6歳からテニスを始める。
1969年(18歳)プロテニスプレーヤーに転向。
1990年全豪オープンでグランドスラム(世界大大会)初のベスト16入り。
1993年全米オープンベスト8入り。
1994年日本人選手初のWTA世界ランキングトップ10入り(ランキング9位)を果たす。
1995年WTAランキング4位。
1996年26歳で引退。(引退時ランキング8位)
2001年レーシング・ドライバーのミハエル・クルム氏と結婚。
2008年プロテニスプレイヤーとして【クルム伊達公子】名にて復帰。
復帰初年、全日本選手権シングルス・ダブルス制覇。その後、挑戦の場を、世界に移し、世界ツアーに参戦。
WTAツアー優勝回数8回。
2016年46歳、1月までWTAツアーに参戦。同年2月左膝半月板の内視鏡手術。
そして4月選手復帰の為、再手術をし、現在リハビリ中。
その他、テニス解説、執筆、国際協力機構(JICA)オフィシャルサポーター・園田学園女子大学客員教授等勤めている。




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【Birth】誕生数  
***深層意識***生きる姿勢や才能、潜在能力など普遍的な資質

♯9 完結  
ひとつの周期が終わり次の段階へ、意識の断捨離、いらないものは捨て必要なものは残し、次の段階へ進んでいく開始のナンバーです。

伊達さんは常に進化する事、新たな挑戦をし、常に次の段階へ進むことへ挑戦し続けるという。
46歳の現在もプロテニスプレイヤーでいること、一年に2回大手術を行ってまでも、プロとしてプレーを続けることを選ぶということからもわかる。
自分をあきらめさえしなければ、人はいくつになっても成長し続けるものである。
不安や恐怖はつきもの。覚悟を決めてまずは動き出してみる。すると思わぬ可能性の扉が開く
まさかという可能性どんどん開いていく。
常に自分を内省し、要らないものは捨て、そして必要なものは経験としてきたからこそ、ぶれない自分をつくり、挑戦し続ける覚悟そして、進化する強さを得てきたのだと思います。
これがまさに揺るぎなく進む彼女の本質であり、今もこの先も進化し続け、挑戦し続けていくのだと思います。



【Destiny】運命数 
***表面意識***人生における使命や目的・何を実現していくか

♯44-8 秩序・繁栄 不可能への挑戦と開拓・現実性
〈成功:繁栄の#8〉
伊達さんは6歳から好きでテニスをはじめ、高校卒業後、プロに転向し、
日本人としては初のWTAランキング最高4位に登りつめる。

〈不可能への挑戦と開拓の#8〉
26歳で引退したが、11年という長いブランクにも関わらず、38歳というプロとしては不可能ではないかとう体力の時期に、再度プロテニスプレーヤーとして復帰。
彼女は20代、我武者羅にプレーしていたときより、今のほうが強くなったと感じる。常に平常心を保ち、冷静な判断と落ち着いた無駄のないプレーができようにうなった。
実際に、復帰初年、全日本選手権シングルス・ダブルス制覇。
翌年、世界に場を移し、WTAツアーに参戦。WTAツアー優勝回数8回という実績をあげる。

自分があきらめず進化し続けるように、あきらめなければ無限∞の可能性の扉が開く、進化し続けることができるということを、プロテニスプレイヤーという表舞台に立つことで、それは誰にいうでも起こることで、恐れずに、まずは動くこと、ということを自分が実践することで伝えているのだと思いました。
「誰かに何かを強制することはしません。でも私のやっていることで、何かを感じて行動に移してもらえたら、私にとってもい刺激になります。私がきっかけとなって、それぞれの人生に変化が起こるとしたら、本当に感激です。それを聞くと私自信も力をもらえます。」と彼女は言います。


【Soul】ソウル数 
***魂の欲求***一番大切な価値観、優先したいこと。心の叫び

♯3 発展  能動と受容の合体により、新しさの誕生・自分で楽しい事を表現していく

伊達さんは【楽しい】【うれしい】【好き】がすべて根本にあります。
テニスが好き、勝負が好き、そしてチャレンジすることが好き。
人はいつでもチャレンジができる、思い込みやブロックをはずせばそれは克服でき、楽しみにさえなる
この先どうなろうと未来を怖がるより、今この瞬間を思いっきり楽しもう。

引退後、3から10歳までの子供を対象にした『キッズテニス』を展開したときも、
この活動で心がけていることは、子供たちがテニスを教わっているというより、やっている時間が
楽しいと思えるようにすること。自分自身が楽しいがあるから、苦難があっても乗り越えられた、楽しいが自分の原動力になってきたから、子供たちにもまずは楽しいという感覚を教えたかったのだと思いました。
このキッズテニスは日本だけでなく発展途上国の子供たちにも、JICA(国際協力機構)のオフィシャルサポーターとして活動がされ、デニスもの存在さえ知らない子達に、テニスというものを伝えながら、知ることの楽しさを教え、そしてその子供たちのきらきらした目・楽しい笑顔を受け取ると、また何かを考え感じ、あらたなことに挑戦することができるという。
やはり伊達さんを動かしているのは、楽しい、うれしいということが全ての根源なのだと私は思います。

【Personality】人格数 
***社会的な仮面(ペルソナ)***他者に映る表面的人格

 ♯14-5  変化・破壊・自由・
 伊達さんはよく人に『伊達さんからよく力をもらっている』といわれることがあり、ありがたいと思っているそうです。
その中には、昔やってたことをまたはじめられた。という内容が多いようだ。
19歳のときからのお付き合いのカメラマンさんから『また、こうして撮影できるなんて思わなかった。伊達さんが復帰しくれたおかげで。以前の自分になかった構図を発見できて、勉強になるし、自信につながっている』前とは違うカメラワークやタイミングで自分の成長や変化に気づかされると話してくれたそうです。

伊達さんの38歳での復帰は多くの人の固定概念を壊し、いくつになっても進化し続けることをあきらめない彼女の姿は、変化することを事をあきらめていた人たち、自分をパターン化してしなっていることに気づかせ、そして変化する勇気をあたえているのだと思います。

伊達さんの#5は#14というカルミックナンバーを持つ。アルケミー#とも言われ、自分とは違うものを受け入れることによって、変化が起きていく。異文化交流である。
自分では不可能、ありえないと思えていることが、伊達さんの常に進化という姿に触れることにより、変化をもたらしているというのもこのナンバーの影響があるのだと思います。

【Realization】実現数
***今回の人生での可能性や実現性***

♯17-8 秩序    自己信頼と能力の育成、地道な努力を続け、常に達成を経向かう。
38歳で復帰した際に伊達さんは、20代でがむしゃらにプレーしていたときより、今のほうが強くなっていると実感しているそうです。体力的には衰えてきますが、20代になかったような能力が備わっきたと。
それは心の声と身体の声が聞けるようになったからだそうです。
周りに見える強さでなく自分に勝つ内なる強さを身につけたそうです。
26歳で引退したときの経験、そしてブランク11年間に、進化するため常に高い目標設定を置き、達成する為に常に地道な努力をしてきた結果が、強い自己信頼を得、38歳にしてプロテニスプレーヤーとして世界で活躍をし続ける今を築き、今後も進化し続けるのだと私は思います。

#17をもつ#8はネットワークで人と人とをつなげていくということをし、大きなコミュニティーを作ると言うナンバー。JICA(国際協力機構)のオフィシャルサポーターとして活動している伊達さんは、さまざまな形で行われる支援活動に触れることで、テニスを通じていったい何が伝えられるのだろうかと、深く考えさせられる機会が多くなったという。そして活動していく中で、一人で世界に繰り出し闘っていたにも関わらず『キッズテニス』日本というくくりにとらわれててしまう必要があったのだろうかと。。。考えたときに日本だけにとらわれず世界に出て行く意義を感じたそうです。
常に新しく出会う人とのつながりがまた自分を変えてくれる。可能性を広げてくれる。お互いに出会ったことによって豊かですばらしい経験をとなり、その経験から目標を持って、夢をもっていくことによって、可能性が広げられることを子供たちに感じて欲しいという思いが強くなったそうです。



【Stage】活躍する舞台 

♯7 飛躍  内省・自分自身を信頼し、自分の人生と精神を解き放つこと
 「Nothinig to Lose」失うものは何もないじゃない
彼女が復帰するときに、「テニスがやりたい」だけで踏みきってしまって良いのか、到底歯が立つとは思えないし、思いだけでそこにたってしまっていいのだろうか。
テニスは1日練習を休むと取り戻すのに3日はかかると現役時代彼女は身をもって知っている。だから11年間のブランクがかなり大きいものも、年齢が37歳ということで迷っていた。
そのとき、夫のクルム氏が言った言葉が 「Nothinig to Lose」だった。
今の年齢で負けても問題はないよ。以前ようにできるわけもない。それがどうしたの?同じことはできるわけない。今できることをすればいい。」
とにかくシンプルにやりたいことをやればいい。プレッシャーは自分自身でかけているだけ。
この言葉で、彼女は精神的にも今まで生きてきた人生にも解放されたのだと思います。
色々なことに取り組んできたブランクの間、やはり本気で挑戦できるはテニス以外にありえない。
そして彼女は復帰。いつも彼女は自分の内側にといかけながら、目標設定をし、今の自分にできることを地道に目標に向かいながら行動し、新しいことに挑戦し続けている。



【Callenge】課題

#10-1 絶対 夢を現実的に地道な努力で達成していくこと「今ここにある自分をみつめる」

WTA世界ランキングトップ10入りしたとき、もっと向上させようと、精神的に追いつめられ、そして限界を越えてしまいテニスが嫌いになり引退。そのときのことを耐えられるだけの器はなかった。といいます。
その経験を踏まえ、今ここにある自分をしっかりと見つめる。現実を受け入れる。その上で成し遂げたい夢があるならば実現する為に目標設定をし、日々の地道な努力おこたらないことが重要になってくるのではないかと思ます。
カルミック#10があるので、自分で狙って到達するものでもなく、積極的に取りにいく代物でもなく、ただ目の前にある日々の目標を目指しているうちに自分のもとに夢の実現が訪れてくるものかもしれません。




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History


-0歳から27歳-

【Cycle Number】どのようなことを学ぶ時期なのか:#9 完成
ひとつの周期が終わり、自己再生のする時期。不要なものは、手放し、本物を見抜くことを学ぶ。
自分を見つめなおす時期でもある。
6歳からテニスを始め、どんどん夢が叶い日本人選手初のWTA世界ランキングトップ10入りを果たし最高ランキング4位。しかし、ランクを上げることに執着し、プレッシャーに押しつぶされそうな毎日。そして周りに壁を作り孤独に徹していた。そして大好きなテニスがだんだん嫌いになっていった。そして心が疲れはて26歳のとき引退した。この時、すべてやるだけのことはやったので後悔はないとこの時期のことを語る。

【Pinnacle Number】どんな状況の時期か: #1 絶対
自分の創造性を表現していくこと「自分がどう生きたいか」、開拓と勝負の時期。
6歳からテニスを始め、26歳のプロ引退まで我武者羅にテニスをしてきた時期。
日本人選手初のWTA世界ランキングトップ10入りを果たし最高ランキング4位。
日本のテニス界を絶対的な存在感でひっぱて来た時期でもある。

【Challenge Number 】与えられた試練や今回の人生の課題:#8 秩序
部室は精神向上のための手段であり目的ではないことを知る時期。社会での成功をまず果たすし、そこから精神を学ぶ時期。
大好きなテニスへの引退は、これから彼女かどう人生を歩んでいくかのを考える為、現実に起きた問題であり、がむしゃらに走ってきた彼女を一度立ち止まり自分をしっかり内省し、軌道修正かける機会であったように思います。
26歳のYear Cycleが#8でDestiny#8と重なることからも軌道修正をかけられる時期だったのではないでしょうか。


-28歳から45歳-

【Cycle Number】#10-#1 絶対
夢を現実的に地道な努力で達成すること「今ここにある自分をみつめる」
自分を俯瞰してみる事、心、身体をベストな状態に持ていく自分をコントロールする事学び、また大好きなテニスプレーヤーとして、新たな強さを持って復帰。

【Pinnacle Number】28歳から36歳:#9
よい環境、人の中に身を置き自己の信念を固め才能を発揮する時期。
引退後、幅広く人と交流しし始め、3から10歳までの子供を対象にした『キッズテニス』を展開する
テニスを通じて、楽しいと思う気持ちが変化をもたらすこと伝える活動を世界子供たちに伝え、自らも
その楽しいから自分の進化、チャレンジが生まれることを改めて知る。
【Pinnacle Number】【Challenge Number 】37歳から45歳:#10―#1
不要なものを整理して、新しいステップへ焦点を定め明確な目標作りをする時期。
37歳で現役復帰を決める。20代のときとは違い自分に打ち勝つ内面をつくり、ただテニスがしたい、
挑戦することは楽しいこと、本気で挑戦できるのはテニスしかないという真の心の叫びで新たなテニス人生を始める。人に自分にPowerやエネルギー循環させることをが、自分にも自分以外の人にもいい循環を生むことを知る。

【Challenge Number 】28歳から36歳:#7
『精神性への目覚め』本来の自分を内省し、精神の充実を図り平穏さを保つことが課題であり、
38歳の復帰のとき、ブランクの11年間に自分の心の殻を解放し、それは心の声と身体の声が聞けるようなった。そして自分を俯瞰し、冷静な判断で落ち着いた無駄のないプレーをすることが復帰後20代とは違う自分のテニスをすることができるようになったと語る。



-28歳から45歳-

【Cycle Number】【Pinnacle Number】#17-8:秩序
冷静な思慮深さを養い、より高い新しい可能性を開拓していくこと時期。
46歳で左穂座半月版の手術を2度する。再びプロテニスプレーヤーとしてコートに立つためにそのせんたくをした。そこに会った彼女の思いは『元気にテニスをしたい・姿を見せたい』というおもいだけだった。
復帰後、自分がテニスを通じて、多くの人が変化したことを実感し、それをかの自信がほんとにうれしいと思う気持ちが、自分のために挑戦し続けてきた彼女が、今度は自分が元気でコートに立つことが、多くの人の変化する一歩につながるというまた新たな彼女の進化した表れではないかと思う。

【Challenge Number 】#1 
大いなるエネルギー感じ滞らせないこと、正しく導くことがこれからの課題になて繰るのではないでしょうか。それは【Cycle Number】【Pinnacle Number】で自己から集合体意識への変化の時期であるから、
よりこの課題が重要になってくるのだと思います。




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1976年(6歳)テニスを始める。#6
1989年(19歳)プロテニスプレーヤーに転向。#9
1990年(20歳)全豪オープンでグランドスラム(世界大大会)初のベスト16入り。#11(サイクル4)
1993年(23歳)全米オープンベスト8入り。#5(サイクル5)変化サイクル
1994年(24歳)日本人選手初のWTA世界ランキングトップ10入り(ランキング9位)を果たす。#6
1995年(25歳)WTAランキング4位。#7
1996年(26歳)有明コロシアムのフェド杯にて当時WTAランキング1位グラフに勝利 #8
1996年(26歳)現役引退。(引退時ランキング8位)#8
1998年(28歳)3から10歳までの子供を対象にした『伊達公子とテニスであそぼカモン!!キッズテニス』を展開 #10(サイクル5)
2001年(31歳)レーシング・ドライバーのミハエル・クルム氏と結婚。#13(サイクル5)
2002年(32歳)国際協力機構(JICA)オフィシャルサポーターとして任命され活動開始 #14(サイクル5)
2008年(38歳)プロテニスプレイヤーとして【クルム伊達公子】名にて復帰。#11(サイクル6)
2008年全日本選手権シングルス・ダブルス制覇。#11
その後、挑戦の場を、世界に移し、世界ツアーに参戦。WTAツアー優勝回数8回。
2016年9月 ミハエル・クルム氏と、別々の道を歩くことをお互いに話し合い離婚。#10(サイクル7)2,016年公私とも次の段階への準備にはいったのかもしれません。チャレンジし続ける伊達さんの次のステージーが楽しみです。
2016年(46歳)1月までWTAツアーに参戦。同年2月左膝半月板の内視鏡手術。#11(サイクル7)
そして4月選手復帰の為、再手術をし、現在リハビリ中。





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リーディングして・・・
今回、彼女をリーディングしたしていく中で【Birth】誕生数9は1-8の統合した数字ということが
実感しました。そのため感情のゆれが大きいと、感情のゆれが大きいということは、自分がぶれやすい。
プロテニスプレヤーはメンタルのスポーツ言われるほどのメンタルが大きく左右するスポーツ。
プロとして世界でプレーしていく中で、どれだけぶれない様に自分を内省し、その上、常に進化する強さを持つ為に、地道な努力を日々してきたかを痛感しました。

でもそこにはただ楽しい、好きだから、しやりたいからというシンプルな思いだけであったこと。
自分が楽しいという思いが、どれだけの力を持つのか。それは自分だけでなく多くの人を変化させる力になることを改めて思い知らされました。そしてこのレポートは私に必要なことを気づかせ、またいやおうなく自分を内省させられたか事かをこれを書き終えた今思います。

そして私の課題に目をそらしていたことを洗い出されたようでした。私も日々コツコツ努力を積み重ねていくことが必要、あきらめない、自分で限界を設定しないことを覚悟をきめてしていかなくては、と次の段階に行く為にと痛感しました。そして変化する一歩の勇気を私ももらったように思います。



Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th class
Akiko in Bunkyo class
by kej000 | 2016-12-26 21:56 | 数秘レポート