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カテゴリ:おもしろ数秘学( 23 )

Aeons Numerology Class

数秘学関連講座のご案内

アイオンズの数秘学関連の講座のご案内と説明をさせていただきます。


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Aeons Numerology Basic Course



先ず最初のステップは、数秘基礎講座です。
毎年、春分と秋分あたりに数秘学講座の参加の募集をさせて頂いております。
2017年、冬は、数秘基礎コースの12期生様の募集となります(祝!☆12期生☆)


● 数秘学の歴史
● 1−9までの数字の意味を識る
● 個人のコアナンバーの意味とリーディングの方法
● マスターナンバーとカルミックナンバー
● 生命の木
● リーディングセッション実践練習 数回
● 自分史の作成 
● 数字の逆相
● ヌメロロジー計算ソフトの解読法
● 数秘による相性の見方
● タイプ資質と特化項目によるリーディング
● 基礎科修了レポートの発表

以上のカリキュラムを全10回コースでお伝えしてまいります。


時間: 13時から17時まで
場所: 横浜クラス 埼玉クラス 板橋クラス 東京クラス
受講費:6000円(再受講は半額)

基礎科では、欠席は通常、認められません。
欠席回は他のクラスでの受講で代講をお願いしております。
また、2回まではプラス1000円にて、DVDでの受講が可能です。




アイオンズの数秘講座の特色は

*カウンセリングやセラピーに使えるスキルの習得を目指す
*自己認識を高め、潜在能力を発揮していくこと
*秘教・カバラの教えより、真理を学び、実践すること

を目的としてプログラムを構成しております。
基礎科では、簡単な3次元Levelでの現実に則したリーディング方法について学んでいただきます。
その後、修了した方は、アドバンス(4class)へ進むことが可能です。




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Aeons Numerology Advanced Class

アイオンズ数秘講座の大きな特色として、
10から22までの二桁の数字を学んでいただくことが可能です。

数秘学が三次元に対応する数字のヴァイブレーションだとすると
その後のUniversal Numerology は、この三次元と同時に存在する
多次元の数字のヴァイブレーションとなります。
この表裏一体を読み解くことで、全ての答えが導かれます。
そして、この二桁の数字たちはこの三次元と多次元の橋渡し的な
ヴァイブレーションとなっているのでありました。

特に、その方の現在の状況や、生まれ持った使命などを読み解くこと。
また、私たちが生まれてきた意味にまで遡り、そこに隠された
根深い問題やパターンにフォーカスすることが可能となります。

また、この二桁の数字には、カバラでいう探求の道筋の意が
こめられています。それは私たちが「ほんとうの自分」へ自己回帰していく
道筋でもあります。宇宙の真理(Universal Truth)です。
学びを深めつつ、深淵なる世界へご案内いたします。


● 二桁の数字の意味とその流れ(10−22まで)2class

二桁の2回の授業を受講された方は、次のカバラ応用のクラスへ進級が可能です。

受講費:●8000円 (再受講は半額)




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Universal Numerology


数秘基礎が3次元であったのに対し、こちらは多次元(宇宙次元)での数字の解釈を学んでいきます。生命の木とは何を物語っているのか。この地球に存在する全ては表裏一体。仮に3次元を表とした場合、この多次元が裏となります。そして、この裏・・目には見えないところにこそ、宇宙の秘密が隠されているのでした。こう考えていくと、数秘は或る意味では、このUniversal Truthへ至るためのステップであることにすぎない・・さらなる深淵なる世界へ歩を進めてまいります。



私たちはどこからきて、どこへ行くのか?

秘教といわれる「カバラ」を紐解き、生命の木に隠された神秘『宇宙の真理(Universal Truth )』を学んでいきながら、あらゆる次元、角度、視点からのリーディング・スキルを養っていただきます。

そしてもちろん、この宇宙の真理を知識だけではなく、実際に体験していただきながら、ご自身で先ずは「自分自身へ還る旅」へ。

人生を根源から変えること。
自分の人生をクリエイトすること。
自分が自分の人生の主人公になること。
ほんとうの自分を識ること。

同じ志の仲間がなぜか集います。
「ほんとうの自分に還る」こと。
宇宙の理を知り、その理に生きること。


全11回となります。

*欠席は2回まで。それ以上ですと退会扱い、
 または次期クラスでの参加をお願いしております。

受講費:8000円(再受講は半額)





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神託としてのTarot


全ての学びを統括する体系としてのタロット講座です。
古代、タロットは「神託」として使われておりました。
吉凶を占うのではなく、あくまでも宇宙の理(Universal Truth)を基盤にあらゆるシチュエーションを読み取り、根本に隠されているポイントを掴む力を養います。

最小限の知識とたくさんの実践により、右脳と左脳をバランスよく使いながらリーディングする方法を学びます。全12回です。

受講費:8000円(再受講は半額)




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卒業生用プログラム

この全ての講座を修了された方の次のステップとして

☆ マスター試験
☆ 個別スキルアップ指導プログラム
☆ 指導者育成プログラム Teacher's Course

があります。
さらなる活躍の場を広げられるよう、支援させていただきます。




マスター試験


各期修了日の翌週に、プロとしてのスキルが身に付いているかどうか?・・の
スキルテストを受験することが可能です。

★セッション形式による試験
・スキルは、数秘、ユニヴァーサル・ヌメロロジー、タロット(多次元占星術)
・45分の質疑応答
・その後、10分の講評
・クライアントによるアンケートの記入


審査の基準は以下の通りです。

○ クライアントの相談・要望に的確に答えているか?
○ プロとしての心構え、品行、服装は妥当であるか?
○ 吉凶占いではなく、理に基づいたカウンセリングが行なえているか?・・等々。


受験資格:
・数秘関連全行程を修了していること。
・何度でも受験可能です。

受講費:
・最終課程の講座料金(¥8000)

合否:
・合格者には、Aeons マスター資格を授与
・特典は、全講座が再受講費のさらに半額など



個別スキルアップ指導プログラム


前々からリクエスト戴いておりました、卒業生のための
スキルアップ・指導プログラムです。
ティーチャー制度のスキルアップ・プログラムに準じた個別指導を、希望者に開催します。

*10名のチャートをご用意の上、自力でリーディングをした上でお持ちください。
*全1日をかけて、その方のリーディング・スキルの見直しやアドバイスを徹底的に指導します。

日程:10時から17時まで(途中、昼食休憩含む)
金額:¥30000(¥3000/1名x10人分)



     *    *    *


アイオンズの講座は、
単なる知識の提供に留まらず、実践していくこと。
感覚を駆使していくこと。
あらゆる角度から、時間をかけてじっくりと「理解」を深めていただけるよう
プログラムを作らせていただいております。


ご縁ある方の受講を心よりお待ち申し上げております。
ありがとうございました。


                                2017年2月末日改訂
by kej000 | 2016-08-28 09:12 | おもしろ数秘学

数秘学 Teacher's program の設定について

数秘学 Teacher's program 


本日は、数秘学の指導者育成プログラムについての詳細を記させていただきます。


目的>

*数秘というツールを通して、これからの時代に必要な「個の認識を高める場と設定と伝達」
*専門的知識を多角的に学び、究めること(プロフェッショナルとしての在り方の育成)
*自らの闇を光に変え、同じ闇を持つ者に光を照らしていくこと
*特に女性の、精神的、経済的な「自立」の手段の基盤をつくること
*教師として、さらなる「自己の在り方の確立」を目指すこと


経緯>

数秘からカバラへと学び、この世の中には、法則があることを知りました。
すなわち、Universal Truth です。それを体験していくにつれ、私たちは、個からもっと大きなフィールドへ、調和の世界へ向かっていくことを感じています。その中で、私ができることは何か?・・それを考えた時に、自分が長年培ってきた知識を、敢えて後継者に伝えていくことだという思いに至りました。
そして今、その思いを引き継いでくれようとする人びとに、私は恵まれています。
感謝という言葉では到底、現すことができない大きな歓びです。

鹿乃子 拝



::::::::::::::::::::::::

以下、2016年8月26日現在の記録です。
施行後、変更があった場合は、随時、修正して記しますので、予め、ご了承くださいませ。


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Numerology Teacher's Program


受験資格>

*数秘基礎科修了(10credits)
*数秘アドバンス修了(2credits)
*Universal Numerology 修了(10credit:但し、カバラ・クラスで代用可)
*神託としてのタロット修了(12credit)
*カバラ占星学・修了(2credit :但し、占星学基礎クラス、または星のWSで1credit代用可)

注)タロットを学ぶ?不思議に思われるかもしれませんが、タロットを通じて、数字に隠されているヴァイブレーションと流れのSTORYを追うことで、数字の理解が爆発的に高まります。
占星学は、各、天体についての説明をいたします。生命の木の各セフィラには、それぞれの天体のヴァイブレーションがのっているのです。それによって、更なる多次元の理解が深まります。


以上、必要単位(36credits)を修了されている方は
Teacher's programへの受験資格があるとみなします。

これに加え、時間や金銭にルーズな方、
状況に応じた適切な対応ができない方等は、お断りする場合がございます。



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受験課題>

1)20〜30名のリーディング・レポート

課題のリーディング・セッションは基本として30分から1時間。
タロット使用の場合は、45分から〜1時間程度。
金額は、3000円を最低限として受け取ってください。

10名に達したところで、フルDayのカウンセリング•レポートの発表をしていただきます。
レポートには、所定の用紙へのクライアント様からの感想およびご意見をいただいてください。
セッションの進行を口頭で伝えるようにご準備いただき、チャートの添付をお願いいたします。
また、セッションは録音を残してください。提出をお願いする場合がございます。

10名レポートの発表の代金は、3万円です。
(セッション料金、3000円X10名と同額の料金となります)

この行程を続け、最終的には、全てのセッションが合格するように・・こちらから的確に、かなり厳しめにアドバイスしてまいります。20名を終えた時点で、今後のお話をさせていただきます。もしも、合格点が30人経過でなされない場合は、ケースに応じて、追加のレポートをお願いする場合があります。(遠隔者の場合は、15名まとめてなど考慮いたしますので、お申し出くださいませ)

金額:最終的には、3000円X人数分の金額をお支払いいただくこととなります。


2)実技テスト

実際に、クライアントを前にしてのセッション・テストを行ないます。
30分セッションX2人。
審査員は、2名くらい。総体的な評価が成されれば、合格です。


3)考え方、捉え方、理念のインタビュー

こちらは、基本的に(2)の実技試験と同日に行ないます。

*占いや未来予想に留まらない、リーディング、ティーチングを可能にしていけるか?
Universal Truthに基づいた考え方が成されているか?等を面接させていただきます。

金額:未定(審査員の方々への報酬も含め、検討中です。そう高くはなりませんのでご安心ください)


実践研修>

以上を経験された方については、以下の研修を行ないます。

*数秘クラスでの実践研修(2〜数回:個人による)

金額:無料です。
但し、全てのプログラム授与時に手数料1万円を申し受けます。


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全てのクレジット、及び必須項目を修了された方に、
AEONS Numerology Teacher 資格の認証を授与いたします。


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資格認証者のベネフィット>

*数秘・基礎クラスを個人で自由に開催可能です。
*アイオンズの数秘基礎科クラスで使用しているレジメ、資料のデータ一括授与。
*アイオンズの数秘関連講座をいつでも1000円で受講可能
*2ヶ月に1度のTeacher 交流会で、現状のシェアをいたします。
*基礎科終了された生徒さまにおいては、本部アイオンズ・数秘アドバンス、2桁、及び、Universal Numerology 等の講座への参加が可能です。


以上。

先ずは「究める」ことへの、覚悟。意志、強さ。
そのあたりが一番大切なことなのだと感じております。
その結果として、教師となる。
その在り方が一番、求めていること・・に他なりません。

全て、個人ベースでの申請となります。
ご相談、ご質問は、鹿乃子までお気軽にどうぞ^^

ありがとうございました☆




by kej000 | 2016-01-06 16:22 | おもしろ数秘学

文豪の葛藤*太宰治・・・数秘学で読み解く深層心理

アイオンズ数秘基礎クラス・第七期生の修了課題レポートです。

このレポートは、小さい頃からの太宰ファンと自称する彼女が、太宰治という、その人の内面の葛藤に迫る、繊細な深層心理にまで至るリーディングにより書き上げた特筆すべきレポートでもあります。




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太宰治


作家】太宰治(1909.06.191948.06.13

本名 津島修治(つしましゅうじ)

生年月日 1909619日生~1948613日没

青森県北津軽郡金木村(現:五所川原市)の県下有数の大地主の第十子六男として生まれる。


Birth Number

17-8.

Destiny

6

Soul

10-1.

Personality

5

Realization

14-5.

Stage

4




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●【Birth】誕生数 17-8

情熱的で洞察力があり現実的。カリスマ性があり地位や名誉を大事に思う、とてもパワフルな組織的なナンバーです。

ですが、悩み深く、衝動的で利己的、反権威主義、自己制御力の欠如のような部分も併せ持っています。

太宰にとって富と権勢の「津島家」は、家族や家庭というより「絶対的な支配者(父や兄)の元での裕福な小社会(組織)」であり、それ故に本当の社会に接するとき葛藤が起こり自分の生と将来の存在価値を疑い悩みが多かったようです。

17のキーワードの自己信頼。太宰の人生にとってかなり大きな課題であったと思います。

また金銭面については、29歳の結婚を機に自分で稼けるようになっていきます。


14歳の頃に井伏鱒二氏の「幽閉」を読んで深く感銘した太宰は、ずば抜けた文才を生かして「感銘した」という想いだけで終わらせるのではなく、小説やエッセイを書き始めます。

そして16歳の頃より、文学仲間を糾合して同人誌「蜃気楼」の編集兼発行人を務めます。

情熱や実行力、リーダーシップ、自分が中心となり人を集めての同人誌運営などの組織的なところ等、8の持つ特性が出ているのではないでしょうか。



●【Destiny】運命数 6

6は調和、美・善・真

人間関係、恋愛、特に家族からの学びのナンバーといわれています。

太宰の父親は仕事で忙しく母親は病弱なため、乳母や叔母、女中に育てられたため

親の愛を知らない少年だったようです。

6は相手を通して鏡にして、愛や人間関係を学ぶものだと思います。

幼少期にそれを学ぶことができなかった彼は、自分の存在自体、あるがままを愛されるということを知らず、愛されたい気持ちが人一倍強かったのだと思います。誰かに自分が必要とされることで存在意味や価値をはかり、自分を否定されると猛烈に反撃しています。

彼が本当の自分を愛していない、信頼していないところからくるものだと思います。


懇意にしていた地方にいた芸妓さんに身請け話が出たとき、動揺して東京に呼び寄せたといいます。名家の息子が芸妓を呼び寄せたと郷里で騒ぎになり本家から除籍にまでなったそうです。愛されたい気持ちが強い太宰は、自分がしてほしいことを彼女にしたのではないでしょうか


●【Soul】ソウル数 10-1

内面性や価値観をあらわす数字です。

カルミックナンバーの10は、一般的に裕福なお家で育ち苦労が少ない人生なのにあるとき別の人生に向かう・・・再誕生のナンバー。

1で見た場合は、行動力があり、頭の回転が速く、リーダー気質、ピュアな心

幼少期は、勉強もできて持ち前の茶目っ気でクラスの中心人物で、級長になり人気者でした。


●【パーソナルナンバー】人格数 5

5の特徴として変化、自由、多才、話術にも長けていて、外見や中身両方で魅力的な人が多いナンバーです。

彼の写真やエピソードを見る限り、はやり生まれもった外見と才能のオーラとチョイ悪だけど憎めないキャラクターに魅了された人多数だったようです。



●【Realization】実現数14-5

14-5 14錬金から、二極の異なるものや人を上手く取り纏め融合し、変化のある自由な世界を切り開いていける人です。

そこから、カルミックナンバーの14、本当の自由とは何か?が課題となります。



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~太宰治の人生年表~


太宰の人生での気になる大きな出来事をピックアップして、見てみたいと思います。


●【サイクルナンバー】どのようなことを学ぶ時期か ※没年が38歳のためここまで


★《0歳~28歳 ナンバー6

人間関係や愛について学ぶ運命だったようです。

太宰は28歳までに4回自殺未遂しています。

それぞれ表面上の理由は違うようですが、人に愛されたいと思いながら、自分で自分を愛してない、自己信頼ができていないことが原因だったのではないかと思います。

★《29歳~46歳 ナンバー10-1

10-1は、人間関係を学んだあとは、不必要なものはなくし気持ち新たに出発しましょう。目覚めのナンバーです。

また、カルミックナンバーである10は、ある時期まったく別の道へ進むことにもなる。とも言われています。


29歳のときに、井伏鱒二氏の紹介でお見合い結婚をすることになります。

この結婚を機に、何度も失敗した自殺未遂から立ち直ろうと新たな決心をしました。

精神的に安定した結果仕事も順調で、「走れメロス」「お釈迦草子」「富獄百景」「斜陽」「人間失格」などすばらしい作品を残す時期となります。


●【ピナクルナンバー】どんな状況の時期か


★《028歳 ナンバー7

7は内省と探求のナンバー。色々なことを学んで知識・知性を深め、自分は何がしたいのか、何を求めているのか、しっかり考えなさい。ということ。

★《29歳~37歳 ナンバー2

2は受容です。物事をそのまま受けいれ調和を大切に。協調性やバランスの大事さを学ぶ状況だったようです。

★《38歳~ ナンバー9

9はドラマチックなナンバー。核が見つからないと、グラグラ揺れてしまいます。精神的に成長しないといけない状況の時期。


【チャレンジナンバー】与えられた試練や今回の人生での課題


★《028歳 ナンバー5

キーワードは自由と勇気。変わることを恐れないで勇気を持つこと。

★《29歳~37歳 ナンバー9

9は不必要なものは手放し、本質を見抜いていくこと。そして変容。

自分の軸をしっかり持たないと、揺れてしまいます。

この時期、いかに見極めていけるか。

変わりたいけど変われない。

変わるにはエゴを捨てなければいけない。本当に大きな課題だったと思います。

★《38歳~ ナンバー4》

4は基礎固め・土台のナンバーでもあり、コツコツとまじめに物事を進め、現実の側面を体験して学んでいきます。



【イヤーサイクル】


14歳 ナンバー224

太宰は14歳の時、井伏鱒二の「幽閉」を読み「座っていられないくらいに興奮した」といっています。

22は無から有を作るナンバー。この時無意識に作家への道に気づいたのではないでしょうか。


16歳 ナンバー15 

この頃から、小説やエッセイを級友と同人誌を作り発表し始めます。

芥川龍之介や泉鏡花に憧れ、作家を志望するようになります。

サイクルチェンジされた年です。

15はライフワークに目覚めたものが夢を拡大する時期。

太宰自身は作家がライフワークとは気がついていなかったとは思いますが、夢への第一歩を踏み出したのがこの頃のようです。


19歳 ナンバー189

18歳のとき、敬愛している芥川龍之介氏が自殺してしまいます。

これに大打撃を受けた太宰は、勉強がおろそかになり義太夫、花柳界、読書三昧など明らかに今までの優等生から違う方向へシフトしていきました。

ですが、19歳のとき、「細胞文芸」という同人誌を発刊し創作活動を再開します。

この「細胞文芸」は太宰文学の原点といわれており、この時期に文学に生きる覚悟を固めたようです。

18は二者択一のナンバーです。文を書くことをやめるか、続けるか。太宰は作品を通して、自分の考え・意思・思いを吐露していく道を選んだのだと思います。


20歳 ナンバー1910

この頃急激に左翼思想に傾斜していき、自分が資産家の息子であるという自己出身階級に悩み、また「家」との関係、特に兄との関係に悩んだ末とおもわれる、単独で第一回目の睡眠薬による自殺未遂を起こします。

19は否定的要素の克服をする年。カルミックナンバーでもある「19」は家族や自分の殻から抜け出ようともがき、また悪癖の耽溺や過度の不安や傷つくことを恐れてしまうのを意味するナンバーでもあります。

ソウルナンバーに10を持つ太宰。10は生命の木でいう一番下、現実社会を表し、変化の波がやってくるナンバー。だから余計、自己不信や不安が大きくなったのでしょうか。

自分の思うようにならず、自分の理想とするものと現実のギャップに悩み、だした結論が自殺。安易な道(死)によって清算はできてない。と神様からのお告げにより未遂で終わったのでしょうか。


21歳 ナンバー202

太宰は屈折した罪悪感(実家からの仕送りで豊かな生活を送る一方、それに対する自己嫌悪や生い立ち)から、8のアマチュアにもある「反権威主義」、左翼運動に没頭し、反帝国主義学生同盟に加わり、シンパ活動にはまります。

かねてより付き合いのあった芸妓を上京させ(運命数6のところの話)、本家の除籍等を条件に結婚を承諾してもらい、その芸妓と結納を交わします。

ですが、除籍(義絶)の真意はシンパ活動にあったことを知った太宰は、なぜか3回しか会ったことない女性(田部シメ子)と心中を図りました。(二回目の自殺未遂)

シメ子は亡くなり太宰は生き残り、後々まで心の傷となる事件になったようです。

イヤーサイクル20は、共依存・依存に注意であり、境界線がない時期でもあります。

この心中事件は、さまざまな要因が重なったもので偽装ではないかとも言われています。

なぜシメ子と太宰が心中を図ったのかは、未だにわかってはいません。もちろん何か心に共感するものがあってのことでしょう。ですが、自己中心的な要素を持つ1や、愛の部分での6からみて、「除籍についての兄への不信感」「経済的な不安感」「親に認められたい」という太宰の幼稚な駄々をこねるような見境のないパフォーマンスにも取れていまい、それにシメ子が巻き込まれた気がしてなりません。

またイヤーサイクル18のときに「文学の道へ進む」と決めていながらも、その後もエゴの手放しがなされなかったために起きた事件ではないでしょうか。


  • 23歳 ナンバー22(誕生日前)

この年に小説としては初めて「太宰治」の名前で作品を発表します。

ナンバー22。夢の実現、無から有に向かう数字です。

14歳の頃のサイクル22で無意識に作家の道への一歩を踏み出し、この年で執筆名を「太宰治」とし乙種懸賞創作入選を果たし賞金を得ました。

作家という、ライフワークへ本格的に一歩踏み出したのがこの時期のようです。


また「太宰治」の名前の由来としては、「太宰」については、①同級生の苗字から取った説②万葉集の大宰権師大判から取った説があり、名前については本名の「修治」はどちらも「おさめる」なので2つもいらない。とのこと。深く考えて命名したものではなく「なんとなく」のようです。太宰の持つソウル1の直感的なものだったのでしょう。


  • 26歳 ナンバー 誕生日前 246

     ナンバー 誕生日後 167) ★サイクルチェンジ

お誕生日前、3月に3回目の自殺未遂。今回は単独。

大学へは行かず文学に勤しんでいたため授業料未納で大学は除籍、兄への申し開きのために受けた新聞社の入社試験も失敗し、自殺未遂を起こします。

24→長い間、兄にお金の面を含め庇護されて安定して生活していたが

自分の自堕落的な生活により除籍、言い訳のために受けた入社試験は不合格。どちらも自分のせい。依存の強い人生を送っていましたが、とうとう言い訳がきかない現実問題として現れます。そこからまた逃げるために自殺未遂を起こしたのでしょう。


誕生日後の16-7

サイクルチェンジをした26歳。「逆光」が芥川賞候補に挙がります。

ですが、結果は落選してしまいます。

16はタロットで言うタワー。破壊の年です。自己破壊的になることもありますが、自己改革の年でもあり仕事の情熱が高まり、とても高い理想を抱きます。

太宰は極端に自分を否定されることを嫌います。川端康成の「芥川賞」の選評を読んだ太宰は憤慨し文芸誌上で反撃しています。

憧れの第一回芥川賞候補になったが落選し、この頃より薬物中毒になってしまいます。

薬物中毒により周りに多額の借金をし、強制入院となってしまいます。薬物中毒は治癒しますが、入院により人格を否定された屈辱感と敗北感で人間不信に陥ってしまい、中毒は治癒したが心に深い傷が残ったことを窺わせ、退院直後に「HUMAN LOST」と題し日記風に綴り自らに人間失格の烙印を押したそうです。(これが後の「人間失格」の元になる)

この時、入院や治療に関わった人々からすれば、放置すれば太宰の肉体も精神も、作家生命も社会的存在としても破綻が見えており、治療を最優先したのは当然のことでしたが、太宰からしたら人間性の剥奪に繋がると思ったようです。

16のこの時にこれだけ大きなことが起こった時点で、周りに対しての怒りや自分の感情の根源にある甘えや依存というエゴの開放が必要だったのではないでしょうか。


28歳 誕生日前 ナンバー178

4度目の自殺未遂。今度は内縁の妻、芸妓だった小山初代が姦通を犯し発覚。そのため二人で心中しようとするも失敗。

この心中を題材に「姥捨」という作品があり、事実に沿うが事実そのものではないがそもそもいつの頃からか初代と別れたかったので、前年の入院と姦通を理由にしたいとの思惑が睡眠薬が少量というところから見て取れるため、この心中は本気ではなかったといわれています。

16での破壊の年にエゴの開放や不必要なもののそぎ落としがなされなかったため、また破壊的現象を起こしてしまったのだと思います。

178でもあるので現実問題に出てしまったのと、太宰のバースが8でもあるので直面すると衝動的・利己的になりやすいのかもしれません。


30歳 ナンバー1910

イヤーサイクル19、太宰のソウルナンバー10-1。誕生日19

太宰の人生で2回目の19です。

この年に井伏鱒二の紹介で結婚しています。

この時期の太宰には色々なことが一大決心だったと思います。イヤーサイクル19で見ると、新しい家族ができて否定的要素を克服した年。

10の結婚は○といわれています。

すさんだ生活をしていた太宰に、井伏鱒二らが再婚しかないと世話をします。



紆余曲折の末、結婚するに当たり文学一筋で身を立てるために借金の整理と、過去何度も失敗した自殺未遂から立ち直り奥さんを一生かけて守っていくと決意し、誓約書まで作成しました。

この結婚をするに当たり、特に実家からの支援打ち切りは、甘えの多い太宰にとってはとても重要な出来事だと思います。

太宰にとってとても大きな変化であり、今まで兄から受けていた支援もなく自立を促され

地に足を着ける方向へ進み始めます。精神的にも安定し薬物中毒もなくなり、この頃から「愛に満ち、明るさと温かさが溢れ、文章は平明でわかりやすく人々の心を慰める花のような感じ」な作品が多く、今までの病的、不健康のような退廃的な暗いマイナスイメージは無く、「太宰が自分の新しい生き方の見本、新しい理想像を書き出した」といわれています。

子どもの頃よりなんだかんだ実家の富や、親兄弟の監視の下、大人になっても自立できず文句を言いながら恩恵にあずかってることが原因で、自分が囚われていることに気がついていなかった太宰。

カルミックナンバー10は、再誕生のナンバー。ここで完全でなくとも、少しは清算が行われたのかと思います。


38歳 ナンバー 1910

「斜陽」「人間失格」を執筆・発刊

山崎富栄さんと心中自殺 

ちょうど帰京した年(イヤーサイクル17)のあたりから、平穏だった結婚生活も一変したようです。

作家として売れっ子になり高収入にはなったものの、そもそもがお坊ちゃまだった太宰の金銭感覚のズレで交際費や飲食代で家計は火の車、且つ想定外の多額の納税問題からの逃避、太宰は多忙で妻美智子は子育てに追われ家は荒れ果て、妻子を思いながらもいたたまれず仕事を理由に家を出て、半ば逃げ場としての二人の愛人との関係、文学活動における有力者への反発、生き方の違いが鮮明になり旧知の友との確執、新たな文学・出版関係者らとの付き合い、饗応に伴うストレスや自身の体調不良などが重なり、心身ともに疲弊の極みに達したようです。

最後の心中の理由は、①創作の行き詰まり ②山崎富栄の死の覚悟 ③心身共の長期療養計画 といわれていますが、はっきりしていません。

太宰は、たった39年の人生で自殺未遂・自殺が5回。

客観的にみて太宰自身に軸がなく、自分愛、自己信頼がないところから来るもの、極度の依存だったような気がします。バース17-817に移行できず、8でもがき続けてしまったのでしょうか。


今回の心中はお誕生日の1週間前だったので、イヤーサイクルは20で読みます。

20は審判のとき。

お金や愛人というのは、実のところ太宰にとっても最重要項目ではなく、

人気作家になったことで作品への注文や批判、私生活に対する非難、誹謗、中傷。そうした圧力は文学とは無関係であり、作家として純粋に作品に情熱を燃やしそのまま燃え尽きることを望んだとしても、周囲がそれを理解してくれない。との思いがあったのではないでしょうか。

太宰は上記のような圧力に対して「如是我聞」(太宰の連載随想)で猛反発したといわれています。ですがそれを理解者であった井伏にまでも執筆中止を求められ、意思や行動を束縛するする不条理に悩んだそうです。

帰京してからの23年間は、太宰の作家としての名声とお金は手に入れることができたのと引き換えに、分かっていながらも自分の思想を貫き通すことができず、結果本当に太宰が求める思想に反することをすることになり、もがいた晩年だったのでしょう。

時代なのか立場なのか、イヤーサイクル1820の間にしなければいけない常にエゴと向かい開放する作業どころか、自分が手放さなくてはいけないエゴと他人からのエゴの両方を背負ってしまったのかもしれません。

そして自分軸が無いため一番弱い依存心と甘えが、富江さん太宰と離れなくないという思いと太宰の現状から目を背けたい気持ちがリンクした結果だったのでしょう。




Reported by Yoshiko Takada

Aeons Numerology Basic the 7th class


by kej000 | 2015-03-06 23:10 | おもしろ数秘学

極北の旅人*写真家・星野道夫・・数秘学でその人の人生を読む

アイオンズ数秘基礎科第7期生のレポートで綴る
写真家・星野道夫さんの世界です。
アラスカに魅せられた、魂の鼓動が聴こえてくるような
そんな素晴らしいレポートになっております^


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星野道夫 

Michio Hoshino 

1952927日生


Personality


誕生数  8 35

3の楽しさとから始まったことを変化させていく 自分の力を信じてより高くより新しい可能性を開拓していく人 開拓した自分のオリジナリティーが8の持つ循環で自分だけでなく他者をも豊かにしていくことのできる人 向上心と直感力で現実を変えていく力があります。

5の持つ好奇心を知恵に変えて行くことができれば8の繁栄は約束されています。 変化は不安定と表裏一体なので、不安定さをどう克服していくかも彼の課題でもあったかもしれません。 

好奇心と情熱!少年のような無垢な気持ちと行動力で果敢に未知の世界に飛び出していきました。そのためにしっかり計画し実行して やりたいことを実現させていきました。

繁栄とは?豊かさとなにか?も彼の命題 アラスカに住んだ17年間の間には、金銭的にはとても大変な時期 試練もたくさん経験したことでしょう。

8は夢想家の数字でもあります。子どものころはくまのいる森 大学生の時はアラスカを夢見ていました。彼はアラスカに恋い焦がれてアラスカにわたり、アラスカでの最後の数年間は神話の世界を夢見ていました。



子供じみた考えなんですけれども、自分が全くいない、消えた状態で、上からそっとでもいいから、山の中を歩いているクマを見てみたいなあ、と思った。今この瞬間くまは自分とは関係なくどこか山のなかを歩いている。それを見たい。でも自分がそこにいたら、もう出会っちゃっているのだから自分のいない状態でクマは見られない。その自分のいないときのクマを見てみたいという憧れがあって・・・そんな風に思うとなにか現実の世界が漠漠としたものに思われてくる・・・・なんだか子供じみた、それだけの話なんですが・・・               インタビュー記事より



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運命数 destiny number 10-1

創造性豊かに新しい分野を0から構築した分野が人類の霊性を高めていくのに貢献することが、彼の使命。一人で何かをやりとげ、自分の創造性を余すところなく表現すべくうまれついた人 1は決断力の数字 決断力はアラスカでのサバイバルで磨かれていきました。

1の持つ開拓者精神と行動力 計画力で、自分の運命を自分で切り開いていきます。彼の創りあげた世界が、人々の霊性を高めるということでは、まさに彼の写真はそういう写真といえると思います。

人格数 personal number 101  

責任感のある人 明るいが、人見知り 性急さと短気な側面 性急さはうまくいくとタイミングを逃さない Pureなかんじ 急に機嫌が悪くなるとか?すごく陽気な面をもっているのに、すぐに落ち込むとか?子供っぽさを残す人だったかもしれません。 (よくも悪くも) 



このあとの3つの数字はすべて9 

実現数 realization number 9 

いらないものを手放して 自分と他人すべてを許すこと 自分だけでなくそれを超えて、混沌の中から人が自分の道を見つけていくこと 覚醒の道を歩むことを手助けすること 


ソウル数  9 内面の声や価値観のめやす

9は博愛の数字 自分の中の崇高さを感じる。 自己回帰して 深い慈悲の心を持ち真我を生きていくこと 悟りとは何か?内的探究をつづけて この世にいて覚醒すること 悟りを経験したい魂 

アラスカの大自然に身を置いたことは  彼の自己回帰の速度を早めていきました。



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☆生きるものと死すもの 有機物と無機物その境はどこにあるのだろう。 

☆目に見えるものに価値を置く社会と見えないものに価値を置くことができる社会の違いをぼくは思った。そしてたまらなく後者の思想に魅かれるのだった。     

☆ぼくは人間が究極的に知りたいことを考えた。1万光年の星のきらめきが問いかけてくる宇宙の深さ 人間が遠い昔から祈り続けてきた彼岸という世界、どんな未来へ向かい、何の目的を背負わされているのかという人間の存在の意味・・・・・そのひとつひとつがどこかでつながっている気がした。                        森と氷河と鯨より



ステージナンバー 9 活躍の舞台

これも9番 

人類愛 地球愛 宇宙愛 全体意識に貢献していく  人類を自己回帰 覚醒に導いていく舞台が彼のステージ 



インタビューの中でこんなふうに語っています。


「ぼくは生物学者でも人類学者でもなくて、ごく普通の人間がだれでももつような思いがあって、いってみればどうして人間はここにいるのか?そしてどういう方向に行こうとしているか、ということだと思うんです。人間という種の不思議さ。自分が生きていることの不思議さっていうのかな。そういう意識がいつもどこかにあるような気がします。そういう意味でアラスカを撮っているとなにかが見えてくる。そしてアラスカというところは、その何かが見えやすいのだという気がします。」



その他

Action numberは2番

人から好かれる彼はアラスカでは割と受け身で何かを頼まれたり誘われたりしていました。

そう言うことがぴったりのタイミングで仕事や写真集につながっていったようです。


Challengeナンバーは1-6 7

なにかを開拓し、それを芸術まで高めつつ、深く掘り下げていくことが彼のチャレンジ!7番は 内省 内的探究の数字です。アラスカでそれも原野に一人でいるのは内的探究の場所としては最適の場所です。チャレンジには成功しているといえるでしょう。


資質の中で目立っているのは

Intelligence 5 とても頭がよく知力の高い人 霊的成長を願う人

Maturity 7 集団意識をキャッチできる人でした。

Make mood 5 場の雰囲気を作る力 これがアラスカで生かされてたくさんの人の協力が得られたのでしょう。



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History


若年期 9

小学校のころからシートン動物記の<北極平原に野生動物を求めて>という本を繰り返し読み、チコとサメという映画に感動しました。 このころから 北海道にくまがいること そのくまを俯瞰で見たいと願っていました。


1964年 12才 2

         浅き川も深く渡れ   卒業の寄せ書き

小学生なのになんと奥の深い一言なのでしょう?

彼はもしかしたら、魂的には古老のような人だったのかな?

1968年 16才 5-6

高校入学の年 ヒッチハイクで異国にいくのを夢見てバイトに励みます。 5の冒険心好奇心!この年は彼の意識は外国へと向き周到に計画をたてていたのでしょう。



1969年 17歳 6-7

横浜港までヒッチハイクで行き移民船でアメリカに向かいます。約二か月間 アメリカからメキシコ、カナダまでいったようです。6の境界を超えるというのをまさに6でやっています。右脳で動く人だったのがわかります。


1970年 17才から18才 7-8

山登りを始める。

1971年 18才から198-9

慶応大学経済学部 入学 探検部に入部

夏に信州を旅した時、宿泊先のアラスカの絵地図をみて・・・ここにいくかもれないと感じます。

獏然と北へ憧れている時、神田の洋書店でシシュマレフ村の空撮の写真が載っているアラスカという本を見つけます。

異国に憧れてすごした10代の完結、9で本当に行きたい場所を見つけ次のステージへの足がかりとなりました。


1972年 19才から20才 9-10

大学1年生 留年 アラスカの7つの村に「仕事は何でもします。どこかの家においてもらえないでしょうか?」と手紙を書きます。

10はよりよい状況をもたらすための変化の年 彼は情熱にしたがって手紙をかいたのだと思います。 いよいよアラスカへの幕開けの一歩の年でした。


1973年  21から22才 10-11

シシュマレフ村から返信がきて、夏に3か月stayする。ニックネームはエスキモーボーイ。

11はイニシエーションイヤーなので、これで彼は運命的にアラスカへの切符を手にいれたのでしょう。


1974年  22才から23才 11-3

夏合宿の帰りに 山で友人がなくなる知らせを受ける。しばらく悩んだ結果アラスカに戻ることを決める。

11の終わりに友人の死を経験し、やりたいことをやっていこうと決心します。友人の死によって、3の年に視野が広がりました。 


1978年  25才から26才 6-7

シアトルの英語学校に入り9月 アラスカ大学野生生物管理学部に入学 このときは合格点に30点たりなく不合格なのを学部長に直談判して入学を許可してもらいました。

6で調整して、7で毎回彼が、次のステージに飛躍していくのはすごいな!と感じます。普通なら不合格だと、がっかりしてそのまま日本に帰るところですが、このことは行動力で物事を実現していく8のバイタリティー!

1979年から1981年  26才から29才 7-9

大学生活 勉強をつづけながらアラスカ各地を旅する。

自分のテーマを見出す。 最初のテーマはカリブーの季節移動を追う。でした。

アラスカの原野でのサバイバルする力 写真の技術 現地での人脈などのアラスカに根を下ろすための、基礎を完成させた時期 9で完了

1982年  29才から30才 10-11

大学中退 撮影に専念するために大学を中退する。

11で彼はまさしく人生も新しいフィールドへ!

アニマという自然誌にサーモンの写真が表紙に掲載される。マッキンレーとオーロラを初撮影  ここからは写真家 星野道夫としての活動がはじまります。


1983年  30才から31才  11-12

アサヒカメラ アラスカ特集号を星野道夫の写真で飾る。 12はコラボレーションナンバーなので日本でサポートしてくれる人が現れたのでしょう。

1985年  33才 5 形になったものがさらに外向きに活発化する時期

11月に最初の写真集 Grizzly  こどものころから夢見ていたひぐま!そのヒグマの写真集を完成 



ヒグマは怖いけれど、とても魅力的な存在 その写真集を完成させて感慨深かったことでしょう。アメリカでの出版 

☆もしクマがいなくなったら、確かに夜心配しないでキャンプをできるかもしれないけれども、それはつまらない、寂しい自然だなと思います。 

  魔法のことばより 



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1989年  37才  9

木村伊兵衛賞 写真家の新人に送られる賞を受賞 写真家としては新人ですが、普通の写真家としての活動ここで完結 フェアバンクスの森に素敵な土地を見つけ家を建てる計画 アラスカと日本を往復する旅人としての星野道夫も終了 


1990年  38才  10

フェアバンクスに家が完成 旅人としてではなく、10でアラスカの住人としての人生のはじまりです。

夢見ていたアラスカに住める!とてもワクワクした年だったことでしょう。写真とエッセイで、アラスカで感じたことを伝え始めます。

写真集 アラスカ 極北 命の地図、 アラスカ探検記 刊 


1991年   39才  11

アラスカ 風のような物語 刊 アラスカ定住日記 イニュニックの連載が始まります。9を伝えるという仕事がいよいよ本格的にはじまりました。


1993年  41才 13 破壊と創造 そして新生の年に結婚

お見合いで結婚 撮影にはいつも奥さんを連れていったようです。 過去生での清算?


1994年   42才  5 変化そして家庭と向き合う年

長男が誕生 1人から2人そして3人に!

きままで自由な一人暮らしから生活が激変しました。新しい家庭と父という自分に戸惑いつつ、しっかり向きあったのでしょう。


1995年  43才  6 調和の年

家庭画報で 「森と氷河と鯨と ワタリガラスの神話を求めて」 というタイトルで写真とエッセイの連載が始まる。子供もできて6の喜び活動する時期 自分の子供の成長を見て、命の不思議さをより感じていたでしょう。そしてとても幸せだったのだと思います。

アメリカ大陸 アラスカ アジアに伝わるワタリガラスの神話に興味を持ち・・・現地に伝わる話を収集するようになりました。


1996年  43才  6 献身 

8月8日 シベリア テレビの撮影で行ったカムチャッカ半島で ヒグマに襲われ死去

43才 6の年の終わりでした。6は別れをとおしての強さを問われる年 境界超えの年!その年に彼は三次元の境界を越え光の世界に旅だってしまいました。 



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彼が書いた童話 「ナヌークの贈り物」の中にこんな言葉があります。


われわれは、みな大地の一部      

おまえがいのちのために祈ったとき、

おまえはナヌークになり

ナヌークは人間になる。

いつの日か、わたしたちは

氷の世界で出会うだろう

そのとき、おまえがいのちを落としても

わたしがいのちを落としても

どちらでもよいのだ


星野道夫は 命は生まれ変わる。だから命をおとすのはどちらでもいいと思っていました。

潔くヒグマに命を差し出したのでしょう。交通事故でなくなるとか、病気でなくなるより・・彼らしい死に方でした。

何故なら・・星野道夫を食べたクマもまたいつか死んで大地に還り・・・それと一緒に、星野道夫もまた・・姿を変えて循環していくからです。


星野道夫はインスピレーションと8の持つ行動力でやりたいことを実現していきました。 限りない自然の豊かさをアラスカでかんじきり・・ナンバー8と91missionをしっかり果たした人生でした。 

彼はここにはもういませんが、彼は今でも作品をとおして・・私たちに9の意味を伝えてくれるのです。彼だけでなく、わたしたちも最後に感じたいのは1991なのかもしれないとレポートの最後に感じました。


最後に星野道夫の好きだった詩 今彼はこんな素敵な世界に住んでいるのかもしれません。  



大昔 

人と動物が共にこの世に住んでいた時

なりたいと思えば人は動物になれたし動物もひとになれた

だから時には人だったり、時には動物だったり、互いに区別はなかったのだ。

そしてみんながおなじことばをしゃべっていた。

その時のことばはみな魔法のことばで人の頭は不思議な力をもっていた。

ぐうせん口をついて出たことばがふしぎな結果をおこすこともあった

ことばは急に生命をもちだし

人が望んだことがほんとうにおこった

したいことをただ口にだしていえばよかった

なせそんなことができたのか、だれにも説明できなかった

世界はただそういうふうになっていたのだ


 金閣寿夫 「魔法のことば」より

 

                                 

Reported by Naomi Saito

Aeons Numerology Basic 7th class




by kej000 | 2015-03-06 22:40 | おもしろ数秘学

キルケゴール*実存主義の巨人・・数秘学で読み解くバイオグラフィー

アイオンズ数秘基礎科第5期生による、実存主義5人の思想家のひとり、
キルケゴールのレポートです。渾身のリーディングにより、彼の葛藤をありありと描く、壮大な世界をお楽しみください^^

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セーレン・オービエ・キルケゴール
(Søren Aabye Kierkegaard)
1813年5月5日~1855年11月11日 
デンマーク・コペンハーゲン生まれ

19世紀デンマークの哲学者、詩人、思想家で、実存主義の創始者、先駆けと言われています。
近代の合理主義的思想が行き詰まり、新しい現代思想の模索が始まった危機の時代を、その著作を通して表現した人物です。
キルケゴールは「自分がそのために生き、そのために死ぬことをができるような真実」を求めて、自己と戦い、社会と戦い、そして現代実存主義の創始者と仰がれるような優れた思想を遺しました。
また、当時影響力の強かったヘーゲル学派哲学、そして当時のデンマーク国教会に対する痛烈な批判者でもありました。
多くの思想家がそうであったようにキルケゴールもまた、その当時の人々からはほとんど正当な評価を受けることはありませんでした。

実存主義:
人間の実存を中心とする思想。合理主義、実証主義による客観的ないし観念的人間把握、近代科学技術による人間の自己喪失などを批判し、20世紀、特に第二次大戦後、文学・芸術を含む思想運動として盛り上がった。実存哲学。
『大辞林』

アルファベットにはない「ø」に対応する数字は「1」で計算。
http://www.asiact.org/archive/numerology/6names.asp 参照


鋭い知性と革新、そして自由 ─ 誕生数:5

キルケゴールは、ヘーゲル学派の哲学、形式主義のデンマーク国教会の痛烈な批判者であり、実存主義の先駆け、創始者とされた哲学者、思想家であり、詩人でもあり、10余年の間に多くの著作を書き上げました。
鋭い知性と感受性、マルチな才能、純粋な探求心を持ち合わせ、理論的でありまた分析力にも優れ、そして激しい情熱を持って行動したキルケゴールは、誕生数5の持つ長所を体現したような人生だったと言えます。
また5は「自分の宇宙をつくる」という意味を持つナンバーでもあります。キルケゴールは、抽象的な哲学ではなく、個別の、具体的な人間を哲学の対象とし、自分自身の問題として探求する主体的な思想家でした。近代社会の中で個性を失い神を見失った人々が虚無(ニヒル)の絶望の中に終わっていくことを指摘しつつ、人々の魂の内面に真の宗教性を持つことを願って活動しました。
一方で、キルケゴールは「神経質で批判的」という誕生数5の持つ短所、逆数である誕生数4の短所である「孤独で悲観的」という面も持ち合わせていました。

─ カルミックナンバー14
キルケゴールの誕生数5にはカルミックナンバーの14が含まれています。14は「真の自由への学び」のナンバーです。キルケゴールは、人々のそれぞれの本当の魂の自由を願い、自分自身の真実を持って人生を生きるための自己の真理の探求、個性と自由…人間としての真の幸福を求めること、それらをテーマとした著作として後世に残しました。まさに「真の自由とは何か」を探求した人生でした。

独創的な思想、実存主義の創始者 ─ 運命数:1

独創的で斬新、そして150年以上の時を経ても色褪せないの思想をもって、キルケゴールは実存主義の創始者と呼ばれますが、あらゆる分野において創始者となる人のナンバーである運命数1を持っています。そして彼の思想は後の哲学者、思想家たちにも多くの影響を与えました。

─ カルミックナンバー10
キルケゴールの運命数1にはカルミックナンバーの10が含まれています。カルミックナンバー10を持つ人は、「生まれには恵まれるが後に突然大きな変化が起こる」「前世のカルマを果たす」「人道的な目的を持つ、人に癒しを与える」と言われます。
キルケゴールの人生は、彼の父から大きな影響を受けています。キルケゴールの持つカルマとは、父のカルマであったと言えるかもしれません。キルケゴール自身は裕福な商人の家に生まれますが、後に彼が著作の中で「大地震」と呼ぶ、自分の出生と父の罪を知ることによって、心を打ち砕かれます。
裕福な毛織商人で熱心なクリスチャンであった父は、かつてユトランド半島に住む貧しい農民でした。父は子供の頃にその境遇をただ一度神に呪ったことと、結婚して間もない妻が肺炎で亡くなった直後、喪が明けぬうちに女中であったアンネ(キルケゴール兄弟の母)に対し暴力的に関係を持ったことを「罪」と考え、その代償としての「罰」がコペンハーゲンでビジネスに成功したことと、また自分の子供たちがキリストが張りつけにされた34歳までしか生きられないことと信じ込んでいました。(実際に7人兄弟のうち長兄のペーターと末っ子のキルケゴール以外は若くして34歳までに亡くなっています。)父の苦悩は後に息子の苦悩ともなり、キルケゴールの思想と生涯に決定的な影響を与えることとなりました。
波乱と苦悩に満ちた人生を歩んだキルケゴール自身の魂が救われたかどうかはわかりませんが、その著作と活動を通して多くの人々の心を救うことにより、カルマを果たし、人々に癒しを与えたといえるかもしれません。

Kierkegaardとはデンマーク語で「墓場、教会の庭、敷地」を意味する。実際にキルケゴールの父の家族は教会の敷地内に住んでいた。

キルケゴール自身も、幼い頃から身体が弱かったので、34歳までに自分が死ぬと信じていた。そして34歳になっても自分が死ななかったため出生届を確認したほどであった。

知的探求心 ─ ソウル数:7
キルケゴールは、分析、探求を楽しむ、多面的な思想家でした。7はより深い知的探求を現すナンバーです。
多数あるキルケゴールの著作については、多くのものがペンネームで書かれ、出版されています。著作の内容に応じてペンネームを変えたり、出版者(キルケゴール)が未知の筆者(キルケゴール)の原稿を見つけるという手法を取ったり、また、あるペンネームの自分の作品について別のペンネームでコメントすることもありました。
このように複雑な形式を用いたキルケゴールは、探求を楽しむだけでなく、自身の著作について妥協することもありませんでした。
また、ソウル数7の魂の目的は、「会得したものを世の中に広め、人々の心を豊かにすること」であるとされています。キルケゴール自身は生きている間に正当な評価を受けられずにいましたが、キルケゴールの死後、彼の思想は世の中に広がっていきました。そして後の哲学者や思想家たちに影響を与えただけではなく、多くの悩める人々の心を救うような著作を遺したことで、人々の心を豊かにしたといえるでしょう。

キルケゴールの別の顔 ─ 人格数:3
キルケゴールは自身のことを「私は生まれたときから老人であった」と嘆いたように、また著作にも表れているように、信仰心の厚い父親譲りの憂愁に満ちた性質の持ち主でした。しかしその反面、母親譲りの陽気さも持ち合わせていました。
外見的印象を現す人格数3を持つ人は、愛想がよく、チャーミングで、ユーモアのある遊び人風で、人を惹きつける人と言われます。
波乱と苦悩に満ちた人生だったにもかかわらず、キルケゴールは穏やかな日常生活を送っていました。午後になると決まって街に散歩に出かけ、街の人々と愛想よく言葉を交わし、カフェや劇場で過ごすことを楽しむような人物でした。
少年時代も、やさしく、いつもユーモラスで友達に愛されていたと言われています。そして大学に提出した人物証明書には「愛すべく好ましい若者」と書かれていました。
キルケゴールは機知に富んでいて話し上手であったので、友人たちからもてはやされていました。また生涯の恋人レギーネと初めて出会ったパーティーでも、キルケゴールは詩人としての才能と会話の妙で、レギーネら若い娘達を魅了しました。後に恋のライバルから彼女を奪おうと決意したとき、キルケゴールはレギーネの愛を得るために、持ち前の社交的な才能を駆使して、彼女と彼女の父の心をたちまちとらえて、あっという間に結婚を申し込み、数日後には承諾の返事をもらうほどでした。
また「大地震」後(前という説もある)は、内面では自殺を考えるほど絶望でいっぱいだったのに、外面的には華やかに遊び回っていて、莫大な借金を作るような生活を送っていました。
キルケゴールは、常に内面に苦悩を抱えていましたが、外面的には明るく快活な振る舞いで他人を喜ばせるような人物だったようです。


キルケゴールの人生 ─ 少年時代

若年期:5
キルケゴールは病弱で貧弱な子供で、それは生涯を通じても悩みの種となりました。彼はそのことについて「私の霊魂と肉体の不均衡」といっていますが、それは少年時代のキルケゴールにとって、精神上の才能を伸ばす点ではプラスであったといえるかもしれません。彼自身、幼い頃から自分が機敏であることを自覚していました。
キルケゴールの父は子供たちに、特に末っ子のキルケゴールに宗教的な敬虔さを大切に考える生活を厳しく求め、またキルケゴールも父の期待に応える努力をしてきました。
しかし、ただ沈鬱な父子の関係だったわけではなく、宗教的な関心だけではなく哲学にも深い関心を持っていた父が友人たちを招いて哲学についてよく論じ合っていたのを、そばで聞いているのが好きな少年でもありました。キルケゴールは父の弁証の才、対話の仕方から多くを学びました。
また父は外で遊ぶことを許しませんでしたが、家の中を歩きながらまるで街や森を見ているかの様に語り、子供たちを幻想の世界に連れて行きました。キルケゴールはこうした想像の楽しさを知ったので、宗教的で敬虔な生活の中においても、知的好奇心を十分に満たす子供時代を過ごしていたようです。
5は「好奇心」や「鋭い知性」の意味を持つナンバーですが、このような少年時代に素晴らしく多彩な才能を培っていったのだと思われます。
そして、キルケゴールは父の期待に応えるために神学部に進みます。


キルケゴールの人生 ─ 苦悩のはじまり

1830年(17歳):4 / 13
この年キルケゴールは、コペンハーゲン大学神学部に入学します。また、親衛隊に入隊するも身体が弱く除隊となります。
4はものごとが始まる年のナンバーで、新たなスタートとして大学に入学しますが、親衛隊を除隊になるという挫折も味わいます。キルケゴールにとっては波乱に富んだ精神的苦悩を味わう時期の始まりの年であったといえるかもしれません。

イヤーナンバーは2桁の数字を1桁になるまで計算している。/の後ろの数字は元の2桁の数字。

1834年(21歳):8 / 17
キルケゴールはこの年から日記をつけ始めます。(しかし最初の数年は神学のことについてほんの少し書いているだけであった)また、彼の興味はこの頃から神学よりも、文学や哲学など自由な教養を求めだします。多面的な興味に目覚めたキルケゴールは、学生達の討論クラブやカフェ、劇場に出入りするようになり、遊び歩く生活を始めました。そして晩年キルケゴールが戦う相手となるマルテンセン(後にデンマーク国教会の監督となる人物)と大学で出会います。
マルテンセンはキルケゴールのことを「非凡な才能をもつが詭弁的」、またキルケゴールはマルテンセンのことを「どんな主題に対しても底に達しない、生温い人物」とお互いを表していました。このころチューター(学生指導教官)と学生という関係であったふたりですが、権威主義であるマルテンセンと反権威主義であるキルケゴールは出会った時から反目しあっていました。
8は心にスピリチュアリティを持つ、そして力を多角的に放出するという意味を持つナンバーです。
この頃、キルケゴールは神学を学ぶことだけでは満たされない何かに気づき、真理と自由を探求することに目覚めたのかもしれません。そして多方面に広がる好奇心と一見遊んでいるだけの日々は、後の真理への到達への準備だったのかもしれません。
また8は死を現すナンバーでもありますが、この年に母アンネが亡くなっています。

キルケゴールは、大学で最良のチューターであると評判の高かった兄のペータではなく、マルテンセンを選んだ。


キルケゴールの人生 ─ 「大地震」とキルケゴールの苦悩

「そのとき大地震が、恐るべき変革が起こって、突然私は、あらゆる現象を全く新しい法則に従って解釈しなければならなくされた。」
この時期のキルケゴールは自身の著作の中で「大地震」と呼ぶ出来事が起こり、また自堕落な放蕩生活を送っていました。その中でキルケゴールは彼にとって核心となる思想にたどり着きます。

1835年(22歳):9 / 18
キルケゴールは色々なことがらへの関心と自由な生活への憧れから、しだいに神学から離れていき、文学、哲学の方向へ進みだします。そのようなキルケゴールの変化は家族との関係を悪化させていく原因ともなりました。真面目な神学者として精進を重ねていく長兄ペーターは、神学から離れていくキルケゴールを心配しつつも、自身よりも父の愛と期待を多く受けている弟に対して不満を感じていました。また父は1832年から1834年にかけて、妻と3人の子供が次々に亡くなっていく悲しみと、神学から離れいくキルケゴールと、兄弟の不仲とによって深い憂愁にとらわれていました。このような重苦しい空気を和らげる存在であった母が亡くなり、比較的安らかであったキルケゴールの家庭生活は暗く重いものに一変しました。そして父や兄からの精神的独立を求める内面的葛藤に苦しみます。その苦悩が激しければ激しいほど、キルケゴールは外面的には華やかな社交生活に足を向けていきました。
そのような状況の中、キルケゴールはこの年の6月から8月に北シェランに旅行に行きます。この旅行は、家庭内の重苦しい空気を忘れさせ、大学卒業の神学試験に備えさせるために、父が提案したものでした。
この旅行中にキルケゴールは、「客観的な真理に何の意味があるのか?自分にとっての真理を発見し、それのために生き、死ぬことを願うような生活根拠(理想)を発見することが必要である。」と、後の彼の思想の核心となるような思想に到達します。主体的真理を求めて生きようとする確固たる決意に到達したキルケゴールは、父からの精神的独立を目指し、彼と戦う覚悟をもって家に戻ります。
9は「完結」「変容」「本質を見抜く」「真理を得る」ことを現すナンバーです。まさに真理への糸口を得たキルケゴールでしたが、9には「複雑な2面性」という意味も持ちます。
戦う覚悟をもって家に戻ったキルケゴールでしたが、しかし憂鬱に沈みこんだ父を見て、戦う決意を示す気力を失ってしまいます。
キルケゴールにとって真理を見出した年でもありましたが、9の短所である「ブレやすさ」が現れた年でもあって、彼はこの後「破滅への道」と名付けた放蕩生活に落ちていきます。
また、「大地震」については諸説ありますが、一説ではこの年に父の罪と罰を知り、それが放蕩生活の原因であるとされています。
尊敬し、愛していた父が罪人であること、そしてその罪を自分自身も受け継いでいることにキルケゴールは苦悩します。父は「子供だけは本当の信仰の祝福を得てほしい」という願いから、敬虔なキリスト教徒としての生活を求めましたが、キルケゴールは父が押し付けるキリスト教をもう単純に信じられなくなっていました。この時キリスト教は、キルケゴールにとって愛と救いの宗教ではなく、父同様に苦悩と刑罰の宗教となりました。

「大地震」についてはキルケゴール自身による具体的な記述がないため、詳細については不明であるが、自身の出生と父の罪のことだとされている。また時期についても不明。そのため1835年の「大地震」をきっかけに堕落した生活に落ちていったという説と、1838年の「大地震」をきっかけに堕落した生活から立ち直ったという説がある。いずれにしてもキルケゴールにとって苦悩の時期であったことに違いない。
ここでは「大地震」が先に起こったと仮定してリーディングしている。

1836年(23歳):1 / 19 、1837年(24歳):2 / 20
キルケゴールは神学試験の準備を放棄し、自らが「破滅への道」と名付けた、内面には死への不安と罪の絶望を抱えながら、外面的には様々な友人たちと飲み歩き莫大な借金を作るという放蕩生活を送っていました。華やかで多彩な社交生活は多くの人生経験を得る機会でもありましたが、キルケゴールの心を癒すものではありませんでした。このような華やかな生活の奥底にキルケゴールが見ていたものは、退屈で無意義な人生であり、虚無でした。そしてこの頃、キルケゴールは自殺することが最大の救いであるとまで考えていました。
華やかだけれども虚しく絶望的な日々を送る中で、1837年にキルケゴールは生涯の恋人となるレギーネ・オルセンと出会いました。しかしこの時はタイミングが合わず、また彼女には他に結婚を前提とした相手がいました。
この自堕落な放蕩生活は1のナンバーが持つ短所「不安症」「悪癖」、2のナンバーが持つ短所「過敏」「流される」「依存」など、悪い面が極端に出た時期だったようです。

1838年(25歳):3 / 21
1838年に入るとキルケゴールの日記の記述には、回復の兆しが見え始めます。恩師であるポール・マルティン・メーラーの助言により、キルケゴールは徐々に立ち直っていったとされています。3月にメーラーは亡くなりますが、死の床からも気遣ってくれたことの感謝の念を込めて、後にキルケゴールはこの時期の自分を分析した著書『不安の概念』をメーラーに捧げました。キルケゴールはキリスト教に、そして父の元に帰ることを願いました。
こうしてついにキルケゴールは父との和解を果たし、その後8月に父は亡くなります。
そしてキルケゴールは父との約束を果たすため、神学試験の準備に入ります。彼にとって神学の試験勉強は最大の苦痛であったと思われますが、父への愛によってそれを乗り越えたと言われています。
3は「新しい誕生」そして「さらに発展していく」という意味を持つナンバーですが、キルケゴールは、苦悩の日々を乗り越え、父と和解することによって大きく成長しました。

メーラはコペンハーゲン大学の教授で、詩人であり思想家。

キルケゴールの人生 ─ レギーネへの愛

1840年(27歳):5 / 14
この年キルケゴールは、神学試験に優等で合格し、王立伝導学校へ入学します。キルケゴールは試験が終わるとすぐに、父への愛とレギーネへの想いを胸に、父の故郷であるユトランドへ旅行に出かけます。
そしてこの旅行から帰ったキルケゴールは、積極的にレギーネに接近し、彼女の愛を得ようと決意します。キルケゴールは8月頃からオルセン家の客として出入りするようになりますが、9月に結婚を申し込み、数日後には婚約の返事をもらいます。
5は環境が変動し、かたちになったものが活発化していくことを現す数字ですが、伝導学校への進学という環境の変化と、長年想い続けてきたレギーネへの愛が成就した年でした。
しかし、念願かなってレギーネと婚約をはたしたキルケゴールですが、外面的には彼女の愛を得たことを喜んでいたものの、内面では婚約した直後から、自分はレギーネにふさわしくないと思い悩み、婚約を後悔していました。
5は「破壊」を現すナンバーでもあり、幸せを手にしたはずのキルケゴールですが、その憂愁な性格から、幸せとは逆の方向に向かって進んでいきます。

1841年(28歳):6 / 15
6は「出会いと別れ」のナンバーですが、キルケゴールはとうとうレギーネに指輪を送り返して婚約を解消します。キルケゴールは彼女を愛すれば愛するほど、自分は彼女にふさわしくない人間であり、彼女をどんなに深く愛していても神の愛を信じていない自分は彼女と真に愛し合えないと考え、そのことにより彼女を傷つけないために、別れを選びます。6は無条件の愛を現すナンバーでもありますが、キルケゴールは一方的でかなり屈折したかたちではありますが、無条件の愛の証として別れを選び、レギーネへの愛を貫くことを決心しました。

1841年は論文が学位として認められたり、ベルリンに旅行(ベルリン大学でシェリングの講義を聴く)したりした年。著作活動に精力的に取り組んでいた。ちなみにベルリン旅行は1年半の予定だったが4ヶ月で引きあげてきた。

1843年(30歳):8 / 17 、1844年(31歳):9 / 18
キルケゴールは神への愛に目覚めレギーネへの愛を完成させるべく、著作活動に没頭します。『あれかーこれか』『反復』『哲学的断片』などの名作を次々に著作し、それらを「ただ一人の読者」レギーネに捧げます。キルケゴールはレギーネがこれらの著作を通して、婚約破棄のの真意、彼女への愛の深さを理解してくれることを願っていました。
後に彼は日記に「私の死後、著作は彼女と亡き父捧げられるべきだという私の意志は変わらない。」と記しています。
9は「完成」の意味を持つナンバーですが、キルケゴールはその苦悩や愛を珠玉の著作に昇華させ、永遠に遺すこととなります。
その後もキルケゴールは、レギーネを愛し続け、生涯その愛を貫き通しました。
そして遺言には「私の以前の婚約者であったレギーネが、私の遺しうるわずかなものの全てを相続することは、もとより私の意志である。」と書き遺しました。

レギーネは遺産の相続については断ったが、遺稿の引き取りには応じた。そして親友であったキルケゴールの姪とともにこれらを世に送り出した。


キルケゴールの人生 ─ 戦いのはじまり

1845年(32歳):1 / 19
キルケゴールはこれまでの数年の間に多くの著作を書き下ろしました。そして当時のコペンハーゲンにおける優れた文学者、思想家として名声に輝いていたキルケゴールは、すでにこれまでの著作で自身の書きたいことはあますことなく書きつくしてきたと感じていたので、そのとき書き進めていた『哲学的断片のあとがき』でヘーゲル批判を書き上げれば、もう後は書くべきことは何もないと考えていました。そしてこれを出版した後は筆を置き、田舎の教会で残りわずかの人生(34歳で死ぬと信じていたので)を、神に仕えるクリスチャンとして静かに過ごすつもりでいました。
しかしこの年、キルケゴールに対する悪意に満ちた批判文が雑誌にされたことが口火となり、有力な風刺新聞「コルサール」にキルケゴールを嘲笑する漫画と彼を罵る記事が数ヶ月に渡り連載され、そしてキルケゴールは人々の物笑いの種に仕立て上げられてしまいます。
このような卑劣なマスコミの暴力にあったキルケゴールですが、このとき誰も彼を助けようとしませんでした。
この「コルサール事件」でマスコミと大衆の虚偽と無責任さを痛感したキルケゴールの闘争の対象は、これまでの美的、感性的、思弁的なものから、大衆社会(後に宗教的なもの)へと転じ、著作者としての新しい使命に生きることを決意します。
1は「始まり」「新生」の意味を持つナンバーですが、キルケゴールは著作者としてまた新たなスタートを切ることとなります。

この時代のデンマークは、デンマーク文化の黄金時代であり、アンデルセンをはじめ、多くの優れた作家が誕生した時代であった。多くの学術団体や文化クラブが設立され、また言論機関の発達も著しく、新聞や雑誌も無数に発行された。


1847年(34歳):3 / 21 、1848年(35歳):4 / 22 、1849年(36歳):5 / 23
3は「発展」「開花」の意味を持つナンバーですが、この年、キルケゴールは自分が死ぬと思っていた34歳になります。これから先は予期していなかった恵みの年月であるので、これを神に捧げて生きようと考えました。
しかし34歳で死ぬと信じていたキルケゴールは、父の遺産の多くをこれまでの著作の自費出版のために使ってしまっていました。そして経済的困窮に常に頭を悩ますこととなり、決意とは裏腹に活動面では発展の年とはなりませんでした。
イヤーナンバー4の年であった1848年は、ヨーロッパ各地で起こった政治的動乱によりインフレが起こり、また兄の借金返済のために、キルケゴールは屋敷や著作の版権を売ってほとんどの財産を失ってしまいました。世の中の大きな変化と経済的困窮の中、キルケゴールは著作活動に膨大なエネルギーを傾け、宗教的著作『死に至る病』など3作を書き上げます。
その一方で、経済的安定を求め官職につく希望を捨てきれなかったキルケゴールは、デンマーク国教会の怒りを買うことを恐れ、これらを出版する決断ができませんでした。
4の年はそれまでの数年の結果が出る年、そして次のものごとの準備を始める年ですが、困難な状況に置かれているために、後に名著と呼ばれる著作の出版を見送りました。結果が出た年とは言えませんが、今後の活動のための準備の年となりました。
イヤーナンバー5の年であった1849年は、「変化」と「葛藤」の年でした。キルケゴールはこの年に『死に至る病』を出版しますが、生活への不安から行動に起こせない自分の弱さに苦悩しました。

デンマークでは1660年より200年近く維持されてきた絶対王政が崩壊し、1848年に自由憲法が制定された。

キルケゴールの人生 ─ 殉教者として

「信仰とは、自己が自己自身であり、また自己自身であろうと欲するにあたって、神のうちに透明な基礎をおいている、ということである。」
キルケゴールにとって究極的な真理とは、キリスト教的真理であり、「自己が真の自己となる」とは、彼にとっては「自己が真のクリスチャンとなる」ということと同義でした。キルケゴールは、真のクリスチャンになるためには「キリスト教が何であるか」を形式的に客観的に理解することではなく「いかにしてクリスチャンになるか」を、自分自身の生き方に即して主体的に問い、そして実際にクリスチャンとして生きることに目覚めなければならないと考えました。

1853年(40歳):9 / 18
1852年までのキルケゴールの日記には、自己の内面の信仰を貫くために、無責任で実体のない「大衆社会」や形式的で堕落した国教会と戦おうと決意するものの、生活の不安から行動することができず、殉教者としての使命を感じながらも殉教者となれない自己の弱さを苦悩する記述がみられます。
しかし1853年から、自分の使命が国教会と戦うことであると確信を強めていきます。
この頃の日記には「私は著作者として私の良心に、あることを持っている。私が言わなければならないことがはっきりとある。そして私はそれを言わずには死ぬにも死ねないほどに、そのことを自分の良心にかけて持っているのだ。私が死んでこの世を去る瞬間に、そしてこことは違う場所に立っているこの瞬間に、次の質問が私に課せられるだろう。『お前は使命を全く明確に行ったか?』そしてもし私がそれをやっていなかったら。そのときはどうなるだろうか!」と書かれています。
9は「完結」「完成」「真理」の意味を持つナンバーですが、これまでの葛藤の日々を乗り越え自分の使命を確信し、重大な決断をした年となりました。

当時のデンマーク国教会は国家と表裏一体で、絶大な権力を持っていた。

1854年(41歳):1 / 19
キルケゴールがこれまで国教会批判を躊躇していた理由のひとつとして、国教会の監督にミュンスターが在位していたことがあります。ミュンスター監督はキルケゴールの父が尊敬した父の導師であり、自身も彼から堅信礼を受けたので、さすがにキルケゴールはミュンスター監督を直接批判することができませんでした。しかしこの年の1月、ミュンスター監督が亡くなり、その後任として4月にマルテンセンが監督に就任しました。これを機にキルケゴールは行動を開始します。2月にマルテンセンがミュンスターの追悼演説を行いますが、その演説内容に対する反論文を書き上げます。
しかし書き上げたもののこの論文が個人攻撃の中傷記事だと誤解されることを恐れたキルケゴールは、マルテンセンが監督に正式に就任するのを待ち、また、ミュンスター前監督追悼のための一般寄付が完了するのを配慮して、そして10ヶ月延期の末、12月に日刊新聞『祖国』紙上で発表しました。こうしてキルケゴールの国教会批判、マルテンセンとの論戦が開始されました。
1は「決断」「はじまり」の意味を持つナンバーですが、真理のために戦う最後の決断をし、そして戦いを始める年となりました。

1855年(42歳):2 / 20
1854年12月から1855年2月までに、日刊新聞『祖国』に20本の論文を掲載し、マルテンセンと国教会を糾弾し続けます。
そして5月からは予約販売の小冊子『瞬間』を自ら発行して、毎号7、8本の短めの論文を掲載します。『瞬間』は2週間ごとに出版されましたが、発行部数が『祖国」を超えるようになりました。
敬虔で誠実なクリスチャンとして知られていたキルケゴールのこれらの行動は、多くの人々に狂気の沙汰だと思われていました。しかし一方でこの小冊子『瞬間』への反響は大きく、国教会反対派、自由思想家たちに迎え入れられただけではなく、教会内部の人々や牧師たちにも歓迎されました。『瞬間』は、様々な人に大きな影響を与え、それぞれに行動を促しました。ある人々は自身が教会人でなかったことを知り、ある人々は一層よいプロテスタントになるように鼓舞され、ある人々はカトリックの方向へ向かうなど、キルケゴールの目指していた「単独者」としてのそれぞれの幸せの探求へと向かっていきました。
キルケゴールは『瞬間』第10号の印刷準備中に意識を失い倒れます。その後10月2日に再び散歩中に意識を失い路上に倒れ、そして40日後の11月11日にこの世を去りました。
この年のイヤーナンバーは2で、「芽吹き」「新しい世界が生まれる」の意味を持つナンバーです。
道半ばで孤独に亡くなったキルケゴールですが、彼の求め続けた真理は彼の著作を通じて、人々を目覚めさせ、それぞれの真理の探求へと誘いました。

キルケゴールの誕生数5は、「家族」を現すナンバーでもあります。彼ほど家族、特に父の決定的に影響を受けた思想家は少ないであろうと言われますが、キルケゴールの類い稀な才能を育んだのも家族であり、彼を苦悩させたのも家族であり、彼が深く愛したのも家族でした。キルケゴールの人生、そして彼の根底には常に「家族」がありました。
また、キルケゴールの、人生での可能性や実現することを示す実現数は6で、「本質の理解」や「精神性の向上のために真の救済を行う」という意味を持つナンバーです。活躍の場を示すステージ数は運命数と同じカルミックナンバー10を含む1で、「独創性」「創始者」「絶対性」「芸術」の意味を持ち、そして試練を示す挑戦数は2で、調和をはかることが求められるナンバーです。
美しい文体で鮮やかに真理を著わしたキルケゴールの人生を読み解いていくと、コアナンバーをはじめ、彼は自身が授かったナンバーを体現するような人生を歩み、天命を全うしたように思えます。

キルケゴールは150年以上も前に、人々が合理的な社会の中で個性を失い孤独と不安で絶望していくという現代社会にも通ずる問題を鋭く見抜き、警鐘を鳴らしました。そしてその苦悩を乗り越える術を、自分の体験を元としてのみ語りました。
私たちはそれぞれ個々が1つの自由な独立した人格であり、そして真理はそれぞれ個々の内側にある ─ キルケゴールの遺した思想は、世紀を超えてもなお色褪せずにいます。

参考文献:『キルケゴール』工藤綏夫(清水書院)



Reported by Yuri.M
Aeons Numerology 5th class





by kej000 | 2015-03-06 22:19 | おもしろ数秘学

アンジェリーナ・ジョリー 「光と影」*数秘学で読み解く彼女の人生

圧倒的な美しさで世界を魅了する、アンジェリーナ・ジョリー。

アイオンズ数秘基礎クラス第6期生によります、華やかな世界に棲む彼女の苦悩の人生に迫ります^^



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Angelina Jolie 

Angelina Jolie Voight

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Personality


誕生数(Birth path number14-5番

14番は衝動的な欲求を克服すること、家族との協調、余儀ない変化や危険思想などの体験によって、真の建設的な自由とは何かを学ぶナンバーです。

まさに彼女は家族との葛藤やいじめから、自傷行為やドラッグ、BFとのSM行為、バイセクシャルなど衝動的な欲求を繰り返してきました。

5番の人は、直感的な即断力と視覚エネルギーに優れ、自分の心から湧き出す視的イマジネーションに気づき意味を見いだせるようになると、素晴らしい人生の方向性が見えてきます。自立と依存の中で揺れ動きますが、自分を律することで本当の内面の自由と独立を果たします。

彼女の人生は映画の役作りのためUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の慈善旅行に2度参加してから大きく変わります。その後カンボジアから養子を迎え、彼女は慈善活動へ大きく力を注ぐことになります。


運命数(Destiny number6番

6番は母性的な愛情と、父性的な責任感をもって、人々のため世の中に奉仕する使命をもっています。

人の成長を手助けするのに携わるナンバーであり、現在彼女は夫婦で基金を立ち上げ、実子以外にも3人の養子を育てています。

被災地を実際に訪れ、これまでに多額の寄付をしてきたことも有名です。

ただこのナンバーは時に献身が自己犠牲を超えて隷属状態に陥る場合があるので、その境界線を学ぶ必要があります。


ソウル数(Soul number6番

運命数に続き魂の欲求でもあるソウル数も6番です。

このナンバーの人の魂は、人を慈しみ守りたいと欲求しています。

自分を犠牲にしてでも人に尽くしたいという欲求は、時として独りよがりとなり相手の領域を侵し、束縛へとつながることに注意が必要です。

彼女は慈善活動に力を入れるだけでなく、養子・実子ともに愛情を注ぎ家族の時間を大切にしています。


人格数(Personal number9番

このナンバーの人が外に見せている顔は、懐の深い理解者の顔です。

どんなタイプの人にも朗らかで公平な態度をとり、共感することができます。時と場合によって、人との接し方や自分らしさの表現を、自然に切り替えることができる人です。

近年の彼女は9番らしい顔を世間に見せているように感じます。


実現数(Realization number11-2番

11番は12乗のパワーを持った、素早い決断と直観力でリーダーシップを発揮することができるパワフルなナンバーです。

芸術性の高いナンバーでもあるので、彼女の女優としての優位性を生かして、世の中に働きかけることは成功への近道となりそうです。


ステージナンバー(Stage number7番

活躍の舞台は7番です。

マニアックに探求するナンバーと言えます。彼女は女優という仕事だけでなく監督業にも興味を持ち、映画撮影に力を注ごうとしているところです。映画の題材を探求し、深く掘り下げていくことが大切だといえます。今後の彼女の作品に期待したいです。


Nature number 9番

人格数と同じ9番です。

奉仕、博愛が彼女を語るキーワードになりそうです。


Action number 5番

誕生数とおなじ5番。彼女の行動は自由、そして新しい風を起こす人となりそうです。

まず行動を起こし、あちらこちらに頭をぶつけながらも成長してきた人と言えます。


Challenge number 20-2番

0のつくナンバーは霊性が高く、また2番は協調をはかり奉仕するナンバーです。イメージの世界に身を置き、人道的な目的を現実社会で実現することが彼女の目標となります。

現在、Challenge numberは人格数と同じ9番。彼女の慈善活動は世界に周知され、乳がん予防の啓蒙活動にも大きく貢献しています。彼女の活動は世の中に認められた今、再来年からくる次のステージに向かっていると思われます。

ちなみに再来年からのnumber7番です。彼女は更なる探求を深めて活動していくことが求められています。


チャートより

Growth 6番

育てる力に優れています。愛をもって理解し、成長を助けることができる人です。


Maturity 1番

集団意識をひっぱることができる人です。人の先頭に立って慈善活動をする彼女は天職と言えます。




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History


~若年期 youth number 6番~

彼女の若年期は家族の問題や、心身の調和の問題に揺れ動きました。

幼少期は両親の離婚といった家族の問題に直面しました。また学生時代にはいじめにもあい心身のバランスを崩し、自傷行為を繰り返すことになります。傷が残るほどのSM行為やドラッグにも手をだし、人間関係と愛情に揺れた時期を過ごしてきました。


3才 (Year number 26-8)

8番は現実問題がでてくるナンバーです。

また26番ということから受け身で家族の問題がでてきました。

すでに俳優の父とは別居していましたが、この年両親が正式に離婚しました。

その後彼女は父と長い間確執ができることになります。


13才 (Year number 27-9)

学校でのいじめなどで自傷行為を繰り返します。この自傷行為は20代前半まで続きます。

自分への信頼の欠如から依存を繰り返すという、2番と7番の悪いところがでた年でもあります。


14才 (Year number 28-10-1)

演劇学校を辞めます。そしてファッションモデルを始めます。

その頃ボーイフレンドと同棲を始めますが、傷が残るほどのSM行為をしていたことをのちに告白しています。

10番は流れが変わる番号です。ファッションモデルを始め、ミュージックビデオにもでるようになり、後の女優への流れを作ったといえます。

しかし依存体質はかわらず、そのまま何年も悩まされることとなります。


20才 (Year number 7)

初主演の映画で最初の夫となる俳優と共演し、結婚しました。

7番は何かを始めるにはいいナンバーですが、果たして彼女の結婚生活はどうだったのでしょうか...


23才 (Year number 10-1)

10番は流れががらりと変わるナンバーです。

最初の夫と正式に離婚します。

そしてバイセクシャルな彼女は、この年日系人女性モデルと交際をします。

私生活では離婚し新しいスタートを切りました。

仕事ではゴールデングローブ賞のテレビ映画部門・主演女優賞を受賞し、女優として世間に広く知られるようになります。


24才 (Year number 11)

11番はイニシエーションイヤーと呼ばれています。次のステップへ大きく飛躍していく年です。

この年彼女は映画『17歳のカルテ』で、助演女優賞をゴールデングローブ賞とアカデミー賞とダブル受賞します。また私生活では共演俳優と2度目の結婚をします。


26才 (Year number 4)

この年は彼女にとって大きな人生の転機となりました。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の慈善活動に参加し、UNHCR親善大使に任命されます。

4番は何かを始めるのに大変良いイヤーナンバーです。

慈善活動に参加した彼女の人生はここから大きく変わっていきます。

まだ育児経験のない彼女ですが、カンボジアからマドックスくんを養子として迎えるという大きな決断をしました。


27才 (Year number 5)

5番は家族の問題がでやすいナンバーです。そして人生の方向転換をする時期です。

この年彼女は2度目の夫と離婚します。

そして長年の父との確執から、本名Angelina Jolie VoightからVoight をとってAngelina Jolieに改名することを裁判所に申請し認められました。


28才 (Year number 7)

この年、現在のパートナーのブラットピットと共演し交際をスタートさせます。

7番は何かを始めるのによいとされるナンバーです。

ただし当時は否定していましたが、交際をスタートさせたのはブラピがまだ前の妻と正式に離婚する前だったようです。


30才 (Year number 8)

8番は精力的に活躍するナンバーです。

この年彼女はパートナーのブラピと一緒に、パキスタンで慈善活動に参加します。

またエチオピアからエイズ孤児だったザハラちゃんを、二人目の養子として迎えました。

二人の養子はブラピも里親となり、ジョリー=ピットと改名します。

そしてこの年ブラピとの間にできた実娘シャイロをアフリカで出産します。

彼女にとって大変実りのある、充実した年だったのではないでしょうか。


31才 (Year number 9)

9番は完結し新しい流れへ向かうナンバーです。

彼女とブラピの慈善活動は、この年『ジョリーピット基金』を立ち上げ大きな形となりました。

そして家族の別れと新しい家族の出会いがありました。

彼女の実母が他界し、ベトナムから孤児のパックスくんを養子として迎えたのです。


~壮年期 maturity number 4番~

現実的な問題に向かい合い、基盤をしっかり作るナンバーです。

若年期は山あり谷ありのジェットコースター人生だった彼女は、30代になり地に足をつけ

精力的に慈善活動に取り組み、また同時に家庭人としてもよき母となります。


32才 (Year number 10)

10番は新しい流れに乗るための変化のナンバーです。

余分なものを手放しコミュニケーションを大切にすることで、次の流れの準備をする時です。

この年彼女は、長年確執のあった実父と和解します。


33才 (Year number 11)

11番は「真の理想に向かって目標を掲げ進む」イニシエーションイヤーです。

ブラットピットとの間の双子ノックス&ヴィヴィアンを出産し、実子3人・養子3人の大家族になります。

そして養子ザハラちゃんの母国エチオピアに、HIVエイズクリニックを設立するために寄付をします。

「家族」「慈善活動」をキーワードに、彼女は明確な目標をかかげ突き進んでゆきます。


34才 (Year number 12)

12番は多忙に活躍する年です。

ハイチ地震被災地を訪問し、寄付をしました。


35才 (Year number 4)

4番は現実的な問題を堅実に対処するナンバーです。

洪水被災のパキスタンを訪問し、寄付活動をします。


37才 (Year number 6)

この年彼女は大きな決断をします。

6番は病気と調和をはかるナンバーでもあります。

彼女は母を乳がんでなくしており、自身も遺伝子検査で乳がんを発症する確率が8割あることが判明し、家族のため乳がん予防として乳房切断手術を決断します。

この決断は世間に大きな衝撃を与えました。


38才 (Year number 7)

7番はステップアップできる年です。コンセプトや計画をより深める時期です。

はじめて悪役にも挑戦し、女優としての幅を広げ、実子との共演も果たしました。

また女優としてだけでなく、映画製作への意欲も語っています。


39才 (Year number 8)現在

8番はパワフルに活躍するナンバーです。

今年彼女はどんな活躍を私たちに見せてくれるのか楽しみです。



Reported by kaori

Aeons Numerology 6th class @ Tokyo


by kej000 | 2015-03-06 22:07 | おもしろ数秘学

マリリン・モンローに捧ぐ

Marilyn Monroe  1926/06/01 生まれ


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アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス出身の女優。
本名「ノーマ・ジーン・モーテンソン(Norma Jeane Mortenson)」。
ある日ネット上でこの写真を見た時、彼女の恐れや心細さがダイレクトに伝わってきて、
涙が止まらなくなりました。


私の中にもある恐れや心細さ、淋しさを鏡のように映しだしているのでしょう。
良く知られている、明るくセクシーな顔の奥にある本当の彼女を知りたくなりました。
20世紀を代表するセックスシンボルとして愛され、36歳の若さで謎多き死を遂げた彼女の人生を
ノーマ・ジーン・モーテンソン時代からマリリン・モンローとして生ききるまで、
年代を追いながら、数秘術の面からみてまいります。



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≪Marilyn Monroe≫       ≪Norma Jeane Mortenson≫     
Birth---------------------7(16)     Birth---------------------7(16)      
Destiny------------------1(10)     Destiny------------------4(13)      
Realization--------------8         Realization--------------2(11)      
Soul----------------------9        Soul----------------------8        
Personal----------------1(10)       Personal-----------------5(50)      
Stage--------------------4(13)      Stage--------------------4(13)
Challenge---------------3(30)     Challenge----------------3(30)
Action-------------------1         Action-------------------1
Youth-------------------6         Youth---------------------6






【History】 
生まれてから36歳で亡くなるまで16~25 という2ケタが続く人生


◇Youth No(若年期)◇⑥

 ・調和的で優しい、家族的な愛、というNoですが、
彼女の場合はいつでも家族的な愛や優しさを求め続けていた、
満たされない時期であったと思われます。
 ・ノルウェー系移民のパン職人の父と敬虔なキリスト教信者の母の間に生まれた彼女ですが、
両親の離婚や母親が精神病を患ったことから里子に出され、
いくつもの家をたらい回しにされたそうです。
里子に出された先では幼いころからネグレクトや性的虐待も受けていたと言われており、
家庭の暖かみを知らずに育ったのでした。

■Birth(誕生数)■16-⑦
 
・その方の基本となる部分が表れる数です。彼女の場合は16-⑦
⑦は「飛躍」「鋭敏な知性」「真面目でひたむき」という数。
後に世界中の男性を魅了した彼女独特の歩き方『モンローウォーク』は彼女自身の発案で生まれました。
片方の靴のヒールを1/4インチ(6.5ミリ弱)短くすることでわざとバランスをくずし、
腰が大きく揺れるようにしたのです。 
どうすれば、自分をよりセクシーに魅せられるか研究したのですね。
このことからも、「グラマラスな身体が売りの頭が空っぽ」な女性ではないということがわかります。
 ・16の方は心の奥底にとても美しく繊細な部分を持っている。といわれています。 
プライバシーを大切にし、ひとりの時間や空間が必要な方。彼女も豊満な肉体の内側に、
美しくてもろく、繊細なガラスの城を築いていたに違いありません。
アクシデントによって強力に自立を強いられる数でもあります。
・そして間違った「愛や信頼」の価値を修正するため、多くの恋愛体験や事態に遭遇する数でもあります。
⑦のa-matureな姿「淋しがり屋」「神経過敏」で不安定な部分と相まって、
数々の浮名を流すことに繋がったのかもしれません。


■Destiny(運命数)■13-④

・安定、基盤を表す④。家庭を象徴する数でもあります。
『安定した家庭環境』という言葉が浮かびます。
・ですが併せ持っているのが『Deth No.』といわれる修練の数13
カルマを一気に清算、上昇するために、最大の
ギフトとして、多くの試練を経験するという数です。
 ・求めても得られないあたたかな家庭のやすらぎと、絶対的な愛情。 
満たされることのない飢餓感…。
悩み苦しみながらも聖性をめざしていく魂をもつ数です。


■Realization(実現数)■11-②
 
・1と1で11、とみると芸術性、創造性、行動力、モチベーションの持続…など大きな才能を持パワフルな数です。
とてもキビシイ環境で生まれ育ち、そこから文字通り『身ひとつ』で映画界で活躍するまでになる、
彼女らしい数といえるでしょう。


■Soul(価値観や魂の目的を表す数)■⑧
 
・情熱的でパワフル。アピール上手で場を上手く仕切る能力がある。
力を多角的に放出していくという特徴を持つ。
・地位、名声、お金を掴んでから『パワーを得てどうバランスをとっていくか』という学びがあります。


■Personal(人格数)■50-⑤
 
・活発で行動が予想不可能。そしてなんだか魅力的な少女だったと想像できる⑤です。
情熱的で奔放、恋愛遍歴も多くなりやすく、スピード婚もしやすいという数です。


◎16歳 1942年 Year No.23-⑤ 高校を半年で中退し、最初の結婚

第二次大戦下のこの年、高校を半年で中退して母の友人の勧めで、
母の家の近所に住む航空機整備工ジム・ドハティと結婚。 
周囲の強い勧めもありましたが、ノーマ自身もこれまでの悲惨な人生を大きく変えるチャンス
と考えて結婚したのではないでしょうか。
その後ジムが海軍に徴兵され、ひとり暮らしになります。

◎19歳 1945年 17-⑧ スナップ写真が陸軍機関誌に載る

自活のため、工場で働く彼女を映した写真が、陸軍機関誌に載り、
映画界への道が開けていくきっかけとなりました。
17の年にふさわしく人との交流から自分の世界が拡大したのです。
Soulの⑧の「情熱的でアピール上手」な部分が発揮された結果かもしれません。
Soul No.と同じYear No,⑧のこの年は「富と力」への道が開いたともいえるでしょう。 
工場を辞め、ハリウッドのモデルクラブに所属してイベントコンパニオンやピンナップモデルとなります。
ブルネットの髪を後のトレードマークとなるゴールデン・ブロンドに染めたのもこの頃です。

◎20歳 1946年 18-⑨ 20世紀FOXと契約 、ジム・ドハティと離婚

人生において重大な二者択一をする18。 
そして不要なものをそぎ落とし、才能の開花、
次の光をめざす⑨

この年、モデル業を理解しないジムと離婚し、20世紀FOX社と芸名「マリリン・モンロー」として契約。


マリリン・モンローとして世の中に打って出ることで、数秘術的にも大きな変化が表れます

■Destiny(運命数)■10-①
 ・自己実現の為に人々をリードしながら、パワフルに活動していく方。
 ・10を持っているので、内側に湧き上がるイメージと天から得るインスピレーションを実現する可能性があります。
その才能を自分だけでなく多くの人の協力を得て実現できれば、
大きな成功と名声が約束されています。 
ですが、ひとりよがりで理想が独り歩きすると、大きな落とし穴に落ちるかもしれません。

■Realization(実現数)■8
 ・地位、名声、お金 等、社会的な「力」を得てから、本当の学びが始まるというエネルギッシュな数。
彼女の外見からは想像できない数かもしれませんね。

■Soul(価値観や魂の目的を表す数)■⑨
・パワフルに「のし上がるわよ!」というようなDestinyとRealizationとは印象の違う⑨です。
⑨は自然数の全てを現し、全てを含んでいる数。それ故博愛で懐も深いが、時に揺れやすく、
不安定な心に苦しむことも多い数。
そのような苦しみも含めて、様々な経験を通して叡智の習得をし、世に表現していくNoです。
彼女の場合は戦地の兵士への慰問活動を積極的に行っていました。
 ・ロマンチストで惚れっぽく、男性というより恋愛に依存しすぎる側面は⑨のa-matureな部分でしょう。

■Personal(人格数)■10-①
 ・2つめの10-① 10を持つ方は人生のある時期に『Spiritual Fall』など大きな変化の機会を経て、
人道的な目的や人に癒しを与える道を歩みだすことが多いといわれています。
愛に飢えて育った彼女が映画界で成功し、多くの人から愛されるスターになった時に始めた
慰問活動だけでなく、映画や写真でそのやわらかな肢体と笑顔を見せすること自体が、
人々を癒していたのかもしれません。
 ・極度の不安症から薬物中毒に陥っていたというのも、①の側面の表れでしょう。

■Stage(活躍する舞台)■13-④
 ・安定、基盤を表す④。社会の中で確固たる地位を築く という見方もありますが、
彼女の場合は、子供の頃から
望んでも得られなかった『温かい家庭』こそ、心底望んでいた舞台でした。
・ですが併せ持っているのが『Deth No.』といわれる修練の数13。 
カルマを一気に清算、上昇するために、最大のギフトとして、多くの試練を経験するという数です。
 ・本来Deth No.のDethは「EGOの死」を指しているので、
EGOを捨て去った時に彼女の美しいSPIRITのままに
確固たる地位を築ける資質を持っていたことがわかります。
・ですが映画の撮影をすっぽかして積み上げたキャリアを信用を自ら破壊する…
これも『創造と破壊を繰り返す』⑬
ならではのことだったのかもしれません。

■Challenge(チャレンジ)■30-③
 ・③のチャレンジは、魅力的な人柄や芸術芸能分野で人を惹きつけ、
豊かな表現力を用いて多くの人々を癒し、
喜びを与えること。 映画女優として、
アメリカのセックスシンボルとして人気を集めた彼女にふさわしい数です。
 ・30という数を持っていることから、霊性の高い方だったと思われます。

■Action(行動パターン)■①
 ・自分の創造性を表現していく。こうと決めた目標、目的の達成のために地道な努力をする数です。
スターになってからも、セックスシンボルを脱したかった彼女は
アクターズ・スタジオに通い演技の勉強をしたそうです。

■Nature■⑦
・Birth No.と同じ⑦。 カメラの向こう側の大衆に向けた作った表情ではなく、
素が垣間見える写真に見られる
表情が語るように、繊細で寂しがり屋だったのでしょう。






≪その他のNo.≫ チャートで際立っているNo.は…
本名では際立つ資質が表れていないのですが、芸名「マリリン・モンロー」では大きく変わります。

◆Self (自我を貫く)◆⑤ 思うままに自我を貫こうという意志
◆Maturity(成し遂げる力)◆⑤ 大衆の心をつかみ、刺激を与え、自らがトレンドとなる。
◆Lead(統率力)◆⑤ スターになるだけでも高いリーダー性を表していますが、
⑤は衝突の暗示でもあります。
◆Body(肉体・自己形成)◆⑤ ボディヒーリングの高い資質を表している。
美しい容姿を武器にした彼女も、ある意味ボディヒーラーだったと言えるでしょう。



◎21歳 1947年 19-10-① スクリーンデビュー

映画『嵐の園』に端役で初出演するも、ぱっとせずに契約解除されます。
コロムビア映画と契約をしますが、準主役で
映画1本に出演しただけでまたもや契約解除となります。
生活苦からヌードモデルに戻り、演技の勉強やエージェント探しを続けました。 
この頃撮影したヌード写真が、
のちに大きな意味を持つことになります。
勇気を試される、また専門領域へ向かう19、そして新しい波にのる10のこの年、
無意識のうちに近い未来への種まきもしていたようです。

◎24歳 1950年 22―④ 本格的映画デビュー と 知的な努力
 
 エージェントの尽力で「アスファルト・ジャングル」、「イヴのすべて」に出演し、はじめて女優として注目されます。
 俳優として認められるために必要な「知性」を得ようと、膨大な量の読書、
本格的な演技の勉強など、22-④の年に
ふさわしく、大きな理想を叶えるための基盤づくりに取り組み始めたといいます。
以降数本の映画にわき役で出演。1953年に主演した「ナイアガラ」であのモンローウォークを披露し、
世界の男性の注目を集めました。
続いて「紳士は金髪がお好き」「百万長者と結婚する方法」「七年目の浮気」が大ヒットし、
トップスターとなりました。




◎26歳 1952年 24-⑥ 昔のヌード写真が世に出るスキャンダル

歓びの感受、人間関係拡大の⑥
映画会社に契約を解除されて苦しかった頃に撮ったヌード写真がカレンダーとなり、
スキャンダルとなります。
ですが、このことによって大衆の注目を集め、知名度があがりました。 
セックスシンボルとして愛されるようになったのです。 

◎27歳 1954年 16-⑦ 元ニューヨーク・ヤンキースの人気選手だった
ジョー・ディマジオと2度目の結婚

Birth No.と同じ16-⑦、大きな意味のある年であったと思います。
この年、知名度の高い元大リーガー ジョー・ディマジオと結婚。 
ステージアップや可能性の拡大という⑦の年ですが、決して打算ではなく「自己の解放」を
望んでいたのではないでしょうか。
16の年の結婚にふさわしく、彼との出逢いに運命を感じ情熱的な恋愛を経て結婚したのでしょう。
ディマジオの仕事を兼ねた新婚旅行で日本を訪れました。 
この日本滞在中に、退屈だったとはいえ夫を日本に置いたまま、
朝鮮戦争で韓国に駐留していた米軍の慰問に向かってしまいました。
 
◎28歳 1955年 17-⑧ ジョー・ディマジオと離婚
軌道修正の⑧。関係が悪化していたディマジオと9か月で離婚

◎30歳 1956年 18-⑨ 劇作家アーサー・ミラーと3度目の結婚
 
戯曲「セールスマンの死」でピューリッツァー賞を受賞した10歳年上のミラーは、
彼女が求め続けていた「優しい父性」と「優れた知性」の持ち主でした。
「年の差婚」や「知恵と奉仕」の⑨の年にふさわしい結婚。
マリリンはこの結婚に「崇高さ」も求めていたようです。

18の年の恋愛や結婚は精神的に理解しあえる人と向き合う。
そして不安定な時期だが結婚によって落ち着くといわれているのですが、
彼女の場合は残念なことに、このころから精神の不安定さが加速し、幾度かの流産も
重なって睡眠薬を多量摂取し、病院に搬送…
を繰り返すようになり、だんだんミラーとの仲も険悪になります。

◎35歳 1961年 24-⑥ アーサー・ミラーと離婚

前回の24-⑥の年には過去のヌード写真のスキャンダルで人気が出るという
プラスのハプニングがありましたが、
この年は⑥の「結婚・離婚」、「二者択一」という面が色濃く出たようです。
また、この年に封切られた映画「荒馬と女」の評判が悪く、
共演のクラーク・ゲーブルが撮影終了後に急死したことも重なり、精神不安定に拍車がかかります。 
精神病院に入院する彼女を支えたのは、元夫のディマジオでした。

◎35歳 1962年 24-⑥ 5月19日 ジョン・F・ケネディ の誕生日パーティに出席

ミラーと離婚する前、1959年頃から深い関係にあったといわれる
ケネディ大統領の45歳の誕生日パーティに出席、
「ハッピーバースディ・Mr.プレジデント」を歌い、大統領を喜ばせたといいます。
 

◎36歳 1962年8月5日 25-⑦ 死去

Birth No.と同じ⑦ のこの年、ロサンゼルス郊外の自宅の寝室で全裸で亡くなっているのを
メイドが発見。
マスコミでは「死因は睡眠薬の大量摂取による急性バルビトール中毒で自殺」 と
大々的に報道されました。
ですがその直後から数々の「謀殺説」がささやかれています。

愛らしさや得難い才能、意志の強さを持ちながらも、
繊細で精神の不安定さや数々の男性との関係に翻弄されてしまった彼女。 
生きていれば66歳まで2ケタが続く、ドラマチックすぎる人生から「解放」された⑦の年だったの
かもしれません。

◆◆◆

不幸な生い立ちを背負った愛くるしい少女ノーマ・ジーン・モーテンソンから、
世界中の人から愛される
女優「マリリン・モンロー」になった彼女。

名前を変え、髪の色や顔を変えて、女優になってからもずっと求め続けたもの。
そして生涯手にすることができなかったもの。 
それは一般的な女性と同じ「あたたかな家庭のやすらぎと、絶対的な愛情」だったのではないでしょうか。
世界的な映画女優になって大衆から愛されても、決して癒されることのない淋しさ。
女優になってからの二度の結婚も、数々の有名人とのスキャンダルも彼女にとっては純粋に
「私だけを絶対的に」愛してくれる人を求めていたのでしょう。
彼女が求めていたのは彼女の中のガラスのお城に住む「ノーマ・ジーン」を愛してくれるひと。
ですが、男たちが愛するのは「マリリン・モンロー」。 
心の中の空洞はどんどん大きくなり、精神のバランスをくずしていったのかもしれません。

求め続ける限り、決して満たされることはないのですね。 
留まることの大切さを教えられたような気がします。

亡くなる数年前から元夫のジョー・ディマジオがいろいろと面倒をみていたようです。 
離婚したとはいえ、彼女に対して深い愛情を抱き続けていたといいます。
すぐ近くにあった愛情に応えることができていたら…また違う人生が続いていたのでしょうか。

Reported by Yumico Okada
Aeons Numerology 6th class @ tokyo
by kej000 | 2014-10-15 11:45 | おもしろ数秘学

皇太子妃・雅子さま  〜その博愛精神と崇高な理想を

皇太子徳仁親王妃雅子



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生年月日    1963年12月9日


Birth path number 22-13-4

卓越した才能の持ち主。真面目で几帳面。忍耐強くコツコツと努力を重ねる人。
目立つことはなく控え目だが、情熱を内に秘めている。
責任感が強く、他者からの信頼は厚いが、安定を好み過ぎると、
ときに閉鎖的な人間関係を築いてしまう可能性もある。
数多くの問題が起きるたびに変容をする修練を繰り返し、
学びを喚起させられながら成長し、強い感受性を生かしながら高い理想に向かって
現実社会で活躍する人である。
物事を個人レベルでなく宇宙規模でとらえられる人。
博愛精神を持ち、大きな成果を成し遂げられる。
雅子妃は幼少の頃から動物好きで、小中学校では、学校で飼育していたウサギやハムスター、
ヘビの世話まで積極的に行っていた。
小和田家でも犬を飼い、また皇室でも犬と生活を共にされている。
どんな生き物に対しても分け隔てなく強い愛情を注いでいた様子は、
慈悲深い心の持ち主であると感じた。

Destiny number 5

「よりよく」あるため、常に変化を求め、新しいことにチャレンジする。革新的な意識の持ち主。
多才で知的欲求も強く、活動的。自由にあることで自分の力を存分に発揮できるタイプ。
一方で他者から強制的に動かされたり、その意味が理解できないときには不安定になる。
現状維持という環境では混沌としてしまう人。
雅子妃にとって皇室は閉塞感を感じるであろう環境と思われる。
脈々と受け継がれてきた慣習やしきたりを重んじる世界において、何かを変えようとすることは、
周囲との大きな摩擦を生みだすに相違ない。
知性の高い雅子妃は伝統を受け継ぐ意味等は十分に理解しているものの、
その一方で変容を求める自らの意識との葛藤を現在まで抱えているのではないか。

Realization 9

慈悲の心を持ち、人々に自分の経験から得た叡智を伝え、社会貢献すること。
不要なものは手放し、なお前進すること。よくも悪くも他者からの影響を受けやすく、
ときに両極で混乱しやすいので、自分の核を定めて集中することが必要。

Soul number 16-7

多くの体験を重ねる度に自分の価値観を変化させ、深い探求を続けていく人。
宗教や哲学、精神世界等の分野に魅かれ、論理的で分析的な研究を好む。
一人でいる時間がないとバランスが保てないが、視点が自分の内面に向きやすいので、
なるべく多くの人とオープンにかかわることが必要。

Personal number 16-7

洗練された人。内に情熱を秘め、物事に真面目でひたむきに取り組み、高い知性を感じさせる人。
ときに孤高な印象を与え、人に厳しく、融通がきかない皮肉屋と受け取られてしまう可能性もある。

Stage number 12-3

今までのパターンを打破し、人の中に出て行くことによって、人に幸せを与えられる人。
自分の持っているクリエイティビティを表現していくことで、人に光を当てることができる。
人を引き付ける魅力の持ち主。自分が心から楽しいと思うシチュエーションで力を発揮できる。

Challenge number 20-2

自らが率先して行動するだけではなく、周囲からの流れを受動的に受け止めることもできるかどうか、
自分と他者との境界線のバランスをどこに置くか。
変化することを受け入れていくことができるか。
高い霊的素質を現実社会に生かせるかどうかがかぎとなる。

Nature number 5

自由でいることで力を発揮できる。革新的な意識の持ち主。
好奇心旺盛で、変化をしながら自分の核となるものを形成していく。

Action number 1

今までなかったものを創り出していくこと。


<特徴的な資質について>

Lead 1
新しく生み出し、自らがリーダーとなり、他者を牽引していく力。

Make mode 5
常に変化していく空気を創り出すことができる。

Emotion 1
様々な感情によって大きなエネルギーを得る。


<人生について>

・誕生~32歳(1996年)    3

誕生に際し、雅子という名前は両親の雅やかに育つようにという願いが込められている。
小和田家では、「雅・礼・節」が、人が生きていく上で最も大切なものと考えており、
雅子妃の双子の妹は、礼子と節子と名付けられている。
外務省職員であった父親の仕事の関係で、幼少期より、旧ソビエト、アメリカで過ごす。
小和田家では、海外生活で暮らしていても常に日本のことを忘れず、
四季折々の日本の伝統的習慣に触れるような教育を行っていた。
このような教育方針が、雅子妃が後に外交官という職業を選択する際の素地になっていると思われる。


・1971年 帰国&公立小学校編入(year cycle 20)

当時雅子妃は、おとなしいが、自分の意見ははっきりと言うような、自立性のあるのびのびとした子供であった。
長く日本を離れていても違和感なくクラスに溶け込み、
友達とかかわりながら学んでいた姿が想像できる。


・1972年 田園調布雙葉学園に編入(year cycle 21)

クラスメートから頼りにされる、お姉さん的存在であったが、
自ら進んで人前に出て行くタイプではなかった。
授業でも、積極的に手を上げることはなかったが、先生に指名されると何でも答えることができた。
決してガリ勉タイプではないのに、成績はいつも上位であった。
知性をひけらかすことなく、クラスメートとの和を重んじ、
楽しく充実した学校生活を送っていたと思われる。


・1976年 中等科でソフトボール部創設(year cycle 26)

プロ野球の巨人軍ファンであったことから、ソフトボールに興味を持ち、友人と協力して学校に交渉し、
ソフトボール部を創設した。
ソフトボール部では率先して練習し、中心選手として活躍し、チームを牽引し、
東京地区優勝を成し遂げる。
学校側との交渉から強いリーダーシップを発揮しつつ、皆で一緒に成功を目指すという8の特性が端的に表れているエピソードだと思う。


・1979年 渡米(year cycle 28)

父親の仕事の都合で再び渡米。
この年で誕生より続いていた2桁が終わり、2から始まる次のサイクルに入っていく。


・1987年 外務省入省(year cycle 9)

アメリカの大学卒業後、外務省入省試験受験準備のため帰国。
半年後の試験に合格し、外交官としての道を歩み始める。
9は完結を表す。外交官になるという夢を叶え、さらにその先へと第一歩を踏み出した。
また、ほぼ同時期に皇太子と出会っている。9は運命の動きやすい時でもあり、
まさに人生が大きな方向へ動いた時期であった。


・1993年6月 納采の儀 (year cycle 6)

喜びの時期。皇太子妃となったことで、結婚生活が大きなテーマとなった。
家庭内や体面的な部分での自分の役割について、深く考えさせられることとなった。


・1999年12月 第一子流産 (year cycle 4)

Year cycleが大きく変わった(12→4)直後の出来事。
社会全体の世論が早く次世代をと望む中、結婚後、恐らくは医学の力等も借りつつ、
国民の期待に応えるべく努力を重ねていたと思われるが、結果を出すことができなかった。
またマスコミ等の過熱報道もあり、周囲に対して心を閉ざしてしまいがちになる。
再度体調管理の見直しも行われたと思われ、今後の基盤を作っていくきっかけになった出来事。


・2001年12月 愛子内親王出産(year cycle 5)

Year cycleが5→6に変わる直前に出産。出産により大きな喜びを手にし、生活や内面が大きく変化。
今まで感じていた閉塞感を育児によって解放することで、精神的に安定を取り戻す。
献身的に育児に取り組む。


・2004年7月 適応障害と公表 (year cycle 8)

2003年5月には帯状疱疹を発症し、長期療養をしていることから、
それ以前より大きなストレスを抱えていたものと思われる。
前年のyear cycle7あたりから心身のバランスを崩し始めたのではないか。


・2013年4月 オランダ公式訪問 (year cycle 8)

オランダ訪問後、同年11月には東日本大震災被災地を泊りがけで慰問。
自己と他者との力のバランスに気づき、調和する方法に気づき始めたのではないか。
置かれた環境の中でも自らの力を発揮できる方法があることを学ぶ。


<まとめ>

課題をいただいたとき、漠然と雅子妃を読んでみようと浮かんだ。

雅子妃の数字を読み解くうちに、皇太子妃として、やはり選ばれるべくして選ばれた人だと感じた。
国民が何を求めているのかを敏感にキャッチする能力に長け、
その思いに応えられるような皇室を創り上げることができる力を持っている人だと思う。

私自身の体験として、数年前、車で移動中の天皇陛下に遭遇したことがある。
公務中ではなかったらしく、服装もラフな感じで後部座席に座っていらっしゃった。
私たちとの距離はほんの数メートルであり、私たちが手を振ると、
笑顔で手を振りながら通り過ぎて行かれた。
そのときに、その漂う雰囲気から、やはり一般人とは違うエネルギーの持ち主だと強烈に感じた。
天皇陛下が終戦まで現人神と言われた所以が少し理解できたような気がした。

天皇陛下は生まれながらにして皇室という環境で育ち、
よくも悪くも皇室以外の世界を身を持って体験される機会はない。
しかし、雅子妃は一般社会という場を経験してから皇室入りをされた。
外交という分野は外務省時代に十分に経験されていたが、
皇室外交というものは、政治色の実務的なものではない。
外務省では自分が主体的にかかわっているという手ごたえを存分に感じていたと思うが、
皇室では、側近がお膳立てをする部分も多いことから、その実感も薄れ、
自分の存在意義にすら疑問を持たれているのではないか。
今まで経験が、時に事を難しくしているのかもしれない。
培った経験を叡智に変えていくことが現状を打破する方法なのではないかと思う。

人と触れ合うことで、雅子妃自身の輝きが増すとともに、他者に光を当てることもできる。
そこにはいいエネルギーの循環が生まれ、日本がいい方向に向かう推進力になるはずである。
私を手放して日本という枠を外し、より広く大きな視点で物事をとらえながら、
御自分が理想とするゆるぎない皇太子妃像に向かって探求を続けていただきたい。

2014年12月以降、cycle number 19-10-1となり、また大きな変化を迎える時が訪れる。
また、year cycleも、今後数年間は2けたの高い波動が続いていく。
引き続き、周囲の言動に揺り動かされることは続くかもしれないが、
優れた直感を信じて物事を決めていくと、事がスムーズに運ぶと思われる。
今までの殻を破り、試行錯誤を繰り返しながら、大衆に希望の光を与えてくれるような新しい皇室を創り上げてほしい。
                          

Reported by Tomoko Kubota
Aeons Numerology 6th class @ tokyo
by kej000 | 2014-10-15 11:41 | おもしろ数秘学

今が大事・・相田みつを  数秘基礎科卒業レポートより

数秘学で読み解く、有名人の生涯。
次のレポートは、相田みつをさんです。

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相田みつを

 

本名 相田光男

生年月日 1924520

 

四男二女の六人兄弟の三男。

書家、詩人として誰の真似でもない自分の書、自分の言葉を探求し続け、“いのち”の尊さを見つめながら独自のスタイルを確立し、多くの作品を生み出した人。「私は書という形式を借りて、人間としての本来的なありよう、本当の生き方を語りかけるだけなんです」と言い、自分の弱さや甘えを正直にさらけ出し、人間である自分をあるがままに表現した。その作品は、今を生きる人々の心の中に、あるときはしみじみと、またあるときは力強く語りかけてきます

 

誕生数は、145

14番は、家族との協調、家や職の余儀ない変化などの体験によって建設的な自由とは何かを学ぶ番号です。

また、自分自身あるいは身近な人々の問題を通して、極端に走りがちな傾向を理解して癒し、バランスを取り戻す作業を行なう番号でもあります。

 

みつをの二人の兄は戦死しました。母はしばらく発狂し、それ以来みつをを溺愛します。そしてみつをが暴漢に襲われ、重症をおって、母の愛情はますます激しく、母がみつをを離そうとしなくなります。母のみつをの妻への憎しみが想像を絶していたので、みつをは座禅に救いを求めました。みつをは、母がこうでなかったら、一途に禅の教えを請わなかったかもしれないといって、「おふくろは俺に苦しい思いをさせることによって、俺を救ってくれた菩薩さまではないか」と思うようになったそうです。

 

また5番は、自由を得るために、刺激を求めたり、刺激を送る人です

 

みつをは妻と二人の子を養うために細々とお習字の先生をやっていましたが、在来の形式の安易なやりかたの『書』で満足か?悔いはないか?と自問自答するようになります。そして生活は苦しくなっても、素っ裸の人間として、どこまでも自分の本心、本音を書いてゆこう。人間としての精神の自由だけは誰にも渡さずに固く守りながら。と決意します

誕生数が冒険の5で、運命数が安定の4

安定した書の世界を取るか、未知の世界に出るかの葛藤はいかばかりだったかと思われます

 

『しあわせは いつもじぶんの こころがきめる』という作品がありますが、生前息子の一人さんに、「自分の幸せを自分で決める。当たり前のことだが、現実はどうか?例えば、お金や社会的地位の有無で、人や世間に決められていることが多いのではないか。自分もそうだが、何か大事なときには、自分の幸せを自分で決めるという生き方をしたい」と語っており、内面の自由を貫いた人だと言えます

 

そして、作品は内外問わず多くの人々の心をとらえ今も読み継がれています

 

 

 

次に運命数ですが、

404

4番は、みんながだれでもわかるように、ものごとの本質を明らかにしていく数字です

そして、コツコツと真面目に取り組み、自分の発想を現実に応用する方法を見つけていく数字です

 

みつをの作品のベースは、曹洞宗の禅である道元禅師著作の「正法眼蔵」で、みつをなりに、誰が読んでも分かるように平易な言葉で表現しています

武井哲応老師を師匠とし、この正法眼蔵の月一回の講義を40年間一回も休まず、通い続けたといいます。そして座禅も毎日組んでいたそうです。

また、中学から短歌を習っており、言葉を非常に短歌で鍛えて、リズム感ある詩になっています

生涯短歌を作り続けましたが、一般に発表することはほとんどなく、短歌と言うのは一般の人が見てそんなに簡単に入っていけないところがあるので、短歌を離れて、短い詩みたいな形式になったようです

書も17歳から始めて、たびたび入賞する腕前だったようです

なにごとにも中途半端はだめで、打ち込む人だったといいます

 

お手本がなかったから、自分の道が正しいかいつも検証し、絶えず勉強していなければ自分の進むべき道がわからないという強い思いがあり、ひたむきな努力で、自分の理想の書を実現しました

 

0」がつくので、霊的な素質を豊かに発揮する能力に恵まれています。そしてその直観力や洞察力、インスピレーションが目的成就への有効な手段となります

 

創作態度の基本スタイルは、難しい言葉は絶対に使わないということと、自分の納得した表現しか絶対に使わないと言うこと

そして、多くの方に親しまれたいので子どもでもわかるように平仮名を多く使い、みつをの想いを詩と書で表現した世界になりました

 

 

 

この二つのナンバーから引き出される彼のこの人生での可能性は

実現数5499番です

 

これは、この人生で苦手とする性質のすべてを学ぶ機会を与えられていくこととなります

そして、9は悟りの数字であり、経験による叡智の習得が実現できます

 

みつをの詩は、禅を学び、自分の生き方を求めて七転八倒して のた打ち回った人生の中で出てきた言葉でした。

人生訓ではなく常に自分に向かって発信している言葉であって人に向かってではなかったのです。そのためお説教くさくならず、直接心に響く言葉となりました

 

実現数9は、「何でも屋」になってきまぐれな人生をさすらうか、あるいは知識を蓄えで晩年にそれを人々に伝えるようになるか、五分五分の可能性をもつ人です

みつをは、『にんげんだもの』という本を出した後、講演依頼が殺到し全国を飛び回ることとなりました

 

 

 

ソウル数は、その人の内面の声や価値観の目安になります

彼のソウル数は、112

 

11は、自分の立ち位置を冷静に把握し、地に足をつけ、イメージを形にしていく、豊かな感受性、高い芸術性、天と地の橋渡し役というのがあります

 

武井老師に禅の指導を受けながら、様々な自分のエゴイズムに気づき、書にして、人びとに示すと、それを見て、身の上相談に来る人が多くなりました。

みつをは、「仏教の心をわかりやすく伝えるだけで喜んでくれる人がいる。仏様のことばを自分なりの言葉に表現して世の中に働きかけていくこと」それが自分に与えられた使命ではないかと思ったと言っています

 

まさに天と地の橋渡し役になりました

 

また11のエネルギーは、ダブルの創造性を生み出しますが、一方でダブルの自己不信をも生み出すこともあります

『生きていてよかった』の本の中に

「じしんはなくて うぬぼればかり ああはずかしい はずかしい」

というのがあります

 

 

人格数は11で、外見的な印象を示唆します

 

男性は物静かで紳士的な雰囲気が漂います。インスピレーションの鋭いところがあり、やや現実離れしているようにみえるかもしれません。

眼光鋭く、人生を達観した感じだったのでしょう

 

また、11の人は、賢そうな人、夢追い人、不思議キャラ、内気でナイーブ、激しい側面とありますが

みつをのことを息子の一人さんは、複雑で神経質と言ってもいいくらい繊細な人間でしたと、『書 相田みつを』の中で語っています

 

そして、「14」「11」「11」と10以上の数字をみつをは多く持っています

10以上の数は、ソウルメイト、グループソウルがカギとなります

みつをの場合は、禅の師匠である武井老師だったと思われます

『いちずに一本道 いちずに一ツ事』のなかに「そのときの出逢いが 人生を根底から変えることがある よき出逢いを」

亡き師、武井老師との出逢いがなければ、今の自分はなかったと言うことだけは確かです

という一節があります

Stage numberは、7

7は、内省、探究心の番号です。生きる意味や人生のより深い意味を捜し求めるところに活躍の舞台があります

 

 

Challenge numberは、8

現実的に打ち出していくこと、みんなに揺さぶりをかけることです

 

 

Nature number は、6

芸術的才能、愛、調和、絶対的な美しさへの追究をもっています

みつをの作品の根底には、人間をトータルに肯定し、愛が感じられます。

子どもたちが生まれたときからの記録を残しており、子煩悩といってはばからなかったそうです

 

 

Action numberは、1

革新的なものへのあくなき挑戦をすること

習字の先生を辞め収入がなくなったとき、飛び込みで商店に入り、包装のデザインやしおりも書いたりしていたそうです

行動力があります

 


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若年期は、5

 

5番は、自由、冒険、刺激、不安定、多才、というものがありますが、

彼の両親は不和であり不安やおびえのなか、両親の顔色をみて育ったそうです。たえず緊張感のある家庭で硬直し、無口になったそうです

不安定な若年期を過ごしたのでしょうか

 

 

 

つぎに、年齢毎にその年のナンバーと比較しながら見てまいります。

 

 

13歳(Year number717 4月入学なので)

 

 

貧しく、優秀だった二人の兄が進学を諦め家業をついだおかげで中学入学できる。成績もトップクラスで陸軍士官学校を目指す

短歌、絵に親しみ剣道で活躍

8番は、積極性や責任と義務です

二人の兄が働くことで、お金に余裕ができて行けた中学。二人のぶんまで勉強しようと頑張ったようです

 

 

 

17歳(Year number722

 

 

持ち前の正義感から教官に目をつけられ、公立校の進学資格を失い、進むべき方向も定まらず、一人悶々と悩み暗い日々を過ごす

次兄8月戦死で、生、死、命とは何か、自分はどう生きればいいのか真剣に考えるようになる

イヤーナンバー7は研究や開発のサイクルで、224の増強版で基盤づくりです

兄達の期待も背負っていたのに、高校に進めずで心中はいかばかりだったか

しかしここで、自己の内への探求が始まることとなるのです

 

 

 

18歳(Year number723

 

 

歌人、山下陸奥に師事する。秋の歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の禅僧武井哲応老師と出会う

5は、4で得たものがさらに外向きに活発化する時期であり、新しい風に乗って冒険の旅に出発すべきときです

どう生きればよいかということ、悩めばよく武井老師に会いにお寺まで行っていたそうです。心の旅が始まりました

 

20歳(Year number725

 

 

長兄戦死。

みつをは、二人の兄が自分に託した願いが何かあるのではないか?どうしたら兄達はあの世で喜んでくれるだろう?と考えるようになる

イヤーナンバーも個人数も7です

7は、生きかたを見直すときでもあり、人生をより深く理解しようとする時期です

 

 

 

23歳(Year number819

 

 

生活共同組合の書記として勤めていた、ある時、組合のお金が紛失していた。そのことを責任者に訴えたが、取り合ってもらえず3人の暴漢に襲われ大怪我をし、4年ほど入退院を繰り返す。犯人はこの責任者だった

青春時代を非常に暗い中で過ごし人間不信に陥る

19は、激動を体験し、その後、再び自尊心と威厳を取り戻すという数字です

また1は、不要なものを整理して、新しいステップへ

この時期に心の支えになったのが武井老師です

 

 

 

27歳(Year number823

 

 

大怪我により母がみつをを離そうとしなくなったので、なにもさせてもらえずぶらぶらした生活を送っていたが夜間国文科入学し、2年で卒業

5は、環境の変動の時期です

このままではいけない、何かしなければと行動を開始したようです

 

 

 

30歳(Year number826

 

 

結婚し、一回目の個展を開く

筆一本で生活すると決めていたみつをは、生活費を稼ぐため個展を開き作品を売ることにする

8は、流れに乗る、発展であり、お金や地位の数字です

しかし一回目の個展では人が入らなかったそうです

 

 

 

31歳(Year number918

 

 

ろうけつ染めを習い、近辺の会社、商店の包装紙、暖簾、風呂敷などのデザインを制作することを思いつく

長男一人生まれる

9は、終結から次の流れへ、そして変容へ

一人さんが生まれたことを契機に、人間思慕というのを盛んに書き、それから作品が変わります

人間不信から人間をトータルに肯定するように変容していきます

 

 

 

35歳(Year number922

 

 

初めてのアトリエを持つ。長女生まれる

親子4人の八畳一間の貧乏生活の中、三十畳のアトリエを持つ

一人さんに、「その人間にとって、本当に必要なものなら、必ず与えられる」といったそうです

アトリエは、みつをが「自分が自分になれる」ところであり、そこで命を完全燃焼させていきました

22は、自分の理想を実現する方法を常に見つけていくことができる数字で、思い通りのアトリエを持て大満足だったようです

 

 

 

50歳(Year number128

 

 

在家の佛教活動として、円融会を作り、不定期で円融便りを発行する

1は、始まり、変化であり、新しいステップへです

また10番は、よりよい状況をもたらすための変化で、インスピレーションが湧き起こる年です。その新しい直観は、人道的な、あるいは、人の癒しや喜びにつなげることが、さらなるよりよい発展への新しいスタートの一年になるのです

円融便りには、武井老師の講義を元にしたもので、裏には詩作などのせていたそうです

一人さんは50歳になってから、円融便りを始めたというのも慎重な父らしいと書いていますが、イヤーナンバー、個人数ともに1ということもあり、今始めるべきとひらめいたのではと思います

 

 

 

56歳(Year number2-7

 

 

米田建設の創立記念誌『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』が作られる

どの作品もある意味 未完成だと思っていたみつをにとって、作品を本に残すことは相当抵抗があったが、社史であり限定の記念誌であり非売品でもあったので了承した。しかし出来上がりは作品集のような体裁になっていた

この記念誌が人づてで広がり、増刷をかさね数十万部以上になった

イヤーナンバー2は、1が成長するサイクルであり、個人数7は才能を開花させる時期である

この記念誌によりみつをの書の世界が多くの人に知られるようになる

 

 

 

59歳(Year number2-10

 

 

処女出版の『にんげんだもの』が出版される

『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』は記念誌で、書店で入手できる本ではなかった。『にんげんだもの』で満を持してのデビューとなった

この7年後相田みつをは亡くなる

10は、よりよい状況をもたらすための変化です

この本で、本当に多くの熱狂的なファンができました

そして、じわじわと読者を広げ、みつを亡き後もロングセラーを続け、十年という歳月をかけてミリオンセラーとなりました


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Reported by Chikako Minamitani
Aeons Numerology 5th class @ Kansai

by kej000 | 2014-04-09 20:52 | おもしろ数秘学

アンパンマンの生みの親・やなせたかし氏の生涯   数秘学基礎科卒業レポートより

数秘基礎科クラスの生徒さまによる卒業レポート。
本日は、あんぱんマンの生みの親・やなせたかし氏の人生に迫ります。


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漫画家のやなせたかし氏にスポットを当てています。

 

★やなせ たかし★  


生年月日:1919年2月6日


    2歳 → 3サイクル

  12歳 → 4サイクル

13~22歳 → 5サイクル

23~32歳 → 6(15)サイクル

33~42歳 → 7(16)サイクル

43~52歳 → 8(17)サイクル

53~62歳 → 9(18)サイクル

63~72歳 → 1(19)サイクル

73~82歳 → 2サイクル

83~92歳 → 3サイクル

93~94歳 → 4サイクル

 

B=1(19・10)

D=8(44)

S=9

P=8

R=9

Stage=8

Nature:9、Action:7)


 


 

Birth path number [19-1番10-1番]

リーダーになるべくして生まれてきました。

激動の変化をくぐりつつ自立し、人道的な目的や人に癒しを与える方向へ向かってます。

直観や感性に恵まれており、自分の内なる力に注目してオリジナリティーある世界を繰り広げていました。それには、地道な努力が必要です。

彼は誰もが知る童謡を作詞したり国民的なアニメを発表していることからも分かる様に、成功者だと言えるでしょう。大器晩成型でした。

60歳を過ぎるまで代表作に恵まれなかった彼の人生は、若い頃より努力を惜しまず遠回りに思える事にも一所懸命取り組んだ誠実さを感じます。パッシングを受けても自分を信じて新しい事へ歩み続ける開拓精神があったと思われます。

   

Destiny number [44-8番]

多くの人をまとめる力があります。

パワフルに人との関わりを求めるので、組織のトップに立ち富や名声を得ました。

44-8番というナンバーは 粘り強さや完成させる力が、ずば抜けていると思われます。

彼はどんなに富を得ても贅沢をする事はありませんでした。

物質重視ではなく 大好きな仕事へ掛ける情熱で貪欲に仕事をこなしたと言えます。

「困った時のやなせさん」と言われる程に 周囲の人に慕われていました。

何をやらせても器用にこなすセンスがあります。

漫画家という垣根にこだわらず、舞台美術製作や放送作家も引きうけていたのです。

「とにかく貧乏は嫌だ」と言っていたそうです。8番のプライドもあるでしょう。

別の仕事で稼ぎながらも、その人脈によって本当にやりたい漫画の仕事にも繋げる社交性はお見事です。

 

Soul number [18-9番]

社会的に成功する人物です。

人類愛や悟りをテーマとして生まれて来ています。

やなせ氏は 「戦争体験・父や弟の死・母との別れ」など 混沌とした時代を生きています。その体験を軸に9番の特徴である人類愛意識を強く養ったと思われます。

代表作の「それいけ!アンパンマン」は【光と影】【陰と陽】【善と悪】と言った2極性の世界を分かり易く表現しており、必ず正義が勝つという事を子供達に教えています。

その反面、実は複雑なキャラクターもいて9番特有の哲学的な面を伺えます。

「正義は立場や状況で変わってしまうが、どんな状況でも餓えた人に食べ物を与えることは絶対の正義である」この信念により、アンパンマンは絶対的な正義なのです。

更に「自分が傷つくことなしに正義を行うことはできない」と語っています。

余っている物を差し出すだけでは足りないのです。やり過ぎちゃう9番とも言えます。

この代表作に至るまでには、自分の才能を全面に出して明るく革新者である経験と社交的で駆け引き上手なパワフルさが必要でした。

18-9番とは、現実世界で形に出来るパワーの先に深い愛があるという事なのでしょう。

 

Realization number [9番]

実行数も9番です。

愛と理解力を持って穏やかに人類愛を実践することがミッションでした。

人望もお金も才能に見合ったモノを手に入れています。

名声に甘んずることなく、ノーギャラで働くことも多く漫画の復興に取り組んでいました。

次世代を育み指導していたことからも、9番の「導く力」を遂行されていたと思います。

 

Personal number [26-8番]

Destinyと同じく8番。

見た目も、出来る男オーラをまとっていたのでしょう。

受容性とチームワークを大切にして仕切っていける人物だったと思われます。

 

Stage number [53-8番]

3つ目の8番。

社会的に大きな事を成し遂げる意欲が伺えます。

53-8番は、華やかな舞台が似合います。やなせ氏の職業は裏方でありながらも流行の最先端を生きているキラキラした世界だったと思います。

その中で、晩年は数々の受賞作品に恵まれ 勲四等瑞宝章もいただいています。

春の園遊会で天皇皇后両陛下に親しくお声を掛けられるなど 表舞台にも度々登場します。

実は80歳代には、ミュージカルやCD歌手デビューもしているのでした。

 

■その他

Nature[9]

8番と同じく、9番も多いですね。

「本当の正義は戦わない」とやなせ氏のお言葉。

辛い経験を 全て愛に変換出来た成功者だと思います。人に喜ばれる事が大好きで感謝も忘れない人物でした。

 

Action[7番]

小学生の頃より、絵を描くことに興味を持ち それを職業としました。

やりたい事への情熱は、漫画の仕事がない時期でも持ち続けています。

7番の知的探究心を生かし、徹底的にやった事が成功のポイントだったのですね。

Challenge[19-1番・10-1番]

カルミック№が2つ揃いました。Birth path numberと同じです。

このナンバーが、強調されていますね。

5歳の時に父を亡くし、間もなく母の再婚のため 叔父の家で育てられています。

叔父は裕福な家庭だったのでお金には困っていませんが、実父母と暮らした記憶が少ない幼少期の体験は寂しいものだったと推測されます。

ただ1人のオリジナルの家族である弟が戦死した時の気持ちが「アンパンマンマーチ」に反映されています。悔しかったに違いありませんが、そのエネルギーの出し方は光に満ち人々の心を強く打ちます。

また、絵柄はエンジェルの影響を受けています。

もしかしたら、やなせ氏は 天使が見えていたのかもしれませんね♪

 

 

❤若年期 Youth number [9番]

父方の実家は高知県にあり、伊勢平氏の末裔で300年続く旧家です。

東京生まれで4歳の時は異国の地 上海で過ごし、 5歳の時に35歳という若さで病死した父の兄である叔父を頼って帰国します。弟はすぐに預けられましたが、やなせ本人も小学2年生の時に母の再婚のため叔父に引取られています。(父の死:15番、母との別れ:18)

この頃を9番で表すと、「不安定」「警戒心」「人からの評価を気にする」内向的でおとなしい少年時代でした。本が大好きだったので「博識」とも言えるかもしれません。

絵に対する興味は、実父母の影響で小学生の頃にもちました。詩や絵を愛した父と、いつも人の輪の中心に居る様な華やかな母親でした。母親とはよく映画を観に行ったそうです。

叔父叔母の意を反して絵の道に進学しましたが、仕送りは欠かさず送ってくれていました。

 

❤20歳(year number21[]

東京高等工芸学校図案課(現:千葉大学工芸部デザイン学科)卒業。

学生生活はサイクル5の流れの中でした。たくさんの刺激を受け、自由に才能の基盤造りをしていたのではないでしょうか?「開花」の年に卒業です。

 

❤23~25歳(year number15・16・17[6・7・8])

前年、田辺製薬(現:田辺三菱製薬)宣伝部に就職。

日中戦争の為、徴兵されて乙種幹部候補生に合格。主に暗号解読や地元民への宣撫工作の為、紙芝居を演じたこともあったといいます。

人当たりの良い彼にはピッタリの役目ですが DeathYearで始まるこの時期は相当辛い経験だったに違いないです。なにしろ戦争ですから!

食糧がなくて タンポポなどの野草を食べていた経験も持っています。

❤26歳(year number18[])

日中戦争終結。9番という完結の年です。

やなせ氏は戦闘のない地域に居たので一度も敵に向かって銃を撃っていませんが弟は海軍の特攻で戦死しています。

この頃、戦友らと共にクズ拾いの会社で働いています。この時に拾った雑誌が切っ掛けで漫画家になる夢が蘇ることになります。

戦後の食糧が不足する中で、『正義』に対する持論が確立しています。

「逆転しない正義とは献身と愛だ」

この様に、正義とは立場で変わるものだと見抜いています。

その後誕生する アンパンマンというヒーローへのオマージュを予感させます。

 

❤27歳(year number19[])

絵への興味が再発して高知新聞に入社。編集部で編集の傍ら文章・漫画・表紙などを手掛けています。

自分の力を出せる1番らしい年です。

同僚として前の席に座っていた 後の妻となる女性 小松暢と出会います。

やなせ氏は すぐに好きになったそうです。

1番の年の出会いは電撃結婚にも繋がりそうですが、ソウルメイトだったかもしれませんね。

 

❤28歳(year number20[])

恋人の小松暢を追って上京。 暢さんはやなせ氏の才能を見抜いていて「田舎に居ては才能が埋もれる」と半ば強引に上京させています。漫画家を志しますが、生きるために三越宣伝部のグラフィックデザイナーになりました。兼業漫画家の道を選んだのです。

2番の年の「調整」する力が働いています。

この頃デザインした包装紙の筆記体文字は当初期間限定だったにも関わらず、今でも使われています。

 

❤29歳(year number21[])

6のサイクルの3番の年。資料では結婚の年がはっきりと書かれておりませんでしたが、この年だったのではないでしょうか?

結婚してからは、貧乏生活でしたが 暢夫人が全身全霊でやなせ氏をサポートしています。

強い絆を感じます。

 

❤33歳(year number16[])

コマーシャル漫画「ビールの王様」でデビュー。後のサッポロビールのCMです。

7番の年は、物事を回すのに良い年です。コツコツ頑張っているので16番でも順調!

❤34歳(year number17[])

三越を退社。7のサイクル8番の年です。

4番の年にコツコツ頑張った成果がこの年の成功に繋がります。本当に自分のやりたい事で現実的に動き出したのですね。

漫画で得る収入が三越の給料を3倍程上回ったことで独立を決意しました。

結果が出る年です。

 

この後しばらくは、漫画界の流れが変わり…やなせ氏は漫画の仕事が激減することになります。舞台装置製作・放送作家・作詞家など何でもやった時期です。

漫画以外の仕事で多忙でした。

 

❤42歳(year number25[])

前年に知り合った作曲家のいずみたく氏と組んで、今では教科書に載る程のスタンダード曲となっている「手のひらを太陽に」を作詞。ステージアップの1年になったと言えます。

 

❤45歳(year number19[])

NHK「まんが学校」の講師としてレギュラーに。これを切っ掛けに大人漫画から子供漫画の方へ変わっていく。1番の年にその後の方向性と向き合うことになった様です。

 

❤47歳(year number21[])

詩集「愛する歌」で詩人としてデビュー。本の出版は現在のサンリオ社長:辻信太郎でした。

インスピレーションを受取って実行する創造力開花の年です。

 

❤48歳(year number22[])

8のサイクル4番の年、週刊朝日漫画賞受賞。功績が形となって評価された年です。

この後も、流れに乗るサイクルが続きます。

 

❤50歳(year number24[])

手塚治虫の「千夜一夜物語」の美術監督を引き受けます。ヒットのお礼として、2年前に手掛けたラジオドラマ「やさしいライオン」を虫プロのスタッフを使わせてもらい映画化。そして大藤信郎賞を受賞。

アニメーションを経験することで、新しい世界に触れた年でした。

4番で仕上げた仕事を6番で調整する、歓びの年。

その実態は寝ずに仕事を続ける過酷な世界でした。

同年「アンパンマン」を発表します。この頃のモノは大人向けでした。

 

❤54歳(year number19[])

サイクル9の1番の年。「詩とメルヘン」を立ち上げ、編集長に。

次の流れに向かう9のサイクルで、詩人・絵本作家としての活動を本格化させます。

 

❤56歳(year number21[])

「やさしいライオン」を絵本にします。これが、初の絵本です。

その後、大人向けに描いていた「アンパンマン」を子供向けに改作し発表しています。

評論家やPTAには酷評されたこの作品は、子供達 特に2~3歳の幼児から絶大な人気を得ます。エネルギーが噴出する3番の年でした。

 

❤69歳(year number25[])

テレビアニメ「それいけ!アンパンマン」の放送開始。1のサイクル7番の年は、始まりの流れの中、ステージアップするのです。

この作品が大人気番組となり、売れっ子作家となりました。

私生活では、この年に暢夫人が癌で入院。余命三カ月と言われましたが、丸山ワクチンの接種で体調を持ち直します。絆が深まった7番でもありました。

 

❤70歳(year number26[])

多年にわたる童謡歌唱への功績に対して 第19回日本童謡賞特別賞受賞。

8番で名誉を得ました。

 

❤71歳(year number27[])

サイクル1の9番の年。「アンパンマン」にて日本漫画協会賞大賞受賞

アンパンマンをヒットさせ、1つの節目として完成させた年ですね。

 

❤72歳(year number28[])

春の叙勲で勲四等瑞宝章受章。暢夫人と共に園遊会に参加。

1番の年は「大物との出会い」がありますが、まさか天皇皇后両陛下だとは スケールが大きいです。恐れ入りました。

 

❤73歳(year number)

人生で初めてyear numberが1ケタになりました。

地元の高知県で行われていた一コマ漫画の大会「まんが甲子園」も立ち上げ時から深く関わり、晩年まで審査委員長を務めることになります。

そして 暢夫人との時間も大切にしています。

穏やかな晩年に向けて、バランスを取る時期なのでしょうか?それとも?!

❤74歳(year number)

暢夫人 死去。

やなせ氏曰く「痛快!第二の青春」が始まるのですが愛妻を亡くし、死神に取りつかれた様に元気がない中、仕事を猛烈にこなしています。

辛くとも陽気に明るく 生み出す道を選ぶ3番の年でした。

 

❤75歳(year number)

高知県香美郡香美北町名誉町民となる。

同年、故郷であるその地に美術館を建てる事を考えています。

新宿の実家の近くには直営店として「アンパンマンショップ」を開店。

「準備と前進の4番の年」でした。

 

❤76歳(year number)

日本漫画家協会文部大臣賞受賞

「アンパンマンの遺書」を出版。

“形になっていたモノが更に外向きに活発化する年”5番でした。

 

❤77歳(year number)

喜寿の祝いの会で、女流漫画家:里中満智子と架空結婚式を挙げます。出席者を驚かせるための企画でしたが、本格的だったので信じ切っている出席者へ「漫画家は本気で冗談を楽しまなきゃ」と笑ったそうです。6番の年に架空でも結婚!面白いですね。

計画中だった「アンパンマンミュージアム」が高知県にオープンし名誉館長に就任しました。その後館内に「詩とメルヘン館」も開館しています。

官庁や地方自治体、公益事業や業界団体などのマスコットキャラクターデザインを無償で引き受けていました。愛と奉仕の精神が出ている6番の年でした。

 

❤79歳(year number)

心臓手術を受けます。8番の年は「死」を示す場合もありますが手術成功。

里中満智子と2度目の架空結婚式を挙げました。またまた8番の年に架空結婚式()

皆に愛されているが故の企画なんでしょうね。

 

❤80歳(year number)

今まで多少の未練が有ったお金も名誉も要らなくなったと言います。

崇高さを感じる9番の年です。もう悟りの境地でしょうか?

帯状疱疹を患い顔にシミができて、一生残ると言われていても 間もなく消えています。

細胞が元気で 高齢で発症した癌もすぐ再発、その後10回も手術を受けています。

❤81歳(year number10[])

日本童謡協会功労賞受賞

日本児童文芸家協会児童文化功労賞受賞

日本漫画家協会理事長に就任。

自社ビルに日本漫画家協会をタダで入居させています。

この年齢においても、まだなおステップアップと言える理事長就任ですね。凄いです。

新聞は6紙読み、常に新しい情報を頭に入れています。

ただ、体調は悪いです。この年入院し、胆嚢・脾臓を切除しています。

 

❤82歳(year number11[])

「希望の歌」第31回日本童謡賞受賞

緑内障の手術を受けています。それでも活動的に自作のミュージカルを初演しています。

まだまだ、変化を受け入れる柔軟性があります。

 

❤83歳(year number)

高知県特別県勢功労者に。

熱をおして、ミュージカル「涙のデュオ」出演後、腸閉塞で入院しています。

自ら「オイドル」と名乗り、表舞台に積極的に出ますが相変わらず身体はボロボロです。

3番の年ですし、じっとはして居られないのでしょう。

 

❤84歳(year number)

第50回交通文化賞国土交通大臣表彰

『ノスタル爺さん』でCDデビュー。

4番の年は形として残るモノを生み出す年ですね。

 

❤85歳(year number)

新宿名誉区民となります。

若い時にはギラギラして見えた派手な服装を心から楽しんでいます。

 

❤89歳(year number)

東京国際アニメフェア2008第4回功労賞受賞

ついに“国際”的な賞も受賞しました。

まだまだ才能の開花は続きます。

節目となる9番の年でした。

 

 

❤92歳(year number12[])

視界がぼやけることを理由に漫画家引退を考えます。最後の大舞台として生前葬を企画しましたが、東日本大震災が発生し 不謹慎なので計画を白紙にしました。

3番の年らしく、お茶目な感性豊かと言える企画だったのですが…。

震災直後、アンパンマンが子供達を再び笑顔にしたことから引退をやめ、被災地向けにアンパンマンのポスターを作ったり、奇跡の一本松をテーマにしたCDを自主製作するなどしています。このエピソードは、もしかしたら翌年の4番で形にしたのかもしれませんね。

光を配るような3番の年でした。

 

❤93歳(year number)

高齢と体調不良を理由に日本漫画家協会の理事長を辞任。

4番の年は、現実的に身体への不調も出やすい時です。震災以降頑張った疲れも出たのかもしれません。

七夕の願いを聞かれると「もうあと2年生かして欲しい。そうしたら来年は25周年の映画を作れる。これで心置きなくこの世を去れる」と発言。

 

❤94歳(year number)

7月に行われた劇場版アニメ「それいけ!アンパンマン とばせ!希望のハンカチ」の初日舞台挨拶では…

「何とか今のところ死なないでいるんだけど、間もなくだね。病院からはあと2~3週間しか生きられないって言われてる。死ぬ時は死ぬんだよ。笑いながら死ぬんだよ。死ぬまで一生懸命やるんだよ」笑いながら語っています。

 

しかし裏では「まだ死にたくねぇよ。(ようやくアニメが)面白いところへ来たのに、俺はなんで死ななくちゃいけないんだよ」とも発言しています。

 

体はボロボロでも、魂は最後まで燃えています。

 

同年8月に入院。10月に心不全のため94歳の生涯を終えました。

 

「5の年はハプニングの年」やなせ氏の場合は常に走り続けていたので、決して変化を恐れたのではなく 魂は光の世界へ帰る道を選択したのではないでしょうか?

自分の人生をまっとうした人物だと思いました。

 

晩年はChallenge numberの9番をやり遂げてカルマフリーになったのでは?!と思います。

(追記)

気になった数値の感情特徴を追記しておきます。

(習っていない範囲なので曖昧です)

 

☆陰1[]

陰の要素が多い分、痛みを多く知ることが出来ます。

カルミック№1910 を持っていたことからも痛みを知り、それを乗り越えて愛にしたのだと思います。

 

Intuition 直感機能~自身から&環境から湧き出る~[]

直感値が4。時代の動きを直感で感じて活躍されたのでしょう。

ひらめきが大切でセンスを要求される職業でした。

そこには、説得力も伴っています。

80歳頃まで、新聞は毎朝6紙を読んでいました。時代に合った作品を生み出す直感もあったと思います。

 

Feeling感情機能~自己への憐れみ~[]

この数値が低いからこそ、被害妄想にならず前向きな人生になったのだと思います。

 

 

Other他者認識性[]

高い数値です。トップに立つ人物なので他者支配を望む気持ちがあって当然ですが5というナンバーが気になります。嵐を呼ぶナンバーです。

常に刺激を与える役割だったと判断します。

 

Maturity完成力・何かをなし遂げる力[]

この高い数値は信用や信頼にも繋がっています。底力があります!

 

Leadリーダーシップ[]

高い数値です。抜群の統率力をお持ちでした。

彼が亡くなって、光が消えたようです。

 

Emotion情緒・他者に対しての感情の働き[]

情熱的だったのですね。他のところにも嵐を呼ぶナンバーがたくさん出ましたが

行動力や実行力を伴った情熱家はカリスマ的です。

 

<あとがき>

 

正直言うと初めは「やなせたかし」という人物に興味はありませんでした。

 

ただ、ずっと心に残る曲として「アンパンマンマーチ」があります。

この歌詞を読んで、私は何度か涙を浮かべています。

幼児向けアニメのオープニングテーマ曲。

誰もが自然に口ずさめる程に慣れ親しまれているこの曲に、シンプルに核心をつかれている様な気がします。

やりたいことが分っている人はそう多くはないのです。

 

昔はね、「愛と勇気だけが友達?」って 寂しく思いました()

それでも大人になって「愛」と「勇気」の本質を思うと納得できましたよ。

愛も勇気も必ず ひとりひとりの人が本質に持っているもの。

だから友達の輪は無限に広がりますね。ワンネスです。

 

やなせ氏は、ご長寿でした。

晩年、体はかなりボロボロで 東日本大震災直後には、心筋梗塞と肺炎、腸閉塞を同時に起こして入院しています。

後に「“生きて”しまったんだよね。目も耳も悪いし、体は相当傷んでる。でも 生きている間にやれることはやると決めた」そう語られました。

 

被災地 仙台の少女から「私は地震がきても少しも怖くない。アンパンマンが助けに来てくれるから」と手紙が届きます。

そこで なんとかして元気づけなくてはいけない!と奮起されています。

その後、精力的に復興のために無償で働いている姿は 彼にしか出来ない要素がいっぱい詰っています。

もし彼(アンパンマン)が、いなければ、笑顔を忘れ 絶望に落ちてしまう ちびっこも居たかもしれません。

最後の大舞台とは、本人が企画した生前葬ではなく 震災の復興に関わることでした。

 

実父母との縁が薄い彼でしたが、ただ一つの教えを生涯守っています。

それは 「正直な人になりなさい」

この教えによって、損をすることもあったみたいですが…。 自分の心に嘘のない誠実な人生は素敵な出会いをたくさん引き寄せています。

 

さて、

話は変わりますが、私の今年のテーマは『統合』

 

この人物を選んだことにより、生きる強さと 「光と闇のバランス」を教わりました。

アンパンマンの世界は、2極性ながらも統合された世界なのです。

 

偶然に選んだ 私のターゲットは 必然だったと実感します。

 

「それいけ!アンパンマン」は世界で最もキャラクターが多いアニメシリーズとして世界ギネス登録に認定されています。

ワンネスには限界がないのです。

 

 

最後に・・・ 

 

私の数字の読み方は、まだまだ底が浅く甘いと思います。

いつか もっと自分が成長した時に、再び調べたいと思いました。

 

やなせさん

あなたの人生を調べさせていただき 感謝しています(*´人`*)

 

改めて、やなせたかし氏への心よりの尊敬を込めて ご冥福をお祈り致します。

 

     


reported by Sana

Aeons numerology basic class @ Kansai


by kej000 | 2014-04-09 20:38 | おもしろ数秘学