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カテゴリ:数秘レポート( 38 )

自分が感じることを信じること*YUKI




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YUKI

歌手、シンガーソングライター
本名は倉持有希(くらもち ゆき)
旧姓は礒谷(いそや) 「希望が有るように」と有希と名付けられた。
1972年2月17日生まれ 北海道函館市出身



アーティストとして活動を続け、プライベートではミュージシャンの倉持陽一さん を夫とし、2児の母であるYUKIさん。 彼女の持つ魅力についてリーディングしたいと思います。



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Birth No.20-11-2
〈その人本来の使命や資質〉

11(マスターナンバー)を持つ人は、最初は2の人生を歩み、徐々に40歳頃から変 容して11の人生を歩むことが多いと言われています。
2は調和や協調といった相手がいる環境で学ぶ数字といわれ、自と他の繋がりや2極 による対観念(無-有、陰-陽、生-死、善-悪など)から学びを得ます。 感受性豊かでロマンチスト。
11は1+1=2であることから2の感受性の振幅が増し、さらなる内面への探求へ向か う数字です。
聡明、天才的な能力、内面的苦悩、豊かな感受性。バイタリティー
YUKIさんは音楽、アートを通じて天と地の橋渡しをし、精神性を昇華させていると 言えるのではないでしょうか。

「無意識に出てきた言葉ならば、それを拒否する必要はないなと思いました。
皮肉 でも何でもなく、自分の中で上手く歌に昇華できたものであれば、
それは自分の伝 えたかった思いであることは間違いないと思ったんです(BARKS)」

また、YUKIが作り出す歌詞を見てみると、自分以外の人(夫、子供、友人)がいる ことで感じられる言葉を音楽にしていることがわかります。 相手がいる環境で学ぶという2という数字に表れているように思います。

「私は今までいろいろな人に助けられてきて、
人からいろいろなことを学んで、
人 と携わったことが必ず自分に残っていて。
それはその人からもらった“メッセージ= 伝言”だと思っているんです。(YUKIweb.net)」



Destiny No.9
〈表面意識・この世における使命や目的〉

9という数字は1〜8を内包していて混沌としている数字であり、7の『精神』と8の 『物質』をいったりきたりするといわれている。 曖昧な事象の焦点を絞る仕事を使命としています。
YUKIは長年、アーティストとして活動しているが、今までに発表されたアルバムに はそれぞれテーマがあり、その時の自分や環境を表した内容となっている。
アルバムを作るということは、揺れ動く気持ちをその都度見つめ、受け止める作業 だったのではないでしょうか。 その曲を聴いた人が何かに気づいたり、癒されたりするのは、彼女自身が揺れ動く 中で葛藤し、見つけ出した答えや思いが、曲に込められているからではないでしょ うか。



Soul No.1-10
〈価値観や内なる動機 魂の欲求〉

想像力とオリジナリティー 。
ピュアであることが大切だが、打たれ弱いのでシールドを張って守ることが大切 無から有を生み出すパワーがある
裏表なく一直線
音楽を創り出す、ということはまさに「無から有を生み出すこと」そのものなのだ と思います。 YUKIは音楽だけにとどまらず雑誌で連載を持ち、6冊の本を出版しています。ま た、ライブの時に販売されるグッズはYUKI自身がイラストを描いたりデザイン性も 高く人気があります。 彼女は40歳を超えてもピュアな歌声、笑顔で私たちを魅了し続けています。



Personality No. 8
〈他人からみた自分〉

カリスマ性がある、アピール上手
パワフル
ライブはまさに8のもつカリスマ性とパワフルさが発揮される場だと言えるのではな いでしょうか。自分の世界観を表現するステージはいつも観客を惹きつけて離しま せん。クセのある彼女の歌声も彼女の魅力の一つになっています。 彼女にファンがたくさんいる反面、苦手とする人も少なからずいるようです。好き だけでなく、嫌いな人も引き付けてしまうのは、彼女のカリスマ性の一面なのだと 思います。


Realization No.2-11
〈今回の人生での可能性や実現性〉

イメージの世界での価値ある創造物を現実社会で具現化すること
自分の立ち位置を冷静に把握し、地に足をつけ、イメージを形にしていく
BirthNo.と同じ2-11を持つYUKIさん。 「見えないものに対する信じる気持ちとかって、もっとさらに見えるようになって きた」と彼女自身も発言しているように彼女が感じるもの(目に見えるものも見え ないものも)を音楽を通して表現することで、それを聴く人たちの心を癒すことが 出来るのではないでしょうか。



Stage No.7
〈持ってうまれた数をどんなステージで発揮するか〉

探求するナンバー
会得したものを世の中に広め、人々の心を豊かにすること
アウトプットすることが大切
歌を作るという作業は、自分の内面を見つめ、外に出すという事の連続なのだと思
います。


Challenge No.5
〈この人生でチャレンジすると決めている数〉

変化のナンバー
JUDY AND MARYの解散前は歌詞についてメンバーとよくぶつかっていたようで す。
『JUDY AND MARY』のイメージを壊さないように、というメンバーに対して YUKIさんは「この歌詞は、もう歌えない。嘘は歌えない」と答えたという。 時に悩み、苦しみながらも変化を受け入れていく姿を見せていくことが、YUKIさん の進む道なのではないかと思います。
何年後には、もしかしたら歌ではない、何かをしているかもしれない。それでも彼女は彼女であり続けるのだと思います。




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【HISTORY】


1991年6月(19歳、YearCycle3) 映画「いつかギラギラする日」の撮影のために函館市を訪れていた恩田快人と出会 う

翌1992年2月(20歳、YearCycle4)JUDY AND MARY結成
新しいYearCycleが始まった年に出会いがありJUDY AND MARYというバンドが結 成されました。
3は創造の数字であり、楽しい、明るいなど新しいことを始めるには適した年と言え ます。 当初はベーシストである恩田氏の構想を表現するバンドという形であったため、メ ジャーデビューなどは考えられていなかったのですが、恩田氏の熱意によりメ ジャーデビューへと進み始めます。 4はステージアップの数字。メジャーデビューという流れになっていったことも彼女 にとっては必然と言えます。

1996年2月(24歳、YearCycle8) 『そばかす』がオリコンチャート初登場1位を記録。
紅白歌合戦に初出場。 繁栄の数字である「8」の年に名実共に有名になっていきました。彼女自身も8を持 つことからか、8の年は節目の年になっています。

1999年(27歳、YearCycle11)
JUDY AND MARYの活動を一旦休止。 人生の分岐点ともいえる11の年に活動休止。走り続けてきた彼女にとって「目標」 が何かわからなくなってきていたのではないでしょうか。 他のアーティストとの楽曲を発表したり、これまでと違った経験をすることで学び を深めたのではないかなと思います。

2000年2月(28歳、YearCycle12)
12のパターン打破の年にJUDY AND MARYの活動を再開。 初のベストアルバムを発表したり、アコースティックライブを行なったりと、これ までと違った活動を進める。
同年9月、真心ブラザーズのYO-KINGこと倉持陽一さんと結婚。 これはプライベートでの大きなパターン打破だったのではないでしょうか。 ティーンエイジャーの頃から家を出ることばかり考えて過ごしてきたというYUKI。 忙しそうな両親を見てきて結婚生活が楽しそうに感じられなかったようです。

ずっと結婚しないと思ってきたYUKIですが、倉持氏と出会って“結婚”という文字が すぐに浮かんだと彼女自身の著書でも言っています。それは、『彼といる時の自分 がいちばん好きだったから』だそうです。相手がいることから学ぶことの多い2とい う数字を持つ彼女らしい理由だと思いました。 以前からファンと公言していた倉持氏と電撃結婚したYUKIさん。 SoulNo.1をもつ「裏表なく一直線」な彼女らしい結婚といえます。




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2001年3月8日(29歳、YearCycle4)
新しいサイクルが始まった年にJUDY AND MARY解散。
4はステージアップの年。 YUKI自身も『なんかもう私たちが奮い立って何かをやったりするには、解散という カンフル剤しかなかったという(R&RNewsMaker3月号)』と話しており解散がス テージアップにつながったのではないでしょうか

2002年(30歳、YearCycle5)
1stアルバム『PRISMIC』 このアルバムタイトルはYUKIの造語である。訳すと“光の音”。 バンドからソロになり、曲作りからレコーディングから何もかもが変わって、YUKI 本人は、戸惑いもあったようで、たくさん悩んだと著書(『GIRLYWAVE』2004) にも記されている。戸惑いながらも「もっと好きにやっていいんだ!」と自由に チャレンジしていった先に出来た曲が収められている

2003年(31歳、YearCycle6)
2ndアルバム『commune』 テーマは“70年代”と“SLOW”。妊娠前から出産を控えた時期に作られたアルバム。 伸びやかな声、柔らかな声、愛や平和に包まれた年らしい内容となっています。

2005年(33歳、YearCycle8)
3rdアルバム『joy』 産休から復帰後にリリースされたアルバムで、ソロになって初めてオリコン1位を獲 得したアルバム。テーマは「強くて、軽やかで、踊れるアルバム」

しかし、同じ年に長男(1歳11カ月)が朝、自宅にて突然死していたことを自身の ホームページ上で報告しました。死因は明かされていないが乳幼児突然死症候群( SIDS)の可能性が高いと報じられました。 この年にツアー『TOUR“joy”』が行われ、その最初に「33年生きてきた中で一番つ らかった」と報告。自身のホームページでも「いつも通り『おやすみ』と言ったま まの突然のお別れでした」と夫婦連名でコメントを発表しました。

子供を亡くし、失意の中でもライブツアーを行なったYUKIさんに批判の声もあった ようですが、パワフルな8の数字を持つ彼女が8の年にライブをしたのは、外に向く ことで自身のバランスを保つためだったのではないでしょうか。
亡くなった息子さんを想い、書いたといわれる曲があります。

『バイバイ長い夢 そこへ行くにはどうすればいいの?
迷子になるよ 道案内してね
バイバイ暗い雨 夢で逢えたなら何を話そう 気が付けば 棘だらけだ あーあ
バイバイ長い夢 そこへ行くにはどうすればいいの? 迷子になるよ 道案内してね
バイバイ長い夢 いつか完璧な環になるように 次の手を教えていて
教えて』(2005.4.27 長い夢)

この曲のPVにはYUKIさん本人は出ず、『ゆきんこ』という彼女がデザインした キャラクターが出ています。 2という数字をもつ彼女は、冷静になれないこの時期に彼女以外の「誰か」を置くこ とで、内面の調和をとっていたのではないでしょうか。



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2006年(34歳、YearCycle9)
4thアルバム『Wave』 この年の8月、精神的な成長を意味する9の年に第二子を出産。 家族を第一に考えた暮らしを考えるようになったようです。

2007年(35歳、YearCycle10) 5thアルバム『five-star』ソロで初のベストアルバム この年から新しいステージに入ったYUKI

Cycle No.8
Pinnacle No.9
Challenge No.7 と3つの数字が隣合わせになっていることで、たくさんの葛藤が起こったのではない でしょうか。

ソロになって5年。 まだまだ新しい曲を生み出していきたい気持ちと、進んできた5年を振り返りたい、 立ち止まりたい気持ち。そんな行ったり来たりの気持ちが、ベストアルバムを出す という形になったのではないでしょうか。

2009年5月(37歳、YearCycle12) 第三子となる男児を出産。 公式サイトで「「穏やかな生活を楽しんでいます」と発表

2010年(38歳、YearCycle13)
6thアルバム『うれしくって抱きあうよ』 新たな音楽の方向性を模索している中で生まれた作品でそのタイトル通り、誰かと 抱き合う時に感じる人肌のやわらかな温もりと、じわじわと満ちてくるような幸福 感に包まれている作りとなっている。
インタビューでは「どの曲も“今”を歌っているなと思う」と語っている。
13は『創造と破壊』の年だと言われています。高次の次元へ進むために、これまで の価値観を捨て、創造する彼女の世界はとても大きくて温かくて優しいものでし た。

2011年(39歳、YearCycle5) 7thアルバム『megaphonic』。アルバムタイトルは「最高の音」を意味する。 この作品は東日本大震災などの時事問題を反映したメッセージ性の強い歌詞が多く なっていて1番が震災前、2番が震災後に作詞されたものが多い。 新しいサイクルに入った年に震災を経験。5が意味する『変化』は、時に残酷に、唐 突にやってくるものなのだと感じました。

2012年5月6日(40歳、YearCycle6)
アニバーサリー・ライヴ『YUKI LIVE“SOUNDS OF TEN”』を、JUDY AND MARY 解散ライヴ以来、約11年振りに東京ドームで開催。女性として初めてバンドとソロ の両方で東京ドーム公演を行った歌手となった。

自己回帰の6の年に、JUDY AND MARYの解散ライブを行った東京ドームでソロラ イブを行ったYUKIさん。 バンド時代の自分と、ソロの自分との違いに悩む時期もあったようですが、同じ会 場に立つことができるようになったことからも「調和」されてきているように思い ます。

2014年(42歳、YearCycle8) 8thアルバム『FLY』発表。「
踊れるアルバム」がコンセプトになっている。 Personal「8」を持つ彼女がCycle8の年に8枚目のアルバムを発表。 彼女らしく、彼女にしか表現できない世界を、楽しんで、のびのびと作り上げてい るのではないでしょうか。

2017年(45歳、YearCycle11)
9thアルバム『まばたき』 ソロデビューから15周年を踏まえてリリースされる作品で 「自称“ミス・大丈夫”(YUKI)がお届けするYUKI史上最強超ド級無敵ポップアルバ ム」と語っている。



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リーディングをして

リーディングをすることになった時に、すぐに思い浮かんだのがYUKIさんでした。
私が高校生の時にJUDY AND MARYに夢中になり、ライブに行ったり、カラオケで 歌ったりしていましたが、ここ数年は特に彼女の曲を聞くこともありませんでし た。 そんな中でも迷いなく「「彼女のリーディングをしよう」と思ったのは何故だった のか。
リーディングを始めて、私自身が彼女と同じBirth No.を持っていることが分かりま した。彼女に惹かれた理由が一つ、分かりました。

2016年からPinnacle、Challenge共に「1」に入ったYUKIさん。
Destinyにも1を持つので、さらに強く1の性質が出てくるのではないでしょうか。 彼女は、バンドからソロになり、今まで当たり前だったものが当たり前でなくなる という経験をしてきました。
自分らしいと思っていた自分が自分らしくないという 葛藤があり、そこから彼女なりに答えを出して進んできたYUKIさん。
たくさんの葛 藤を経て、不要なものを整理し新しいステップへ向かっているのではないでしょう か。
たくさんのことを知った上で、自分が必要だと思うものだけを持って、新しい ステージに向かうYUKIさん。
デビューから変わらぬ笑顔を見せてくれる彼女ですが、その笑顔はデビュー当時か ら比べものにならないほど温かく、周りを包んでくれているように思います。

プライベートでは、最愛の息子を突然亡くされました。この経験は、とても悲しく 大きな出来事だったと思います。その悲しみを抱きしめながらも、その後、お二人 息子さんを出産し、今は妻として、母として、アーティストとしてパワフルであり ながら、のびのびと活動されているように感じます。
経験してきたことの意味を、強く感じているのではないでしょうか。

これからも「どう生きていきたいか?」を自分自身に問いかけながら、彼女は彼女 の答えを出し、それを曲に乗せ、たくさんの人に届けてくれることと思います。

『自分が感じることを信じること』

彼女からメッセージをもらった気がします。



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Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th class
Kumiko at Saitama Kawagoe class
by kej000 | 2017-02-28 22:31 | 数秘レポート

愛のうつわ「自己の思いを愛に溢れた言葉で表現する」*神谷美恵子


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神谷美恵子

愛のうつわ
~自己の思いを愛にあふれた言葉で表現する~ 


   出生名:前田美恵子
   生年月日:1921年10月3日
   逝去:1979年10月22日



医師、教師、作家、翻訳家、妻、母親、といろいろな顔を持ち、活躍された神谷美恵子さん。
ハンセン病と出会いやその他の経験や学びから感じたことを、文才も生かして世に投げかけました。
うつくしい文章からうかがい知ることのできるお人柄ですが、数秘からもその魅力を読み解いてみたいと思います。


★誕生数 
Birthpath Number ~生まれ持った資質・才能・運命~
 【19-10-1】 自分を創造し表現する

明るく前向きで、目標に向かって突き進む強い意志と瞬発力を備えています。
あふれる想像力で自分を表現し、行動します。
一見、上流階級でのびのび育ったエリートのようにも見られますが、幾多の壁にぶつかりながらも、自分を見失わず、運命とも思えるような出会いや自分の思いに素直に従い、やりたいものを形にしていかれました。
情熱的に物事に取り組み、表現してしく姿や言葉は、人々を惹きつけます。
まさにリーダー、指導者です。
そして、自分を信頼して発せられる愛のある思いに、人々は導かれ癒されたのだと思います。
また、自分の役目を果たしていかれたのだと感じました。


★運命数 
Destiny Number ~人生における使命・目的~
【5】 自由・チャレンジ

変化の多い環境の中で、旺盛な知的好奇心を活かし、自分も柔軟に変化しチャレンジしていきます。
有り余る冒険心と自由でのびのびした創造力やするどい分析力で、どんな仕事もこなせます。
既存の価値観を打破するチャレンジャーです。
父親や夫の仕事の関係からも、引越し、編入、留学など、また、戦争や病気など、その目まぐるしく変わる環境から多くのことを経験し学んでいきます。結婚し仕事と家庭の両立や、医学への思いと文学への思いなど、悩みながらも自分の中の制限と弱い心を取り払い、挑戦していかれました。
その経験と思いが、自由に心を開放して、言葉や行動に表現されています。
  
「・・・主体的に生きる、ということはしかし、ただ気ままに生きるということではない。たとえば、自ら進んで身を挺して何かに仕えることなどは主体的な行動のうちでも、もっとも主体的なものだといえる。いずれにせよ、主体性と自由には、つねに責任と何がしかの冒険が伴う。しかし、あえて責任を負い、冒険にのりだすことこそ、新鮮な生きるよろこびを約束してくれるのではなかろうか。」(『人間をみつめて』)


  
★ソウル数 
Soul Number ~魂の欲求~

 【9】 人類愛
崇高な理想へ向け、包容力、正義感、深い慈悲の心を持って、奉仕していきます。
すべての人の立場に共感し理解したいと人々に寄り添います。
 
“その人が生きてそこにいること、存在自体が誰かの何かの役に立つ”、“他人の役に立つ喜びを体感して人間どうしの交わりが相互に活かされ、それぞれ役に立つ存在として人間らしく生きていく”そうした存在をめざして、仕事をしていかれました。


「・・・・・・だれに見てもらうためでもなく、
ただそのよろこびの故に、こうして、ここにやってきて、
こうして生かされていることのありがたさ。
・・・・・・こうしたありかたが許されることのふしぎさ・・・・・・。」
(『人間をみつめて』)


『神谷美恵子の世界』の中で、川島みどりさんは、“美恵子の主体的な生き方と、その底に秘められた人間愛は、文字通り、ナイチンゲールの言う“犠牲なき献身こそ真の奉仕”通じる、そして、看護学生に「もっと自信を持っていいのよ。あなたたちは患者のそばに存在するだけでも意味があるのだから」との彼女のつぶやきを伝えたい“と書いています。

ハンセン病の問題などの治療の方針や、出版された本に対しても、すべての人が全くの批判がないかと言えば決してそうではないけれども、自分の信念に基づき、愛のある生き方を実践されたのだと思います。


★人格数 
Personality Number ~他者から映る自分~

【14-5】 真の自由の探究
その場その場で、素早く順応でき、多才でスピーディーな行動力があります。
「先生に会ったことのある人なら、嫌いになる人はいないのでは・・・。」と書かれていたり、“聖者”とも書かれるほど、人望が厚かったようです。女性が活躍していくには現代よりも更に大変な時代であったと思われますが、こころの声に従い、自分のやりたい道をすすんでいかれた人だと多くの人に映っているでしょう。
人はさまざまな事態にみまわれ、忍耐力をためされ、自己の生が全く無意味であると感じる状況になったとしても、その経験や葛藤に真に向かい合い、自分の答えを見つけていけるのだと、表現してくれた人だと思います。
自らも「生きていくこととは?人間とは?」と問い続け、学び経験し、それを多くの人に考え影響を与えた人です。



★実現可能数 
Realization Number

【6】 自己回帰
人々の役にたつ人間になるべく奉仕します。責任感と愛情深さ、人々に導きを与えることのできる知恵を持ち、行動します。包み込むようなやさしさと滅多なことでは投げ出さない面倒見のよさから、慕われ頼られます。調和を愛する理想主義者です。
 
ものを書くことへの思いと研究したい病への思いは、つきなかったようで65歳という若さで逝かれたのは、もしかしたら、悔いがあったのかも知れません。
けれども、それまでのご活躍は理想を実現できていると多くの人に認められたのではないかと感じます。





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History

★人生の歩み 
Year Cycle

1914年 1月 岡山市で誕生。二男三女の長女として育つ。    
(第一次世界大戦1914年7月~1918年11月)
1923年 9歳【19(10)】  父の仕事のため、スイスへ。

1926年 12歳【22(12)】  帰国

1927年 13歳【14(5)】 帰国後通っていた学校になじめず、登校拒否。新設されて間もない成城高等女学校へ編入。叔父の聖書研究会に参加するようになる。ものを書くということが、この頃から美恵子の大きな部分を占めるようになる。
変化・チャレンジの年です。受身であった時期、まだまだ受け取るものがたくさんですが、その中で自分はどうしていくのか訓練の始まりです。

1932年 18歳【19(10)】 津田英学塾本科に入学。

1933年 19歳【20(11)】 叔父がハンセン病療養所へ話をしにいく際に、オルガン伴奏者として同行。初めて見る患者の姿に大きな衝撃を受ける。
医師となることを考えて資料を取り寄せ、ひそかに受験準備を始めるが、両親や学長の猛反対にあう。ハンセン病の患者さんに会い、自分と同じ生を受けながら、どうして・・・と自分の存在そのものもゆさぶられたと感じた美恵子ですが、この分岐の年に、選択したい道にすすめなかったことも運命のような気がします。
また、この頃の初恋の相手の死も、その後、生きていくことの意味をを問い、医師をめざすきっかけとなったそうです。

1935年 21歳【22(13)】 津田英学塾卒業。同大学部に進学。
肺結核発病。 軽井沢の山荘で本を読みながら、療養生活。
英語科高等教員検定試験に必要な本を取り寄せ、読む。
国家試験に合格。結核も治癒。
思うように行かぬ中でも、あたらしい自分を探し基盤をつくりました。

936年 22歳【23(14)】 結核再発。再び療養所へ。ギリシャ語を独習し、新約聖書、
プラトンの『自省録』などを読む。 療養している時間を無駄にせず、次への模索です。
(この頃書いた詩を最後に掲載しました。)

1937年 23歳【15(6)】 結核治癒。病気も治り、愛、調和、家族を学ぶ周期の始まりです。

1938年 24歳【16(7)】 渡米。留学。

1939年 25歳【17(8)】 友との語らいの中で医学への決心を新たにする。
ニューヨークで開催していた万国博覧会の「公衆衛生医学」館に釘付けになる
美恵子に、ついに父の反対がとけ、医学の道にすすむことを許される。
第2次世界大戦1939年9月~1945年9月)

1940年 26歳【18(9)】 日米関係悪化。帰国。

1941年 27歳【19(10)】 東京女子医学専門学校へ編入。
導かれるように、ようやく医学への勉強を始められます。

1943年 29歳【21(12)】 医学を修める間も、ものを書きたいという思いにゆれる。
東京大学精神科医局長の島崎敏樹と出会い、精神医学への興味をかきたてられる。
国立療養所愛生園で12日間実習。園長の人柄にふれ、大きな影響をうける。
愛生園行きは、父の反対で、卒業後の進路を精神医学に定める。

1944年 30歳【22(13)】 東京女子医専を卒業。東京大学医学部精神科医局に入局。

1945年 31歳【23(14)】 空襲激しくなり、罹災被害者の処置にあたる。
父が文部大臣に就任。請われて、医局を休んで文部省で書類の翻訳などの仕事にあたる。
抗えない状況の中、本当の自由とは?と模索していきます。

1946年 32歳【24(15)】 父は文部大臣を辞職したが、そのあとも、GHQとの交渉における翻訳・通訳の仕事に従事。5月 医局に戻り、精神鑑定の仕事を手伝う。7月 植物学者と結婚。
週に三日医局に通い、家では英文論文の添削や、家計を助けるための和文英訳のアルバイト、家事に追われる。変化とチャレンジの多い年ですが、次の周期への糧となっていると感じます。

1947年 33歳【16(7)】 長男誕生。英語、フランス語、ドイツ語の家庭教師のアルバイトを始める。内省と探究の周期の始まりです。子どもが生まれ、ますます、自分のやりたいこととの葛藤がふえた状況の中、自分の今できることは何か?問いながら、しかし、子どもへの愛と感謝を忘れずすすんでいかれた姿は見習いたいところです。

1949年 35歳【18(9)】 夫、大阪へ単身赴任。訳書 マルクス・アウレリウス『自省録』。
次男誕生。

     
0 – 35 歳
Cycle Numbers 【1】  Pinnacle Numbers 【4】  Challenge Numbers【2】
自分を成長訓練させる時期、基礎となる学びを受け入れていく時期です。
個性の強い両親の軋轢に、人のこころは難しいものだという印象を早くから植え付けられたそうです。ハンセン病との出会い、これが大きな転機となりますが、海外での学び、戦争、キリスト教、
初恋の人の死や自らの病など、多くの経験が思索に影響をあたえました。



1951年 37歳【20(11)】 医局を辞め、一家は芦屋へ。
家計を支えるため、神戸女子学院英文科非常勤講師となる。
ここも分岐の年ですが、自分では選択できず、運命に流されるままといったところでしょうか。
家計を支えるための仕事で、医学、書くことに時間が取れないという苛立ちもありながら、教えるということによろこびもあったようです。

1952年 38歳【21(12)】 大阪大学医学部神経科に研究生として入局。
ハンセン病の精神医学的研究への取り組みということが心の中で育ち始める。家庭と学問の両立に苦しむ。

1953年 39歳【22(13)】 次男、結核発病。自宅でフランス語の塾を始める。
与えられた環境の中で、自分のしたいことは?できることは?またまた、考えさせられた状況であったと思われます。

1956年 42歳【25(16)】 神戸女子で語学に加え、精神衛生の講義も始める。
教える喜びを感じつつも、再び専任にとの誘いを断り、医学、ハンセン病への思いを 新たにする。
愛生園で非常勤職員となることが決まり、調査を行う。

1957年 43歳【17(8)】 非常勤職員としてスタート。
調査より、「生きがいがない」という悩みが多く見られたことから、「生きがい」についての思索が始まる。いろいろ思索してきたことをまとめあげる8の周期の始まりです

1958年 44歳【18(9)】 ゴッホ展を観に行った際に、自分の余生を「表現する」という使命に捧げるべき「啓示」を受ける。

1963年 49歳【23(14)】 津田塾大学教授となり、毎週上京。

1965年 51歳【25(16)】 長島愛生園精神科医長となり、月に二度、水曜から土曜を島で過ごす。津田塾大学は非常勤講師となり、年に一度集中講義をおこなう。「生きがいについて」を書き上げる。

1966年 52歳【26(17)】 『生きがいについて』(みすず書房)出版。
ひとつの集大成と感じます。しかし、ご本人にとっては、この作品が表層的ブームになったことに当惑したようです。

1967年 53歳【18(9)】 愛生園精神科医長を退き、非常勤となる。 



36 – 53歳
Cycle Nnmber【3】

36 – 44歳
  Pinnacle Numbers 【9】  Challenge Numbers【3】
視野が広がり、創造、表現していく時期、精神的成長の時期です。
医学、文学、そして家庭とどれにもよろこびを感じることができ、また、うまく時間のとれないジレンマを感じ、いろいろな思いを日記に書いています。作品にも影響をあたえたのでしょう。
『人間をみつめて』には、使命感についても書かれています。

ただ「そうせずにはいられないからやる」という「やむにやまれぬ」という必然性、すなわち自然さをそなえているはずである。必ずしも利益や結果を期待してのことでない「無償性」をそなえているはずである。

何かよび声がきこえたときに、それにすぐ応じることができるように、耳をすましながら、自分を用意して行くことだけだろう。そういう人のところに おそかれ早かれ使命が、何かのかたちをとって、現れてくる。前国連事務総長の故ハマーショルドはいう。
「使命のほうがわれわれを探しているのであって、われわれのほうが使命を探しているのではない。」

45 – 53歳
Pinnacle Numbers 【4】  Challenge Numbers【1】
経験してきたことを、独創性を持ち、慈悲のこころで、世に奉仕、発表していきます。



1971年 57歳【22(13)】 『人間をみつめて』(朝日新聞社)出版。
12月 最初の狭心症発作をおこす。

1972年 58歳【23(14)】 健康上の理由により愛生園を辞任。以後も、手紙や電話で患者との対話は続いた。この間、入退院繰り返しながら、『こころの旅』(日本評論社)『神谷美恵子エッセイ集』など出版。

1978年 64歳【20(11)】 岡崎の官舎に転居。『精神医学と人間』(ルガール社)刊行。
秋より翌年にかけて『みすず』誌に「V・ウルフ病跡おぼえがき」を連載。
十数年来構想をあたため、準備を重ねてきたウルフの病跡についての著作は、完成をみることはできなかった。

1979年 65歳【21(12)】 14回にわたる入退院、その予後から、いつまで意識を保っていられるだろうかという不安と恐怖を抱えつつ、自伝『遍歴』を執筆。
『生きがいについて』の改訂を終える。
10月22日、一時帰宅中に急性心不全の発作を起こし、死去。
晩年も、ギリシャ文学やウルフ病の研究など、まだまだやりたいことがつきなかったようですが、病床でも自分の思いを詩に表したり、訪れた人とは楽しく談笑し、ご自分の世界へひきこんでおられたようです。
完成の周期、体験してこられたことをできるかぎり表現して逝かれたと感じます。



54– 歳
Cycle Numbers 【15-6】  Pinnacle Numbers 【16-7】  Challenge Numbers【5】
本質を理解し、内省と探究をし、さらに活発に発信し、成功を果たします。
ご本人としては、完成されていなかった研究結果などもあり、まだまだ、書き足りないとの思いも
あったかもしれません。
しかし、教師として医師としての奉仕ともいえる仕事の仕方や、残していかれた多くの作品から、
人生を本当に力いっぱい楽しんでいきていかれた方だと思います。




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~リーディングを終えて~

レポートを書くことになり、学生時代に読んだ「生きがいについて」「人間をみつめて」の著者である、神谷美恵子さんが浮かびました。
ですが、Year Cycleが全て二桁ということで、なかなか読み解けませんでした。
もう一人、候補に考えたのは、ムーミンの生みの親 トーベ・ヤンソンさんですが、ヤンソンさんも
なぜか1914年生まれで、二桁の多い方でした。
ヤンソンさんの方が、誕生数【14-5】、運命数【9】、ソウル数【11-2】、人格数【7】、実現可能数【14-5】と自分の持っている数字と同じ数が多かったので、ヤンソンさんにするべきだったのか!?とも思いましたが、神谷美恵子さんの本を少し読み返しているうちに、時間がたってしまいました。

学生時代に読んだきりだったので、詳しい内容はすっかり忘れてしまっていましたし、神谷美恵子さんの人生も知らなかったので、こんなに病気と闘いながら書いておられたとは思ってもしませんでした。

そして、書いてある言葉がAeonsで聞いている言葉とリンクしてくるような気がして、実際、
Year Cycleは、なかなか読めなかったのですが、そのまま提出させていただきたいと思いました。
また、気になったのは、神谷美恵子さんと自分の数字のリンクが少ないことでしたが、5という数字がなんとなくフォーカスされてきて、ヤンソンさんにしてみても、5が入っています。
自分には、ない数字だ・・・と思っておりましたが、30 – 47歳のCycle Numbersが5、
48歳-のChallenge Numbersが5でした。

自分が何をしたいか・・・ずっとわからず、聞かれてもなかなか答えられなかった保育園のころ、小学生のころのことまで、少し思いだしました。

真面目だと茶化されるのは嫌だったり、素直に思ったことは、照れくさくて言えなかったり、偽善みたいだろうか、きれいごとたろうか・・・きれいごとのどこがいけないのか?理想をいうことは恥ずかしいことなのか?・・・など頭の中で、いろんな思いがごちゃごちゃになり、結局、自分が何を感じたのかわからなくなり、それを繰り返してきたことを思い出しました。

まだ、はっきりこれから何がしたいのかわからないのですが、自由に自分を表現したり、もっと変化を楽しむようにチャレンジしろ!!といわれている気がしました。
思い切ってためているものを爆発させてもよいのかもしれませんが、何か大きな変化をしなければ・・・と気負わず、少しずつ、人にちょっとしたヒントや刺激をいつの間にかあたえていたかも・・・くらいでも、外に向かって動きだせはよいのかも・・・とも、思いました。
と、いいながら、本当にやるの?といっているエゴ?がいる気もしますが、とりあえず、こうして今、学びを続けている自分を認めてあげてこれが外へつながる勇気となることを信じたいと思います。

最後に、結核療養中に生まれた詩を紹介させていただいてレポートを閉じさせていただきます。



 ********************************

 うつわの歌     1936.12.3

 私はうつわよ、
 愛をうけるための。
 うつわはまるで腐れ木よ、
 いつこわれるかわからない。

 でも愛はいのちの水よ、
 みくにの泉なのだから。
 あとからあとから湧き出でて、
 つきることもない。

 うつわはじっとしているの、
 うごいたら逸れちゃうもの。
 ただ口を天に向けてれば、
 流れ込まない筈はない。

 愛は降りつづけるのよ、
 時には春雨のように、
 時には夕立のように。
 どの日も止むことはない。

 とても痛い時もあるのよ、
 あんまり勢いがいいと。
 でもいつも同じ水よ、
 まざりものなんかない。

 うつわはじきに溢れるのよ、
 そしてまわりにこぼれるの。
 こぼれて何処へいくのでしょう、
 —そんなこと、私知らない。

 私はうつわよ、
 愛をうけるための。
 私はただのうつわ、
 いつもうけるだけ。




********************************
<参考文献> 『文藝別冊 神谷美恵子』河出書房新社 2014, 
『神谷美恵子の世界』みすず書房 2004


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by kej000 | 2017-02-13 23:48 | 数秘レポート

オイラの夢は、世界に通用する映画監督になることだね*北野武 Vol.2


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Takeshi Kitano

Vol.1 
<人生の意味・気質・運命などの読み取り>
<History 1st Stage まで>より続き



【HISTORY】



Second-Stage 33~42歳 
Cycle:9 Pinnacle:12 Challenge:6


【#9複雑な二極性】~ドラマチック時期~ 浅草の一芸人からBIGスターへのシンデレラストーリーへ、その後は、フライデー襲撃事件によって前科持ちへ。

【#9寛容】事務所の金庫の中のお金がなくなり、先輩芸人が詮索をはじめるが、北野監督より「そんな暇があったら芸を磨け・・・」この件は、一件落着。

【#3 [#12]】~Realization & Pinnacle Number#3[#12]が、バイブレーション~ 
今まで以上の表現力、そして開花時期。

【#3 [#12]多忙】~仕事人間へ~ とにかく、忙しいことも通常よりバイブレーション。

【#12お金】~お金の源が集まる~ この時期より、収入が爆発的に増えてくる・また、お金を稼ぐ仕組み(源流)を発見?それが通常よりバイブレーション、1985年当時のレギュラー番組のうち、日本テレビ・テレビ朝日・TBS・フジテレビの20時台番組ですべて最高視聴率をマーク。
【#6 責任】~とことん人の世話をし、他者に尽くす、育てる時~ たけし軍団の始動 

◆「立派な師匠って言うのは、何百人もの弟子をみんな食わせた。芸人としてはやってはいけないような奴まで食わせている。そういう師匠はやっぱり凄いと思うんだ。」と語っています。

◆フライデー事件で連行される際、北野監督は軍団メンバーに対して「悪かったな、おまえら」、「おまえらの面倒は一生見るから」「おれ、ドカタしてでも、おまえらを絶対食わせるからな」と語ったとされます。

◆長男誕生、長女誕生。


◇33歳 YearCycle:28 Cycle:9 Pinnacle:12 Challenge:6
【#10】努力の結果で思うようにいかなかった流れががらりと思い通りに・・・
漫才ブーム 月収30万⇒1600万。ネタ本『ツービートのわッ毒ガスだ』を発刊し、年末までに約85万部の売上となったが、当初事務所側はせいぜい3万部程度の売り上げと見込み、印税全額を2人が受け取る契約を結んでいたため、思わる大金が転がり込んだといいます。

【#10最強運の結婚】【#6責任】妻は、元漫才師の幹子(旧姓・松田)。北野監督曰く、自分は別の女性に気を引かれていたが、幹子の両親が勝手に婚姻届を出してしまい、彼女らを前科持ちにしたくなくて訴える事が出来なかったということ。その後も実母のさきが離婚を恥と考えていて幹子の肩を持ったことなどもあり、ずるずると今に至っているとのこと。現在、別居生活30年の完全なる仮面夫婦。「最強運の結婚」改め「最凶運の結婚」?

◇34歳 YearCycle:2 Cycle:9 Pinnacle:12 Challenge:6
【#12】~ナチュラルパターン打破~ 「ひょうきん族亅・ソロ活動ヘラジオ出演
今後のテレビ界に危機感(子供に迎合した笑い)を感じ、萩本欽一といかりや長介を引きずり下ろし2人の牙城を崩さない限り、お笑いの未来はないと思っていたようです。

◇36歳 YearCycle:4 Cycle:9 Pinnacle:12 Challenge:6
【#4基盤作り】~自分の能力を社会で活かす(リーダーを目指す)~ 「たけし軍団」設立へ。名前の由来は、「石原軍団」のパロディ。弟子が増え、元相棒ビートきよしの代わりのような存在として、何か一纏めで団体芸をやりたいとして、テレビ番組に出演したのが始まり。

◇38歳 YearCycle:6 Cycle:9 Pinnacle:12 Challenge:6
【#6】~人間関係拡大・メディア影響~ 元気が出るテレビ・たけし城 最高視聴率

◇39歳 YearCycle:7 Cycle:9 Pinnacle:12 Challenge:6
【#7AM 批判的・神経過敏・反逆】
当初、北野監督は手を出さないよう軍団メンバーに言っておいたものの、当時の編集次長による「自分は空手が得意である」旨の発言をはじめとした、編集部員の挑発的言動が原因で暴行に至ったと記されている。北野監督が「担当者を出せ」と迫った後、どちらからともなく一斉にもみ合いになった。北野監督は「ブチ殺すぞこの野郎、おれは刑務所行きも覚悟している。」などと怒鳴りながら、粉末消火器を噴射した上、同誌の編集長及び編集部員らに室内にあった雨傘や拳で殴打したり蹴ったりして、肋骨骨折などで1ヶ月から1週間の怪我を負わせた。住居侵入・器物損壊・暴行の容疑で、大塚警察署によって現行犯逮捕された。

【#9-18 正義感】事件の発端は、親密交際していた女性に対し.『フライデー』の契約記者が、北野監督との関係を聞こうと声をかけたが、それを女性が避けて立ち去ろうとしたため、記者が前方に立ちふさがってテープレコーダーを彼女の顔に突きつけ、手を掴んで引っ張るなどの行為に及び、頸部捻挫、腰部捻傷で全治2週間のケガを負わせた。この行動に対して、抗議行動に出たものです。

【#9-18裏切りにあう】後に明らかになったのは、専門学校生に怪我を負わせた契約記者は雑誌『GORO』にて北野監督の記事を何度か扱っていたことを買われてフライデーに移籍した記者であるということだった。しかし、移籍を北野監督側に知らせずに、以前通り『GORO』の記者として取材していた。このことをフライデー側が隠そうとしたことが事件の引き金になったとも言われています。
【#7 内省】事件後、迷惑を掛けた人に対して、反省の弁を述べています。


◇40歳 YearCycle:8 Cycle:9 Pinnacle:12 Challenge:6
【#8】~結果が出る~
フライデー襲撃事件の判決 懲役6ヶ月、執行猶予2年。『史上最強の会見』「北野監督は大切なものを守ろうとしたけど、その方法が法に触れた。」と淡々と語る。認めるところは全て認め、聞かれたことには正直に答えた。眼光は鋭いが、とても澄んでいるよう感じられた。尋常ではない迫力でした。また、この事件がターニングポイントとなって、写真週刊誌業界の商業的なピークは終焉に向かっていきます。

◇41歳 YearCycle:9 Cycle:9 Pinnacle:12 Challenge:6
【#9 自己再生】北野監督は、復帰後やや精彩に欠ける時期を迎える。北野監督はここで「基礎から勉強し直そう」と思いたち、小・中学生が解くようなドリルを使って勉強したという。さらに、北野監督は大人としての知識や常識を学び、『平成教育委員会』発案の切欠となりました。
【#9】~完成・サイドビジネス・次の光へ~ けじめとして太田プロを辞め、オフィス北野を設立。来るべき時に備え、テレビに出演中もカメラ割りや立ち位置など、映画監督になったつもりで訓練していた事は、後に語られることとなります。




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3rd-Stage 42~50歳 
Cycle:9 Pinnacle:13 Challenge:2

【#9感情】~感情面で危機をもたらす~ 哲学的な態度を身に付け、直感に耳を傾け、宇宙の導きを受取る。
【#13修練】~第二のスタート創造と破壊~ 創造(北野武)と破壊(ビートたけし)。

【#13手放し完了】~社会的認知・収穫・前年までの努力が実る~ 映画初監督の座を掴む!

【#13変化】~自分自身でも驚くような変化を遂げる可能性~ 第二の人生はここから。

【#2 不信】~自己不信や自信のなさを体験、内気で臆病になり、他人に影響される~ 映画の評価が気になる・・・麻原彰晃の宗教観(人類愛)に深く陶酔し対談するほどに。

【#2協調性】~仲間からの深い満足感、何ごとも折り合いを付ける~

【#2謙虚】~へりくだった心をもって互いに相手を自分より優れた者としなさい~
俺は怒ったり、命令したりしない。まずは、スタッフに聞く。「こういうふうに撮りたいんだけど駄目かな?」、「このシーンはどうやって撮ればいい?」など。最終的には自分のやりたいようにやっているのだが、もしかしたらもっといい意見が出るかもしれないから、まず聞くんだ・・・



◇42歳 YearCycle:10 Cycle:9 Pinnacle:13 Challenge:2
作品①『その男凶暴につき』
【#10チャンス】~新しい可能性・チャンス到来・オリジナル作品~ 当初は深作欣二監督、ビートたけし主演、野沢尚脚本という予定のところ、紆余曲折あって自らメガホンを取ることになり、監督デビューを果たす。

◇43歳 YearCycle:11 Cycle:9 Pinnacle:13 Challenge:2
監督作品②『3-4×10月』  北野監督の脚本家デビュー

◇44歳 YearCycle:3 Cycle:9 Pinnacle:13 Challenge:2
監督作品③『あの夏いちばん静かな海』

◇46歳 YearCycle:5 Cycle:9 Pinnacle:13 Challenge:2
監督作品④『ソナチネ』

【#5】~海外評価~ 国内より、国外から人気となり火がつく。1993年のカンヌ国際映画祭で上映され、ヨーロッパでの北野監督の人気を決定付けた作品。イギリス国営放送BBCが「21世紀に残したい映画100本」の一本として『ソナチネ』を選び、イギリスでの北野映画の極めて高い評価が示されました。

◇47歳 YearCycle:6 Cycle:9 Pinnacle:13 Challenge:2
監督作品⑤『みんな~やってるか』自分の中では、最高傑作と思っているが、一般の評判は良くなかった。
【#13】【#6】~生と死(心の病)過労。自己破壊的~ 8月交通事故(自殺願望・うつ) 今、振り返ってみると、仕事のしすぎで神経がぴりぴりして、へとへとになってたってこともあると思う。新境地を拓くなんて不可能だと思ったし、堂々巡りをしてるような気分だった。なにか新しいこと、新鮮な空気を探し求めてた。少しずつ、重要な局面に近づいていったんだね。限界に達してたんだろうな。

◇49歳 YearCycle:8 Cycle:9 Pinnacle:13 Challenge:2
作品⑥『キッズ・リターン』
【#8 達成の時】~より高く新しい可能性を開拓~ 再出発『キッズ・リターン』は、一生心に残るような経験を描いた映画だね。撮影中は、タイムマシンに乗ってるような気分だったよ。事故を起こして、そのあと動けなくなって。『キッズ・リターン』は、そんな俺の社会復帰の作品になったんだ。救いの、償いの映画になった。





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Final-Stage 51歳~ 
Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2

【#21宇宙規模】~今後の人生への無限の可能性・何を全面に打ち出していくか~ 映画監督としては、世界的に有名となったが、このまま継続するのか?新たな展開を計画しているのか?天才Kitanoが、無限の可能性を享受出来る時に如何なる覚醒を果すか?

【#21完成】~人生における「完成」を目指す時~ 

【#22】~誕生数~ Birth path number#4[#22-#13]&Pinnacleとのバイブレーション。

【#22】「世の中、絆、愛、支えとか、表面的なものばっかりでイライラした。こういう時こそヤクザ映画を撮ってやろうとやる気が起きた。」

【#22偉業】~国際的スケールで、人々を巻き込み、偉業を達成する時期~ 見事バイブレーション。

◆世界各国の映画祭への出品、そして受賞(作品賞・監督賞等)
◆フランス芸術文化勲章
・シュヴァリエ(騎士) 1999年
・コマンドール(騎士団長) 2010年
◆シャンパーニュ騎士団
・オフィシエ・ドヌール(名誉将校) 2014年
・シャンベラン・ドヌール(名誉侍従) 2015年
◆レジオンドヌール勲章オフィシエ(将校) 2016年
【#22夢の実現】~『オイラの夢は、世界に通用する映画監督になることだね』~
【#2気遣い・気配り】~自と他の意識の繋がり・与えると受取るのバランス~

◆作法というのは、突き詰めて考えれば、他人への気遣いだ。具体的な細かい作法をいくら知っていても、本当の意味で、他人を気遣う気持ちがなければ、何の意味もない。その反対に、作法なんかよく知らなくても、ちゃんと人を気遣うことができれば、大きく作法を外すことはない。駄目な奴は、この気遣いがまったくできていない。人の気持ちを考えて行動するという発想を、最初から持っていないのだ。

◆他人への気遣いで大切なのは、話を聞いてやることだ。人間は歳を取ると、どういうわけかこれが苦手になるらしい。むしろ、自分の自慢話ばかりしたがるようになる。だけど、自慢話は一文の得にもならないし、その場の雰囲気を悪くする。それよりも、相手の話を聞く方がずっといい。



◇51歳 YearCycle:10 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2

作品⑦『HANA-BI」、受賞歴「ヴエネツィア金獅子」ヴエネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、ダントツの1位で金獅子賞(グランプリ)を受賞。日本映画としては1951年の黒澤明監督『羅生門』、1958年の稲垣浩監督『無法松の一生』に続く3度目の快挙でした。
【#22 Birth・Pinnacle】~開花 努力の結果、流れが大きく変わる~ 芸人でなく映画監督として認識されます。
【#10】~世界的認知~ 真の監督へ
【#10】~再スタート~

◆「『HANA-BI』で金獅子賞をとったことで、いろんなことが変わったよ。みんなが俺のことを本当の監督として見はじめるようになったもん。それに、事故を起こす前は、多かれ少なかれ、俺には自殺願望があったような気がする。だってなんでバイクなんか買ったのかも覚えてないもん、ふだん乗らないし・・・死という考えに直面しながらも、すべてから逃げてたんだよね。『HANA-BI』では逆に、死っていう運命を受けいれようとした。自分の抱える不安や怖れと向き合って、それを手なづけていく方法を見つけられたんだよ。
『HANA-BI』が、どれだけ俺の再スタートを助けてくれたか、この映画を撮ることが、新しい出発になるって感覚はあったね。そのチャンスをつかむべきであると。」
◆日本は漫才師が映画撮った、みたいな雰囲気があって、異業種の人間に対する偏見が強い日本人の見方には苦言を呈しています。


◇52歳 YearCycle:11 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2

作品⑧『菊次郎の夏』、受賞歴「シュヴリエ勲章」
【#10】(前年のYearCycle:10で企画等) ~過去手掛けていないものに霊感を受ける。新しい可能性とチャンス~「『HANA-BI』が成功に終わったあと、“クール”すぎたり、いかにも暴力的な映画からは少し距離を置いて、もっと瞹昧な映画を作りたいって思ったんだ。北野監督には、心温まるような、子供時代の話なんか撮れっこないだろうって思ってた人たちは、この「菊次郎の夏」を観て驚いただろうね。」
【#22】~愛・強い感受性~ 最愛の母死去。マスタービルダーとして、又ひとつ大きな悲しみを乗り越えることで、新たなパワーの源を手に入れることとなったことでしょう。

◆北野監督が芸人で売れるようになった途端、母が会いに来るたび「温泉に行く」、「孫に自転車を買ってやる」からと理由を付けて、20万円、30万円とお金を要求していました。教育熱心で優しかった頃の母・・・すっかり変わりはてた姿に、北野監督も「因業ババあめ!」と悪態をつくこともあったそうです。北野監督が、交通事故で顔面麻痺などの大ケガをしたときのことだ。週刊誌などで「たけし、再起不能」などと書かれ、芸能界に復帰できないかもしれないと悔しい思いをしていたという。
そんなとき、北野監督のもとを、さきさんが訪れ“通帳とはんこ”を置いていったのだ。何かと理由をつけて北野監督からお金をせびっていたが、それらはすべて使わずに貯金していたのだ。さきさんは「こういうことになると思ってな。お前は金遣いが荒いから、その金は全部とってあるから、あとの人生これで暮らせ」と言ったというのだ。万一、北野監督が芸能界で仕事ができなくなることも考え貯金をしていたそうです。北野監督は「母親の愛情のすごさってさ、たまんなかったね」と語っています。ちなみに、さきさんは、フライデー襲撃事件で世間を賑わせた時に、取材を求められた際は「あんなどうしよもないのは、死刑にでもして下さい。」と毅然と答え、その場の騒ぎを治めていました。



◇54歳 YearCycle:4 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
作品⑨『BROTHER』
【#4 継続力】「『ソナチネ』での失敗を、ちゃんと入れたっていうのはあるよ。だから『ソナチネ』の完成版。


◇55歳 YearCycle:5 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
作品⑩『Dolls』
【#5】~破壊・革新~  1度壊したい
「それまで俺が撮ってきた映画には、あんまり色がなかった・・"キタノ・ブルー"がつきまとってたからね。それを一回壊してみたかったんだ。


◇56歳 YearCycle:6 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
作品⑰『座頭市』ヴェネツィア銀獅子、日本アカデミー賞

【#6融合・調和】「ミュージカルと時代劇の融合!」「タップダンスに金髪の調和!」を実現。
『HANA-BI』でヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞をもらって、『座頭市』で銀獅子賞をもらってから、日本で俺はタレントとしてだけじゃなく、映画監督として認識してもらえるようになった。本当に、このふたつのおかげで、いろんなこと変わったよね。『座頭市』は、【Destiny#8 達成の時】俺の存在を世に知らしめる役割を果たしてくれたっていうかね、それまでの努力のたまものだね。『座頭市』は依頼された作品だったからね。映画を依頼されて引き受けるのは、これが初めてだった。でも、このチャンスは逃したくないって思った。【Realization#3[#12] 表現・感性・開放・遊び心】「『座頭市』で初めて、自分にとって娯楽とは何かっていう、真のコンセプトを自由に表現させてもらったと思う。映画の出だしから"これは“娯楽”だって観てる人にわかってもらいたかったわけ。西洋の批評家たちは、これは"和製ウエスタン"だって書いていた。これは当たってるよね。」


◇58歳 YearCycle:6 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
作品⑫『TAKESHIS'』


◇60歳 YearCycle:10 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
作品⑬『監督・ばんざい!』
#10】~運命をそのまま受け入れる・自然の流れに身を任せることの大切さ~
あの事故でわかったことは、運命なんてものは、自分でどうにか動かせるものじゃないということ。どんな運命が待っていようと、それをそのまま受け入れるしかない。」と語っています。


◇61歳 YearCycle:11 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
作品⑭『アキレスと亀』、受賞歴「日本数学会出版賞」


◇63歳 YearCycle:13 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
作品⑮『アウトレイジ』

作品内容が【#13カルミック】全ての“偽善や欺瞞など”を、斧で切り裂き粉々にしたい心境の中で制作。【#13収穫・社会的認知】「コマンドゥール勲章」受賞
【#13】~軌道修正~ さらなるステージの上昇


◇65歳 YearCycle:6 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
作品『アウトレイジビヨンド』(北野監督作品で初の続編)


◇68歳 YearCycle:9 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
作品⑰『龍三と七人の子分たち』、受賞歴「シャンペラン・ドヌール勲章


◇69歳 YearCycle:10 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
受賞歴「レジオン・ドヌール勲章」(フランスで最高の賞を受賞)

同勲章はナポレオン・ボナパルトが1802年に創設したもので、現在は文化や科学、産業、商業、創作活動などの分野における卓越した功績を表彰することを目的にしている。勲章を授与する元フランス文化大臣ジャック・ラング氏は「【#1】大胆で【#1】独創的な【#13】創造性から生み出された作品が、芸術ジャンルの限界をやすやすと乗り越え、演劇、テレビ、映画、文学などの約束ごとを変革して、現代のアートシーンに影響を与えてきた」とコメント。「あらゆる形態の大衆芸術の発展への熱心な関わりによって世界中で名をはせた【#1】型にはまらない完全無欠のアーティストとして存在していることにオマージュをささげたい」と受章について説明している。北野監督は「これまで自分のやり方でやってきた数々のことで、今回このような栄誉を授かることとなり、大変驚いています。そして、素直にうれしい気持ちでいっぱいです。これからも、自分の【#4】スタイルを守りながら、【#22】さまざまな仕事に精進してまいります。」とコメントしています。



◇70歳 YearCycle:11 Cycle:21 Pinnacle:22 Challenge:2
北野監督⑱作目となる最新作・映画『アウトレイジ最終章』が、2017年に公開される予定。

【作品NO.#1+#8=#9完成・集大成】アウトレイジシリーズの完結版であって、決して映画監督としての完結とならないことを願うばかりです。




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【総論】

北野監督は、Year Cycle#10 Fortune(運命の輪・自然の流れに任せる)の時、思うように行かなかったり停滞する流れが激変し、ビックチャンスとなる新たなステージを手に入れています。それは、常に直向きな努力を怠らない北野監督への天からの賜物の如く・・・。

特に、33歳の時には日本お笑い界の人気者へと駆け上がり、42歳では監督未経験ながらも、映画監督の座を射止めたうえ、業界関係者の度肝を抜く作品を作り上げ鮮烈なデビューを果し、そして、51歳の時『HANA-BI』で、ヴエネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、ダントツの1位で金獅子賞(グランプリ)を受賞しています。

北野監督は、

「物体は激しく動けば、それだけ摩擦が大きくなる。人間だって、激しく動くと熱を持つのだ。はたから見れば、輝いている人間のことが、きっと羨ましく見えるのだろう。だけど、輝いている本人は熱くてたまらない。星だって、何千光年という遠くの地球から見れば、美しく輝く存在だ。“いいなあ、あの星みたいに輝きたい”人はそう言うかもしれないけれど、その星は堪ったもんじゃない。何億度という熱で燃えている。しかも燃え尽きるまで、そうやって輝いていなくちゃいけない。これは真面目に、結構辛いことなのだ。第三者にとっては、輝いている人を見ると、輝き始めるまでの努力も知らず、また輝き続けるための心の葛藤も知らないのに、漠然と羨望の眼差しをおくる。」

と発言しています。
【#22】を持つ北野監督ならではの、努力もせず行動に移すことも出来ない人間への痛烈なメッセージかと思います。勿論、これは常に輝き続ける努力を怠らないこと、そして多くの困難を克服しないと輝けないことを知っている、北野監督だからこそ出来る発言です。

マスタービルダーを名乗るのに相応しい数々の困難を乗越えた経験数、Destiny Number【#8】権威・指導力・名声・富、Soul Number【#4】の直向な行動・謙虚さ、そしてRealization Number【#3[#12]】日本人代表として日本の芸術・文化を世界に発信し表現する力など、すべての行動・言動などが数秘を学ぶ者にとっては、とても理解し易い実例のようであると感じられました。

また、大変興味深い発言として、数学に対する造詣が深い北野監督は、次のようにも語っています。
「もし道を間違えなかったら、数学の研究者になりたかった」と・・・1980年代の民放番組の司会進行中に「自分は漫才師になったので今がある、物理学の道に進んでいたら、もう既にノーベル賞を取っている」と真剣な面持ちで話し、編集されなかったこともあったとされています。
さらに、数学好きが高じ『たけしのコマネチ大学数学科』をスタートさせ、その才能を発揮させたこともあります。「数学というものは哲学であって、全ての事象は数学に支配されており数学で説明できる」とも発言しています。もしかして、北野監督は『数秘』を既に学んだことがあり、自らがマスタービルダーであることも認識されているのかも知れません。でも、だとしたら、学ぶ前と学んだ後の、自己の意識の変化の違いを是非ともお聞きしたいものです。

最後になりますが、近い将来の期待として二つ・・・。
一つ目は、北野監督が日本の首相(【#22】政治の分野での指導者)として、米国トランプとの【#22×#22】対決で、ユーモアたっぷりの返しで反撃する姿が見てみたい。
二つ目は、勿論のこと米国ハリウッドにて『アカデミー賞』を受賞するシーンを見ることです。



Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th class
in Bunkyo
Tetsuya S.
by kej000 | 2017-02-06 10:29 | 数秘レポート

オイラの夢は、世界に通用する映画監督になることだね*北野武 Vol.1

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Takeshi Kitano
1947年1月18日
東京都足立区出身、血液型 O型、山羊座


『オイラの夢は、世界に通用する映画監督になることだね』

塗装職人の父・北野菊次郎(1897年4月1日‐1979年)と、母・北野さき(1904年‐1999年)の四男(幼少時に早逝した兄が一人いるため、実質は三男として育つ)として生まれ、「竹のようにどんなものにも耐えて、すくすく伸びて欲しい」との願いから「武(たけし)」と命名された。《両親の願い通りかは分かりませんが、想像以上の困難を乗り越え、世界が認める長~~く伸びた竹となったのではないでしょうか?》

大学入学の翌年に家出して、浅草で芸人の道に足を踏み入れる。
1980年代初頭に起こった漫才ブームの中で頭角を現し、「フジテレビのオレたちひょうきん族」などの多数のテレビ番組に出演し大人気となる。しかし、人気絶頂の最中、世間に衝撃を与えた、1986年の「フライデー襲撃事件」そして、1994年に起こした死の淵を彷徨うほどのバイクによる大事故と、数々の試練やトラブルが北野監督を襲う。ただ、そんなことも全て自らの糧としてしまう・・・今では世界が認める『天才 Kitano』として、国内外の在家信者であるキタニストから熱烈に支持される存在。





【基本データ】
①Birth path Number #4[#22‐#13]
Day#9[#18]・Year#3[#21]・Month#1・Day&Month#1[#19‐#10]
②Destiny Number#8
③Soul Number#4
④Personality Number#4[#22]
⑤Realization Number#3[#12]
⑥Stage Number#1[#10]
⑦Challenge Number#9[#18]
⑧Nature Number#1[#10]
⑨Action Number#8



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誕生数 Birth path Number #4[#22‐#13]

(資質・性格・個性・才能)

【#13】は、カルミックナンバーで創造と破壊を繰り返し、常に学びを喚起させられるナンバー。障害やトラブルを探し出して、渦中に自ら飛び込み困難を招くこともあるかもしれませんが、しかし困難を克服する度に、変容する修練を経験し、カルマの負債を清算することになるナンバー。
【#13】~生と死~ イメージとの大きなギャップ、「身内の死」に関する感情の高ぶり。

◆身内のように親しくしていた『逸見 政孝』の告別式では、弔辞を読む予定であったが、とても読める状態でなく参列者席で号泣。
◆母が死去した際、通夜の後に行われた記者会見で「俺を生んで良かったと思って欲しい・・・」と絶句し、その場でも泣き崩れた。

【#22】は、マスターナンバーであり、天と地の架け橋となるナンバーです。2+2=4(#4の増強版)で、【#4】の特性を全て持っており、有能で、頼もしく、気質が堅く、まじめである。

さらに【#22】は、現実的な世界でスピリチュアルな原理を使う能力を有しており、霊感・直感に基づく観点から物事に取組むとき最高の力を発揮することも出来ます。ただ、【#4】の人より、強運に恵まれていますので、同時に学びの機会(試される)として多くの障害やトラブルにぶつかることも多いです。しかし、そうした障害を克服する力を持っており、何であれ見事に克服していくでしょう。克服したのちに、【#22】の安定感とパワーの源が内側にもたらされます。あらゆる分野の創始・開拓・指導・権威者を目指す。

【#22体験】~人生の早期にさまざまな体験をし、体験から自信を培っていく人~
高校卒業後、明治大学工学部機械工学科に入学する。しかし、大学にはすぐに行かなくなり、新宿界隈で当てのない日々を送るようになる。当初、ジャズ喫茶や雀荘あたりをウロウロするが、長続きせずその後は。菓子の計り売り、実演販売員、クラブのボーイ、タクシー運転手、ガソリンスタンド、ビルの解体、羽田空港の荷役・・・などなど、アルバイトを転々とした後、芸人見習い志願として、25歳【Year cycle#20】で浅草のストリップ小屋でエレベーターボーイを始めるまでは数えきれないほどの体験をする。しかし、のちのち全てが必要な経験であったことを自覚する。

【#22挫折感】~最初のうちは何をしても結果が出ないような気がして、挫折感を味わったり、自分は理解されないなどと感じる~ まさに、前座時代は、演芸場のギャラは安いため、地方キャバレーなども回るようになるが、酔客相手の仕事を嫌い、出番をすっぽかしたり、酩酊して舞台に上がることが多かった。また、店を誹謗【#8am能力を認められない時、批判的になる】し、客やホステスに喧嘩を吹っ掛けたので、度々舞台から降ろされた。

【#22波乱の人生】逮捕歴・前科あり、顔面が崩壊するほどの事故を経験するも、その後の活躍を認められ、紫綬褒章受章の打診が来る。(俺はもらうような立場ではないとお断りを入れる。)まさに大波乱。

【#22あらゆる分野の創始・開拓・指導・権威者】
~国際的な関心事にまつわるプロジェクトの中で自分を活かす機会を見つけるでしょう~
芸人、役者そして、映画監督となり、今では世界を代表する映画監督『世界のKitano』として大活躍。

【#22卓越した才能】北野映画は黒沢明に愛されていたことは事実です。死を目前にした黒沢監督は「日本映画の未来は任せた」と言わせた・・・世界の黒沢が認めた才能。



【#1 Month Number】
~生まれ月のナンバー[#1]は、若年期の行動や雰囲気を現わす~

若年期のCycle#1・Pinnacle#1[#19]そしてNature#1[#10]とバイブレーションするためにより顕著に現れる。典型的な、すばしっこいガキ大将。


【#9[#18] Day Number】
~生まれた日のナンバーは、個性や行動特性を見る第二ツール。2桁なら波動が上がる~

【#9[#18] 】~人を惹きつける魅力~ 非常に高い波動で、多くの人間の心を掴み、国外からも多数のファンがおり北野監督を訪ねています。

【#9[#18] 】~若年期の経験が多い~ 関わった仕事・趣味・人との交流など盛りだくさん、兎に角多くの経験を積むこととなります。

【#9[#18] 】~ロマンティスト~ 本のタイトル名「星のはなし」という、絵本を出版するほどのロマンチストで、その他の執筆した書籍にも、星の話が登場している。しかし、同じ年に究極のバイオレンス映画の続編「アウトレイジビヨンド」を制作・公開するギャップもファンを魅了する一因。



運命数 Destiny Number #8
(才能・個性をどう活かすか、人生の目的・使命、社会的役割、社会へ打出す力)

権力の行使に関わる使命を携えています。その衝動と大望と才能ゆえに、権威あるポジションに立つ可能性がとても高い人。重要な決断を迫られるような局面でも、たじろぐことなく冷静沈着に対処できる人。集中力があり、やや格式ばっていて、堅実でとことん頼りになり、むやみにリスクを冒さず、何事も最初から決めてかからない姿勢を身に着けています。卓越したトラブル処理能力があり、常にバランスを回復させ、効率よくスピーディーにあざやかな手さばきで難題を次々に解決していきます。むしろ、そういう機会を楽しんでしまうでしょう。めったに時間を無駄にせず、よく自制し事情通で太っ腹です。



ソウル数 Soul Number #4
(魂の欲求、一番大切な価値観)

【#4 本質】~#22への覚醒を意識した#4本来の思考~(天才は天才を知る)
「99%努力したとしても、あと1%の才能がなければ、天才になんかなれない。だから、せいぜい我々に出来ることは、努力しかないから、せいぜい努力しなきゃどうしょうもない。つまり、1%の才能が、普通の人にはない。そこをして、天才と言わしめる。だから、我々に出来るのは、せいぜい努力でしょ。だとしたら、99%の努力なんか、当たり前だという意味だ。」と天才ならではの発言をしています。

【#4 頼りになる】~道義的な理由で、他者を助ける為なら全力で立ち向かう~
当時交際中の女性に対して、雑誌フライデーの記者が強引(女性の腕を掴むなど)な取材を敢行したことに対して抗議したが、反省のいろが微塵も感じられなかったので実力行使した。また、1980年代初頭に北野監督を慕って集まって来た軍団に所属するメンバーは、業界を干されて行き場の無かった者も少なくなかったのです。

【#4 基本・真面目】~基本に忠実~ 映画製作での拘りの一つとして、暴力シーンは淡泊に撮るが、音には拘っている。俺の映画で使っている銃の音はすべて本物だ。俺のところには、トカレフを撃っている時は、ちゃんとトカレフの音がしている。床に転がる薬莢の音までが本物だ。俺のところには、世界に出回っているほとんど銃やマシンガンの発射音の膨大なコレクションがある。音響さんがアメリカに行って、もの凄い苦労をして録ってきてくれたのだ。言わなきゃ誰も分らないだろうけれど、不思議なもので、観客は無意識にその違いを感じている気がするとのことです。

【#4 本質】~ものごとの本質を明らかにする~ 日本テレビから『24時間テレビ 愛は地球を救う』への出演オファーを受けたが、拒否したことを明かしている。さらに、「ヨダレを垂らした芸能人どもがめちゃくちゃ高いギャラを稼ぐくせに、これ以上貧乏人から金を巻き上げんな。チャリティーっていうくらいならお前ら全員ノーギャラで出ろよ」と発言、偽善番組とも述べています。
【#4 論理と感情の調和】「感情というのは抑えるのが当然なのに解放するのがいいって風潮になっている」ことを嘆くコメントを残しています。

【#4 信念】「最後まで押し通せなかったら、やさしさではない。途中でくじけるなら悪人になればいい。優しさは根性である。」とコメントしています。

【#4 働き過ぎam】~ワーカホリックになりやすい、リラックスできて自分が成長させられるような趣味を見つける~ 北野監督は、働き過ぎ解消の術を自然に身に着けたのか・・・所ジョージと非常に仲が良く、毎週日曜日に所の遊び場兼事務所である「世田谷ベース」へ遊びに行く。趣味の話などを酒とともに酌み交わすことが楽しみの一つとなっている。北野監督は「所から仕事以外の楽しみかたをというものをすべて教わった。」とも語っています。


人格数 Personal Number #4[#22] (他人からのイメージ)
非凡なオーラを与えます。どんな難題もきっと解決してくれると思われ、仕事を任せたいと多くの人が集まります。また、自分自身でも遣りたいことを山のように抱えています。


ステージ数 Sage Number #1[#10]
(活躍の舞台)

【#1-10】~絶対的存在や特別性~ テレビや雑誌・新聞の紙面、そしてスクリーンにて、たけし軍団・お笑い界・映画界などで常にトップランナーとして走り続けている。

【#1-10】~前世でやり残したカルマや、目的を今生で果たすためのカルミックナンバーで、人道的な目的や、人に癒しを与える方向へ向かいます。人生のある時期に全く別な道へ進む場合が多く見られる~ Cycle#10の時に、StageNumber#10とバイブレーションするのか?新たな活躍の舞台が用意されたり、活躍のステージがアップしたりします。勿論のこと、人に癒しを与える方向で活躍します。


チャレンジ数 Challenge Number #9[#18] (
現実に経験すること)

【#9】~愛と理解力で人類愛を実践~ 「愛」と言う言葉、それも真実の偽りのない愛が似合うと思います。

【#9 [#18]】~月の影響・若年期の経験~ 

◆中学は母親の希望で進学校に越境入学。そこでは成績が落ちしまう。また、雰囲気に馴染めずガキ大将になれなかった。その反動もあって、ボクシングジムに通い始めたようです。
◆子供の頃から、厳しい勉強を強いられて窮屈な思いをしていた北野監督は、これに猛反発.北野冢においても.近所の体裁を考えて「芸人を目指した北野家の武」という存在は無かった事になっていたそうです.

【#9 [#18] 物質主譱】~物質的野心には心を動かさない~
「金のことでつべこべ言うと、母親にこっぴどく叱られたものだ。誰だって、金は欲しいに決まっている。だけど、そんなものに振り回されたら、人間はどこまでも下品になるというのが俺の母親の考えだった。貧乏人のやせ我慢と言ったらそれまでだが、そういうプライドが、俺は嫌いじゃない。」

【#9 [#18] 寛容】「他人の裏切りを、心の中に毒持って生きて行くより、相手にいいこしてやったっていう感覚でいるほうがいいんだ。だって、裏切りなんてこれからもじゃんじゃんあるんだから。それをいちいち自分の問題にして、抱え込んだら、大変なことになっちゃうもん。」


ネイチャー数 Nature Number#1[#10]
(素の自分)

【#10 野心】~自信家で野心家・大胆不敵~ 『その男凶暴につき』、主演の立場を利用して「深作監督でなければ、出演しない。」また、「俺に監督をやらせたら、同じスケジュールで1本くらい映画、撮れると思うんだけどな」と啖呵を切って、見事に監督の座を勝ち取る。普通、映画監督未経験の北野監督が、深作欣二の代わりを務められるなんて、考えられない展開ですが、北野監督ならではの、自信溢れる態度と、大胆不敵な雰囲気に関係者が納得させられたのでしょう。



行動数 Action Number #8
(行動パターン)
【#8 コントロール・自信】

北野監督のNG芸能人は、菅野美穂。NGの理由は、映画『Do11s』撮影時に、菅野のシーンにOKを出した北野監督。それにもかかわらず、菅野は自分の演技に納得がいかなかったため、再撮影を何度も希望した……。この行動が逆鱗に触れそれ以来共演NGになったのだとか。「絶対に許さない」北野監督の信念。一見すると菅野の主張も一理あるかに思えるが、北野監督の映画監督としての持論はそれを許さない。ある記者会見では次ように語ったこともある。「たまに“監督、ここはこう撮るべきじゃないですか?”って言ってくる奴がいるんだけど、そいつ大嫌いで2度と使わない。監督に気に入られるように演技をするのが役者であって、監督の演出方法に意見するのは絶対に許さない」結果的にお互いのプロとしての信念が仇となり、共演NGとなった菅野。裏を返せば、それだけ二人が作品作りに妥協を許さないということだろう。
北野監督は映画に関しては自分への助言や提案は聞き入れません。ベテラン俳優でも、「自分はこう演じたい」などとロ出しをしたら下ろすそうです。本人自身、俳優として他の監督の下で演じる時は、一切口出ししないそうです。ドラマにしろ映画にしろ、それは監督の作品であり、俳優はただ命じられたまま演じるのが筋だというスタンスです。

【#8太っ腹】弟子の結婚祝いに、弟子から洗濯機の希望があったので、大きなタライを贈る・・・タライの裏には、‘百万円の束'が、張り付いていたというエピソード!!




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HISTORY


First-Stage 0~32歳 
Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8

【#1自立・種まき】~早期に自立を促される~ 19歳で自立を果たす
【#19カルマ】~カルマの負債を清算するため、家族や自分の殻から抜け出ようともがく~

小学生時代の北野監督はスポーツ大好き少年でしたが、母親が教育ママだった為に終始「勉強しろ」と言われていました。しかし特に勉強しなくても成績が良かった為、スポーツにばかり打ち込んでいたそうです。大変目立つ存在で、昭和のガキ大将そのもの、近所では有名でした。中学は母親の願望で進学校に越境入学、そこでは成績は「普通」になったし、雰囲気や状況的にガキ大将にもなれませんでした。子供の頃から厳しい勉強を強いられて窮屈な思いをしていた北野監督は、ついに猛反発して家を飛び出し、そして芸人の道へ。北野家では、近所の体裁を考えて「芸人を目指した北野家の武」という存在は無かった事になっていたそうです。19歳で、家を飛び出し自立を果す。本当の意味で天才Kitanoのスタート。

【#1成功の鍵】 ~個性や独自の才能を発見、新たな分野で究極の成功へ~ 
明治大学工学部に入学するも適応できず、紆余曲折の果て、芸人の世界へ、そして『世界のKitano』へ。
【#1 繋がり】~人との繋がり~ この時期に、多くの人と関わる。コントの師匠、漫才の師匠から、いろいろな人種の人達と出逢います。
【#19 AM】 ~過度の不安・心身のバランスに注意~ 

死ぬのが怖くて、どうにもならない時期があった。高校生から犬学生にかけて、毎日のように死について考え、死ぬことに怯えながら生きていた時期。死んだら人聞どうなるとか、天国や地獄があるのかとか、形而上学的な問題を思い悩んでいたのではない。自分が生きているという快感がないまま、生きたって記憶も何もないまま、この世から消えることが怖かったのだ。


◇17歳 YearCycle:21 Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8
【#21快楽主義】この時期、ボクシングジムに入門しているが、入門の動機はこんな発言から読み取れる。「快感には、みんな暴力的なものが内在してんだよ・・・」

◇18歳 YearCycle:22 Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8
【♯22】~大きなビジョンを描き、新しいステージに向かう開拓する年~ 明治大学入学。

◇19歳 YearCycle:23 Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8
【♯23】~環境の変動・自由・不安定~ 大学での生活には適応できず、五月病を患うようになり家出同然で一人暮らしを始める。その後、大学には通学せずに除籍。(のち、2004年9月7日、明治大学より「特別卒業認定証」及び知名度アップに貢献したとして「特別功労賞」を受賞。)

◇25歳 YearCycle:20 Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8
【♯20 出会い・愛する人とのコラボ】~永遠に目で語り合える相手・尊敬から結婚へ(男通しの結び付き)~この年、北野監督はその後の人生に多大なる影響をうけることとなる男(この上ないほどの理想的な師匠)と出会う。その男は、深見千三郎(ふかみせんざぶろう)北海道出身のコメディアン、舞台芸人・演出家・脚本家で浅草系の芸人に評価が高く、「師匠」と呼ばれていた。弟子には、渥美清、東八郎、ポール牧、萩本欽一、坂上二郎などなど…北野監督は、最後の弟子となる。弟子入りのきっかけは、エレベーター内で直訴したところ、何の芸もない北野監督にその場でタップダンスを披露し、「こういうのでも練習するんだな」と一言・・・弟子を許され、『前座芸人・北千太』が誕生しました。(後年、北野監督は、深見のタップダンスの余りの格好良さに感動としたことを発言しています。
また、簡単に弟子入りを許されたようだが、明治大学中退の変わり者に、依然より深見は目を付けていたようです。) その後は四六時中、深見から予告なしにボケをかまされ、間髪を入れずに罵倒するという技を仕込まれた。この日々の鍛練が、のちの独特な言葉の拾い方のアドリブによる巧みなかえしや、速射砲のようなテンポの速い漫才へと繁がります。座敷で飲んだあとに下駄履きに立ち、自分の靴をさっと出す北野監督に対して、深見は「ワザと違うものを出すんだ」と教える。その翌日、北野監督は、女性客のハイヒールを差し出し、深見は何ごとも無かったように、ハイヒールを履きながら「馬鹿野郎っ」とつっこむ・・・そんなやり取りも、北野監督の芸風として脈脈と受け継がれています。さらに、深見は「この馬鹿野郎」と言うなどロは悪い分人情味溢れる人物で、第子の暮らしぶりにも気を遣い、当時の北野監督の住まいを始め全ての面倒を見ていた。この点は、深見から鍛えられたというより、北野監督の本質と非常に良く似た点ではないかと思われ、そんな北野監督を慕うたけし軍団のメンバーは若き日の北野監督とどこか重なるようです。後年、北野監督自身も「芸人としての心意気・感覚すべてピッタリだった。自分はその心意気を継いでいる。」と語っており、別番組のインタビューでは「芸人としての生きざまは師匠の深見千三郎から教えられた。深見から言われた“笑われるのではなく笑わせろ“という言葉は未だに忘れられない」と語っています。深見の最期は、自宅であるアパートの自室でタバコの火の不始末が原因で火災を起こし、折しもはしご酒をして泥酔していたことが災いして逃げ遅れ焼死した。(59歳没)

たけしはフジテレビの『オレたちひょうきん族』収録中、楽屋で深見の訃報を聞いた。しばし絶句した後、たけしは、壁に向かい俯きながら無言でタップを踏み始めた。深見の葬儀の後、たけしは札幌での仕事へ向かうため羽田空港へ向かい、待ち合わせていた高田文夫に「深見のおとっつぁんもバカだよな死んだら人が焼いてくれるのに、自分で焼いちめえやんの」と師匠譲りの毒交じりの一言を口にしたといいます。


【#20】~出会いにより収入拡大~「ツービート結成」
ツービートは、最初きよしさんがボケで、おいらがツッコミだった。それでやってみたけど、これが‘間’をどうこう言う以前の問題。きよしさんは‘間’が悪い以前にネタがない。何を勘違いしたのか、舞台の上で世間話を始めちゃう。もちろん、客はクスリともしない。全くもってウケることのないきよしのネタに対し、北野監督はツッコミ入れるようになる。しょうがないから、おいらが「お金払って、お前の世間話とつまんねえギャグを聞いてどうする!」って、どんどん突っ込んでいったら、客がドッと笑ったんだ。それでお客が笑ったから、これだと思って、もうジャンジャン「こいつバカですから」と言いながら、きよしさんの出身地である山形の悪口をさんざん言った。そうしたら今度は、きよしさんがそのツッコミに対して、「そんなことはないよ」とか「よしなさい」って言うようになった。そうやってボケとツッコミが逆になったのが、みなさんの知っている「ツービート」のスタイルになったわけ・・・動き出す年となりました


◇29歳 YearCycle:24 Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8
【#6 やりすぎ】~自己破壊的~
【#19カルマ】~不当に軽んじられたり、手柄を人にとられて悔しいと感じることも多々あるが、その体験を通して正しい決断を学び、身につけることが重要~
演芸場での人気とは裏腹に、その破壊的な芸風は一部の関係者に受け入れられず激しい抑圧を受け、漫才協会から脱退を求める声すら起きたという。この年も、協会が主催するNHK新人漫才コンクールにツービートは3年連続で出場したが最優秀賞を獲得することは出来ませんでした。


◇32歳 YearCycle:27 Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8
【#9完成】~サイクルの成就~
『花王名人劇場』(関西テレビ 企画:澤田隆治)において、人気落語家・月の家円鏡(8代目・立花家円蔵)の共演者に抜擢され、古典派から「邪道」と言われた円鏡と、「邪道漫才師」ツービートを競演させ、「円鏡vsツービート」と銘打って放送されたこの企画が好感触を得たことで、「花王名人劇場」での、「激突漫才新幹線」制作への布石となり、後の漫才ブームへ繋がりました。




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To be continued to Vol.2

by Aeons Numerology Basic the 11th class
in Bunkyo class
Tetsuya S.
by kej000 | 2017-02-06 08:27 | 数秘レポート

すべての経験を学びに変えて*ヒロミ・・『言い訳しない人生』 VOL.2




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ヒロミ

『言い訳しない人生』

Vol.1 に続く



《History》

Cycle number  その時期の学ぶべきテーマ
Pinnacle number どんな状況の時か
Challenge number その時期にチャレンジすべき課題


0-27歳
1965年-1983年
Cycle number 2 Pinnacle number 6 Challenge number 2
若年期(Month 2-Cycle/Challenge 2 受容)

1965年 昭和40年 東京八王子市に生まれる。父は大工。
遊びといえば、2歳上の兄について、山でアケビやザクロをみつけて食べたり、川で魚を釣ったり、素手で捕まえて焼いて食べたり。野生児でした。
後に釣り、マリンスポーツ、登山、様々な遊びが、彼の人生に大きな意味を持つことになりますが、この幼少期の野山での原体験がベースにあるのでしょう。また、家の前が父の作業場だったこともあり、小さいころからノミやノコギリを使い、木で色々な物を作っていたと言います。そのDNAと経験は皆様もご存じの通り、現在バラエティー番組でのリフォーム&リノベーションで遺憾なく発揮され、いったいどれだけマルチな才能があるのか舌を巻いてしまいますが、彼にとってはお手の物、という感じでしょうか。

子供の頃から自分でも認める甘えん坊でしたが、8歳の時に両親待望の妹が生まれ、家を継ぐ長男、可愛いがられる妹の狭間で、子供心に親のひいきを感じていたといいます。「次男である自分はいつかは家を出て行くものだと思っていた。」次男という立場を子供心に受け入れながら成長していきます。

中学時代はいわゆる「不良」の仲間入りです。人の影響を受けやすい9番、Cycle 2の中で、自分の兄達がそうなるのですから、彼にとっては自然の流れであったのでしょう。
しかし「どうせ悪いことをするなら、堂々とやる」そんな意味も分からないような「不良の美学」があったといいます。そしてその美学こそが、彼の行動哲学ともいえる「言い訳しない」生き方の原点かもしれない、とも述べています。

工業高校の機械科に進んだ1980年代。「自身の人生の中で一番刺激的な年代だった。」
「八王子に生まれてバイクに乗っていたら、みんな暴走族になるんだ。」
2月の早生まれだったヒロミさん、やっと16歳になり、免許を手にします。そして、「暴走族に入ります、辞めます、なんてものはなかった。」自然の流れで、仲間入りし、何百台のバイクと一緒に爆走するわけですが、ここでも義理や上下関係、周りをよく見て空気を読んで行動すること、様々なことを学んで行くのです。まさに誕生数・人格数ともに9の資質がこの頃より発揮されているのです。またこの時代に磨いた、先輩に怒られないようにからかったり、笑わせたりする術。失敗したら大変、命がけだったと言いますが、自然数 3 コメディアン度数No.1の3の波動、これがお笑い芸人としてのその後に生きてくることになります。


*1983年 18歳 (Year Cycle 27)
高校卒業間近、工業用工具の会社を経営する叔父から声が掛かり就職を決めます。サラリーマンを経験することになるのです。しかしまだまだ遊びたい盛り、土日は地元の仲間と車を乗り回していました。誕生数 9は冥界との関連のある数字。ヒロミさんは人生で2度も、生死を彷徨う大事故を経験しています。その1度目が、就職して3カ月目の7月。地元の仲間と集まった土曜の夜。心霊スポットで有名な奥多摩での肝試しレース。雨の中、タイヤが滑り、車がスピン、ガードレールにぶつかり、田んぼに突っ込みます。運転していたヒロミさんは車の外に放り出され、脾臓破裂の大怪我を負ってしまうのです。家族も「死を覚悟」と宣告され、泣いている父を見て、自身も「死ぬかも」。しかし、心底「死にたくねー。」と思ったといいます。「父を見て」と書きましたが、著書やTVトーク番組での本人談を総合すると、おそらく幽体離脱?の状態であったのではないでしょうか。


そしてこの事故が彼の人生を大きく変えていくことになります。
臓器の一つがなくなっても人は生きていられるのか、「もしかしたら、自分は長生き出来ないかもしれない。だったらやりたいことをやろう。」しかし、それまでやりたいことを真剣に考えたことすらなかったことに気づき、人生を考えるきっかけになって行ったのです。「嫌なことがあると、いいことの始まり。」と考えるようになるきっかけにもなったと本人が述べています。

またそれまでテレビを見る機会があまりなかったヒロミさんですが、この入院中はテレビばかり見ることになります。ビートたけしさん、明石家さんまさんが好き勝手にしゃべるのを見て、「『自分もテレビでしゃべりたいな』、と単純に思った。」と言います。

三か月後、叔父の会社の仕事に復帰するも、人生このまま機械工具の営業でいいのか、と思い始めます。しかし、散々迷惑もかけ、義理もある。いつ話そうか考える日々が続きます。6番の誠実さ、優しさ、揺れやすい6番と9番を合わせ持つゆえに、決断は苦しかったことでしょう。

そしてやめる決断をし、社長室に向かうと、
「あのね、おまえクビね。」
甥がいろいろ考え結論も出ていることを察していた叔父の優しさでした。その優しさを6のヒロミさんはしっかりと受け取るのでした。

その後、柴田恭平さんの映画「チンピラ」に憧れ、一時期チンピラを目指すも、これは難しかった模様、バイトを探すもなかなか採用にならず、新宿歌舞伎町のホストクラブにやっと仕事を見つけます。ここであるお客の女性から
「ヒロミ、面白いんだから、芸人になればいいのに」と言われます。
コメディアン度数No.1 、人を楽しませることに長けた3番をYear NumberとNatureに併せ持つ、彼の天性の才能がここから花開いていくことになります。


*1986年 21歳 (Year Cycle 3 創造力開花・忍耐と経験)
B-21スペシャル結成
そのホストクラブのお客の女性がのちにヒロミさんがったった一人、『師』と仰ぐ、セントアンドルイスの星セントさんと引き合わせてくれるのですが、初めて会った時には、「芸人は簡単ではない。やめたほうがいいよ。」と諭され、帰されます。ところが、辞めた方がいいと言われ、逆に心に火が付きます。

ホストクラブの仲間だった、デビット伊東、ミスターちんを誘い、トリオを結成、ヒロミがネタを考え、店が終わってから朝まで、3人で一生懸命練習したのです。そして、星セントさんにも「弟子」ではなく「後輩」として認められ、教えを請うことになります。3人のトリオ名「B21スペシャル」もセントさんが付けてくれました。

そして六本木のショーパブ、バナナパワーに出演の機会を得、サラリーマン、OLその他、様々な層の客を飽きさせないトーク術、客いじり。ここで鍛えられて行きます。しかし、その頃、東京のお笑いの登竜門のひとつでもあったバナナパワーも親会社のあおりを受け、この年閉店に。この閉店を機に本気でプロダクションを探し、「プロダクション人力舎」所属を決めます。

しかし、プロダクションに入ったものの、すぐにテレビに出られるわけではありませんでした。その当時はテレビ出演より地方営業の方がギャラが良かったのです。人力舎の方針もテレビはあくまで「営業の為の露出」でしかありませんでした。3人は、辛い思いもしながら地方のキャバレーの営業からおかまパブ、刑務所の慰問までを地道にこなしたのでした。その一方で、新人ライブやテレビのお笑い勝ち抜き番組にも挑みます。『ザ・テレビ演芸』では10週勝ち抜きシリーズで見事10週勝ち抜き、審査を担当していた糸井重里をして、『ネタだけなら今売れている芸人の誰にも負けない』と言わしめるほどでした。もちろん、ネタを書いていたのはヒロミです。Intelligenceの「7」が光ります。ほどなく、ダウンタウン、ウッチャナンチャンらと共に、「お笑い第三世代」と呼ばれるブームに乗り、ブレイクを果たします。


*1990年 25歳 (Year Cycle 7ステージアップ)

ゴールデン・アロー賞新人賞受賞 

*1991年 26歳 (Year Cycle 8 軌道修正)
8は、軌道修正のために現実的な問題も起きるナンバーでもあります。Year Cycle8の年の正に8月、レギュラー番組中大やけどを負い、再び生死の境を彷徨うことになるのです。火傷は身体の21%に及び、家族は命の保証はないことを告げられます。
一命を取りとめたものの、火傷の痛みだけでなく、毎日のガーゼ交換の痛みは壮絶、何度も気を失ったと著書に記しています。治癒の段階での痒みも筆舌尽くしがたいものだったでしょう。
番組も打ち切り、医者からは歩行は無理、と告げられ、芸能界をやめることも覚悟、人力舎を辞めることを決断します。

*1992年 27歳 (Year Cycle 9 次の光へ) 
芸能界を辞める決断をすると、気持ちが楽になったことが幸いしたのか、リハビリも進み、体も順調に回復します。無理かと思われたテレビの世界へも再び戻る目途が立ちます。しかし、事務所を辞めると言った手前、そのまま事務所に残る選択はしたくありません。ですが他事務所へ行くのは芸能界のルール違反。「自分でやるなら、独立を認める」との玉川社長の言葉に、義理を重んじるヒロミさんは、「最終的な責任は自分で取る」と決め、個人事務所 ビ-カンパニーを立ち上げます。

玉川社長に教わったことの一つが「社長の仕事は謝ることと金の工面」と著書に書いていますが、独立するものの、お金がうまく回り出すまでには、社長に教わったごとく、3年かかったそうです。B21メンバーと社員に給与を払うため、それまで断ってきたピンの仕事も必死に引き受けるようになって行きます。
翌1993年から、Challenge Numberは1。社長としての責任、そしてテレビではピンの仕事で「個」を打ち出して行くことで、更なる飛躍を遂げていきます。バラエティ番組の司会者としても頭角を現して行くのです。




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28-36歳 (1984年-2001年)
Cycle number 4 Pinnacle number 7 Challenge number 1

*1993年 28歳 (Year Cycle 10)
この年、アイドルで活躍中の松本伊代さんと結婚します。Year Cycle 10での結婚は0のバイブレーションでは楽しい家庭、1と読めばまさにソウルメイトとの結婚とも読み取れます。そして、この1993年からCycleが4、Pinnacleが7と、ともに変化。伊代さんとの結婚がヒロミさんの人生にとって非常に意味あることであったとわかります。人生の伴侶を得、4-家庭の基盤を築き、そして芸能界では7のステージアップ。この年から約10年、多くのレギュラー番組を持ち、MCとして超売れっ子の日々が続いていきます。しかしPinnacle 34-7が示すものは3-自身を表現することで4-安定を確立するのと同時に、7-探求と内省を求められる日々でもあったとも読めます。


*1995年 30歳 (Year Cycle 3)
長男が誕生。2年後には次男が誕生します。仕事にも恵まれ多忙を極め、スタッフとの打合せ、飲み会で帰りも遅い日々。それでも伊代さんは文句1つ言わなかったそうです。忙しい中でもヒロミさんはお風呂と夜中のミルクの準備はしていたと言います。15歳からアイドルでやってきた伊代さんが母になっていく姿に、「女の人は凄い。どんなに男が威張ろうが、結局男も女の人からしか産まれないことを目の当たりにした。」
運命数、ソウル数ともに6。愛情と家庭がテーマの彼らしい言葉ですね。




37-45歳  (2002年-2010年)
Cycle number 4 Pinnacle number 4-13  Challenge number 1

*2004年 39歳 (Year Cycle 12)
1995年から始まる、3のサイクルの最後の年、ヒロミさんは大切な人を失います。
放送作家 吉野晃章さん。ヒロミさんが芸能界に入った頃から一緒に番組を作ってきた人です。ヒロミさんにとっては「いつでもどんな時でも、俺の味方だった」大切な人。元々とんねるずの二人の高校の同級生で、とんねるずの番組も多く担当していました。亡くなる1年前に肺ガンが見つかり手術を受け快方に向かうも、翌年、急性白血病の診断。

6のアマチュア、『依存』。芸能界デビュー当時から一緒に企画を練ってきた吉野さんを失ったことで、芸能界で働く意欲も失せて行ったのではないでしょうか。また「芸人としての師匠はこの人だけ」と公言する、セントアンドルイスの星セントさんが7月この世を去ります。

この年4月、『発掘あるある大事典』MC降板を境に、仕事が激減、テレビからははぼ姿を消します。「干された」というのが本当だったのか。毒舌、生意気、大物芸能人にも媚びを売らないスタイルが売りでしたが、その傍若無人ぶりがあだとなったのでしょうか。
Pinnacle Numberを見てみますと、2002年から4-13に変わっています。この13は創造と破壊、修練の厳しいナンバーでもあります。数秘的に見ると、更なる飛躍のための浄化を経験することが示唆されているのです。

あるある大事典で共演の堺正章さんの怒りをかったのが『干された理由』とも噂されました。『俺のことを切ったと思われる人』は確かに存在すると思われますが、それが堺さん、というのは本当ではないようです。

世間はバブル崩壊後の不景気が続き、暫くはそのあおりを受けずに来たテレビ業界にも徐々に厳しさが増していました。番組制作側も、スポンサーの意見を無視はできなくなっていたでしょう。番組のイメージを良くするために、これまでの生意気・毒舌のスタイルは敬遠される傾向にあったのかもしれません。しかし、ソフトさも求められても、「変わろうともしたが、そう簡単に変われるものでもない。」そして、風向きが変わってきたのに、そこにしがみつくこともヒロミ流ではありませんでした。

彼のコアのナンバーは揺れやすい6と9ばかり。どの様な思いでいたのでしょうか。レギュラー番組がなくなったのを機会に、海外に行って大学に通うことも考えたそうです。しかしそれを止めたのが、堺正章さんだったと言います。『駄目だよ、海外に逃げちゃ。』堺さんの言葉に「逃げるって思われるのも嫌だ」そして「現実を見なさいということだ」と受け止めたのです。
Year Cycle 12は『パターンの打破』方向転換のきっかけの年でもあったのでしょう。経営者へとその軸足をシフトしていったのです。


*2005年 40歳 (Year Cycle 4)
この年から4のサイクルに入ります。経営者として、そして本気で遊ぶ、『時遊人』として、新たな基盤を作り上げていく最初の年です。この年からブライダルビジネス、テイクアンドギヴ・ニーズの野尻佳孝さん、サイバーエージェントの藤田晋さん、など、いわゆるヒルズ族と呼ばれるような、若手実業家達と遊びを通じての交流が始まっていました。
アメーバブログを始めたのももちろん、藤田さんの勧めです。「遊んでいた、というより、遊びを教えていた。」と言っていますが、若い時からビジョンを持ち、ビジネスでの成功を目指す、今まで彼の周りにはいなかったタイプの人間との交流が彼の次のステージへの方向転換のきっかけになって行きました。

トライアスロンを始めるのもこの年。トレーニングの必要性を感じ加圧トレーニングのジムに通い出したことがその後経営を始めるきっかけになったのです。トレーニングが楽しくなり、ライセンスも取得。自身もインストラクターの資格を取ります。経営は軽い気持ちで始まったといいますが、加圧トレーニングのブームに乗り、軌道に乗るにも時間はかかりませんでした。
昼間は大好きなバイクや車の改造に没頭したり、ゴルフ、登山。夕方からはジムへ。そんな過ごし方をされていた様です。時間ができた分、とにかく遊びにも一生懸命なのです。

46歳~ (2011年~)

Cycle number 3 Pinnacle number 5  Challenge number 1

*2012年 47歳 (Year Cycle 11)
この年、カーヴィーダンスで一躍有名になった、カリスマトレーナー、樫木裕実さんが独立。そのトラブルがワイド―ショーでも毎日取り沙汰されましたが、樫木さんが所属していたジムのオーナーがヒロミだったということで、驚かれた方も多いことでしょう。
彼女の独立で他のスタッフにも動揺が走り、独立についていくスタッフ、辞めるスタッフ、辞めて独立するスタッフも相次ぎ、お客さんも流れます。売り上げは半減、経営はかなりきつい状況に陥ります。店に残ってくれたスタッフのためにも、なんとか状況を乗り切りきろう、と、誕生数の欄でお伝えした通り、宝物のバイクや車を思いきって手放すのです。Year cycle 11の不必要なものをさらに絞り込んで手放す時でもありました。どう生きていくのか、決断を迫られる出来事が来るのも、この11の年なのでした。大事なものを手放す姿をスタッフに見せることは、スタッフのためも、絶対に店を守っていくという、意思表示でもありました。


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2012年は奥様松本伊代さんデビュー30周年。記念コンサートではサプライズで同じ衣装を着て出演、仲むつまじい姿を披露してくれます。

*2014年 49歳 (Year Cycle 13)
松本伊代さんがテレビ出演するにあたり、伊代さんについての話をする、という仕事が舞い込みます。自身がメインの仕事ではなかったのですが、伊代さんが面白い人、天然キャラということを伝えたかった、と言います。視聴率が良かったことから、次第に仕事のオファーが来るようになります。ここからの活躍は皆さんご存じの通りです。

一視聴者として、テレビの前でぶつぶつ言うヒロミさんに対し「そんなに言うなら自分でテレビで言えば?」と伊代さんに言われたことも再ブレークのきっかけだったとか。

*2015年 50歳 (Year Cycle 5 変化と自由 マルチ)
5のサイクルのスタートのこの年、6月に第34回イエローリボン賞(ベスト・ファーザー)芸能部門受賞

7月には伊代さんと「第3回ベストエンゲージメント2015」ベストカップル賞を受賞

ヒロミさんのCycle Numberは2011年46歳から3に入っています。実はこの3、#21-3なのです。#21は「人類救済」のミッションが託されているのです。9番のミッションは、
「愛と理解力を持って、穏やかに人類愛を実践する事」
「人を感化・教化させ得る才能を活かし、人を導く力を実践する(公的使命)」

「自分は遊びに救われたから、遊ぶことの楽しさもみんなに伝えていきたい。
いつか、『大人の遊びの学校』を作っておじさん達に遊びを教えたい。」


と著書の中で述べています。現在経営するトレーニングジムは後輩に譲り、ご自身は40~50代の人向けに、トレーニングとリンクさせた『遊びの学校』を作りたい、と構想をお持ちですが、「お金をとらず、何か教えてほしい人だけが体でいろんなことを覚えていく場」とおっしゃっています。『お金をとらずに』ということは、何か公的使命の様なものも感じていらっしゃるのでしょうか。絶対にそこは頑張っていただきたい、家族のために働きづめの日本のおじ様達を「遊び」で解放してあげてください!

奥様の伊代さんも52歳から同じくCycle Number 21-3。お二人はやはり特別なミッションを持ち、なるべくして夫婦になったお二人の様に思えてなりません。伊代さんも9番をお持ちです。全てを受入れる真の強さを持った方なのです。これからお二人で、どんな活躍をされるか楽しみでなりません。


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Reported by
Aeons the 11th Numerology Basic class in Kawagoe
Midori Nagamine
by kej000 | 2017-02-06 00:18 | 数秘レポート

全ての経験を学びに変えて*ヒロミ・・『言い訳しない人生』VOL.1


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ヒロミ

小園浩己
Kozono Hiromi
生年月日 1965年2月13日




大物タレントを平気で愛称やチャン付けで呼び、、容赦ないツッコミを入れる生意気なスタイルで人気を博し、MCとしても活躍、絶頂期はレギュラー番組を10本も抱える人気者に。テレビで彼を目にしない日はない程でした。

ところが2004年『発掘あるある大事典』の司会降板を境に、テレビからほぼ姿を消します。「干された」というのは本当だったのでしょうか。その傍若無人ぶりがあだとなったのでしょうか。

そして10年のブランクを経て、再びテレビに戻って来てくれたヒロミさん。バラエティー番組ではなんとリフォームまで手掛け、マルチな才能で私たちを驚かせてくれます。復活のきっかけは、奥様松本伊代さんの天然ぶりを披露する話が受けたこと。今や芸能界切ってのおしどり夫婦のお二人ですが、そこに透けて見えるものが、何か彼の今世のテーマと重なるような気がしてなりません。数秘の面からヒロミさんの魅力に迫ってみたいと思います。




■誕生数 9-18■   
生まれ持った資質・性格・個性・その人の潜在能力
完結 寛容 人類愛

9は自然数の総てであり、完璧、完成、真理の数字とも言われています。自己再生、月のもたらす知性、
冥界とも関連のある数字です。1から8全ての数を内包する数字でもあります。。

9番を持つ人は、ドラマチックな人生を送る人が多いといわれますが、これまでに2度も生死を彷徨う大事故を経験し、お笑い芸人としてブレイクしてから20年の長きに渡り芸能界で活躍し、売れっ子MCへ昇りつめるも、テレビ界から10年も遠ざかることになる。しかし、その間を経営者として第2のステージを生きてきた、彼の人生もドラマチックそのものと言えるのではないでしょうか。そして#18が示すもの。#1その個の力を発揮することで、#8物質社会での成功も手にすべく生まれて来た方なのです。


~経験による叡智の習得~
9番は経験したことを知恵にし、それを自分のものにしていけるナンバーです。ヒロミさんの場合は、コアのナンバーの他にも特筆すべき数字をお持ちです。TypeⅢのbalannceが-(マイナス)。これはヒロミさんが経験を通して、後天的にいろいろな資質を獲得していく人であるということを示しています。しかもその値が-10。このマイナスに高い10が示すものも、また経験から学ぶ力の高さに他なりません。

~月のもたらす知性~
TypeⅡのIntelligenceで見ても、7と突出した数字を持つヒロミさん。若いころ不良だったイメージからは想像できませんが、そのずば抜けた知性・頭脳は研究者・哲学者レベルなのです。
その知性は、お笑いのネタ作り、企画作りで鍛えられ、のちにMC・司会者として遺憾なく発揮されていきます。番組の操縦者でもあるMCには、空気を瞬時に読む力、絶妙なタイミングでの突っ込みやフォローを入れる頭の回転の速さ、様々な力が求められます。絶頂期10本のレギュラーを抱えるほどであったヒロミさん。生意気・毒舌、大物芸人に媚びを売らないその芸風も、自身の素のキャラクターだけではなく、彼のセルフプロデュースの力で作り上げたものでもありました。

9番の性質は、加圧トレーニングジムの経営に飛び込んだ時、経営が傾いたときにも発揮されます。人格数も9。バイブレーションが重なり、その思い切りぶりもみごとです。不必要なものを手放し、本当に大事なことが何か、見極める力です。

9番の性質がアマチュアに出てしまうと、虚栄心や見栄で大切なことが見えなくなってしまいますが、彼はしっかりプラスの方向に使ったのです。芸能事務所からジムの経営にシフトすると、お金を生まないところにはお金をかけないことに徹し、事務所は中古のマンション、ジムのトレーニング機材も、中古品専門店に自ら足を運び購入するのです。

無駄な電気は消す、コピーは無駄に使わない、経費の見直しにも気を使いました。
人気トレーナーの独立で売り上げが激減、経営が厳しくなると、それまで好きで集め、自分で改造し、宝物のようにしてきたバイク7台、そして車も2台処分します。そして赤字だから頑張れ、とただスタッフにいうのではなく、「自身も身をもって痛みを負う」彼の美学でもあります。


~混沌・複雑な二極性・変容~
「俺の考え方は矛盾だらけ。何を始めるにも成功するだとか、売れるだとか、根拠のない自信だけ。でもその裏には、駄目ならやめればいいや、という気持ちを持っているのだ。そこが俺のいい加減なところ。人の考えなんて曖昧なのだ」と本人も著書に記していますが、9番が1から8までのすべての性質を併せ持つゆえの矛盾、曖昧さなのでしょうか。

絶対売れる、という根拠はないが確信めいた思いと、「こんなマグレみたいなものは、そんなに長続きはしない」という思いが常にセットだった、とも書いています。しかし「いい加減」とおっしゃっていますが、仕事への取り組みはB21スペシャルの時から、決していい加減ではなく、常に真面目に、懸命に努力する姿しか見えてきません。遊びでさえも一生懸命。努力した上で「駄目ならやめればいい」と考えられるのは逆にヒロミさんの強みでもあるように思えます。そう思えるからこそ、新しいことチャレンジできる。執着せず、手放すべき時にはさっと手放すことができるのも9番の彼の素晴らしい能力なのではないでしょうか。

40歳ごろから仕事が急激に減った時も、時代の風向きが変わり、自分のキャラクターは求められなくなった、と悟り、活躍の場をビジネスの世界にシフトしていきます。芸能界での成功に執着し、あがくことはしませんでした。状況も、時代の波をも受け入れていったのです。全てを受け入れ前に進むこともできるのは、9番の資質でもあります。

ジムの経営では、これまでの芸能界のルールは全く通用しない、一般社会の厳しさを学ぶことになります。人を育てる難しさ、育てたと思うと、引き抜き、独立の繰り返し。経営者として過ごした10年を「生意気な兄ちゃんが芸能界で調子に乗って生きてきた20代30代、そしてまるで違う一般社会とういう別の世界を見せてもらい、そこでの厳しさも勉強させられた。俺は(テレビに)出ない時間があって良かったんだ。必要だった。」と言っていますが、この10年の経験が、人間ヒロミを大きく、深く成長させてくれたのでしょう。



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■運命数 6■ 
この世における使命や目的
愛情・調和・家庭


6番は愛情・調和・家庭を表し。愛とパートナーシップを学ぶナンバーでもあります。
ここで言うところの愛はエゴの愛ではなく、unconditional-無条件の愛。

28歳でアイドル松本伊代さんと結婚、アイドルとお笑いタレントの結婚ということで、世間を驚かせましたが、今では芸能界切ってのおしどり夫婦。伊代さんを「ママ、ママ」と慕い、家庭人としてのヒロミさんの顔もよく知られるところとなりました。自身も『良き家庭人としても生きてきた。』と言っています。

料理も掃除も決して得意ではなく、天然キャラ炸裂の伊代さんを「ママはママのままでいい」と言い切る。「妻はこうあるべき」というのもない。条件付けの愛ではなく、その人のあるがままを良しとし、丸ごと受け入れ、そのままおいておくことができるのがこの6番の愛なのです。

これは決してヒロミさんが最初からそれができた、という訳ではなく、伊代さんの天然なキャラクターに大いに影響を受け、(『尖がったヒロミが伊代ちゃんのキャラクターに飲み込まれていった』-友人の藤井フミヤさん談)、結婚生活を通しての成長だったのではないでしょうか。
一方奥様の伊代さんも、売れっ子のヒロミさんが多忙を極め、家庭を顧みれなかった時も、また芸能界から遠ざかっていた間も、いつも変わらす、文句の一つも言わず、いてくれたそうです。
ソウル数も6、夫婦関係の中で、この無条件の愛を体現し、ある意味、1つの理想的な夫婦の形を、今またこの再ブレークの中で、私たち見せてくれているように思えてなりません。

6番は、『本当の自分に帰る』、自己回帰のナンバーでもあります。
後のHistoryのコーナーで詳しく書きますが、18歳で最初の大事故を経験し、自分が本当にしたいことは何か、模索するようになります。これは偶然だったのでしょうか。彼が本当の自分にたどり着くために、今世で、この九死に一生を得るほどの体験をすることが必要だったということなのでしょうか。

脾臓摘出、「臓器の一つがなくなっても人は生きていられるのか」「もしかしたら、自分は長生き出来ないかもしれない。だったらやりたいことをやろう。」
しかし、それまで、本当にやりたいことを真剣に考えたことすらなかったことに気づき、人生を考えるきっかけになって行ったのです。「嫌なことがあると、いいことの始まり。」と考えるようになるきっかけにもなったと本人が述べています。    

この運命数の6の78-15-6、成長の過程の数字のままに、#7お笑いの探求から#8達成・成功 次には経営者として#1新生・開拓し自己成長を遂げ、#5再び芸能界でマルチな才能を発揮しているのが彼、とも読み取れますね。



■ソウル数(魂の欲求)6■ 
価値観や内なる動機・行動の基準となるもの

運命数のみならず、コアのソウル数も6。
6番のkey wordのひとつ『美』。
彼にとっての行動の基準となるもの、それは表面的な目に見える美ではなく、ズバリ、行動の『美学』

「言い訳せずに、すべて、自己責任として受け入れる」
     
大工であった父から「怪我と弁当、自分持ち」と教わってきたと言います。また、その原点は中・高校生時代の、どうせ悪いことをするなら、堂々とやる、「不良の美学」なのではないかとも。マイナスな事が起きても、決して人のせいにはせず、ジタバタせず受け入れ、前に進む。どこまでも自己責任なのです。

そしてこの『美学』の中にはもう一つ、高いプロ意識。後のB-21メンバーとの下積み時代から、その意識は半端ではありませんでした。コントが滑ってしまった時には、「コントが滑ったのにこのお金をもらう訳にはいきません。また次の機会があったら呼んでください。」とギャラを辞退したと言います。売れ始めてからの生意気な態度や言動も、高いプロ意識の現れでもありました。「自分はちゃんとやっている、だから周りも100%でやろうよ」この意識は6番の『完璧主義』。それが極端な故に周りの生ぬるさは許せない。20代前半で番組をまかされ、そのぐらい強い気持ちでいないと負けてしまう、と思っていたと述懐していますが、この完璧主義はもろ刃の剣でもあったのです。「嫌なオーラ出しまくり、今思えばすごい嫌な奴」(本人談)いつしか若手芸人や現場スタッフと温度差が拡がり、軋轢も生じていたのでは、と想像できます。

しかし6番は深い思いやりの人でもあります。ヒロミさんを知る上で、このエピソードは是非紹介させてください。2003年、放送作家で、ヒロミさんが芸能界に入った頃から一緒に仕事をしてきた吉野晃章さんが肺ガンになり、更に白血病を発症します。骨髄移植の為のサポートがなんとか出来ないか、共通の友人である、とんねるずの木梨憲武さんと二人でお金を出し合い馬券を購入します。そして木梨さんの買った穴の馬が、なんと2着に入ったのです。
もちろん、それをそのまま吉野さんが受け取れるわけがありません。二人は見舞の帰りにさりげなく紙袋を渡します。吉野さんは食べ物くらいの気持ちでそれを受取ります。
紙袋の中身100万円には「JRA」の帯封が。そうです、これは二人からではなく、「JRA」からの贈り物なのです。
その甲斐あって吉野さんは骨髄移植を受けますが、思いもむなしく、昏睡状態になってしまいます。
ヒロミさんは、このまま吉野さんが戻らぬ人となるならば、最期を見届けよう、と決め、それから2週間、毎日病院に通ったと言います。そして、最後の時を、木梨さんと一緒に立ち会うことになります。死化粧を木梨さんが担当し、ヒロミさんはカツラを用意したそうです。「泣くだけ泣いて荼毘に付した」友人思いの誠実な人なのです。

≪ ハワイ ≫
運命数でも書きましたが6は自己回帰のナンバーでもあります。素のヒロミさんを表すナンバーは『3』。自分が本当に楽しいことは何か、追求するナンバーです。後に詳しく書きますが、ヒロミさんはとにかく多趣味。遊びが家庭と仕事と同じくらい大切なのです。そして、遊ぶことそのものが彼にとっての『自己回帰』なのでしょう。また自己回帰できる場所、ハワイも彼にとっては大切な場所。パワースポットなのです。ダイヤモンドヘッドが一望できる、友人の木梨憲武さんに勧められ購入したハワイのコンドミニアムも癒しの場所。家族とはもちろん、疲れた時は一人でも訪れると言います。



■人格数 9■ 
他者の目に映る印象や雰囲気


和田アキ子さんを「アッ子ちゃん」、ビートたけしさんを「おじさん」と呼ぶなど、先輩芸人やタレントも愛称やチャン付けで呼び、大物にも容赦ないツッコミを行うなど、上下関係や礼儀を一切無視するかの様な、とにかくやんちゃで毒舌なイメージ。しかし毒舌を吐いても憎めない、そこが許されるキャラクターだからこそ、できることでもあります。ヒロミさんのことをある芸人さんが「大物の懐に入りながら、絶妙に距離を縮められるのは真似したくても真似できない。芸人として羨ましい」と話していましたが、天性の人当たりの良さと、動物的本能を持った9番ならでは。頭で考えて動いていることではないのです。9番はそのベースに「人類愛・博愛」を持っていますから、突っ込まれ、いじられる側もその奥底に大きな愛を感じれば嫌な気はしないのかもしれません。

誕生数も9、そして人格数にも9 波動が重複されます。幅広い世界の人々と交流できる力も高く、芸能界から遠ざかっていた時代はヒルズ族などの若手実業家達と遊びを通して交流し、またトライアスロンでもビジネス界をリードする面々と様々な出会いを経験します。特にこのトライアスロンを通じて沢山の人に出会えたことを「人生の宝」と言っています。

ヒロミさんは自身を「減点視線があまりない」と言っています。人それぞれの個性を個性として受け入れ、あら探しはしないのです。9番の寛容、博愛の精神、そして9という数字が1から8番、全ての数を内包しているがゆえに出来ることかもしれません。減点視線がない、故に、相手からも受け入れられ、たくさんの人との交流が可能になるのではないでしょうか。

9番は大変な恥ずかしがり屋さんでもあります。奥様の松本伊代さんとの交際が発覚しそうになると、普段は生意気キャラの自分が、先輩芸人に「伊代ちゃんとほんとに付き合ってるの?」と突っ込まれたら絶対に嫌だ、耐えられない、という理由で、すぐさま伊代さんのご両親のところへ結婚の許しを請いに行ったそうです。とても可愛い人なのです。



■実現可能数 6-15■  
人生での可能性や実現性


タレントとして、みごとに復活を遂げ、バラエティー番組に引っ張りだこのヒロミさん。かつての様にMCとしてではなく、ゲストとして出ていても、あまたひしめくお笑い芸人の中で、その独特の個性が際立ちます。15の#1。さらに#5のマルチな才能を発揮し、番組になくてはならない存在になっているのが現在のヒロミさんではないでしょうか。そしてPinnacle Numberも2011年から#5に入っています。最近では、リフォームの才能も発揮され、益々マルチな活躍が期待できますね。

そしてこの15番、数秘では「自ら何とかしようとは思わないこと」これが波に乗るポイントなのだそうです。現在の再ブレイク、自分でも何でこんなことになっているかわからないそうですが、自ら仕事を掴みに行ったわけでは決してなく、オファーがもらえるだけでも有難い。あったら有難く受けるスタンスなのだそうです。これって、ヒロミさん、素敵すぎます。宇宙の法則そのまま行ってますね!



■Stage数 6■ 
活躍すべき舞台 


「良き家庭人」-実は家庭も彼の一つの舞台なのではないでしょうか。夫婦・家族はあら探しをしないこと、と彼は言います。誰にも個性、長所短所があり、見方によれば短所が長所だったりするのです。相手に不満があれば、それを不足と考え、自分が「補足」をすればいいだけのこと。「夫婦や家族は団体戦。種目別はそれぞれ得意な人がやって、どっちかが苦手だったらもう片方がやって団体優勝でいいじゃない」-伊代さんとの結婚生活でたどりついた答えなのです。片付け、料理、家事全般なんでも得意なヒロミさんのことは皆さん、ご存じですよね。
6番の活躍舞台には、世のため人のために尽くす仕事、手取り足取り教える教師というのもあります。
「遊びに救われたから、遊ぶことの楽しさもみんなに伝えていきたい。いつか大人の遊びの学校を作って、おじさんたちに遊びを教えたい」ヒロミさん、実はこんなビジョンも持っているのです。人生終盤のステージ、どの様に活躍されるか楽しみですね。
  


■Challenge数 6-24■ 
チャレンジすべき課題・試練


コアのナンバーの二つが6番、そして実現可能数・Stage・Challenge数も6、Day&Monthを加えると、これまた6個もの6。この突出した6は何を意味するのでしょうか。6をたくさん持つ場合、『幼児性』のエネルギーが出やすいと言われています。かのMichael Jacksonがそうであったように。またエネルギーがアマチュアの方向に出ると、自分と人との境界線がわからず、やり過ぎてしまうのです。どこまでやって、どこまでやらないか、その見極め、バランスを取ることが課題となります。24の#2もまさに自分と他人の境界線のナンバー、#4は秩序のナンバーです。

芸能界を「干された」と噂された、その原因として言われているのが、その傍若無人ぶり。共演者へのパンチ、頭を叩く、など、そういうキャラクターが売りでしたのでもちろん本人の演出もあったでしょう。しかし幼児性からついつい調子付いてしまうこともあったでしょう。現場のスタッフからは「もう少し優しく」などと言われたこともあったそうですが、軌道修正することもなく、ついついやり過ぎてしまっていたところがあったのではないでしょうか。

ですが、10年、芸能界から距離を置き、別の経験をすることで、6のアマチュアだった部分は克服され、「大人」の魅力さえ感じさせてくれます。
あ、克服、というのは、少し違うかもしれません。彼の甘えん坊で子供の部分は、「そこも大好き」と言って憚らない奥様がしっかりと受け止めてくれることで、逆に魅力にもなっているように思えます。

■Nature数 3■ 
素の自分・本質 
表現 楽観 感性


3はお笑い度数No.1と言われる数字。この資質を遺憾なく発揮し、一時代を築いたヒロミさんですが、これは人に喜び、楽しさを与えるナンバーであるとともに、自分が本当に楽しいことは何かを追求し、また内面のエネルギーを解放することが大切になってくるナンバーでもあります。

この数字に導かれるがごとくに、まさに「遊び」が彼の人生にとって、仕事と同じくらいとても大切なことになっているのです。

「ちゃんと遊ぶってことも、ちゃんと仕事をするってことと同じぐらい大事」

スポーツは火傷のリハビリで始めたものも多いと聞きますが、Balance-10、体験から学ぶヒロミさんは遊びを通して、沢山のことを学んでいるのです。楽しいこと、痛いこと、危ないこと、時間の使い方、時間の作り方、そして仲間。3を持つ人は、他者といろいろなことを共有することでエネルギーを回して行くことが大切ですが、いろいろなバックグラウンドの人たちと遊びでの交流を
通し、楽しさを分かち合っているのです。
多趣味は3番の特性でもありますね。


陸が 四輪・二輪レース。バイク・ゴルフ・クレー射撃・ロードバイク、マウンテンバイク・スノーボード・ミニスキ-・
トライアスロン・マラソン・登山
海は スキューバダイビング・ジェットスキー・ウエイクボード・釣り・サーフィン
空は スカイダイビング

クルマやバイクは乗るだけではなく、メカニック好きももちろん半端ではありません。改造も愛情を持ってとことん!
10年間、とにかく遊んだそうですが、やりたいことを思いっきりやることで、本当の自分を取り戻していたのでしょう。
そして遊びがそのまま,人生の『師』のごとく、たくさんのことを学びます。彼は遊びと人生をよくリンクして考えると言います。

「山あり谷あり」の登山はそのまま人生になぞらえ、そしてトライアスロンには、テレビに復活し始めた時、緊張を乗り越えるのに、精神的に助けられたと言います。
「完全に息が上がってしまい、溺れる恐怖心が湧いてきたとき、まず落ち着く、泳ぐのをやめて海に浮いてみる。力を抜けば身体は沈まない。大きく息を吸い、自分を信じること。自分に大丈夫、泳げる、と言い聞かせるのだ。不思議と焦りと恐怖心が消えていく。自分のペースでいい。『どうぞお先に言ってください』って感じだ。すると嘘のように楽しく泳げるのだ。」


■Action数 9■ 
行動パターン

「決めたら動く、頭で考えない」

動物的本能で動くのが9番。1~8すべての数を内包する9番は、頭で考えれば考えるほど動けなくなることも本能的に分かっているのです。核が定まれば、そこにエネルギーを集中し、行動できるのです。加圧トレーニングのジムの経営に踏み出したときもそうでした。

「出来ないのか、やらないのか」結果は一緒でも、やらないより、やってみたけど出来なかった、ということが大事、と言います。出来なかったら、その理由がわかることで、次のステップに進めるのです。経験することから学ぶ9番らしい言葉です。


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to be continued to the Vol.2

by Midori N.
by kej000 | 2017-02-06 00:04 | 数秘レポート

表現することに終わりなんかない*石田ゆり子


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石田 ゆり子

Yuriko Ishida
女優
生年月日 1969年10月3日(47歳)

「いつまでも変わらない!奇跡のアラフィフ」などと称されることが多い石田ゆり子さん。デビューから約30年経ても尚、TVや映画など演技の場だけでなく、ナレーションやエッセイストなど、幅広い場面で活躍されています。男女問わず、好感度の高い彼女の魅力に迫ります。



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<誕生数 11-2> 

霊性のナンバーでもある11の人は、感受性が鋭く、他者にはないアイデアを生み出す力と才能の持ち主でもあります。また「これだ!」と直感したら突き進む、とご自身が語っている通り、直感に長けているのも11の特徴です。

1のダブルでもあるため、より「自己の信念」が強く、自分の感覚や時間を大切にします。エッセイストとして本を何冊も出版している石田さんですが、日常の何気ない出来事や自身の思いを綴るその内容は、他者には決して書けないであろう石田さん独自の感性と世界観が色濃く滲み出ています。文章を書いたり、絵を描くのが得意な石田さん。高い芸術性も11の特徴です。

2は愛について学ぶナンバーでもありますが、恋愛では一途に尽くす面があるようです。これまで噂になった方々の傾向をみると、お相手の男性は割とプレイボーイで、浮気や金遣いが荒く、時には石田さんが金銭面の援助をするようなこともあったとか…。真偽のほどは分かりませんが、2は共依存という問題を抱えやすいナンバー。2の女性性と1の男性性のバランス、相手との距離の取り方などが鍵となりそうです。


<運命数 14-5>

5は「変化」を表し、14は家族との協調がテーマになりやすいナンバーです。お父様が転勤族だったため、幼い頃からしょっちゅう引っ越しをしていました。が、子供のころからそれが当たり前だったこともあり、悲しいとか嫌だと思ったことはなく、また新しい場所へ行けるのだし、そこで新たなお友達を作ればいいというような感覚で、このような「変化」を柔軟に受け入れていたそうです。

また妹の石田ひかりさんが習っていた水泳に興味を持ち、親に頼んで習うようになってから水泳の才能を発揮。ジュニアオリンピックに出場し、オリンピック強化選手の候補になるほどの実力でした。が、お父様の台湾転勤が決まり、親と一緒に台湾で暮らしたいとの思いを優先させ、オリンピックの道は諦める選択をします。5も「親越え」が課題として出やすいナンバーです。石田さんといえば、お父様がよく娘さんの恋愛にコメントしていたので有名です。今も独身の理由の一つとして親が厳しすぎたからと語ったこともあるようです。

また5はマルチな才能に恵まれるナンバーでもあります。ピアノに水泳、中国語も堪能。大変な読書家で、文章や絵をかくのも得意。現在もTVドラマのみならず、映画に舞台、声優やナレーション。またエッセイストとして本を出版するなど、仕事でもマルチに活躍されています。


<ソウル数 10-1> 魂の欲求

10は直感などの感覚の鋭さを表します。また1はパイオニアとして改革していく使命も帯びていますが、インスタグラムで殺処分寸前の動物の保護を訴えるなど、日本の厳しい現状を伝えつつ、自身の考えや行動を世の中へ発信しています。石田さん自身も捨て猫をもらい受けるなど、言葉で訴えかけるだけでなく、自ら率先して行動しています。


<人格数 4> 人格・印象

女優の石田ひかりさんのお姉さんということもあり、品行方正できちんとした人、という印象があります。女優の他にも執筆業などの仕事も10年近く続けており、本を何冊も出版するなど、コツコツと積み重ねながら実績を残しているのも、実現する力が強い4そのもの。また組織のマネジメントに秀でたナンバーでもある4。実際に妹さんとご自身の所属事務所の社長さんでもあります。


<実現数 7> 資質を使って実現できること

“演じる”ということについて、人物に思いを寄せ続けているうちに、どこかで憑依してしまう…というような表現をしていますが、役柄によって入り込み方、アプローチを変えているそうです。深い洞察力を使いつつも知性とのバランスを保って、女優という仕事を実現されているのではないでしょうか。


<ステージ 7> 

自称“工具マニア”。台車やネジ、フックなどが大好きで、流行ものにあまり関心がなく、行列に並ぶのが嫌いで外食もほとんどせず、家で過ごすのが好きだそうです。世俗からの離脱というテーマを持ち、自身の内面と深く向き合う、まさに7の特徴です。


<チャレンジ 8> 人生で越えなければいけない壁

不可能への挑戦と開拓がミッションでもある8。このナンバーをチャレンジとして持っている石田さん。女優としてもイメージを打ち破るような役柄に度々チャレンジしています。
天童 荒太の『悼む人』の原作を読んで、夫を殺す複雑な内面を抱えた女性を演じたいと思い、映画化されたら是非やらせて欲しいと、自ら原作者に手紙で訴えかけ、役を獲得。女優をやめてもいいという覚悟で臨んだそうです。8は現実的な経験から多くを学ぶナンバー。まさに女優などの“仕事”でのチャレンジを通して、多くのことを学んでいるのかもしれません。


<Nature 6> 持って生まれた資質・特徴

無意識のさりげない優しさや気遣いがとても好きだ、という石田さん。6はまさに愛や美、調和のナンバーです。水泳選手として活躍していた当時。水泳はあくまでも自分との闘いなので、友人をライバル視したことは一度もない。むしろ良き仲間でしかなかったと語っています。まさに調和を重んじる6の特徴です。


<Action 1> 行動特性

デビュー作で共演した緒方拳さんにいつか誉めてもらいたいという思いから、何度もやめようと思いながらも、女優業を踏ん張って続けてきたそうです。まさに1の現状打破、開拓精神が行動の源になっているようです。




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History

0-34歳

Cycle Numbers#1、Pinacle#13-4、Challenge# 2
オリンピック候補になれたかもしれない水泳を諦め、芸能界へデビュー。ドラマや声優、執筆業など、仕事の幅を広げながら、恋愛で話題になることも多かった時期。13の創造と破壊を繰り返す中、多くの学びを得る時だったのもしれません。

16歳(Year Cycle #27)
自由が丘でスカウト。その1か月後、同じ場所で同じスカウトマンに今度は妹がスカウトされる。断りに行った母親が説得され、自身もこれは運命かもと直感し芸能界入りを決意。亀谷万年堂の前だったこともあり、これは縁起がいいと思ったそう。

18歳(Year Cycle #2)
ANAキャンペーンガールに選ばれる。水泳選手で嫌というほど水着を着ていたので、いやらしさがなかった。これが選ばれた理由だと語っている。

19歳(Year Cycle #3)
ドラマデビュー。この時の共演者、緒方拳のダメ出しから、誉められるように上手くなりたいと奮起する。

22歳(Year Cycle #6)
大ヒットドラマ、101回目のプロポーズに出演

24歳(Year Cycle #8)
ドラマ初主演

28歳(Year Cycle #3)
ドラマ不機嫌な果実に主演。大胆なラブシーンが話題に。3の強みである表現力の幅が広がったとき。

30歳(Year Cycle #5)
妹と自身の個人事務所を設立。社長に就任。

32歳(Year Cycle #7)
幻冬舎のWebマガジンにてエッセイをスタート



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35-43歳

Cycle Numbers#3、Pinacle#10-1、Challenge#4
これまでは妹ひかりさんの活躍の方が目立っていたが、このころから髪もショートスタイルが定番となり、エッセイの本が出版されるなど、自分らしさの表現が発揮され、女優としての評価も高まる。


36歳(Year Cycle #11)
11は第1イニシエーション(通過儀礼)とも呼ばれ、方向性の選択を迫られるとき。
映画「北の零年」では自分の生活を守るために夫を捨て、他の男性のもとに走る女性を好演し、アカデミー助演女優賞を受賞。
ニッカウィスキーの「女房酔わせてどうするつもり?」のCMも話題に。




44-52歳

Cycle Numbers#3、Pinacle#5、Challenge#2
「いつか絵本を作ってみたい」と語っている石田さん。サイクルナンバーが3でピナクルが5。運命数も5とマルチな才能を表すナンバーが重なっています。今後ますます活躍の場を広げていきそうです。


45歳(Year Cycle #11)
映画「悼む人」で夫を殺す複雑な女性を熱演。いい奥さんという役のイメージから脱したかった、とも。11の分岐点で明確なビジョンをもって自身の方向性を決めています。

47歳(Year Cycle #13)
11の第一イニシエーションで神性に向かったことで、良い結果が表れる。
NHKドラマ「コントレール」に主演。夫を殺した犯人を愛してしまうという複雑な役を好演。
今年からインスタをはじめ、1か月でフォロワー数23万人を突破。
また大変な話題となったドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」でも年齢を感じさせない可愛らしさが絶賛されました。




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<まとめ>

石田ゆり子さんを選んだ理由は、“なんとなく”の直感でした。実際に石田さんを読んでみて感じたのは、見た目は品があってふんわり可愛らしいイメージ。だけど、案外チャレンジャーで開拓精神に富んでいる。一方で周囲への心配りをしながらも媚びることなく、「自分らしさ」を追求し、上手に表現している人だということ。これはまさに私の目指す理想の女性像(人物像)なのです。だから石田ゆり子さんを選んだのだと思います。

最後に…
石田ゆり子さんらしいなぁと強く感じた言葉を引用します。
なぜあなたは演じ続けるのか?との質問に対して、こんな風に直感で答えたそうです。

「そこに山があるから」。
そうなのだ。そこに山がある、から。
山を見ると登らずにはいられなくなる登山家の心境、なのだ。
ものを表現することに、終わりなんかない。





Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th class in Bunkyo
Reiko Nakamura
by kej000 | 2017-01-04 13:38 | 数秘レポート

常に進化する強さとその裏にある努力に*伊達公子

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伊達公子
Date Kimiko 【プロテニスプレイヤー】
生年月日 1970年9月28日生まれ。



6歳からテニスを始める。
1969年(18歳)プロテニスプレーヤーに転向。
1990年全豪オープンでグランドスラム(世界大大会)初のベスト16入り。
1993年全米オープンベスト8入り。
1994年日本人選手初のWTA世界ランキングトップ10入り(ランキング9位)を果たす。
1995年WTAランキング4位。
1996年26歳で引退。(引退時ランキング8位)
2001年レーシング・ドライバーのミハエル・クルム氏と結婚。
2008年プロテニスプレイヤーとして【クルム伊達公子】名にて復帰。
復帰初年、全日本選手権シングルス・ダブルス制覇。その後、挑戦の場を、世界に移し、世界ツアーに参戦。
WTAツアー優勝回数8回。
2016年46歳、1月までWTAツアーに参戦。同年2月左膝半月板の内視鏡手術。
そして4月選手復帰の為、再手術をし、現在リハビリ中。
その他、テニス解説、執筆、国際協力機構(JICA)オフィシャルサポーター・園田学園女子大学客員教授等勤めている。




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【Birth】誕生数  
***深層意識***生きる姿勢や才能、潜在能力など普遍的な資質

♯9 完結  
ひとつの周期が終わり次の段階へ、意識の断捨離、いらないものは捨て必要なものは残し、次の段階へ進んでいく開始のナンバーです。

伊達さんは常に進化する事、新たな挑戦をし、常に次の段階へ進むことへ挑戦し続けるという。
46歳の現在もプロテニスプレイヤーでいること、一年に2回大手術を行ってまでも、プロとしてプレーを続けることを選ぶということからもわかる。
自分をあきらめさえしなければ、人はいくつになっても成長し続けるものである。
不安や恐怖はつきもの。覚悟を決めてまずは動き出してみる。すると思わぬ可能性の扉が開く
まさかという可能性どんどん開いていく。
常に自分を内省し、要らないものは捨て、そして必要なものは経験としてきたからこそ、ぶれない自分をつくり、挑戦し続ける覚悟そして、進化する強さを得てきたのだと思います。
これがまさに揺るぎなく進む彼女の本質であり、今もこの先も進化し続け、挑戦し続けていくのだと思います。



【Destiny】運命数 
***表面意識***人生における使命や目的・何を実現していくか

♯44-8 秩序・繁栄 不可能への挑戦と開拓・現実性
〈成功:繁栄の#8〉
伊達さんは6歳から好きでテニスをはじめ、高校卒業後、プロに転向し、
日本人としては初のWTAランキング最高4位に登りつめる。

〈不可能への挑戦と開拓の#8〉
26歳で引退したが、11年という長いブランクにも関わらず、38歳というプロとしては不可能ではないかとう体力の時期に、再度プロテニスプレーヤーとして復帰。
彼女は20代、我武者羅にプレーしていたときより、今のほうが強くなったと感じる。常に平常心を保ち、冷静な判断と落ち着いた無駄のないプレーができようにうなった。
実際に、復帰初年、全日本選手権シングルス・ダブルス制覇。
翌年、世界に場を移し、WTAツアーに参戦。WTAツアー優勝回数8回という実績をあげる。

自分があきらめず進化し続けるように、あきらめなければ無限∞の可能性の扉が開く、進化し続けることができるということを、プロテニスプレイヤーという表舞台に立つことで、それは誰にいうでも起こることで、恐れずに、まずは動くこと、ということを自分が実践することで伝えているのだと思いました。
「誰かに何かを強制することはしません。でも私のやっていることで、何かを感じて行動に移してもらえたら、私にとってもい刺激になります。私がきっかけとなって、それぞれの人生に変化が起こるとしたら、本当に感激です。それを聞くと私自信も力をもらえます。」と彼女は言います。


【Soul】ソウル数 
***魂の欲求***一番大切な価値観、優先したいこと。心の叫び

♯3 発展  能動と受容の合体により、新しさの誕生・自分で楽しい事を表現していく

伊達さんは【楽しい】【うれしい】【好き】がすべて根本にあります。
テニスが好き、勝負が好き、そしてチャレンジすることが好き。
人はいつでもチャレンジができる、思い込みやブロックをはずせばそれは克服でき、楽しみにさえなる
この先どうなろうと未来を怖がるより、今この瞬間を思いっきり楽しもう。

引退後、3から10歳までの子供を対象にした『キッズテニス』を展開したときも、
この活動で心がけていることは、子供たちがテニスを教わっているというより、やっている時間が
楽しいと思えるようにすること。自分自身が楽しいがあるから、苦難があっても乗り越えられた、楽しいが自分の原動力になってきたから、子供たちにもまずは楽しいという感覚を教えたかったのだと思いました。
このキッズテニスは日本だけでなく発展途上国の子供たちにも、JICA(国際協力機構)のオフィシャルサポーターとして活動がされ、デニスもの存在さえ知らない子達に、テニスというものを伝えながら、知ることの楽しさを教え、そしてその子供たちのきらきらした目・楽しい笑顔を受け取ると、また何かを考え感じ、あらたなことに挑戦することができるという。
やはり伊達さんを動かしているのは、楽しい、うれしいということが全ての根源なのだと私は思います。

【Personality】人格数 
***社会的な仮面(ペルソナ)***他者に映る表面的人格

 ♯14-5  変化・破壊・自由・
 伊達さんはよく人に『伊達さんからよく力をもらっている』といわれることがあり、ありがたいと思っているそうです。
その中には、昔やってたことをまたはじめられた。という内容が多いようだ。
19歳のときからのお付き合いのカメラマンさんから『また、こうして撮影できるなんて思わなかった。伊達さんが復帰しくれたおかげで。以前の自分になかった構図を発見できて、勉強になるし、自信につながっている』前とは違うカメラワークやタイミングで自分の成長や変化に気づかされると話してくれたそうです。

伊達さんの38歳での復帰は多くの人の固定概念を壊し、いくつになっても進化し続けることをあきらめない彼女の姿は、変化することを事をあきらめていた人たち、自分をパターン化してしなっていることに気づかせ、そして変化する勇気をあたえているのだと思います。

伊達さんの#5は#14というカルミックナンバーを持つ。アルケミー#とも言われ、自分とは違うものを受け入れることによって、変化が起きていく。異文化交流である。
自分では不可能、ありえないと思えていることが、伊達さんの常に進化という姿に触れることにより、変化をもたらしているというのもこのナンバーの影響があるのだと思います。

【Realization】実現数
***今回の人生での可能性や実現性***

♯17-8 秩序    自己信頼と能力の育成、地道な努力を続け、常に達成を経向かう。
38歳で復帰した際に伊達さんは、20代でがむしゃらにプレーしていたときより、今のほうが強くなっていると実感しているそうです。体力的には衰えてきますが、20代になかったような能力が備わっきたと。
それは心の声と身体の声が聞けるようになったからだそうです。
周りに見える強さでなく自分に勝つ内なる強さを身につけたそうです。
26歳で引退したときの経験、そしてブランク11年間に、進化するため常に高い目標設定を置き、達成する為に常に地道な努力をしてきた結果が、強い自己信頼を得、38歳にしてプロテニスプレーヤーとして世界で活躍をし続ける今を築き、今後も進化し続けるのだと私は思います。

#17をもつ#8はネットワークで人と人とをつなげていくということをし、大きなコミュニティーを作ると言うナンバー。JICA(国際協力機構)のオフィシャルサポーターとして活動している伊達さんは、さまざまな形で行われる支援活動に触れることで、テニスを通じていったい何が伝えられるのだろうかと、深く考えさせられる機会が多くなったという。そして活動していく中で、一人で世界に繰り出し闘っていたにも関わらず『キッズテニス』日本というくくりにとらわれててしまう必要があったのだろうかと。。。考えたときに日本だけにとらわれず世界に出て行く意義を感じたそうです。
常に新しく出会う人とのつながりがまた自分を変えてくれる。可能性を広げてくれる。お互いに出会ったことによって豊かですばらしい経験をとなり、その経験から目標を持って、夢をもっていくことによって、可能性が広げられることを子供たちに感じて欲しいという思いが強くなったそうです。



【Stage】活躍する舞台 

♯7 飛躍  内省・自分自身を信頼し、自分の人生と精神を解き放つこと
 「Nothinig to Lose」失うものは何もないじゃない
彼女が復帰するときに、「テニスがやりたい」だけで踏みきってしまって良いのか、到底歯が立つとは思えないし、思いだけでそこにたってしまっていいのだろうか。
テニスは1日練習を休むと取り戻すのに3日はかかると現役時代彼女は身をもって知っている。だから11年間のブランクがかなり大きいものも、年齢が37歳ということで迷っていた。
そのとき、夫のクルム氏が言った言葉が 「Nothinig to Lose」だった。
今の年齢で負けても問題はないよ。以前ようにできるわけもない。それがどうしたの?同じことはできるわけない。今できることをすればいい。」
とにかくシンプルにやりたいことをやればいい。プレッシャーは自分自身でかけているだけ。
この言葉で、彼女は精神的にも今まで生きてきた人生にも解放されたのだと思います。
色々なことに取り組んできたブランクの間、やはり本気で挑戦できるはテニス以外にありえない。
そして彼女は復帰。いつも彼女は自分の内側にといかけながら、目標設定をし、今の自分にできることを地道に目標に向かいながら行動し、新しいことに挑戦し続けている。



【Callenge】課題

#10-1 絶対 夢を現実的に地道な努力で達成していくこと「今ここにある自分をみつめる」

WTA世界ランキングトップ10入りしたとき、もっと向上させようと、精神的に追いつめられ、そして限界を越えてしまいテニスが嫌いになり引退。そのときのことを耐えられるだけの器はなかった。といいます。
その経験を踏まえ、今ここにある自分をしっかりと見つめる。現実を受け入れる。その上で成し遂げたい夢があるならば実現する為に目標設定をし、日々の地道な努力おこたらないことが重要になってくるのではないかと思ます。
カルミック#10があるので、自分で狙って到達するものでもなく、積極的に取りにいく代物でもなく、ただ目の前にある日々の目標を目指しているうちに自分のもとに夢の実現が訪れてくるものかもしれません。




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History


-0歳から27歳-

【Cycle Number】どのようなことを学ぶ時期なのか:#9 完成
ひとつの周期が終わり、自己再生のする時期。不要なものは、手放し、本物を見抜くことを学ぶ。
自分を見つめなおす時期でもある。
6歳からテニスを始め、どんどん夢が叶い日本人選手初のWTA世界ランキングトップ10入りを果たし最高ランキング4位。しかし、ランクを上げることに執着し、プレッシャーに押しつぶされそうな毎日。そして周りに壁を作り孤独に徹していた。そして大好きなテニスがだんだん嫌いになっていった。そして心が疲れはて26歳のとき引退した。この時、すべてやるだけのことはやったので後悔はないとこの時期のことを語る。

【Pinnacle Number】どんな状況の時期か: #1 絶対
自分の創造性を表現していくこと「自分がどう生きたいか」、開拓と勝負の時期。
6歳からテニスを始め、26歳のプロ引退まで我武者羅にテニスをしてきた時期。
日本人選手初のWTA世界ランキングトップ10入りを果たし最高ランキング4位。
日本のテニス界を絶対的な存在感でひっぱて来た時期でもある。

【Challenge Number 】与えられた試練や今回の人生の課題:#8 秩序
部室は精神向上のための手段であり目的ではないことを知る時期。社会での成功をまず果たすし、そこから精神を学ぶ時期。
大好きなテニスへの引退は、これから彼女かどう人生を歩んでいくかのを考える為、現実に起きた問題であり、がむしゃらに走ってきた彼女を一度立ち止まり自分をしっかり内省し、軌道修正かける機会であったように思います。
26歳のYear Cycleが#8でDestiny#8と重なることからも軌道修正をかけられる時期だったのではないでしょうか。


-28歳から45歳-

【Cycle Number】#10-#1 絶対
夢を現実的に地道な努力で達成すること「今ここにある自分をみつめる」
自分を俯瞰してみる事、心、身体をベストな状態に持ていく自分をコントロールする事学び、また大好きなテニスプレーヤーとして、新たな強さを持って復帰。

【Pinnacle Number】28歳から36歳:#9
よい環境、人の中に身を置き自己の信念を固め才能を発揮する時期。
引退後、幅広く人と交流しし始め、3から10歳までの子供を対象にした『キッズテニス』を展開する
テニスを通じて、楽しいと思う気持ちが変化をもたらすこと伝える活動を世界子供たちに伝え、自らも
その楽しいから自分の進化、チャレンジが生まれることを改めて知る。
【Pinnacle Number】【Challenge Number 】37歳から45歳:#10―#1
不要なものを整理して、新しいステップへ焦点を定め明確な目標作りをする時期。
37歳で現役復帰を決める。20代のときとは違い自分に打ち勝つ内面をつくり、ただテニスがしたい、
挑戦することは楽しいこと、本気で挑戦できるのはテニスしかないという真の心の叫びで新たなテニス人生を始める。人に自分にPowerやエネルギー循環させることをが、自分にも自分以外の人にもいい循環を生むことを知る。

【Challenge Number 】28歳から36歳:#7
『精神性への目覚め』本来の自分を内省し、精神の充実を図り平穏さを保つことが課題であり、
38歳の復帰のとき、ブランクの11年間に自分の心の殻を解放し、それは心の声と身体の声が聞けるようなった。そして自分を俯瞰し、冷静な判断で落ち着いた無駄のないプレーをすることが復帰後20代とは違う自分のテニスをすることができるようになったと語る。



-28歳から45歳-

【Cycle Number】【Pinnacle Number】#17-8:秩序
冷静な思慮深さを養い、より高い新しい可能性を開拓していくこと時期。
46歳で左穂座半月版の手術を2度する。再びプロテニスプレーヤーとしてコートに立つためにそのせんたくをした。そこに会った彼女の思いは『元気にテニスをしたい・姿を見せたい』というおもいだけだった。
復帰後、自分がテニスを通じて、多くの人が変化したことを実感し、それをかの自信がほんとにうれしいと思う気持ちが、自分のために挑戦し続けてきた彼女が、今度は自分が元気でコートに立つことが、多くの人の変化する一歩につながるというまた新たな彼女の進化した表れではないかと思う。

【Challenge Number 】#1 
大いなるエネルギー感じ滞らせないこと、正しく導くことがこれからの課題になて繰るのではないでしょうか。それは【Cycle Number】【Pinnacle Number】で自己から集合体意識への変化の時期であるから、
よりこの課題が重要になってくるのだと思います。




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1976年(6歳)テニスを始める。#6
1989年(19歳)プロテニスプレーヤーに転向。#9
1990年(20歳)全豪オープンでグランドスラム(世界大大会)初のベスト16入り。#11(サイクル4)
1993年(23歳)全米オープンベスト8入り。#5(サイクル5)変化サイクル
1994年(24歳)日本人選手初のWTA世界ランキングトップ10入り(ランキング9位)を果たす。#6
1995年(25歳)WTAランキング4位。#7
1996年(26歳)有明コロシアムのフェド杯にて当時WTAランキング1位グラフに勝利 #8
1996年(26歳)現役引退。(引退時ランキング8位)#8
1998年(28歳)3から10歳までの子供を対象にした『伊達公子とテニスであそぼカモン!!キッズテニス』を展開 #10(サイクル5)
2001年(31歳)レーシング・ドライバーのミハエル・クルム氏と結婚。#13(サイクル5)
2002年(32歳)国際協力機構(JICA)オフィシャルサポーターとして任命され活動開始 #14(サイクル5)
2008年(38歳)プロテニスプレイヤーとして【クルム伊達公子】名にて復帰。#11(サイクル6)
2008年全日本選手権シングルス・ダブルス制覇。#11
その後、挑戦の場を、世界に移し、世界ツアーに参戦。WTAツアー優勝回数8回。
2016年9月 ミハエル・クルム氏と、別々の道を歩くことをお互いに話し合い離婚。#10(サイクル7)2,016年公私とも次の段階への準備にはいったのかもしれません。チャレンジし続ける伊達さんの次のステージーが楽しみです。
2016年(46歳)1月までWTAツアーに参戦。同年2月左膝半月板の内視鏡手術。#11(サイクル7)
そして4月選手復帰の為、再手術をし、現在リハビリ中。





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リーディングして・・・
今回、彼女をリーディングしたしていく中で【Birth】誕生数9は1-8の統合した数字ということが
実感しました。そのため感情のゆれが大きいと、感情のゆれが大きいということは、自分がぶれやすい。
プロテニスプレヤーはメンタルのスポーツ言われるほどのメンタルが大きく左右するスポーツ。
プロとして世界でプレーしていく中で、どれだけぶれない様に自分を内省し、その上、常に進化する強さを持つ為に、地道な努力を日々してきたかを痛感しました。

でもそこにはただ楽しい、好きだから、しやりたいからというシンプルな思いだけであったこと。
自分が楽しいという思いが、どれだけの力を持つのか。それは自分だけでなく多くの人を変化させる力になることを改めて思い知らされました。そしてこのレポートは私に必要なことを気づかせ、またいやおうなく自分を内省させられたか事かをこれを書き終えた今思います。

そして私の課題に目をそらしていたことを洗い出されたようでした。私も日々コツコツ努力を積み重ねていくことが必要、あきらめない、自分で限界を設定しないことを覚悟をきめてしていかなくては、と次の段階に行く為にと痛感しました。そして変化する一歩の勇気を私ももらったように思います。



Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th class
Akiko in Bunkyo class
by kej000 | 2016-12-26 21:56 | 数秘レポート

熱き男・みやじ「胸をはって生きていこう」*エレファントカシマシ宮本浩次



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宮本浩次
Hiroji Miyamoto
1966年6月12日生まれ 現在50歳

ミュージシャン エレファントカシマシのボーカル・ギター担当。
東京都赤羽出身。
1981年、中学の同級生で結成。エレカシの作詞作曲を手掛ける。来年はデビュー30周年、音楽にかける熱い情熱とパワー、進化し続ける宮本さんの魅力と人生をみていきたいと思います。




誕生数 
B22-13-4 (生まれ持った資質・性格・個性・潜在能力)
22は強い感受性を持ち、高い理想を現実化できるナンバーです。
爆発的なパワーを持つ数字でその熱い情熱を世の中に伝えてゆく表現者であります。
22の卓越した才能という面では、宮本さんは小学生の頃合唱団に入っていてソロを任されるほど上手かったそうです。デビュー時も「破格の新人衝撃デビュー」とその才能を見出されました。
そして「自分たちの音楽は自信がある」「ちゃんと表現できる力を持っている」と自分を信じることができる人ですが、4の真面目という数字、それも堅苦しいほど真面目で高い理想を掲げ中途半端なことは出来ない人なのです。しっかり現実を見て取り組む姿勢が自信を持って自分の能力を社会で活かす事に繋がっているのだと思います。
真面目さ、不器用さ、正義感、真っすぐなところ、情熱という個性を音楽という形でバンドのリーダーとして表現しています。
13いう修練のナンバーは創造と破壊を繰り返し常に学びを喚起される厳しいナンバーでありますが、その経験が歌詞となり音楽としてバンドを進化させ、多くの人々の心の拠り所となり心を奮い立たせるパワーとなっています。


運命数
D9(人生における使命・目的・仕事・ライフワーク)
9は全体意識の数字なので、多くの人に愛を与え広い世界にむけて発信し活躍できるナンバーです。そして混沌とし、迷い揺れやすいナンバーです。
9の正義感や混沌とする心情をエレカシの曲からも感じます。
色んな経験やすべての感情を受け入れ、正直に音楽にして発信してゆくことが多くの人に光を与え使命なのかなと思います。


ソウル数 
S10-1(魂の欲求・一番大切な価値観)
自分の直感を信じて型にはまらずどんどん行動し、オリジナルを生み出して表現してゆくナンバー。
宮本さんは「何でも自分でやんないと」というのがあり、まさに1のリーダー気質で独創性を持つ人です。全身全霊で音楽を表現し、多くのミュージシャンや芸人、タレントから尊敬されファンも多いところに、「意味もなくすごい、それが宮本」「規格外」「宮本が歌えばそれだけで新しい価値観」という声があります。まさに彼の絶対的な存在感や特別性が現れているのではないでしょうか。


人格数 
P8(他者の目に映る印象や雰囲気)
力強く、パワフルに行動していく印象のナンバー。
向上心があり野心に溢れた情熱的な人です。
まさに力強い歌声、情熱的にステージで活躍する宮本さんそのものの数字が表れていると思います。破天荒な部分、リーダーとしてワンマンな印象も強いですが、実際は中学時代から変わらず寄り添うバンドのメンバーがあってこそ、そういった部分も生かされているのでしょう。

実現数
R13-4(今回の人生の可能性や実現性)
破壊と再生を繰り返しながらもいらないものをそぎ取り、軌道修正をしながら現実的に社会へ音楽活動で表現してゆく。それが自信になり豊かになることでより音楽に集中でき歳を重ねるごとにより良いもとを世の中に届けることができるでしょう。

ステージ数 
12-3(活躍の舞台)
楽しみながら表現すること。
ミスチルとの対バン、齊藤和義はじめ66年代生まれのミュージシャンとのイベントなどもこれまでありましたが、色んな人と12のコラボをするということで自分の枠が広がりより豊かになるようです。また執筆活動や俳優業などエンターテイナーとして音楽に限らず活躍の舞台は広がっています。

チャレンジ数 
8(試練数、試される数字)
不可能への挑戦と開拓をすること。
謙虚に人の意見に耳を傾ける。
リーダーだがワンマンになり過ぎず人と協調してゆくことも大事だといえます。

Nature数 
11-2(素の性質)
豊かな感受性を持ちさらなる内面への探求へ向かう意識。
宮本さんはとても繊細でひと一倍内向的な性格といわれています。
そういった面が音楽で表現し能力を発揮されています。

Action数 
5(行動性)
現状にしがみつかずに変化してゆくナンバー。
宮本さんは常に新しいロックを実現させたいと、現状にとどまることなく走り続けたいという思いで曲作りに励んでいます。





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Cycle Numbers その時期のテーマ
Pinnacle Numbersその時期の状況 
Challenge Number その時期にチャレンジするテーマ



0~32歳
Cycle Numbers   6 高い理想を掲げながらも自分をあるがまま受け入れる。
Pinnacle Numbers 9 迷いながら不要なものを手放してゆき完成される。
Challenge Number 3 視野を広げて自分の感性を表現してゆく。

33~50歳
Cycle Numbers   3 多くのことを経験し発展させてゆく。
Pinnacle Numbers 7 多くの経験が可能性を拡大してゆく。
Challenge Number 
(33~41歳)  1 新しいことへの挑戦
(42~50歳)  2バランスを整えて調整してゆく。  

51歳~
Cycle Numbers   4 人との和を心掛け堅実に生きる。今後の計画。
Pinnacle Numbers 1 現実的に新しい計画を立て努力してゆく。
Challenge Number 2 自己中心的にならず受け入れ調和してゆく。




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HISTORY

Year Cycle

8歳 19-21 発展
NHK東京放送児童合唱団で声楽指導を受け始める
歌の才能がこの頃から開花されていきます。

12歳19-25 内省
小学生時代がおしゃべりで目立つのが好き、正義感が強いタイプでしたが次第に周りの鼻につき嫌われて無視されるようになりました。
孤独になり人の恐ろしさを知った彼は極端に黙るようになったそうです。

13歳19-26 繁栄
中学に入りエレカシのメンバーとの出会いがあり気の合う仲間と楽しい時を過ごす。
仲間から音楽の影響を受ける。

15歳19―28 再誕生
今のエレカシのメンバーである石森さんと富永さんを中心とする中学の同級生で結成され宮本さんが中学3年生の時加入しました。
新しい人生の道が開きました。。

19歳 2-5 不安定
人に対する不安感がひどかった時期。
一人恐怖に陥るが自分で分析できるから病気じゃないと思っていたようです。

20歳2-6 調和
オーデションに入賞、デビューのきっかけをつかむ

21歳2-7 ステージUP
エピック・ソニーよりシングル「デーデ」、1stアルバム発売

28歳3-5 変化
7thアルバム「東京の空」宣伝活動に力を入れたがこれを最後に契約打ち切り、所属事務所も解散となる。曲を聴き手にどう伝えるか分かってないとダメな事に気づきました。。

29歳3-6愛
新事務所契約、ポニーキャニオンより「悲しみの果て」をリリースして再デビュー。
メディアへの積極的露出により売り上げを伸ばす。

30歳3-7 ステージUP
アルバム「ココロに花を」10位 10万枚
この時、宮本さんは具体的に7万枚以上売ると現実的に数字を出して曲作りに励んでいました。

31歳3-8 達成
フジテレビのドラマの主題歌として発売された「今宵の月のように」が80万枚を超える大ヒットとなる。
アルバム「明日に向かって走れ 月夜の歌」2位とまさに達成の時期。

この2年間は大きな変化を遂げた期間で以前のエキセントリックで威圧的なアプローチを一転、感情豊かなメロディーをライブで爆発させるポップなやり方に変えようやく正当に世間に受け入れられました。
曲と詩に一番自信のあるものさえ作っておけば、あとはどういう風にみんなに届けばいいのかを考えるだけと、新しい可能性への挑戦。

33歳 3-10 再誕生
ポニーキャニオンとの契約が終了し東芝EMIに移籍。
ライブの名曲、シングル「ガストロンジャー」発売。
ハードなロックナンバーで更に進化、エレカシの再誕生。

34歳 3-11 分岐点
音楽活動と並行して執筆活動やドラマ「フレンズ」出演、多彩な才能を発揮。

37歳4-5 変化
知人に全財産を持っていかれたことにより、高級マンションから引っ越し。愛車を手放す。
自分が求めているものは・・・音楽一つあるだけで幸せ。より音楽に集中できる環境になったと言います。

この時期、アルバム「扉」のレコーディングでは、中年になり今までとは違う中年の良さをロックで実現したいと何度も葛藤しながらも熱い思いで臨む。
もっといけるんじゃないか、信じる力がどこまで強いか...そういった思いが曲にも表れています。


40歳 4-8 野心
デビュー20周年。ユニバーサルミュージックへ移籍。
新たな気持ちで活動できると前向きな姿勢。

41歳 4-9 完結
「俺たちの明日」がCMのタイアップにもなり、ヒットがその後も続く。

42歳 4-10 スピリチュアルホール
生放送のラジオ番組での曲の紹介に気分を悪くし、暴言を吐き反響。
後日、謝罪する。

46歳 5-5 変化
左耳が聞こえなくなり、急性感音難聴と診断され手術をうける。
当面のライブ活動休止となる。

病気になって、今まで無茶をしていた生活から早起きしてちゃんと食事をし、大好きなタバコもやめ生活を改めたそうです。
これからも歌っていくために、病気がいいきっかけになったといいます。

47歳5-6 愛
療養生活を経て約1年後、活動再開。日比谷野外音楽堂で復活ライブ。
デビュー25周年、自身最大規模であるさいたまアリーナで記念ライブを行う。

48歳5-7 飛躍
14年ぶりのドラマの主題歌「Destiny」リリース。

49歳5-8 活力
復帰後、初のアルバム「RAINBOW」
エレカシの変化を感じさせる作品となる。過去の自分を否定するのでなくどんな自分も認め前を向いて歩いていく…そんな思いが伝わる、力強いアルバムです。

50歳5-9 変容
TVドラマ初主演。約16年ぶりのドラマ出演となる。
来年デビュー30周年の弾みになり、これからの宮本さんにますます期待です。




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最後に
ある日何気なくTVを見ていたら、活動休止を経て、復帰したエレカシ・宮本さんが現れ、彼の歌う姿を見て感情が凄く揺さぶられ心に響きました。
それから数々の曲を聴き、レポートを終えてなぜ宮本さんにこんなにも惹かれるのか・・・
宮本さんは、物凄く真面目で不器用で、繊細で真っすぐな人。
いつも一生懸命、自分に正直に生きていることが音楽からも伝わりとても魅了されます。
宮本さんと同じ数字は8です。共通の数字を大切に、これからも熱い情熱を行動に起こしていきたいです。
いつも心を動かす「胸を張って生きていこう」という歌詞。色んな自分を受け入れ、そして胸を張って生きていきたいという自分の思いに気づきました。



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Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th Class
Kaori Date in Itabashi class
by kej000 | 2016-12-18 21:24 | 数秘レポート

自分を信じ続けた人の奇跡「奇跡のリンゴ」*木村秋則さん


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奇跡のリンゴ農家
木村秋則

Akinori Kimura
1949年11月8日生まれ



birth number 【誕生数:生まれ持つ素質】15-6 愛・調和
destiny【運命数:表面意識・天命・ライフワーク】15-6 愛・調和
soul【ソウル数:魂の欲求】 11-2 霊性・・天と地の橋渡し
personality【人格数:社会的な仮面】4 堅実・生真面目
realization【実現数:人生の可能性・目指す所】12-3 楽観・成長・発展

stage【ステージ数:人生の舞台】10-1 再誕生・開拓・新しいこと
challenge【チャレンジ数:人生の課題】22-4 創造・偉業
nature【自然数:素の自分】5 冒険・変化・知性
action【アクション数:行動パターン】3 発展・成長・遊び心




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【もの静かで控えめな外見から滲み出る、愛に溢れた本質】

『奇跡のリンゴ』という映画の主人公にもなった木村秋則さんは、それまで絶対に不可能だと言われていた無農薬リンゴの栽培に日本で初めて成功した方です。
主要なbirth numberとdestiny number共に『6』を持つ木村さん。
6は愛・調和と平和を意味し、自然を相手にする農業にもとても縁の深い数字です。6は陰陽の統合を意味し、理想と現実のバランスを取りながら調和し内面を成長させるナンバーでもあります。

他人からの印象を表すpersonarityは『4』で真面目で控えめな印象。

心の声を表すsoul number『11-2』は高度な霊性を示し、天と地の架け橋になりたいという、静かだけど凛とした真っ直ぐ突き抜けるような想いを心に抱き続ける人。
actionの『3』は人を和ませて楽しませる雰囲気を作っており、もの静かで不器用そうな印象の中にも思いやりが溢れ出る親しみやすい人柄、けれど真っ直ぐな芯の通った強い人だというイメージを抱かせるようです。

challengeは『22-4』で人生において大きな事を成し遂げるという人生の課題。

人生のゴールを目指すrealizationの『12-3』は人を楽しませたいおもてなしのナンバー。相反する1と2の意味を含んでの3であり様々な経験をして視野を拡大させるという意味もあり、challenge numberと共にその軌跡を彩るドラマチックな要素になっているような気がします。

リンゴを無農薬で作りたいと思ったのは、妻の美千子さんが農薬に過敏な体質で、度々農薬によるアレルギーで体調を崩して苦しんでいるのを見て放っておけないというところからでした。

人を癒したい、楽しませたいという本質を持つ木村さんが、それまでリンゴ作りに農薬は無くてはならないという、疑いもされなかった業界での常識を疑ってまでも無農薬リンゴを作ろうとした動機、それはまさに6の象徴する「愛」から発生する、人を楽しくさせたいという願いからでした。

小さいけれど何よりも強い愛という動機の種、それを天地を繋ごうとする揺るぎない意思が育み、そして絶対不可能だと言われていたりんごの無農薬栽培を夢物語で終わらせず実現させるという偉業に結実させたのかもしれません。



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<HISTORY>

【0~30歳】
〜青森からの上京と都会での自立、天命に向かう再誕生〜

cycle number『2』
pinnacle number 『19-1』
challenge 『6』

木村さんは1949年に青森県の農家の次男坊として誕生しました。
特別に裕福な訳ではないが一家で代々所有している農地があり暮らしに困る事も無いという平穏な幼少時代を送りました。

action「3」の物事に楽しみを見出して取り組める気質なのか、何にでも興味を持つ少年だった木村さんは中学になると機械を分解して仕組みを自分で研究し無線機を作り上げたり、物事の成り立つ仕組みに興味を持つとても好奇心旺盛な少年だったようです。

この頃の現状を示すpinnacleは「19-1」。
1は行動力などを示し、興味を持った事は次々と試し積極的にチャレンジしながらも、cycle平和、受容の「2」、平穏な環境に守られて伸び伸び過ごした子供時代が伺えます。

19はまた『力』の意味を持つ、家族からのしがらみから愛を学ぶナンバーでもあります。
stage numberの10-1は再誕生を意味し、幼い頃は良い家庭環境に恵まれるが、人生のある地点で生まれ直しをし、全く違う道を歩む事になります。

高校卒業後自分の将来を考えた時、家業の農業には未来の可能性を感じられないと思った木村さんは、都会へ出て会計士になろうと川崎の会社に経理として就職しました。
一度は故郷を離れたのも、家族からの本当の自立とは何か?を知るために本人の心が望んだ事かなのも知れません。

しかし間も無く家庭の事情でやむなく故郷に呼び戻され、22歳の時にリンゴ農家の婿養子になり、再びここから人生のテーマは大自然と共に生きる「農業」になります。

この人生舞台の突然の変化はまさに再誕生の10-1。

都会生きていくという自分の予想に反して再び青森に呼び戻されなければ、将来無農薬のリンゴを完成させるという壮大なストーリーも起きなかった事になるのです。

故郷に戻ってからしばらくは他と変わらない普通の農家として、数年後にはリンゴ以外の作物の栽培にも成功し、それなりの収入も得てに平穏に過ごせていた日々でしたが、農薬散布の度に起こる妻美千子さんの体調不良や、自然農法家福岡正信氏の本との出会いなど度重なるメッセージを受け、木村さんの気持ちは徐々に減農薬、更には今まで誰もやった事の無い無農薬栽培農法へと傾いて行きます。
そして30代になるこの辺りから運命は波の大きい次のサイクルへと徐々にシフトして行きます。


【31~39歳】
〜創造と破壊を繰り返し厳しい現実の中で限界を越えていく〜

cycle number『8』
pinnacle number 『13-4』
challenge number 『3』

1978年29歳の頃からリンゴ畑を完全に無農薬に切り替え、30代の始まりはまだ誰も足を踏み入れた事のない領域への未踏のチャレンジのスタートでもありました。

pinnacle numberの13-4は修練、破壊と創造を意味する厳しいナンバー。

自然栽培に取り組み始めた木村さんは、アイデアと希望に満ち、農薬の代用品になる、ありとあらゆる素材を次々と試して行きます。しかしその道のりは予想をはるかに越えて遠く、成功させる方法にたどり着くまで何度も様々な方法を試しては上手くいかずまた新しいアイデアを試す・・という日々の繰り返しでした。
3年経っても4年経ってもリンゴの花は全く咲く気配を見せません。
そんな事を繰り返しているうち、生活費にも事欠くようになり家族をも巻き込んで生活は破綻の一途を辿ります。
追い打ちをかけるように、そこまでしても信念を曲げない木村さんへ周囲の人々からの風当たりも徐々に強くなって行き、お金や地位などを表すテーマcycle8の厳しい現実と正面から向き合わされます。

challenge numberは楽しむという事を意味する3。
どんな現状でもそれを楽しむ事にチャレンジするという厳しい学びの意味にも取れますが、失敗をも楽しむ事が荒波を乗り越えていく唯一の秘訣だと教えてくれているような中々深い意味の数字です。

そんな状態がいつまで続くのか先の見えないまま精神的にも経済的にも追い込まれていった木村さんは、35歳のある夏の祭りの夜、ついに思い詰めて死のうと思い一人きり山奥へ向かいます。しかし皮肉な事にそこで偶然見つけた山に自生する野生のくるみの木の土から、無農薬栽培を成功させる決定的なヒントを見つけたのでした。
暗い闇の中で一筋の希望の明かりに出会った木村さんはそのヒントを元に一からやりかたを変え再びやり直そうと決意します。
そして、それが正解だったと答えるようにりんごの木は、1年、2年と徐々に花をつけていき、38歳の春、木村さんのりんご畑はついに花で満開となります。


【40〜48歳】
〜啓蒙活動、農業界からの風当たりと和解〜

cycle number『8』
pinnacle number『5』
challenge number『3』

cycle numberは引き続き現実的な物に向き合う『8』。畑の収量も徐々に増えて行き、経済的にもどん底だったころから段々浮上していきました。

challengeは楽しむという意味の他にも生産と知性を表す『3』
この頃から木村さんは長年身を以て会得した命を頂くという事の本当の大切さと、自然と戦わない自然栽培の素晴らしさを伝えるため、全国や時には海外を飛び回り農業指導や講演会を行っていきます。

現状のpinnacleは変化と冒険を示す『5』。
nature numberにも5を持つ為か重複した5の示す不安定要素や衝突といった出来事も続く時期です。
講演活動を始めた頃はまだまだ農薬を大量に使用する旧来の農法のみが常識だとして譲らない人々からの風当たりも強く、度々批判や嫌がらせにも合います。
しかしそういった数々の経験を乗り越えて時が経つにつれ少しずつ理解者も増えていき、批判していた人の中からも後になって共感してくれる人たちが現れるようになりました。

5は他にも知識の分野での啓発活動や知的分野や海外も意味し、まさにこの時期の流れにぴったりという感じでしょうか。


【49歳〜】
〜果物という物質の枠を越えて人々の心を元気にする奇跡のリンゴ〜

cycle number『5』
pinnacle number『7』
challenge number『3』

cycleの5は冒険と共に未知の世界を解明してそれを広めていく役割という意味もあります。

木村さんのリンゴはただ無農薬で体に良いというからだけで支持されているのではありません。食べる人の体を元気にするだけでなく、そこには育てる木村さんの愛と長年の経験から学んだ真実が栄養となり実となり、そのストーリーは食べる人の心も元気にしています。

そのリンゴは一つの果物という物質の枠を越えて人々に色々な事を伝えていきます。

無農薬栽培に挑戦するという天命に沿う人生を歩みはじめてからchallenge numberはずっと3でまるで波多き人生を歩みながらもそれを常に楽しむという人柄を物語っているようです。

pinnacleの7は探求。これまでに会得した研究や自分の体験を世の中へアウトプットするサイクルです。
木村さんのリンゴ栽培の記録は本にもなりyearサイクルも7に当たる2013年には『奇跡のリンゴ』という映画も製作されました。




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木村さんの人生の課題を示すchallenge number 22-4は現実社会において大きなことを成すマスタービルダーと言われるパワフルな数。まるで歩んできた道のりそのものを示している様な数です。

これほどまでに大きなことを成し遂げたのは、パワフルな推進力だけではなく、birth number とdestiny number 6の天命と感じることをコツコツ積み上げて行ける献身的な忍耐強さ。
それに加え実はかなり重要なのはnature数5の持つ革新性や旺盛な冒険心とaction数 3 の何事も楽しめる楽天的な遊び心の部分ではないかと思います。

人はただ前に進んで行くだけでは不意に強い横風が来た時に倒されてしまいます。

時にそれに一見横道に逸れているとも思える遊び心が加わる事で、一直線で平面的だったエネルギーにまさに3の示すような変化と循環が生まれ、起こる出来事に対して柔軟にいろんな角度から取り組んでいけます。

その時には意味を見出せない出来事も楽しんで経験する事によって肥やしとなり、そうやって喜び周り続けることで、小さな輪から年輪を増やし、いつの間にか年月を経て大きな素晴らしい1本の大木のようになっていったのかもしれません。

木村さんの生き方はこれからも多くの人を励まし続け、どんな事があっても自分を信じ続けたその先に人の心が発揮する力は奇跡と呼ばれる現実をも作り出すという、人間誰もが本来持っている無限大の可能性に気づかせてくれるのではないでしょうか。



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Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th Class
Keiko Osawa in Itabashi class
by kej000 | 2016-12-18 20:56 | 数秘レポート