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カテゴリ:数秘レポート( 38 )

自由になる自由がある・・・*宇多田ヒカル

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宇多田ヒカル
Hikaru Utada

生年月日 1983年1月19日
33歳
出生地 アメリカ合衆国ニューヨーク州



2010年から「人間活動」ということで活動休止されていました ずば抜けた音楽性の才能、独特な感性の持ち主、宇多田ヒカルさん。「人間活動」という表現にもセンスを感じ、しかし変な違和感をも感じさせない。そんな風に感じるのは私だけでしょうか?
今年2016年に音楽活動(アーティスト活動)を再始動されました。
6枚目アルバム「Fantome」 CMソング、ニュースのエンディングテーマやドラマの主題歌を聞いてもやはり 彼女の存在感を感じる曲ばかり。
そんな宇多田ヒカルさんをリーディングしてみたいと思います。




Birth number 生まれ持った資質・才能・運命
『14-5』 自由、多才、変化
14-5は海外に縁のあるナンバーです。事実 彼女は出生地がアメリカ、2014年にイタリア人の方と結婚され、翌年2015年に男の子を出産。
結婚の前の年2013年は彼女の母親である藤圭子さんの自殺。宇多田ヒカルさんは初期からよく母親のことを歌っていて、ラブソングにおいてもその求愛の対象は実は母親なのではないかということは、彼女の熱心なファンならば気づいていたそうです。
そしてご自身の出産で母親になったことなどもそうですが、常に彼女の人生において
家族の問題を心で感じ、そこからの14-5の自由とは何か?がテーマになっているように感じます。
アルバムの「真夏の通り雨」の中で『自由になる自由がある…』という歌詞も印象的でした。彼女は5の生まれ持った才能である 音楽の力でお母さんを亡くされた 悲しみを乗り越えようとしているんだと感じざるを得ませんでした。それが今回の復活の大きな動機といっても良いのではないでしょうか。


Destiny Number  人生における目的・使命
『 7 』 飛躍 内省・探究心・独創性
バースナンバー5と言うところから自由がテーマであることを突き詰めていく、7の内省、
探求心、そして独自の感受性から独創的な音楽が生まれているそのような気がします。
また彼女はテトリス DSのエンドレス設定で、カウンターストップとなる99999999点を
記録されています。この記録からは探求心、と言う言葉よりはオタク的要素も感じられます。
そして宇多田ヒカルというアーティストは、ボツ曲がひとつもない とても珍しいアーティストだそうです。常にこれしか作れないというものに魂を込めて世の中に発信しているのも自分の経験を通して世の中へ広め、人々の心を豊かにすること。そんな使命を感じます。
彼女の言う人間活動や音楽活動 全てから精神性への目覚めを感じ取ることができます。


Soul Number 魂の欲求
『 9 』 完結 変容
魂の欲求やその人の大切にしている価値観です。
『 9 』は情緒豊かさと強さを持ち外交的ですが内向的という複雑な二極性を持っています。
自分の内にある崇高な信条を発見すること、自分も人も許すことで、全てを受け入れる真の強さ、エネルギーを得る。彼女の場合、音楽を通して人々を感化・強化させる才能を活かし、人を導く力を発揮するようです。
彼女は人間活動に入る少し前にブログで高校卒業からの10年を次のように振り返っています。
なんかもう、手探りで好奇心の赴くままあっちこっち迷走して、全然自分を大事にしないで、人と関わりあうってどういうことなのか、周りの人のことを大事にするってどういうことなのか学ばないまま、楽しいこともたくさんしたけど結局無責任で、だれもしかってくれない、仕事はうまくいっても実際は破滅街道まっしぐら…みたいな
それってめっちゃ青春やん!!
ずいぶん長い青春だな(笑)っていうか子供のままだったんだな。。。

複雑な二極性を感じつつ、自分のこれまでの人生に疑問を感じ悩みがちになっているのではと感じます。これこそ彼女の魂の欲求で新しい自分への変容を遂げようとしているのではと思いました。


Presonal Number 人からどう見られるか
『 7 』 飛躍 内省 観察 分析
洗練され個性的 がぴったりのように感じます。しかし彼女の身の上を知ると7の持つ内省からの飛躍が今は当てはまりそうです。
彼女が幼少期の頃から、母親である藤圭子は精神の病に苦しめられていたといいます。また「本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました」と苦悩したことをブログで綴っています。
当時のブログでも、“悲しい記憶が多いのに、母を思う時 心に浮かぶのは、笑っている彼女”と綴っています。
ドラマの主題歌になった『花束を君に』、『道』は亡き母へ向けたメッセージソングなのかもしれません。
彼女は運命数でも『 7 』がきています。母親の問題を通して自分自身の中に本当の自分を見つけ、自由とは何か的な精神性に目覚め飛躍していくことが彼女の人生のテーマと言っても過言ではありません。


Realization Number 人生での可能性・実現性
『12- 3 』 発展 表現 真実 楽観
3の持つ、精神的喜びを与える、表現する分野、芸術芸能と本当に今の彼女にぴったりあてはまるのではないでしょうか、感情を表現していくアーティストに多い数字です。
「子供ができたことで、母親を思うようになったそうです。すると日常的に藤さんの『幽霊』が目の前に現れた、『常に母親の存在を感じる』と周囲に漏らしていたそうです。子育て中、何をしていても悲しくなる時期が続きました。そこからかアルバムのタイトルである『Fantome』はフランス語で気配、亡霊 などを意味するそうです。

また ジャケットの彼女のビジュアルは、藤さんソックリ。それは、わだかまりが残ったまま離れ離れになった母への『成仏してほしい』という思いからだそうです。アルバムを出したあと、宇多田は『気持ちが落ち着いて、母を見ることが少なくなった』と周囲に話しています。
このエピソードからも表現力、感性、直感力を惜しみなく世の中のために使うパイプを音楽を通して創ること、自分の感情を誠実に表現し、内的エネルギーを ここも音楽を作ることで解放することに繋がるのではと思います。
そして 母親との関係に悩み続ける彼女ですが 3の持つ楽観的に、Biethの5の自由にで楽観的に自由に親に縛られることなしに 生きたいという思いを抱き続けているのかもしれません。


Stage Number 持ち合わせた能力をどんな舞台で発揮するか
『 11-2 』
2の豊かな感受性、高い芸術性、鋭い直感力、そして天才的な能力は今の音楽の世界で発揮されていることばかりだと思います。しかしそんな能力とはうらはらに内面的苦悩がつきないのかも知れません。


Challenge Number この人生でチャレンジすると決めてきているNumber
『 12-3 』 
感情を表現していくアーティストに多くみられます。12-3なのでコラボするとすばらしいものが生まれるのかもしれません。実際、今回のアルバムには1998年に同じレコード会社からデビューした同期の椎名林檎とコラボしており、他にも数名ともコラボしています。


Nature Number もって生まれた性質・要素・特性
『 5 』
Birthにも5がきていました。自由、多才、冒険、変化 と本当に内面の自由を見つけるために冒険をしている 彼女の人生そのものではないでしょうか。
5の人は、自分の目標を絞って一つの分野を極めるということが人生の中でテーマとなってくるでしょう。そして それは「本当の心の自由」を手に入れるためなのかもしれません。


Action Number 行動のパーターン
『 1 』
彼女の才能から音楽界での絶対的存在であり、自分の創造性を表現していくこと ピュアな心で「どう生きて生きたいか?」そこが彼女の行動パターンの原点のような気がします。




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Cycle numbers 0-31才 その時期のテーマ
『 1 』
ニューヨークの小学校に通っていた頃は2年から4年に飛び級しており、日本では清泉インターナショナルスクールへ通っていたが 芸能活動禁止の学校であったためアメリカンスクール・イン・ジャパンに転校した。そこでも1年飛び級しており、コロンビア大学に進学するが休学の末に中退している
このような大学こそ中退しておりますが学歴からも知的で特別性を感じます。

Pinnacl numbers  0-31才 その時期の状況
『 2 』
調和・強調・受容 
内面の調和と統一を計り 流れを受け入れ 与えることと受け取ることのバランスを計る時期だったようです。
1998年15才のとき『Automatic』でデビュー。累計出荷枚数は255万枚を超え当時はとても話題になりました。そして1stアルバム『First Love』も累計売上枚数765万枚を超え 日本国内の歴代アルバムセールス1位になっているほか2ndアルバム『Distance』では初週売上枚数が歴代1位となる300万枚を記録している。
また、2007年発表の「Flavr Of Life」は当時のデジタル・シングルのセールスにおいて世界1位を記録しました。
そしてイメージの世界での価値ある創造物を現実社会で具現化することがテーマだったのではないかと思います。


Challenge numbers 0-31才 その時期にチャレンジするテーマ
『 9 』
2010年8月から『人間活動』のためとアーティスト活動を無期限休止することを発表しました。のちに対談で語っていたことは「こういう世界からいったん離れたくて、いったんリセットしたいなと。段々わからなくなってきて、みんなに求められている私と、ただの私が離れていくみたいな。行きたい方向に行っていない、かといってどこに行きたいかもわからなくて、『いったん止まろう』と語りました。若干15才からスターとなったが故の苦悩が感じられ、まさに複雑な二極性、現実的で非現実的であるとも受け取れます。
活動休止中の音楽との付き合い方について聞かれると、「音楽はもちろん聞いてましたが、まったく歌ってはいなかった。ほぼ6年間歌っていませんでした。マイクを通して集中して歌うとかはまったくありませんでした」とコメント。歌からは完全に距離を置いていたことを明かしています。
音楽的な行き詰まりではなく、思春期からの本当の自分を感じなおしたかった、取り戻したかった、つまり9の持つ『 変容 』をテーマとしていたのかもしれません。


Cycle numbers その時期のテーマ 32-49才
『 1 』
33才で6枚目アルバムを発表しアーティスト活動へと復活をはたしました。
コピーライターの糸井重里氏から活動休止前は「歌いたくて仕方ない にしては苦しそうだった」と指摘されると、彼女は過去の自分について「確かに苦しそうな歌い方してましたね、休んでいる間に一番変わったのはそこで、苦しくない歌い方ができるようになったんです。」
また、『人間活動』は楽曲自体にも変化をもたらした。これまでどこか空想的な雰囲気だった曲にリアリティが増し、「あなたの音楽はより肉体的になった」との反応があったそうです。
彼女はそれを「一番うれしかった」と語り、
「すごく受け入れられた気がした。勇気を出して裸になって、それをちゃんと受け止めてもらえたんです。それは私がリアルな生活をして、“宇多田ヒカル”というイメージや求められているものから離れて、普通のことをしていたっていうのも理由だと思う」。そう語っています。
『人間活動』を経て彼女が得たものは とてつもなく大きなもので絶対的な存在がゆるぎないものになったことは言うまでもありません。過去にとらわれることなく、「今ここにある自分を見つめる」、不要な物を整理し、つまり親を喜ばすためにやってきたという音楽を一旦、手放し 一人の人間として成長し、新しいステップへと向かうことがこの時期のテーマではないかと思います。


Pinnacle numbers その時期の状況32-40才
『 4 』
2014年、バーテンダーのイタリア人の一般男性と再婚します。そして翌年 2015年、男の子を出産します。新しい家族を手にし 現在はロンドンに生活の拠点を構えているそうです。
4の持つ安定という言葉通り、家族という新しい基盤を形成し固定していく そんな時期のようです。現在の家族を通し、この世の秩序、法則をみぬき、ものごとの本質を明らかにしてゆくことが大切になるでしょう。


Challenge numbers その時期にチャレンジするテーマ32-40才
『 2 』
2014年に再婚し、家族ができたことで協調性、受容を学び、変化を受け入れていくことが
彼女のこの時期にチャレンジすることだと思います。






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History

Year Cycle
1983年  誕生   5
彼女はアメリカで父宇多田照實と母藤圭子のもとに生まれました、産まれてきたときは息はなく心配停止の状態で医師にはあきらめてくださいと告げられた父親はなりふり構わず 懸命に赤ちゃんの体をマッサージしたそうです。そして心臓が動き出し、大きな産声をあげたそうです。
生まれた瞬間から死から生へと変化をとげたとも取れます。
15才までの彼女はアメリカと日本を行き来し、突然の引越しを余儀なくされることが多々あり、友達にも挨拶できずでとても悲しい思いをしたと語っています。
彼女の10代は自分の中にこもることが多かったそうです。7才のときに一桁の3へと下がっています。創造や表現がテーマとなりますが自己不信、表現への恐れ、過敏と落胆が3の持つ意味に含まれています。

1998年  15才  11  
『Automatic』でデビュー売上枚数100万枚を突破してミリオンセラー

1999年  16才  12   
1stアルバム『First Love』を発売 歴代アルバムチャート1位1999年
『Movin’ on without you』を発売『First Love』をリカット『Addicted To You』を発売

2000年  17才  4  
『第 72回選抜高等学校野球大会』入場行進曲に「First Love」が使用された
5thシングル『Wait & See ~リスク~』発売 6thシングル『For You/タイム・リミット』発売
コロンビア大学へ入学

2001年  18才  5  
7thシングル『Can You Keep A Secret?』発売 2ndアルバム『Distance』発売
8thシングル『FINAL DISTANCE』発売 9thシングル『traveling』と
ライヴDVD『UtadHikaru Unplgged』を同時発売

2002年  19才  6  
コロンビア大学休学を明かす 卵巣腫瘍の手術行う
10thシングル 『光』発売 11thシングル『SAKURA ドロップス/Letters』発売
3rd アルバム 『DEEP RIVER』発売 紀里谷和明との結婚を発表
             
この年の 6 は慶弔、病気という意味があります。15才から10代後半を走り抜けてきた彼女ですが身体は正直に反応したように思えます。そして卵巣腫瘍の手術のあと ホルモン剤での治療で一定期間ですが体調をくずし活動休止になります。

2003年  20才  7  12thシングル『COLORS』発売

2004年  21才  8  13thシングル『誰かの願いが叶うころ』発売

2005年  22才  9  15thシングル『Passion』発売

2006年  23才  10  16thシングル『Keep Tryin’』発売  4thアルバム『ULTRA BLUE』
            17 thシングル『ぼくはくま』発売

2007年  24歳  11  18thシングル『Flavor of life』発売 紀里谷和明との離婚を発表している
            19thシングル『Beautiful World/Kiss& Cry』
この年は紀里谷氏との離婚しています。11の年なので独りの時間が必要となったのかもしれません。真の目標に向かって目標をしっかり掲げる年となったのだと思いました。

2008年  25歳  12 20thシングル『HEART STATION/Stay Gold』発売
            5thアルバム『HEART STATION』発売

2010年  27歳  5  1月から2月にかけて、初の北米ツアー『Utada "In The Flesh" 2010 Tour』を開催し、ロンドン公演含む全10公演を行った。
8月、アーティスト活動を止めて『人間活動』に専念すると発表

2013年  30歳  8  母である 藤圭子さん自殺

2014年  31歳  9  イタリア人男性と再婚

2015年  32歳  10 男児出産

2016年  33歳  11 6thアルバム『Fantome』発売 人間活動から復帰を果たす

人間活動に入られた年が『 5 』とBirth numberと同じです。
ここから5の周期になり 新しい音楽を創作するために人間的な生活がしたいと、5の持つ変化を運命でもあるかのように自ら選んでいます。彼女が生まれたとき、息がなく、医師にも諦めるよう告げられたにも関わらず息を吹き返したのと同じように彼女は人間活動を経て生まれ変わったのではないかと感じざるを得ません。
母親を亡くされた年は8で受容性と強さ、その強さとは悲しみのパワーを現実的に新しいアルバム『Fantome』を出すという方向へ向け、きっかけともなったようです。翌年、イタリア人と結婚をされます、その年は9。ドラマチックな時期であり変容のときだったのかも知れません。
結婚の翌年は10で出産をされました。お子さんができたことでいままでの価値観が変わり意識の断捨離ができたかのしれません。曲を聴いて専門家たちも彼女の作る曲は別格でもう次元が違うのだそうです。人間活動の中には母親の死もあり、結婚あり、新しい生命の誕生と経験して、彼女の歌声の根底は切なさ、はかなさだったようですが、そこへ自身が母親となったことで温かみも加わったのではないでしょうか。




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~宇多田ヒカルさんをリーディングしてみて~

彼女が『Automatic』デビューされたときは鳥肌が立つくらいの衝撃を受けました。
若干15才の子がこんな曲を作り、歌っていることにもびっくりしました。特に彼女のファンだったわけではありませんが彼女の出すアルバムや曲は持っているものが多いです。
Birth number 『14-5』 自由、多才、変化 は彼女の人生を調べれば調べるほど14-5と言う数字が物語っていることに驚きました。『 7 』という数字が2つあったので 色々な経験を通して自由や変化を探求し尽くし、音楽で世の中へ発信し精神的成長をしていく、素晴らしい人生な気がします。
そして母親の藤圭子さんが波乱な人生を送られてきたことは知っていましたが娘の宇多田ヒカルさんもこんなにも親子の問題として心に大きなものを抱えていたんだということを知れたことが今回、私にはこの講座を受けて得た中で一番占めていることかもしれません。
私と宇多田ヒカルさんとのNumberはぜんぜん違いますが、私の娘は抱えている問題があり、今も世間一般的な生き方はしていません。そんなところから娘の思いを宇多田ヒカルさんに重ねながらレポートを書いていました。
宇多田ヒカルさんの生い立ちからも普通の子供とは違う生き方をしてきて、歌も親に進められたから、親が喜ぶからはじめたといっています。そんな環境から親からの呪縛みたいなものがあって、心の自由を求めるのかもしれません。このことに気づいて宇多田ヒカルさんをとおして娘を見たとき、やっぱり自分の心の叫びと同じなのかもしれない、やっぱり自分を重ねているんだと感じました。
彼女の生き方は自分の心の中をよくよく感じ取って、魂に嘘をつくことなく生きているのではないかと思います。
このリーディングをして私の娘ももっともっと素晴らしい人生を自分の手で切り開いていくのではないか、そんな風に思わせていただけたリーディングでした。


Reported by
Aeons Numerology the 11th Basic class
Yoko in Itabashi class
by kej000 | 2016-12-17 23:19 | 数秘レポート

孤高の自由へ * マツコデラックス

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マツコデラックス
松井 貴弘
MATSUI TAKAHIRO
1972年10月26日


テレビで観ない日はないくらいに活躍されているマツコさん。
人を傷つけずに弄ぶ?話術、画面からはみ出るほどのキラキラした好奇心、そして最後にポロッとこぼれる愛ある言葉、そのどれもが魅力的です。
なぜこんなに気になるのか?数秘でマツコさんを丸裸に??



誕生数10-1
(生まれ持った資質、個性、生きる姿勢や才能、潜在意識、普遍的な深いレベルでの目的、学ぶべき教訓など)

周りを圧倒する絶対的な存在感、唯一無二のキャラクター・・・#1はまさにマツコさんのイメージ通りのナンバー。発せられる力強いエネルギーはどうにも見る者たちを引き寄せますが、油断するとその冷静で鋭いコメントにバッサリ斬られる危険もあり。片やマツコさんが子供のようにピュアで裏表のなく感情を露わにする時、私たちは彼女から目が離せなくなってしまいます。

カルミックナンバー#10は、生まれながらの環境や与えられた価値観と本当の自分との間で迷い、悩み、ある人生のタイミングで全く新しい別の道への変化がみられるナンバー。答えを急いでしまいがちですが、ゆだねる方向へ行けるかどうかがカギとなります。幼少期から他者とは違うと認識せざるを得なかったマツコさんは、嫌でも 「いかに自分でいられるか?」 ということを意識せずには生きてこられなかったのでしょう。

「当初テレビに出るつもりもなかったんだけど、流れに身を任せるままに生きてきたら、今みたいな状況になったの。(中略)本能に逆らわずに流れに身を投じて生きてきた結果、自然とこうなったのよ。人生その繰り返しだった。」
「何かここは引っかかるな」という思いがあれば、その積み重ねが絶対何かにつながってくると思う。クソっと思いながらも、そのクソっという思いを積み重ねることによってどうしても我慢できない感情みたいなものが1個生まれてくるから。」

自身の想いで動くのでなく、自分のスピリットの領域で動いていることが感じられます。

「人間、自分のために生きているうちは幸福は感じないのよ。(中略)やっぱりヒトサマや別の生き物に愛情を注いでいるときが、いちばん幸福なのよ。(中略)分かっているんだけど、そんなときに “お前がそんなに簡単に幸福を手にしていいのか?ああ、見損なったよ“って、何かヘンな人が言ってくるのよ。そいつが、もう、”孤独と戦え!!“ってうるさいの。」

最近動物が好きになり、ペットを飼ってしまいそう・・・と不安がっているマツコさんですが、簡単にペットに逃げてしまってよいのか?と自問するあたり、もう意識レベルが異なっている気がします。冗談ではなく、マツコさんが救うのはペットレベルではないと自身の本能では悟っているのかも。最終的に人道的な目的や人に癒しを与える方向へ進み、世の中を導いていく指導者的な役割を担うのではないでしょうか。


運命数 13-4
(表面意識、与えられた才能や個性をどう生かしていくのか、人生における目的・使命、何を実現していくべきか、など)

カルミックナンバー#13は、創造と破壊を繰り返し、学んでいくナンバー・・・心の傷、多くの悲しみを経験し、その度に乗り越え、変容する修練を経験してゆきます。そして、その経験を生かして人を癒し、循環させていきます。

幼少期から自身が同性愛者(ゲイ)だという自覚があったというマツコさん。その葛藤は如何ばかりであったでしょう。幼いころのエピソードからもそれを窺い知ることができます。まわりの同級生が子供に見えて、遊んでいても全然楽しくなかったため、本能の赴くまま登校拒否した小学校時代。女の子を好きになれないと自覚していた上に、太っていた思春期。“みんなと一緒”を好む日本の学校教育や、周りの目が気になる多感な時期にあって、いくら成熟していたマツコさんでも悩まないわけがありません。

高校卒業後、美容学校に行くも、才能がないと感じあきらめ、その後ゲイ雑誌で編集者としての道をスタートさせるも、人間関係がうまくいかずに座絶。深くお付き合いしていた彼とも別れ、そこから実家にもどり引きこもり生活が始まります。
マツコさんは、自暴自棄になりつつも、#4本来の良さを生かし、忍耐強く着実にプロセスを踏んで、少しずつ目的を実現させてきました。このように数々の経験をされたマツコさんだからこそ、その言葉の中に愛とか優しさを感じて癒されるのでしょう。


ソウル数 30-3
(魂の欲求、深層心理、一番大切な価値観)

#3のナンバーをソウルに持つマツコさんは、まさに表現したい人。人に喜びを与える、人を楽しませるエンターテイナーであると思います。マルチで、遊び心や好奇心があって、感性が豊かで、表現していくこと、人に光を投げかけていくことで、マツコさん自身も喜びを強く感じているはず。

もともと雑誌の編集で注目され中村うさぎさんに見いだされてコラムニストとしてデビューされたので、どちらかというと活字の世界で活躍されていましたが、テレビの世界へ進んだきっかけは、初めてテレビの世界の人たちとお仕事した際に、「アタシ、この人たちと仕事をしていくんだわ」と、ビビビっと来たとのこと。

#30-3ですから、スピリチャルな直観力も豊かに発揮されるでしょう。テレビの方が反応をダイレクトに感じられる機会も多く、循環していく感覚が大きいことも、マツコさんがテレビの世界の方が合うと感じた理由のひとつかもしれません。

またマツコさんの場合、数々の苦難に直面してもそこからの復活が早く、「なんかもういいや!」とか、「なるようになれ!」と思った等のエピソードが多いのは、この#3の明るさが影響しているような気がします。
また中村うさぎさんに見いだされたのエピソードにもあるように、何らかのサポートを得やすいことも#3の特徴です。


人格数 10-1 (社会的な仮面、第一印象、他者に映る自分、表面的人格)
誕生数と同じ#10-1であるので、自分の内面と他者から見た自分にブレがないので、より強力に絶対的な存在感や特別性を印象づけます。


実現数 5(人生での可能性・実現性、どのような分野で活躍していくのか、など)
#5はマルチで、知性高く、芸能度数も高い。流行に敏感でトークもうまいので、テレビなどの表現の世界にピッタリはまります。
未知の世界を解き明かしそれを広く教えていくこと、まず自分が変化して人に刺激を与えていくといったミッションがあるので、今後の活躍はバラエティーだけにとどまらない可能性もあります。


Stage数 33-6 (活躍する舞台)
#6は愛と美と調和を求めていくナンバー。まず自分を愛し、家族を愛し、それから人を愛すること、あるがままを受け入れることを学んでいきます。世のため人のための仕事、美に関する仕事にかかわるナンバーで、芸能度数の高いナンバーでもあります。マスターナンバー#33という神おろし的な非常に高いバイブレーションの影響もありますので、最終的には平和や愛の世界を実現させるために活躍する方向に向かおうと決意なさるかもしれません。


Challenge数 20-2 (試練数、チャレンジする課題)
女性性を表すナンバー。マツコさん的には必須のナンバーでしょう(笑)マツコさんが良き相談相手的な絶対的安心感があるのは、#20-2というナンバーが示すように、スピリチャルな直観力や洞察力を生かして穏やかに自身のそして周りの変化を受け入れてきたからでしょう。


Nature数 8 (素質、素の自分、自然体の自分)
マツコさんは周囲を巻き込むほどにパワフルで情熱的、且つロマンチストな面もありカリスマ性十分で非常に魅力的です。

一人で向き合う作業の多い執筆活動よりも、組織やチームで動くテレビの仕事の方が本来のリーダーシップが発揮できて向いているというのもこの#8というナンバーから伺うことができます。これだけの影響力があるのですから、今後はテレビや日本を超えた大きな世界で新しい価値観を生み出すような、そんな力を発揮されるかもしれません。


Action数 4 (行動パターン)
自分の才能を生かし、着実に一歩ずつ目的を実現させるプロセスを学んできました。
美容学校も雑誌の編集も辛かった数々の出来事もすべて基礎があって、今のお仕事に生かされています。




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Cycle Number (環境や大きな流れ、向き合うテーマ、どういう学びをしているか)
Pinnacle Number (人生の山場、その時の状況やあり方、どんな状況の時期か)
Challenge Number (挑戦する課題、遭遇するトラブル)


0~35歳

Cycle#1/Pinnacle#9/Challenge#7
新しさを求め、独自性、独創性を大切にしながら、自分自身を模索していた時期。多くの経験を通じて視野をひろげ、より深く学んでいくことで、才能を開花させました。

(注)以下すべての年齢は、あくまでもご本人の著書等の記載からの推測であり、正確かどうか確認されたものではありません。


10歳 (Year Cycle #11)  
女の子を好きになれないことを自覚。
「周りに合わせるのがつらくなっちゃったの。子供でいるのが疲れちゃって」と小学校時代に不登校に。その後、「なんかもういいやって思ったの。仲良くする必要もないし、ひとりでいいや、って」と学校に復帰。

13~15歳 Year Cycle #5~7)  
中学時代。デブでゲイだが、「もうこうなったらなるようになれ!」と開き直る。

19歳 Year Cycle #11) 
アカデミックなゲイブームに影響される。

20~25歳ごろ Year Cycle #12、13、5、6、7、8) 
自分ことを見つめなおし、ゲイ雑誌の編集部に転職。
「何かしら世の中を変えていけるかも」と使命感を持つ。が、職場の人間とぶつかり5年ほどで退職。

25~28歳ごろYear Cycle #8~11)  
実家に戻り引きこもり。その後実家が引っ越すことになり実家を出る。

28歳ごろ  Year Cycle #11) 
中村うさぎさんに出会う。
「アンタは書くべき人間だ」と言われ、マツコデラックスの名前でコラムニストとしてデビュー。


29歳ごろ  ear Cycle #12) 
中村うさぎさんの対談集に当時無名ながら抜擢。

33歳ごろ Y ear Cycle #7) 
TOKYO MX 「2時に夢中!」に出演。

34歳ごろ Year Cycle #8) 
TBS 「ピンポン!」に出演。


36~44歳

Cycle#8/Pinnacle#9/Challenge#7
冠番組がどんどん増え、まさにこれまでやってきたことが結果に出るサイクル#8。
でもその達成に甘んじることなく、忙しさの中でも自分がブレることなく、良い環境に身をおいて高い意識をもつことが大切。
精神性に目覚め本来の自分を内省していくことで更なる飛翔があるでしょう。


37歳Year Cycle #11) 
フジテレビにて自身の冠番組「マツコの部屋」開始。

39歳Year Cycle #11) 
ラジオでも冠番組「井筒とマツコ禁断のラジオ」開始。
「マツコ&有吉の怒り新党」「マツコの知らない世界」など開始。

40歳Year Cycle #14) 
「月曜から夜更かし」開始。

43歳Year Cycle #8) 
「夜の巷を徘徊する」「マツコ会議」開始。その他、多数出演。
最愛の母が他界。



45~53歳

Cycle#8/Pinnacle#9/Challenge#9

54~歳
Cycle#19-10-1/Pinnacle#11-2/Challenge#9

現在44歳のマツコさんは、今後このまま順調に成功を収めつつ、よりスピリチャルな、全体意識へと移行していくでしょう。
カルミックナンバー#19 がありますので、最終的に自我を超えて、真の力のあり方を普遍の真理を学ぶことによって自立し、本当の意味での自信と威厳を現実社会で確立することを学ぶでしょう。




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マツコさんは昭和一桁生まれの慎ましいご両親の元に生を受けました。
母が39歳という、当時にしては高齢にて授かった大事な一人息子であっただけに、マツコさんは「女装でゲイ」ということをなかなか家族に打ち明けられず、苦悩されていました。
そこに「無職」という状況が加わった引きこもり時代はなおさらです。

特に内面で女性性を持つマツコさんは特に母親との関係が良好ではなかったようです。そんな中自宅が引っ越しすることになり、母親から並々ならぬ気迫で「今度の家には連れていけない。自分ひとりでなんとかしなさい。」と言われ、そこからボロアパートに引っ越し、消費者金融からお金を借り、執筆活動やドラッグクイーンなどをしてどうにか生活してゆきます。

その後徐々に売れてきて、処女作出版後はテレビ出演の話しが殺到するも、「母に見られたくない!」の一心でメディアへの露出をさけていました。ただ一回「サンデージャポン」に出演したものの、その結果はマツコさんの思うようなものではありませんでした。
「まともにコメントしたところで、結局はアタシの化け物ぶりが強調されるだけで、だだ醜態を晒すだけになってしまい、両親に申し訳ない、全国の同性愛のみんなに申し訳ないって、ひとりになった途端に号泣したわ。(中略)そのときアタシは思ったわ。ほかの出演者と同等に扱われるためには、同性愛者でもなければ、もちろん女装癖でもない彼ら、彼ら以上の力を手にいれなければならないって。」

その後、母親にみられないようにローカル局で力を蓄え、今のマツコさんへ成長してきたのです。マツコさんはこのローカル番組を母親は見ていないとずっと思っていましたが、なんと実は見ていた!という衝撃の手紙を母親から受け取ります。最後の一文は「今日も5時の生放送をみます」だったそうです。

「思わず大笑いしちゃったわ。そして孤独ではない自分を再確認し、号泣したわ。そんなあたしは絶対的孤独に耐えられるのだろうか。孤高の自由を手に入れられるのだろうか。」

マツコさんの最近の言葉に“孤独”がよく出てきます。
マツコさんのように少数派で時に社会的弱者になりがちな方は確かに孤独と向き合うことを余儀なくされることがあるでしょう。でも一方で差別されていて仲間外れだからこそ、誰にとっても“敵”にならない“ことを、毒舌であってもひとから嫌われない理由としても挙げています。


私たちは人生の中で、日々の生活の中で、当たり前のように、役割を生きています。
娘として、妻として、母として・・・いつの間にかそういった役割に存在意義を見出し、いつしか自分不在になっていることが多いのではないでしょうか。マツコさんのお母様が断腸の思いで、母の役割を手放し、マツコさんを突き放したことを契機に、今度はマツコさんも、男だとか、息子だ、長男だ、といった役割を全部とりのぞいて、男性・女性といった性を超え、そんないくつもの役割の先にある自分本来の光をつかんでいったからこそ、大きなチャンスの流れにのり、今の成功がつかめたのではないでしょうか。

惜しくも今年最愛のお母様を亡くされたそうですが、マツコさんがマツコさんとして活躍されていることをきっと天国から温かく見守っていらっしゃることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。

マツコさんのリーディングを通じて・・
自分らしく生きる。本当の自分に再生して生きていく。
私たちはいつだって、何回だって変わっていけるんだ!
私が本当に知りたかった答えがそこにありました。

最後に・・
偶然にも私とマツコさんは誕生日が同じ、Year Cycleも同じで、しかもひとりっ子など共通部分があることがわかりました。
彼女に勇気をもらって、私も自分を信じようと思いました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




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Reported by
AEONS Numerology Basic the 11th Class
Yuka in Meguro class
by kej000 | 2016-12-14 11:23 | 数秘レポート

自分のじゃまをするやつは、たいてい自分なのだ*糸井重里

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糸井重里
ITOI SHIGESATO
1948年11月10日生


群馬県前橋市
コピーライター、エッセイスト、タレント、作詞家など多くの顔を持ち
株式会社ほぼ日 代表取締役社長。日本モノポリー協会会長。妻は女優の樋口可南子




Birth Number『深層意識』 

#25-7   7  飛躍

探究心、独創性、分析力と直観力のナンバー
専門家、マイペースを示す数字です。物事をあらゆる角度から深く分析したり興味のある分野に関して非常に詳しい。不思議なことに興味がある。また興味のないことには目もくれず少し凝り性なところがあるでしょう。ですので中途半端になるのを嫌い納得いくまでは気が済まない性格でもあります
現状に満足せず、絶えず自らや未来を変えていこうとする意志や力や内的情熱を秘めている人。

べたつきは好まないまでも友情には厚く意外な社交性を発揮することがあるでしょう。ただ基本的には一匹狼タイプなので共同でやる作業よりも、単独作業や活動向きといえます。コピーライターというゼロから生み出していくクリエイティブな仕事に大変向いています。僕は「仕事をするのが嫌」というのが前提としてあるんです。小さいときから会社に勤めるのが怖くてしょうがなくて。夢に見るほど嫌でした。「何時から何時 まで会社に来い」と言われて喜んで来る人がいるとは、僕はいまも思っていません。皆いつでも「どこかに遊びに行きたい」と思っている。そのことを前提に組織や仕事のあり方について考えてきたというのが本音なんですねとご本人もおっしゃっています。

「仕事は無いけど儲かっている」より「仕事は忙しいけど稼ぎが少ない」ほうが、より楽しいのではないかと常に考えている。オリジナル商品の「ほぼ日手帳」も手帳に満足した覚えが無かったため「自分が欲しい」が動機で売れる物なら何でも売りたいというのではなく、商品も読み物も、すべてコンテンツ『やりたいことしかしたくない』と。

僕は、バンドマンが観客を呼ぶために工夫するのと同じようなことをやってきました。ミュージシャンが最初にギターを習うとき、ギターでどう稼ぐかではなく、「どういう音楽をつくりたい」「どういう演奏をしたい」といったことを真っ先に考えると思います。利益や売上、顧客の価値について考えるのはずっとあとになってからだと思うんです。たぶん僕も、「まず音楽がつくりたかった」というミュージシャンと同じような感覚で経営してきたと思います
この発言も、物質的な利益より夢や希望を大切にする#7らしい発想だと思います。


Destiny Number『表面意識』
#66-12-3   3 発展

表現、生産、社交的、育む
いつでも楽観的であり陽気で前向き多くのことに興味を持つ人生。豊かな表現力を活かしてクリエイティブな仕事は天職です。成功を左右する最大のカギは人脈の開拓であり、多くの人と接して沢山の意見や情報を得ることが大切です。糸井さんは多種多様なジャンルの方々と交流し、色々な方面でのチャレンジ、活躍を見ていると#3を存分に活かして社会に打ち出しているのだと思います。社交的で、いつのまにか人気者になって他者からサポートが受けられる人ですが、自分の事務所のスタッフの友人であるみうらじゅんが盛んに出入りするようになり、それを「ガロ」の編集部に紹介し漫画家デビューのきっかけをつくるなど、自分だけでなく人の幸せも願える人です。
                       


Soul Number『魂の欲求』
#45-9-9   9 完結

#9はすべてを受け入れるという意味です。
人の影響を受けやすい数字ですが、自身も周りに大きな影響を与え感化させていく人です。
Soul#9は思いやり深く包み込む愛。絆の深い結婚。

1981年に一般女性と結婚し娘が生まれたものの、翌年の1982年には樋口可南子との不倫が発覚。その際、糸井さんは報道陣に対し不倫を認め、妻も不倫を容認しており、樋口さんも不倫関係で納得しているという「公然不倫」の状況でした。その後、離婚が成立し晴れて不倫関係を清算し結婚に至りました。ふたりの結婚生活は現在も良好で、「ほぼ日刊イトイ新聞」に樋口さんが登場したり、樋口さんの著書に糸井さんがアドバイスしたりと、公私ともにかけがえのないパートナーとして夫婦生活を歩んでいるようです。

(絆の深い結婚)
おふたりの間に子供はいません。糸井さんには娘が一人いますが、その娘が大きくなり、状況が分かるようになってから樋口さんと一緒になりたかったそうで、その結果が10年以上の不倫ののちの結婚だったようです。娘さんは「あんだ」というペンネームで「ほぼ日刊イトイ新聞」にもたびたび登場しています。そこでは糸井重里に対する思いや、幼いころの思い出話も披露しており、親子関係はいたって良好なようです。

(思いやり深く包み込む愛)
仕事に関しても、僕はただ、「こうしたら人が喜ぶんじゃないか」「こうしたら自分が気持ちいいんじゃないか」と思うことを中心にやってきたんです。自分だけのために、自分が決めたことだけをやるのは、なかなか困難なことなのだけれど、誰かのためにもなることは、あんがいやれるという気持ちも#9の全体意識、人類愛からきています。


Personality Number『社会的なペルソナ』
21-3-3   3 発展

#3は周りの人からはおちゃめな遊び人とみられます
日本モノポリー協会会長、バス釣り、巨人の大ファン、徳川埋蔵金探しなどと多趣味多忙なひとです
いつまでも若々しく明るく開放的なのでいつのまにか人気者になっています

Destiny Numberも3ですし、仕事も遊びも楽しく陽気に表現できます。さらにSoul Number#9の寛容さを備えているので、周りの人に対しての包容力も持ち合わせているので「僕の理想は、国でいえばブータンのような会社なんです。小さくても、国民総幸福量という独自のコンセプトを打ち出して、存在感を示している。「ほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞)」も同じで、売上や成長率はちっぽけでも、多くの人にいい影響を与えることができたら、と考えているんです」という姿勢で人と接することができるのでしょう


Realization Number『目指すもの』
10-1   1 絶対
開拓精神と行動力で常に新しいステップへ踏み出していける人です。
興味の無い物には無関心な部分もありますが基本的に不可能はなくリーダーとなり模範になります
自らの意志で決めていきたいので、上司や権威者と衝突することもあり対人関係が見方か敵かに分かれる傾向もあります

また、古いものを壊し、新しいく創造する開拓者の素質も持っています。行動していく中に失敗もありますがその経験を次ぎにいかせる強みへと変えることのできる人です。
直観を信じコツコツと自分の創造性を表現して踏み出していくことが大切です。
2015年コピーライター引退宣言をしました。既にコピーライター以外の多彩な分野で活躍されているので引退を宣言する必要もないのでしょうが、「自分が薦めたい商品ならいい。

でも、もっと改善できるはず、なんて思ってしまうと、納得して商品を語れない。だからコピーライターはやめました」
「エルメスにキャッチコピーはないですよね。よいコピーをつくることと、売れるものをつくることは別。よくないものをコピーで売るなんて、やめたほうがいい」
と#1らしく、自分がどう生きたいか、表現したいかという自己主張をし、破壊→創造の一歩を踏み出していきます。


Stage Number『舞台』
33-6   6 調和
美と調和のナンバー。身の回りの環境や持ち物などセンスのよさが光ります
愛情や家庭のナンバー。家族や身の回りのひとを大切に守っていく責任感を持つ

Challenge Number
17-8   8 秩序
自己信頼と能力の育成。地道な努力を続けより高い新しい可能性を開拓していく




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Cycle Number


0〜29歳 
cycle# どのようなことを学ぶ時期か = 2
pinnacle# どんな状況の時期か = 3 (21)
challenge# 与えられた試練・課題 = 1


幼少時から漫画好きで、漫画家に憧れていた。
高校の頃は文学青年の友達ができアングラ文学などに目覚める、文化祭で「ハプニング」的なことを企画するなど感受性が豊かで人の気持ちを敏感に察し、うまく合わせていくことの出来る時期
多くの人との出会いを通して、視野を広げて沢山の経験から自分を表現することを楽しんでいけた時期です
勤めていた会社が倒産し、フリーになる行動力と明確な目的づくりが必要となりました。

30〜38歳
cycle# 1 = pinnacle# 5 (32) = challenge# 3

#1らしく、自信に満ちあふれ、開拓の精神で創造していく時期、行動力もあり新しいことにチャレンジする時期
沢田研二のTOKIOの作詞をはじめ矢野顕子、矢沢永吉、松本伊代、忌野清志郎など多くの作詞をしたり、自身の名義での処女出版を刊行。「東京糸井重里事務所」設立
NHK「YOU」の司会も担当。西武百貨店の「おいしい生活」などのキャッチコピーでコピーライターとしても脚光をあびる。#5の自由、冒険心をフルに活用して「新しい風」をおこし形になったものを外向きに活発化して「コピーライターブーム」をよんだ。


39〜47歳
cycle# 1 = pinnacle# 8 (53) = challenge# 2

今までの経験、体験からの自信も万能感ある時期ですが状況が#5から#8に変わったことでさまざまな力の中でのバランスやコントロールが必要な時期のためこのサイクルに入ったころは「外部の人との交渉の席でもっと偉い人出しなさいと言われた。こういう僕とは全く別の理屈を持った人たちを巻き込んで仕事をしていかなきゃいけないという理不尽を感じた」そうです。「ゼロになることを意識するように心がけた」バランスを学び受け入れるようにするとよい時期です


48歳〜
cycle# 4 (22) = pinnacle# 6 (33) = challenge# 2
#22-4マスタービルダー

現実社会での大きな事業の取り組みが出来るナンバー インスピレーションが働くので才能を活かして開拓していけます。結婚、離婚 、死別など家族の問題から内面の強さを養う時期
変化を受け入れ思いやりと暖かさをもたらしていくことが大事です
既に自分の会社は立ち上げていましたが、このサイクルに入って、この先の糸井さんにとって重要なワークとなる「ほぼ日刊イトイ新聞」を始めたことは#22マスタービルダーなのだと思います。従業員たちを「乗組員」と呼び 毎週水曜日にそれぞれのやりたいことを提案、会議して進めていくなどはPinncle#6。仕事とは別の自分が良いと思ったものとのコラボするなど、まさに#2の調和、バランス。イメージの世界での価値ある創造物を現実社会で具現化すること、です。




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Hisutory


1948年11月10日 #25 
群馬県前橋市出身。生誕後に両親はすぐ離婚し、司法書士であった父親の元に引き取られ祖母に育てられる。その後実母と再会したのは1981年(31歳)だという。

1956年 8歳 #24
父親が再婚

1963年 15歳 #22
群馬県立前橋高等学校に入学

1966年 18歳 #25
法政大学文学部日本文学科に入学

1968年 20歳 #27
デザイン事務所「サムシング」に就職

1969年 21歳 #19 カルミックナンバー
栗田工業主催 TVCFアイディア賞で銀賞受賞
#19自立し本当の意味での自信を現実社会で確立していくことを学ぶナンバー
大学中退して友達に薦められて「宣伝会議」のコピーライター養成講座に通ってるうちそのままデザイン事務所に就職してこの賞が自信になりこの先の仕事につながったのだと思います

1971年 23歳 #21 発展
TVCF 金賞受賞

1973年 25歳 #23-5 変化
「サムシング」倒産。そのままフリーとなる。 同年、宣伝会議賞受賞
変化の年にフリーになりました

1975年 27歳 #25 飛躍
「このジャンパーの良さがわからないなんて、とうさん。あなたは不幸な人だ!」のコピーで東京コピーライターズ新人賞受賞
コピーライターとして大変大きな受賞となります

1976年 28歳 #26 秩序
漫画雑誌「ガロ」の編集者の南伸坊の依頼で。糸井が原作。湯村輝彦が画の「情熱ペンギンごはん」シリーズ発表
7月「さよならペンギン」を刊行

1978年 30歳 #28-10-1 完結
矢沢永吉の自伝本「成り上がり」の構成、編集を手掛ける。同書はベストセラーを記録した
2桁最後の年 #10−1この仕事は糸井さんの一世一代の大仕事、「おいしい生活」でも「不思議、大好き」でも無くこれが代表作と言われています。

1979年 31歳 #2  2桁から1桁になった芽吹きの年
「東京糸井重里事務所」を設立
沢田研二の「TOKIO」の作詞を担当「スナック芸大全」刊行

1980年 32歳 #3 発展
サブカルチャー雑誌「ビックリハウス」で「ヘンタイよいこ新聞」を担当
その関係で新進気鋭のミュージシャン、アーティストとの交際も始まる
12月 「ペンギニストは眠らない」刊行

1981年 33歳 #4 安定
結婚 女児誕生

1982年4月 34歳 #5 から 1985年3月 37歳 #8
NHK の若者向け番組「YOU」の司会を担当

1982年 34歳 #5 変化
西武百貨店の「不思議、大好き」「おいしい生活」などのキャッチコピーでコピーライターとしても脚光を浴びる  女優、樋口可南子と不倫

1989年 41歳 #3 発展
ゲーム製作の為の会社「APE(エイプ)」を設立。製作した「MOTHERシリーズ」はカルト的なファンを生んだ

1993年 45歳 #7 飛躍
女優、樋口可南子と再婚
Birth Number 7 で、#7の年には大きな飛躍を体験されています
Cyvle3の時なので前向きに明るく行動できたでしょう

1998年6月6日 50歳 #12-3 発展 
「ほぼ日刊イトイ新聞」開設
大切にしているのは、「やりたい」という気持ち(動機)で最初は事業と思っていなかったウェブサイトですが創刊日から一日も休まず毎日更新をつづけています。企業や元請けの広告代理店の事情が優先されて、自分の動機とは重ならなくなってきたことがきっかけで自分で決められる仕事をやりたいと思って始めたのも
cycle3-12(表現、開放)の年だからこそだと思います

2001年 53歳 #6 調和
雑誌「インパク」の編集長を務めて話題となった

2015年67歳 #11 霊性
コピーライター引退宣言
cycle5-11(変容、自由)引退がコピーライターという仕事を全否定するものではないのだと思いますがこのサイクルは自由な為に変容する年ですのでコピーライターという枠内だけの仕事でではなく商品作りなどからの総合的な仕事をしていくということなんだと思います。

2016年 Year Cycle 5-11 67歳
今年は変容の年です。新しい体験が訪れます。転居や異動により人間関係、家族構成になにかしらの変化がおこりそうです。コピーライター引退宣言というのもこの流れの乗っての考えなのだと思います

2016年 12月1日 11月10日でYear Cycle12
「東京糸井重里事務所」の社名を「ほぼ日」に変更しました
糸井さんの挨拶の中で
東京糸井重里事務所にも愛着がありますが、ほぼ日刊イトイ新聞をスタートさせて、個人の仕事を管理する
事務所でなく、はっきりと「チーム」でなにかを実現させていく会社に変化してきたからです
新しい名前を10年以上もずっと考えていました。紺屋の白袴というけれど、紺屋としては一生懸命になりすぎていてなかなか染め替えができませんでした。



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糸井重里さんをよんで

糸井さんはcycle4-11 40歳のころを「暗いトンネルに入ったみたいに辛かった。絶対に戻りたくないというくらいに。自分がまだ何者でもないことに悩む。30歳を迎える時の辛さとは別物」と語っています。

「今までの円の中だけにいる」ことが出来なくなる。自分でもうすうす今までのままじゃ通用しないと感じている。別のコンパスで描いた円に入っていって、今までとは全然違うタイプの力を発揮しなきゃいけない。その時、自分が万能じゃないし、役に立たない存在だと突きつけられる。

30歳頃、生まれてきてから続いていた2桁から1桁になった時に会社を設立。
50歳頃、ライフワークとも言える「ほぼ日刊イトイ新聞」を始める。

社名を変えようかと思い立つ頃も、今年12月に社名を変更したのもすべてYear Cycle11前後の時期に大きな変化の波にキチンとのって物事を動かしてきています。

私が中学生の頃に糸井さんの「ペンギニストは眠らない」という本に出会ってからずっと、好きだなって思っていましたが、今回初めて誕生日が一緒だと知りました。

同じナンバーも多く「読みやすい」と安易に考えたのですが、全く逆でした。「見たくない」です。
『ちゃんとメシ食って、フロ入って、寝てる人には敵わない』最近の糸井さんの記事です。
つまり、毎日のキチンと過ごすことが大切ってこと。究極です。できそうで簡単にはできないです。
そして、今の私には気づくことはできないこのような発想も、Cycleに気づき辛くてもそれを受け入れ進んできた糸井さんだからこそ行き着いたのだと思います。
最後も糸井さんの言葉です。


『自分のじゃまをするやつとは、たいてい自分なのだ』


Reported by
AEONS Numerology Basic the 10th class
Mayumi @ Yokohama class
by kej000 | 2016-12-13 22:43 | 数秘レポート

神が与えた光・エトワールとしての輝き * イザベラ・シアラヴォラ




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Isabelle Ciaravola
イザベル・シアラヴォラ
1972年3月12日生



パリ・オペラ座のエトワールとして輝いた、イザベル・シアラヴォラさん。オペラ座きっての“女優”バレリーナとして広く愛された彼女は引退後もバレエに親しむ人々の心をとらえて離しません。有名なバレエダンサーは数多くいますが、その中でも個性際立ち、かつ現在も精力的に活動する彼女の魅力を、数秘によって紐解こうと思います。


 Isabelle Ciaravola イザベル・シアラヴォラ
 1972年3月12日生 元 パリ・オペラ座 エトワール (2014年引退)

 

【誕生数BirthNunmber】生まれ持った資質・・・♯7(25-7)

 7は飛躍、探究心、創造性のナンバーです。
 伝統のパリ・オペラ座に所属するダンサーの中でもトップ(主役)のエトワールになるまで、彼女は11回の昇級試験を受けました。というのも、18歳でオペラ座に入団してから、エトワールに任命される37歳までの間、19年の時間を要したのです。
(オペラ座ではダンサーは5階級のランク付けがされています。下から、群舞をする“カドリーユ”
 →出番の多い群舞は“コリフェ”→セカンドソリストの“スジェ”→ファーストソリストの“プルミエ”→主役・花形ダンサーの“エトワール”の順でピラミッドのような階層構成です。)
 在籍中、何度も受けてきた昇級テストは大嫌いと語るも、意思と夢をもって努力すれば誰でも上達するものだと思っている、と語り、エトワールに任命されるまでの間、一心にダンスの技術や演技の表現力に磨きをかけました。

 長い下積み期間にバレエを辞めたり、他のバレエ団に移りたいと思ったことはあったか、というインタビューに対しては、「若いバレリーナが出て自分は忘れられてしまうかもしれない、自分の在籍や進退が危ぶまれたとしても、オペラ座でエトワールになることを追い求めてきた自分のこれまでのことを思うと後悔したくない」という気持ちで自分の可能性を信じ踊ってきたと話しています。
 7というナンバーの持つ深い自己認識と、あきらめそうになる心…つまり感情を知性により支え、ひたむきな情熱で努力するという波動が、彼女の姿に重なります。


【運命数DestinyNumber】         ・・・♯3(12-3)

 3は“発展・表現・真実の解放・楽観”のナンバーです。
 彼女と3のもつ波動を重ねたとき、“表現力の高さ”というのが際立って感じられます。というのも、彼女はオペラ座きっての“女優”バレリーナとして活躍していたからです。
台詞・言葉が一切ないバレエの舞台は、ダンサーの表情や踊りといった表現と音楽で物語が作り上げられています。彼女の踊りからは、特に一つ一つの動きや表情、間の取り方が独特で、言葉というものを超える表現力を感じることができます。また、数々のドラマチックな作品に出演し、その演技力が高く評価されていることを考えると、3という数字の持つ“表現する分野で、見る人に精神的喜びを与える”というのがぴったり当てはまります。

また、12という数字も持っている彼女。この12という数字はコラボレーションナンバーともいわれ、誰かと組むことで道が開けるという意味があります。基本的にバレエの舞台では男性のソリストと組んで演技をしており、彼女の場合は息の合う男性パートナーに恵まれ、彼女自身だけでなく相手のパートナーも高く評価されることが多かったようです。そして、近年ではバレエコスチュームなどを大手メーカーと共同で制作しています。まさに、“コラボ”して道が開けています。


【ソウル数SoulNumber】魂の本質、求めるもの・・・♯2(11-2)

 2は“相対・受容”のナンバーですが、ここでは11も持っているので、11の持つ“霊性”という要素も濃く出ています。
 バレエを踊るにあたり、持って生まれた才能について考え、悩むことは避けては通れないことだと思います。これについて、彼女は才能について考えるより、まず自分自身の個性を表現できるよう励むこと、そして自己受容の大切さを語っています。また、どんなにやる気が起きないというときも、レッスン場にひとたび出向くと、そこで流れている音楽の波動に反応するように体が目覚め、自然と動き出すといいます。11の持つ霊性・感受性の強さ、理想に向かう揺るぎない意志、自分の理想を自らが体を使って踊り、表現することで具現化していくということを魂が求めているのでしょう。


【人格数 PersonalityNumber】・・・#1(10-1)

 10はスピリチュアルナンバーであり、カルミックナンバーです。彼女の経歴でも大きな転機が何度かあり、それぞれの節目で起きた出来事によって、それ以前と以後とで周囲の状況や環境・世界が大きく変わっていることから、カルミックナンバーの10が持つ、人生のある時期に天命の道に導かれるという特性が出ています。

 パリ国立音楽院(コンセルヴァトワール)に入学した時は、エトワールになるという志を固めたころでしょう。そして引退した今は、自分のこれまでの長い下積みの経験から、若手や後進をバックアップするために講師の職へと進み、ダンサーの育成に情熱をかたむけています。いずれも、対社会・対周囲の状況に対して起こす行動は、バレエという芸術の美しさ、そして表現することの喜びと素晴らしさを伝えたいという一貫した思いからくるものです。美や芸術という普遍の真理についての探究者として生きる道、そしてそれに向かう彼女の一途な思いとパワフルな行動力は、10の持つ“カルマを果たし、天明の道に進み人道的な目的で人に癒しを与える”波動や、1の持つ“行動力、決断力、絶対性、新生”という波動を受けてのことに違いありません。


【実現可能数 RealizationNumber】今世で実現していくこと・・・♯1(10-1)

 ここでも、前に挙げた人格数と同じ1、カルミックナンバー・スピリチュアルナンバーの10が出ています。
 1の持つ“絶対性、ピュアさ、独立”は、引退した現在は講師職を母校でつとめつつも、世界各地の講習会に出向き、バレエ用品のプロデュース業もこなしているところから、それが十分できるだけの行動力や計画性の高さを裏付ける要素です。

 さらに、彼女は東日本大震災の後、他のオペラ座のエトワールとともに被災地でのバレエレッスンを行い、経済やその他の事情でバレエレッスンを受けることが厳しい子どもたちのために行われる、ユネスコのダンス教育支援プログラムに参加するなどの社会貢献活動をしています。これは、10という数字の持つ“社会貢献”の波動から来るもので、彼女だからこそできることで、世に役立とうと、自らのエネルギーを発揮しているのでしょう。


【活躍の場 StageNumber】・・・#9

 活動の場は、9の“集合意識に働きかけ、芸術という切り口から、人を教化し導く”というものです。
 インタビューの中で、彼女は教えることに情熱がある、と語ります。プロダンサーの養成、アマチュアダンサーの講習といずれもジャンルを問わず、受講生の進歩を見つめ、かつ教えるという家庭の中で彼女自身も学び続け、進歩したいと言います。
 きっと、指導者としてのキャリアを積み、その名を知られるようになるでしょう。

【現世で生涯をかけて挑戦していくことChallengeNumber】・・・#2(20-2)

 1ケタ目に0、2ケタ目に2がくる“20”とうスピリチュアルナンバーを持っています。
0は“霊性の高さ”、2は“受容、協調”を意味しているところから、彼女自身がインスピレーションからくるイメージなどを受け取り、それを周囲と協調しながら、かつ真意が受け入れられるよう表現・伝えていくことが課題です。

 どんなダンスプログラムや企画も、授業を思い付いても、周囲との協調と協力がなければ成しえませんし、受け取る側の反応を予想したうえでどうアプローチするかを考えないと、せっかくの良いひらめきも生かすことができません。彼女の持つ絶対、唯一無二の強みを生かすための課題を、20という数字が示しています。




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【周期ごとで見る人生の道筋】

CycleNumber(サイクルナンバー)…何を学ぶかを示す 
PinacleNumber(ピナクルナンバー)…状況を表す 
ChallengeNumber(チャレンジナンバー)…与えられる試練や課題について示す


1:
0~29歳…サイクルナンバー#3、ピナクルナンバー#6、チャレンジナンバー#9
3の表現・クリエイトするということを学びながらも、おかれた状況は6の自己と周囲や環境との調和であり、かつ美にまつわる環境に触れることのできるものでした。そして、課題としては9の持つ“芸術分野での才能を発揮していくこと”、が現れています。

2 :
30歳~38歳…サイクルナンバー#3 ピナクルナンバー#4 チャレンジナンバー#2
引き続き、3で表現することを学びながらも、状況は4の表す通り、下積みや訓練をして自分の素養や地盤を固めること、試練は2で、様々な経験を受け止め自分のものにしていくこととなります。

3 :
39歳~47歳…サイクルナンバー#3 ピナクルナンバー#1 チャレンジナンバー#7
学ぶことは変わりませんが、状況が1の波動へ移行しています。下積みから、自分を強く光輝かせ、主役として立つという状況に変わったのです。また、試練としても7へ移行したので、可能性を信じてこれまでの自分を解放し、ステージアップを図るという流れになりました。

4 :
48歳以降…サイクルナンバー#1(19-1、10-1)
ピナクルナンバー#4(22-4) チャレンジナンバー#2
学びとしては、カルミックナンバーの10や19が出ています。10の再誕生や19の力…どちらもカルマの清算に取り組みながら、人道的な面で社会貢献するために表舞台にさらに出ていくことや、自分のこれまでの殻を打ち破るための試練に臨み、さらなる自己の確立と自信・威厳を強く世に出そうとしていくことを学ぶようです。また、状況としては22の“創造”…あらゆる分野の創始者になるという波動と、4の地盤を固めていくという波動から、新たに生まれ変わった自分の基礎を強固にしていく様子がうかがえます。試練のナンバーは2なので、壮大なテーマに臨む状況のなかで、ドラマチックな変容の場面に直面しても、それを受け入れていくことや、忙しさと自分自身のプライベートとのバランスをとっていくことが課題です。

彼女は現時点で44歳なので、これから最終周期で予想される48歳以降の動きがとてもドラマチックなものとなりそうです。




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【彼女の年譜】


0歳・・・YearNumber#25
 フランス・コルシカ島のアジャクシオに生まれる。両親は楽器商を営んでいました。
 生まれたころから12歳まで、20番台の数字が並んでいます。幼くして、知らず知らずのうちに精神的な学びを深めていったはずです。きっと、感性も磨かれていったのでしょう。

13歳・・・YearNumber#2
 パリ国立高等音楽院(コンセルヴァトワール)に入学。
 前年度で20番台のイヤーナンバーが並ぶ周期が終わっています。心機一転、目指す目標への扉をたたき、新たな世界へ踏み込んでいった年です。2番、“受容”の数字から、新たな世界を受け入れていった年ともいえます。

16歳・・・YearNumber#5
 パリ・オペラ座バレエ学校に編入。
 初めからオペラ座バレエ学校に入れれば良かったのですが、バレエを始めた年齢が遅かったため入学試験を受けることができなかった彼女。13歳で入った音楽院のなかで1位の成績をとったため、目標の学校に編入するという道に進むことができました。
 変化と自由を表す5番、またひとつ彼女の世界が大きく変わった年だということを示しています。

18歳・・・YearNumber#7
 パリ・オペラ座バレエ団に入団。群舞(カドリーユ)のクラスに在籍する。
 7という“解放、そしてステージアップ”の数字が出ています。学校を卒業し、やっと目指していたオペラ座の舞台に立てるバレリーナの一人になれた年です。

21歳・・・YearNumber#10
 上のクラス、以前のカドリーユクラスより出番の多い群舞(コリフェ)クラスに昇級。
 実は、この年から次の昇級までに7年間かかりました。奇しくも、ここで出ている10番は、彼女がコアに持っている実現可能数と人格数と同じもの。スピリチュアルフォールナンバーといわれる10番は、何度も出てきた“カルマの清算”が大きくかかわってきます。最短でエトワールになれるダンサーと比べれば、苦労は多かったと思いますが、それでも運よく進めてきた彼女のこれまでとは全く別の経験・・・どんなに努力しても、時機が整わない為に、自分の思った通りの成果が出ないこともある・・・を通して、その中で苦しみなどをも味わい、もがいていたはずです。

28歳・・・YearNumber#8
 やっと、群舞のコリフェから、セカンドソリストとして踊る(スジェ)クラスに昇級。
 これまでの下積みが報われ、群衆からやっとひとりのバレリーナとして立つことができるようになりました。ここでは8番が出ています。繁栄やこれまでの頑張りが結果として出ることを意味している数です。

31歳・・・YearNumber#11
 セカンドソリストから、準主役級のソリスト(プルミエール)クラスに昇級。また、徐々に講師としての話が持ち込まれるようになります。
 前回の昇級からこの年までに、彼女は一つのイヤーナンバーの周期を終えています。これまでの流れとは大きく変わったことが分かります。また、ここで11番の“霊性”を表すナンバーが出ていることから、この時期に出会った講師職・教える仕事というのがダンサーのつぎに彼女の生きる使命として差し出されたようです。
 
37歳・・・YearNumber#8
 37歳の誕生日から約2カ月後の4月16日、パリ・オペラ座の「オネーギン」初演初日、主役のタチアナ役で踊った直後、舞台上で、オペラ座最上級にして主役格であるエトワールに任命される。
 ここでも、繁栄や成果を意味する、8という数字が出ています。ようやく、彼女の黄金時代が幕を開けるタイミングが訪れました。

39歳・・・YearNumber#10
 フランス文化勲章を受章。また、フランスだけでなく世界各国に指導者として赴くようになる。
 日本国内は東京、京都、名古屋、北海道などで指導しています。
 
40歳・・・YearNumber#11
 レジオンドヌール勲章 シュヴァリエ(騎士)称号を受勲。また、仙台での被災地支援プログラムの講師として来日。
 
42歳・・・YearNumber#13
 オペラ座・ガルニエ宮での舞台、「オネーギン」のタチアナ役で、オペラ座を引退。
 ※エトワールに任命されたときと同じ演目と配役です。
 最後の舞台では30分もの間拍手が鳴りやまなかったという逸話が残りました。
 引退後はほどなくして、母校であるパリ国立高等音楽院(コンセルヴァトワール)の講師職の選抜試験を受けたのち、着任しています。実は、この年で彼女のイヤーナンバーの一つの周期が終わりました。引退後の新たな人生のスタートの節目ということが分かります。また、ここではカルミックナンバーの13が出ています。
創造と破壊を繰り返し、常に学んで行くとともに、自分自身のエゴに傾くことなく強い志をもって、うまく進めず痛みや苦しみで行き止まった人を指導者として導いて行くという流れが見えています。





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最後に…彼女の経歴を数秘によって追っていくと、いかに一途に努力して、誰もが憧れるエトワール“輝き”を手に入れたかが分かりました。そして、感性で生きつつも、感情には流されることなく、知性で生きてきた姿も見えました。演技やプライベートショットで見せる、すがすがしい表情や軽やかな振る舞い、気品ある姿からは、想像できない葛藤もあったことでしょう。とても華やかで強い女性です。エトワールとして実際に在籍できたのは、わずか5年という短い間でしたが、圧巻の存在感で人々を魅了し、大きな賞も授けられました。まさに大器晩成で、実り多く、素晴らしい現役時代を終えた人です。

彼女の踊り、そして彼女自身の生き方は、バレエという表現の手段を介して、芸術・美というものが、人の心に力を与え、奮い立たせてくれる素晴らしいものであること、神が与えてくれたものだという、ただ純粋なメッセージを伝えてくれます。きっとそれが彼女の使命であり、彼女はこれからも喜んでその大きな使命のために生き続けていくのでしょう。

彼女についてその魅力に迫っていくうち、純粋に自分自身の中に湧き上がる喜びの中から使命を見つけること、たとえ感情に揺さぶられても、知性で自己を保つこと、使命を全うするため一途に高みを目指し努力し続けることの大切さを感じ取りました。苦境に立たされても、停滞したままに思えても、自分の中にわきあがる喜びにより行動しつ続け、また行動できることが喜びなのだという彼女の姿は、私にとって精神的なロールモデルとなりました。そう、彼女は私の中のエトワール、輝きつづける星(目標)なのです。



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Reported by
AEONS Numerology Basic the 11th class
Maya @ Meguro class
by kej000 | 2016-12-13 22:01 | 数秘レポート

どの瞬間もが感動に満ちた人生*ココ・シャネル Vol.2



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ココ・シャネルの人生年表

ココ・シャネル 数秘で読み解くその人生については、
Report Vol.1 をご覧ください


【イヤーサイクル】

1883年8月19日フランス南西部オーヴェルニュ地方ソミュールの救済病院で生まれる。

●10歳1893年から〈光と闇を体験する時期〉

●11歳 ナンバー13(4)試練
1895年2月16日12歳の誕生日を迎える前に母のジャンヌが病死、行商人の父アルベールに捨てられ、シャネルと、姉のジュリーは孤児院に預けられ、その後6年間に渡り、厳しい戒律の下で生活しました。

●17歳 ナンバー19(10-1) 複雑な二極性(#9)/創造(#1)/インスピレーション(#0)
19は、カルミックナンバーで,カルマの負債を精算するための経験をします。自分のから抜け出ようともがく時期。1900年、17歳のとき、シャネルは、孤児院を出て、フランスのムーランにある修道院へ送られます。
修道院女学校では、中流階級の娘もおり、自分の境遇との違を感じる経験、強靭な精神力はここで培われました。一方、ここで、叔母のアドリエンヌと一緒に、親戚とよりを戻し、バカンスをともに過ごすなど、徐々に自由を手に入れます。また、叔母は帽子に興味を持っており、制作しているのを見て創造性が芽生え始めました。

●18歳 ナンバー17(8) 情熱的、野心のあるパワフルな#8
1901年、修道院を出て、田舎町ムーランでお針子として店の見習いになります。この間に、お針子としての腕を磨きました。当時つきあいのあった将校たちに連れられ、グラン・カフェで歌手になりたいと夢見るようになります。シャネルは、お針子に留まらず、昼のお針子の仕事の傍ら、夜は歌手を志してキャバレーで歌い、オーディションを受け、芸能界への道を目指していました。

●19歳 ナンバー18(9)名声や富・地位を表すナンバー(#8)/完結の#9
この頃交際していた将校であるバルサンに伴われてパリ郊外、バルサンの牧場へ移り、過酷な環境から、抜け出したのです。そこは、ブルジョア階級の友人達の社交場となっていました。
20歳1903年より④<基盤を作る時期>

●26歳 ナンバー19(10-1) 
真の力のあり方と普遍の真理を学ぶこと時期で、自立し、本当の意味での自信と威厳を現実社会で確立していくことを学ぶナンバーです。
シャネルは、バルサンの屋敷で、乗馬を楽しみ、乗馬服で最初に服装革命していきました。当時は、スカートで横座りするのが普通だったのですが、シャネルは、ネクタイを締め、カチューシャに、ジョッパーズを履き、周囲に衝撃を与えました。また、当時の装飾華美の帽子に違和感を感じ、シャネルは、その装飾を取り払い、シンプルなデザインのものを自分で作って次第に評判になり自信を得ていきます。
1909年、制作していた帽子のデザインがそこで認められ、バルサンの援助により、パリへ移り、友人のために帽子のデザインを始め、自立への一歩を踏み出しました。

●27歳 ナンバー20(2)霊的な能力を豊かに発揮していくナンバー(#20)
1910年、バルサンと別れ、その友人で、一生涯愛する人物となるイギリス人青年実業家ボーイ・カペルとの交際を始めました。ボーイ・カペルの資力を借りて、パリのカンボン通り21番地に「シャネル・モード」という名で帽子専門店を開店します。女優や、オペラ・コミックの歌姫の帽子もデザインし、話題となり才能を発揮していきました。
30歳1913年より⑤<変化の時期>~第一次世界大戦~

●30歳 ナンバー14(5)新しい風(#5)直観力で独創性を追求し(#1)基盤を創る(#4)
 1913年、カペルの資金援助により、当時流行となっていた海水浴場ドーヴィルに二号店を開店します。そこは、一流ホテルやカジノのが建ち並ぶリゾート街でした。
また、#14は、過去生における「自由」の誤用を今世で理解するためのナンバーで、衝動的な欲求を克服し、真の建設的自由とは何かを学んでいきます。シャネルは、帽子から服へと移行し、自分の体形に合わせて服を作り、脚光を浴びます。妹のアントワネット、叔母のアドリエンヌもモデルとなって、海岸を闊歩し、歩く広告塔のように、独自のスタイルを積極的に売り込み、顧客を増やしていきました。

●31歳 ナンバー15(6) 直観力で独創性を追求し(#1)、環境の変動(#5)の中も、喜び活動する(#6)
 1914年8月3日、第一次世界大戦が開戦。周囲の店が次々と閉店していく中、二人は様子を見ようと、店を続けることにします。1915年7月には、ボーイとココを連れて優雅なリゾート地、ビアリッツに保養に出掛けた時、直観力から、ここが、三軒目の店舗を開くのに最適な場所と判断、オートクチュールの店、「メゾン・ド・クチュール」をオープンします。店は贅を尽くして建てられました。シャネルは、「世界は滅びようとしていた時、他の何かが生まれようとしていた。私は、何かを進めるチャンスだと思い前進した。」と、直観力で変化を読み取る力のを感じさせる言葉を残しています。
富裕層を狙った一着数千ドルもする高級ドレスは、飛ぶように売れました。誰よりも先に、こうした服飾分野をオート・クチュールの商売に取り入れて利益を上げるファッション産業にしたのです。多くの店が閉店する中、実用的で、シンプルなスタイルを追求し続け、さらなる発展につながりました。

●32歳 ナンバー16(7) 直観力で独創性を追求し(#1)、飛躍(#7)のナンバー
1915年9月、始めるのにいいとされるナンバー7の年、ビアリッツにて、初めてのコレクションを開き、デザイナーとしてのデビューを飾ります。独創的、デザインの服は、初めて開いたコレクションを魅力的なものとしました。

●33歳 ナンバー17(8) 直観力で独創性を追求し(#1)、飛躍(#7)に向かう、達成(#8)のナンバー
1916年、コレクションを発表し、大成功を収めます。当時、在庫で残っていたジャージー素材を買い取り、動きやすく、それまでのように身体の線を強調しないドレスをつくり、話題となりました。従来の常識に囚われず、新しい素材を試し、革新的なスタイルを提案していきます。
このころ、店の従業員は、前年度60人だったところ、300人を超え、ボーイへの借金を返済。長年の夢を実現させ、経済的に自立した女性実業家となりました。商品をいくら作っても足りない状況で、衣類用の布地は不足していましたが、かつての恋人、バルサン(繊維業の家の生まれ)のつてを辿って調達していました。

●34歳 ナンバー18(9) 優れた直観力でオリジナリティを出し(#1)達成(#8)完結(#9)に向かう
1917年、空襲に度々見舞われ、激しくなってくると、防空壕の中で着られる気軽なスーツを売り出しました。貴婦人階級もコルセットやドレスの着付けを手伝ってもらう召使いを雇う余裕がなく、ひとりで簡単に着られる服が必要になっていたのです。また、人手不足で、女性も働く必要があり、動きやすい服装が社会に求められており、シャネルは新しい女性の理想像をファッションで表現していきました。

●35歳 ナンバー19(10ー1)新たな時代の始まり(♯1)と、裏切りと傷心(♯9)
1918年に、第一次世界大戦が終戦。
カルミックナンバー19でもあり、真に力のあり方を普遍の真理を学ぶことによって、自立し、本当の意味での自信と威厳を現実社会で確立していくことを学ぶナンバー。
一方、8年余り付き合ったボーイ・カペルは、イギリスの上流階級の娘ダイアナ・ウィンダムと結婚してしまいます。上流階級に生まれなかったシャネルの苦悩が想像されます。シャネルは、カペルからもらったプレゼントを全て返し、腰まで届く黒髪をバッサリ切り、仕事に打ち込んでいきます。
このころ、シャネルは、パトロンであり将来親友となるミシア・セールと出会い(1917年)、ミシアのサロンで劇作家のジャン・コクトー、画家のパブロ・ピカソ、作曲家のイーゴリ・ストラヴィンスキーやジャン・コクトー、など様々な人物と交流し、人脈を広げていきました。新たな時代が始まる一歩を踏み出したのです。

●36歳 ナンバー20(2) 受容(#2)/生と死(#2)
私生活では、交際を続けていたボーイが車の衝突事故で死亡。堪え難い悲しみから、寝室全体を黒一色で飾り付け、哀悼の意を表しました。多くの女性たちも、戦争で男手をなくし、自力で生きて行かねばならなかった状況で、悲しみの中、女性は社会進出をしていきます。
1919年スカート丈をひざ下まで短く活動的にした「シャネル・レングス」の服は、当時のファッション傾向に大きな影響を与えました。

●37歳 ナンバー21(3) 受容(#2)/発展・拡大・豊かさを受け取る(#3)のナンバー
悲しみに暮れているシャネルを見かねて、ミシア・セールは、自身の新婚旅行先のイタリアへ連れ出します。そして、辛い経験を乗り越え、再び、ロシアから亡命してきたドミトリー・パヴロヴィチ大公との恋愛がスタート。#3は恋愛を育むナンバーです。
そして、仕事では1921年、本店をカンボン通り31番地に拡張。前年に会った調香師エルネスト・ボーによって生み出された、シャネル初の香水「N°5」、「N°22」を発表します。




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●39歳 ナンバー23(5)  受容(#2)/発展(#3)のナンバー
1922年シャネルが主人公のモデルとなった『ラ・ギャルソンヌ』が発表され、ショートボブが流行。
シャネルは「ファッションは着飾るものではありません。着るものを選ぶことであり、それは自身の生き方を表現するものなのです。」と語っています。シャネルの提案するファッション、恋愛と仕事に生きる自由なライフスタイルは、幅広く支持され、発展していきました。
40歳1923年より⑥<調和と(#15)革新の時期>

●41歳 ナンバー16(7) 飛躍(#7)
1924年フランス最大の香水製造工場を所有するピエール・ヴェルタイマーと共同でシャネル香水会社設立。5年後には、世界で一番売れる香水となり、20年後、権利争いに発展するものの、生涯生活していくのに十分な収入源を得ることになります。

●41歳 ナンバー17(8)飛躍(#7)達成(#8)
1925年、イギリス一の大富豪、第2代ウェストミンスター公爵と出会い、以降5年間に及び交際。
この間に多くもらった宝石類から着想を得た、模造宝石を使ったジュエリーを発表して大成功を収めます。さらに、コスチューム・ジュエリーを大量に製造する工房を開きました。
同時期、インスピレーションを受けて、オリジナリティを追求していき、後に「シャネル・スーツ」として発表されるスーツの原型がつくられました。

●46歳 ナンバー18(9)達成(#8)と完結(#9)のナンバー
1926年10月には、「リトル ブラック ドレス」を発表。大胆なまでにシンプルを極めたスタイルでファッション界に革命をもたらしました。それまで喪服として使われていた黒一色のドレスがモードとして認識されるようになります。

●46歳 ナンバー21(3)拡大、発展、豊かさを受け取る(#3)
1929年には、香水シャネルN°5が、世界で一番売れる香水となる。
10月に株価が大暴落、資金難にあえぐ暗い世相とは裏腹に、本物の宝石を使ったアクセサリーを販売。しかも、一つのアクセサリーがブローチになったり、留め金になったり多用途に使えるようになっていました。。シャネルは、カボン通りに構える店のひとつに、専門店を開き、このアクセサリーや、ベルトや、キルティングバック、スカーフなども合わせて販売します。
#21は、相反するものをまとめ上げるナンバー。キルティングバックのマトラッセは、革×綿入れ、革×金属チェーンと、二種類の異なる素材を縫い合わせることで表現された、あらゆるスタイリングにマッチするシャネルの定番的な存在となります。当時の女性のバッグはハンドバッグのみでしたが、両手が自由に使え、バッグの置き忘れを防ぐ目的で考案されました。今では、普通のこのスタイルも、大恐慌の嵐の中打ち出した、大胆なテーマだったのです。
プライベートでは、恋人ウェストミンスター公のために別荘を建てますが、1930年、イギリスの名門令嬢、ローリア・メアリー・ホンソンビーと婚約してしまいます。

●47歳 ナンバー22(4) 大きなビジョンを描き、新しいステージに向かう創造の#22
1931年2月、ハリウッドへ渡り映画界の大物、サミュエル・ゴールドウィンの要請で、アメリカ映画の衣装デザインを手掛けています。
50歳1933年より⑦<飛躍と(#16)真理の探究の時期>

●52歳 ナンバー18(9) 達成(#8)と傷心(#9)
ウェストミンスター公爵と別れた後、交際していたポール・イリブが1935年9月21日心臓発作で急死。その後、睡眠薬に依存しています。
そして、1936年6月、当時4000人を抱える大企業として成長したシャネルだったが、コレクション前の苛烈な労働条件に、労働者側がストライキを敢行。苦労してその地位を築いたシャネルには労働環境を重視する彼らの考えを受け入れられずに対立、不本意ながらも、組合側の要求を一部認めました。

●56歳 ナンバー22 (4)
22は、大きなことが成し遂げられ、夢が実現、ドラマティックなナンバーである一方、大掃除、大波のあるナンバー。1939年9月、第二次世界大戦が勃発。シャネルは一部店舗を残し全てのビジネスを閉鎖、一時引退します。

●57歳 ナンバー23(5) 環境の変化(#5)を受容し(#2)発展(#3)
5は、環境の変化、スピードのあるナンバーです。現状にしがみつくと、障害が起こりますが、シャネルは変化していくことで、チャンスをつかみ、人脈を広げていきます。第二次世界大戦中の1940年、フランスがドイツ軍に占領され、多くのフランス国民が窮乏生活を余儀なくされた一方で、シャネルはドイツ軍の愛人になることで、様々な恩恵を受けて暮らしたと言われています

●61歳 ナンバー18(9) サイクルの成就・完成(#8)裏切りや傷心(#9)
1944年フランス解放後に逮捕され、「対独協力者」、「売国奴」としてフランス中からの非難を浴びます。
しかし、イギリス首相であるウィンストン・チャーチルの計らいにより釈放され、その後シェレンベルクとともに戦後の数年間スイスのローザンヌへ脱出し亡命生活を送りました。

●64歳 ナンバー21(3) 受容し(#2)発展・拡大・豊かさを受け取る(#3)
1947年、シャネルとピエールヴェルタイマーとの間で、シャネル香水の販売権に関して、和解成立。シャネルは、世界中で販売される香水の売り上げの2パーセントを受け取る。

●67歳 ナンバー24(6) 受容(#2)死別などの問題から内面の強さを養う時期(#6)
1950年秋 親友だったミシア・セールが死去。
その後、ベンドア、バルサンも帰らぬ人となる。
70歳1953年より<達成(#18)と完結(#9)の時期>

●70歳 ナンバー18(9) 直観力で独創性を追求し(#1)、達成(#8)完結(#9)する
1953年秋 再びファッション界復帰を志します。理由のひとつは、退屈だったから。もう一つは、「ゆったりフィットした服で、女性たちをもう一度、解放してあげたかったから」だと言っています。当時、ウエストを協調し、スカートを膨らませたデザインの服が流行していました。
1954年2月5日、15年間のスイスでの亡命生活を終え、パリに戻ったシャネルは、ヴァンドーム広場を望むホテル・リッツに住まいを構え、2月5日、復帰記念コレクションを開き、復帰を果たしました。
シャネルの第二次世界大戦時の言動に対する嫌悪感が根強く残っていた当時は、「古臭い」としてヨーロッパではバッシングを受けたものの、アメリカでは評価されます。ライフ誌は、「71歳にして、彼女は我々にスタイル以上のものを示してくれる。彼女は本物の嵐を巻き起こした。」と支持され、シャネルのカムバックは、話題になりました。

●72歳 ナンバー20(2)
専門知識・クリエイティブ能力を発揮するナンバーで、世界で価値ある創造物を現実社会で具現化していきます。
1956年秋のコレクションで、「シャネルスーツ」を発表。ニューヨーク・タイムズ紙は「その着やすさとカジュアルさ、シンプルさは多くの現代女性のニーズを満たしている。」と書かれました。

●74歳 ナンバー22 (4)22は、大きなことが成し遂げられ、夢が実現、ドラマティックなナンバー
1957年10月4日、シャネル・スーツ(ブレードの縁取りがある、ウールのスーツ)は、ウーマンリブ運動によって女性の社会進出がめざましかったアメリカ合衆国では熱狂的に受け入れられ、アメリカで「過去50年間でもっとも大きな影響力を与えたファッションデザイナー」としてファッション界のオスカーに当たる、ニーマン・マーカス賞を受賞する。

●80歳 ナンバー19(10-1) 複雑な2極性(#9)
1963年11月、ケネディ暗殺事件。シャネルの服を愛用していた夫人が報道され、話題になりました。

●87歳 ナンバー26(8)達成(#8)
8は、現世と永遠の間の「死」を示し、また、無限と螺旋を示すナンバー。
1971年1月10日、この世を去ります。住居としていたパリのホテル・リッツで、亡くなる前日までコレクションの準備していました。シャネルの亡骸は、第二次世界大戦中のドイツへの協力及びフランスへの裏切り行為によって、高級墓地への埋葬を拒否されたこともあり、亡命生活を送っていたローザンヌの墓地に埋葬され、ラッキーナンバーとしていた、5頭の獅子に見守られ、シャネルの遺言により、墓石の周りには白い花が咲き乱れています。



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【感想】
 私は、このレポートをまとめる中で、シャネルの言葉や、人生に触れ、何度も何度も涙が溢れそうになりました。単なる斬新なデザインや、快適さ、機能性だけでなく、「女性を解放したい。」その強い思いに、心を打たれます。そのエネルギーを創造性に変え、女性の新しい生き方、スタイルを提案し続ける、その真っ直ぐな思いに感動しました。
 そして、今を楽しみ、今、自分に必要なものは作ってしまう実行力…友人の服も、さっと首にかけた鋏を出し、素敵に直してしまうし、修道院時代にも、スカートの丈を誰にも分らないように、こっそり短く切ってスタイリッシュな着こなしにしてしまう。「だれも気付かないだろう。でも、私はそこを直すのです。」と、自分のイメージを忠実に形にし、87歳まで元気で、自分のスタイルを貫く姿勢に、私もそうありたいと思いました。
 辛辣さも、その美的センスも、感性の鋭さも、実行力も、そして、常に時代にマッチする勘の良さ、その変化に柔軟に対応する受容性と深い愛、全てが魅力的です。
 ≪リーディングしてみて≫
 私の家族は、シャネルと同じバースナンバー#11-#2を持っています。シャネルをリーディングしてみて、「広い心で、受け入れた数だけ、器が大きくなるのだ」と、気付き、それと同時に、家族も同じ「広い心と、受容性」を持っていたことに気付きました。バース以外のナンバーは、私と共通しているところが多く、前述のように、学ぶところがたくさんありました。
 死後、何十年経った今も、シャネルの言葉は心に響きます。シャネルの生き方から学んだこと、全てを!心に刻み込みたいと思います。
 ココ・シャネルの伝記に出会わせてくれた、アイオンズ、講師の皆様、受講生の皆様、全てのご縁と、家族に心より感謝申し上げます。

参考文献
『あなたを変える ココ・シャネルの言葉』高野てるみ イースト・ブレス
『ココ・シャネル~時代に挑戦した炎の女~』エリザベート・ヴァイスマー 阪急コミュニケーションズ
『コミック版世界の伝記「ココ・シャネル」』漫画:久松ゆのみ 監修:塚田朋子 ポプラ社
『時代を切り開いた世界の10人⑦レジェンドストーリー「女性に自由を与えたファッションデザイナーココ・シャネル』学研
『誰も知らなかったココ・シャネル』SLEEPING WITH THE ENEMY
~COCO CHANEL’S SECRET WAR ハル・ヴォーン 赤根洋子・訳 文藝春秋
『ココ・シャネルの秘密』マルセル・ヘードリッヒ 山中啓子・訳 ハヤカワ文庫
『世界を変えた6人の起業家 シャネル』デーヴィット・ボンド・文 常盤新平・訳
『ココ・シャネルの「ネットワーク」

写真は、
https://cieljyoti.wordpress.com/2012/04/08/coco-chanel-gabrielle-chanel-1883-1971/
よりお借りいたしました。

以上。



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Reported by
Aeons Numerology the 11th Basic Class
Nao Izumi
by kej000 | 2016-12-12 15:48 | 数秘レポート

どの瞬間もが感動に満ちた人生*ココ・シャネル Vol.1

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Coco Chanel

1883年8月19日生まれ

本名:ガブリエル・ボヌール・シャネル
   Gabrielle Bonheur Chanel


【Birth】誕生数 ~人生における目的・使命~ 20-11-2

≪霊的感受性の#11、霊性の#0≫
高次のバイブレーションを示す数字で、人と天を結ぶ波動。天からその波動を受け取り、現実社会に下ろす役割を持って生まれました。豊かな感受性と、高い芸術性でイメージを形にしていくことが人生における目的と使命です。
シャネルは11歳の時、母が病死、行商人の父に捨てられ、姉とともに孤児院に預けられました。その後の修道院での生活は、シャネルにインスピレーションを与え、当時礼服でしか使わなかった黒を採用、装飾を削ぎ落したシンプルなデザインの原点になっています。
また、シャネルは、聖堂の通路の5の数字のモザイク模様などから、5という数字に、純粋で神秘的なものを感じ、コレクションの開催日は2月5日と、8月5日と決めていました。香水、シャネル N°5の発表は5月5日、カムバックの日も2月5日と決め、成功していきました。 

≪鋭い直観力と神秘的な能力の#11≫
「辛辣さとタイミングの良さは、人々を時々唖然とさせた」と言われています。シャネルは、秀でた霊性と直観力で時代を察知して行動し、美的センスも、発言も核心をつき、人を惹きつける神秘的な能力を持っていました。

≪野心とバイタリティーの#1×#1≫
シャネルは、家族や恋人との死別、離別を繰り返す辛い経験をしています。でも、決して希望を捨てず、野心を持ち続け、自分のスタイルを発信し続けました。

≪オリジナリティの#1×#1≫
「私は人とはとても違っていた」
「かけがえのない人間になりたいのなら、人と同じことをしちゃだめ。」
「みんな、私の着ているものを見て笑ったわ。でもそれが私の成功の鍵。みんなと同じ格好をしなかったからよ」
「私は流行を作っているのではない。スタイルをつくっているのよ。」
「私の生き方そのものがモード(ファッションの流行)」
と語り、常に自分のスタイルを探求し続けました。
そして、創作過程は極めて独創的です。デッサン画を書かず、モデルを前に、首から下げている鋏で彫刻の様にカットし、ダーツを取り、何度も20回30回と検討を繰り返し、飲まず食わず立ちっぱなしで何時間も立体裁断をしてたそうです。でも、あるモデルは、「…私たちの肌と布がひとつになるような感じがしたわ。」と、身体を提供するのが楽しみだったと言っています。
 「私の後にクチュール、オートクチュールは存在しないでしょう。」と語り、シャネルは、生涯、プレタポルテ(高級既製服)を作りませんでした。1960年代中ころから、署名なデザイナーも既製服の部門を展開しますが、その流れに乗ることはなく、最後のクチュリエとして、信念を貫き通したのです。

≪優しさと受容性の#2≫
「女性たちの身体を自由にしてあげたわ。」というシャネルの言葉からは、広い愛が感じられます。成功を収めてからは、親戚や、芸術家、親しい女性など、沢山の支援をしていました。また、恋に落ちると、甘えて尽くす面もあったと思います。愛人の為に、豪華な別荘まで建てています。晩年はモデルたちに囲まれ慕われていました。

≪バランスの#2≫
 シャネルには人を惹きつける神秘的な魅力がありました。それは、男性性の#1と女性性の#2、強さと、優しさ、この相反する面をバランスよく持ち合わせていたからだと思います。


【Destiny】運命数 8 使命、目的、仕事、ライフワーク

≪情熱と野心があり、統率力・リーダーシップ・管理力が優れ組織の中のトップの#8≫
27歳で帽子店を始め、3年後に2軒目、4年後に3軒目の店舗を開店。5年目に60人だった従業員は、次の年、300人を超え、経済的に自立した女性実業家となりました。
≪実行力と信頼の♯8≫
何度か恋人の死別、別れを経験しながらも、持ち前のバイタリティーで、仕事にエネルギーを注ぎ、地道に、常に達成に向かう努力を続けています。
≪社交的で駆け引き上手な#8≫
18歳で修道院を出たシャネルは、ムーランでお針子として働く中で、客であった、地位のある人との交際を始め、成功への階段を昇り始めます。


【Soul】ソウル数 40-4 ~魂の求める欲求・深層心理~

≪規律・堅実の#4≫
シャネルは、「まるで尼さんみたいだ。」と言われるほど、たとえ、裕福になっても、規律正しい生活を送っていました。孤児院で育った経験が活かされています。

≪真面目で勤勉の#4≫
若いころは、愛人として、男性に経済的に支えてもらったとしても、必ず借りは返すと、男性と対等な関係性を築こうとしていました。

≪正義感の#4≫
「どうして女はコルセットで締めつけ、窮屈な服装に耐えなければならないのか」と、その思いを制作意欲のエネルギーに変えていました。

≪持久力の#4≫
「休養を取ることほど、私を疲れさせるものはない。」と自身も語っているほど、ワーカホリック。
14年間のブランクを経てカムバックして酷評された時は、
「続けたいの。仕事を続けて、勝ちたいのよ。」と、語り、その後も、自分のスタイルを信じ、提案し続けています。


【パーソナルナンバー】人格数 13-4  他者から映る自分

≪「修練」創造と破壊を繰り返す#13 継続と信頼の#4≫
 シャネルは、何度も死別や離別を経験しますが、その度に新たな友人や恋人との出会いによって、人脈を広げ、基盤を創りました。鋭いまなざしから、真の強さを感じさせ、人々から、信頼されやすかったと思います。

≪ヒーラーの#13≫
 優れた直観力で一人ひとりの個性を見抜き、その女性の魅力を最大限に引き出す服を見事に作り続けていました。まさに、「ヒーラー」とも言えるクチュリエです。




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【Realization】実現数 10-1 今回の人生での可能性や実現性

≪独創性・創造性を表現する先駆者・人を先導するリーダーの#1≫
 素早い決断力があり行動的でした。

≪再誕生のカルミックナンバー#10≫
前世でやり残したカルマや、目的を今世で果たすためのナンバーで、人道的な目的や、人に癒しを与える方向へ向かいます。
シャネルは、上流階級の女性を見て、窮屈なコルセットや、パット、階段を下りるのも困難なスカートを膨らませる下着、過度に装飾された重い帽子に違和感を感じていました。当時斬新だった、ウエストを締め付けない活動的な衣服、女性を解放し、新しい生き方、生活スタイルへと導きました。


【Stage数】…活躍する舞台 #12-3
≪楽しみ、創造力を発揮する#3≫
「私がやってきたことは、みんな子供のような無邪気さで やったことなの。」
「私は好きなことしかしない。私は自分の人生を、自分が好きなことだけで切り開いてきたの」
「私の頭を切ってみてごらんなさい。中は13歳よ。」(70代の頃お茶目に言った言葉)
「そのモードを作り上げて、私は夜、外出するようになった。いや、夜、出て歩く様になったからこそ、夜用のモードを作ったのだ」
まずは自分の為に、自分が身に付けたい服を作っていたシャネル。夜のパーティーや、乗馬、海水浴、いつも自分が日々の生活を楽しむために、楽しんで制作していたのだと思います。
≪コラボレーションナンバー#12≫
 パターンの全てを打破し、今世で今までになかったものを表現できる場が活躍の舞台です。
 シャネルは、様々な出会いの中で、香水・舞台衣装・映画衣装・宝飾加工など、沢山のコラボレーションをし、大成功を収め、その名を世界に広めました。


【Challenge数】~課題~ #22-#4
≪卓越した才能を活かし、理想を掲げ、目の前のことを着実に実現し、偉業を成し遂げる#22≫
創始、開拓、指導、権威者。天と地の懸け橋となるような社会貢献をしていくことが課題です。
 偉業を成し遂げるには、理想を現実化していく#11も#2をバースナンバーに持ち、#8の統率力、#4で地道に創り上げて行く、完璧なナンバーを持っています。
 大きな課題は、#2×#2、「全てを受容するような博愛精神」と「バランス」。
 数々の恋愛をしながらも、急速に拡大していく仕事とのバランスを取ることが課題だったと思います。そして、離別や死別の悲しみを受容し、仕事にエネルギーを注いでいく。この経験を何度も繰り返し、愛で受け入れること、これも試練でした。

≪憎しみの受容≫
「私の人生の出発点は、本当に幸いだった。」と、シャネルは、父に捨てられ、孤児院で育った辛い過去も受け入れ、感謝しています。また、
「神様がわたしにくださったいちばん素晴らしい才能は、愛の共通の感情のひとつである、嫉妬心というものを知らずに放っておいて下さったことかしら。」と、恋人の裏切りとも思える行為も受け入れ、乗り越えて仕事に邁進していきました。

≪悲しみの受容≫
「死んだ人を思ってあげれば、その人は、死人ではなくなる。」
「何ひとつ死にはしない。砂粒ひとつだって。だから、何ひとつ失われるわけではないの。私、こういう考え方が好き。」悲しい出来事を受け入れる勇気を与えてくれる一言です。

≪忘恩の受容≫
「真の寛大さとは、忘恩をも受け入れること。」
「食べるために働いているんじゃないわ。」「お金は使うために稼ぐもの。」と、財力は次のコレクションや、芸術家・親戚への支援に惜しみなく使いました。
潔く、見返りを求めない広い心で芸術家たちに接し、次第にその名を世界に広めていきました。

 シャネルは、「人生がわかるのは、逆境の時よ。」と語っています。
こうした辛い経験を受け入れ、乗り越えたからこそ、その数だけ、偉業を成し遂げることができたのだと教えてくれます。


【Nature 数】~素の性質~ #7

独創性・探求心・精神への目覚めと、内省の#7。
修道院で育ち、精神性や、神秘的なものに目覚めました。そこで得た感性を生涯、追求していきます。修道院での日曜日や、スイスでの亡命時期は、主に散歩をして過ごしたというシャネル。「私は、誰よりも仕事をしている」と言っていたシャネルですが、忙しい時期も、大地と一体となる感覚を重視していたのだろうと思います。大地の色として、部屋にはベージュのジュータンを敷いて愛用していました。「わたしはベージュの中に逃げるの。自然の色だから。」と語っています。自然を愛し、内省の時間を大切にしていたからこそ、直観力や、洞察力も高かったのではないでしょうか。制作においては、自然の色を重視していました。




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人生の流れ
【サイクル・ピナクル・チャレンジ数】
シャネルの人生を3~4期に分け、サイクルナンバー(環境や大きな流れ、向き合うテーマ)、ピナクルナンバー(どんな状況の時期か)、チャレンジナンバー(その時の課題や試練)をリーディングします。

①0歳~34歳
《サイクルナンバー8 》~環境や大きな流れ、向き合うテーマ~
バイタリティーを持って地道な努力を続け成功を目指し、富や名声を得ることを経験する#8。
33歳までに、従業員300人を超える、経済的に自立した女性実業家となりました。
《ピナクルナンバー9 》…どんな状況の時期か
様々な経験により智慧を取得し、その智慧を人に伝え、導く力を発揮。自分の中の崇高な信条を発見を、人も自分も許し、全てを受け入れる真の強さを得る#9。裏切りや、傷心も意味するナンバーです。
シャネルの言葉「わたしはずいぶん泣いたわ。」
 母を亡くし、父からは見捨てられ、孤児院、修道院で育ったシャネル。修道院寄宿学校では、中流階級との差別に辛い思いをしながらも、めげず、嫉まず、恨むまず、羨まない強い精神力を身に付け、裁縫の技術や、上流階級に人と対等に話せる最低限の教育(全ての人が教育を受けられるわけではない時代だった)、沢山のインスピレーション、規律正しい生活習慣を得ました。34歳までには、お針子たちを教育し、600人の従業員を抱える女性実業家となります。
《チャレンジナンバー7 》
 多くの経験から本来の自分を内省し、精神性へ目覚めること、探求することが課題。
シャネルは、修道院での生活で精神性に目覚め、自分のスタイルをひたむきに探求しました。もし、その経験がなかったら、上流階級の華美な装飾に、違和感を意義を感じることもなかったと思います。

② 35歳 第一次世界大戦終戦後~52歳 第二次世界大戦勃発前まで
《サイクルナンバー10-1 》~環境や大きな流れ、向き合うテーマ~
霊性と直観力でオリジナリティを発揮。地道な努力を重ねて成功への道を歩む#10-1
戦争や、死別、離別、様々なことを経験しながらも、仕事にエネルギーを注ぎ、自分のオリジナリティを提案し続けた時期です。時代を経ても古さを感じさせない、シャネルブランドの代表作を次々と生み出した時期。「N°5」「リトルブラックドレス」「シャネル・スーツ」「マトラッセ」「シャネル・レングス」「コスチュームジュエリー」など発表しています。
《ピナクルナンバー3 》~どんな状況の時期か~
表現力、感性、直観力を惜しみなく発揮し、友好を育み、発展する#3。
第一次世界大戦終戦後(35歳)、第二次世界大戦勃発(52歳)までの、束の間の平和と、開放感のあった時代、溢れる感性を具現化し、代表作を次々と生み出した時期です。芸術家たちとの交流を楽しみ、彼らの活動を支え、恋愛でも、仕事でもコラボして楽しんだ、華の時期でもあると言えます。

②前半 35歳~43歳
《チャレンジナンバー1》~与えられた試練や今回の人生での課題 
自分の創造性を発揮し、リーダーシップを発揮、新しい分野を創設してていくことが課題。
終戦後、シャネルは、女性の社会進出の流れをいち早く察知し、スカートの丈を短するスタイルや、黒の採用など、実用的で、斬新な独創的なスタイルを創り上げ、また、新たに香水業界にも参入し、香り・容器ともに斬新で、独創性を発揮していきました。

②後半 44歳~87歳
《チャレンジナンバー6 》~与えられた試練や今回の人生での課題 
真・善・美、無条件の愛、深い思いやり、陰陽の統合・男女融合、調和の#6
シャネルは、異なる素材・色を融合させて斬新な作品を発表していきました。
また、#6は、出会いと別れのナンバー。
パートナーとの死別などの問題から、内面の強さを養うでもあり、悲しみを仕事のエネルギーに変えて、シャネルブランドを成長させます。

③53歳~87歳 
《サイクルナンバー20-2》~環境や大きな流れ、向き合うテーマ~
急速な変化の中、変化を受容し、人間関係や、協調性を学ぶ#2
バースナンバーに20-2を持つシャネル、よりドラマティックに展開します。
第二次世界大戦を機に、一部店舗を除いて全て閉店、一度引退します。ドイツ人との関係を持っていたため、「対独協力者」として非難されスイスで亡命生活を送ります。その間、ヴェルタイマーとの間で香水販売権を巡って争ったり、ファッション界に復帰した際には逆に、宿敵ヴェルタイマーから支援を受け世界のシャネル・ブランドへと成長させました。それは、急速な変化の中、変化を受け入れ、人間関係を築き上げていったからだと思います。
 また、この時期のチャレンジナンバーは無条件の愛、深い思いやりのナンバー6です。人脈を利用し、拘束された甥や友人を助ける活動をしています。受け入れる愛、与える愛、見返りを求めない深い思いやりで行動することが、この時期の課題でした。

《ピナクルナンバー1 》~どんな状況の時期か~
直観力でオリジナリティを発揮。地道な努力を重ねて成功への道を歩む時期。
一度引退してからは、友人との死別が続く、孤独な60代でした。70歳でファッション界に戻ると、「メゾン・シャネルを再開したとたん、健康が戻ったの」と言っています。オリジナリティを発揮できる場にいることが、活力の秘訣のようです。亡くなる前日まで、コレクションの準備をしていました。



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Vol .2
「シャネル個人年表」へ続く

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Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th Class
Nao Izumi
by kej000 | 2016-12-12 15:15 | 数秘レポート

沢穂希*その強さの源を紐解く

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澤 穂希
SAWA HOMARE

1978年9月6日生まれ
なでしこジャパン元代表選手(2015年現役引退)



1986年 小学校2年生で地元府ロクサッカークラブ入団
1991年 中学入学現日テレベレーザ入団
1993年 15歳代表選出デビュー戦4得点
1999年 大学を中退し渡米
2000年 アメリカクラブチームでプロ契約
2003年 アメリカ女子プロリーグ休止の為、帰国
2004年 日テレベレーザプロ契約選手で復帰 なでしこジャパンの誕生
2006年 2008年 なでしこリーグMVP
2009年 ワシントン・フリーダムへ移籍
2011年 INAC神戸移籍 ワールドカップ・ドイツ大会優勝
2012年 バロンドール賞受賞 良性発作性頭位めまい症を発症 ロンドンオリンピック銀メダル
2014年 アジアカップ初優勝
2015年 ワールドカップ・カナダ大会準優勝 W杯6大会連続出場
2015年12月27日 皇后杯 全日本女子サッカー選手権大会、決勝戦決勝ゴールを決め引退



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華々しい功績ばかり並ぶ澤穂希さん。
2011年ワールドカップ・ドイツ大会優勝
1度も勝てなかったアメリカ相手にPK戦の末勝利した。日本サッカー史上初のWカップ優勝へ導いた。
世界1を勝ち取ることを目標に、長い年月かけて地道に走り続けた。目標に向かい、あきらめずに日々努力する凄さ。挑戦し続ける強い意思はどこからくるのか?彼女の強さの源について紐解いてみたい。



【誕生数】~生まれ持った資質・才能・運命~

『22-4』【創造-安定】
鋭い感受性を持ち、それを形にする創造性豊かなナンバーです。
マスタービルダーと呼ばれ、社会が求めるものを感受し、広い視野と実行力をもって、天と地の架け橋となるような社会貢献をするとされているナンバーです。
利己主義にならず、世の中のためにエネルギーを広く循環していくことで、卓越した才能が開花し、高き理想をも現実化する力を持ちます。そのためには2+2足して4の物事の基礎を真面目に取り組み、土台を築き、2のダブルの力、強い感受性で人々を受容していくこと。自己の目的を公的なものへと定め、目の前のことから着実に仕上げていくことといわれています。

澤さんは、小学校2年生の時、地元サッカークラブの入団を断られましたが、お母さんが何度もお願いし入団することができました。澤さんのサッカー人生はそこから始まります。大きな大会では、女子の参加が許可されず、出場出来ずに悔しい思いをしたこともあるそうです。澤さんは何度も何度も基礎を繰り返し、基礎を磨き上げることに時間を費やし、それが今のサッカーの土台となっているといっています。
そんな澤さんでしたが、一度だけサッカーの道が閉ざされそうになったことがあります。
所属チームでの契約更新がない20歳の頃、必死の思いで渡米を決意します。ここからが本当の挑戦となります。
澤さんは15歳の頃、両親が離婚されています。それからは母子家庭生活の中、高い学費を払って入学した大学中退をし、渡米を決断。体格、パワーでなかなか敵わない海外での挑戦で幾度も幾度もチャレンジしました。覚悟を決めた渡米の中、弱音を言わず、吐くことも許されず、自らを鼓舞し努力したのだと思います。

やがて努力と忍耐力で自分なりに見出した答えを実践し、海外でも認められるようになりました。そして日本人がアメリカでプロ選手としてプレーする、最初の道を拓きました。海外での経験で揉まれながら気付いたことは、パワー、体格で適わなくとも、優れた技術力、ボールが来た時の瞬間的な判断の早さだと言います。澤さんのこの経験が日本女子サッカーに光をもたらします。世界1の目標が澤さんだけが抱く目標ではなく、日本女子サッカーへの目標に変化していきました。後に続く後輩の道を切り開き、海外で挑戦する女子選手が増えてレベルアップしていきました。高き理想を掲げ、幾年も掛けて努力し走り続け、日本のサッカー界のために、人々に希望を与えるために邁進し、その結果得た偉業。日本国民のどれだけの人が世界一を信じていたでしょうか?しかし高く目標を定め、自らが努力し続けること、そして信じることでチームをまとめ上げ、世界一の栄冠を手に入れました。高き理想が現実化することを彼女は教えてくれています。澤さんの魅せ続けた背中は、とても大きかった。それは決して簡単な成功ばかりではなく、厳しく険しい茨の道だったからこそ大きく強く感じられたのだと思います。



【運命数】~人生における目的・使命~

『5』【変化】
好奇心旺盛で革新的な人。常に変化を求め、興味のあることに次々チャレンジします。
未知の世界の解明と、それを広く人々に新しい知識を与え、教え導くことが使命とされています。
システムを学び、その中で多岐に渡る才能を身につけていくこと。深く経験し、単なる欲望、知識とせず、智慧に変えていくことです。
集中力を養い、じっくりと経験を積むことで内面の自由を見つけることとなるとされています。



【ソウル数】~魂の求める欲求・深層心理~

『14-5』【自由-変化】
14カルミックナンバーで「真の自由を学ぶ」ナンバーとされています。
家族との協調、家や職の余儀ない変化などによって、真の建設的な自由とは何かを学ぶ。
柔軟に形式に捉われることなく自由に人生を切り開くこと。

澤さんは、20歳の時、アメリカのクラブチームへ移籍しています。大学を中退し、渡米を決断しました。
誕生数の4【安定】と運命数の5【変化】の間で葛藤し、安定に執着せず、新しい土地での新たな経験に挑戦しました。文化や言葉、食生活などの不安を抱えての決断。米国での生活は言葉がまったく通じず、ホームシックにかかり何度も日本へ帰りたいと思ったそうです。実力もなかなか認められず、パスも回ってこなかった。体格やパワーの差も縮まらず悩みもがいた日々、その中で見つけた答えは「自分のプレーを貫き通す」こと。その結果チームの中心選手となっていった。この米国での経験が彼女を大きく成長させました。

自分の力がどこまで通用するのか未知数の中、単身海外へ飛び出し、多くの経験をして才能を得ていきました。
得た才能を、強豪チーム相手に発揮し、日本女子サッカーの可能性を見出して行った。
澤さんは30歳の時、2度目の渡米をしています。この時も決断には多くの時間を要し、生活は充実し、安定した環境を捨て、成功するかわからない米国での再挑戦。安定とリスクを天秤にかけていて決断ができなかったと述べています。勇気ある決断をし、変化、成長を望み更なる高みを目指して、米国での経験を積み上げていきました。帰国してからは、強い外国チームにどのようにしたら、日本が勝利することが出来るのか、組織力の強さ、細かい足技、パス回し。自らがプレーすることで選手に伝えてくれていました。

様々な決断には、母の力、存在が大きく彼女を支えてくれていました。
~「チャンスの波に乗りなさい」~この言葉はお母さんが澤さんに伝えていたことです。
チャンスは必ず誰にでも訪れ、そのチャンスの波に乗るかどうかで人生が大きく変わる。だからこそ、チャンスの波が来たら、あれこれ悩むよりも、逃がさずに乗ることが大事。この言葉には、そんなメッセージが込められています。
「母からこの言葉を言われていたからこそ、チャンスだと思ったときは、迷わずに思い切り行動にでられました。未だにこの言葉は胸の中にいつもあります。だから可能性がある限り、絶対にチャレンジするって決めてるんです。やらないより、やって後悔したほうがいいですから」とインタビューでも述べています。

いつでも不安や恐怖を打ち消すために意識している言葉なのだと思います。真の自由を学ぶため、変化に立ち向かい、内面の自由とは何なのか、制限をかけずに内面が開放されることを、経験を積み重ねることで見つけて行きます。自分の思いを断ち切り、現状から飛び出して未知の世界へのチャレンジ!この精神を培うこと、経験を持って力に変えて行きました。



【実現数】~人生での可能性・実現性~

『9』【完結】
深い慈悲と寛容さ。愛と理解力を持って穏やかに人類愛を実践することです。
不要なものを手放し、自分も人も許すことで全てを受け入れる真の強さを得ます。
混沌の中、自分だけでなく、自分の背中を追い続ける後輩、未来を担う子どもたち、世の中の人々に影響を与え、教え導くことです。



【人格数】~外なる自分・他者から映る自分~

『9』
オープンで寛大。人の気持ちを理解し、多くのことを共感している印象を与えます。
物腰が柔らかく冷静。柔軟性があり幅広い人々と交流の出来る人

『苦しくなったら、私の背中を見て』
多くを語らず、この言葉に掛けた思い。チームを信じ、自分を信じて自らが原動力となり、前を向き走り続けた。その背中を見て、チームは追いかけ、共に走り続けました。澤選手の存在がチームに活力を与え、観ている人々に勇気を与えてくれました。
澤選手はベンチスタートの多い時期でも、チームメンバーを支え続け、貢献する姿。ピッチに入った時、他選手に与える安心感。そこからの軌道修正力は観衆の期待を大きくしました。
澤選手の姿は、多くの選手、これからプロを目指す子どもたちに大きな影響を与え、目標を創り出してくれる大きな存在となりました。

今では陽気に優しく笑う澤さんですが、渡米前はシャイで人見知りだったようです。
米国生活で英会話も上達し、曖昧な表現の通用しない米国、はっきりした意見や態度を求められる風土に馴染み、変化していったようです。
交流関係も広く、サッカー界だけでなく幅広い分野の方との交流も多いようです。
友達関係では、男女問わず、悩みを相談されることが多く、他人と喧嘩になったこともないそうです。


【Stage数】~活躍する舞台~

『6』【調和】
真・善・美、調和、愛のナンバー。
完璧主義にならず、あるがままを受け入れ、まずは自分を愛し、人々を愛すること。
愛と思いやりを持って人々へ奉仕する。平和と美を愛し社会貢献をしていくことです。


【Challenge数】~チャレンジする課題~

『5』
現状に留まることなく、変化を恐れず多くのことを経験して、人々に伝えること。
柔軟性と機敏さで進み、自分の枠組みを外して、新しい世界への冒険をしていくこと。
経験を積み重ね、広く啓蒙していくことがミッションです。

運命数・ソウル数に持つナンバーでもあります。
現状の自分に満足することなく、自分の抱く恐怖や不安に打ち勝ち新しいことを経験してきています。
今ある充実した生活、安定を断ち、変化を受け入れ挑戦した後は、いつでも成長した澤選手でピッチに立ち続けてくれていました。
“変化することが不安なのは、いつだって決める前だけだということ”と述べています。


【Nature数】~素質~

『11-2』【霊性】
 鋭い直観力と洞察力を持ち、豊かな感受性で人々を受け入れます。バイタリティーもありリーダーシップを発揮します。


【Action数】~行動パターン~

『1』【絶対】
素早い決断力があり行動的。独創性があり創造性を表現する先駆者となります。人を先導するリーダー



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***Cycle・Pinnacle・Challenge Number***


0~32歳
【Cycle Number】~環境や大きな流れ、向き合うテーマ~
『9』
様々な体験を通して人を受容し、不必要なものを手放し、本物を見抜くことがテーマ
直観力が鋭く、人の本音、状況を見抜き、社会貢献や奉仕活動に携わる経験が多くなる時期です。
混沌とし大きな揺れ動きのある年代でもあります。多くを経験することで自己を成長させ、他者理解を深める時です。

【Pinnacle Number】~その時の状況やあり方~
『15-6』
家族の問題から内面の強さを養う時期
家族や近しい人から多くの影響を受ける時期。周りの人からの期待に応えること、人に感謝されることで喜びを感じる。人への奉仕、愛を注ぐことを多く経験するでしょう。他者への愛、自己への愛、愛し愛されることの大切さを実感し学ぶ時期です。

【Challenge Number】~挑戦する課題や遭遇するトラブル~
『3』
自分を表現することが課題となる時期。
創造性、感性を自分らしく表現することがチャレンジとなります。


《Year Cycle 2》7歳の時、兄の影響で地域のサッカーチームに入団。
《Year Cycle 5》10歳 いじめに遭う。
《Year Cycle 9》14歳 日テレベレーザ入団
《Year Cycle 10》15歳 両親の離婚 サッカー日本代表
《Year Cycle 3》17歳 アトランタオリンピック代表入り
《Year Cycle 7》20歳 大学中退 渡米 アメリカクラブチーム入団
《Year Cycle 11》25歳 大怪我の中、アテネオリンピック予選活躍、オリンピック出場を得る
《Year Cycle 12》26歳 大活躍、アジアMVP、チーム優勝
《Year Cycle 7》30歳 二度目の渡米
《Year Cycle 9》32歳 INAC神戸移籍 ワールドカップ初優勝・大会MVP 国民栄誉賞


大きな愛を持って、人々を受容し、表現していくことがテーマの時期
出会いと別れを多く経験し、家族、友人、世界との繋がりを経験し、視野を広げて、大きな愛を学んだ時期だと思います。《Year Cycle 11》25歳の時、オリンピック最終予選では大怪我をして、戦線離脱をしていました。
チームメイトに、「なにもできなくていい、ピッチに立ってるだけでいいから」と懇願され、痛み止めを打ち痛みを堪えての出場。見事五輪の切符を手に入れました。チームメイトの愛、それに応える大きな愛を持って勝利した。その後は多くの仲間、スタッフの支えで厳しいリハビリを乗り越えて、オリンピックの舞台で活躍をした。
20歳、30歳共に《Year Cycle 7》の時渡米、世界を経験し、視野を大きく広げ彼女は飛躍していきました。これらの活躍で、澤選手は日本のレジェンドと称され、人々に大きな喜びと希望を与えてくれました。


===================================
 33~50歳
【Cycle Number】
『6』【調和】
 調和すること。人のために役に立つこと、世の中のために自分が出来る事を考える。奉仕や育成の時期です。
 人との関わりが多くなる時期でもあります。近しい人へ愛を注ぎ、社会貢献し、責任も学び奉仕の精神を培います。
【Pinnacle Number】
 33~41歳 『13-4』【修練-安定】
『4』安定、基盤づくりの時期。安定を手に入れる時期
『13』修練、創造と破壊を繰り返し、常に学びを喚起させられる時期。本質に目覚める時でもあります。

【Challenge Number】
 33~41歳 『1』
 リーダーシップ、自立について学びが課題となる時期。

《Year Cycle 10》33歳 FIFAバロンドール賞受賞 ロンドン五輪銀メダル 
病気(良性発作性頭位めまい症) 
《Year Cycle 12》35歳 代表落選
《Year Cycle 13》36歳 カナダワールドカップ銀メダル 結婚
《Year Cycle 5》37歳 サッカー引退新たな道へ・・・


本質に目覚め、人々のために奉仕し、調和して行くこと。リーダーシップを学ぶことがテーマとなります。
病気や代表落選などの経験で新たな発見、挑戦を見出し見事代表復帰しました。家族、安定を求める時期に結婚をしています。新しい命が授かったとのうれしいニュースも届きました。どんなお母さんになるのか楽しみです。
調和しながら内面の成長を目指し、愛と責任を養うこと。仕事、健康、家族の現実的な学びに向き合い理解、創造、表現していきます。現在37歳これからどのような人生を創造していかれるのか、日本の女子サッカーが、再び世界一の栄冠を手に入れる時、澤さんが指導していることを期待しています。




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============================
最後に・・・
澤穂希さんは、絶対的信頼でチームを牽引していた。欲しい時、欲しい場所に彼女はいてプレーしていた。
チームが一番苦しい時に力を注ぐ、一瞬のチャンスを逃さず点を取る。華麗で力強い選手でした。
プレーしているときの力強く、美しい姿がとても印象的でした。
このリーディングで、現状に背を向けず、どれだけの努力が実を結び、人々を魅了するのか、変化を恐れ、現状に甘んじると、本当に見るべき世界から遠ざかり、出会うべき世界、人を失うのではないかと思えてきた。
自分の弱さも認め、日々高めること、大きく成長する可能性を下げず、変化を楽しく、そして厳しく向き合い経験をしていくことがこれからの人生を送る鍵かもしれません。
一歩踏み出す勇気、本当の自分に向き合う勇気をもらえたような気がします。
ありがとうございました。


Reported by
AEONS Numerology Basic the 10th Class
Yoko @ Yokohama class
by kej000 | 2016-08-14 23:45 | 数秘レポート

俳優界を引っ張って行く若きリーダー*小栗旬

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小栗旬

本名  小栗旬  Shun Oguri

1982年12月26日生まれ



俳優界を引っ張っていく若きリ-ダ-

☆誕生数 4-13 <生まれ持った特質 本来の姿>
人生や生活のしっかりした基盤や安定を作るため コツコツと努力して足元を固めていくnumber そのこつこつと積み上げていく姿に周りの人々からの大きな信頼を得てその在り方自体がリ-ダ-になっていく人

また13は破壊と再生を繰り返すnumberでもある。
崩しては立て直し、その度に真面目に向き合いまた足元を固める努力を継続してける人でもある。
☆運命数  6 <この世における使命や目的>

6は愛と調和 チームワークの数字
また美の数字でもあり芸術的センスに優れた数字である。
世のため人のために尽くす仕事や 芸術的センスを生かし俳優 女優 歌手と自分のセンスを発信することにも長けている。

彼は俳優としての仕事を通して人との信頼関係 人との愛 一つの作品をつくるまでの責任 チームワークを学び続けています。出演した作品でのたくさんの人との出会いが彼の人生に大きな影響を与えています。
☆ ソウル数 3-21  <価値観や内なる動機 行動の基準となるもの>
  
  3は表現豊かで外交的なnumber
クリエイティブなナンバ-でもあり芸術 芸能 演劇にも向いている。
  自分の表現が人に光を与えます。
  彼の場合 人との出会いが今の仕事につながりました。
  子供の頃は人見知りでいじめや孤独を味わいましたが3の持つ社交性が人との出会いによって開花し 人が好き 仲間が好き 楽しいことが好きと気づくことができました。



☆人格数  3 <他者の目に映る印象や雰囲気>
 
 3は人を楽しませ自分も楽しむ その循環で空気を和ませる力を持っているNumber
彼も仕事仲間にサプライズプレゼントをして喜ばせたり 友達やお世話になった人に突然呼ばれても少しの時間でも必ず会いに行くというポリシー持っているそうです。
自分が行動することで人の喜ぶ顔が見られてまたそれを自分のエネルギ-にしているのです。

☆実現数 1-10  人生での可能性や実現性

リ-ダ-気質 開拓を表すnumber 1
開拓精神を持ち常に新しいステップを上るため 自ら先頭に立ち新たな可能性を切り開いていく人

彼の場合 事務所などの組織を超えてもっと才能のある俳優を上へ押し出そうと立ち上がり、また俳優の労働条件の向上を目指し組合を作ろうと組合を作ろうと動いています。
借金までして自らけいこ場を建て提供していrとのことです。まさに新たな場所を開拓しています。
☆ステ-ジ数  5  <活躍の舞台>
芝居 芸能も彼のステ-ジです。俳優以外に、声の良さにも注目され、ナレ-ション アニメの声優など活躍の舞台はどんどん広がっています。映画監督にも挑戦し最年少監督として新たなステップを踏みました。

☆チャレンジ数  1-10   <試練数 試される数字>
1は開拓と勝負の数 開拓者精神で常に突き進み挑み続ける数字 一人でもやりたいと思ったら行動できる力を持ち合わせている。
彼の場合、演劇に真剣に取り組むことを決めた時から自分が先頭に立ち演劇界を常に盛り上げています。

☆Nature数 6      <素の自分 自然体の自分>
6は調和を大切にし 家族、仲間など周りの人々に献身的に愛を注ぎます。
チ-ムワ-クを重んじ愛情を思いやりを持って行動します。
世のため、人のためとやりすぎてしまうと自分が苦しくなるので人との境界線がテ-マになっています。
☆Action数    4   <行動するときの自分>
4は仕事人生において安定、確固たる足場を作り上げるNumber.
足場を作るために真面目にコツコツと物事に取り組み、それが苦にならず、いずれ大きな実績を作り上げます。
 
彼の場合 稽古が終わっても自分の演技力を磨くため、彼が師と仰ぐ吉田鋼太郎さんの家に「どうしても稽古してくれないか?」と個人的に毎晩勉強しに行っていたそうです。すこし強引ですがその芝居に対する熱意や姿勢に吉田さんも心底感動したそうです。

  
☆ Cycle Number 8  33才から50才 <メジャ-サイクル>
組織のリ-ダ-になるNumber 契約の数字でもあります。
ますます大きな俳優になるためパワフルな仕事人間になるでしょう。
☆Pinnacle Number 1  33歳から41歳 <人生の山場 どんな状況の時期か?>
1は開拓精神を持ちいらないものを分別し、明確な目標を立て新しいステップへ行動してい時期です。
☆Challenge Number 6 33才から41才    
6は家族の問題から内面の強さを養う数字です。結婚、離婚、出産、死別などあらゆる家族のテーマから、それを経験してどう自分を整えていくのか?が課題になります。
小栗旬さんもご結婚されお子様が生まれて父親になり家族を持つ責任、父親になった覚悟を試される時期に入ります。また6は家族との境界線も課題になります。家族と仕事のバランスをどうとっていくかが、今後のテ-マになっていくでしょう。





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History

東京都出身 父は舞台監督 無類の漫画好き 
小6の時新聞の載っていたオーディションに応募 その後エキストラとして活躍

・13才    (Year Number 8)
・ドラマ 「木曜の怪談」に初出演
12才 小6の頃 オ-ディションに合格 
Year Number7で演劇の世界に目覚め探究し次年の8で現実へと近づいています。

・18才  (Year Number13)
ドラマ 「summer snow」の耳の不自由な少年の役で、注目を浴びる。
13は破壊と再生の数字 
13歳のドラマ初出演以来、周りの人の芝居に対する熱意や現場の雰囲気に圧倒され、
自分を見失う時期もありました。しかしいろんな職場や人に触れやっぱり自分には芝居しかない芝居がしたいという気持ちがあふれはじめて、芝居に真剣に向き合おうと決心して臨んだドラマ このドラマによって自分をとり戻し、再生の一歩を踏み出します。

・19才     (Year Number 14)
舞台 「宇宙で一番速い時計」で初舞台決定
14はしっかりとした支柱を意味します。芝居に真剣に向き合うと決心し支柱ができあがりその翌年の自分の映画に出てくれる仲間 自分と映画を作ってくれる人材を自ら集めます。
14に新しいチャレンジをして敢えて変化を求め新しい風を作ります。
監督業としてまた違った角度で俳優という仕事を見つめその後の自分俳優人生の糧となり
ます。
・21才    (Year Number 7)
 蜷川幸雄 「ハムレット」舞台に初抜擢
  7はステ-ジアップ、探究の数字、この年に蜷川さんの舞台に初出演。この蜷川さんとの出会いで芝居とは何か?演じるとは何か?という探究心 役を研究することを学びます。

・23才  (Year Number 9)
 ・ドラマ 「花より団子」ドラマでの出世作
  9は完成の数字。いままでの舞台経験で学んだことを糧にドラマの世界にも力を発揮し才能を開花させていきます。

・27才  (Year Number 13)
 ・テレビ「A-Studio」で笑福亭鶴瓶との出会い 
  13は破壊と再生と共に違った角度から物事を考えられる数字。鶴瓶さんとの出会いで、彼は誰とでも心の壁なく話す鶴瓶さんを見て衝撃を受け、今までの人見知りは損なことだと学んだといいます。それから人と話すことの喜び、楽しさを学び気づいていきます。

・28才     (Year Number 14)
 ・映画「シュアソ-サムデイ」で初監督 史上最年少の映画監督になる。
  自分の映画に出てくれる仲間、自分と映画を作ってくれる人材を自ら集めます。
  14の新しいチャレンジをしあえて変化を求め新しい風を作ります。
  監督業として、また違った角度で俳優という仕事を見つめその後に自分の俳優業の糧となります。
 
・30才     (Year Number 7)
 結婚 ドラマの出演がきっかけで山田優さんと結婚。7の年の結婚は信頼や絆を深めるのに最適の年。プライべ-トでも精神の充実を手にいれます。
32才     (Year Number 9)
・第一子誕生
お子さんの誕生により、の精神的なつながりがますます強くなります。
仕事でも初めての父親役がこの年に決まったり影響を受けています。




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《小栗旬をリーディングしてみて》

4の持つ真面目さ 1の持つリ-ダ-シップ 6の持つチームワ-ク、3の持つ明るさ
全てが俳優という世界で役立っていると思いました。
詳しく調べてみて彼のいろんな壁にぶつかり考えて悩んで、また変化して動き出す姿にみんなが魅了されていくのだと感じました。

《リーディングから学んだこと》
私は小栗さんの常に仲間をたたえて尊重する姿、いろんな壁にぶつかって悩んで考えて、また変化して動き出す行動力にいつも魅了されています。
詳しく調べてみて自分を同じ数字が多いことに驚きました。
それはきっと今までの自分の殻を打破し、行動する勇気を持つというメッセ-ジだと思います。
打破し行動するために私には何が必要か?考えた結果、まず自分を愛し、自分を信じることが必要だと気づきました。
簡単なことではないけどこれを忘れないように意識しながら過ごしていきます。


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reported by
AEONS Numerology Basic the 10th Class
Kan chan @ Kawagoe class
by kej000 | 2016-08-08 22:18 | 数秘レポート

いのちをむすぶ おむすびの祈り*佐藤初女 vol.2


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いのちをむすぶ おむすびの祈り
Omusubi, Connecting Lives
Sato Hatume


続き編です。
こちらを最初にご覧になっている方は、是非、Vol.1からお目通しくださいますと嬉しいです。



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<人生の年表>
History 主な出来事


1926年 5歳(#17-22)
教会から聞こえるアンジェラスの鐘の音に心惹かれる初女さん。
高い波動をこの頃から受けていたのでしょう。

1934年 13歳(#14-21)
父親の事業が失敗し青森市から函館へ転居。
14の数字の示す、家族との協調、家などの余儀のない変化を体験することによって、
真の建設的な自由とは何か?を学ぶサイクルにありました。

1938年 17歳(#15-16)
結核、カリエスを発症。
女学校を中退し青森へ戻る。このころ聖女テレジアの自伝『小さき花』に出会う。
サイクル15(デビル)16のときの出来事です。
数字の16は、真理の探求を意味する数字で、多くの体験や事態に遭遇し
何度も価値観を変え、心理とは何かを探求することになります。
また人生の途中から運命的な絆に吸い寄せられるように神秘的な方向性へ
向かうことも示唆します。
初女さんにとっては、結核を発症し、同じく結核に苦しみながらもその信仰を全うした聖女テレジアとの出会いがありました。のちに洗礼を受けた初女さんは洗礼名を「テレジア」とされました。

1939年 18歳(#15-17)
小学校教員となる。

1944年 23歳(#15-22)
校長だった佐藤又一氏と結婚。
26歳の年の差、子連れ(長男24歳、長女21歳、次男18歳)という条件に
両親は猛反対するが、娘の意志の固さに最後は折れて結婚。
それを機に夫とともに小学校を退職。
なんともドラマチックな選択をした初女さん。
ちょうど22の数字の年でした。
大きな視野の愛のもと、新しいステージに向かったことを意味しています。

1945年24歳(#15-23)
空襲で焼け野原となった青森市から弘前市へ転居。その後、生涯を弘前を拠点に活動します。

1947年26歳(#16-16)
妊娠。命の保証はないと何人もの医師から出産を反対される。
16の数字のサイクルの始まった年です。
愛や信頼の価値を修正し、真理とは何かの探求が始まりました。

1948年27歳(#16-17)
息子を出産。

1953年 32歳(#16-22)
女学校時代からの念願であったろうけつ染めを習い始める。
このろうけつ染めが、のちに自宅で教室を開くことにつながり、
弘前イスキア、森のイスキア活動へと発展します。
初女さんの活動の拠点は、この22の数字の年に始まったと言えます。

1954年33歳(#16-23)
弘前カトリック教会で受洗。
霊名はテレジア

1956年 35歳(#16-25)
結核が完治したと実感。17年にわたる闘病生活が終わる。
一方、長年、桜の研究に没頭していた夫の又一氏が
自ら作詞作曲した「弘前さくら音頭」の発表会に
退職金を使い果たし困窮。

1957年36歳(#17-17)
染色作品が青森の物産として選ばれ、全国の百貨店に出品。
また各地の会場に出向き実演や染色指導を行うようになる。
新しい17の数字のサイクルの始まりの年でした。

1962年 41歳(#17-22)
この頃より初女さんの人柄と美味しい手料理を慕って
自宅に人が集うようになる。自然に悩み相談をうけるようになる。
数字の22の年です。その後の初女さんの活動の礎となる活動がここから
始まっています。

1970年 49歳(#18-21)
敬愛するヴァレー神父の「奉仕のない人生は意味がない」というお説教を聞き
大きく心を揺さぶられる。本格的に奉仕の道へ進む決意をする。

1973年 52歳(#18-24)
夫又一氏が逝去。亡くなる一週間前に受洗。

1978年 57歳(#19-20)
弘前学院短大で非常勤講師となり染色を教える。
数字の19のサイクルに入っています。
家族や自分の殻から抜け出ようともがく数字です。
激動の変化をくぐりつつ、真の力のあり方を普遍の真理を学ぶことによって
自立し、本当の意味での自信と威厳を現実社会で確立していくことを学ぶ時期と言えます。

1979年 58歳(#19-21)
主宰する弘前染色工房のために自宅の庭にろうけつ染の教室を増築。

1980年59歳(#19-22)
ヴァレー神父の急逝。

1983年62歳(#19-25)
長期滞在する人も増えたため自宅スペースを広げたいと願っていた初女さんの思いに様々な人が答えて、寄付により2階を増築。弘前イスキアと命名。地元の主婦たちがボランティアで活動を手伝うようになる。


1985年64歳(#19-27)
ヴァレー神父の意志を継ぎ、特別養護老人ホーム大清水ホーム後援会副会長、弘前カトリック教会信徒会副会長、日本共助組合連合会理事に就任。

1988年67歳(#2-3)
弘前イスキア開設5周年を迎え、感謝の記念ミサが開かれる。
5年間に訪れた人の数は400人を集い、自宅に長期間人を受け入れることに
限界を感じ、「自然の中にみんなが集い、安らげる場所を」と願う。

この前年の66歳から初女さんの人生は1桁の数字が始まります。
それまではずっと2桁の数字で続きでした。
自分の力ではなんともならない
状況の中で生き抜いてきました。
これからが初女さんの主体的な人生の幕開けです。

1989年 68歳(#2-4)
長年親交を深めてきた女性の両親から支援の申し出を受けて
岩木山山麓の土地購入。
日本善行会賞受賞。
数字の4が示す、安定、建設、基盤。
森のイスキアの基盤となる場所を確保した年となりました。

1992年 71歳(#2-7)
森のイスキア完成

数字7の年に完成しました。
飛躍の数字でもあり、深く一つのことを探求する数字でもあります。
弘前市内から車で1時間ほど行った、岩木山の麓に位置する
森のイスキア。世俗から離れて自然の中で内省する場所が完成したのです。

1993年 72歳(#2-8)
アメリカコネチカット州ベツヘレムにあるレジナ・ラウディス修道会から鐘が届く。
森のイスキアに鐘を響かせたいという夢が叶う。
ミキ女性大賞、ソロプチミスト女性ボランティア賞、弘前市シルバー卍賞受賞

1994年 73歳(#2-9)
ドキュメンタリー映画『地球交響曲第二番』への撮影開始。

数字の9の年に始まりました。
今までの初女さんの生き方を集大成する機会になりました。

1995年74歳(#2-10)
ドキュメンタリー映画『地球交響曲第二番』公開され、一躍脚光を浴びる。
東奥賞、国際ソロプチミストアメリカ連盟女性栄誉賞受賞

10の年の出来事でした。
それまで東北地方で知る人ぞ知る活動を地道に展開してきた初女さんですが
全国、世界に知られるひととなりました。


1997年76歳(#3-3)
宮城県青年の船に招待され、ロシア、韓国を巡る船上で公演する。
「おむすびの祈り」、「朝一番のおいしいにおい」が出版される。

3のサイクルがスタートした年です。
初女さんの持ち前のインスピレーションで導かれるまま
魂の喜ぶ旅が始まりました。
この後、全国各地、世界各地を飛び回りまわる生活が始まります。

1998年77歳(#3-4)
弘前イスキア、森のイスキアの命名の由来の地、イタリアイスキア島を訪問。

1999 78歳(#3-5)
バングラディッシュを訪問。
本2冊出版。

2000年79歳(#3-6)
鐘を贈ってくれたアメリカのレジナ・ラウディス修道会の院長が森のイスキア訪問。
本出版。
森のイスキアの裏の土地を確保したいという夢が、長年親交を深くしていた方の遺志により叶う。息子の芳信さんが「小さな森」と命名。

2001年80歳(#3-7)
アメリカ3箇所(ロサンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨーク)でおむすび講習会。

2002年81歳(#3-8)
息子芳信さん逝去。
森のイスキア10周年を記念して岩木山の巨石が設置される
本出版、NHK「こころの時代」に出演。


2003歳82歳。(#3-9)
「小さな森」をみんなが憩える場所にしたいという初女さんの思いを汲んだ支援者が
修景に着手。
本出版

2004年84歳(#3-11)
「小さな森」完成

2006年85歳(#3-12)
シンガポール訪問
テレビ東京「誰でもピカソ」出演
本出版

2007 86(#4-4)
本出版

2008年87歳(#4-5)
ハワイでおむすび講習会
本出版
数字4の周期が始まっています。

2009年88歳(#4-6)
ベルギーでおむすび講習会実施。
本出版

2010年89歳(#4-7)
知人より森のイスキアの近くの土地の提供を受け、念願の畑づくりを開始。
NHKプラネットの依頼にで「生物多様性」について講演。
本出版

数字7の年から、生物多様性について講演をしています。
今までの初女さんの食べもの、命と向き合うことの洞察が深まった結果と言えます。

2011年90歳(#4-8)
東日本大震災を経験。
パリでおむすび講習会。
本出版

2013年 91歳(#4-9)
「世界の平和を祈る祭典in 日本平」でキリスト教徒代表として登壇。
マザーテレサの言葉を読み上げる
主よ、きょう一日、
貧しい人や病んでいる人々を助けるために、
私の手をお望みでしたら
今日、わたしのこの手をお使いください。

主よ、きょう一日、
友を求める小さな人々を訪れるために
わたしの足をお望みでしたら
今日、わたしのこの足をお使いください。

主よ、きょう一日、
優しい言葉に飢えている人々と語り合うために
わたしの声をお望みでしたら
今日、わたしのこの声をお使いください。

主よ、きょう一日、
人というだけで
どんな人々とも愛するために
わたしの心をお望みでしたら
今日、わたしのこの心をお使いください。

ダライ・ラマと対面し、おむすびを振る舞う。
本出版


2014年 93歳(#4-11)
本2冊
2015年94歳(#4-12)
本出版
2016年94歳(#4-12)
2月1日逝去 月ナンバーは5から6へ変わったところでした。6は生と死、境界を超えることと意味します。

最後に、初女さんの最後の著作『いのちをむすぶ』のあとがきから、初女さんのこの言葉を引用して、結びにしたいと思います。

_________________________
私は今、94歳です。死にたくはないけど
死ぬことはこわくありません。
夫の信条は「最期の最期まで生きんとして生きる」でしたが、
私もこれまで通り、神さまにいただいたいのちに感謝しながら、
最期のときまで真実にいきていきたいと思っています。
(中略)
昔のように動けなくなったことは残念ですが、原点に返ったつもりで、
弘前の自宅で訪ねて見える方々をお迎えして、いのちを伝える活動をつつけています。
手料理でおもてなしすることもままならないけれど、ひとつの出会いがまた次の出会いへと
結ばれ、融合し、うねりとなり、波のようにどこまでも広がっているのが、はっきりと感じられます。
ひとりひとりに森のイスキアが宿っているー。そのことが何よりの励みです。

私も、もっともっと働きたいと願っています。
人はいくつになっても航海の途上にあるのですから、一歩でも半歩でも進み、少しでも広がっていきたいのです。
もうできないと悲観するのでなく、希望を持って次の展開を待っています。

2016年 まだ見ぬ海の彼方を夢見ながら 佐藤 初女


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*****************

初女さんと自分をつなぐもの。
しばらく考えて、思い浮かんだのは、
HOME、という言葉でした。
私は、いつからか、ホームを求める気持ちがありました。
自分自身がホッとくつろげる居場所。
心通い合う人たちと、そんなホームを作れたら。
そして、そんな仲間に囲まれて、旅立てたら、幸せ。
いつか、行き場のない人たち、静かに生活できるホームを作りたいと夢を持っています。


初女さんは、相手の方がホッとくつろげる、「ホーム」そのもののような方でした。

4年前、雪深い1月に弘前イスキアに初女さんを訪ねました。
お会いした初女さんの印象は、一言で言うと、「自然体」。
それは、流れる水のようなしなやかな自然な存在でした。
そして、ご自身の心と体を、最後の最後まで使い切るという
静かな信念が存在から感じられました。
それは、覚悟、という大げさなものではなく、
本当に、静かな信念。

冬の弘前は、それはそれは雪深く、何もかもが真っ白に埋め尽くされていました。
大きな自然を前に、私たち人間が何をあがいているのだろう。
人と人との間で生き、苦しみ、逃れるようにやってきた弘前は
私を優しく迎えてくれました。
大きな自然の前ではなんともならない、
そんな諦観を持った静けさを場所から感じました。
またそうした自然を前に、
人同士がゆるく結びつき、謙虚で優しい空気を感じました。


数秘を学ぶと決めて、卒業readingは初女さん、と思っていました。
同じ8、3、11−2を持ち、初女さんのソウル数9は、
自分のステージ数でもあります。

初女さんをreadingして、私は正直、こんなに偉大で地道で謙虚な生き方を
私はできるのだろうか。
否、初女さんだからできたことで、私にはとても無理。
そう思いました。
初女さんの言葉は、とてもシンプルで真実です。
「今を生きる」「いつも感謝の心で」

いつも感謝の心で、今を生きていたなら、自然と脚元に道が見えるでしょう。

この世に生まれてきたとき、人の間で生きようと決めてきた自分。
いつしか、この世に生きていく中で、方向を見失いつつありました。
今回、生まれてきたのは何のため?
自分が持って生まれたこの数字に込められた意味。
それを初女さんがもう一度気づかせてくれました。
私にとっても、神とつながることは行動すること。
祈りは行い。
魂が喜び輝くことを選んでいこう。
どんなに揺れ動いてもいい。
どんなことが起きても、すべては魂の経験。
透明に生きる。
自分を限りなく透明に、神様の一滴を受け入れられる器でありたい。
そう思いました。

すべては魂の経験のため。
これからは、恐れずに、自分の魂の声に従って
一歩一歩前に進んでいきたい。

そんなふうに感じました。
Viva初女さん!

Aeons Numerology the 10th Basic Class
Reported by Kannon @Kawagoe class
by kej000 | 2016-08-06 10:11 | 数秘レポート

いのちをむすぶ おむすびの祈り*佐藤初女 vol.1

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いのちをむすぶ おむすびの祈り
Omusubi, Connecting Lives
Sato Hatume



青森県の岩木山麓にある「森のイスキア」。苦しみを抱え、心が傷ついた人たちを受け入れ、痛みを分かち合う癒しの場です。佐藤初女さんは半生を通じて心を込めた手作りの料理で、食を分かち合い、いのちを伝える活動をしてきました。
初女さんは数秘で読み解くと、どんな方だったのでしょうか。


さとう はつめ
佐藤 初女


出生名 神 初女 
    Hatsume Jin

生年月日 1921年10月3日
逝去    2016年2月1日




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〜Personality〜

(Birth No. 17−8) 生まれ持った資質・個性・潜在能力

「生命の樹」にみる8の特性は行動的で直観思考型、一つを長く追求する熱中を表す数字です。


(1)尽きない心〜無限大∞の8

「私には心がある。心は汲めども汲めども尽きることはない。その心を差し出そう。」

初女さんは8の数字が示すように直観思考型で行動的です。
ある時、通っていた教会の神父様が、こんなことをおっしゃったそうです。
「奉仕のない人生には意味がない。奉仕には犠牲が伴う。犠牲の伴わない奉仕は、真の奉仕ではない。」
この言葉を聞いた瞬間、初女さんは何かに打たれたような衝撃を受けたそうです。その日初女さんは「今のままではいけない。私にできることはなんだろう?」と考えながら家路につきます。その帰り道に、ある交差点に差し掛かったときに、こうひらめいたそうです。そして、それから約40年以上、半生にわたって見ず知らずの人を受け入れ、おむすびを握り、人々に生きる力を与え続けました。

8の数字は、無限大を示す∞(レミニスケート)を象徴しています。
汲めども汲めども尽きることのない心。その尽きない心は神様とつながっています。初女さんの出生時の姓が「神(じん)」というのは、まさに「神」とつながって生まれてきたことと体現しています。8は初女さんを象徴する数字と言えます。


(2)行動の数字8

「私にとって祈りとは生活です。
生活の動作、ひとつひとつが祈りです。
心を込めて食事をつくったり
ともに食卓を囲んだり
ごく平凡な日常の営みの中にこそ
深い祈りがあるのです。」

数字の8は、行動の数字でもあります。
初女さんは、敬虔なクリスチャンでしたが、
静かにじっと座って祈ることは少なかったようです。

初女さんにとって祈りとは動、生活の動作ひとつひとつが祈りでした。
8の数字の持つ動的な性質を体現していると思います。

(3)パワーの8

「訪れてくる人は神様の代わり」

8はとても強いパワーを持った数字です。初女さんは、どちらかというと物静かで前に出て行くタイプではありませんでしたが、その行動はパワーに満ちていました。

40代の頃から自宅を開放して「弘前イスキア」を開設し、のちに岩木山の麓に
「森のイスキア」を開設します。
時には夜中でも、初女さんを頼って来訪者が訪れます。どんな時でも初女さんはすべてを神様に委ねてドアを開け続けました。もともと病弱で、決して頑強なお身体ではないなかでの長年の活動で、時には倒れてしまうのではないかとご自身でも思いながら、それでも命が尽きるまでその活動を続けました。
それは8の持つ情熱と、実行力、バイタリティーの力強さを物語っています。

(4)リーダーシップの8

イスキア活動は初女さんの活動に賛同し、お手伝いを申し出る方達によって運営されていました。また全国には、初女さんの活動に賛同するグループもいくつか組織されていました。初女さんの思いや活動に賛同し、その行いを支える仲間の存在がありました。8のリーダーシップ、組織立てる力がここでは発揮されたといえるでしょう。自然と人が集まる静かなカリスマの持ち主でした。


Reading ナンバー
計算途中の2桁:若年期から本来の意図する方向への学びの経路は?
1+7=8
若い時期に1、その後7を学ぶことにより中年期以降に8(社会へ出て行く)が活用できるような基盤を築く

1・・・幼いころから教会の鐘に引き寄せられ、高次のエネルギーやインスピレーションを受け取っていたと言えます。
7・・・その後キリスト教との出会い、神様とのつながりを深めるなかで、内省を深めました。
のちにそれらが、8へと開花させました。

_________________________________

(Destiny No. 3)使命、目的、仕事、ライフワーク

Destiny ナンバーはMissionナンバーとも言います。
初女さんのMissionはなんだったのでしょうか。
数字の3には、発展、成長のバイブレーションがあります。
3の数字の持つミッションには、
「精神的な喜びを人に与えること」「人々に未知の光を投げかけること」とあります。まさに初女さんの社会的な活動の変遷は3を生かした実践でした。


(1)おもてなしの3
「あなたに喜んでもらえるように」

常に自身の内奥から湧き上がるスピリチュアルな導きを行動にした初女さん。
初女さんは精神的な喜びを人に与え、未知の光を投げかけ続けました。
自宅で染物教室をしていましたが、その部屋を誰でも温かく迎え入れ交流できる場にしました。1983年、62歳のとき「弘前イスキア」と名付けました。自分を見つめ直し、新たな生きるエネルギーを得られる場にしたいという初女さんの願いが込められています
初女さんは表現力、感性、直観力を惜しみなく世の中のために使うパイプを創ることを使命にもって生まれました。初女さんのパイプとは、人をありのままに受け入れることであり、おむすびで結ぶつながりです。

(2)広がる活動〜広がる場所を

「心にはいつも、前に進むための言葉を持っています」

数字の3には発展や成長、開放の意味があります。
初女さんの持ち前の感性の豊かさと楽観性でイスキア活動は育まれてきました。

「私の生き方は、自然に任せる、直観で決めるということが多いのですが、何も不安に思わずにそのようにできることは、きっと私が何も持っていないからだとおもいます。そしてそのことが私の最大の強みではないかと思っています。」
3の持つ波動は明るく純粋で、天からのサポートが来やすいと言います。自宅を開放して人を受け入れる細々とした活動が、いつの間にか周囲のサポートを受けながら森のイスキア開設と発展していきました。


(3)好奇心と行動力の3
「子どもの頃の夢が70代で叶いました」

 初女さんの行動が本格化したのは60代から。初女さんの活動が青森県内にとどまらず日本全国、また世界へと広がるようになり、各地から講演会に呼ばれることが増えていきます。もともと楽しいことが大好きで好奇心旺盛な初女さん。
周囲が高齢だからとハラハラするなか、初女さんは招かれれば二つ返事でどこへでも出かけて行きました。
制限をかけない純粋な3の波動の持つエネルギーを体現しています。

(4)与える愛、育む3
 小学校の教師時代に、その学校の校長先生だった夫と結婚しました。当時、初女さん23歳、夫は28歳年上で、3人の連れ子がいます。周囲は強く反対したそうですが、初女さんの決心は揺らぐことはなかったといいます。精神性高く、与える愛を象徴していると思います。
 結婚後は退職し、自宅で染物教室を開き、生徒さん達に染物を教え、また短大で染物の講師もしています。人を育て、育むことを選択し、行動しています。
自宅での染物教室は、その後の弘前イスキア、森のイスキア活動へとつながります。
初女さんは常に純粋な精神から行動を選択し、それが積み重なり、のちの大きな礎になっていったと言えます。


(5)明るさと闇

「苦しいと思うほど、とことん苦しみます。
もうこれ以上できない、
もう限界、というところのどん底まで落ちるのです」

父親が事業に失敗し倒産、生まれ育った青森を離れ函館へと引っ越しを余儀なくされます。その心労から、17歳で結核を発症します。電柱1本分の通学ですら吐血し、学校に行く事もままならなくなったそうです。じっと闘病生活に耐える日々が続きます。
 28歳の年の差結婚で結婚した夫には3人の連れ子があり、周囲の猛反対にあいます。また初女さん自身、妊娠しますが、病弱だったことから出産を諦めるようにとどの医者からも断られますが、最後は神様に全てを委ねて息子を出産します。しかしその息子も、初女さんが81歳の時に55歳の若さで夭逝します。

初女さんの持つ数字の3の明るさと精神性の高さは、様々なことを経験したからこそ得られた輝きなのです。

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(Soul No.  18−9) 魂の欲求、一番大切な価値観

数字の9は自然数のすべてであり、完璧、完成、真理の数字とも言われています。
初女さんの魂は、なんでも受け入れる懐の深さを持っていたと言えます。

(3)体と心、物質と精神性を結ぶ9

「食べることはいのちをいただくこと」「いのちの移し替え」

9の数には、物質的なものと精神的なものの統合の意味もあります。
初女さんは自分の気持ちを、おむすぶに込めて、人々に差し出していました。

初女さんのおにぎりは、ただ丁寧に作ったというだけではなく、そこに込められていたのは「愛」そのものでした。そんなおむすびを口にして、傷つき悩む人々は生きる力を分けてもらっていたのでしょう。
「初女さんのおむすびを食べて自殺を思いとどまった」というエピソードは
初女さんの活動を象徴しています。初女さんの精神性がおむすびに、食に現れていました。

「おむすびの祈り

「おむすびを握りながら、なにを考えていますか」
とよく訊かれますが
私はなんにも考えていないんです。
おいしくなれとも考えない。
一粒一粒のお米を生かすように
ただ無心に握っているだけ。
十の工程があったら、十のどこにも心を離したくないから
考える余地なんてないんですよ。
ひとつひとつの工程に心をかける。
それが私の祈りです。
本当にお伝えしたいのは、おむすびの作り方ではなくて
「信仰とはなにか」ということなのです。

「信仰

 信仰のみなもとは、愛を受け容れること。
それは誰もが生まれたときからできていることで
特別なことではありません。
信仰はじぶんでつくるものではなく、与えられ受け取るものです。」


「お米が息ができるように、ふわっと盛ってさしあげます。
おむすびもね、お米がいきができるようにと思って握るのです。
あまりぎゅっと握ってしまうと、お米が息ができなくなってしまうから。」

できあがったおむすびは、ラップやアルミホイルではなく、タオルに包みます。

初女さんは食を大切にしてきました。それは、ご自身が肺結核を患い、喀血を繰り返していた女学生の頃、お見舞いに桜鯛の潮汁を頂いた時、鯛のお出汁がスーッと指先にまでしみわたったそうです。薬や注射では得られなかった感覚で、食べたい、生きたいという思いが体の奥底からむくむくと湧いてきたそうです。
初女さんにとって食べることは食材のいのちをいただくこと。
おむすびをつくるときも、その思いの根っこは一緒です。


(2)柳のようしなやかな心 9
初女さんの魂の数字9を現すこんな表現があります。
「心が大揺れに揺れても、芯が通っていればいいのです。
(略)人も木々と同じではないでしょうか。
木々がそよ風に揺すられたり、大風にあおられたりするように、人生にはいろいろな出来事が次々に起こり、心を揺らします。そんなとき、どれだけ心が揺れても自分を見失わず、しっかりと芯の通った生き方をしたい。私はそういう人間になりたいと願っています。」

柔らかな柳のようなしなやかさで、幅広い人と交流できる方でした。
包容力があり、魂の根本には奉仕できる喜びにあふれていました。
深い慈悲心と、自己犠牲。愛と理解力を持って穏やかに人類愛を実践していました。
晩年には「初女おかあさん」「日本のマザーテレサ」と言われるように、
初女さんは私たちにとってどんな時でも温かく受け止めてくれる
お母さんそのものでした。

数字の9は全てを包含する数字であるがゆえに、なんでもありになりがちですが
初女さんは奉仕に生きること、キリスト教という揺るがない信条を得て
全てを受け入れる真の強さとエネルギーでもって奉仕を実践していきました。

(3)思いやり深く、包み込む愛 9
 初女さんの人生は、与える愛そのものでした。小学校の先生をしていた初女さんは校長先生だった夫と結婚します。その当時、初女さん23歳、夫は49歳、夫には3人の連れ子がいたそうです。周囲は強く反対したそうですが、初女さんの決心は揺らぐ事がなかったといいます。23歳で3人の母親になる、それは本当の愛がなければできないことでしょう。
初女さんは常に受け取るよりも与える愛を選び、純粋な精神的喜びから行動を選択していきました。

(4)精神的成長 次の光を求めて 9
 初女さんのその人生は、ドラマチックで、激動の人生でした。
それは、時代や環境に翻弄される激動ではなく、初女さんが置かれた状況の中で心の声に従い、その活動を広げていく中での変化だったとも言えます。

「神さまが備えてくださった道を、自分であるいきます」

初女さんは、いつも自分の中に神様を感じていたそうです。辛いことや悲しいことがあったとき、どんなときでも神様が見ていてくださると思うと、勇気が湧いてきたそうです。
自分の中にある神の声を常に感じ、心穏やかに生き抜いた、そんな人生でした。

(5)母の愛
 Soulに9を持つ初女さんは、よく「母の愛」とおっしゃっていました。

「母性愛とは 言葉を替えれば受け入れること

人は受け止められたと思った瞬間から、本当の強さを発揮することができます。
どんなに苦しんでいる人でも、すべてを話して受け入れられていると思った時から、自ら解決策に気づいていくものなのです。
そのような母性愛がもう少し一人ひとりの心の中で芽生えるなら、混沌とした現代のような状況も、少しは変わるように思えるのです。」

初女さんは東北のマザー、初女お母さんとも呼ばれ、私たちの心の母のような存在でした。

(6)全てを受け入れる包容力の9

9の数字には、全てを包含する力があります。初女さんは、どんな人も状況も受け入れる包容力のあった方でした。また初女さんは、活動を深める中でこんなこともおっしゃっています。




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「響きあう

ぬか床って
生物多様性だと思うんです。
米ぬか、塩、昆布、鷹の爪、
きゅうり、にんじん、ナス、大根
食パン、りんご、ヨーグルト・・・
それぞれがそれぞれのままに
おいしさを引き出しあう。
あるがままにいるだけで
互いに支えあっているの。
多様なものが
多様なまま響き合いともに生きる。
それがいのちの摂理です。」

ぬか床からこんなことを考える初女さんは、精神が高く、実践する哲学者のようでした。
「人にもものにも、それぞれにいのちがあって、そのいのちが響きあう中で、私たちは生きています。難しく考えなくても、すでに私たちは多様ないのちの中で暮らしているのですね。肝心なのは、その関係に気づいているかどうかです。気づいていなければ人間の、あるいは自分の都合が優先されて当然、のような考え方に慣れされてしまいます。気づいていれば、自然と「感謝」の気持ちが湧いてきます。」

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(Personal No. 3)他者に映るその人の表面的人格


敬虔なクリスチャンであり、自宅を開放して心病める人を受け入れ続ける・・・、
初女さんの活動を聞くと、どんな真面目な人だろうと想像されるかもしれません。
実際の初女さんは、とてもお茶目で、好奇心の旺盛な方でした。
自分が前に出るタイプではありませんが、人を癒し、人を惹きつけるチャーミングな方でした。

初女さんには、力んだところや無理をする様子はありません。
いつも、優しい東北弁でとつとつと話す自然体な方でした。
よく、揺らぐ柳の木のお話をしていました。
「柳の木のように風に揺らいでも構わない。
芯がしっかりしていれば元の位置に戻るから」
初女さんにはキリスト教というぶれない軸が一本ありました。

 初女さんの講演会の後は、参加者との分かち合いの時間を大切にされていました。
みんなからの質問や悩みにその場で回答する初女さんの、天然で素朴な回答に思わずみんなが笑いに包まれる。そんな純粋でまっすぐなところも初女さんの魅力でもありました。人をもてなす潜在的な力を持つ数字の3を体現するように、白髪を紫色に染めるおしゃれで上品な方でした。

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(Realization No. 11-2)今回の人生での可能性や実現性

(11)
数字の11は最も高次のバイブレーションを示す数字です。
人と天を結ぶ波動であり、天からその波動を受け取り、現実社会に下ろす役割を持って生まれました。

「昔から人にお会いする時間は「神様の時間」だと思ってきました。
神様の時間ですから、自分の都合は後回しにして、最優先で時間をつくり、
心を傾けるのは当たり前です。これは私が神さまからいただいた大切な使命
なのですから。」

初女さんは鋭い直感力と秀でた洞察力で高次からメッセージを受け取ります。
そのメッセージを汲めども汲めども尽きることのない無限のエネルギーに変えて行きました。晩年には、講演会に呼ばれることも多く、全国各地、時には海外までおむすび講習会に出かけて行きました。時にご自身でも倒れてしまうのではないかと思うほどの過密スケジュールでも、不思議とその場になると力が湧いてきたそうです。
青森県弘前の地を愛し、特に岩木山を愛し、自然に囲まれた森のイスキアを愛した初女さん。「岩木山とともに、大自然の中で人々を迎えたい」そう言います。
初女さんは神からのメッセージを伝える、メッセンジャー的な存在だったのでしょう。

また11は1の2乗の数字でもあり、心を高次の世界に常に開け放ち、
直観を信じて自分の創造性を大きく世の中に築きあげた人とも言えます。
初女さんはよく「今を生きる」という言葉を好まれました。
それは数字の1を持つ初女さんのピュアでまっすぐな心で、
夢を現実的に地道な努力でもって達成する、その姿に他なりません。
自分の自宅を開放して、私財を全て奉仕に投入する、
そんな前例のないフロンティア精神は数字の1の影響でしょう。


(2)
また2の数字が表すように、調和と受容を体現した活動でもあります。
初女さんは「愛とは受け入れること」と言っています。
「人とお会いするときは「神さまの時間」と言います。


(Stage No. 1−10) 活躍の舞台
霊性に基づいた独創性を発揮し、新しい活動を創り上げました。

(Challenge No.  2−20)試練数
奉仕の精神にあふれた初女さん。与えることと受け取ることのバランスや人との境界線と常にバランスを考えていました。

(Nature No. 3)素の性質
与えられた生を楽しむ気持ちを持っていた初女さん。どんな困難も自らの糧にして、人への奉仕へと繋げました。

(Action No. 1) 行動特性
直感を信じて前進し続けました。


(Month No.10−1)若年期の様相
近くの教会から聞こえるアンジェラスの鐘の音に心惹かれる幼い頃の初女さん。その頃から今世の一生を決める霊性に導かれていたのでしょう。
(Day No. 3) 個性や行動特性を見る第2ツール
自らが楽しいと感じ、そのインスピレーションを活かして人をもてなすのが初女さんの持つ波動と言えます。


(Year No.13−4)年代意識数 宇宙数
13は修練の数字です。創造と破壊を繰り返し、常に学びを喚起されます。
障害の度に変容する修練を経験し、カルマの負債を清算することになります。
また4の数字はそうした受難を経て基盤が強固に揺るがないものになることを示しています。


〜Cycle /Pinnacle/ Challenge No. 〜
☆サイクルナンバー どのようなことを学ぶ時期か?
☆ピナクルナンバー どんな状況の時期なのか?
☆チャレンジナンバー 与えられた試練や今回の人生での課題

【0〜28歳】
〜母となる・出生から息子出産まで〜
*Cycle No 1  種まきの時期。焦点を定めて明確な目標を作る時期。
*Pinnacle No. 4 準備と前進の時期。
*Challenge No. 2 受容と協力。境界線を保ちつつ奉仕する人生を確立する。


【29〜37歳】
〜染物で入選・自分の如何ともしがたい状況を受け入れつつ、受容と学びを深める時期〜
*Cycle No 3 より多くを経験し、さらに想像力を発揮し豊かさを受け取る時期。
*Pinnacle No. 7 内省と探求
*Challenge No. 1  霊的資質に目覚める。感性と直観を生かす。心の柔軟性を学ぶ。

【38〜46歳】
〜人が集まる・イスキア活動の礎の時期〜
*Cycle No 3 より多くを経験し、さらに想像力を発揮し豊かさを受け取る時期。
*Pinnacle No. 2 独創性と奉仕を発揮する時期。交流を通じて自己成長を図る時期。
*Challenge No. 1  霊的資質に目覚める。感性と直観を生かす。心の柔軟性を学ぶ。

【47歳〜】
〜イスキア活動の発展〜
*Cycle No 4 収穫、基盤づくりの時期。ステージアップの段階
*Pinnacle No. 5 変化と自由の時期。変化を楽しむ機敏さと柔軟さを学ぶ時期。*Challenge No. 3  自分の感性を表現していく。外へ出て行き視野を広げる。




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それでは初女さんの半生を数字と共に細かくみてまいりましょう。
vol.2へと続きます 。どうぞ引き続き、ご覧くださいませ。
by kej000 | 2016-08-06 09:59 | 数秘レポート