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カテゴリ:数秘レポート( 38 )

終わりなき旅*ミスチル・桜井和寿

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終わりなき旅  
Mr.Children/桜井 和寿

 
櫻井 和寿
1970.3.8(現在 46歳)  
  シンガーソングライター

【Birth(誕生数)】 #19-#10-#1
Birthとは生年月日をもとに算出するナンバーで【資質、性格、個性】を表します。
   
ミュージックシーンでは誰しもが認める絶対的存在の桜井和寿さん。
独創性あふれる歌詞とメロディーはピュアなハートの持ち主の桜井さんならではでしょう。#1のナンバーが示すように、新しいことへチャレンジしていく開拓精神やリーダー気質を兼ね備えています。

ミスチルだけにあらず、非営利組織「ap band」を設立。その活動の一環として「Bank Band」結成。活動から拠出した資金は、環境保護や自然エネルギー促進事業、省エネルギーなど様々な環境保全のプロジェクトのための資金としても役立てられています。

夢を実現するために地道な努力を怠らず、常にオリジナルを目指すこと。しかしながら、新たな可能性を切り開くフロンティアスピッリトの持ち主であるがゆえ、数多くのもがきも経験するでしょう。

また#1のほかに#10、#19というカルミックナンバーも持ち合わせています。
カルミックナンバーとは「カルマの数字」を意味します。

それぞれのナンバーに意味がありますが、#10は『再誕生』を意味し、前世でやり残したカルマや目的を今生で果たすナンバーで人に癒しを与える方向へ向かうことが多く見られます。  
スピリチュアルなナンバーの#0も持ち合わせていますので、直観力を生かして本来の自分に還る変化のタイミングをのがさないように注意をすればスムーズに物事が進んで行くように思います。

#19は『力』を意味します。リーダーとなる資質を持ち、人々や世の中のために偉大な貢献をするナンバーです。試練を乗りこえるために勇気を試されます。自立し本当の意味での自信と威厳を現実社会で確立していくことを学んで行くでしょう。


【Destiny(運命数)】 #12-#3 
運命数とは誕生数で与えられた才能や個性をどう生かしていくかを告げるナンバーです。
人生の目的(mission)、社会的役割を告げるナンバーといった方がわかりやすいでしょうか。

#3というナンバーは新しさの誕生やさらなる発展を意味します。
新しさの誕生には何よりも自ら表現することが重要になります。音楽を通じて表現することで#3のナンバーのバイブレーションを上手く生かすことができると思います。批判を恐れずに自らの感性や直観力を信じて自己表現をすることで人生はさらに開花し、ますます豊かさを受け取るでしょう。自分が楽しむことで人々にも喜びを分けあたえることができるはずです。


【Soul(ソウル数)】 #33-#6 
ソウル数とは魂の欲求を表します。ただし隠れた意識で本人が自覚してないこともあるようです。一番大切な価値観や優先したいことなど、強い内的な欲求です。
心の声を聞いて生きていくことは、その人にとって矛盾のない、つまり魂の要求に近い生き方を示すこととなります。

愛について学ぶ#6というナンバー。
実生活では前妻と離婚後、現在の奥様と再婚しています。最初の結婚では順風満帆とはいかなかったようですが、前妻との間に生まれたお子さんも大切に育てており子煩悩であると言われています。
前妻との間の愛の学びも自分自身が生まれてくる時に選んできた課題なのかもしれません。
全ての経験は自分の糧のために用意されているように思えてなりません。
また#6は自己回帰のナンバーでもありますので様々な問題にぶつかるたびに「自分とは何か?」と問いただしながら答えを探して行くでしょう。
迷い悩みながらも人生の中で献身的に愛を棒げることにより、すべてのエネルギーが調和に向かい魂の要求を満たす方向に進んで行くことでしょう。


【Personal(人格数)】 #6 
ソウル数に続きPersonalナンバーでも#6を持つ桜井さん。
人格数とは他人から見た自分のイメージ。その人の社会的な仮面(ペルソナ)を暗示します。

平和を愛し誠実で穏やかなミュージシャンの顔。家族思いで愛情いっぱいのパパの顔を持ち、公私共にバランスがとれている印象を持ちます。

【Realization(現実数)】 #4
Realizationはこの世で実現したいことを表します。

#4を持つ桜井さんは自分の能力を社会で生かしてリーダーとして活躍していくことを実現することが重要です。Birthに#1を持ち、リーダーの資質も持ち合わせているのでコツコツとまじめに取り組む事により着実に基盤作りが行われます。
ミュージシャンとしても家族を守る人としても確実に安定を手にして行くでしょう。
  


★Stage(活躍する舞台) #5
変化、刺激を表す#5のナンバー。
現状にしがみつくと淀んでしますので常に新しい風や環境の変動を意識しながら過ごすところが活躍の舞台になりそうです。
ミュージシャンの活躍の舞台は#5というナンバーがピッタリな舞台です。


★Challenge(チャレンジ) #22-#4
#4のチャレンジとは現実に経験するということ。 
良いことも悪いことも経験し現実的な問題の対処を余儀なくされるでしょう。
また#22はインスピレーションを受け取りやすく、波動の高い数字でもあります。
内なる声を聞き形にすることが大切です。大きなビジョンを持ち新しいステージでそれを実現していきましょう。


★Nature(素の自分) #9 
カリスマ性があり、繊細でロマンチスト。子煩悩な様子からも思いやり深く包容力があり、博愛的というイメージがピッタリです。


★Action(行動パターン) #1
新たなる可能性を開く先駆者。心をオープンにし、降りてくるインスピレーションを受け取り、己を信じて目標、目的を達成します。



◆Cycle Number[36歳~53歳] #8

『どのようなことを学ぶ時期か』
豊かさを受け取る時でもありますが、さまざまな『力』の中でバランス、コントロールが必要になる時です。組織の中で周囲との力の調整と統率を学ぶ時期のようです。


◆Pinncle Number[45歳~53歳] #9

『どんな状況の時期か』
完成の時であり、新しい流れに向かう時です。現状の中でどう動くかがテーマで、自分の中心(核)を定めエネルギーを集中させ、良い環境、世の中に身を置き自己の信念を固め才能を発揮していくことが大切です。


◆Challenge Number[45歳~53歳] #4

『与えられた試練や今回の人生での課題』
忍耐強く一歩ずつ目的を実現させて行こう。実現した事柄をフォーカスし、そこからプロセスを学び更なる壮大なビジョンを描くことによって、54歳以降ではそれらが形になってさらに外に向かって活発化していくでしょう。自分の脳力を社会で活かして、真のリーダーを目指すこと。




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◎History (Year Cycle)

若年期 Youth Number #3

勉強ができなかった若年期。それでも親は文句を言わなかった。教育方針は「何か一つみんなより自信をもって優れているといえるものを身につけろ」ということでした。ご両親もきちんと桜井さんの#3のナンバー活かすような子育てをしていらっしゃるところが素晴らしい。
小学校入学当初、体にイボが100個くらいあって「イボ野郎」とからかわれても、かえってみんなに注目を浴びて気持ちがいいとインタビューで語っています。#3の楽天的で陽気な様子がうかがえます。
また音楽は女がやるものと思いこんでいたので、音楽で歌わない姿勢を貫き往復ビンタを20発ぐらいくらっても歌はなかったというエピソードがあります。自分の意志を曲げずプライドが高く極端なところは#3のアマチュアの部分が出ていたのかもしれません。
1985年 15歳 #25-#7

4月関東高校(現 聖徳学園)に入学し、田原健一、中川敬輔らと共に軽音楽部内にバンド「Beatnik」結成。のちの「Mr.Children」となる。
高校に入り彼女ができたことが自信につながり、自分の性格や考え方がガラッと変わったとインタビューで語っていました。
高1の時から「プロを目指してやっていこう!」とオーデションにテープを送る日々だったそうです。
#25-#7ということもあり、プロを目指すための計画をより深める年になったと思われます。


1989年 19歳 #2

1月1日バンド名を「Mr.Children」と改名。
サイクルが2ケタから1ケタに変わった年のバンド名の改名。
ミスチルという名の種が芽吹き始めたようです。
本格化するバンド活動の中で人間関係と協調性を学び、自分の中に作り上げた創造物をアーティストとして現実社会で具現化していくことが始まりました。


1991年 21歳 #4

1月  3ヶ月の活動休止
11月 小林武史と出会う 
 
デビュー目前にひかえたインディーズ時代に3ヶ月の活動休止。「自分たちがどんな音楽をやっていくのか具体的な方向性が明確になっていない。永遠に評価され続けるバンドになるために土台をもう一度見つめ直したい」という理由からだと言われています。
丸3ヶ月後、再びメンバーが集まり自分たちの進みたい方向性を話し合った時「自分たちの身体の底から湧き出てくるメロディーを音にしたい」と意見が一致。自分たちが納得のいく活動をしてきたいという想い。妥協のない真面目すぎるバンドであることがわかるエピソードです。
また小林武史氏との出会いもミスチルの基盤づくりのためには不可欠であり、運命的なものを感じてしまいます。
何かを始めるのに良いと言われている#4。準備が整ったようです。後は前進あるのみです。



1992年 22歳 #5

アルバム「Everything」で「Mr.Children」としてメジャーデビュー。
世の中のバンドブームと差別化して「「Mr.Children」を見せることが課題でした。
小林武史プロデューサーについて、曲のことに関して『こんなにシビアな人は鬼か!』と思ったと話す桜井さん。一回自分の中で作り上げたメロディーを壊すのがすごく難しかったとも話しています。ひょっとしたらこうやってプロになってダメになっていくのかもしれないと感じていたようです。
#5のナンバーの神経質や不安定な部分が顔を出しているようにも思えます。


1994年 24歳 #7 

6 月 1日 5th Single 「innocent world」発売
9 月18日 4th Album 「Atomic Heart」発売
12月12日 6th Single 「Tomorrow never knows」発売
12月31日 7th Single 「everybody goes」発売
   36回レコード大賞受賞「innocent world」

ミリオン越えするセールスに、ミスチル現象という言葉がうまれ社会現象にまでに至ります。そんな大ブレイクを果たしたミスチルでしたが、本人たちの状況はといえば常にマスコミやファンに追われる状態に嫌気がさし、当時の桜井さんはプライベートで声をかけられることについても「本当に嫌ですね」と語っています。

売れることが夢だった
ミリオンヒットの連続。
しかし売れた先には何もなかった
と 話す桜井さん・・・
 
トイズファクトリーの元社員と結婚。
#7はステージアップのナンバーでもありますがバランスをとりづらいナンバーでもあります。
ミリオンヒットの先には自分の求めていたものと違う現実・・・「自分が求めていたものって何だったのだろう・・・」と内省する日々が続いたのではないでしょうか。
 



1997年 27歳 #10-#1

ギリギリガールズの吉野美佳との不倫が報じられる。
大ブレイクしファンやマスコミに追われ続け、病んでいた桜井さんは吉野さんとの出会いによって心の拠り所を見つけることになります。そういった不安定な精神状態は当然音楽作品にも影響を及ぼしています。

  1996年「深海」発売
  1997年「BOLERO」発売

「深海」はダークなサウンドで暗く、桜井さんの精神状態が大いに関わっていると言われています。
また「BOLERO」では何かに救いを求めているような曲が多いと言われています。しかし、精神不安定な状態で作った作品ですが、ファンや音楽リスナーには賞賛に価するアルバムといわれています。

4月 無期限の活動休止

音楽面・プライベート面・世間における自分自身に対するアイドル的な人気など、様々な面で悩みを抱え追いこまれていきます。「夢見たものと 夢がかなった時のギャップはあまりに大きくてそのへんで迷ったりしている」と話しています。デビューから約5年、無我夢中で突っ走ってきた彼らは言いました。「ミュージシャンとしての有給休暇みたいなもの。自分たちの時間を持ちたい」と。そしてファンの前から姿を消したのです。無期限の活動休止へとなりました。
「どう生きたいか?」が問われた#1のYear Cycle。
この状況を打開するためには、自らが切り開いて行くしかありません。しかしあらゆることを経験することで、のちの人生のための種まき期間だったと思える日が訪れるでしょう。


1998年 28歳 #11-#2
 
10月21日 活動開始
15th Single 「終わりなき旅」 発売

   誰の真似のもすんな 君は君でいい
   生きる為のレシピなんてない ないさ

   息を切らしてさ 駆け抜けた道を
振り返りはしないのさ
ただ未来へと夢を乗せて

 閉ざされたドアの向こうに 新しい何かが待っていて
   きっと きっとって 君を動かしてる
   いいことばかりでは無いさ でも次の扉をノックしよう
  もっと素晴らしいはずの自分を探して

 胸に抱え込んだ迷いが プラスの力に変わるように
   いつも今日だって僕らは動いてる
   嫌なことばかりではないさ さあ次の扉をノックしよう
   もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅

「終わりなき旅」より
 
今までの迷いがぬぐい去られ、前向きな様子がうかがえます。自分のための応援歌のようにも感じられます。
#11は真の理想に向かって目標をかかげる年であり、イニシエーションイヤーでもあります。
閉じこもらず現実社会の中で生きる意識を培い人と触れ合っていくことが大切です。


2000年 30歳 #4

5月前妻との離婚
6月吉野美佳と再婚

2001年に「優しい歌」を発表。
この歌は別れた元妻とその娘(優歌)に宛てられた曲だと言われており、元妻と娘に対する懺悔とともに愛を届ける歌だと言われています。
#4のナンバーが表すように現実問題の対処、堅実さと責任が問われる時です。
この曲もそんなタイミングで作られたのではないでしょうか。




2001年 31歳 #5

TBS開局50周年プロジェクトとして坂本龍一が呼びかけ地雷撲滅を訴えかけるチャリティー企画ユニットN.M.Lに参加。テーマ曲「ZEROLANNDMINE」が発売されCDの売上は地雷除去のため全額寄付されました。
強力な仲間とともに具体的に動いて波動を上げていく様子がうかがえます。創造力開花、視野の広がりを求める#3で始まったYear Cycle#5の年に見事なほど当てはまっています。

   8月22日 20th Single 「優しい歌」 発売 
12月24日 詩集「優しい歌」 発売

2002年 32歳 #6

7月23日 小脳梗塞により入院加療中と報道され、約半年の間ライブツアーを含めた音楽活動をすべて休止。

12月21日病気療養から復帰。音楽活動を再開。
 
#6の年は「生と死、病気」について向き合うことが多い年です。自己回帰のナンバーでもあります。
病気を通して本当の自分に還る旅をし、真の歓びとは何かを感受したのではないでしょうか。


2003年 33歳 #7

6月非営利組織「ap band」を設立。#7の飽くなき探求心は「ap band」設立というカタチでさらなるステージアップへと向かいます。
#7の年にスタートしたことで流れはスムーズに進むでしょう。

2004年 34歳 #8

1月、ap bandの活動の一環として「Bank Band」を結成。
#8はパワーを出し切ることが目的のナンバーであります。新しいカタチでのバンド活動でより情熱的に不可能への挑戦と開拓が行われることになるでしょう。

  第46回 レコード大賞受賞 「Sign」
2011年 41歳 #6
  
  3月11日 東日本大震災

4月4日配信限定シングル「かぞえうた」リリース。収益金はすべて災害復興支援プロジェクト「ap Bank Fund for Japan」へ寄付され東日本大震災の義援金や復興支援活動に充てられました。
#6は愛のナンバーです。奉仕の時期と読むこともできます。周囲の人への奉仕、サポートをし、社会で貢献することが求められたようです。


2014年 44歳 #9
 
  11月19日 35th 「足音~Be Strong」発売

ミスチル初のプロデュースシングルとなりました。かねてより小林武史プロデューサーとの決別が囁かれていましたが、今回新曲には小林氏はノータッチ、9~10月に行われたファンクラブツアーにも姿を見せることはありませんでした。 
農業に傾倒していく小林氏に必死に訴えかけたようですが桜井さんの声は届かなかったようです。小林氏が設立した新会社の赤字補填をミスチルが出した収益でまかなっていたことが決別を決定的なものにしたと言われています。
小林武史プロデューサーなしでのシングル制作発表時に桜井さんは「自分たちにも新しい風をふかせたくて気負いすぎたのでしょう(中略)また次の一歩を踏み出せます」とのコメントをしています。
#9のナンバーの「苦」を表しているように感じました。
ミスチル現象の始まりとなった1994年の「innocent world」から20年ほど続いてきた記録は惜しくも初のセルフプロデュースとなるシングルで途切れてしまうという結果になってしまいました。
しかし#9は変容のナンバーでもあります。自分の心の許せる環境・人の中に身を置いて、自分の信念を固め、さらなる才能を発揮する時でもあります。
今こそ、その流れをつかむ時なのではないでしょうか。
「終わりなき旅」は続きます。



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*・・・・*・・・・*・・・・*

傷つき悩んで・・・
つまずいて立ち止まって・・・

そんな時、不思議とミスチルの歌と
自分のことがリンクして
歌を通して桜井さんからのメッセージが
優しく自分に寄りそってくれました

イメージはいつでも雨のち晴れ

雨の日にもまた太陽が昇ることを
信じることができるようになりました

いままでも 「ありがとう」
これからも ずっと「ありがとう」

桜井さんの笑顔に癒されて
今日も元気をチャージ♪


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*・・・・*・・・・*・・・・*

Numerology the 10th Basic class
report by Kim Chang
by kej000 | 2016-08-03 19:23 | 数秘レポート

本当の自分との出会いに♡ いわさきちひろ

本当の自分との出会いに * いわさきちひろ


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いわさきちひろ

本名 松本 知弘 
   Chihiro Iwasaki
生年月日 1918年12月15日

いわさきちひろさんは 子どもの水彩画に代表される日本の画家であり 
「子どもの幸せと平和」をテーマとした絵本作家です


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■誕生数 ♯19-10-1■ 生まれ持った資質・性格・個性と生きる姿勢や才能・その人の潜在能力

カルミックナンバーである10-1は 一般的に恵まれた環境で育つがその与えられた環境や物が本当にあなたらしく生きるものなのか問われてくる本当の自分はどうしたいのか生まれた環境と言うのは潜在意識にインプットされているのでインプットされているものを乗り越えて
自分がどうしたいのと言うところに行くのが10番である人生の大きな目的の中に自分の価値基準や環境ではない本当の自分の価値基準を見いだすのが大きなテーマになってくる

人生のある時期に全く別の道へ変化する場合が多く見られる前世でやり残したカルマや目的を今生で果たすためのナンバーで人道的な目的や人に癒しを与える方向へ向かうことが多く見られる ディスティニー8で社会で仕事をするまで専門領域を極め精神性を極めていくことです

19 まず生まれて与えられた環境や価値が本当に幸せなのかと問われるのが10-1そしてそこから私ってもっと違う価値なんだと言う方向へ行くのが19
19は1から9に移行するナンバー 9は「月」月は母とかも表す家族とか身内とかに親族も含めてカルミックメイトでセットになってきている自立に関しての学ぶ対象がセットで自分の身近な環境に持ってきている
その中で本当の権力本当の力とは何か本当の自立って何とずっと模索している本当の自分になっていき自信と威厳を現実社会で確立すると言うのが19は最終的には1人と言う意識ではなくみんなのおかげで自分がいるのだというところまで立ち返るということもあるおそらく声させてくれないような自我がある
家計から来ている長くかかるかもしれないが超えさせてくれない自我を振り切って自立を目指すナンバーです

ちひろさんの環境は正しく当時としては非常に恵まれた家庭環境であったようです
何でもできる方で絵の才能があり書をやっても先生の代役ができるほどの力を持っていて運動神経も優れ何でもこなす人のようでした

美術学校に進むことを望んだが両親の反対で洋裁学校へ入学 その後20歳のときに3人姉妹の長女だったちひろは両親の勧めで婿養子を迎え望まぬ縁で形だけの結婚であったが夫の自殺で終わりを迎えたつらく苦しい思いを持っての再出発だったのでしょう与えられたそうした環境の中でもディスティニー8番のバイタリティーとパワフルさで再び絵と書を始め自立を目指しました
1945年疎開先で戦争を迎えその時ちひろは初めて戦争の実態を知り自分の無知を痛感したようです 両親に相談することもなくこのことが共産党に入党したり後にちひろは「子どもの幸せと平和」を願い原爆やベトナム戦争の中で傷つき死んでいった子供たちに心を寄せていったのでしょうまた当時挿絵画家は美術作品として認められずその時ちひろは持ち前の行動力を発揮し絵本作家の著作権を守るための活動もしていました
ちひろ亡き後夫の義明と息子の猛はちひろの足跡を残すためにいわさきちひろ絵本美術館を開館しましたがちひろ美術館はちひろの作品の収集展示という個人美術館の枠を超え(日本の美術の一ジャンルとして正当に評価し絵本原画の散逸を防いで後世に残していくこと) に目的を広げて活動を展開しました夫と息子と多くの作家らの協力で大きな社会貢献に結びついたと思いますまさに19-10-1の人生だったと思いました

■Destiny Number ■運命数 80-8
仕事表面的意識 社会へ打ち出す能力

社会に出て現実に勉強してやってみる事項を拡大するために現実と向き合って忍耐でコツコツ社会の学びをする地道な努力を続け常に達成向かうことを目指す1人ではなく組織の中で大勢と強調してやっていくことで自己信頼を得て8の学びが大きく与えられる0のつくナンバーは0的な素質を豊かに発揮する能力に恵まれています直観力や洞察力が目的成就への有効な手段となります
ちひろさんはどんな状況の時でも学び続ける努力を続けた人であった

■Soul Number ■ソウル数 8

内なる欲求にはパワフルさと行動力があり情熱的で自信と大胆さ
またロマンチストで思慮深さも併せ持っていただろうと思われます
バイタリティーがあり自信を持って積極的に進んでいく夫の善明が衆議院選に初当選した時はちひろは画家 1時の母、老親の世話大所帯の主婦と並行して国会議員の妻として忙しい日々をこなしていたパワフルでバイタリティーある日々だったでしょう

■Personality Number■ 人格数 9
ひとから見られる自分

物腰柔らかく落ち着いた感じ人当たりが良く幅広い人と交流できる人
面倒見の良さどんなタイプの人にも自然に接することができる人

■Realization Number ■ 実現可能数 9
今回の人生での可能性や実現性

人を感化 強化させ得る才能を生かし豊かな才能発揮し愛と理解力を持って人類愛を実践していける人
慈悲の心を持ち人々に自分の経験から得た叡智を伝え社会貢献すること
いらないものは手放して自分も人も許すことで全てを受け入れる真の強さ、エネルギーを得るまた自分の生き方を世の中の人や未来を担う子供たちに見せることにより後に続く人たちの道標となり人の心に寄り添うことを目指しています穏やかに人類愛を実践することがミッションです

■Stage ■活躍する舞台 9

1から8の要素を持っている人なので
どんな人とでも交流できる冷静な人です
指導者 慈悲深く落ち着いているそっといるだけでエネルギーが伝わってくるような人なので心の分野や芸術など

■Challenge■ 20-2

人を思いやる優しい心で安らぎや癒しを与えるイメージの世界での価値ある創造物を現実社会で実現化していくこと
0のつくナンバーは霊的な素質を豊かに発揮する能力に恵まれています直観力や洞察力が目的成就への有効な手段となります

■Nature■ 11-2

物腰柔らかく 皆を見守っている感じ
控えめだが聞き上手なのでよき相談相手になってくれそうな方
細やかな気配りのできる女性的な信頼できる人

■Action■ 7

深い洞察力と論理的な分析力を持ってひたむきに探究を続け
いろいろな環境の変化の中でも好きなことに対する情熱を持ち続けて徹底的にやることで専門性を極める




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■Cycle Number ■

0から30歳
Cycle 3-Pinnacle 9-Challenge 3

3は豊かな表現力 感性多趣味多忙な人
9番は才能豊かな人
幼い頃から書くこと描く事に優れていて環境のいかなる変化の時も描き続け書き続けることに努力を惜しまなかった人です辛さや苦しみの中でも自分の感情を誠実に表現し内的エネルギーを解放していたのだと思いますそして絵を通して表現力を惜しみなく世の中の人や子供たちに使い寄り添っていたのだと思いますがピナクル9はいろいろな問題を抱えて精神的な成長をしなければならない直揺れに揺れていた状況だったと思います

33から44歳
Cycle 6-Pinnacle 16-Challenge 5

輪郭のはっきりしないちゃんと描けていない技法と批判を受け
ちひろ自身もそのことに悩み孤立していった中で 多くの体験や事態に遭遇し何度も価値観を変え まず自分を信頼し人を信頼することあるがままを受け入れることでちひろはこれまでの迷いを捨て 自分の感性に素直に描いていくことを決意して1962年の作品「子ども」を最後に油彩画をやめ水彩画に専念することにした
変化を受け入れ内面の自由を見つけていたのでしょう

45から53歳
Cycle 6-Pinnacle 7-Challenge 2

独自の画風を追い始め それまで培った技法は絵本などの作品にも多く取り入れられている多くの経験を重ね視野を広げよりたくさんの人と交流を重ね心を解放し分かち合い自分自身を信頼して変化を受け入れながら愛の精神で幅広く世の中の人や子供たちの心に寄り添っていったのです

54歳から
Cycle 19-Pinnacle 13-Challenge 2

環境ではない本当の自分の価値基準を乱す大きなテーマを見つけ社会に貢献すべく専門領域を極め精神を極め人々に癒しを与え自分の内面や周りを安定できる状況になってきているそんな時体の変化を知りそれを静かに受け入れその時まで命の象徴として子供たちを描き続けたのでしょう



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〈History 〉

1998年12月15日
建築技師である岩崎正勝と教師である文江との間に武生市で長女として生まれた
岩崎家は当時としては非常に恵まれた家庭であった ラジオ 蓄音機 オルガン等の品々がありカメラも所有しており当時の写真が数多く残っているちひろは絵や書の才能があり
その一方で水泳スキー登山などもこなしていたようです

1933年15歳 (Year Number 16-7)
岡田三郎助に師事 デッサン油絵を習う
母文江はちひろの絵の才能を認め母の勧めでデッサンや油絵を習う展示会で入賞を果たした
極めるものを見出せた時である
美術学校に進むことを望んだが反対にあって断念する

1936年18歳(Year Number 19-10-1)
コロンビア洋裁学院に入学
自分の望む進路ではなかったようです

1937年19歳(Year Number 20-2)受容
小田周洋に師事し 藤原行成流の書を習う
両親の意向を受容しながらも自分の進むべき道を模索しながら小さな1歩を踏み出している

1939年21歳(Year Number 22-4) 波乱の人生
婿養子を迎えた結婚
夫の勤務地である満州大連に渡る
3人姉妹の長女だったちひろは両親のすすめを断りきれずに婿養子を迎える望まぬ縁で形だけの結婚であった

1940年22歳(Year Number 23-5)変化
夫の自殺により帰国
再び小田周洋に師事し書を習う
辛い苦しい思いを持っての再出発だったでしょう

1945年27歳(Year Number 19-10-1)
空襲で家を焼かれ母の実家長野県松本市に疎開そこで終戦を迎える
このとき初めてちひろは戦争の実態を知り
自分の無知を痛感し、後に共産党に入党したりちひろは「子どもの幸せと平和」を願って原爆やベトナム戦争の中で傷つき死んでいた子供たちに心を寄せていたのでしょう
19-10-1自分が進む本当の自由を見出したのでしょう

1946年28歳 (Year Number 20-2)
疎開先の松本で日本共産党に入党両親に相談することもなく同年上京して人民新聞社の記者となる日本共産党宣伝部芸術学校に入り丸木俊に師事する
この頃から数々の絵の仕事を手掛けるようになる
20-2 変容体験を通して自分に植え付けられたもの排除して自分が体験していることを人に伝えていく

1949年31歳(Year Number 23-5)
紙芝居(お母さんの話)を描きこれをきっかけに画家として自立する決心をした松本善明と知り合う
5で人生の目的自由勇気を持って変化にチャレンジしていった

1950年32歳(Year Number 24-6)
松本善明と結婚 6番のテーマは愛を学ぶ 結婚 離婚を経験して自分の内面の強さを学ぶ
結婚にあたって2人が交わした誓約書が残っている
そこには日本共産党員としての熱い情熱とお互いの立場 特に画家として生きるちひろの立場を尊重しようとする姿勢が記されている

1951年33歳(Year Number 25-7)
長男松本猛誕生

1972年54歳(Year Number 28-10-1)
童画ぐるーぷ社の展覧会に出品これが「戦火の中の子どもたち」制作のきっかけとなる
10-1始まり新たなステップ再誕生

1973年54歳 (Year Number 2)
病気が見つかる

1974年55歳(Year Number 3)
人々に道の光を投げかけていたのでしょう
1974年8月8日死亡


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*いわさきちひろさんを読んで*

以前からちひろさんの絵が好きでした
あたたかく優しさ溢れるきれいな絵です
優しいタッチで子供たちの顔の表情を生き生きと表現できる人
幸せあふれる優しい人の描く絵だと思ってました 写真から想像する彼女の印象です。
今回彼女をリーディングするのはまったくの偶然からでした。しかし数字を見たときディスティニー、ソウル、パーソナルが私と同じ それに8と9が多い方にびっくりしました
私も多い方です。俄然リーディングする意欲が湧いてきました。でも第一印象とあまりに違うことの戸惑いと数字の持つ意味に改めて神秘と驚きを感じました
自分の人生にリンクする部分にも驚かされました。穏やかに優しく微笑んでいる写真のちひろさんからは想像できない 辛く苦しい人生を受容しながらそこから自立していく長い日々を地道な努力とそれでいてパワフルでエネルギッシュな人生をあまりにも早く駆け抜けたちひろさんに私のこれからの人生まだまだ頑張れると背中を押された思いでした

私の両親は今の私の歳にはすでに人生を終えています
この先の私の人生はおまけの人生だと思っていました。いまさらこの年でこんなに頑張らなくてもと思う気持ちも少しありました でもこれからのおまけの人生精一杯頑張っていこうと思わせてくれました。
そして8番を持っている私は結構この頑張りを楽しんでいるのも感じています
やっとスタートラインに立っている私ですが穏やかではあるがパワフルでエネルギッシュに進んでいこうと思いました

Reported by Yoshie
AEONS Numerology Basic 10th Class @ yokohama
by kej000 | 2016-07-25 23:08 | 数秘レポート

微笑みの貴公子の強靭な精神性・・「ペ・ヨンジュン」

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Bae Yong-Joon 
ペ・ヨンジュン(裵 勇浚)
生年月日1972年 8月29日
43才(2016年7月現在)
ソウル出身(1男1女の長男)

「微笑みの貴公子」と呼ばれ、韓流ブームの火付け役になったペ・ヨンジュンをリーディングしました。

Birth 11-2 相対
<深層意識>
11は『霊性』のナンバーで、1+1=2であることから、2の感受性の振幅が増し、さらなる内面への探求へと向かいます。1と1でもあり、創造、独立、革新、行動力など1の長所の相乗効果も。
11は天と地の橋渡しとも言われ精神世界と現実世界を結び付けていくことがミッションになるので、俳優という芸術の道で精神性を昇華させていったのでしょう。
「微笑みの貴公子」といわれたヨン様スマイルは、世の女性に安らぎと癒しを与えました。
2は感受性が豊かで、とても優しく、人を思いやる心を持っているナンバーであり、彼自身もファンを「家族」と呼び、スタッフにも謙虚に接し、いつも細やかな気配りができる人でした。そんな優雅な物腰、心癒される笑顔だけでなく、内面に秘められた強靭な精神力、知性と教養にも魅了されたのでしょう。冬ソナ以降、慈善活動も積極的に行っています。最近の彼はというと事業家投資家として韓国で財閥に劣らない資産を築いています。

Destiny 6 調和
<使命や目的>
自分や誰かのためではなく、崇高な愛をもって世のため人のために尽くすナンバー。
まさに彼は使命ととらえ、周囲の人への奉仕やサポートをし、積極的に奉仕活動や寄付をし、社会貢献活動を行っています。
『冬ソナ』のブームで、日韓交流の立役者でもあり賞賛される反面、まだまだ反日反韓感情が根強い現実も受け止めていた彼は「私に役割があたえられているとしたら、国家領土に線を引く(竹島問題)ことより、アジアの家族(ファン)たちの心と心の線をつないでいくことではないかと思います。そしてその仕事に最善を尽くしたいです。」と答えていて、俳優として文化の交流を通しアジアを一つにしたいと念願し現在も活動しています。

Soul 6 調和
<魂の欲求、行動基準>
愛・美・調和、真善美の境地を極める、自己回帰へ向かうナンバー。
調和を象徴する意味では美的感覚にすぐれていますので、表現者として写真家として芸術面で才能を開花させました。誠実でやさしく周囲に癒しを与える人。Destinyも6ですので、ヨン様のイメージと彼自身にギャップはなかったのではないでしょうか。愛情や家族のナンバーで、家族や親しい人をとても大切にし守っていく。とても義理堅く、大切な人のため、また世の中の人のため、何かしたい!という奉仕の気持ちが強くヨン様の慈善活動は有名です。

Personal 9 完結
<他者からの印象>
物腰柔らかそうで人当りの良さは多くの人が彼に対し持つ印象です。『ヨン様スマイル』のイメージが強いからでしょう、こんなにもヨン様ブームになったのは、彼または彼の役が真善美を備えた理想の人だったからではないでしょうか。 

Realization 8 秩序
<可能性、実現>
自己信頼と能力を育成し、地道な努力を続け、常に達成へ向かうナンバー。とても情熱的なエネルギーの持ち主で、何事においてもとても前向きに突き進んでいく行動力と力強さがあります。映画監督の道を選んで映画会社に入るも雑用ばかり、そんな時期でも映画や芸能界に少しでも触れていられるだけで幸せと仕事をこなしながら夜は演技の勉強をしたり、そんな毎日が楽しかったと述べてます。社会的に活躍することがテーマ。お金や地位や名誉などに囚われず葛藤やバランスをとっていきながら物質社会で学んでいくこと。富や名誉を得た中で、今後の動向に注目したいです。

Stage 7 飛躍
<精神性の領域、仕事の舞台>
マニアックに探求するナンバーで、彼は常に俳優としては未熟だというコンプレックスがあり、自分の未熟さが恥ずかしいあまり、不足の部分を隠そうとしていたそうです。不足感は感じながらも、今はそこから解き放たれ、ありのままの自分をさらけ出し、ファンの前で「ぺ・ヨンジュンは発展していきますから」と公言し、自分にも向けたメッセージだと述べています。

Challeng 14-5 変化
<試練数、チャレンジ>
14は、過去生で自由を取り違えていたので今世で真の自由とは?を学ぶナンバー。また14-5は、機敏に動くバイブレーションをもっているので海外に縁があります。まさしく韓国にとどまらずアジアで活躍することで固定概念にとらわれることなく「自由」を探求しドラマチックにやっているのではないでしょうか。

Nature 3 発展
<自然にもっている雰囲気>
与えられた試練や今回の人生での課題。
上品で礼儀正しく知性があふれています。そして、一番の印象は「癒し」。


Action 2 相対
<行動パターン>
バースも2である彼は、優しく人を思いやる心を持ち、感受性豊かに直観的な洞察力も合わせながら、活動しています。また、平和的活動も積極的に行っています。




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Cycle Number : どのようなことを学ぶ時期か。

 0~34才 8 
バイタリティーを持って地道な努力を続け成功を目指し、富や名声を得ることを経験した時期。29才で冬ソナに出演し、31才ごろヨン様ブームで爆発的な人気を博しました。

 35~52才 11→2
理想に向かって強い意志を持ち、直観や感受性豊かに変化を受け入れながら調和していく。韓国では自分を隠さない、足りないものがあれば堂々と補うのが当然という考えで、何事も上昇志向が強い国民ではあるが、彼は成功後も「世の中は早く変わる中で、内面が停止していたらいつかは淘汰されます」と述べています。これからも常に地道に新しいことに挑戦していくことでしょう。


Pinnacle Number : どんな状況の時期か。

 0~34才 1
1番何が大切なのか?どう生きたいのか?をインスピレーションや直観を信じ、社会に
打ち出していく時。人に癒しを与えられるナンバーなので俳優としても人としても、そんなイメージを根付かせた時期だと思います。

 35~43才 3
発展の時。マルチに明るく楽しく表現をしていく。
まずは自分が光り、そしてまわりに光をなげかけていこうと、精神的な喜びを人に与えていく。芸能活動としては俳優業以外にもプロデューサーや若手俳優の育成などや、事業家としてもマルチに表現しています。

Challenge Number : 与えられた試練や今回の人生での課題

 0~34才 6
イメージの世界で価値ある創造物を現実社会で具現化すること。
彼は「冬ソナ」のアジアでのヒットを通し、韓国も日本も情緒や感情が同じということ、韓国と日本が近くなるきっかけに繋がったことに喜びと使命を感じたと述べています。

 35~43才 10-1
10は大きく流れが変わります。前世でやりのこした目的を今生で果たすナンバー。
人道的な目的や人に癒しを与えていく。日韓の架け橋という意味では、1でいう開拓者といえるでしょう。また、この時期に事業家としても成功していて、現在は、アジアでの大きなシェアを誇るエンターテイメント会社の筆頭株主として、彼が理想としていた「アジア各国のエンターテイメント業界と双方向で交流を広げる事業がしたい」という夢が実現されました。



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HISTORY

若年期 8
幼少期のヨン様は外で遊ぶより、屋根裏部屋などにこもって一人で物事に没頭する内向的な性格だったようです。玩具で遊ぶのも普通の子どもとは少し違って、タダ遊ぶだけではなく、解体して仕組みを調べてまた組み立てたり、 とにかく好奇心が強かったようです。
しかし、貧弱な子どもであったのかというとそういうわけでもなく、 父親のススメでテコンドーと柔道を習ったりもしていました。
12才 5(5のサイクル) 
さらに変化をする時期。
学校に入学すると勉強に没頭するようになります。彼の旺盛な好奇心が今度は勉強に向かったというわけです。中学時代の彼の成績は非常に優秀、いわゆる優等生でした。
15才 8
バランスを学ぶ年。
高校に入り、内向的な性格を改善するため、友人たちとのスポーツを楽しむよう心がけました。建築家になる夢を持ち始めた時期。
18才 11 
感受性を増し、内面への探求に向かう年。
大学受験に失敗し敗北感の中、将来どうすべきか考える為に無銭旅行へ出て、力仕事や物売りをし、また受験に挑むことを決意しました。
19才 12 
不要なものをそぎ落とし新たな1歩を踏み出す年。
2度目の大学受験も失敗。ここまでして大学に行く意味があるのか?と自分の生きる道を真剣に考えました。そして、かつて観たアメリカ映画に影響を受けていて「映画監督」になりたい!という夢が明確になり、映画制作会社に入社しました。
21才 5
大きな人生の転機の年。
会社では映画監督とは縁遠いポスター貼りや力仕事の雑用ばかり。映画に携われることだけでも幸せと日々仕事をこなす中、映画のためならどんなことでも身につけていくと意欲満々に、演技にも興味がでてきて、セリフのために発声やアクション、繊細さも必要とクラッシックバレエなど寝る間を惜しんで努力していました。
知り合いにドラマオーデンションの話をすすめられ、まだ準備不足な自分なので、受かりたくないと思いながらも受けたら見事合格しました。
22才 6  
忍耐と歓びと感受。メディアでの収入。
「愛の挨拶」で主役として俳優デビュー。俳優経験のない彼にとって重責で、そのプレッシャーで不眠になったりしながらもこのままではいけないと撮影後、夜に演技やセリフの指導をうけてました。毎日ムリをし睡眠不足と疲労で2ケ月で体重が12キロもおちました。そんな苦労の撮影の中、監督が見違える程よくなったと褒めてくれたたった一言で自信が持て、彼の演技者としての才能が芽生えた時期でした。
初めて俳優で収入を得ました。
28才12 
19才の12と違い、苦しい中での変化ではなく、自ら変化を選ぶことにより断舎離し内的エネルギーを解放。
二度の受験の失敗という挫折から乗り越えた今でも、根っこにまとわりついていた「失敗や敗北」というものを解くためにも大学へ行く必要性を感じ、また映画監督への夢の実現に向けて勉強したいという両方で成均館大学に入学しました。
29才 13 
急上昇、開始の年。
「冬のソナタ」に出演。韓国で放送とともに国内で「冬ソナ」旋風が起こりました。
32才 7(6のサイクル)  
調和のサイクルの中での飛躍の年。
アジアでの「冬ソナ」の大ブームで、「ヨン様フィーバー」が一気に過熱した年で、俳優として最高に開花した時期でした。しかし、その人気の渦中にいても彼は「経験が足りない」「まだまだ学ばないといけない」と冷静に次へのステップへと学びを深めていった時期でもあります。またこのころから彼の社会貢献(寄付)活動がスタートしました。
33才 8  
お金や地位や名誉を手に入れる年。
倒産寸前の会社に9億円を出資し筆頭株主。日本でも飲食店の経営にも。
34~35才 9→10 
ドラマチックに変容しながら未知の領域に入る時期。
4年ぶりのドラマ「太王四神記」に出演しました。今までの出演ドラマとはケタ違いの壮大な規模のスペクタクル時代劇でした。1年8ケ月に及ぶ撮影で度重なるケガをしました。
36才 11 
霊的感受性が強くなり、直観やインスピレーションが働く。消極的だと揺さぶられる年。
過密スケジュールの中、長期休養ためNYへ。常に精神世界と現実世界を行ききしている中で、精神的な平穏を保つための休養だったと。
韓国政府から「文化勲章」を受章
無断掲載による肖像権の侵害で出版社に損害賠償訴訟

37才 12 
コラボレーションの年。
「ヨン様フィーバー」から少し落ち着き、仕事の内容も少しずつ変化し、コラボレーションした仕事が多くなった時。そんな中過労でダウン、敗血症で入院。幸いにも初期症状で大事に至らず。
38才 13 
ヒーリングの年。
東北太平洋地震への寄付(7300万円)
42才 8(7のサイクル)
責任や義務、達成の年。
女優のパク・スジンと結婚



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ぺ・ヨンジュンを読んで。。。

「冬ソナ」出演をきっかけに彼の人生は大きく転換しました。彼自身の人生だけでなく、アジアにおける韓国の存在や、また日本においては経済効果や「韓流」というカルチャーを築いたことはひとつの歴史に残るものとなりました。
人気とともにアンチ思想の両方を彼は冷静に受け止めていました。バース「2」の急速な変容を冷静に受け止め、そして、その両方を感受し調和を目指していく。
そのために「韓流は一方的な流れにしてはならない」「重要なのはアジアのエンターテイメントを発展させていくこと」「相互に補充しあう関係を作りたい」と述べています。果たすべき役割に対し、強い責任感と使命を持ち、地道に謙虚に活動してきたのではないでしょうか。

あれよあれよとアジアの大スターになった彼、しかし常に自分は不十分だと感じていたそうです。それは「6」の完璧主義や心配性「2」の相対を受け入れず比較し劣等感や不足感など、アマチュアの部分がでているのかと思いましたが、調べていくうちに安にそれだけではなく韓国人特有の捉え方がそうだといくこと。

どういうことか、「苦しい時」日本人は気休めでもいいから楽しいことで紛らわそうとする。一方、韓国人は奥底に宿る一つの情緒に「恨(ハン)」というものがあり、それは単なる恨みではなく、「苦しみがあれば、それが宿命と受け止め絶えて生きていく」「心から願ったことが叶わなかった時、それが恨となってその人の心を苦しめる。」また、先祖から受け継いできた民族的感情の最たるものが「恨」だそうです。この「恨」が、韓国人の心の在り方と密接に結びついているということ。そこがまずベースにあることを踏まえ読むと「6」の「まず自分を愛する、受け入れる」。そのために「2」でおしんを経験し「6」の忍耐強さと「8」の負けず嫌いと強靭な精神力で、まずはありのままの自分や受け入れ、さらけ出し、解放したのではないかと思います。そこから「2」の他人を受け入れ「6」の人を愛し「8」の情熱で行動していく。

彼はこう述べています。その「恨」という情緒が、日本人の心に共感共鳴し、たくさんの人の心を掴んだのが「冬ソナ」と。そのことで彼もまた、韓国とアジアの人々の心が繋がったことに共感共鳴しました。それが根底にあったからこそバッシングを受けながらも揺れることなく、自身が架け橋になるように勢力的にドラマチックに駆け巡ったのではないでしょうか。
彼のプライベートはあまり情報公開されていないため、俳優として芸能人としてのイメージでのリーディングに比重が多くなりましたが、彼を取材した方や彼に関わった方は、素顔もやはり「ヨン様」そのもの。孤高な人生哲学を持ち、謙虚で穏やかで、しかし強靭な精神を持った男らしい男だそうです。現在は俳優活動をお休みされていますが、今後また俳優として新たな作品で出会えることを期待したいです。


Reported by Keiko
AEONS Numerology Basic 10th Class @ Yokohama

by kej000 | 2016-07-25 22:00 | 数秘レポート

笑者でありたい・・「ミスチル・桜井和寿」


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櫻井 和寿 
Kazutoshi Sakurai
生年月日 1970年3月8日


日本のミュージシャンであり、Mr.Childrenのボーカリスト、ギタリストである。本名の読みは同じです。
東京都練馬区出身。アマチュア時代から一貫してMr.Childrenの楽曲の作詞、作曲を手掛けている。 2004年からはBank Bandというチャリティーと音楽をつなぐ活動をしています。



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[バースナンバー 10-1 ]
バンド結成から現在までMr.childrenを引っ張ってきたのはもちろんのこと、老若男女を問わない認知度はミュージックシーンを開拓し新たな音楽を創造してきたからこそ。Mr.childrenは高校生の時に結成されて以来、彼の作詞作曲のもと、活動をしてきました。メジャーデビューの話をもらった時の事ですが、櫻井さんの提案で音楽を見つめ直すために3ヶ月の活動休養を提案。メジャーデビュー前に活動休止をしようなんて聞いた事がありませんが、この斬新なプロ意識は音楽活動を今一度見直すというもので、3ヶ月後Mr.childrenは『気持ちがナチュラルなときに感動できるっていう普遍性のような魅力』目指すようになったと言われています。そして今もその方針は変わっていないのです。
まさに1のピュアな独創性と開拓精神に満ち溢れた創始者で、10の直感力に長けています。
また彼は、19の素質である激動の変化をくぐってきた方です。


[デスティニーナンバー 12-3]
最近のインタビューでは「何かのせいにするのではなく、発送を転換することでポジティブに明るくなれる。それを提案みたいな感じでやっている。それが今のMr.childrenです」とおっしゃっています。
実際、最近彼は歌うとき笑顔を浮かべて歌うことが多いと感じます。それは、笑顔で歌えるような曲ができるようになったということです。


彼はブレイク後、様々なことを経験しました。それは楽しいといえるものではなく悲しみと苦しみによるものが多く、彼がその時代にリリースした曲や詩には劣等感だったり現代への悲観的な投げかけ、さらに人間の脆さをテーマにしたものばかりでした。
上記のような非常に激しい人生を乗り切ったからこそ『愉しむ』『JOY』ということがどれだけ難しく大きなテーマなのかを理解する事ができるのだと思います。
また、ミスチル現象といわれる大ブレイクを果たしたミスチルでしたが彼は正反対に追い込まれていったというのはファンの中では有名な話です。彼が鬱状態だった時期と言われています。売れた途端にマスコミから追われ、自分たちよりも音楽を聴いてほしいという気持ちに苛まれていった時期があったとおっしゃっています。3のアマチュアの状態が強く出ていた頃でしょう。
この時の曲には彼の中のマイナスの部分との葛藤や現実社会の汚い部分をテーマにした曲が多く混沌の中でもがく櫻井さんのイメージが強く残ります。サイクルの説明の際に解説させていただきますが、彼はある出来事により大きく変化を遂げます
。まず歌うとき笑顔で歌いますぽ。そして歌というものへの探求は一語一句を音でどう表現するかという情熱と野心を強くしていきます。
また彼は、最近のインタビューの中で「僕は、笑者でありたい』と語っています。彼の中で、笑顔で愉しむという感覚が非常に鮮明に目指すべきものに変わっていると感じます。



[ソウルナンバー 6 ]
彼が変化するきっかけとなったの大きな出来事が結婚と離婚でした。売れない頃から支えてくれたマネージャー的な存在の方と結婚。その後Mr.childrenは大ブレイクを迎えました。おそらく奥様は身を投げ出し、彼等を必死で売り込んでいたのだろうと思います。しかし一方でプライベートでも仕事をしている、追い込まれている感覚になり自分達ではなく、音楽を聴いてほしいという気持ちが重なり、鬱状態へとなって行きます。そんなある日、彼のもとにある女性現れます。それが現奥様です。彼女と不倫関係になり、彼の実家の近所に住まわせていました。この時点で彼が心を許すことができる女性なのだと感じます。離婚調停中に彼は会えない不倫相手(現奥様)に歌を捧げます。そして、離婚が成立した後すぐ再婚をしました。その数年後、彼は元お子様とお子さんにも曲を残しています。『優しい歌』とい曲はお子様にあてられた曲だと言われています。彼は愛を表現する手段も歌なのだなとふつふつと感じます。
その愛は身内だけではなく、時には他者へも向けられます。彼は最近よく悲惨なニュースというフレーズを曲に使います。これは、『事件とか悲しいニュースの責任追求をするのではなく、自分の内面にもその責任や原因の一端があるんじゃないかと意識する』6の特質である本質を理解しているのではないかと感じる発言です。
また、彼はブッタの言葉に強い衝撃を受けたとおっしゃっています。『生まれたばかりの我が子が死んでしまった母親へ向けた、生きている子は生きているまま愛せばいい、死んでしまった子は死んだまま愛せばいい』という言葉。この言葉をきっかけに彼は『愛とは、想像力の事で自分以外の誰かを想像してあげる力のことをいうのではないか』という信念で曲を作るようになったとおっしゃっています。
自分は何者なのか自己回帰をし、他者へも愛情をおすそ分けできるまさに6のナンバーの方だと感じます。


[パーソナルナンバー 6 ]
おっとりというイメージはあまりありませんが、メンバーといる時はどちらかというとあまりしゃべらずニコニコしていることが多いイメージです。また、彼はお子様が4人もいらっしゃる子煩悩パパです。


[リアライゼーションナンバー 4 ]
感情と論理の調和という4の特性を強く感じます。彼の音楽は常に人生の出来事とともに変化しています。
また音楽業界への開拓は、時代によって変化していく曲と彼の認知度で証明することができると思います。


[ステージ 5 [
まさにクリエイティブな世界で活躍しています。


[チャレンジ 22-4]
彼のコアナンバーの波動は強いのですが、あれだけの影響力とパワーには何か物足りない感じがしていました。そして、チャレンジナンバーの22が大きな影響を与えているのではないかと感じました。
人生の課題に22という大きな数字をかがげている。ファンの中では教祖様のように感じる方もいるくらい彼のつくる言葉は影響力があります。
自己の目的を公的なものに定め、個人的利益を追わず大きな視野のもと広く循環する環境エネルギーを意識する、という22の目指す部分は、2004年から彼が始めているチャリティー団体『Bank Band』がまさに22を高めていくきっかけなのではないかなと感じます。



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year cycle

幼少期 3
勉強はできなかったが、運動神経が良かったそうです。体にイボが100個くらいあって『イボ野郎!』とからかわれたけど、『みんなから注目される、この状態が気持ちいい』思っていたそうです。まさしく3の楽観的な状態。
中学時代に不良グループの仲間にされ「万引きしてこいと』命令する番長が嫌で交番に行き自ら『僕は万引きしております』といい、親に知られ不良グループから抜けたそうです。自分の感情を誠実に表現したのでしょう。


15歳 19-25
2桁という世の中に運翻弄される数字の中でも音楽に興味を持ち初バンド『beatnik』結成。
現在Mr,chiidrenのギター田原とベース中川とはこのころからの付き合いである。
このころから感覚的に自分が一生付き合っていく人をチョイスしていたのかもしれません。


19歳 2-2
今までの二桁の人生から初めて1桁に変わる時、『Mr.children』とバンド名を変更した。そして渋谷でのライブで現音楽プロデューサー小林武史との出会いを果たす。人生で一番大きな出来事ではないかと思いますが、自分の意思だけで動けるサイクルにこんな重要な事や出会いがあったとは、驚きです。


22歳 2-5
小林氏がきっかけとなり芸能界でメジャーデビューを果たす。大きな変化となる。
しかし2のサイクルということは、どちらかといえば受け身で芸能界へ入って行ったのだなと感じます。
それは後々の発病とつながっていくのかもしれません。


24歳 2ー7
『crossroad』で大ブレイク。ミスチル現象という言葉まで誕生した最中、マネージャーをしていた女性と結婚。
まさに新たな生活状況のスタートを切っています。


27歳 2-10
精神不安定で鬱状態になる。以前から不倫していた女性とのスキャンダルで、泥沼離婚となる。このころが本当に辛い時期だったと思います。彼の歌っている表情に笑顔はなし。このころ活動休止します。


30歳 3-4
離婚が成立し、不倫状態だった彼女と結婚。今でもオシドリ夫婦と知られるほど仲が良い。
彼女のバースナンバーは21-3なので、何か本来の自分と重なる部分があったのでしょう。


32歳 3-6
小脳梗塞を発症。6のアマチュア状態。しかしこの時多くの仕事を一切休止し多忙だった日々に変わり少し時間ができたでしょう。彼はこのときに自己回帰をで自分は何を求めていて何がしたいのか本質を探り、奥様や身内の方の愛を強く感じることで愛というもののすばらしさに目覚めたターニングポイントなのかなと感じました。曲調が変わるきっかけはおそらくこの時の感覚なのではないかなと感じます。


33歳 3-8
環境保護や自然エネルギーなど様々な環境保護プロジェクトを低金利融資」する為の「bank band」結成。これは音楽プロデューサー小林氏と彼が結成している。8の時にきっちり契約を結んでいます。
またこのころから彼の詩には今までの恐れや恐怖心が感じられなくなりました。


46歳 4ー11
休止していたが、復帰しライブなど精力的に活動。昨年何かきっかけがあったのかもしれません。
Pinnacle no.が45歳から9に入っているので、スピリットな領域へ進み完結や色々な方の教祖のような役割を受け入れ、進んで行くような気がします。




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彼から私が学ぶこと
調べて思ったのは、やはり世界一いい男だと思えること!
そして、彼の純粋な心です、彼の曲は人生の変化と共にあり更に大きな高みへ向かっている。
私が彼から学ぶことはまさしくエゴを捨てる事だと感じます。
また自分のChallenge No.が32歳から40歳まで1のサイクル、41歳から49歳までもう一度1がchallenge No.で入ってくるのです。櫻井さんをみるきっかけとなったのも彼のB No.19-10-1を知る必要があったからなのかなと感じました。
そして、今櫻井さんのように好きでしょうがない、人生を共にする何かを見出すことなのかなと感じました。
彼のように私もPinnacle no.に9をも持っています。彼のように変化を受け入れ、成長していきたいと思います。



Reported by Kanae
AEONS Numerology Basic 10th Class @ Yokohama

by kej000 | 2016-07-25 21:32 | 数秘レポート

人生をまるごと愉しむ*任天堂・岩田聡 

日本を代表するゲーム会社 任天堂(株) の経営者であり天才的プログラマーであった岩田聡さん
ゲームを通して世界に革新的エンターティンメント発信し続けた 彼の生涯を数秘で辿るレポートです



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岩田聡(iwata satoru)
1952年12月6日~2015年7月11日(満55歳)
任天堂株式会社 前代表取締役社長

岩田さんは、社長に就任してからの7年間で、任天堂の売上を約3倍に増やした敏腕経営者です。そして、一方で「社長にしておくのがもったいない」と言われるほどの能力をお持ちの、天才プログラマーです。「星のカービィシリーズ」をはじめ、数多くのヒットゲーム作品を生み出されました。

私は岩田さんの存在を、ネット上で公開されていた対談記事をたまたま読んで、知りました。特にゲームが好きなわけでも経営に興味があったわけでもなかったのですが、あっという間に岩田さんの魅力に惹かれました。岩田さんの、ロジカルな思考回路と人を思いやるあたたかさが同居している、不思議な魅力を紐解きたくて、リーディングさせていただきました。




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IWATA SATORU

Birth number:15-6
「6」は愛と調和、真・善・美、奉仕のナンバー。
Birth numberに6を持つ人は、誠実で控えめで、周囲に癒しを与えられる人、愛情深く思いやりがあり、様々な人の気持ちを受け入れられる人と言われています。

そして、岩田さんはまさに、6の人であったと思います。

岩田さんが32歳の時、当時勤めていたHAL研究所というゲーム開発会社が多額の借金を抱え、経営難に陥ります。岩田さんはそれまで役職にはついていたものの経営にはあまり関与せず、ゲームソフトの開発に専念されていたそうですが、自身が社長になることが一番合理的だと判断し、経営未経験の身ながら社長に就任。そして6年間で15億円の借金を返済してしまいました。

これは一見、岩田さんの冷静で合理的な判断力を表すエピソードのように見えます。しかし実は、岩田さん自身、理系的に何が得かと考えれば社長就任という選択肢はなかった、とお話されています。また、社長就任を打診されて最初に考えたのは、逃げることだったそう。それでも逃げずに、損をするかもしれない社長という道を選んだのは、「一緒に汗をかいた仲間がいるのに、どうして逃げられるかというのがいちばんおおきい要素」だったそうです。

仲間がいるから逃げない、という発想の根っこにあるのは、論理性でも合理性でもなく、仲間に対する「愛」だったと思います。
岩田さんがロジカルで常に「最適化」を考えてこられた方なのは、間違いありません。しかし、その発想や動機の根底に流れていたのは、「愛」だったのではないかと思います。

岩田さんの部下として働かれていた方は、岩田さんのことを、時に面倒だなと思うくらいに「人が好き」というエネルギーに満ちている人だったと語ります。
また岩田さんは、人が困っていることを解決したい、という動機があれば、自分よりも相手を優先してしまうことがあったそうで、もちろん冗談ではありますが、ある人から「それはもう一種の病(やまい)だ」と言われてしまったそう。

6ナンバーの人は深い思いやりを持っているがゆえに自分よりも周囲を優先してしまい、本来の自分を見失ってしまいがちともいわれていますが、岩田さんの「人のために」という想いには、自己犠牲的な悲壮感は見られません。他人の問題をまるで自分事のように考え悩む岩田さんは、周囲から見ればうれしそうにしていたそうですから、本当に心から、人が困っていたら解決したい、と望んでいたのでしょう。

岩田さんは、とあるインタビューで「私は、ただしいことよりも、人が喜んでくれることが好きです」と語られています。

天才プログラマーであり敏腕経営者であった岩田さんの、とても6ナンバーらしい言葉だと、思います。


Destiny number:4
「4」は、組織の土台や秩序をつくる、現実社会の中で基盤をつくっていくナンバー。

岩田さんは前出のHAL研究所で社長として見事に会社を立て直し、任天堂の当時の社長に経営手腕を買われて任天堂に入社。そのわずか2年後に代表取締役に就任されました。
任天堂という大企業の舵を取る中で、特に「開発体制」という組織の基盤づくりに力を入れ、ベテランと若手の両方が力を発揮できる環境を、と心がけてこられたそうです。岩田さんの死後、任天堂の経営体制は大きく見直されましたが、その体制も、岩田さんと役員陣とで何年も取り組まれたことだったので、大きな混乱はなかったそう。

思わぬところから、社会人人生の半分以上を会社経営者として過ごされた岩田さんですが、D4の使命をしっかりと全うされました。


Realization number:10-1
「1」はリーダーとして周囲を引っ張り、自分を信じて創造、革新、開拓していくナンバー。

岩田さんは任天堂の社長に就任して以降、まさに革新的といえるゲーム機を次々と発表されました。

「ニンテンドーDS」や「Wii」は、今でこそ大人気ゲーム機として世に定着していますが、どちらも発表当初は否定的な意見が多く、「任天堂が変になった」という声もあがったそうです。それまでのゲーム機の延長線上ではなく、まったく別の方向性を打ち出したWiiについて、岩田さんは「社運を賭けた戦い」とインタビューで答えられていました。そしてその戦いは、任天堂という会社はもちろん、ゲーム業界全体の戦いであったと思います。

岩田さんは任天堂に入社する以前から、ゲームをする人(=ゲーム人口)の減少を懸念されており、任天堂の社長に就任してすぐに「ゲーム人口の拡大」を目標に掲げます。ニンテンドーDSもWiiも、販売当初こそ様々な反発が生まれたものの、それまでゲームに手を伸ばさなかった層を取り込み、見事にゲーム業界の常識を覆しました。

周囲や会社の成長だけでなく、業界全体を見渡し、変化を恐れずに新たな価値観を生み出す行動力は、まさにR1の本領発揮といえます。

また、「10」は人生のある時期にそれまでと全く違う道、特に人道的な目的へと向かうことが多くみられるナンバー。プログラミング一直線だった岩田さんが、ゲーム業界を牽引する立場になって、業界全体を盛り上げる道に進んでいったのも納得です。


Soul number:21-3
「3」は人生をまるごと遊び、愉しみと笑顔を求めるナンバー。

高校時代からプログラムを書くことにハマり、大学時代にHAL研究所でプログラミングのアルバイトをしていたら、おもしろくてそのまま入社してしまったという岩田さん。一流大学から一転、社員5名の超零細企業に入社したことでお父さんと決裂し、半年間、口を聞かなかったそうですが、安定した地位やお給料よりも、「おもしろさ」を最優先された3ナンバーらしいエピソードです。

いきなり大借金を抱えることになった社長業も「やっていておもしろくてしょうがなかった」そうですし、困っている人を助けるのも、その人がかわいそうだからというより「人が喜んでくれるのがおもしろかった」からだそう。Challenge numberが「3」であることも考えると、もしかしたら岩田さんは「おもしろい」という経験ができたのが今世が初めてだったのでは?と思うほどに、とても無邪気に、あらゆることをおもしろがっていらっしゃいました。

また岩田さんは、大企業の社長とは思えないほどフットワーク軽く、自社製品のアピールの場に登場されていました。ゲームキャラクターのコスプレをして豊かな表現力でゲームの魅力を語られる姿は、3ナンバーの表現者・エンターテイナーとしての一面だったと思います。


Personality number:1
「1」は周囲から、エネルギッシュで、しっかり者、責任感が強い人と見られるナンバー。

岩田さんはお写真や動画で拝見する限り、とても優しくて穏やかな印象です。実際に、一緒に働かれていた方も、岩田さんから威圧感を感じたことはなかったそう。常に周囲に目を配り、相手の気持ちを思いやりながらコミュニケーションを取られていた岩田さんですが、頼りなさや気弱さは一切感じられません。むしろ強いリーダーシップをお持ちだったと思います。
任天堂は創業以来、同族経営をされてきたそうで、岩田さんが初めての血縁ではない社長、しかも入社して2年目という異例の早さでの就任でしたが、その状況で大企業を牽引されてきたのは、皆をひきつけるカリスマ性をお持ちだったことが、要因の1つとなっていたのではないでしょうか。


Stage number:3
「3」は表現、エンターテイメント、精神的な喜びを提供するナンバー。

岩田さんは生涯、「ゲーム」という世界を通してエンターテイメント性を発揮されており、自身が最も輝く舞台で活躍されていました。



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0歳 Year number:24
北海道札幌市に生まれる。

16歳 Year number:22
hp社が開発した電子計算機の存在を知り、アルバイトをして貯めたお金で購入。その魅力にとりつかれて独学で学びながらたくさんのゲームを作られたそうで、岩田さんのゲームエンジニア人生はここから始まります。

20歳 Year number:26
大学入学祝いを頭金にマイコンを購入。今とは比べものにならないくらいの低機能ではありましたが、その限られた機能の中でプログラムを打ち込んでいったことが、プログラマーとしての下地を作ることとなりました。

23歳 Year number:2
サイクル2=学びと自立の年に、HAL研究所入社。

25歳 Year number:4
サイクル4=昇格の年に、取締役に就任。

34歳 Year number:4
代表取締役に就任。
取締役に続き、「4」の年に、会社の経営基盤をつくるポジションに就かれました。

41歳 Year number:11
任天堂に入社し、取締役に就任。
11は真の理想に向かって、目標をしっかり掲げる年。その年に、岩田さんはゲーム業界全体を救うために、任天堂に入る決意をされました。

43歳 Year number:4
代表取締役に就任。
HAL研究所に続き、任天堂の社長の座も「4」の年に就かれました。

55歳 Year number:7
胆管腫瘍を患っていることを発表し、休養に入る。
「7」は休息の年。ここまで全力疾走を続けていた岩田さんに、少し強引ではありますが、ストップがかかりました。しかしその2ヶ月後には、もう復帰されます。

55歳 Year number:7(年度としては、8になる年でした)
2015年7月11日、逝去。

同年3月に、ディー・エヌ・エーと業務提携し、スマートフォン向けサービスを共同開発することを発表されており、新たな挑戦をしようとされていた矢先のことでした。

その後、ディー・エヌ・エーとの共同開発は一時中断することとなりますが、岩田さんの1周忌を迎える今年7月、任天堂初のスマートフォン用ゲームアプリ「ポケモンGO」が海外で配信され、またたく間に大人気ゲームとなりました。





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岩田さんをリーディングさせていただいて感じたのは、とても「持っている数字らしく」生きてこられたんだな、ということです。「数字らしく」ということは、本来の自分らしく、時の流れに逆らわずスイスイと乗りこなしてこられた、ということです。そして、数字らしく生きることができたのは、自分の本音とちゃんと向き合ってこられたからではないか、と思います。

岩田さんの言葉で一番印象的なのが、「私の名刺には社長と書いてありますが、頭の中はゲーム開発者です。でも、心の底ではゲーマーなんです」という言葉です。どんな立場にあっても、人をおどろかせたい、喜ばせたいと願い、子供のようにおもしろさを求め続けた岩田さん。そんな、自分の本音に素直に、そして心から人生を愉しまれていた岩田さんの生き方に、私は惹かれたのだと思います。


Reported by Eri
AEONS Numerology Basic 10th class @ Yokohama

by kej000 | 2016-07-25 21:23 | 数秘レポート

生涯バンドマンにこだわった「忌野清志郎」


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忌野清志郎
(いまわの きよしろう)
職業:バンドマン
本名:栗原清志(くりはら きよし)※出生の時の名前は不明です。養子後の名前です。

生誕:1951年4月2日
死没:2009年5月2日


清志郎は、 RCサクセションのボーカルとして、日本のロック界に新しい風を起こし
「ロックンローラー現役で老衰で死んでいきたい」という希望はかないませんでしたが、
がんの闘病後もステージに立ち、あのソウルな歌声を聴かせくれました。
最後まで、アーティストではなく、シンガーソングライターではなく、バンドマンとして全うしました。人生そのものがロックの人でした。



★誕生数(生まれ持った特質・本来の姿)は、「22-13-4」

13-4は「修練」のナンバー。創造と破壊を繰り返す。オリジナリティ、リーダーシップを発揮する。ヒーラーの適正もあります。さらに、22は「創造」のマスターナンバー。創造性にあふれ、天と地の懸け橋となるような社会貢献をする。現実社会、組織の中で、大きな視野の愛のもと、偉業を成し遂げるパワーがあります。

「古いものを壊す側にいたい」・・・彼が生前に語っていました。
彼の作る音学の根底には、大ヒットするために綺麗にまとまるではなく、
今までの誰かを真似するでもなく、
とはいえ前衛的に走るではなく、
自分たちだけのオリジナリティやスタイルを模索し続けていたようです。
ラブソングばかりではなく、
時には、原発や君が代をテーマとした曲を歌う。
音楽やテレビ業界に向けての風刺的な曲を歌う。
時代時代に合わせて、ユーモアとお茶目な表現力で、
つねに権力的な立場に対して、正直な気持ちをこめた音楽もたくさんありました。
世間では、問題児として取り上げられるものの、
歌詞は、公平で、平和で「愛」のあるものでした。
彼は実の母と父を知りません。3歳の時に養子に迎えられ、その事実を両親は隠していたようですが、本人は知っていたそうです。甘えたいけど甘えられない・・・そんなジレンマを抱えていたと思います。両親の心の痛みも、自分の心の痛みも、両方を敏感に感じながら、人を感動させる歌詞を生み出してきたのかなと、改めて感じます。

彼の人生は
まさしく数字どおり、「創造と破壊」を繰り返しながらも、現実社会で、新たな視点を提示し、偉業を成し遂げてきたと思います。
私にとって「ヒーラー清志郎」。
彼の音楽と歌声は、みんなを元気にしてくれる「ヒーリング」そのものではないかなと思います。


★運命数(この世における使命や目的)は、本名:12-3 芸名:16-7

本名からも、3の数字があり、アートの才能がみられます。小さいころから漫画を描いていたということで、絵の才能もずば抜けていたようです。ミュージャンから素顔の清志郎に戻っても、絵本を出版したり、サイクリングなどの趣味に徹底的に打ち込むなど、子供のような好奇心で様々なことを挑戦していました。

芸名は7。ステージに立つと、奇抜な衣装と化粧で、場を盛り上げ、歌で感動させるエンターテイナーでした。7という音楽の追求に対してのマニアックさ、独創性もあり、皮肉を込めた歌詞もあったりと、つねに冷静に分析しながら、自分や世の中をみていたようです。霊的な感覚もすぐれ、詩や曲は丑三つ時に、天から下りてくることも多かったと語っています。16の要素の真理の探究とうテーマからか、年齢を重ねるごとに、普遍的な愛を、曲から感じることもありました。



★実現数(人生での可能性や実現性)は、本名:7 芸名:11-2

本名からの7では、音楽という表現で、人と人がつながり、幸せになるという素晴らしい仕事を成し遂げられました。からにこもりがちな性格も、音楽により開放することで、自信につながり、徐々に心の壁を取り払っていったと思います。

芸名からの11-2では、音楽がベースとなり、メッセージ性のある言葉選びにも、自分の霊性や創造性を発揮して、日本から世界の平和や調和、愛をつねに歌い続けてきました。自分一人ではなく、バンドマンとして、調和を大切に音楽活動も行ってきました。夢追い人で終わらず地に足のついた行動は、ファンだけなく、音楽業界も含めた現実社会でも、確実に認められていたはずです。


★ソウル数(価値観や内なる動機・行動の基準となるもの)本名&芸名:11-2

本名も芸名も同じでした。「11-2」。
バンドでもリーダーとしてではなく、みんなが同じお給料で、調和を大切にしていたそうです。
「2」調和とバランスの要素がとても強い人だなと感じました。なのでたぶん、「生涯バンドマンでいたい」と語っていたのだと感じます。映像でみると過激な様子もありますが、シャイで繊細な人でした。化粧するのは、シャイな自分から「忌野清志郎」に変わるためだったという話も聞いたことがあります。
オリジナリティの音楽に自信はあったものの、世間で認められるには、時間もかかりました。
心の揺らぎの中でも突き進めたのは、周りとの協力的な姿勢があったからだと思います。
繊細な感性は、現実社会では理不尽なことも多々あったと思いますが、音楽で精神性を昇華させていく努力を生涯されていたと思います。


★人格数(他者の目に映る印象や雰囲気)本名:10-1 芸名:5

本名は10をもっています。高校生の頃、母親が「息子が音楽に夢中になっていって、将来が心配です」と新聞の人生相談に投書し、それが新聞に掲載されたことがあるという話は有名です。
そんな中で、反対されながらも、自分の直感や感性を信じ、ピュアに積極的に行動し、突き進んでいきました。親から独立し、やるべき使命を全うした姿は、「10-1」の霊的な創造性をまさしく発揮したものだと思います。

芸名は5。自由で多才で革新的なイメージ。予想不可能なひょうひょうとしたイメージ。
どちらもステージの清志郎そのものが数字に表れていると思います。




★ステージ数(活躍の舞台・仕事)本名:9 芸名:12-3

本名では9。様々な実体験をもとに、人類愛や博愛精神を大切にし、芸術性を活かして、人々を導いていく使命があり、芸名は3で、音楽や絵の才能を活かして、人々に喜びを与えていくのが、活躍できる舞台となります。どちらも清志郎が実践してきたことかなと思います。



★チャレンジ数(今回のチャレンジ)本名:5 芸名:5

どちらも5。既存の価値観に縛られることなく、生まれ育った家族との関係、仕事として選んだ音楽、精神的にも肉体的にも、浮き沈みを経験しながら、自分のやりたい真実の音楽をつねに追求してきました。バッシングも多々あったかと思いますが、それに屈することなく、一つ一つ積み上げて、真の自由をつかんでいったと思います。



★Nature数(自然な雰囲気)本名:14-5 芸名:8

ひょうひょうとしているけど、カリスマ性がある感じはぴったりです。



★Action数(行動パターン)本名:4 芸名:2

一発屋ではなく、確実に自分のやりたい音楽での実績を積み重ねていき、だけど威張らずに協調性を大切にする人でした。






【 HISTORY】 

参考文献
『ロックで独立する方法』(忌野清志郎、太田出版)
『忌野旅日記』(忌野清志郎、新潮文庫)
『瀕死の双六問屋』(忌野清志郎、小学館文庫)
『Rockin’ on Japan特別号 忌野清志郎1951-2009』
『忌野清志郎が聴こえる 愛しあってるかい』(神山典士、アスコム)
『文藝別冊 忌野清志郎デビュー40周年記念号』(河出書房新社)
ウィキペディア
スポニチアネックス
朝日新聞コラム
徹子の部屋



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★0歳(year number 22-4)

東京都中野区に誕生します。


★3歳(year number 16-7)開放・内省

実母の死により、伯母夫妻に養子として迎えられたそうです。

清志郎は子どものころから、自分が養子であることを知っていて、親がそれを自分に告げないでいることも知っていたと、のちに語っています。彼の言葉によれば、「孤独に耐える術を身に着けた」子供時代だったそうです。



大きな変化は

★19歳(year number 23-5)変化

フォークグループ「RCサクセション」として「宝くじは買わない」でデビュー。


清志郎少年は、学校に馴染めず、かと言って不良でもなく、物静かな少年だでしたが、
中学・高校時代から、エレキやフォークブームに刺激を受け、
同級生でバンドを結成し、オーディション番組に多数出場していました。
番組で合格したのをきっかけにレコード会社と契約。
はじめは、アコースティック系のバンドとしてデビューしました。

数秘的にみると、year numberの二桁が、なんと42歳まで続いています。
ソロ活動ではなく、一人より三人、四人の、誰かと調和やバランスをとっていくバンドマン志向が、ここからも伺えます。

小さいころから絵の才能もありました。高校時代には、未来の自分たちのバンドの活動を、ノート一冊の漫画に描いて、オールナイトニッポンに送って、番組で紹介してもらおうと試みたらしいですが、失敗に終わりました。



★21歳(year number 25-7)開放

「僕の好きな先生」がヒットします。

音楽人生のステージアップはあったものの、その後ヒットが続きませんでした。
ヒットした曲は正攻法ではなく、イロモノ的だったと本で語っています。売れる曲と作りたい曲のギャップ・・・その後の曲作りのイメージでかなり悩んだそうです。そんな葛藤の中で、バンドとしても低迷期が続きました。



★25歳(year number 20-2)調整

事務所移籍。移籍と同時に発売しようと企んでいたアルバムが、契約条件のためにお蔵入りに。

契約が切れた後の1年間はレコードが出せないということで、レコードも出せず、バンド活動もままならずで、バンドの方向性を見直すことになりました。「個人と共同体」のジレンマに。仲良しの友達同士から始まったバンドマンのターニングポイントを迎えることになりました。


★26歳(year number 21-3)創造

メンバーの脱退の後、さして面識もなかった売れっ子ギタリストにより、ロックの新生RCへ。

偶然なのか、必然なのか・・メンバーが抜けて途方にくれていたとき、彗星のごとくあらわれたのが、RCのファンでもあった売れっ子ギタリストの春日さんという男性でした。彼のアドバイスやギタリストとしてのバンドへの参加により、ロックとしてのRCの原型が確立されていきました。高校時代に描いた漫画の通りの「夢のバンド」に近づいていったようです。曲にも新たな表現力が生みだされ、今までにない作品となっていきました。


★29歳(year number 24-6)調和

「雨あがりの夜空に」やアルバム『RHAPSODY』のヒットで、メディアの寵児に。

メンバーの脱退や加入を繰り返しながらも、低迷期に蓄えていた曲など、本当に自分のやりたい音楽が形になり、精力的にライブ活動を展開していきました。ライブでの人気も高まり、世間一般にRCサクセションの忌野清志郎が認知され始めました。ミック・ジャガーなどの影響でメイクを始めたり、パンクファッションにしたりと、一度見たら忘れられない、清志郎ファッションも確立されていきました。



★31歳(year number 26-8)繁栄

坂本龍一とのコラボ「いけないルージュマジック」でRC以外のユニット活動も。

テレビのCMにもなった「いけないルージュマジック」のユニット活動は、忌野清志郎の認知度をさらにアップしていきました。万人受けするとは言えないまでも、強烈な印象でお茶の間を賑わせていたのは確かです。



★34歳(year number 20-2)調整

事務所独立。その反面、個々のソロ活動が多くなり、バンド活動が低迷する。

数秘的にもセカンドサイクルに入り、「4」の安定から「2」の調整やバランスになったころです。pinnacleが9でchallengeが5なので、音楽やバンドとしての完成形に向けても、必要なことと不必要なことを取捨選択していき、その変化を受け入れるサイクルになっています。

実際に、自分たちの事務所を作って自由度をましたかのようで、バンド的には不協和音が発生していたようです。一つの目標をみんなが目指していた時代から、それぞれの方向性が変化していき、新たな道を模索していた時のようです。



★37歳(year number 23-5)変化

養父母の死をきっかけに、実の両親や弟のことを知る。

養母の死をきっかけに、養父が実の子ではないことを教えてくれたと清志郎は語っていますが、養子であることは小さい頃から知っていました。その養父の死をきっかけに、親戚の方から、実のご両親のアルバムや手紙などを初めて渡されたそうです。実の父は、弟だけをひきとって別れたことや、母親の写真、母親が歌が上手くてみんなをいつも笑わせいたことなど・・まさしく母の様子は清志郎そのものでした。それから、いつも母の写真をポケットにしまって持ち歩いていたそうです。長年の謎を知り、涙を流し浄化していくことで、今までとは違う心の変化がおきていったのは間違いありません。それは、曲作りにも大きく影響していきました。


★38歳(year number 24-6)調和

長男「たっぺいくん」の誕生。

30代後半で結婚し、長男が誕生。ライブで替え歌にしながら喜びを表現するなど、親バカぶりも発揮されていたようです。バンド内のメンバーはギクシャクしながらも、year number 6のとおりに私生活ではお喜びごとの年となりました。


★40歳(year number 26-8)繁栄

RCの無期休業宣言。個人事務所設立。

「忌野清志郎のRC」ではなく「RCの忌野清志郎」と常に語っていました。
ゴタゴタからの解放感があったとはいえ、この休業は、清志郎自身の一部だったRCがなくなり、ぽっかり大穴が空いた大失恋気分だったそうです。解散後の一年はとても新しいバンドを始める気分にはなれなかったとのことです。

過去から独立する機会にはなったようです。心の痛みはあったものの、繁栄の8、無限大の8のサイクルであることもあり、これからのステージの広がりが予想されました。


★43歳(year number 2)調整

俳優活動に挑戦。映画「119」の音楽を担当。新たな分野に挑戦。

year numberがはじめて一桁になった年は、役者や映画音楽という今までにない分野での仕事を積極的に広げていきました。これをきっかけに、様々な芸術の分野で表現をはじめています。



★44歳(year number 3)創造

映画『119』に音楽監督として参加し、第18回日本アカデミー賞で最優秀音楽賞を受賞。

RCサクセションの解散以降、前にも増してさまざまなバンド・ユニットを渡り歩き、その時の自分の気分に合った曲を作り続けてきました。活動の場は広がり、映画の音楽をはじめ、CMソング、時には絵本作家として、時には役者として、清志郎の個性を様々な分野で、楽しみながら発揮していた時代だったと思います。




★55歳(year number 5)変化

音楽の聖地「メンフィス」でアルバム「夢助」をレコーディング。
その2ヶ月後に喉頭癌で入院することを発表し、すべての音楽活動を休止。


メンフィスのキングオブソウル「オーティス・レディング」。
清志郎が、最も影響を受けたミュージシャンの一人だそうです。
その聖地でアルバム『夢助』をレコーディング。
新たな始まりを予感させました。
しかし、その発売をまたずに、喉頭癌がみつかり、入院治療を余儀なくされました。
癌の摘出をすると声が出なくなると宣告されたことから、手術はしないで治す方法を選んだと聞いています。
その決断は、最後まで、うたを歌い続ける覚悟だった、彼の強い思いを感じることができます。


★56歳(year number 6)調和・完全

日本武道館にて『忌野清志郎 完全復活祭』を開催し、本格的に活動を再開。

日本中のファンが待ち受けていた復活祭。清志郎の歌声は変わっていませんでした。
サイクル6が表すように、愛を学び、愛を与え、すべてを、あるがままを愛することを教えてくれる愛と調和のライブだったと思います。



★57歳(year number 7)開放・信頼

転移のため、ライブ活動を休止。

治療に専念しながら楽曲提供、ライブの飛び入り参加など、音楽活動も再開。ライブ活動はお休みしていましたが、精力的にできる限りの音楽活動を行っていました。まわりの存在を信頼し、今という時間を大切にして、精一杯生きていたと思います。


★58歳(year number 8)達成

2009年3月に体調不良で入院。5月2日に58歳の人生の幕を閉じ、天へと旅立たれました。

青山葬儀所でファンなどを対象にしたロック葬が行われ、弔問数は4万3000人に及んだそうです。

本人いわく、闘病後の復活祭では、「椅子にすわって地味に復活するのかと思ってたけど、バンドに戻れて本当に幸せだぜ!」とステージで声をはりあげてくれました。まだまだやりたいことはいっぱいあったかと思いますが、生涯ソロミュージャンではなく、バンドマンにこだわり、バンドマンを全うしたことは、彼にとっては本当に幸せだったと思います。



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最後に、
派手なようで地味な人だった、そんな清志郎の58年の人生は、つらいことも寂しいこともたくさんあったかと思いますが、誰に対しても平等で優しさにあふれた愛は、いつも私たちの心を明るく照らしてくれました。

歌と声で表現される彼のパフォーマンスは、日本を、世界を平和にしてくれるものだと思います。
永遠に私たちの心に生き続けるでしょう。



清志郎、たくさんの愛をありがとう!
「愛してます!!!!!」



清志郎の歌声をお聞きください
https://mojim.net/jp_video_u2_QnKykvIp4Yg.html?h=111911x7x11



reported by Moco
AEONS Numerology Basic the 10th class @ Yokohama
         
by kej000 | 2016-07-25 21:08 | 数秘レポート

挑戦し続ける俳優 * 渡辺 謙


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渡辺 謙 

本  名  渡辺 謙
      Watanabe Ken 

生年月日  1959年10月21日 



■誕生数 ♯19-10-1 ■ 生まれ持った特質・本来の姿 
リーダー気質と開拓精神をもったカリスマ。焦点を定め、明確な目標づくりで自身を高めてゆく人。そのためには内なる直感を信頼し決断力を持って運命の風に乗ってゆくこと、自己信頼が ”一歩”を踏み出すカギとなるでしょう。

「ラストサムライ」のオファーに、彼は『自分には無理無理!』と断っていたそうです。これは♯10-1の自信不足のネガティブな面が顔を出したのでしょう。
当時は英語が全くできず、尻込みしてしまうのも仕方ないことだったかも知れません。
ですが改めて大陸を見据え、持ち前の開拓精神と芝居への情熱が化学反応を起こしたとき、こうと決めたら一直線:♯1が発動しました。 


■ 運命数 ♯7 ■ この世における使命や目的
♯7は物事のことわり、興味やアンテナに引っかかった事柄や人への内的探求者です。答えを知りたい。知的好奇心を満たしたい。哲学や心理学にも惹かれます。分析力とするどい洞察力があります。
また人生において経験する失意やつまづきの時が、学びの機会に。事態の原因や関係性、意味を理解し足がかりにして魂の成長に繋げてゆく人。そしてディープに掘って掘って得た叡智や研究結果を、世にお披露目して、シェアしながら人々の心を豊かにする使命をもちます。彼は演技・役を通して内観し、そして観る側の魂にもゆさぶりをかけるのです。


■ 実現数 (1&7)♯8 ■  人生での可能性や実現性
インスピレーションと仕入れた叡智を分析しゆっくりと育み、秩序だて、洗練させ、知恵と力にかえます。どっしりと構えて居ながら、周囲を細かくクリアに見る眼をもつので、人や状況をコントロールしリーダーとして采配をふるえる人です。
いまも大きな舞台で「力」を磨きながら、着実に信頼と人脈を獲得していますし、名声と成功を手にできるナンバーです。


■ ソウル数 ♯13-4 ■ 価値観や内なる動機・行動の基準となるもの
♯13は創造と破壊 ♯4は生活や人生における安定を手に入れる事、確かな手ごたえを感じたい気持ちが強いナンバーです。確かめながら、崩しては立て直し、軌道修正しつつ、真面目にコツコツ、コツコツ・・・。継続して自己管理と危機管理も忘れない。そうして足元を固め、準備をしていく。

彼はなんと彼の地の開拓にネックになっていた英会話を5ヶ月でマスター。言葉を学ぶことは同時にその国の型や作法も学ぶこと。イメージの世界を現実の世界で確かなものにするため♯4の「開始・前進する」と「勤勉さ」のエネルギーを使ったのでした。いまではインタビューも通訳なしで、熱のある返しをすべて英語で行えるほどに。

このとき頼ったのは、英会話教育家で、英語劇団主催者でもある奈良橋陽子氏です。

『演技に関してももちろん、生き方に関してもとてもストレートな方だと聞きました。』
『言葉の壁があったことは、渡辺さんにとってアドバンテージ(有利な点)だった。』
『勝元(謙が挑んだ役)は内に秘めていた思いがたくさんあって、それがやっとのことでごく少ない言葉で表に出てくる人物。それがサムライの美学であり勝元という人の魅力でもある。そこに渡辺さん本人の経験と重なるものがあったのではないでしょうか。』
                     「ラストサムライ」撮影時の奈良橋陽子談


■ 人格数 ♯21-3 ■ 他者の目に映る印象や雰囲気 
♯3はクリエイティヴなナンバーで芸術芸能・演劇の分野にも向いています。
彼の役者としての存在感は世界的に認知されています。
また♯3はお茶目で陽気で感性豊かなアイデアマン。人を楽しませ、自分も純粋に愉しむ・・・そのエネルギーの循環で場を和ませるムードメーカーです。
彼の子供時代のエピソードとしてこんな話があります。


■ 若年期の様相 ♯10-1 ■
彼が最初にハマったのは落語でした。小学校4年生の頃に興味を持ちラジオで聴くようになります。クラスメイトや全校生徒の前で創作落語を披露し、これがけっこうウケたというのです。演目は北海道の地図を描いて、北海道の変わった地名でダジャレを言うというもの。♯1は独創性・あふれる創造性のナンバー。 ♯3の遊び心が加味されたパフォーマンスは、未来につながる《最初のステージ》だったのかも知れません。


■ ステージ数 ♯10-1 ■
芝居の場、世界を股にかけた舞台が彼のステージですね。役者以外にもラジオ・CM・ナレーションや朗読などなど、テリトリー・活躍の場を拡大させています。


■ チャレンジ数 ♯6 ■
♯6は 『出会いと別れ』 結婚 離婚 妊娠 出産 プライベートでの家族問題などのナンバー。これまでの人生に喜びをもたらし、また時には影をおとすこともありました。
前妻との二年にわたる離婚劇がありました。
娘の杏さんは現在、双子を妊娠中。夏に「じいちゃん」になるのを心待ちにしています。

♯6は身体の病気を通してお知らせがくるナンバーでもあります。このレポートを書いている時にこんなニュースが飛び込んできました。「女優で奥様(南果歩)の勧めで受けた人間ドッグで胃がんが見つかり、早期だったため内視鏡による手術で取り除くことができた」
このときの人間ドッグを探してくれたのは娘の杏さんだそう。
“病気”は過去にもがっつり経験済みで、まさに挑戦・課題なんですね。


■ Nature数 ♯7 ■
柔和で親しみやすい反面、自分の王国を壊されたくない、分析力の鎧を着て自説に執着する面も。王国はさながら彼の秘密基地、独自の世界観で作戦を練るのかも知れません。

 
■Action数 ♯5■
得た知識や体験を積極的に発信し人々に刺激を与えるナンバー。諸国巡礼し社会的ヒーリングを施します。弁が立ちディスカッション好き。


■ TYPE Ⅱ ■ 
◇Maturity(成熟度・物を感知する能力) ♯2
感受性の鋭さ。集団意識と同化しやすい。
役者には、その役柄を自分の個性に寄せて演じるタイプと、いわゆる憑依型俳優と言われるタイプがいます。♯2からみると彼は後者なのだと思います。一般的にもそのように評されることが多いようです。




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<HISTORY>

新潟県魚沼市出身。
「謙」は越後の戦国武将・上杉謙信に因む。両親は共に教師(父は画家の渡辺亮一)。
乗馬、ゴルフをはじめスポーツ大好き。神戸製鉄ラグビーファン。特にプロ野球阪神タイガースのファンで、試合に幾度も応援にかけつけ、その熱烈な応援っぷりは有名。
家事全般好き。海外撮影時には自室に共演者が集まり自慢の手料理を振舞うことも。
無類の蕎麦好き。かなりのヘビースモーカー。高所恐怖症。

19歳 (year number 11)
武蔵野音楽大学を目指し上京。
中学校進学から高校卒業までトランペットに没頭、音大進学を希望しますが、父親が中学時代に病に倒れ仕事が出来なくなり、経済的理由から断念しました。劇団ひまわりに入団するも、3ヶ月ほどで退団。たまたま観た演劇集団・円公演の「夜叉ケ池」に感銘し、円の研究生に。
11番は分岐のナンバー。精神的にもゆさぶられ、人生の分かれ道でした。11は芸術にも向いているクリエイティヴナンバー。養成所を経て翌年20歳で正劇団員昇格。23歳までには舞台、TVデビューを果たします。俳優・渡辺謙のスタートです。

28歳 (year number 11)
NHK大河ドラマ「独眼竜正宗」主演で一躍トップスターに。「海と毒薬」でエランドール新人賞受賞。また11番。豊かな感受性と高い芸術性でスポットライトがあたります。

30歳 (year number 4)
映画初主演となるはずであった「天と地と」カナダでのロケ中に、血液のガンとも言われる急性骨髄性白血病に襲われる。映画は降板、それまで築き上げてきた足元が崩れます。

31歳 (year number 5)
発病当時、病状は深刻で生死の境をさまようような状況から、医師の懸命な治療と彼の強靭な生命力、妻の必死の看病によって、奇跡的に回復。芸能活動に復帰します。

35歳 (year number 9)
白血病再発、入院。また闘病生活を強いられます。9番・・混沌のナンバー。
このころ由美子夫人も精神的に追い詰められ、新興宗教を信仰するようになります。

36歳 (year number 10)
ついに白血病寛解。完全復帰し俳優業を再開します。前年9番の終結から10番の新たな変化の流れへ。この年は彼の人生でのCycle Nnumbers♯3に入り、新しい流れへ向かう大きな切り替わり時期でもありました。

44歳 (year number 9)
また9番の”複雑な二極性”のときです。
トムクルーズと競演「The Last Samurai」公開。ハリウッド映画進出をはたすや、勝元盛次役で第76回アカデミー賞助演男優賞にノミネート。国内外の各賞にも彼の名が多くあがり、注目を浴びました。
プライベートでは由美子夫人の借金問題などで離婚を決意。ここから泥沼離婚調停がはじまります。

46歳 (year number 11)
離婚調停の公判では、由美子夫人が借金のほとんどを信仰宗教と巨漢の怪僧で会長(故人)への多額送金が発覚。渡辺自身も、今も活躍している女優たちとの“交際”報道について際どい質問をされるシーンもありました。2年にわたる離婚劇は渡辺謙の勝訴で幕を閉じます。

離婚9ヶ月後、03年ドラマで共演をきっかけに交際を始めていた「カミさん」女優・南果歩さんとの入籍を発表。一説では、もともと渡辺の海外進出をアドバイスしたのが南さんだったとのこと。11番:パートナーシップの解消と新たな始まりの幕開けなのであります。

55歳 (year number 11)
≪全米芸術の聖地≫と言われるニューヨークのリンカーン・センター・シアターにて、ミュージカル「王様と私」でブロードウェイ・デビュー。しかも主演。もともと舞台役者だっただけに『人生最大の挑戦』。
デーリー・ニューズ紙は「全てのシーンと歌に壮大さと優美さが詰まっている」と賞賛。

56歳 (year number 12)
がん公表、手術と療養を経て、当初の予定より2週間遅れとなる3月17日から舞台「王様と私」に再出演して、仕事復帰することとなります。

12番はパターン打破のナンバー。そしていま、彼は人生でのCycle Nnumbers♯6、Pinnacle♯7、Challenge♯5のさなかにいます。もしかしたら彼の「べき」思考や完璧主義が心身のエネルギー循環に影響を与えているのかも。すこし視点を変えたときに見える景色から、人生に精神的な深まりと飛躍のギフトがもたらされるのかもしれません。



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☆ 「渡辺 謙」を読んで ☆
彼は何度も死に直面してきました。望まないのにやって来てしまった病、人生に挑み続け強く生きるひと。平凡な人生なんて誰一人いません。私たちもまだ旅の途中。Destinyに10-1を持ち、尻込みばかりしている私。もっと肩の力を抜いて違う景色を見に行かなきゃ。


AEONS Numerology Basic the 9th class
Harumi wrote,
by kej000 | 2016-05-23 09:46 | 数秘レポート

安らぎと真の理想の道へ with Peanuts ~チャールズ・モンロー・シュルツ

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Charles Monroe Schulz
チャールズ・モンロー・シュルツ

1922年11月26日生まれ

アメリカ合衆国の漫画家
代表作「ピーナッツ」


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~Personality~

[Birth number 15-6] 生まれ持った資質、個性、才能、潜在能力

芸術的才能を持ち、忍耐強く、家族的な愛を大切にし、深い思いやりを持つ6番。
彼はこの芸術的才能を発揮し世界的に知られる漫画家として活躍しました。
彼の描く「ピーナッツ」という漫画には着飾る事のないセンスの良さが表れています。漫画自体は知らなくても、スヌーピーというキャラクターを知っている方は大勢いるはずです。この白と黒のスヌーピーを見ただけでもそのセンスの良さを感じられます。

また博識で信仰心にあつく、確固としてしかも心優しい人柄で、慎重に言葉を選んで話す人でした。
描く漫画に対してもそうであって、「憎しみは漫画にはふさわしくない感情だ。」と答えています。
ピーナッツの漫画は、子供たち同士の日常の短い会話の中に的確に詰め込まれた面白さと、深い心理、他者に対する思いやりを感じられます。

堅実さ、忍耐強さは、新聞の漫画欄に50年毎朝掲載し続けたということに現れています。

また「もともとくよくよ考え込む性質で内省型である」と言うように、6番のネガティブな部分も表れていました。広場恐怖症、強度の心配性を抱えていました。
彼は不安を少しでも減らすように、自分の子供たちを危険から守ることに、注意を払い、漫画の登場人物の子供たちの居場所にも安全な場所にという気を配っていたようです。


[Destiny number 10-1] 使命、目的、仕事、ライフワーク

1番はオリジナルを目指すこと。
あふれる創造力と独創性を漫画家として生かすことができたと思います。
「馴染みのあるものを、馴染みのない切り口で、人々の前に差し出して見せることができた時、その芸術は成功したと称えられる」ということを、本能的に理解していて、常に創造力を駆使して独創性を探し求めていたからこそ、子供漫画の中でも抜きん出た存在になることができたのです。
新聞連載を主流の1コマ漫画から複数コマの漫画という形で掲載を始めたことや、漫画の分野において初めて単行本化するなど、従来の方法とは違う形、新しい試みをいくつも行っています。

そして、10番の「人に癒しを与えるという方向へ向かう」ということは、世界に広がり多くの人に愛されているスヌーピーというキャラクターを作り上げたことが、それを意味しているのではないかと思います。

[Soul number 8] 隠れている価値観、心の中の欲求

成功している一方で、心配性、くよくよするなどの弱いイメージもかなり強く感じますが、根本は、とても男性的で、パワフル、情熱的、野心があり負けず嫌いであったようです。人見知り、心配性という着ぐるみを脱いでしまったら、かなりエネルギッシュで近寄りがたい人物だったのかもしれません。
現実的にも、自分の漫画の面白さを確信し配信会社への売り込みを熱心に続けています。自分の漫画が認められない訳がない、漫画家になるという自信と情熱はかなりのものだったと感じます。


[Personality number 11-2]

実際の彼は、はにかみ屋で穏やか、品位と威厳があり、背が高くジェントルマンであったそうです。
優しい穏やかな笑顔の写真からは、2番の持つ物腰柔らかに皆を見守っているような感じと、良き相談相手という言葉がぴったりでした。またインタビューの記事からでも受け答えの様子から11番の賢そうで、内気であることが伺えます。


[Realization number 7]可能性や実現性

彼は、アシスタントを付けず、描くことは全て一人で行っていました。それが50年続いた秘けつの中には7番の持つ真面目でひたむきであったことがあげられます。
心配性からくる自らの様々な心理分析が心理への探求心につながり、精神分析医のような言葉で、漫画に反映されています。
「会得した智慧や研究を世の中に広め、人々の心を豊かにすること」が7番のミッションにあります。
漫画家の中でも特別の存在といわれ、知性と独創性で漫画という専門分野を極め、漫画を通して、このミッションは達成されたのではないかと思います。


[Stage number 4] 
 
安定、継続の意味を持つ4番が活躍の舞台です。
毎日の新聞連載という場は、まさにその安定した、継続の場所となりました。
この安定した場所を基盤に本の出版やミュージカルなどのエンターテインメント、キャラクター商品などへどんどん発展していくことになりました。


[Challenge number 4]
ここも4番です。長きにわたりこつこつ真面目に積み重ねた結果の業績です。


[Nature number 8]
情熱的で、努力家、負けず嫌いは彼のパワーポイント。


[Action number 9]
穏やかで、思いやりのある行動ができた人。9番はカリスマ性のナンバーでもあります。


Day number26
大きなことを成し遂げる可能性がある数です。


<TypeⅡ 際立つもの>

*Lead 5
先見の明があり知性的リーダーシップをとる人。刺激を与える人。

*Emotion 5
5番の感情レベルは鋭利な感受性です。社会の出来事、人々の心理などを感じる能力が鋭く、また精神的、心理的ダメージも人一倍大きかったのではないかと思います。

*Intelligence 1
毎日のエピソードを描くのにインスピレーション、ひらめきや直感、ひらめき的頭の良さは不可欠だったでしょう。


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~Cycle・Pinnacle・Challenge numbers~

【0~30才】
*Cycle numbers(2)どのようなことを学ぶ時期か
変化を受け入れること。
牧歌的な家庭生活を送っていた少年時代でした。そんな平穏から母の病気、死による日常生活の変化、軍隊生活、結婚、仕事と、この期間に身近なところでの変化が重なりました。
内気だった彼は、逃げ場のない軍隊生活ではプラスになったこともあったようで、根性、負けず嫌いなどの強さが身に着いた時期でもあり、望まぬ環境におかれたことで意識、行動の変化につながった時でした。
漫画連載の仕事に就くまでの期間でもあり、絵に携わるいくつかの仕事を経験しています。

*Pinnacle numbers (1)どんな状況の時期か
始まりの時。
大好きな絵を勉強して、進みたい道をみつけ、それを開花させるための種まきを始めた時。

*Challenge numbers(6)与えられた試練や今回の人生での課題
出会いと別れ。家族の問題から内面の強さを養い、愛とは何かを学ぶこと。
母との別れ、失恋、結婚の時期でした。


【31~48才】
*Cycle numbers(8)
様々な力の中でのバランス、コントロールを学ぶ時期。
漫画の連載が続き、現実社会へ打ち出す能力が発揮され、数々の賞を受賞し始めた時期です。成功と共にお金や地位、名誉、を得ることが出来、責任や義務の大きさも増した時期だと思います。

*Pinnacle numbers 
[31~39才](40-13-4)
4番は安定、基盤作り。
13番は修練、常に学びを喚起させられる時。本質に目覚める時。
人生でたった一度のスランプを経験しています。仕事には緊張感が不可欠であることに気づき、家とは別の仕事場という安定した場所を作ったことでスランプを脱しました。

[40~48才](14-5)
14番は異文化交流。
ミュージカル上演、スヌーピーのぬいぐるみがアポロ10号に乗って月に向かって飛び立つなど、スヌーピーなどのキャラクターが漫画の中を飛び出して活躍し始めました。
5番の意味する新しい風に乗って、形になった物がさらに外に向かって活発に動き出した時期です。

*Challenge numbers 
[31~39才、40~48才、49才~](3)
31歳からのナンバーは全て3番です。
3番は豊かな表現力、精神性の高さ、芸術などを意味するナンバーです。
彼は長い間、日々漫画を描くことで、自分の感情を誠実に表現し、内的エネルギーを解放いていたと思います。
そして、漫画を通して、表現力、感性、直観力を惜しみなく世の中のために使い、彼独特の言葉やデザインで作りだしたキャラクターの個性で、3番のミッションである、人々に癒しと精神的な喜びを与えることをやり遂げたのだと思います。

【49才~】
*Cycle numbers(14-5)
変化、自由を学ぶ時。
離婚、再婚による家族関係の変化が訪れました。

*Pinnacle numbers(25-7)
ここから先、今までに確立されたものをより深めていく時期です。
精神の充実を計り平穏さを保ちさらなるステージアップをしていくことになる飛躍の時期です。


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~History~ 主な出来事

*子供時代(month number 11-2)
絵を描くのが得意な内気でおとなしい少年でした。控えめ、芸術と2番の要素です。幼稚園で彼の絵を見た先生から「あなたはきっと絵描きさんになるわ」と言われたことがいつまでも彼の心に残るほど力強いものでした。素晴らしい先生、その一言の影響力は、結果世界的規模になったのです。

*20才(year number 26-8)
陸軍に徴兵され、初歩訓練の最中に母を亡くします。
現実的な問題が起こった時でした。母の死がどれほど彼に影響を及ぼしたことか、悲しい現実が極度の心配や怖れへと向いてしまったように思います。一方では強さも身に付けました。軍隊での生活が彼を強くさせ負けず嫌いな性格が芽生え始めました。

*24才(year number 21-3) 
1947年6月地元の新聞に、『ピーナッツ』の原型となった『リル・フォークス』が掲載。
彼の創造力が漫画となって広く表現され始めました。開花の時。

*27才(year number 24-6) 
6番は歓びの感受、人間関係が拡大する時です。
漫画配給大手のユナイテッド・フィーチャー・シンジケーツへの投稿がきっかけで、1950年10月2日から『ピーナッツ』の連載が全米8紙で始まることとなりました。

*28才(year number 25-7)
1951年4月結婚。絆を深める7番の時。

*30才(year number 27-9)
『ピーナッツ』が始まって2年目。創作という不安定で孤独な状態からスランプに。9番のネガティブな部分に揺れ動いたようです。これは仕事場という新たな拠点を作ることで解決。
『ピーナッツ』が単行本として出版され、出版界に漫画の単行本市場という新分野をもたらすことになりました。続けてきた漫画人生の1シーズンの完結ともいえると思います。
ここで18番の10年サイクルが終わり、新しいサイクルが始まります。

*33才(year number 21-3) 
全米漫画協会が主催するリューベン賞受賞という贈り物を受けた喜びの年。

*42才(year number 3)
9年前と同じく3番の開花の年に、全米漫画協会が主催するリューベン賞史上初の二度目の受賞。
花は何度でも咲くのです。
31歳からのチャレンジナンバーはずっと3番です。その中のyear number3で2度の受賞でした。豊かな表現力と、創造力を発揮し続けています。

*49才~51才頃 月がわからないため数年の流れ。(year number 10~11~3)
10番 変化の時。本当の自分に向かっていく時。
11番 情熱的に、積極的に、素早い決断で直観とインスピレーションを頼りに進む時。
3番 創造、表現、開花を楽しむ時。
1972年離婚。1973年再婚。
家族関係の大きな変化の時であり、離婚、そして出会いと再婚はとてもスピーディでした。
新しい出会いで新たな生活がスタートしたように、2番で始まる10年のサイクルが終わり、楽しみながら、さらに創造力を発展し、視野が広がっていく3番の10年サイクルが始まります。

*57才(year number 9)
アーティストのトム・エバハートと意気投合。今まで一人で描き続けてきた『ピーナッツ』ですが、
トムは唯一の『ピーナッツ』のファインアーティストとして認められます。次の変化に向けて新たな試みです。
全体に意識を持っていくことで、さらに広がりを持たせること。本物を見抜く力を持って、新たな表現方法を見つけ、他者の才能を活かし導く、9番は完成の時であり新しい流れへ向かう時です。

*58歳(year number 10)
心臓のバイパス手術が無事に成功し、“病院の壁に何かを描いて”という看護婦からのお願いで壁にスヌーピーの絵を描きます。この時に、「手術を受けるだけでも悩んだのに、壁の前に自分の脚で立ち絵を描いている。やはり漫画を描くことが自分の天職だったのだと知って、この上ない喜びを感じた」と話しています。死を覚悟して臨んだ手術の成功、再び描くという勇気をだせたことは、10番の良い流れに乗れたことを表しているのではと思います。

*61歳(year number 4)
『ピーナッツ』の掲載紙は2000誌に到達しギネスブックの世界記録に認定。
継続と成功の証をギネスブックに認定という形で手にしました。漫画家としての土台はどんどん安定し、揺るぎないものになっています。

*63歳1986年(year number 6)
カートゥーン・アート・ミュージアムによってシュルツが漫画家の殿堂入りを果たす。
喜びを感受する時。漫画界でのトップの座、太陽のような存在になりました。
 

*77歳(year number11)
1999年12月14日 病気治療に専念するため引退発表
2000年2月12日 永眠
真の理想に向かっていく11番の時です。
年齢をみるとまだまだという気がします。成し遂げたことをみれば倍以上を生きたように思えます。



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彼自身なかなか解決できない悩みを持っていたようですが、漫画に登場する“子供たちのレモネードスタンド”をパロディーにした“精神分析スタンド”では、お悩み相談に、子供のキャラクターがあっさりと答えてくれています。
例えば、「精神分析スタンド 5セント」~「最近ひどい鬱状態なんです。どうしたらいいでしょう?」という問いに、「しっかりしなさい!5セントいただきます。」といったように。答えはとてもシンプルで、わかりやすいです。
不安や心配、それも一つの強い力に変えて、人を癒し、漫画家として生きたことで精神性を昇華させることができたのではと感じます。

永遠の眠りについたのは最後の日曜版(2月13日付け)が発行される数時間前でした。図ったかのように人生と共に終了した『ピーナッツ』。やはり共に生きたというよりも、絵も文章も彼自身であったと思わずにはいられません。
彼と漫画を切り離して考えてしまうと、彼自身の精神はなかなか羽の様に軽くとは行きにくかったと思いますが、“天職であった”と確かに思うことができた漫画と一体になることで、恐れも心配も包み込むことができて、自身の安らぎと真の理想に向かう道を進んでいたのだと思います。彼の優しい笑顔にそれを感じます。

参考資料:スヌーピーの50年・スヌーピーと生きる


Aeons Numerology Basic the 9th Class
Atsuko Kato
by kej000 | 2016-04-07 22:20 | 数秘レポート

Love, Dream & Happiness  ~EXILE ATSUSHI

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EXILE ATSUSHI

本名 佐藤篤志
生年月日 1980年4月30日
 
現在35歳(誕生日をもって36歳になる)
Year cycle 15 (4/30以降7)
埼玉県越谷市出身 
歌手 シンガーソングライター 音楽プロデューサー





<Personality>

誕生数(生まれ持った資質) 16-7 真理の探究

16を持ったAtsushiさんは、多くの事態の遭遇や経験を積むことによって 価値観を変え
本当に信頼出来るものや愛を学び、真理=本当に変わらないものとは何かを探求する為に生れてきました。
そして16という数は人生の途中から運命的な絆に吸い寄せられるように神秘的な方向へ向かうナンバーなので、21歳の時にリーダー(社長)であるHIROさんに出会いEXILEに入り色々な経験を積む事により愛や信頼を学び メンバーとの絆を深め その経験から人の心に寄り添う様な楽曲を作詞・作曲したり歌うことが出来る人です。
又、真面目でコツコツと熱心に深く掘り下げることが得意で 音楽に対するストイックさは 後に続く後輩たちのよい手本となっているようです。
今までの辛かった経験や嬉しかった事や、達成した経験で得たものや学んだことが、彼の作り出す楽曲とパフォーマンスの世界観を通して人々の心に共感を生み、癒しを与えこれから更に深みを増していくことでしょう。
ただ、感情がテーマにあり 傷つきやすかったり 頭の中で色々考えすぎたり 揺さぶられたりしやすい為、コツコツとストイックに音楽に向き合いながら心と心を繋ぐ事が自分の使命だと自覚して活動しているとよさそうです。

運命数 11-2 霊性・相対

マスターナンバーである11は 天と地の橋渡しをする霊性の高い数字で 真の理想に向かって目標をしっかり掲げて 分かち合いと協調に目覚めていきます。
EXILEメンバーの中で一番涙もろい。
その人の背景や生き方を観察したのち楽曲を提供すると ATSUSHIさんはどうしてこんなに自分たちの気持ちがわかるのだろうとびっくりされる等のエピソードから、生まれながらにして鋭い直観や洞察力に加えて 豊かな感受性と芸術性があるのがわかります。

実現可能数 9 完結

9はカリスマ性のナンバーで人を魅了する豊かな才能を発揮し、音楽を通して愛と理解力を持って人類愛を実践していける人です。
又、自分の生き方を世の中の人や未来を担う子供たちに見せる事により 後に続く人たちの道標となり人の心に寄り添う事を目指しています。
そして、Mr.EXILEとして表の舞台で活動すると共に プロデューサー業で全体的に音楽を作り上げていく事も向いているようです。

ソウル数(魂の欲求)5 変化

新しい事に挑戦し、変化させることによって形になった物を外向きに発信したい。
今まで経験した事を楽曲の詩や曲に乗せ 人々の心に寄り添う曲を作り 歌い、
提供する事により、喜ばれたり希望を与える事が自身の喜びになっているようです。

人格数 (他者から見たその人の印象) 15-6 調和

芸術的才能やセンスの良さが長けていて 押しつけがましくなく 説得力もあるので
エンターテイメントや音楽を通して ずばり「愛」と「平和」を伝え社会貢献していく人です。

ステージ (活躍の舞台) 7 飛躍

彼の持っている真面目さやひたむきさが 最初の印象の怖そうなお兄さんから親しみやすさに変わり、音楽を通して人々の心を豊かにしていきます。
たくさんの経験から視野を拡げ 世の中に広めた結果 彼自身、そして彼の音楽を聴く人の心を開放していく事になるでしょう。

チャレンジ 30-3 発展

ATSUSHIさんは一桁に0がある為 直感的に自分が楽しいと思う事で表現し 人々に精神的な喜びを与え、自分も一緒に喜びを感じる事。
表面的な事だけではなくその裏側にある本質にも目を向け光を当てていく事。
自分が持っている表現力・感性・直感力を使い 人々のため、そして未来の子ども達を育む道標を創る事。

Nature (その人の雰囲気・本質) 10-1 再誕生

10は幸福な人生に甘んじる事なく 自分の道を行き、人に癒しを与える霊性のナンバーである。
彼はいくつも目標を掲げ達成してもなおそこで満足することなく 新たな挑戦をする彼の姿は 見る人へのエネルギーとなり 導きそして癒しを与えています。

アクション 4 安定

彼の行動パターンは 責任感が強く コツコツと丁寧にやっていくタイプで、真面目にやってきた事が基礎となり バラバラの物を1つにまとめていく事の出来る人です。



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<History>
若年期 4

独学でピアノを学んだ父親の影響でピアノだけは基礎から学ばせたいと 4歳のころからクラシックピアノを習い始め 高校に入るまで通っていました。
高校を卒業し 音楽専門学校ではヴォーカリストとしての技術を磨き 着実に音楽の基礎を学んでいきました。

2000年 20歳 year number 9

ASAYAN男性ヴォーカリストオーディションを受け 1万人以上の応募の中から最終選考の5名まで残るが、R&Bの探究が強く、コンセプトと合わないという理由から落選し挫折を味わいます。
この時、5サイクルの9なので 全てはよりよくなるためのチャレンジの時期でした。
落選後しばらくは周囲で見ているのも辛くなる程 荒れていて、孤独と理性の混乱を味わいましたが、次に向かうための模索の時期だったようです。

2001年 21歳 year number 10

ASAYANですごいやつがいると、彼の存在を知ったHIROさんの目にとまり 一緒にダンス&ヴォーカルユニットを作らないかという誘いを受け、EXILEの前身である初代J Soul Brothersに加入し 後に EXILEとなりました。
10は本来の自分に近づく為の変化の波がやってくるので、彼はその時しっかりと運命の流れをキャッチしたと言えるでしょう。
2003年 23歳 year number 12

12は それまでのパターンを打破する時期。
元々シャイで恥ずかしがり屋な性格の為、シャレ気付いている暇があったら音楽に集中したいという思いから その後の彼のトレードマークである坊主頭とサングラスを着用。
その年 紅白歌合戦に初出場しました。

2005年末~2006年夏 25~26歳 year number 14→6

2005年末くらいから ヴォーカリストの命である声帯にポリープを患い ファルセット(裏声)が出なくなってしまいました。
2006年3月にツインボーカルの相方だったSHUNが脱退し 9月の第二章開幕するまでの間に手術を受けました。
ツインボーカルの相方が抜けてしまう話が持ち上がった頃からヴォーカルが一人になってしまう事や、これからどうなってしまうかわからない不安の中もがいた結果 それまでの執着に気付き手離さざる得ない状況になりました。
そして誕生日以降イヤーサイクル6になり調和のサイクルとなりました。
この年EXILEヴオーカルオーディションを開催しTAKAHIROと それとは別にパフォーマーAKIRAも加入し新生EXILEとして第二章が幕開けしました。 

2009年 29歳 year number 9

3月より二代目J Soul Brothers として活躍していたメンバーを迎え入れ 14名となりEXILE第三章が開幕しました。
9月には一夜限りのソロライブを行い ソロ活動開始。
11月には天皇陛下御即位二十年をお祝いする祭典で歌と踊りを披露しました。
9はそれまで培ってきたものの完成の時。それまでやってきた事が世の中に認められる年。
又、次に進む為に新しい風を招き入れ 同時にソロ活動を始める事によって 後に続く後輩達のお手本となり 自分の新しい才能への挑戦を始めた時期でした。

2013年~2014年 33歳 year number 13→14

2013年末にリーダーであるHIROさんが勇退し社長業、プロデューサー業に専念する。
2014年に入りEXILEメンバー若返りを計るため パフォーマーオーディションを開催し新メンバー5名を迎え入れ 第四章が開幕しました。
破壊と創造を信頼出来る仲間と共に行い、軌道修正する事により変容を見事に行ったと言えるでしょう。

2015年 35歳 year number 15

年末に初期メンバーである3名が卒業する事により 初期メンバーが彼一人となりそれぞれの道を歩み出しました。 別れから内面の強さを養い成長を目指す時期になりました。



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そして 今年の4月をもって、7のサイクルに入り飛躍の時期になります。
研究や学ぶ事によりコンセプトや計画を深め、更に才能を開花出来るサイクルに入るので
これからのATSUSHIさんの活躍を期待し、彼の掲げるコンセプトである「LOVE」
「DREAM」「HAPPINESS」を世の中に広め人々の心を豊かにするエンターテイメントを楽しみにしています。

Aeons Numerology Basic the 9th class
Yukano Nishimura
by kej000 | 2016-04-07 21:45 | 数秘レポート

IZ ~ すべてをうけいれる愛


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ISRAEL  KA`ANO`I   KAMAKAWIWO`OLE 
(イズラエル・カアノイ・カマカヴィヴォレ)

1959.5.20.生まれ 1997.6.26.没
愛称:IZ(イズ)
職業:歌手

IZはハワイ諸島がアメリカの50番目の州になる3ヶ月前の1959年5月20日に、ハワイ州ホノルル市内で生まれました。

【BIRTH】#(31-)22-13-4 (創造-修練-安定)

・#13-4は「修練」のカルミックナンバーと言われ、創造と破壊を繰り返し、常に学びを喚起させられるナンバー。障害の度に変容する修練を経験し、カルマの負債を清算することになります。34
0Kgを超える極度の肥満(最高450Kg)で、心肺機能に負担がかり、心臓発作を繰り返しながらも歌うことで人々にHealingをかけ続けました。
・#22は「創造」のマスターナンバーで、創造性にあふれ、天と地の懸け橋となるような社会貢献をするナンバーです。ハワイ王朝からアメリカ合衆国の50番目の州となる年に生まれ、Year Cyecleも#22で誕生しているので、アメリカンではなくハワイアンとして生きることを、歌を通して人々に気付かせ、ALOHAの愛のエネルギーを循環させる使命を持って生まれてきたのかも知れません。

【DISTINY】本名:#3(発展) 愛称:#8(秩序)
・#3は新たなものの誕生など、さらなる発展を表しています。表現力にたけていて精神的な喜びを人々に与える使命を持っています。歌手として、歌で自分の感情を誠実に表現していくことが与えられています。
・#8はリーダーシップや組織力を表すナンバーです。実兄の28歳での死後、イズは兄の意思である「ハワイ復権」を強制や押しつけではなく、自分のライフスタイルや、日常会話でもなるべく英語を使わず積極的にハワイ語を話したり、コンサートのパフォーマンスや選曲によって支援していくというミュージシャンならではの啓蒙活動を行いハワイアンがハワイアンらしくあることを誇りに思えるように先導していたと思います。
・#3と8の良いところがうまくミックスされて、IZの人生の使命や目的が現れていると思います。

【REALIZATION】 本名:#7(飛躍) 愛称:#3(発展)
・#7のたくさんの人と交流し、心を開放し分かち合うこと、#3の精神的な喜びを人に与えるというミッションは音楽活動を通じ飛躍、発展していったと思います。

【SOUL】 本名:#7(飛躍) 愛称:#9(完結)
・#7はたくさんの人と交流し、心を開放し分かち合うナンバーです。音楽活動を通じて多くの人と関わることで、ハワイアンとしての心、精神性を解き放っていたのでしょう。
・#9はカリスマ性をもったナンバーです。すべての数を経て、すべてを受け入れられる数です。アメリカの州になったことも受け入れつつ、ハワイアンとしての自己の核を定めて、エネルギーをそこに集中させ、ハワイアンの人々を導くことを実践していたのかもしれません。しかしながら、体調のこともあり、音楽活動、家族のことで大きくゆれうごいていたかもしれません。

【PERSONALITY】 本名:#5(変化) 愛称:#8(秩序)
・#5音楽一家に生まれたこともあり、多才で芸能に向き、自身も10代から音楽活動を始めています。ライブでは、事前に決めた曲順とは異なる曲を歌ったり、予測不可能でマネージャー泣かせのところもあったようです。
・#8でパワフルに音楽活動をして、ファンとの交流も積極的にされ、悩み相談などもメールで丁寧に対応されていたようです
・極度の肥満を改善できなかったところは、#5のa-matureの過度の依存、神経系統のアンバランスで動けなかったこと、#8の自己コントロールの欠如が作用していたかもしれません。

【STAGE】 本名:#10-1(絶対) 愛称:#7(飛躍)
・#10のカルミックナンバー。音楽一家に生まれ、才能にも恵まれた生活をされていたと思います。ハワイアン精神を核に音楽活動、文化活動を行うことで世界中の人々に癒しを与えていたと思います。#7にある、人々の心を豊かにするというミッションやスピリチュアルな分野での活躍もなされていたのではないでしょうか。

【CHALLENGE】 本名:#6 愛称:#6(調和)
・本名、愛称でも#6.愛(ALOHA:思いやりと素直な心を持って、他者に感謝し、慈悲と愛情を与え幸福を分かち合う)スピリットを、音楽を通じて広めることにチャレンジしつつ、家族のことも大事にしていたと思います。

【NATURE】 本名:#7(飛躍) 愛称:#4(安定)
・#7の親しみやすさ、#4の安定感(風貌)そのものです。

【ACTION】 本名:#5(変化) 愛称:#1(絶対)
・#5仲間を作って音楽で発信して、#1焦点を定め、行動をもってハワイアンを導いて生きました。
【 TYPE Ⅱ】 
・SURPPORT 5:自立を促す才があります。ハワイイ語を日常でも使用したり、コンサート等の音楽活動を通じて、ハワイアンの人々にハワイアンであることを誇りに思い、その精神や文化を守っていこうと促していたように思います。ただ、バンド活動での意見や方向性での衝突もあったと思われます。
・LEAD 1:ハワイアンとしてのリーダー的存在。独自の音楽やライフスタイルでリードしていました。
・愛称では#3が5個あります。自分が楽しく歌い、その波動を他人にも合わせてその人をHealingできる人です


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【 HISTORY】 

参考:追悼番組、ウィキペディア、http://niagarastudio.nomaki.jp/,
http://www.izhawaii.com/


若年期 youth number #5

「新しい風」「環境の変動」形になったものが外向きに活性化するナンバー。
IZは15歳まで2桁のYear Cycleナンバー。ハワイ王朝からアメリカ合衆国の一州として変わった年に生まれ、歴史的にもハワイの混乱時期に15年間を過ごしています。

0歳(year number 22)
IZは1959年5月20日、ホノルル、カイムキ地区の音楽家族という恵まれた家系に生まれました。 家族が集まると即席のセッションがよく開かれたようです。イズの叔父は、モエ・ケアレ。ハワイでは有名なミュージシャンとのこと。
Birth #22でYear cycle #22なので、卓越した才能を持って、アメリカナイズされていくハワイの現実社会での大きな事業の取り組み(ハワイアン文化・精神の継承)をすべく産まれてきたのかもしれません。しかしながら、#22のa-matureな衝撃的なダメージとして、極度の肥満、心肺機能への負担など#4の要素でもある身体の現実的な問題も抱えていました。

10歳(year number 23-5)
変化の#5:家族はマカハ(オアフ西部)に引っ越します

15歳(year number 28-10-1)始まり、新たなステップ。
ビーチでウクレレを弾いていたIZを、ジェリー・ココが見つけ、ムーン・カウアカヒとジョン・ココを紹介。 IZはその時、彼の兄(スキッピー)と従兄弟(メル・アミナ)を紹介。この出会いがバンド活動の始まりとなっていきます。

17歳(year number 3)発展、新しさの誕生
「マカハ・サンズ・オブ・ニイハウ」結成。最初のメンバーは、スキッピー、ムーン、メル・アミナ、サム・グレイ。そして、IZでした。

23歳(year number 9)精神的成長、次の光へ
IZの実兄である、スキッピーの28歳での心臓発作による突然の死はIZの転機となります。兄はハワイをアメリカの州ではなく、ハワイ人の自治体にしようと「ハワイ主権復興運動」に意欲的にとりくんでいました 。IZも含め、誰もが「実現不可能の夢物語」と思っていました。しかし、兄の死以来、IZは兄の意思である「ハワイ復権」を訴え続けます。それは強制や押しつけではなく自分のライフスタイルや、日常会話でもなるべく英語を使わず積極的にHAWAI`I語を話したり、コンサートのパフォーマンスや選曲によって支援していくというミュージシャンならではの啓蒙活動でした 。「Hawai`I 78」では、「かつての王、王妃が今のハワいを見たらどう思うか」と問いかけています。また、この時期に幼馴染と結婚し、一人娘を授かっています。

26歳(year number 11→3)
ニイハウのマカハ・サンズは、毎年恒例のナ・ホク・ハノハノ・アワード授賞式で最優秀伝統的なハワイアン・アルバムとグループを獲得しました。グループとしての音楽表現がHealingに繋がり、受賞となったのでしょう。

29-30歳(year number 6→7)調和→開放
 人気絶頂の頃この時期に、イズはバンドから独立。ソロ活動を始め 1989年初のソロアルバム「Ka 'Ano'i」 を出します。独立の理由には様々な原因があると言われているようですが、同年IZは大きな心臓発作を起こし入院しています。340Kgを超える体では、ツアー活動も身体的に難しかったのかもしれません。(#6)
彼の追悼番組の中で、兄がなくなった年齢、また同じような極度の肥満の状況から、いつ兄と同じようになるかを心配し、残される妻や一人娘のために少しでも多くの作品を残し、生活に困らないようにと口にしていたとのコメントがあり、夫として父としての愛情(#6)から、自分の人生や思いをソロ活動で開放しようとしていたのかもしれません(#7)。

34歳(year number 11)霊性
1993年の「Facing Future」の中の「Somewhere Over The Rainbow/What A Wonderful World」でハワイ以外でも広く知られるようになりました。ハワイは虹がたくさん出て、州のシンボルにもなっています。ハワイアンIZの世界観、霊性の一面が表現されている曲と思います。自分自身のレーベルでの初めての発売アルバム、本名を前面に使いだし、減量に取り組み始めたのもこの曲の入ったアルバムからの様です。

37歳(year number 5)変化
ソロ活動のさなかも、マカハの側からは「いつでも戻ってくれば歓迎する!」という投げかけをしていたようですが、再結成は実現しませんでした。しかし、「歴史的和解」と呼ばれるほどの事起こりました。ソロ歌手としてホク・アワード授賞式に出演したIZは、彼の義兄ムーンの作った「カレオハノ」を歌いはじめたところ、マカハ・サンズの3人が舞台にのぼってきて、IZを囲むようにして一緒に歌うというハプニングが起こったのです。会場は総立ちとなり、歌い終わって抱き合う彼らに惜しみない拍手が続きました。IZにとって、グループや家族との繋がりを再確認できた出来事だったのではないでしょうか。

38歳(year number 6)調和
1997年度の「最も好かれたエンターティナー賞」を受賞するほどの人気者となっていましたが、授賞時には彼は入院していました。そして、1997年6月26日、IZは38歳という若さでこの世を去ります。死因は肥満による呼吸器不全でした。
その16日後の7月12日、オアフ島の西のマクアビーチに何千人という人が集まり、海の中のおびただしい数のサーファーたちが見守る中、ホクレア号で運ばれたIZの遺灰は神聖な海にまかれました。
#6は別れを通じて強さを養う時期。IZは彼の身体のような大きな「愛」を私たちに残して、虹の向こうへと旅立っていきました。


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http://niagarastudio.nomaki.jp/によると「IZは敬虔なクリスチャンで、キリスト教のUnconditional Love「すべてをうけいれる愛」が彼のテーマだったようです。色々な人種が集まるハワイ、そのハワイをワンダフル・ワールドにするには、人種を含め、色々なものを受け入れる愛が必要だと説いた。IZは、すべての人が平和で差別のない世界(ワンダフル・ワールド)に住むことを望んだのです。「Over the Rainbow/What a Wonderful World」の中にこのような歌詩があります。

<訳詞>
空に映える虹が美しい/通りすぎる人々の顔も美しい/友達同士が手をとりあい、元気かい?とあいさつする/子供の泣き声が聞こえる。みんな大きくなっているんだ/みんな、今まで以上にわかってきている/そして僕は思うんだ。なんて素敵な世界なんだと


カバー曲ですが、イズらしい選曲だと思います。彼の求めたワンダフルワールドは、「ハワイ復権運動」に昇華します。ハワイ人に自治権をもたせようとするのです。誰から見ても不可能であることは自明です。しかし、この運動が何も生まなかったかというと、そうでもありません。ハワイ人がハワイ人であることに誇りと尊厳を見出したのです。」
IZと書く彼の愛称「イズ」は現在を表す動詞のISと発音が同じため、「彼はいつまでも過去(WAS)の人ではなく現在の人であり続ける」というフレーズが新聞や雑誌の記事によく登場していたようです。

今回のレポートでは、自分のアイデンティティー、ルーツを大切に、病を抱えながらも、今この素晴らしい世界に生きている事に感謝、この事を改めて確認するために今回数秘で彼を読むことになったのだと思います。

ALOHA & MAHALO 

三澤しのぶ(AEONS 9期生)
by kej000 | 2016-04-07 21:23 | 数秘レポート