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今が大事・・相田みつを  数秘基礎科卒業レポートより

数秘学で読み解く、有名人の生涯。
次のレポートは、相田みつをさんです。

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相田みつを

 

本名 相田光男

生年月日 1924520

 

四男二女の六人兄弟の三男。

書家、詩人として誰の真似でもない自分の書、自分の言葉を探求し続け、“いのち”の尊さを見つめながら独自のスタイルを確立し、多くの作品を生み出した人。「私は書という形式を借りて、人間としての本来的なありよう、本当の生き方を語りかけるだけなんです」と言い、自分の弱さや甘えを正直にさらけ出し、人間である自分をあるがままに表現した。その作品は、今を生きる人々の心の中に、あるときはしみじみと、またあるときは力強く語りかけてきます

 

誕生数は、145

14番は、家族との協調、家や職の余儀ない変化などの体験によって建設的な自由とは何かを学ぶ番号です。

また、自分自身あるいは身近な人々の問題を通して、極端に走りがちな傾向を理解して癒し、バランスを取り戻す作業を行なう番号でもあります。

 

みつをの二人の兄は戦死しました。母はしばらく発狂し、それ以来みつをを溺愛します。そしてみつをが暴漢に襲われ、重症をおって、母の愛情はますます激しく、母がみつをを離そうとしなくなります。母のみつをの妻への憎しみが想像を絶していたので、みつをは座禅に救いを求めました。みつをは、母がこうでなかったら、一途に禅の教えを請わなかったかもしれないといって、「おふくろは俺に苦しい思いをさせることによって、俺を救ってくれた菩薩さまではないか」と思うようになったそうです。

 

また5番は、自由を得るために、刺激を求めたり、刺激を送る人です

 

みつをは妻と二人の子を養うために細々とお習字の先生をやっていましたが、在来の形式の安易なやりかたの『書』で満足か?悔いはないか?と自問自答するようになります。そして生活は苦しくなっても、素っ裸の人間として、どこまでも自分の本心、本音を書いてゆこう。人間としての精神の自由だけは誰にも渡さずに固く守りながら。と決意します

誕生数が冒険の5で、運命数が安定の4

安定した書の世界を取るか、未知の世界に出るかの葛藤はいかばかりだったかと思われます

 

『しあわせは いつもじぶんの こころがきめる』という作品がありますが、生前息子の一人さんに、「自分の幸せを自分で決める。当たり前のことだが、現実はどうか?例えば、お金や社会的地位の有無で、人や世間に決められていることが多いのではないか。自分もそうだが、何か大事なときには、自分の幸せを自分で決めるという生き方をしたい」と語っており、内面の自由を貫いた人だと言えます

 

そして、作品は内外問わず多くの人々の心をとらえ今も読み継がれています

 

 

 

次に運命数ですが、

404

4番は、みんながだれでもわかるように、ものごとの本質を明らかにしていく数字です

そして、コツコツと真面目に取り組み、自分の発想を現実に応用する方法を見つけていく数字です

 

みつをの作品のベースは、曹洞宗の禅である道元禅師著作の「正法眼蔵」で、みつをなりに、誰が読んでも分かるように平易な言葉で表現しています

武井哲応老師を師匠とし、この正法眼蔵の月一回の講義を40年間一回も休まず、通い続けたといいます。そして座禅も毎日組んでいたそうです。

また、中学から短歌を習っており、言葉を非常に短歌で鍛えて、リズム感ある詩になっています

生涯短歌を作り続けましたが、一般に発表することはほとんどなく、短歌と言うのは一般の人が見てそんなに簡単に入っていけないところがあるので、短歌を離れて、短い詩みたいな形式になったようです

書も17歳から始めて、たびたび入賞する腕前だったようです

なにごとにも中途半端はだめで、打ち込む人だったといいます

 

お手本がなかったから、自分の道が正しいかいつも検証し、絶えず勉強していなければ自分の進むべき道がわからないという強い思いがあり、ひたむきな努力で、自分の理想の書を実現しました

 

0」がつくので、霊的な素質を豊かに発揮する能力に恵まれています。そしてその直観力や洞察力、インスピレーションが目的成就への有効な手段となります

 

創作態度の基本スタイルは、難しい言葉は絶対に使わないということと、自分の納得した表現しか絶対に使わないと言うこと

そして、多くの方に親しまれたいので子どもでもわかるように平仮名を多く使い、みつをの想いを詩と書で表現した世界になりました

 

 

 

この二つのナンバーから引き出される彼のこの人生での可能性は

実現数5499番です

 

これは、この人生で苦手とする性質のすべてを学ぶ機会を与えられていくこととなります

そして、9は悟りの数字であり、経験による叡智の習得が実現できます

 

みつをの詩は、禅を学び、自分の生き方を求めて七転八倒して のた打ち回った人生の中で出てきた言葉でした。

人生訓ではなく常に自分に向かって発信している言葉であって人に向かってではなかったのです。そのためお説教くさくならず、直接心に響く言葉となりました

 

実現数9は、「何でも屋」になってきまぐれな人生をさすらうか、あるいは知識を蓄えで晩年にそれを人々に伝えるようになるか、五分五分の可能性をもつ人です

みつをは、『にんげんだもの』という本を出した後、講演依頼が殺到し全国を飛び回ることとなりました

 

 

 

ソウル数は、その人の内面の声や価値観の目安になります

彼のソウル数は、112

 

11は、自分の立ち位置を冷静に把握し、地に足をつけ、イメージを形にしていく、豊かな感受性、高い芸術性、天と地の橋渡し役というのがあります

 

武井老師に禅の指導を受けながら、様々な自分のエゴイズムに気づき、書にして、人びとに示すと、それを見て、身の上相談に来る人が多くなりました。

みつをは、「仏教の心をわかりやすく伝えるだけで喜んでくれる人がいる。仏様のことばを自分なりの言葉に表現して世の中に働きかけていくこと」それが自分に与えられた使命ではないかと思ったと言っています

 

まさに天と地の橋渡し役になりました

 

また11のエネルギーは、ダブルの創造性を生み出しますが、一方でダブルの自己不信をも生み出すこともあります

『生きていてよかった』の本の中に

「じしんはなくて うぬぼればかり ああはずかしい はずかしい」

というのがあります

 

 

人格数は11で、外見的な印象を示唆します

 

男性は物静かで紳士的な雰囲気が漂います。インスピレーションの鋭いところがあり、やや現実離れしているようにみえるかもしれません。

眼光鋭く、人生を達観した感じだったのでしょう

 

また、11の人は、賢そうな人、夢追い人、不思議キャラ、内気でナイーブ、激しい側面とありますが

みつをのことを息子の一人さんは、複雑で神経質と言ってもいいくらい繊細な人間でしたと、『書 相田みつを』の中で語っています

 

そして、「14」「11」「11」と10以上の数字をみつをは多く持っています

10以上の数は、ソウルメイト、グループソウルがカギとなります

みつをの場合は、禅の師匠である武井老師だったと思われます

『いちずに一本道 いちずに一ツ事』のなかに「そのときの出逢いが 人生を根底から変えることがある よき出逢いを」

亡き師、武井老師との出逢いがなければ、今の自分はなかったと言うことだけは確かです

という一節があります

Stage numberは、7

7は、内省、探究心の番号です。生きる意味や人生のより深い意味を捜し求めるところに活躍の舞台があります

 

 

Challenge numberは、8

現実的に打ち出していくこと、みんなに揺さぶりをかけることです

 

 

Nature number は、6

芸術的才能、愛、調和、絶対的な美しさへの追究をもっています

みつをの作品の根底には、人間をトータルに肯定し、愛が感じられます。

子どもたちが生まれたときからの記録を残しており、子煩悩といってはばからなかったそうです

 

 

Action numberは、1

革新的なものへのあくなき挑戦をすること

習字の先生を辞め収入がなくなったとき、飛び込みで商店に入り、包装のデザインやしおりも書いたりしていたそうです

行動力があります

 


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若年期は、5

 

5番は、自由、冒険、刺激、不安定、多才、というものがありますが、

彼の両親は不和であり不安やおびえのなか、両親の顔色をみて育ったそうです。たえず緊張感のある家庭で硬直し、無口になったそうです

不安定な若年期を過ごしたのでしょうか

 

 

 

つぎに、年齢毎にその年のナンバーと比較しながら見てまいります。

 

 

13歳(Year number717 4月入学なので)

 

 

貧しく、優秀だった二人の兄が進学を諦め家業をついだおかげで中学入学できる。成績もトップクラスで陸軍士官学校を目指す

短歌、絵に親しみ剣道で活躍

8番は、積極性や責任と義務です

二人の兄が働くことで、お金に余裕ができて行けた中学。二人のぶんまで勉強しようと頑張ったようです

 

 

 

17歳(Year number722

 

 

持ち前の正義感から教官に目をつけられ、公立校の進学資格を失い、進むべき方向も定まらず、一人悶々と悩み暗い日々を過ごす

次兄8月戦死で、生、死、命とは何か、自分はどう生きればいいのか真剣に考えるようになる

イヤーナンバー7は研究や開発のサイクルで、224の増強版で基盤づくりです

兄達の期待も背負っていたのに、高校に進めずで心中はいかばかりだったか

しかしここで、自己の内への探求が始まることとなるのです

 

 

 

18歳(Year number723

 

 

歌人、山下陸奥に師事する。秋の歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の禅僧武井哲応老師と出会う

5は、4で得たものがさらに外向きに活発化する時期であり、新しい風に乗って冒険の旅に出発すべきときです

どう生きればよいかということ、悩めばよく武井老師に会いにお寺まで行っていたそうです。心の旅が始まりました

 

20歳(Year number725

 

 

長兄戦死。

みつをは、二人の兄が自分に託した願いが何かあるのではないか?どうしたら兄達はあの世で喜んでくれるだろう?と考えるようになる

イヤーナンバーも個人数も7です

7は、生きかたを見直すときでもあり、人生をより深く理解しようとする時期です

 

 

 

23歳(Year number819

 

 

生活共同組合の書記として勤めていた、ある時、組合のお金が紛失していた。そのことを責任者に訴えたが、取り合ってもらえず3人の暴漢に襲われ大怪我をし、4年ほど入退院を繰り返す。犯人はこの責任者だった

青春時代を非常に暗い中で過ごし人間不信に陥る

19は、激動を体験し、その後、再び自尊心と威厳を取り戻すという数字です

また1は、不要なものを整理して、新しいステップへ

この時期に心の支えになったのが武井老師です

 

 

 

27歳(Year number823

 

 

大怪我により母がみつをを離そうとしなくなったので、なにもさせてもらえずぶらぶらした生活を送っていたが夜間国文科入学し、2年で卒業

5は、環境の変動の時期です

このままではいけない、何かしなければと行動を開始したようです

 

 

 

30歳(Year number826

 

 

結婚し、一回目の個展を開く

筆一本で生活すると決めていたみつをは、生活費を稼ぐため個展を開き作品を売ることにする

8は、流れに乗る、発展であり、お金や地位の数字です

しかし一回目の個展では人が入らなかったそうです

 

 

 

31歳(Year number918

 

 

ろうけつ染めを習い、近辺の会社、商店の包装紙、暖簾、風呂敷などのデザインを制作することを思いつく

長男一人生まれる

9は、終結から次の流れへ、そして変容へ

一人さんが生まれたことを契機に、人間思慕というのを盛んに書き、それから作品が変わります

人間不信から人間をトータルに肯定するように変容していきます

 

 

 

35歳(Year number922

 

 

初めてのアトリエを持つ。長女生まれる

親子4人の八畳一間の貧乏生活の中、三十畳のアトリエを持つ

一人さんに、「その人間にとって、本当に必要なものなら、必ず与えられる」といったそうです

アトリエは、みつをが「自分が自分になれる」ところであり、そこで命を完全燃焼させていきました

22は、自分の理想を実現する方法を常に見つけていくことができる数字で、思い通りのアトリエを持て大満足だったようです

 

 

 

50歳(Year number128

 

 

在家の佛教活動として、円融会を作り、不定期で円融便りを発行する

1は、始まり、変化であり、新しいステップへです

また10番は、よりよい状況をもたらすための変化で、インスピレーションが湧き起こる年です。その新しい直観は、人道的な、あるいは、人の癒しや喜びにつなげることが、さらなるよりよい発展への新しいスタートの一年になるのです

円融便りには、武井老師の講義を元にしたもので、裏には詩作などのせていたそうです

一人さんは50歳になってから、円融便りを始めたというのも慎重な父らしいと書いていますが、イヤーナンバー、個人数ともに1ということもあり、今始めるべきとひらめいたのではと思います

 

 

 

56歳(Year number2-7

 

 

米田建設の創立記念誌『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』が作られる

どの作品もある意味 未完成だと思っていたみつをにとって、作品を本に残すことは相当抵抗があったが、社史であり限定の記念誌であり非売品でもあったので了承した。しかし出来上がりは作品集のような体裁になっていた

この記念誌が人づてで広がり、増刷をかさね数十万部以上になった

イヤーナンバー2は、1が成長するサイクルであり、個人数7は才能を開花させる時期である

この記念誌によりみつをの書の世界が多くの人に知られるようになる

 

 

 

59歳(Year number2-10

 

 

処女出版の『にんげんだもの』が出版される

『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』は記念誌で、書店で入手できる本ではなかった。『にんげんだもの』で満を持してのデビューとなった

この7年後相田みつをは亡くなる

10は、よりよい状況をもたらすための変化です

この本で、本当に多くの熱狂的なファンができました

そして、じわじわと読者を広げ、みつを亡き後もロングセラーを続け、十年という歳月をかけてミリオンセラーとなりました


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Reported by Chikako Minamitani
Aeons Numerology 5th class @ Kansai

by kej000 | 2014-04-09 20:52 | おもしろ数秘学

アンパンマンの生みの親・やなせたかし氏の生涯   数秘学基礎科卒業レポートより

数秘基礎科クラスの生徒さまによる卒業レポート。
本日は、あんぱんマンの生みの親・やなせたかし氏の人生に迫ります。


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漫画家のやなせたかし氏にスポットを当てています。

 

★やなせ たかし★  


生年月日:1919年2月6日


    2歳 → 3サイクル

  12歳 → 4サイクル

13~22歳 → 5サイクル

23~32歳 → 6(15)サイクル

33~42歳 → 7(16)サイクル

43~52歳 → 8(17)サイクル

53~62歳 → 9(18)サイクル

63~72歳 → 1(19)サイクル

73~82歳 → 2サイクル

83~92歳 → 3サイクル

93~94歳 → 4サイクル

 

B=1(19・10)

D=8(44)

S=9

P=8

R=9

Stage=8

Nature:9、Action:7)


 


 

Birth path number [19-1番10-1番]

リーダーになるべくして生まれてきました。

激動の変化をくぐりつつ自立し、人道的な目的や人に癒しを与える方向へ向かってます。

直観や感性に恵まれており、自分の内なる力に注目してオリジナリティーある世界を繰り広げていました。それには、地道な努力が必要です。

彼は誰もが知る童謡を作詞したり国民的なアニメを発表していることからも分かる様に、成功者だと言えるでしょう。大器晩成型でした。

60歳を過ぎるまで代表作に恵まれなかった彼の人生は、若い頃より努力を惜しまず遠回りに思える事にも一所懸命取り組んだ誠実さを感じます。パッシングを受けても自分を信じて新しい事へ歩み続ける開拓精神があったと思われます。

   

Destiny number [44-8番]

多くの人をまとめる力があります。

パワフルに人との関わりを求めるので、組織のトップに立ち富や名声を得ました。

44-8番というナンバーは 粘り強さや完成させる力が、ずば抜けていると思われます。

彼はどんなに富を得ても贅沢をする事はありませんでした。

物質重視ではなく 大好きな仕事へ掛ける情熱で貪欲に仕事をこなしたと言えます。

「困った時のやなせさん」と言われる程に 周囲の人に慕われていました。

何をやらせても器用にこなすセンスがあります。

漫画家という垣根にこだわらず、舞台美術製作や放送作家も引きうけていたのです。

「とにかく貧乏は嫌だ」と言っていたそうです。8番のプライドもあるでしょう。

別の仕事で稼ぎながらも、その人脈によって本当にやりたい漫画の仕事にも繋げる社交性はお見事です。

 

Soul number [18-9番]

社会的に成功する人物です。

人類愛や悟りをテーマとして生まれて来ています。

やなせ氏は 「戦争体験・父や弟の死・母との別れ」など 混沌とした時代を生きています。その体験を軸に9番の特徴である人類愛意識を強く養ったと思われます。

代表作の「それいけ!アンパンマン」は【光と影】【陰と陽】【善と悪】と言った2極性の世界を分かり易く表現しており、必ず正義が勝つという事を子供達に教えています。

その反面、実は複雑なキャラクターもいて9番特有の哲学的な面を伺えます。

「正義は立場や状況で変わってしまうが、どんな状況でも餓えた人に食べ物を与えることは絶対の正義である」この信念により、アンパンマンは絶対的な正義なのです。

更に「自分が傷つくことなしに正義を行うことはできない」と語っています。

余っている物を差し出すだけでは足りないのです。やり過ぎちゃう9番とも言えます。

この代表作に至るまでには、自分の才能を全面に出して明るく革新者である経験と社交的で駆け引き上手なパワフルさが必要でした。

18-9番とは、現実世界で形に出来るパワーの先に深い愛があるという事なのでしょう。

 

Realization number [9番]

実行数も9番です。

愛と理解力を持って穏やかに人類愛を実践することがミッションでした。

人望もお金も才能に見合ったモノを手に入れています。

名声に甘んずることなく、ノーギャラで働くことも多く漫画の復興に取り組んでいました。

次世代を育み指導していたことからも、9番の「導く力」を遂行されていたと思います。

 

Personal number [26-8番]

Destinyと同じく8番。

見た目も、出来る男オーラをまとっていたのでしょう。

受容性とチームワークを大切にして仕切っていける人物だったと思われます。

 

Stage number [53-8番]

3つ目の8番。

社会的に大きな事を成し遂げる意欲が伺えます。

53-8番は、華やかな舞台が似合います。やなせ氏の職業は裏方でありながらも流行の最先端を生きているキラキラした世界だったと思います。

その中で、晩年は数々の受賞作品に恵まれ 勲四等瑞宝章もいただいています。

春の園遊会で天皇皇后両陛下に親しくお声を掛けられるなど 表舞台にも度々登場します。

実は80歳代には、ミュージカルやCD歌手デビューもしているのでした。

 

■その他

Nature[9]

8番と同じく、9番も多いですね。

「本当の正義は戦わない」とやなせ氏のお言葉。

辛い経験を 全て愛に変換出来た成功者だと思います。人に喜ばれる事が大好きで感謝も忘れない人物でした。

 

Action[7番]

小学生の頃より、絵を描くことに興味を持ち それを職業としました。

やりたい事への情熱は、漫画の仕事がない時期でも持ち続けています。

7番の知的探究心を生かし、徹底的にやった事が成功のポイントだったのですね。

Challenge[19-1番・10-1番]

カルミック№が2つ揃いました。Birth path numberと同じです。

このナンバーが、強調されていますね。

5歳の時に父を亡くし、間もなく母の再婚のため 叔父の家で育てられています。

叔父は裕福な家庭だったのでお金には困っていませんが、実父母と暮らした記憶が少ない幼少期の体験は寂しいものだったと推測されます。

ただ1人のオリジナルの家族である弟が戦死した時の気持ちが「アンパンマンマーチ」に反映されています。悔しかったに違いありませんが、そのエネルギーの出し方は光に満ち人々の心を強く打ちます。

また、絵柄はエンジェルの影響を受けています。

もしかしたら、やなせ氏は 天使が見えていたのかもしれませんね♪

 

 

❤若年期 Youth number [9番]

父方の実家は高知県にあり、伊勢平氏の末裔で300年続く旧家です。

東京生まれで4歳の時は異国の地 上海で過ごし、 5歳の時に35歳という若さで病死した父の兄である叔父を頼って帰国します。弟はすぐに預けられましたが、やなせ本人も小学2年生の時に母の再婚のため叔父に引取られています。(父の死:15番、母との別れ:18)

この頃を9番で表すと、「不安定」「警戒心」「人からの評価を気にする」内向的でおとなしい少年時代でした。本が大好きだったので「博識」とも言えるかもしれません。

絵に対する興味は、実父母の影響で小学生の頃にもちました。詩や絵を愛した父と、いつも人の輪の中心に居る様な華やかな母親でした。母親とはよく映画を観に行ったそうです。

叔父叔母の意を反して絵の道に進学しましたが、仕送りは欠かさず送ってくれていました。

 

❤20歳(year number21[]

東京高等工芸学校図案課(現:千葉大学工芸部デザイン学科)卒業。

学生生活はサイクル5の流れの中でした。たくさんの刺激を受け、自由に才能の基盤造りをしていたのではないでしょうか?「開花」の年に卒業です。

 

❤23~25歳(year number15・16・17[6・7・8])

前年、田辺製薬(現:田辺三菱製薬)宣伝部に就職。

日中戦争の為、徴兵されて乙種幹部候補生に合格。主に暗号解読や地元民への宣撫工作の為、紙芝居を演じたこともあったといいます。

人当たりの良い彼にはピッタリの役目ですが DeathYearで始まるこの時期は相当辛い経験だったに違いないです。なにしろ戦争ですから!

食糧がなくて タンポポなどの野草を食べていた経験も持っています。

❤26歳(year number18[])

日中戦争終結。9番という完結の年です。

やなせ氏は戦闘のない地域に居たので一度も敵に向かって銃を撃っていませんが弟は海軍の特攻で戦死しています。

この頃、戦友らと共にクズ拾いの会社で働いています。この時に拾った雑誌が切っ掛けで漫画家になる夢が蘇ることになります。

戦後の食糧が不足する中で、『正義』に対する持論が確立しています。

「逆転しない正義とは献身と愛だ」

この様に、正義とは立場で変わるものだと見抜いています。

その後誕生する アンパンマンというヒーローへのオマージュを予感させます。

 

❤27歳(year number19[])

絵への興味が再発して高知新聞に入社。編集部で編集の傍ら文章・漫画・表紙などを手掛けています。

自分の力を出せる1番らしい年です。

同僚として前の席に座っていた 後の妻となる女性 小松暢と出会います。

やなせ氏は すぐに好きになったそうです。

1番の年の出会いは電撃結婚にも繋がりそうですが、ソウルメイトだったかもしれませんね。

 

❤28歳(year number20[])

恋人の小松暢を追って上京。 暢さんはやなせ氏の才能を見抜いていて「田舎に居ては才能が埋もれる」と半ば強引に上京させています。漫画家を志しますが、生きるために三越宣伝部のグラフィックデザイナーになりました。兼業漫画家の道を選んだのです。

2番の年の「調整」する力が働いています。

この頃デザインした包装紙の筆記体文字は当初期間限定だったにも関わらず、今でも使われています。

 

❤29歳(year number21[])

6のサイクルの3番の年。資料では結婚の年がはっきりと書かれておりませんでしたが、この年だったのではないでしょうか?

結婚してからは、貧乏生活でしたが 暢夫人が全身全霊でやなせ氏をサポートしています。

強い絆を感じます。

 

❤33歳(year number16[])

コマーシャル漫画「ビールの王様」でデビュー。後のサッポロビールのCMです。

7番の年は、物事を回すのに良い年です。コツコツ頑張っているので16番でも順調!

❤34歳(year number17[])

三越を退社。7のサイクル8番の年です。

4番の年にコツコツ頑張った成果がこの年の成功に繋がります。本当に自分のやりたい事で現実的に動き出したのですね。

漫画で得る収入が三越の給料を3倍程上回ったことで独立を決意しました。

結果が出る年です。

 

この後しばらくは、漫画界の流れが変わり…やなせ氏は漫画の仕事が激減することになります。舞台装置製作・放送作家・作詞家など何でもやった時期です。

漫画以外の仕事で多忙でした。

 

❤42歳(year number25[])

前年に知り合った作曲家のいずみたく氏と組んで、今では教科書に載る程のスタンダード曲となっている「手のひらを太陽に」を作詞。ステージアップの1年になったと言えます。

 

❤45歳(year number19[])

NHK「まんが学校」の講師としてレギュラーに。これを切っ掛けに大人漫画から子供漫画の方へ変わっていく。1番の年にその後の方向性と向き合うことになった様です。

 

❤47歳(year number21[])

詩集「愛する歌」で詩人としてデビュー。本の出版は現在のサンリオ社長:辻信太郎でした。

インスピレーションを受取って実行する創造力開花の年です。

 

❤48歳(year number22[])

8のサイクル4番の年、週刊朝日漫画賞受賞。功績が形となって評価された年です。

この後も、流れに乗るサイクルが続きます。

 

❤50歳(year number24[])

手塚治虫の「千夜一夜物語」の美術監督を引き受けます。ヒットのお礼として、2年前に手掛けたラジオドラマ「やさしいライオン」を虫プロのスタッフを使わせてもらい映画化。そして大藤信郎賞を受賞。

アニメーションを経験することで、新しい世界に触れた年でした。

4番で仕上げた仕事を6番で調整する、歓びの年。

その実態は寝ずに仕事を続ける過酷な世界でした。

同年「アンパンマン」を発表します。この頃のモノは大人向けでした。

 

❤54歳(year number19[])

サイクル9の1番の年。「詩とメルヘン」を立ち上げ、編集長に。

次の流れに向かう9のサイクルで、詩人・絵本作家としての活動を本格化させます。

 

❤56歳(year number21[])

「やさしいライオン」を絵本にします。これが、初の絵本です。

その後、大人向けに描いていた「アンパンマン」を子供向けに改作し発表しています。

評論家やPTAには酷評されたこの作品は、子供達 特に2~3歳の幼児から絶大な人気を得ます。エネルギーが噴出する3番の年でした。

 

❤69歳(year number25[])

テレビアニメ「それいけ!アンパンマン」の放送開始。1のサイクル7番の年は、始まりの流れの中、ステージアップするのです。

この作品が大人気番組となり、売れっ子作家となりました。

私生活では、この年に暢夫人が癌で入院。余命三カ月と言われましたが、丸山ワクチンの接種で体調を持ち直します。絆が深まった7番でもありました。

 

❤70歳(year number26[])

多年にわたる童謡歌唱への功績に対して 第19回日本童謡賞特別賞受賞。

8番で名誉を得ました。

 

❤71歳(year number27[])

サイクル1の9番の年。「アンパンマン」にて日本漫画協会賞大賞受賞

アンパンマンをヒットさせ、1つの節目として完成させた年ですね。

 

❤72歳(year number28[])

春の叙勲で勲四等瑞宝章受章。暢夫人と共に園遊会に参加。

1番の年は「大物との出会い」がありますが、まさか天皇皇后両陛下だとは スケールが大きいです。恐れ入りました。

 

❤73歳(year number)

人生で初めてyear numberが1ケタになりました。

地元の高知県で行われていた一コマ漫画の大会「まんが甲子園」も立ち上げ時から深く関わり、晩年まで審査委員長を務めることになります。

そして 暢夫人との時間も大切にしています。

穏やかな晩年に向けて、バランスを取る時期なのでしょうか?それとも?!

❤74歳(year number)

暢夫人 死去。

やなせ氏曰く「痛快!第二の青春」が始まるのですが愛妻を亡くし、死神に取りつかれた様に元気がない中、仕事を猛烈にこなしています。

辛くとも陽気に明るく 生み出す道を選ぶ3番の年でした。

 

❤75歳(year number)

高知県香美郡香美北町名誉町民となる。

同年、故郷であるその地に美術館を建てる事を考えています。

新宿の実家の近くには直営店として「アンパンマンショップ」を開店。

「準備と前進の4番の年」でした。

 

❤76歳(year number)

日本漫画家協会文部大臣賞受賞

「アンパンマンの遺書」を出版。

“形になっていたモノが更に外向きに活発化する年”5番でした。

 

❤77歳(year number)

喜寿の祝いの会で、女流漫画家:里中満智子と架空結婚式を挙げます。出席者を驚かせるための企画でしたが、本格的だったので信じ切っている出席者へ「漫画家は本気で冗談を楽しまなきゃ」と笑ったそうです。6番の年に架空でも結婚!面白いですね。

計画中だった「アンパンマンミュージアム」が高知県にオープンし名誉館長に就任しました。その後館内に「詩とメルヘン館」も開館しています。

官庁や地方自治体、公益事業や業界団体などのマスコットキャラクターデザインを無償で引き受けていました。愛と奉仕の精神が出ている6番の年でした。

 

❤79歳(year number)

心臓手術を受けます。8番の年は「死」を示す場合もありますが手術成功。

里中満智子と2度目の架空結婚式を挙げました。またまた8番の年に架空結婚式()

皆に愛されているが故の企画なんでしょうね。

 

❤80歳(year number)

今まで多少の未練が有ったお金も名誉も要らなくなったと言います。

崇高さを感じる9番の年です。もう悟りの境地でしょうか?

帯状疱疹を患い顔にシミができて、一生残ると言われていても 間もなく消えています。

細胞が元気で 高齢で発症した癌もすぐ再発、その後10回も手術を受けています。

❤81歳(year number10[])

日本童謡協会功労賞受賞

日本児童文芸家協会児童文化功労賞受賞

日本漫画家協会理事長に就任。

自社ビルに日本漫画家協会をタダで入居させています。

この年齢においても、まだなおステップアップと言える理事長就任ですね。凄いです。

新聞は6紙読み、常に新しい情報を頭に入れています。

ただ、体調は悪いです。この年入院し、胆嚢・脾臓を切除しています。

 

❤82歳(year number11[])

「希望の歌」第31回日本童謡賞受賞

緑内障の手術を受けています。それでも活動的に自作のミュージカルを初演しています。

まだまだ、変化を受け入れる柔軟性があります。

 

❤83歳(year number)

高知県特別県勢功労者に。

熱をおして、ミュージカル「涙のデュオ」出演後、腸閉塞で入院しています。

自ら「オイドル」と名乗り、表舞台に積極的に出ますが相変わらず身体はボロボロです。

3番の年ですし、じっとはして居られないのでしょう。

 

❤84歳(year number)

第50回交通文化賞国土交通大臣表彰

『ノスタル爺さん』でCDデビュー。

4番の年は形として残るモノを生み出す年ですね。

 

❤85歳(year number)

新宿名誉区民となります。

若い時にはギラギラして見えた派手な服装を心から楽しんでいます。

 

❤89歳(year number)

東京国際アニメフェア2008第4回功労賞受賞

ついに“国際”的な賞も受賞しました。

まだまだ才能の開花は続きます。

節目となる9番の年でした。

 

 

❤92歳(year number12[])

視界がぼやけることを理由に漫画家引退を考えます。最後の大舞台として生前葬を企画しましたが、東日本大震災が発生し 不謹慎なので計画を白紙にしました。

3番の年らしく、お茶目な感性豊かと言える企画だったのですが…。

震災直後、アンパンマンが子供達を再び笑顔にしたことから引退をやめ、被災地向けにアンパンマンのポスターを作ったり、奇跡の一本松をテーマにしたCDを自主製作するなどしています。このエピソードは、もしかしたら翌年の4番で形にしたのかもしれませんね。

光を配るような3番の年でした。

 

❤93歳(year number)

高齢と体調不良を理由に日本漫画家協会の理事長を辞任。

4番の年は、現実的に身体への不調も出やすい時です。震災以降頑張った疲れも出たのかもしれません。

七夕の願いを聞かれると「もうあと2年生かして欲しい。そうしたら来年は25周年の映画を作れる。これで心置きなくこの世を去れる」と発言。

 

❤94歳(year number)

7月に行われた劇場版アニメ「それいけ!アンパンマン とばせ!希望のハンカチ」の初日舞台挨拶では…

「何とか今のところ死なないでいるんだけど、間もなくだね。病院からはあと2~3週間しか生きられないって言われてる。死ぬ時は死ぬんだよ。笑いながら死ぬんだよ。死ぬまで一生懸命やるんだよ」笑いながら語っています。

 

しかし裏では「まだ死にたくねぇよ。(ようやくアニメが)面白いところへ来たのに、俺はなんで死ななくちゃいけないんだよ」とも発言しています。

 

体はボロボロでも、魂は最後まで燃えています。

 

同年8月に入院。10月に心不全のため94歳の生涯を終えました。

 

「5の年はハプニングの年」やなせ氏の場合は常に走り続けていたので、決して変化を恐れたのではなく 魂は光の世界へ帰る道を選択したのではないでしょうか?

自分の人生をまっとうした人物だと思いました。

 

晩年はChallenge numberの9番をやり遂げてカルマフリーになったのでは?!と思います。

(追記)

気になった数値の感情特徴を追記しておきます。

(習っていない範囲なので曖昧です)

 

☆陰1[]

陰の要素が多い分、痛みを多く知ることが出来ます。

カルミック№1910 を持っていたことからも痛みを知り、それを乗り越えて愛にしたのだと思います。

 

Intuition 直感機能~自身から&環境から湧き出る~[]

直感値が4。時代の動きを直感で感じて活躍されたのでしょう。

ひらめきが大切でセンスを要求される職業でした。

そこには、説得力も伴っています。

80歳頃まで、新聞は毎朝6紙を読んでいました。時代に合った作品を生み出す直感もあったと思います。

 

Feeling感情機能~自己への憐れみ~[]

この数値が低いからこそ、被害妄想にならず前向きな人生になったのだと思います。

 

 

Other他者認識性[]

高い数値です。トップに立つ人物なので他者支配を望む気持ちがあって当然ですが5というナンバーが気になります。嵐を呼ぶナンバーです。

常に刺激を与える役割だったと判断します。

 

Maturity完成力・何かをなし遂げる力[]

この高い数値は信用や信頼にも繋がっています。底力があります!

 

Leadリーダーシップ[]

高い数値です。抜群の統率力をお持ちでした。

彼が亡くなって、光が消えたようです。

 

Emotion情緒・他者に対しての感情の働き[]

情熱的だったのですね。他のところにも嵐を呼ぶナンバーがたくさん出ましたが

行動力や実行力を伴った情熱家はカリスマ的です。

 

<あとがき>

 

正直言うと初めは「やなせたかし」という人物に興味はありませんでした。

 

ただ、ずっと心に残る曲として「アンパンマンマーチ」があります。

この歌詞を読んで、私は何度か涙を浮かべています。

幼児向けアニメのオープニングテーマ曲。

誰もが自然に口ずさめる程に慣れ親しまれているこの曲に、シンプルに核心をつかれている様な気がします。

やりたいことが分っている人はそう多くはないのです。

 

昔はね、「愛と勇気だけが友達?」って 寂しく思いました()

それでも大人になって「愛」と「勇気」の本質を思うと納得できましたよ。

愛も勇気も必ず ひとりひとりの人が本質に持っているもの。

だから友達の輪は無限に広がりますね。ワンネスです。

 

やなせ氏は、ご長寿でした。

晩年、体はかなりボロボロで 東日本大震災直後には、心筋梗塞と肺炎、腸閉塞を同時に起こして入院しています。

後に「“生きて”しまったんだよね。目も耳も悪いし、体は相当傷んでる。でも 生きている間にやれることはやると決めた」そう語られました。

 

被災地 仙台の少女から「私は地震がきても少しも怖くない。アンパンマンが助けに来てくれるから」と手紙が届きます。

そこで なんとかして元気づけなくてはいけない!と奮起されています。

その後、精力的に復興のために無償で働いている姿は 彼にしか出来ない要素がいっぱい詰っています。

もし彼(アンパンマン)が、いなければ、笑顔を忘れ 絶望に落ちてしまう ちびっこも居たかもしれません。

最後の大舞台とは、本人が企画した生前葬ではなく 震災の復興に関わることでした。

 

実父母との縁が薄い彼でしたが、ただ一つの教えを生涯守っています。

それは 「正直な人になりなさい」

この教えによって、損をすることもあったみたいですが…。 自分の心に嘘のない誠実な人生は素敵な出会いをたくさん引き寄せています。

 

さて、

話は変わりますが、私の今年のテーマは『統合』

 

この人物を選んだことにより、生きる強さと 「光と闇のバランス」を教わりました。

アンパンマンの世界は、2極性ながらも統合された世界なのです。

 

偶然に選んだ 私のターゲットは 必然だったと実感します。

 

「それいけ!アンパンマン」は世界で最もキャラクターが多いアニメシリーズとして世界ギネス登録に認定されています。

ワンネスには限界がないのです。

 

 

最後に・・・ 

 

私の数字の読み方は、まだまだ底が浅く甘いと思います。

いつか もっと自分が成長した時に、再び調べたいと思いました。

 

やなせさん

あなたの人生を調べさせていただき 感謝しています(*´人`*)

 

改めて、やなせたかし氏への心よりの尊敬を込めて ご冥福をお祈り致します。

 

     


reported by Sana

Aeons numerology basic class @ Kansai


by kej000 | 2014-04-09 20:38 | おもしろ数秘学

数秘で読み解く アイルトン・セナ その生涯   数秘基礎科卒業レポートより

数秘学から紐解く、あの「人物蔵」
今回は、かの天才レーサー。アイルトン・セナ

数秘学基礎科、関西クラスの生徒さまによるレポートです。


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Ayrton Senna da Silva   


生年月日 1960321(没 19945月1日)

 

 【数秘からみる人物像】

 

誕生数:22-13-4  彼が持って生まれた資質

 

【22】は、創造のナンバー。とても高い霊的感受性と、この現実世界で世の中を大きく揺さぶるよう

とてつもないものを創り上げていく人生。

そこへ辿り着くには、【4】の人生における様々な現実問題に対処し、経験を積み、コツコツとした地道な努力を重ね、しっかりとした基盤をかなり高度なところまで造り上げていなければなりません。その上に、霊的感受性が開かれた時、現実社会の中で偉業を成し遂げていく・・・という とても壮大なものです。

そしてさらに、【13】 創造と破壊を繰り返し、その経験の中から大切なものを学んでいくことで、自分をより高め深めていこうとしています。

 

それを実現する為には、高い理想や正義感から周りに過度に敏感にならず、そして様々な価値観に振り回され混乱や分裂をすることなく、強い感受性と実行力を持って、様々な課題に取り組んでいくことになります。

そして、自分の利益だけを追求することなく、世の中の為に・・これがとても大切になります。

 

彼は、類まれない才能があることを若い頃から自覚していたといいます。その才能を開花させる為、出来る限りの努力と犠牲、状況を的確に読み取る感性と行動力で、確実にキャリアをステップアップさせていきます。

様々な圧力や摩擦を経験し、速さを追求するあまり 時には“危険なドライバー”と評された時期もありました。政治的な問題や人種の問題、完璧を求めるがあまりの周りとのギャップ、真実を伝えてくれないマスコミ・・・そんな様々な嵐のような出来事に巻き込まれながらも、彼は誠実に仕事をし、実直に仲間と接し、その頃はまだまだ貧困にあえぐ母国ブラジルを想い、最後には大きな夢に辿り着いたと言われています。

「僕たちは、貧困という海の中で、もはや繁栄の島に住み続けるわけにはいかない」と、彼は言いました。

命を落とす2カ月前には、姉に「社会の役に立つプロジェクトを始めたい」と打ち明けています。セナの死後、その夢は受け継がれ現実となっています。

 

運命数:70-7  彼の使命

 

【7】は、探究者のナンバーです。専門知識を磨き深め、得た智慧を世の中に広めていくことで、人々の心を豊かにしていくことが、彼のミッションです。

その上、下ひと桁に【0】が付くナンバーは、直観力や洞察力に優れており、それらのスピリチュアルな能力が目的成就への力となります。

その為には、感情や思考に囚われることなく、他者との境界線を保ち、本当の自分を見つめていくことが課題となります。

 

歴史に残る偉大なドライバーの中でも、セナはその誰とも共通点がないと言われています。それは、知性と霊性。

マシンの状態や天候などをトータルに分析し、その時々の最高のセッティングをメカニックに指示が出来たこと―まだ、コンピューターが導入されていない時代には、メカニックが必要としたデータを自ら正確に伝えてくれたと言います。

また、セナは心の中で自分のドライビングをコーナーごとのラップタイムまで正確にイメージ出来たことーその上で、イメージを狂わすことなく、ドライブ出来たと言われています。

そして、もともと信仰心が篤いと言われていたセナですが、自分のドライビングを振り返った際、“ある時から、自分の意識を超えた領域で走っていた”とも話しています。

 

周りの状況に過敏になったり、傷つきやすく、時には毒舌を吐いてしまったり・・実力と結果だけで切り抜けていかなければいけないキャリア、そして、少しの妥協が命取りになる―そんな日々の中、若い頃にはこんなエピソードがたくさんあるのも事実です。ただ、そんな状況の中でも、彼はレースに必要な情報や知識を隠すことなく仲間に伝えていたと言いわれています。

彼と仕事をしたある若手メカニックは、彼と仕事をしたことで自分の誇りを持てたと言っています。

そして、ブラジルの人々は、セナの姿を見て夢見る勇気を与えられたと言われています。

別の側面からみれば、あまり大きく取り上げられることのなかったF1という興業が、世の中で話題となり、チケットが取れない状態にまでの人気を得たのは、セナが活躍していた時代とぴったりと重なっています。

 

 

実現数:11-2  彼の人生での可能性・実現された姿

 

 【11】は、霊性のナンバー。

【1】   のあふれる創造力と情熱・そして行動していく強いパワーと、【2】の霊的感受性が倍増される

ナンバー。

霊的感受性を生かし、高く大きなエネルギーを常に昇華させることでの創作・芸術活動が出来るとされるナンバーです。

 

ただ、繊細な為、自分の殻に閉じこもりがちになると、エネルギーが滞り【1】の自己不信と【2】の迷いが倍増して、心と体のバランスが取れなくなることも・・・それだけ、パワフルということですね。

 

そのパワフルさと霊性は、先にも述べたように、仕事への飽くなき情熱として発揮されたと思われます。

 

  また、彼が人生の中で一番苦しんだとされる、チームメイトとの確執が騒がれた時代があります。

その頃のセナは、レース以外の部分ではかなりの冷静さをなくしていたようでした。

もう、引退したいとまで思っていた彼は、新しいチームメイトと組み、彼と親しくなることで本来の自分を取り戻し始めます。セナは、レース以外でも人生は楽しめ、チームメイトは、レーサーとして成功するために必要なものを知ることになります。お互いがそれぞれの個性のままで、調和し協調することで、お互いが豊かになる経験をしています。セナが内省に向かう番号ばかりなのに比べ、そのチームメイトは、誕生数が【5】運命数が【8】と外に向かうエネルギーの持ち主だったようです。

 

ステージ数:12-3  彼の活躍の舞台

  彼の霊性とパワーを発揮させるのは、【3】精神的な喜びを人に与えたり、表現をしていく分野。

そして【12】は、コラボレーション・ナンバー。

レーシングドライバーとして彼は、自らの情熱や知性・そして精神性をも表現していました。

歓喜する人々・・彼の周りには、そんな人々の姿がありました。

  そして、チームメイトとの逸話は、コラボレーションの賜物だったのではないかと思われます。

 

ソウル数:6  彼の魂の欲求

 

 【6】は、愛・美・調和を表すナンバーです。

そして、真善美の境地を極め、自己回帰へと向かおうと彼の魂はしていたようです。

また、穏やかな温かい愛に溢れたものも求めていたのですね。彼の家族への愛、母国ブラジルへの想い・・そんなエピソードは、たくさんあります。

そして、彼のレースは美しかった。研ぎ澄まされたものの上にしかない調和のとれた美しさ。そして高い志。

そんなものを、彼の走りにも人生にも感じます。

 

 

人格数:10-1 彼の外見的な印象

 

人格数【1】、意思が強くて情熱的。そして、陽気でピュアな心の持ち主。頭脳明晰で決断力もあり、自信に溢れた姿。F1ワールド・チャンピオンにふさわしい・・・彼の印象そのものです。

 

そして 【10】は、再誕生のナンバー。恵まれた環境に育ち、苦労なく生きてきた方が、人生のある時期に全く別の道へ変化し、人道的な目的や人を癒していく方向へ向かわれる・・とされるナンバーです。

セナが亡くなる前に思い描いていた“社会に役立つプロジェクト”・・・それがこれに当たるのかもしれません。

 

その再誕生の時には、“スピリチュアル・ホール”が起こると言われています。彼のYearCycleからみると、33歳の時に起こったのではないかと思われます。ただ、それから1年後、彼は他界します。

 

 

 

チャレンジ数:5  彼にとっての試練

5】は、変化、そして刺激のナンバーです。

彼が人生を花開かせるために気をつけなければならなかったことは、周りに過敏になったり、自分の殻に閉じこもることなく、常にエネルギーを昇華させていくことでした。

【5】の常に刺激を与え、変化することで自分を活性化すること。相手とぶつかるのではなく、自ら流れを変えていくこと。その波を乗りこなせれば、自分が達成したかったものが実現するのでは・・と、思われます。

 

 

Nature数:8 彼が自然と醸し出す雰囲気

 

 8】は、現実社会で活躍するパワフルな人。

直観力に優れ、向上心を持ってパワフルに行動していく人。でも、ロマンチストでもあり思慮深くもある。

・・・彼から受けた印象、そのままです。

 

 

 

Action数:2  彼の行動パターン

 

 知的で洞察力があり、感受性豊か。その為、細やかな気配りと的確な仕事で信頼を得ていた セナ。

【2】   そのものでした。

 


:::::::::

 

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【歴史】

 

若年期 Youth number :3

【3】   は、明るく・楽しいナンバー。

彼は、経営者として成功した父と温かい母の元、裕福な環境で育ちました。

そして、4歳の誕生日にプレゼントされたカートに夢中になります。

カートの時間を増やすために、学校では集中して授業を受け、毎日毎日カートに乗っては、分解して

自分の思うセッティングに組み立てる・・そんな毎日だったようです。

 

13歳 (Year number :26-8

本格的にカートレースに参戦

【8】は達成の時。今まで、コツコツと練習してきた実力を、少し大きな世界で試す準備をしてきたセナ。

ようやくデビューです。

7歳 (Year number :3

南アフリカのカート選手権でチャンピオンとなる

【3】は、開花し、豊かさを受け取るとき。まさに、喜びにあふれた時だったと思われます。

 

20歳 (Year number :6

     幼馴染の女性と結婚。

     【6】は、慶弔ごとの多い時。そして、結婚にも良い年だと言われます。

     またこの年、彼は次のステップアップの為、自ら資金調達することが出来ないか動き始めます。

     これまでは、父の援助のもとレース活動をしてきました。そして、父の望みは、ファミリー・ビジネスを継ぐことでした。自らの力で生きる道を模索していた時でした。

21歳 (Year number :7

     レースのステージを1つ上げ、母国を出てイギリスに渡ります。

     【7】は、新しいことを始めるのに良い時です。そして、本当の自分を内省する年でもあります。

      新しいステージで初優勝を飾りますが、資金不足の為、レースが続けられず家に戻ることになります。

      父の仕事を手伝いながら、レース以外の道を模索します。

     その時、彼は「レースをもうやめようと思って、違った面を見ようとしたんだ。いくつかのビジネスもやってみた。それで、僕は気付いたんだ。レーシング・ドライバーになりたいという気持ちが、自分の中にいかに強いかということをね。」と、語っています。

22歳 (Year number :8

     彼は、再び イギリスにもどります。

     【8】は、達成の時。そして、【9】の完結に向かうための調整が現実問題として起こる時でもあります。

     イギリスに戻り、レースのステージを1つ上げ参戦することになります。

しかし、彼の妻はイギリスでの生活には戻りたくありませんでした。そして、離婚。

レースの資金は、自分に投資してもらう形で、父から借りるよう話を付けて。

この年、彼は参戦しているカテゴリーで、チャンピオンになります。

 

23歳 (Year number :9

   この年、再びカテゴリーを上げレースに参戦します。そしてこのカテゴリーでもチャンピオンとなります。

   【9】は、完結の時。そして、次に向かう準備を始める時です。

   チャンピオンとなったセナは、自動車レース最高峰のF1へのデビューを決めます。契約金も上り、スポンサーも付き、父への返済もできるようになりました。

そして、今までの登録ネームを英語圏では読まれにくい「ダ・シルバ」から「セナ」に変更しています。

24歳 (Year number :10

    いよいよF1デビューです。

   【10】は、新しい変化期。不要なものを整理して、新しいステップへと向かう時です。

    そして、ソウル・メイトと出会う時でもあります。

    この年、永遠のライバルであり、セナを内面的にも成長へと導くドライバーと出会います。そして、この世界で戦っていく為の肉体改造や自分をバックアップしてくれる環境を整えていきました。


28歳 (Year number :5

    トップチームに移籍し、最高のマシンを得ます。そして、初のワールド・チャンピオンのタイトルを獲得します。また、永遠のライバルであるドライバーとチームメイトになることで、セナの苦悩の日々がはじまりました。

    【5】は、変化と障害の時です。現状を良く把握して、衝突にも注意が必要な時でした。

    結果は残せたものの、衝突を起こしてしまいます。火種が発生。

  

29歳 (Year number :6

    チームメイトとのトラブルは、大きくなっていきます。失格処分や裁判など・・最後には、来季のライセンスが発行されないのでは・・というところまで、追い込まれました。セナは、「引退」を口にしましたが、最終的には、謝罪し事態の収束を図りました。そして、ライバルだったチームメイトは、移籍していくことになります。

    【6】は調和の時。そして、【7】の飛躍に向かう為に自分を成長させる様々な問題に直面する時でもあります。


30歳 (Year number :7

   【7】は、内省の時。精神の充実を計り、平穏さを保つことで、次の繁栄に向かう。

 2度目のワールド・チャンピオンに輝きます。新しいチームメイトを迎え、彼と親しくなることで、セナはレース以外の人生に楽しみを見出せるようになっていきました。ただ、1点に頑ななまでに集中されていたものが、解き放たれた年でした。

     

31歳 (Year number :8

     3度目で最後のワールド・チャンピオンとなります。この年、悲願だった母国ブラジルでの優勝も経験します。

     【8】は、繁栄・達成の時。

     この年、チームを移籍しようとするが、説得され残留することに。そして、敬愛していた本田宗一郎の死。


32歳 (Year number :9

     【9】は、一つの流れが完結される時。

     この年、長年 共にレースを戦ってきたHONNDAF1からの撤退を発表。F1という興業自体も一つの時代が終わろうとしていました。

 

33歳 (Year number :10

  【10】新しい変化期。不要なものを整理して、新しいステップへと向かう時です。

   この年から、マシン関係のごたごたなどで、勝てなくなっていきます。

   そして、最後の恋人といわれる女性と出会います。この年、セナは再び 引退を考え、次の人生の準備を始めていたと言われています。

   しかし、セナが選んだのは、チームを移籍し、再び 最高のマシンを手に入れることでした。


34歳 (Year number :11

  【11】ドラマチック・イヤーと言われます。自分の本質で生きるか・・・それを迫られる時でした。最高のマシンを手に入れたはずでしたが、仕上がりは思ったものではありませんでした。

  12年間、大きな事故を起こすことなくレースの開催をしてきたF1でしたが、この年の第3戦の予選1日目で大きな事故があり、翌日の予選2日目には、死亡事故が起こってしまいます。

  その日の夜、セナは恋人に電話をかけ、翌日のレースはしない・・と話したと言われています。そんな彼が、考えを変え、向かった決勝レースで自ら事故を起こし、帰らぬ人となってしまいましました。

一度は、出ないと決断した彼がレースに向かうことを決めたのは、レーサー自身の安全性の確保の問題を、その日のドライバーズ・ミーティングで話し合う為だったと言われています。

 

この事故の2カ月前には、姉に「社会の役に立つプロジェクトを始めたい」と打ち明けていた彼。その前に、仲間の命を守ろうと出かけて行った。それが、自分の本質で生きられるか・・・と問われる年でした。

   

 

 

   彼の死の2ヶ月後、生前のセナの願いを姉が受け継ぐことになり、非営利団体“アイルトン・セナ財団”が設立されました。

   ブラジル、特にセナが生まれたサンパウロでは、スラム街で物乞いをして生きているストリート・チルドレンが、その後、働く術がなくギャングとなっていく現実があります。それは、“自己を尊厳する意識が低く、社会を信用していないことが原因となって、不運を共有している者、生きるための術を共有している者がと徒党を組んでいる”為と考え、それを解消するために、合法的な職業に就かせるための職業訓練、スポーツ・トレーニングを通じての自信と尊厳の回復を助けようとして、活動されています。

   

彼がこの人生で成し遂げたかったことは、彼が自身の目で見ることは出来ませんでしたが、現実社会にしっかりと創造され、真の意味で“豊かさ”を与えることになっています。



reported by Saeko Doi

Aeons numerology basic 5th class @  Kansai


by kej000 | 2014-04-09 20:24 | おもしろ数秘学

いつも明るく愉しく・・水木しげる  数秘学基礎科卒業レポートより

数秘学基礎科の生徒さまによる卒業レポートです。

今回は、げげげの鬼太郎でおなじみの水木しげるさんです。

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水木しげる


本名 武良 茂 (むらしげる)

1922年3月8日生

2014年現在 92

妖怪漫画家  

出版物  ゲゲゲの鬼太郎・悪魔くん 妖怪大百科    

鳥取県境港市出身


::::::::::::

 

<Personality>



Birth167

 誕生数16は真理の探究、多くの体験を通して何度も価値観を変えながら、真理とは何かを探究していく。 

 そして会得した智慧や研究を世の中に広め、人々の心を豊にすること。

 

Destiny145 運命数

 未知の世界の解明とそれを広く啓蒙(けいもう)してくこと

 

Soul 213 魂の目的

精神的な喜びを人に与えること。 人々に未知の光を投げかけること

 

Personality 112 人格数

 感情豊かで洞察力が鋭い、繊細で知的、傷つきやすく過敏である。考えや行動性に一貫性がない気分屋。

 優柔不断な面もある。思考過多になりやすい。実行力に欠ける。

 

Realization 123 実現数

 魂の目的と同じ

 

Stage 112 舞台

人格数と同じ

イメージの世界で価値ある創造物を現実社会で具現化していく

 

Challenge 7 チャレンジ

  運命数と同じ

  精神性への目覚め、本来の自分を内省し、精神の充実性を計り、平穏さを保つ。

 

Nature 9 自然な状態 

  幅広く人々と交流でき、人当たりが良い。 物腰が柔らかく冷静である。

 

Action 5  行動パターン

活発で多才。如才なく予想不可能な行動、話しのまとめ役など





<Biography>



◆サイクル167

水木しげる(本名 武良茂)さんは1922年、167の年に武良家の二男として大阪に生まれました。

子どもの頃は両親が忙しかったため、賄い婦として出入りしていた「のんのんばあ」と呼ばれる信心深いお婆さんに育てられたそうです。

後に彼は「のんのんばあとオレ」と言う自伝を出版されていますが、幼少期の頃にのんのんばあが話して聞かせてくれたお化けや妖怪の世界のことが面白くて、楽しくて勉強どころではなかったと語っています。

若年期 Month3 で好奇心旺盛な明るい子ども時代を送ったと推測出来ます。

彼の妖怪漫画家としての豊かな表現力の基盤はこの時期に形成されたのではないでしょうか。

 


◆サイクル145 <少年期> 

1937224の年 15歳の彼は版画、印刷所などに入社しますが短期間での解雇が何度か続き、なかなか定職につけなかったようです。22と言う金銭面や仕事面などにおいて現実的な問題に直面する年になったようです。この後も入学、就職などを何度か繰り返しますが、5のサイクルの時と言うこともあってか、環境面で大きな変動が見られます。

 


◆サイクル156 <青年期>

1943191の年、21歳に召集令状が来て、ラバウルに出征します。

191の年は新しい始まり、開始などの時で戦地に赴く彼にとっては、これから始まる壮絶な人生の新しい一歩を踏み出したような年だったかもしれません。

 

1944年 202の年、22歳の年に戦地で爆撃に合い、左腕を失います。

20の年は人間関係と協調性の開発、穏やかさと妥協、種から発芽に至る急速な変容を冷静に見極める年であり、0は霊的な力の影響もあり、左腕を失った彼が、自分の身に降りかかった変化の時をいかに受け容れていくか、そしてまたこの時の体験が彼の今後の運命を大きく変える試練の時になったように思われます。

 

1945年 213の年。ニューギニアの病院で療養した彼は現地人と仲良くなっていきました。

23歳の彼はこの地で暮らしたいと戦地で除隊を申し出ますが、説得され、この申し出は却下され諦めたようです。3の年はより多くを経験し、更なる視野の拡大や開花を楽しむ年で、Nature9を持つ彼の人柄で現地人と自然に打ち解け、ごく自然な行動だったのかもしれません。

 

1946年 224の年、24歳の時に復員します。

22は現実的な仕事、お金などの問題に直面します。この年は身一つで戦地から帰国した彼が、これからの日本での生活の基盤づくりや現実的な安定を手に入れるための計画を練る年になり、忍耐と冷静さが必要な年だったと思われます。  

1948156サイクルの最後の年の246の年に26歳で美術学校に入り、輪タク業を営みます。

6は愛、美、調和、など内面の成長を目指す時でもあり、この年に美術学校への入学に再度チャレンジした彼にとって、これからの方向性が決まりつつあった時なのかもしれません。

 


◆サイクル167 <壮年期>

1950年、再び巡ってきた167サイクルの年の178の年

28歳の彼はのちにペンネームともなる「水木荘」と言うアパートを神戸で経営します。

8はコントロールが必要な時になります。組織のトップや管理する立場についたり、責任や義務などを学ぶ年になるようです。

しかし、このアパートの経営は3年後の1953167サイクルの202の年に破たんし、彼は西宮に家を買い引っ越します。同時に戦犯で巣鴨プリズンに拘留されていた兄が出所し、同居することになります。これまで1人で暮らしていた彼が2人暮らしになったのが「相対」を表す2の年であったのも興味深いとこです。

 

1957246の年、35歳で単身上京。彼の処女作である『ロケットマン』を完成させます。6の年は出会いと別れ、内面の成長を目指す年。そして内面の強さを養う時期でもあります。

翌年1958年、257漫画家としてのデビュー作として刊行されます。

7の年は内省と探求をしながら才能を開花させる年であり、漫画家としての彼の才能が開花し、その一歩を踏み出す年になったようです。

 


◆サイクル178 <中年期>

1959178サイクルの年になり、最初の178の年、調布に家を購入。

8の年は富と力を手にする繁栄の年でもあり、達成の年でもあります。彼がこれまで頑張った証としての成果を手にした年といえるかもしれません。

その2年後の1961191の年。

彼はこの年に両親のすすめるお見合いで結婚をします。1の年は電撃結婚になる可能性があります。

この後、次々と作品が刊行され、

1965235の年にメジャーデビューを果たし、講談社児童漫画賞を受賞します。

5の年は形になったものがさらに外向きに活発化していきます。

1966246の年に『悪魔くん』がテレビドラマ化

1968268の年、8サイクルの最後の8の年に『ゲゲゲの鬼太郎』のテレビアニメ放映が開始されました。

 


◆サイクル189 <中年期>

189サイクルに入り、彼の作品は次々とアニメ化されていきました。

1971202 49歳の年、偶然、再会した戦友と26年ぶりにパプアニューギニアを訪ね、現地人と再会を果たします。以後、何度も訪れ、彼の現地への憧れが強くなっていきました。

 


◆サイクル191 <中年期~高年期>

1979年から191のサイクルに入り、作品のアニメ化が続きます。



◆サイクル2 <高年期>

1989年から時代は平成へと移り、67歳になった彼に初めての一桁である2のサイクルが巡ってきます。

2のサイクルは人間関係と協調性の開発、芽吹きの時になります。


19903の年、『水木しげる画集40年』が刊行

19914の年 NHKテレビドラマ『のんのんばあとオレ』が放送。翌年には続編放送。

19925の年『カラー版妖怪全集』刊行

19936の年になり、ホピ族等のネイティブアメリカンを訪ねたことがきっかけとなり、この頃から「世界の妖怪」を求めて海外へ冒険旅行に出かけるようになります。



◆サイクル3 <老年期>

人生の開花の時を迎え、世界に認められるまでに豊かさを受け取る時期に入りました。

20037 81歳の年に「水木しげる記念館」開館。手塚治文化賞特別賞受賞。

20059 83歳の年に「妖怪大戦争」映画化

2006101テレビドキュメンタリーの撮影のため、パプアニューギニアへ

2007112「ゲゲゲの鬼太郎」の5度目のアニメ化、 「総員玉砕せよ」のテレビドラマ化

2008123 鬼太郎生誕40周年を記念し、「墓場鬼太郎」の初のアニメ化。

       「水木しげる妖怪道五十三次 妖怪と遊ぼう」展が、アメリカ・ワシントンDCにて開催。

       「ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌」公開

 


◆サイクル4  <晩年期>

晩年期に入り、安定を手に入れる時期に入ります。

20105 88歳の年に妻の著書「ゲゲゲの女房」がNHKテレビドラマ化。映画化。

20138 92歳で「水木しげる漫画大全集」刊行されるなど・・・、

まだまだお元気にご活躍され続けています。

 

―――――――


 

彼の誕生数167からみられるように、彼は、のんのんばあと出会い、そして戦地での体験を通して、人生のある時期から運命的な絆に吸い寄せられるように、神秘的な方向性へと向かいました。

Challenge数も同じ7で、妖怪漫画と言うこれまでになかった独自の視点を通して、自身が会得した多くの智慧や研究を世の中に広め、人々の心を豊かにしていきました。

 

運命数145で「妖怪」と言う未知の世界の解明と、それをわかりやすく人々に教え導く役割として妖怪百科事典なども出版しました。

 

Stage2のイメージの世界と言う舞台により、価値ある創造物である「鬼太郎」「悪魔くん」など、親しみやすい漫画の主人公を世に送り出しました。

人生早期に左腕を失うと言うハンデにありながら、左腕を失ったことに対して「私は片腕がなくても他人の3倍は仕事をしてきた。もし両腕があったら、他人の6倍は働けただろう」、命を失うより片腕をなくしても生きている方が価値がある。」と力強く語っています。

 

晩年には、戦地だったパプアニューギニアの現地人を幾度となく訪ねるなど、幅広い人々と交流できる自然な態度もNature9を持つ彼の魅力の一つだと思います。

 

誕生数167は、カルマの清算を強いられると言う少し厳しい数字にありながら、人々に未知の光を投げかけ、精神的な喜びを与え続けると言う魂の目的と実現数3。どんな時も明るく、楽しく、魅力的な人生を全うされ、彼なりのミッションをしっかりと果たされてきたように思います。

晩年、彼の人生は大きく花開き、素晴らしい一生を送られ方だと思います。

 

 


Reported by Cynthia
Aeons Numerology 5th term @ Kansai

by kej000 | 2014-04-09 19:10 | おもしろ数秘学

ロバート・モンローに捧ぐ   数秘基礎科生徒さま卒業レポートより

アイオンズ・数秘基礎科クラスの生徒さまによる卒業レポート
今回は、関西クラスの方より、ヘミシンクの産みの親、ロバート・モンロー氏の人生を数秘学で読み解いたレポートとバイオグラフィーを紹介させていただきます。


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Robert Allan Monroe

19151030日生 (1995317日没・79)

 

ロバート・モンローの名前を聞いて、私がこの人物を取り上げたことに納得される方は、おそらくごくわずかで、ほとんどの方は「誰、それ?」と思われることでしょう。まず最初に、ざっとモンローについての解説をしておきたいと思います。

 

Wikipediaによりますと、『アメリカ合衆国の超心理学者。体外離脱の体験者。科学的側面と体験による裏付けを基とした体外離脱体験(変性意識状態)の研究者。モンロー研究所の創設者』とあります。あ、この部分だけで引かないでくださいね!

 

モンローは大学卒業後、二つのラジオ局で放送作家兼ディレクターとしてキャリアを開始します。その後、ニューヨークへ移って放送業界で実績を積み、独立してラジオ番組製作会社を経営します。50年代にいくつもの人気ラジオ番組を制作し、ラジオ、テレビ、映画用の作曲家としても有名になりました。いくつかのラジオ局を買収し、2つのケーブルテレビ会社も所有する、アメリカでも非常に成功した人物と言えます。

40代に差し掛かった頃、自らを被験者として、さなざま音響パターンが睡眠学習や加速学習に与える効果の研究を始めます。そんなある日、みぞおちに具合が悪くなる程の強い振動を感じます。それが続いたために信頼できる医者を訪ねますが、身体に異常は見つかりませんでした。そんな状態が数カ月続き、予想もしていなかったことに、自分の意識が肉体の外に出ると云う鮮烈な体験をします。

 

その原因を解明するべく、持ち前の好奇心から体外離脱の実験と記録を始める一方で、あらゆる文献から知識を蓄え、また一時期は、超自然現象、サイキックやスピリチュアルについて探求する地下組織に参加し、心理学、精神科学等の専門家を含む多彩なメンバーと交流を持つようになります。しかしながら、求めていた答えは得られず、結局、自分で研究所を設立し、これまでに培った音響の技術を駆使して、ヘミシンク(ヘミスフェリック・シンクロナイゼーション - 半脳同期)を開発します。(ヘミシンクの説明をすると長くなるので割愛しますが、簡単にお話すると、振動数の異なる音を左右の耳から聴かせることで、脳内で新たな信号が生み出され、これを調整することで、特定の意識状態に誘導することができるものです)

 

この技術は、元々は体外離脱を他の人に教えるために開発したものですが、ヘミシンクを聴いた人が体外離脱をするしないに関わらす、驚くべきさまざま体験(過去世体験・死後世体験・宇宙内探索・ガイドと呼ばれる存在との出会いや交信・ワンネス体験など)が報告がされ、人間意識という広く深い領域の探求のドアを開く結果となりました。

ロバート・モンローの功績は社会的な成功のみならず、体外離脱と云う、単なるオカルトと捉えられかねない現象を科学的に検証し、膨大なデータの蓄積を元に、一般の人にも体験できるよう、様々な体験プログラムを開発したこと。またその技術を用いて、各々が自らが体験することによって、魂や人生の目的を探求するきっかけを与えたことと言えるでしょう。

Personality

 Birth path number  基本となる誕生数 20-11-2

それでは、基本となる誕生数からモンローを読み解いていきましょう。

モンローの誕生数は、11番。

複数のアンテナを持つ彼は、飛び抜けた感性の持ち主です。

探究心が旺盛で、理想に向かう揺るぎない意思を持つ彼は、他者が思いつかないようなアイデアで、『体外への旅』に導くプログラムを開発し、人生を紐解くきっかけを一般の人々に与えます。

11の持つ意味、『霊性』が示す通り、まさに天と地の橋渡しとして大きな役割を果たしたモンロー。

また、芸術的な才能も持ち、大衆娯楽のビジネスで大成功を収めた頃には、番組の脚本や監督、演出と、そして番組のための音楽の作曲をも手がけました。

ナンバー11matureな才能を遺憾なく発揮したモンローでしたが、時折、独善的な態度を貫くa-mature~つまり残念な部分を見せては、トラブルに巻き込まれたり、大切な協力者と決別するようなことも度々あったようです。

 

1の二乗としての面も色濃く見えます。

大学教授の父親と、医大を卒業した母親の長男として育ちますが、幼い頃から独立心に富み、卓越した行動力の持ち主でした。

15歳でオハイオ州立大学に入学しますが、ホームドクターを目指すべきと云う父親の勧めを蹴って、機械工学を専攻します。理由は「旅行や冒険の機会が多いと考えたから」。

危険に挑戦すること、例えばグライダーやヨットに乗る、オンボロ飛行機を操縦する、時には自分で組み立てた高速自動車をとばすといった、『自分が体験すること』に喜びを感じていたようです。

モンローは流行にも敏感で、人々のニーズを満たし、所有していた二つのケーブル会社は大きな富を彼にもたらしました。

また、これは私の考えですが、彼は精神性に目覚めて以降、1の数字の持つエネルギー「有」という感覚、つまり肉体を越えて存在する「意識」(彼は魂など、オカルト的なニュアンスを持つ表現は敢えて避けていたようです)について強い興味を持ち、生涯をかけてこれを探求したのだと思います。

 

20-2番としての彼は、人材の発掘…協力者を得る能力にも優れていました。

モンローは確かに多才で行動力もあり、質実の伴った人物ではありましたが、ビジネスの世界でも、研究所の運営にしても、良いビジネスパートナーやスタッフに恵まれての成功に他なりません。

また、ヒーラーとしての資質もを備えていたと考えます。医療現場において、手術の際の痛みの軽減や精神的な安定の有効な結果が報告された「緊急時対応シリーズ」というプログラムでは、音響技術のみならず、「あなたは一人ではありません」というモンローの穏やかで信頼感のある声が与えた効果であるとも言われています。そう、モンローはその声と語り口調でも、人を癒やし、安心感を与えることができる人物でした。

 


 

 Destiny number  運命数 9

次に、人生における使命や目的をあらわす運命数を見てみましょう。モンローの運命数は9

完結を意味するこの番号は、あらゆる経験を通して本当に必要なものを取捨選択し、自らの内に光を見出し、それを他者にも分け与えることができる懐の深さを持っています。

モンローは、持ち前の開拓精神と好奇心から、次々と新しいアイデアを形にし、大きな成功を手にした反面、若い頃には一瞬で全財産を失うばかりか借金を背負ったり、その複雑な内面から、傍目に理解できないような行動に出て、大事なものを失うようなこともありました。しかしながら、そんな苦々しい経験すら糧にして、パズルを完成させるためのひとつのピースとできるのです。

 

運命数は年齢を重ねる内に強く発揮されると言いますが、モンローも例にもれず、人生の前半には、人類全体についてはあまり関心はありませんでした。目に見えるもの、説明可能なもの、制御が可能なもの以外には関心が薄く、人類の未来、利他主義、あの世の存在に対する感性を持っていた痕跡はなかったようです。

自身の体外離脱をきっかけに、後年、精神性への探求がライフワークとなったモンローでしたが、体外離脱体験に関する質問を受けた時に、彼がもっともよく使った答えは「自分で体験しなさい」というものでした。

『自分で経験し、客観的に分析すること』に重きを置いていたモンローは、経験によってのみ叡智の習得がかなうことを、深く理解していたがゆえの言葉なのでしょう。

 

 Soul number  ソウル数 3

「魂の欲求を暗示する」と言われるソウル数は3番です。

冒険することが大好きだったモンロー。彼の飽くなき好奇心で、興味のあることにとことんのめり込みます。

そしてそれは、ただ刺激を求める表面的なものではなく、深い分析力によって、あらたなものを生み出す力をも有しているのです。

元々、音楽や演劇などに強い興味を持っていたモンローは、表現者としての資質を備えていました。

大学では劇団にも所属しており、ある時、芝居の脚本コンテストで入賞します。八百人の観客の前で披露された劇で、総立ちの大喝采を受け、大衆との初めての交流によって、後の人生に大きな影響を受けます。

人生の前半では、表現を生業とした大衆娯楽の世界で成功し、人生の後半では精神的な喜びを人々に与えることを、自らの使命と感じていたようです。

 

 Realization number  今回の人生で実現する事項 11-2

ここで、今回の人生での可能性や実現性をあらわすRealization numberを見てみましょう。

またまた11番、精神的創造活動による開拓を行い、人と天をつなぐ役割です。

モンローは9の運命数を持っており、個に留まらず全体へと意識が向いていたこと、また人に精神的な喜びを与える3と云うソウル数を持ってることがプラスに働き、11という数字の持つ恩恵を余すところなく発揮できたのだと思います。

自分の体験を通して得られた膨大なデータを冷静に分析し、意識とは、人生の目的はといった曖昧模糊としたテーマを論理的に説き、また誰もが自分で体験できるツールを開発することによって、広く精神性への気づきの機会を与えました。

 

 Personal number  人格数 6

他者の目に映る、その人の表面的人格をあらわすPersonal number6番です。

体外離脱の体験者として、初対面の人物から好奇の目で見られることも度々あったモンローですが、それを自覚しながらも、飾らないざっくばらんとした性格で、愛想良く人と接していたようです。彼らから投げかけられる質問にも率直で知的に対応し、科学を追求する真摯な姿勢や理にかなった手段を選ぼうとする態度に感銘を受け、信頼を感じる人も多かったようです。

反面、常に一緒に仕事をするスタッフは、彼の「気まぐれ」に悩まされました。様々な顔を持つモンローは、その時々で違う性格が表面化するのです。加えて、妥協を許さず自分主体でないと気が済まないことから、役割を越えて自ら手を出すために、それがトラブルの火種となることもありました。

つまり、モンローは、Personal number6番のmatuerな部分も、a-matuerな部分も、存分に発揮したと言えましょう。

 

 Stage number  10-1

どのような舞台で実現するのか、活躍するフィールドを表すStage number10-1です。

ビジネスの分野でもトップとしての手腕を発揮し、後年は、音響技術を用いて、人類の精神性を探求するという革新的な施設(モンロー研究所)の創始者となったモンローに、ぴったりのナンバーと言えます。

 

Nature number  6

その人が自然に持っている雰囲気を表すNature numberは人格数と同じく6です。

愛を象徴するナンバーとも言われる6番ですが、実はモンローは5度の結婚を経験しました。

しかし、それは別に彼が女たらしだったという理由ではないようです。若い頃、目に見えるものにしか関心を示さず、後年、精神性という間逆のものに興味の対象が変化したように、最初の内は、相手の才能や、自身の美意識にかなう相手に興味を抱いていたのが、自身の変化に伴い、内面を理解してくれる、興味の対象が似た相手を求めるようになったように感じます。

 

Action number  7

その人の行動パターンを表すAction number7番。

深い洞察力と論理的な分析力を持って、ひたむきに探求を続けます。興味のある分野にとことんのめり込む傾向がある半面、興味のないことは疎かにしがちです。

モンローは、大学時代には飛行に熱中するあまり、落第して一度退学となっていますし、成人してからも、仕事や研究に打ち込む一方で、ビジネスシーン以外での身なりや健康には、全く無頓着だったようです。


Challenge number  8

試練数とも言われ、取り組むべき課題を表すChallengenumber8

物質社会での成功者となったモンローは、彼の最初の書籍である"Journeys Out of the Body"(体外への旅)の出版にあたり、会社の上層部の批判の対象となって、自身の立場を危うくするのではないかと葛藤します。

しかしながら、天と地をつなぐ架け橋になるミッションを持つ彼には、社会的基盤を持ち、しっかりと地に足がついた状態であることは、不可視の世界の存在を説くにあたり、大きなプラスであったと言えます。

 

Creation number  5

モンローの資質を見た時に際立っているのは、創造性を表すCreation numberです。

彼は機械の修理や組み立てなどの工学的な才能、音響技術の開発などの科学的な才能、また作曲や文章を書く表現者としての才能なども有する、非常に多才な人物でした。

Birth numberRealization number11、またStage number10-1と、数多くの1を持つモンローは、その才能を活かして、次々に新しいものを生み出しました。その最たるものがヘミシンクと言えるでしょう。

 

 

Histry

若年期 youth number  10-1

大学教授の父親と、医大を卒業した母親の間に、第三子として生まれ、また初めての男の子でしたが、幼い頃から非常に活発で独立心が強く、自分で何でもやってみたがったようです。

非常に物覚えが良く、10歳になる頃には自動車のエンジンの仕組みを理解し、修理までできるようになる一方、飛行機にも夢中になって、17歳でパイロットの資格を取得しますが、飛行への情熱が強過ぎて、大学を退学することになります。日銭を稼ぎながら路上生活を始め、丸一年間、放浪生活を続けた後、父親の根回しで大学に復学が叶うも、独立心から学費援助は断り、持ち前の器用さから割の良い仕事を見つけ、学業との両立を成功させます。

決して、必要に迫られた訳でもないのに、好んで自立の道を歩んだ彼は、1の数を多く持つだけに、「自ら行動すること」が一つのテーマだったと思われます。

 

さて、ロバート・モンローは、一般的な有名人とはちょっと趣が異なるため、なかなか詳細に時期を特定できる情報が見当りません。

現実世界にしか興味のなかったモンローが、生涯をかけて、目に見えない世界を探求するにいたる人生の中盤期を中心に、彼の足跡を辿ってみたいと思います。


 

21歳 (year number 8 - 5)

最初の結婚。結婚相手の父親に多額の借金をして、劇団を設立しましたが、あっと言う間に失敗して、その後、7年をかけて借金を返済することに。

社会的なステージで活躍を目指す8の流れの5の年、しょっぱなからいきなり手痛い洗礼を浴びます。この後、本格的に脚本作家の道を歩み出すも解雇…などの状況を繰り返し、やはり自分の将来は大衆娯楽業界にあると確信して、単身、ニューヨークへ。妻への愛情も薄れ、結婚生活は実質、破たんを迎えます。

並みの若者なら挫折しそうな紆余曲折も、モンローにとっては乗り越えられる試練であり、必要な学びの場だったのでしょう。

 

25歳 (year number 9 - 9)

以前、モンローが送ってあった脚本が認められて、一躍、成功への階段を駆け上がります。

「まるでジェットコースターのようなような波乱万丈の人生だったよ。無一文から成り金へ、そして元の木阿弥に…。長期にわたる忘れ難い連続だった」1980年代後半に受けたインタビューで、自身の人生をそう回想しています。

いずれにしても、これが彼の才能が社会で認められた、初めての貴重な体験でした。

サイクルの成就・完成を表す9の流れでの、ドラマチックなnumber9、まさにアメリカン・ドリームと言っても過言ではないですね!

先ほどご紹介したモンローの言葉の通り、この後も波乱万丈が繰り返されるのですが、様々な体験を通して、不要なものをそぎ落とし、真に大切なものに気づくための準備期間だったのかも知れません。

 

28歳 (year number 9 - 3)

この若さでラジオ番組の制作会社を立ち上げた後も、彼の快進撃は止まりません。翌年にはモンロー・プロダクション設立の同意を得ます。

9の流れの34で、才能が開花して彼の構想が形になり、着々と基盤固めを進めているように見えます。

やはり私生活は不安定で、最初の妻と離婚した後も、時を経ずして二度目の結婚と離婚。次の恋愛もすぐにダメになりましたが、その後に三度目の結婚。さすがはPersonalNature6を持つモンローは、好きになると結婚せずにはいられなかったようです。

 

30歳 (year number 9 - 6)

年間約30万ドルを稼いだ人気番組が終了、次のヒット作が出ず、しばらくは財産を食いつぶし過ごすことに。そんな状況にあっても、飛行への熱は冷めず、週末になると飛行を楽しんでいました。

6の持つa-matureな部分、物質的な執着や、感情に任せて状況をわきまえないような面が表れてしまったのでしょうか。

もしくは、1というナンバーをたくさん持つゆえか、自分に自信をもっていること、更にはSoul3の楽観的で自由奔放な性質のおかげで、逼迫した場面でも深刻になり過ぎず、このような行動に表れるのかも知れません。

 

実際、背水の陣で臨んだ企画が大成功。この後、再び波に乗って、番組の脚本や監督、演出の全てを精力的にこなし、ラジオ界の指導的位置に就いたばかりか、音響の世界でも革新者として頭角を現わします。

それは丁度、25歳の大成功から丁度10年が経過する前後の出来事ですので、9の流れの89、そして良い流れのままに、新たなサイクル1に入ります。

ラジオ放送に忙殺され、週に二十八本の番組を抱えるまでになりました。・・・社会的な成功と云う意味では、絶頂期と言っても過言ではなかったかと思います。

同じ頃、二度目の離婚の後に大恋愛をするも、突然姿を消した女性と再会します。三度目の離婚、そして、この女性と四度目の結婚をして、Year number1-1の年には、女の子(後にモンロー研究所を継ぐローリー・モンロー)が誕生します。

 

38歳 (year number 1 - 4)

仕事は繁忙を極め、業務の拡大に伴い、モンロー・プロダクションは、モンロー・エンタープライズに名称変更します。

また、放送局の親会社から、番組担当の副社長に就任するよう要請を受けます。

全米各地にある放送局の責任者となった彼は、盤石な社会的地位を築きあげました。

反面、現実的な問題が表面化しやすいとも言われるnumber4の影響からか、睡眠薬を常用しなければならなくなります。

 

40歳 (year number 1 - 6)

多忙極まりない生活と決別すべく、放送局を退職し、睡眠薬も手放します。家族にもお金にも恵まれていましたが、達成すべき野望は残っていました。新しいことに挑戦すべきと考え、今後についてあれこれと思案を巡らせます。良きにつけ悪しきにつけ、モンローは満足すると云う事を知らないようですが、変化を意味する5番の年を経て、ようやく仕事をセーブする決心をして、先のことを考える時間ができたことは、今後の展開のために必要な流れでした。

 

41歳 (year number 1 - 7)

マジソン・アベニューに新しい事務所を構え、二つの放送局を買収に乗り出しますが、ラジオショーの制作や監督業務に専念しなくてもよくなり、時間的な余裕ができました。そこで、将来、事業家できそうな構想や案件を探し始めます。これまでとは違って、バイオリズムや睡眠学習など、ニッチな分野に興味を持ちます。

やはり、number7の影響かも知れませんね。

自己流の研究開発プログラムを作り、自らを被験者として、さなざまな音響パターンが睡眠学習や加速学習に与える効果の研究を始めます。

モンロー自身は効果を感じますが、有効性を広く一般に認めてもらうには誰かに試してもらう必要があると考え、娘のローリーを始め、11人を被験者としてデータを収集しますが、残念なことに、その効果については確証を得られなかったために、この計画は頓挫します。

しかしながら、この研究をきっかけに、モンローは想像もできない体験をすることになります。

 

42歳 (year number 1 - 8)

4月、初めてみぞおちの強い痛みと共に、連続して金縛りにあいます。振動は全身に及び、それは夜中まで続きます。その後も度々、同様の振動が続いたため、この現象に不安を覚え、信頼できる医者を訪ねますが、満足のいく答えは得られません。

そしてとうとう、その年の秋には体外離脱を体験します。

Number8は、「無限を表す天体の螺旋運動レミニスケート(無限大のマーク)を表す」とありましたが、この体験が、精神性への目覚め~それは即ち、人間は肉体も時空をも越えた、永遠の存在であることを知る探求への大きな一歩となりました。

 

43歳 (year number 1 - 9)

モンローはなんと、しばらくするとこの奇妙な状況に慣れてきます。そして少しずつ動きをコントロールできるようになり、実用価値があることが分かってきたそうです。

困惑する出来事もあったようですが、自分の身に起きたことを受け入れる準備が出来ると、持ち前の好奇心から、体験するだけでは飽き足らず、その原因や価値について、探究を深めます。

目に見えるものにしか興味を示さなかったモンローですが、これまでの価値観を根底から覆しかねない体験を、驚くほどあっさりと受け容れてしまいます。

・・・まぁ、元々が霊的感受性の高い誕生数11ですし、またあらゆる体験を通じて、自身の内側を探求し、真理へと至る運命数9を持っているモンローですので、1(開始)の流れのYear number9で、ようやく「時が満ちた」と言うべきかも知れません。

 

4647歳頃 (year number 2 - 34)

二つのケーブルテレビの事業を展開し、大成功を収めます。

一方で、全ての自由時間を以前から書きたかった本の執筆に充てます。更に、体外離脱研究のための施設を創設するためには、ケーブル事業とは別の基金を立ち上げることが必要と考え、新たな事業(不動産業)を立ち上げるもこれはあまり成功しなかったようです。着眼点自体は悪くなかったのですが、様々なトラブルに巻き込まれ、閉鎖に追い込まれます。

しばらくして、体外離脱の経験は減少します。世事に関わることが増えたことや、本の執筆に向けて、それまでの体験を検討することに没頭したためかも知れません。

また、4度目の結婚相手との関係も、悪化の一途を辿ります。

やはりnumber4の年、現実的な問題の対処に追われることになったようです。

これ以降も、2の流れのCycleでは、日常的生活が忙しく、体外離脱の実験の機会は限られたようです。

精神世界に強い興味を持つも、現実世界で生活している以上、上手くバランスを取って行く必要があります。体外離脱研究のための基金の計画がうまくいかなかったのも、この時点ではまだ、時期尚早だったのでしょうね。

48歳頃 (year number 2 - 5)

ロサンゼルスで精神科医、心理学者、科学者、モンローを含む20名程が集まり、モンローの体外離脱体験について真剣に調査することが検討されます。

ケーブルテレビ事業については、確かに他のベンチャービジネスと比べると儲かるものの、この生活を続けている限り、自分の求めている精神的な満足は得られないと云う結論に達します。二つのケーブル会社の内の一つを辞めて、再び不動産業に目を向けました。この方が、研究の時間を捻出したり、本を執筆するのに都合が良いと考えたためのようです。

Number5の影響で、より精神性への探求に重きを置くことに、気持ちが変化してきたのかも知れません。

 

50歳 (year number 2 - 6)

チャールズ・タート博士と共に、バージニア医科大学の脳波検査室にて、八回の体外離脱体験実験。モンローは、耳にクリップの電極を着けたまま軍隊用の簡易ベッドに横たわり、八日目の夜に短い体脱に成功しました。

 

52歳 (year number 2 - 9)

18年間の結婚生活にピリオドを打ち、四度目の離婚に踏み切ります。

しかしこれも、本当に必要なものを得るための、一つの経験に過ぎません。

 

55歳 (year number 3 - 3)

生涯の伴侶となる、ナンシー・ペンと五度目の結婚。

モンローの初めての著作である"Journeys Out of the Body"(体外への旅)を出版。これは1958年から1963年までの体外離脱の体験と、検証と分析について記述しています。

執筆の動機の一つは、自分と同様に体外離脱を経験しつつも人知れず苦悶している人々に、それが特別なものでも治療が必要なものでもないこと、更には気がふれたわけでもないことを伝えて、その悩みを取り除くこと。

もう一つはより野心的なもので、「科学そのものが守備範囲を広げ、この本で示唆した<><門戸>を広く開放し、それによって人々が、人間自身とその環境すべてに対する知識と理解を高められるように促すこと」でした。

この本の出版によって、同様の経験を打ち明けられずに悩む人々の気持ちを癒やし、Number3Missionであるところの「人々に未知の光を投げかけること」を実践します。

また、ラジオ番組制作会社の研究開発部門(ウィッスルフィールド研究所)を母体に、モンロー応用科学研究所が誕生します。

「開花を楽しみ、さらに想像力を発展させ、豊かさを受け取る」3の流れに入ったこの年は、モンローにとって、人生の節目となりました。

 

58歳 (year number 3 - 6)

当時、人間性心理学の研究者にとって登竜門的存在であったエサレン研究所の招待で、カリフォルニア州ビッグサーでヘミシンクの効果を実証するワークショップを実施します。

このワークショップは概ね好評で、3-発展の流れを汲んでか、これがきっかけで、その後の参加希望者が殺到するほどの反響となりました。

また、自己回帰を目指すnumber6のこの年、もう一つのケーブル会社を売却して過去とのしがらみを断ち切り、現在の活動に全力投球する決心をします。

 

62歳 (year number 3 – 10-1)

モンロー研究所の研究及びプログラムへの参加者が累計700名を超えます。

大きな収入源(ケーブル会社)を手放したことで経済的には困窮し、資産を食いつぶすこととなりますが、この頃、モンロー研の「6名の探索チーム(Explorers)」がプログラムによって、様々なデータを蓄積し進展します。Number1の年ですので、更なる発展のための、種まきの時期だったのかも知れません。

 

63歳 (year number 3 - 11-2)

エサレン研究所のプログラムのニュースを知って、全米から問い合わせや申し込みが殺到します。

人手が足らず、新たなスタッフを雇いますが、モンローは他人が主導権を握ることを嫌い、口出し・手出しをするために、担当者たちは長続きすることはありませんでした。

精力的に協力してきた義理の娘(5度目の結婚相手、ナンシーの二女)も研究所を去ります。

本来は人間関係と協調性の開発に努めるべき2の時期なのですが、自らの研究が大きな注目を浴びる急速な変化の中、資金面などから思うようにならず、焦りからか、悪い部分が出てしまったのかも知れません。

 

研究所の存続には、しっかりした足場を固める必要があり、そのためには参加者が寝泊まりできる滞在型施設とそれを管理するための施設、専用の研究棟、会議室などが必要と考え(3の流れも終盤でしたので、基盤作りに意識が向いていたのかも知れませんね)、邸宅なども全て処分し、バージニア州・シャーロッツビルの現在のモンロー研究所の場所に移転します。

 

66歳 (year number 4 - 5)

インタビューで、ここ十年の間に社会一般の体外離脱に関する態度も大きく様変わりしたと話します。

「米国精神医学会が体外離脱について、真面目に耳を傾けてくれる時代がやってくるなどとは、夢にも思わなかった」

研究所の移転後も、現実的な問題が付きまとい、決してトントン拍子という訳にはいかなかったようですが、4の流れに入って、研究所の施設などの物質面がカタチになってきたことだけではなく、多くの人が目に見えない世界に関心を寄せ始めたことを実感していたのでしょう。

 

70歳 (year number 4 - 9)

二冊目の著書、"Far Journeys"(魂の体外旅行)出版。

 

76歳 (year number 5 - 6)

Nunber6は冠婚葬祭に関連すると言われますが、この年、モンローの妻、ナンシーがこの世を去ります。

翌年、ウォール・ストリート・ジャーナルにモンロー研究所の記事が掲載されますが、モンローは記者に「亡くなったナンシーに会いに行くのは、あまりに強烈で耐えられない。また会いに行ったらもう帰れなくなる。だから体外離脱はもうしない」と語ったと言います。

 

79歳 (year number 5 - 9)

1995317(5-変化・自由の流れのnunber9-完成の年)に他界、つまり物質界の全ての制約から自由となって、最後の体外離脱をします。う~む、なんてモンローらしいのでしょう!!

この年の夏に出版された書籍のタイトル通り、まさしく究極の旅に出たのです。

 

 

さて、年代ごとの出来事を、Year Cycleに基づいてざっと読み解いて参りましたが、ロバート・モンローの人生における大きな流れについて、確認してみたいと思います。

 

その人がどういう状況かをあらわすCycle Numbersは、34歳までが135歳から52歳までが353以降が7です。

若い頃は、「自ら行動し切り開いていく」「思いついたことを次々に実行する」「あらゆることを経験することで、後の人生のための種まきの期間」と言った流れだったかと思います。そして人生の中盤で、これらを「発展させる」「仕事には熱中するけれど、ワーカホリックではなく、好奇心を原動力とする」そして「新しい才能の開花」を体験し、人生の後半で「精神性への探求」へと至ります。

 

また、この137は意識の拡大をも表しているようにも思います。

まず1でアイデンティティの確立、そして3で自己を表現して行くことで意識は外へ向きます。7で自身の内側を深く掘り下げることで真理に目覚め、結果的には全体を見通せると言った感じでしょうか。

 

状況のなかでその人がどう動くか、テーマを表すPinnacle Numbersは、35歳までが435歳から43歳までが144歳から52歳までが553以降が8で、その人がその時期にフォーカスした方が良いことを表すChallenge Number35歳までが235歳から43歳までが444歳から52歳までが253以降が3です。

これらをざっとなぞらえると、人生の前半は、現実世界4で、成功と失敗の両極2を体験・受容し、自ら行動・創造1することによって、物質面の安定4を手に入れます。人生の後半では、今までの価値観が大きく変化5し、未知の世界世界への可能性を受け容れ2、専門的な組織8(モンロー研究所)を創立して人間性・精神性というものを論理的・科学的に説明していくことによって、人々の内面の成長を促していく6という流れかと思います。

 

 

Impression

最後に、私の感じたところをお話して、総括といたします。

あらためて、モンローの4つのコアナンバーを眺めてみたところ、非常に面白いことが分かります。

誕生数2をソウル数3でかけると人格数6、そして32乗で運命数9が導き出されます。

この4つの数は、相互に影響を与えあって、その恩恵を倍にもそれ以上にも高めることを可能にしたように思います。

 

また、この4つの数を生命の樹に当てはめると、左右対称で非常にバランスの良い図形が完成します。

私にはこれが、「天からの恩恵を受け取っている形」に見えました。

得たものを自身の中で落とし込み智慧へと変化させて、他へ還元することで循環させ、更に多くを得る、素晴らしい形であると思います。

 

モンローの場合、具体的に説明するとすれば、まずは体外離脱という体験を受け容れ、自身の中で分析・探求して深く掘り下げていきます。そこで得られたものを、個人的なものとして完結させるのではなく、書籍の出版や講演などで、多くの人に向けて表現して行きました。また、それは一方通行ではなく、個々が体験することを可能とするツールを開発したことで、体験者からのフィードバックによる新たな発見や気付きを得て、更なる発展へとつながります。

若かりし日は、ビジネスの世界で物質面の成功と、時には大失敗をも経験したモンローでしたが、人生の後半で、自己の内面の探求へと向かい、やがてそれは、人類の精神性や全体意識への興味に変化し、大きな完成を迎えました。

 

 

参考文献:

ロバート・モンロー伝―体外離脱の実践研究者 ロナルド ラッセル/著 中央アート出版社

宇宙への体外離脱 ロバート・モンローとの次元を超えた旅 ロザリンド・A.マクナイト/著 太陽出版

魂の体外旅行 体外離脱の科学 ロバート・モンロー/著 日本教文社

ヘミシンク入門 未知領域への扉を開く夢の技術 驚異のヘミシンク実践シリーズ 坂本 政道/共著 ハート出版

ロバート・モンロー「体外への旅」 未知世界の探訪はこうして始まった! ロバート・モンロー著   



Reported by
Shuko - Minori
Aeons Numerology Basic class @ Kansai

by kej000 | 2014-04-09 18:50 | おもしろ数秘学