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マリリン・モンローに捧ぐ

Marilyn Monroe  1926/06/01 生まれ


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アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス出身の女優。
本名「ノーマ・ジーン・モーテンソン(Norma Jeane Mortenson)」。
ある日ネット上でこの写真を見た時、彼女の恐れや心細さがダイレクトに伝わってきて、
涙が止まらなくなりました。


私の中にもある恐れや心細さ、淋しさを鏡のように映しだしているのでしょう。
良く知られている、明るくセクシーな顔の奥にある本当の彼女を知りたくなりました。
20世紀を代表するセックスシンボルとして愛され、36歳の若さで謎多き死を遂げた彼女の人生を
ノーマ・ジーン・モーテンソン時代からマリリン・モンローとして生ききるまで、
年代を追いながら、数秘術の面からみてまいります。



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≪Marilyn Monroe≫       ≪Norma Jeane Mortenson≫     
Birth---------------------7(16)     Birth---------------------7(16)      
Destiny------------------1(10)     Destiny------------------4(13)      
Realization--------------8         Realization--------------2(11)      
Soul----------------------9        Soul----------------------8        
Personal----------------1(10)       Personal-----------------5(50)      
Stage--------------------4(13)      Stage--------------------4(13)
Challenge---------------3(30)     Challenge----------------3(30)
Action-------------------1         Action-------------------1
Youth-------------------6         Youth---------------------6






【History】 
生まれてから36歳で亡くなるまで16~25 という2ケタが続く人生


◇Youth No(若年期)◇⑥

 ・調和的で優しい、家族的な愛、というNoですが、
彼女の場合はいつでも家族的な愛や優しさを求め続けていた、
満たされない時期であったと思われます。
 ・ノルウェー系移民のパン職人の父と敬虔なキリスト教信者の母の間に生まれた彼女ですが、
両親の離婚や母親が精神病を患ったことから里子に出され、
いくつもの家をたらい回しにされたそうです。
里子に出された先では幼いころからネグレクトや性的虐待も受けていたと言われており、
家庭の暖かみを知らずに育ったのでした。

■Birth(誕生数)■16-⑦
 
・その方の基本となる部分が表れる数です。彼女の場合は16-⑦
⑦は「飛躍」「鋭敏な知性」「真面目でひたむき」という数。
後に世界中の男性を魅了した彼女独特の歩き方『モンローウォーク』は彼女自身の発案で生まれました。
片方の靴のヒールを1/4インチ(6.5ミリ弱)短くすることでわざとバランスをくずし、
腰が大きく揺れるようにしたのです。 
どうすれば、自分をよりセクシーに魅せられるか研究したのですね。
このことからも、「グラマラスな身体が売りの頭が空っぽ」な女性ではないということがわかります。
 ・16の方は心の奥底にとても美しく繊細な部分を持っている。といわれています。 
プライバシーを大切にし、ひとりの時間や空間が必要な方。彼女も豊満な肉体の内側に、
美しくてもろく、繊細なガラスの城を築いていたに違いありません。
アクシデントによって強力に自立を強いられる数でもあります。
・そして間違った「愛や信頼」の価値を修正するため、多くの恋愛体験や事態に遭遇する数でもあります。
⑦のa-matureな姿「淋しがり屋」「神経過敏」で不安定な部分と相まって、
数々の浮名を流すことに繋がったのかもしれません。


■Destiny(運命数)■13-④

・安定、基盤を表す④。家庭を象徴する数でもあります。
『安定した家庭環境』という言葉が浮かびます。
・ですが併せ持っているのが『Deth No.』といわれる修練の数13
カルマを一気に清算、上昇するために、最大の
ギフトとして、多くの試練を経験するという数です。
 ・求めても得られないあたたかな家庭のやすらぎと、絶対的な愛情。 
満たされることのない飢餓感…。
悩み苦しみながらも聖性をめざしていく魂をもつ数です。


■Realization(実現数)■11-②
 
・1と1で11、とみると芸術性、創造性、行動力、モチベーションの持続…など大きな才能を持パワフルな数です。
とてもキビシイ環境で生まれ育ち、そこから文字通り『身ひとつ』で映画界で活躍するまでになる、
彼女らしい数といえるでしょう。


■Soul(価値観や魂の目的を表す数)■⑧
 
・情熱的でパワフル。アピール上手で場を上手く仕切る能力がある。
力を多角的に放出していくという特徴を持つ。
・地位、名声、お金を掴んでから『パワーを得てどうバランスをとっていくか』という学びがあります。


■Personal(人格数)■50-⑤
 
・活発で行動が予想不可能。そしてなんだか魅力的な少女だったと想像できる⑤です。
情熱的で奔放、恋愛遍歴も多くなりやすく、スピード婚もしやすいという数です。


◎16歳 1942年 Year No.23-⑤ 高校を半年で中退し、最初の結婚

第二次大戦下のこの年、高校を半年で中退して母の友人の勧めで、
母の家の近所に住む航空機整備工ジム・ドハティと結婚。 
周囲の強い勧めもありましたが、ノーマ自身もこれまでの悲惨な人生を大きく変えるチャンス
と考えて結婚したのではないでしょうか。
その後ジムが海軍に徴兵され、ひとり暮らしになります。

◎19歳 1945年 17-⑧ スナップ写真が陸軍機関誌に載る

自活のため、工場で働く彼女を映した写真が、陸軍機関誌に載り、
映画界への道が開けていくきっかけとなりました。
17の年にふさわしく人との交流から自分の世界が拡大したのです。
Soulの⑧の「情熱的でアピール上手」な部分が発揮された結果かもしれません。
Soul No.と同じYear No,⑧のこの年は「富と力」への道が開いたともいえるでしょう。 
工場を辞め、ハリウッドのモデルクラブに所属してイベントコンパニオンやピンナップモデルとなります。
ブルネットの髪を後のトレードマークとなるゴールデン・ブロンドに染めたのもこの頃です。

◎20歳 1946年 18-⑨ 20世紀FOXと契約 、ジム・ドハティと離婚

人生において重大な二者択一をする18。 
そして不要なものをそぎ落とし、才能の開花、
次の光をめざす⑨

この年、モデル業を理解しないジムと離婚し、20世紀FOX社と芸名「マリリン・モンロー」として契約。


マリリン・モンローとして世の中に打って出ることで、数秘術的にも大きな変化が表れます

■Destiny(運命数)■10-①
 ・自己実現の為に人々をリードしながら、パワフルに活動していく方。
 ・10を持っているので、内側に湧き上がるイメージと天から得るインスピレーションを実現する可能性があります。
その才能を自分だけでなく多くの人の協力を得て実現できれば、
大きな成功と名声が約束されています。 
ですが、ひとりよがりで理想が独り歩きすると、大きな落とし穴に落ちるかもしれません。

■Realization(実現数)■8
 ・地位、名声、お金 等、社会的な「力」を得てから、本当の学びが始まるというエネルギッシュな数。
彼女の外見からは想像できない数かもしれませんね。

■Soul(価値観や魂の目的を表す数)■⑨
・パワフルに「のし上がるわよ!」というようなDestinyとRealizationとは印象の違う⑨です。
⑨は自然数の全てを現し、全てを含んでいる数。それ故博愛で懐も深いが、時に揺れやすく、
不安定な心に苦しむことも多い数。
そのような苦しみも含めて、様々な経験を通して叡智の習得をし、世に表現していくNoです。
彼女の場合は戦地の兵士への慰問活動を積極的に行っていました。
 ・ロマンチストで惚れっぽく、男性というより恋愛に依存しすぎる側面は⑨のa-matureな部分でしょう。

■Personal(人格数)■10-①
 ・2つめの10-① 10を持つ方は人生のある時期に『Spiritual Fall』など大きな変化の機会を経て、
人道的な目的や人に癒しを与える道を歩みだすことが多いといわれています。
愛に飢えて育った彼女が映画界で成功し、多くの人から愛されるスターになった時に始めた
慰問活動だけでなく、映画や写真でそのやわらかな肢体と笑顔を見せすること自体が、
人々を癒していたのかもしれません。
 ・極度の不安症から薬物中毒に陥っていたというのも、①の側面の表れでしょう。

■Stage(活躍する舞台)■13-④
 ・安定、基盤を表す④。社会の中で確固たる地位を築く という見方もありますが、
彼女の場合は、子供の頃から
望んでも得られなかった『温かい家庭』こそ、心底望んでいた舞台でした。
・ですが併せ持っているのが『Deth No.』といわれる修練の数13。 
カルマを一気に清算、上昇するために、最大のギフトとして、多くの試練を経験するという数です。
 ・本来Deth No.のDethは「EGOの死」を指しているので、
EGOを捨て去った時に彼女の美しいSPIRITのままに
確固たる地位を築ける資質を持っていたことがわかります。
・ですが映画の撮影をすっぽかして積み上げたキャリアを信用を自ら破壊する…
これも『創造と破壊を繰り返す』⑬
ならではのことだったのかもしれません。

■Challenge(チャレンジ)■30-③
 ・③のチャレンジは、魅力的な人柄や芸術芸能分野で人を惹きつけ、
豊かな表現力を用いて多くの人々を癒し、
喜びを与えること。 映画女優として、
アメリカのセックスシンボルとして人気を集めた彼女にふさわしい数です。
 ・30という数を持っていることから、霊性の高い方だったと思われます。

■Action(行動パターン)■①
 ・自分の創造性を表現していく。こうと決めた目標、目的の達成のために地道な努力をする数です。
スターになってからも、セックスシンボルを脱したかった彼女は
アクターズ・スタジオに通い演技の勉強をしたそうです。

■Nature■⑦
・Birth No.と同じ⑦。 カメラの向こう側の大衆に向けた作った表情ではなく、
素が垣間見える写真に見られる
表情が語るように、繊細で寂しがり屋だったのでしょう。






≪その他のNo.≫ チャートで際立っているNo.は…
本名では際立つ資質が表れていないのですが、芸名「マリリン・モンロー」では大きく変わります。

◆Self (自我を貫く)◆⑤ 思うままに自我を貫こうという意志
◆Maturity(成し遂げる力)◆⑤ 大衆の心をつかみ、刺激を与え、自らがトレンドとなる。
◆Lead(統率力)◆⑤ スターになるだけでも高いリーダー性を表していますが、
⑤は衝突の暗示でもあります。
◆Body(肉体・自己形成)◆⑤ ボディヒーリングの高い資質を表している。
美しい容姿を武器にした彼女も、ある意味ボディヒーラーだったと言えるでしょう。



◎21歳 1947年 19-10-① スクリーンデビュー

映画『嵐の園』に端役で初出演するも、ぱっとせずに契約解除されます。
コロムビア映画と契約をしますが、準主役で
映画1本に出演しただけでまたもや契約解除となります。
生活苦からヌードモデルに戻り、演技の勉強やエージェント探しを続けました。 
この頃撮影したヌード写真が、
のちに大きな意味を持つことになります。
勇気を試される、また専門領域へ向かう19、そして新しい波にのる10のこの年、
無意識のうちに近い未来への種まきもしていたようです。

◎24歳 1950年 22―④ 本格的映画デビュー と 知的な努力
 
 エージェントの尽力で「アスファルト・ジャングル」、「イヴのすべて」に出演し、はじめて女優として注目されます。
 俳優として認められるために必要な「知性」を得ようと、膨大な量の読書、
本格的な演技の勉強など、22-④の年に
ふさわしく、大きな理想を叶えるための基盤づくりに取り組み始めたといいます。
以降数本の映画にわき役で出演。1953年に主演した「ナイアガラ」であのモンローウォークを披露し、
世界の男性の注目を集めました。
続いて「紳士は金髪がお好き」「百万長者と結婚する方法」「七年目の浮気」が大ヒットし、
トップスターとなりました。




◎26歳 1952年 24-⑥ 昔のヌード写真が世に出るスキャンダル

歓びの感受、人間関係拡大の⑥
映画会社に契約を解除されて苦しかった頃に撮ったヌード写真がカレンダーとなり、
スキャンダルとなります。
ですが、このことによって大衆の注目を集め、知名度があがりました。 
セックスシンボルとして愛されるようになったのです。 

◎27歳 1954年 16-⑦ 元ニューヨーク・ヤンキースの人気選手だった
ジョー・ディマジオと2度目の結婚

Birth No.と同じ16-⑦、大きな意味のある年であったと思います。
この年、知名度の高い元大リーガー ジョー・ディマジオと結婚。 
ステージアップや可能性の拡大という⑦の年ですが、決して打算ではなく「自己の解放」を
望んでいたのではないでしょうか。
16の年の結婚にふさわしく、彼との出逢いに運命を感じ情熱的な恋愛を経て結婚したのでしょう。
ディマジオの仕事を兼ねた新婚旅行で日本を訪れました。 
この日本滞在中に、退屈だったとはいえ夫を日本に置いたまま、
朝鮮戦争で韓国に駐留していた米軍の慰問に向かってしまいました。
 
◎28歳 1955年 17-⑧ ジョー・ディマジオと離婚
軌道修正の⑧。関係が悪化していたディマジオと9か月で離婚

◎30歳 1956年 18-⑨ 劇作家アーサー・ミラーと3度目の結婚
 
戯曲「セールスマンの死」でピューリッツァー賞を受賞した10歳年上のミラーは、
彼女が求め続けていた「優しい父性」と「優れた知性」の持ち主でした。
「年の差婚」や「知恵と奉仕」の⑨の年にふさわしい結婚。
マリリンはこの結婚に「崇高さ」も求めていたようです。

18の年の恋愛や結婚は精神的に理解しあえる人と向き合う。
そして不安定な時期だが結婚によって落ち着くといわれているのですが、
彼女の場合は残念なことに、このころから精神の不安定さが加速し、幾度かの流産も
重なって睡眠薬を多量摂取し、病院に搬送…
を繰り返すようになり、だんだんミラーとの仲も険悪になります。

◎35歳 1961年 24-⑥ アーサー・ミラーと離婚

前回の24-⑥の年には過去のヌード写真のスキャンダルで人気が出るという
プラスのハプニングがありましたが、
この年は⑥の「結婚・離婚」、「二者択一」という面が色濃く出たようです。
また、この年に封切られた映画「荒馬と女」の評判が悪く、
共演のクラーク・ゲーブルが撮影終了後に急死したことも重なり、精神不安定に拍車がかかります。 
精神病院に入院する彼女を支えたのは、元夫のディマジオでした。

◎35歳 1962年 24-⑥ 5月19日 ジョン・F・ケネディ の誕生日パーティに出席

ミラーと離婚する前、1959年頃から深い関係にあったといわれる
ケネディ大統領の45歳の誕生日パーティに出席、
「ハッピーバースディ・Mr.プレジデント」を歌い、大統領を喜ばせたといいます。
 

◎36歳 1962年8月5日 25-⑦ 死去

Birth No.と同じ⑦ のこの年、ロサンゼルス郊外の自宅の寝室で全裸で亡くなっているのを
メイドが発見。
マスコミでは「死因は睡眠薬の大量摂取による急性バルビトール中毒で自殺」 と
大々的に報道されました。
ですがその直後から数々の「謀殺説」がささやかれています。

愛らしさや得難い才能、意志の強さを持ちながらも、
繊細で精神の不安定さや数々の男性との関係に翻弄されてしまった彼女。 
生きていれば66歳まで2ケタが続く、ドラマチックすぎる人生から「解放」された⑦の年だったの
かもしれません。

◆◆◆

不幸な生い立ちを背負った愛くるしい少女ノーマ・ジーン・モーテンソンから、
世界中の人から愛される
女優「マリリン・モンロー」になった彼女。

名前を変え、髪の色や顔を変えて、女優になってからもずっと求め続けたもの。
そして生涯手にすることができなかったもの。 
それは一般的な女性と同じ「あたたかな家庭のやすらぎと、絶対的な愛情」だったのではないでしょうか。
世界的な映画女優になって大衆から愛されても、決して癒されることのない淋しさ。
女優になってからの二度の結婚も、数々の有名人とのスキャンダルも彼女にとっては純粋に
「私だけを絶対的に」愛してくれる人を求めていたのでしょう。
彼女が求めていたのは彼女の中のガラスのお城に住む「ノーマ・ジーン」を愛してくれるひと。
ですが、男たちが愛するのは「マリリン・モンロー」。 
心の中の空洞はどんどん大きくなり、精神のバランスをくずしていったのかもしれません。

求め続ける限り、決して満たされることはないのですね。 
留まることの大切さを教えられたような気がします。

亡くなる数年前から元夫のジョー・ディマジオがいろいろと面倒をみていたようです。 
離婚したとはいえ、彼女に対して深い愛情を抱き続けていたといいます。
すぐ近くにあった愛情に応えることができていたら…また違う人生が続いていたのでしょうか。

Reported by Yumico Okada
Aeons Numerology 6th class @ tokyo
by kej000 | 2014-10-15 11:45 | おもしろ数秘学

皇太子妃・雅子さま  〜その博愛精神と崇高な理想を

皇太子徳仁親王妃雅子



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生年月日    1963年12月9日


Birth path number 22-13-4

卓越した才能の持ち主。真面目で几帳面。忍耐強くコツコツと努力を重ねる人。
目立つことはなく控え目だが、情熱を内に秘めている。
責任感が強く、他者からの信頼は厚いが、安定を好み過ぎると、
ときに閉鎖的な人間関係を築いてしまう可能性もある。
数多くの問題が起きるたびに変容をする修練を繰り返し、
学びを喚起させられながら成長し、強い感受性を生かしながら高い理想に向かって
現実社会で活躍する人である。
物事を個人レベルでなく宇宙規模でとらえられる人。
博愛精神を持ち、大きな成果を成し遂げられる。
雅子妃は幼少の頃から動物好きで、小中学校では、学校で飼育していたウサギやハムスター、
ヘビの世話まで積極的に行っていた。
小和田家でも犬を飼い、また皇室でも犬と生活を共にされている。
どんな生き物に対しても分け隔てなく強い愛情を注いでいた様子は、
慈悲深い心の持ち主であると感じた。

Destiny number 5

「よりよく」あるため、常に変化を求め、新しいことにチャレンジする。革新的な意識の持ち主。
多才で知的欲求も強く、活動的。自由にあることで自分の力を存分に発揮できるタイプ。
一方で他者から強制的に動かされたり、その意味が理解できないときには不安定になる。
現状維持という環境では混沌としてしまう人。
雅子妃にとって皇室は閉塞感を感じるであろう環境と思われる。
脈々と受け継がれてきた慣習やしきたりを重んじる世界において、何かを変えようとすることは、
周囲との大きな摩擦を生みだすに相違ない。
知性の高い雅子妃は伝統を受け継ぐ意味等は十分に理解しているものの、
その一方で変容を求める自らの意識との葛藤を現在まで抱えているのではないか。

Realization 9

慈悲の心を持ち、人々に自分の経験から得た叡智を伝え、社会貢献すること。
不要なものは手放し、なお前進すること。よくも悪くも他者からの影響を受けやすく、
ときに両極で混乱しやすいので、自分の核を定めて集中することが必要。

Soul number 16-7

多くの体験を重ねる度に自分の価値観を変化させ、深い探求を続けていく人。
宗教や哲学、精神世界等の分野に魅かれ、論理的で分析的な研究を好む。
一人でいる時間がないとバランスが保てないが、視点が自分の内面に向きやすいので、
なるべく多くの人とオープンにかかわることが必要。

Personal number 16-7

洗練された人。内に情熱を秘め、物事に真面目でひたむきに取り組み、高い知性を感じさせる人。
ときに孤高な印象を与え、人に厳しく、融通がきかない皮肉屋と受け取られてしまう可能性もある。

Stage number 12-3

今までのパターンを打破し、人の中に出て行くことによって、人に幸せを与えられる人。
自分の持っているクリエイティビティを表現していくことで、人に光を当てることができる。
人を引き付ける魅力の持ち主。自分が心から楽しいと思うシチュエーションで力を発揮できる。

Challenge number 20-2

自らが率先して行動するだけではなく、周囲からの流れを受動的に受け止めることもできるかどうか、
自分と他者との境界線のバランスをどこに置くか。
変化することを受け入れていくことができるか。
高い霊的素質を現実社会に生かせるかどうかがかぎとなる。

Nature number 5

自由でいることで力を発揮できる。革新的な意識の持ち主。
好奇心旺盛で、変化をしながら自分の核となるものを形成していく。

Action number 1

今までなかったものを創り出していくこと。


<特徴的な資質について>

Lead 1
新しく生み出し、自らがリーダーとなり、他者を牽引していく力。

Make mode 5
常に変化していく空気を創り出すことができる。

Emotion 1
様々な感情によって大きなエネルギーを得る。


<人生について>

・誕生~32歳(1996年)    3

誕生に際し、雅子という名前は両親の雅やかに育つようにという願いが込められている。
小和田家では、「雅・礼・節」が、人が生きていく上で最も大切なものと考えており、
雅子妃の双子の妹は、礼子と節子と名付けられている。
外務省職員であった父親の仕事の関係で、幼少期より、旧ソビエト、アメリカで過ごす。
小和田家では、海外生活で暮らしていても常に日本のことを忘れず、
四季折々の日本の伝統的習慣に触れるような教育を行っていた。
このような教育方針が、雅子妃が後に外交官という職業を選択する際の素地になっていると思われる。


・1971年 帰国&公立小学校編入(year cycle 20)

当時雅子妃は、おとなしいが、自分の意見ははっきりと言うような、自立性のあるのびのびとした子供であった。
長く日本を離れていても違和感なくクラスに溶け込み、
友達とかかわりながら学んでいた姿が想像できる。


・1972年 田園調布雙葉学園に編入(year cycle 21)

クラスメートから頼りにされる、お姉さん的存在であったが、
自ら進んで人前に出て行くタイプではなかった。
授業でも、積極的に手を上げることはなかったが、先生に指名されると何でも答えることができた。
決してガリ勉タイプではないのに、成績はいつも上位であった。
知性をひけらかすことなく、クラスメートとの和を重んじ、
楽しく充実した学校生活を送っていたと思われる。


・1976年 中等科でソフトボール部創設(year cycle 26)

プロ野球の巨人軍ファンであったことから、ソフトボールに興味を持ち、友人と協力して学校に交渉し、
ソフトボール部を創設した。
ソフトボール部では率先して練習し、中心選手として活躍し、チームを牽引し、
東京地区優勝を成し遂げる。
学校側との交渉から強いリーダーシップを発揮しつつ、皆で一緒に成功を目指すという8の特性が端的に表れているエピソードだと思う。


・1979年 渡米(year cycle 28)

父親の仕事の都合で再び渡米。
この年で誕生より続いていた2桁が終わり、2から始まる次のサイクルに入っていく。


・1987年 外務省入省(year cycle 9)

アメリカの大学卒業後、外務省入省試験受験準備のため帰国。
半年後の試験に合格し、外交官としての道を歩み始める。
9は完結を表す。外交官になるという夢を叶え、さらにその先へと第一歩を踏み出した。
また、ほぼ同時期に皇太子と出会っている。9は運命の動きやすい時でもあり、
まさに人生が大きな方向へ動いた時期であった。


・1993年6月 納采の儀 (year cycle 6)

喜びの時期。皇太子妃となったことで、結婚生活が大きなテーマとなった。
家庭内や体面的な部分での自分の役割について、深く考えさせられることとなった。


・1999年12月 第一子流産 (year cycle 4)

Year cycleが大きく変わった(12→4)直後の出来事。
社会全体の世論が早く次世代をと望む中、結婚後、恐らくは医学の力等も借りつつ、
国民の期待に応えるべく努力を重ねていたと思われるが、結果を出すことができなかった。
またマスコミ等の過熱報道もあり、周囲に対して心を閉ざしてしまいがちになる。
再度体調管理の見直しも行われたと思われ、今後の基盤を作っていくきっかけになった出来事。


・2001年12月 愛子内親王出産(year cycle 5)

Year cycleが5→6に変わる直前に出産。出産により大きな喜びを手にし、生活や内面が大きく変化。
今まで感じていた閉塞感を育児によって解放することで、精神的に安定を取り戻す。
献身的に育児に取り組む。


・2004年7月 適応障害と公表 (year cycle 8)

2003年5月には帯状疱疹を発症し、長期療養をしていることから、
それ以前より大きなストレスを抱えていたものと思われる。
前年のyear cycle7あたりから心身のバランスを崩し始めたのではないか。


・2013年4月 オランダ公式訪問 (year cycle 8)

オランダ訪問後、同年11月には東日本大震災被災地を泊りがけで慰問。
自己と他者との力のバランスに気づき、調和する方法に気づき始めたのではないか。
置かれた環境の中でも自らの力を発揮できる方法があることを学ぶ。


<まとめ>

課題をいただいたとき、漠然と雅子妃を読んでみようと浮かんだ。

雅子妃の数字を読み解くうちに、皇太子妃として、やはり選ばれるべくして選ばれた人だと感じた。
国民が何を求めているのかを敏感にキャッチする能力に長け、
その思いに応えられるような皇室を創り上げることができる力を持っている人だと思う。

私自身の体験として、数年前、車で移動中の天皇陛下に遭遇したことがある。
公務中ではなかったらしく、服装もラフな感じで後部座席に座っていらっしゃった。
私たちとの距離はほんの数メートルであり、私たちが手を振ると、
笑顔で手を振りながら通り過ぎて行かれた。
そのときに、その漂う雰囲気から、やはり一般人とは違うエネルギーの持ち主だと強烈に感じた。
天皇陛下が終戦まで現人神と言われた所以が少し理解できたような気がした。

天皇陛下は生まれながらにして皇室という環境で育ち、
よくも悪くも皇室以外の世界を身を持って体験される機会はない。
しかし、雅子妃は一般社会という場を経験してから皇室入りをされた。
外交という分野は外務省時代に十分に経験されていたが、
皇室外交というものは、政治色の実務的なものではない。
外務省では自分が主体的にかかわっているという手ごたえを存分に感じていたと思うが、
皇室では、側近がお膳立てをする部分も多いことから、その実感も薄れ、
自分の存在意義にすら疑問を持たれているのではないか。
今まで経験が、時に事を難しくしているのかもしれない。
培った経験を叡智に変えていくことが現状を打破する方法なのではないかと思う。

人と触れ合うことで、雅子妃自身の輝きが増すとともに、他者に光を当てることもできる。
そこにはいいエネルギーの循環が生まれ、日本がいい方向に向かう推進力になるはずである。
私を手放して日本という枠を外し、より広く大きな視点で物事をとらえながら、
御自分が理想とするゆるぎない皇太子妃像に向かって探求を続けていただきたい。

2014年12月以降、cycle number 19-10-1となり、また大きな変化を迎える時が訪れる。
また、year cycleも、今後数年間は2けたの高い波動が続いていく。
引き続き、周囲の言動に揺り動かされることは続くかもしれないが、
優れた直感を信じて物事を決めていくと、事がスムーズに運ぶと思われる。
今までの殻を破り、試行錯誤を繰り返しながら、大衆に希望の光を与えてくれるような新しい皇室を創り上げてほしい。
                          

Reported by Tomoko Kubota
Aeons Numerology 6th class @ tokyo
by kej000 | 2014-10-15 11:41 | おもしろ数秘学