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自分が感じることを信じること*YUKI




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YUKI

歌手、シンガーソングライター
本名は倉持有希(くらもち ゆき)
旧姓は礒谷(いそや) 「希望が有るように」と有希と名付けられた。
1972年2月17日生まれ 北海道函館市出身



アーティストとして活動を続け、プライベートではミュージシャンの倉持陽一さん を夫とし、2児の母であるYUKIさん。 彼女の持つ魅力についてリーディングしたいと思います。



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Birth No.20-11-2
〈その人本来の使命や資質〉

11(マスターナンバー)を持つ人は、最初は2の人生を歩み、徐々に40歳頃から変 容して11の人生を歩むことが多いと言われています。
2は調和や協調といった相手がいる環境で学ぶ数字といわれ、自と他の繋がりや2極 による対観念(無-有、陰-陽、生-死、善-悪など)から学びを得ます。 感受性豊かでロマンチスト。
11は1+1=2であることから2の感受性の振幅が増し、さらなる内面への探求へ向か う数字です。
聡明、天才的な能力、内面的苦悩、豊かな感受性。バイタリティー
YUKIさんは音楽、アートを通じて天と地の橋渡しをし、精神性を昇華させていると 言えるのではないでしょうか。

「無意識に出てきた言葉ならば、それを拒否する必要はないなと思いました。
皮肉 でも何でもなく、自分の中で上手く歌に昇華できたものであれば、
それは自分の伝 えたかった思いであることは間違いないと思ったんです(BARKS)」

また、YUKIが作り出す歌詞を見てみると、自分以外の人(夫、子供、友人)がいる ことで感じられる言葉を音楽にしていることがわかります。 相手がいる環境で学ぶという2という数字に表れているように思います。

「私は今までいろいろな人に助けられてきて、
人からいろいろなことを学んで、
人 と携わったことが必ず自分に残っていて。
それはその人からもらった“メッセージ= 伝言”だと思っているんです。(YUKIweb.net)」



Destiny No.9
〈表面意識・この世における使命や目的〉

9という数字は1〜8を内包していて混沌としている数字であり、7の『精神』と8の 『物質』をいったりきたりするといわれている。 曖昧な事象の焦点を絞る仕事を使命としています。
YUKIは長年、アーティストとして活動しているが、今までに発表されたアルバムに はそれぞれテーマがあり、その時の自分や環境を表した内容となっている。
アルバムを作るということは、揺れ動く気持ちをその都度見つめ、受け止める作業 だったのではないでしょうか。 その曲を聴いた人が何かに気づいたり、癒されたりするのは、彼女自身が揺れ動く 中で葛藤し、見つけ出した答えや思いが、曲に込められているからではないでしょ うか。



Soul No.1-10
〈価値観や内なる動機 魂の欲求〉

想像力とオリジナリティー 。
ピュアであることが大切だが、打たれ弱いのでシールドを張って守ることが大切 無から有を生み出すパワーがある
裏表なく一直線
音楽を創り出す、ということはまさに「無から有を生み出すこと」そのものなのだ と思います。 YUKIは音楽だけにとどまらず雑誌で連載を持ち、6冊の本を出版しています。ま た、ライブの時に販売されるグッズはYUKI自身がイラストを描いたりデザイン性も 高く人気があります。 彼女は40歳を超えてもピュアな歌声、笑顔で私たちを魅了し続けています。



Personality No. 8
〈他人からみた自分〉

カリスマ性がある、アピール上手
パワフル
ライブはまさに8のもつカリスマ性とパワフルさが発揮される場だと言えるのではな いでしょうか。自分の世界観を表現するステージはいつも観客を惹きつけて離しま せん。クセのある彼女の歌声も彼女の魅力の一つになっています。 彼女にファンがたくさんいる反面、苦手とする人も少なからずいるようです。好き だけでなく、嫌いな人も引き付けてしまうのは、彼女のカリスマ性の一面なのだと 思います。


Realization No.2-11
〈今回の人生での可能性や実現性〉

イメージの世界での価値ある創造物を現実社会で具現化すること
自分の立ち位置を冷静に把握し、地に足をつけ、イメージを形にしていく
BirthNo.と同じ2-11を持つYUKIさん。 「見えないものに対する信じる気持ちとかって、もっとさらに見えるようになって きた」と彼女自身も発言しているように彼女が感じるもの(目に見えるものも見え ないものも)を音楽を通して表現することで、それを聴く人たちの心を癒すことが 出来るのではないでしょうか。



Stage No.7
〈持ってうまれた数をどんなステージで発揮するか〉

探求するナンバー
会得したものを世の中に広め、人々の心を豊かにすること
アウトプットすることが大切
歌を作るという作業は、自分の内面を見つめ、外に出すという事の連続なのだと思
います。


Challenge No.5
〈この人生でチャレンジすると決めている数〉

変化のナンバー
JUDY AND MARYの解散前は歌詞についてメンバーとよくぶつかっていたようで す。
『JUDY AND MARY』のイメージを壊さないように、というメンバーに対して YUKIさんは「この歌詞は、もう歌えない。嘘は歌えない」と答えたという。 時に悩み、苦しみながらも変化を受け入れていく姿を見せていくことが、YUKIさん の進む道なのではないかと思います。
何年後には、もしかしたら歌ではない、何かをしているかもしれない。それでも彼女は彼女であり続けるのだと思います。




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【HISTORY】


1991年6月(19歳、YearCycle3) 映画「いつかギラギラする日」の撮影のために函館市を訪れていた恩田快人と出会 う

翌1992年2月(20歳、YearCycle4)JUDY AND MARY結成
新しいYearCycleが始まった年に出会いがありJUDY AND MARYというバンドが結 成されました。
3は創造の数字であり、楽しい、明るいなど新しいことを始めるには適した年と言え ます。 当初はベーシストである恩田氏の構想を表現するバンドという形であったため、メ ジャーデビューなどは考えられていなかったのですが、恩田氏の熱意によりメ ジャーデビューへと進み始めます。 4はステージアップの数字。メジャーデビューという流れになっていったことも彼女 にとっては必然と言えます。

1996年2月(24歳、YearCycle8) 『そばかす』がオリコンチャート初登場1位を記録。
紅白歌合戦に初出場。 繁栄の数字である「8」の年に名実共に有名になっていきました。彼女自身も8を持 つことからか、8の年は節目の年になっています。

1999年(27歳、YearCycle11)
JUDY AND MARYの活動を一旦休止。 人生の分岐点ともいえる11の年に活動休止。走り続けてきた彼女にとって「目標」 が何かわからなくなってきていたのではないでしょうか。 他のアーティストとの楽曲を発表したり、これまでと違った経験をすることで学び を深めたのではないかなと思います。

2000年2月(28歳、YearCycle12)
12のパターン打破の年にJUDY AND MARYの活動を再開。 初のベストアルバムを発表したり、アコースティックライブを行なったりと、これ までと違った活動を進める。
同年9月、真心ブラザーズのYO-KINGこと倉持陽一さんと結婚。 これはプライベートでの大きなパターン打破だったのではないでしょうか。 ティーンエイジャーの頃から家を出ることばかり考えて過ごしてきたというYUKI。 忙しそうな両親を見てきて結婚生活が楽しそうに感じられなかったようです。

ずっと結婚しないと思ってきたYUKIですが、倉持氏と出会って“結婚”という文字が すぐに浮かんだと彼女自身の著書でも言っています。それは、『彼といる時の自分 がいちばん好きだったから』だそうです。相手がいることから学ぶことの多い2とい う数字を持つ彼女らしい理由だと思いました。 以前からファンと公言していた倉持氏と電撃結婚したYUKIさん。 SoulNo.1をもつ「裏表なく一直線」な彼女らしい結婚といえます。




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2001年3月8日(29歳、YearCycle4)
新しいサイクルが始まった年にJUDY AND MARY解散。
4はステージアップの年。 YUKI自身も『なんかもう私たちが奮い立って何かをやったりするには、解散という カンフル剤しかなかったという(R&RNewsMaker3月号)』と話しており解散がス テージアップにつながったのではないでしょうか

2002年(30歳、YearCycle5)
1stアルバム『PRISMIC』 このアルバムタイトルはYUKIの造語である。訳すと“光の音”。 バンドからソロになり、曲作りからレコーディングから何もかもが変わって、YUKI 本人は、戸惑いもあったようで、たくさん悩んだと著書(『GIRLYWAVE』2004) にも記されている。戸惑いながらも「もっと好きにやっていいんだ!」と自由に チャレンジしていった先に出来た曲が収められている

2003年(31歳、YearCycle6)
2ndアルバム『commune』 テーマは“70年代”と“SLOW”。妊娠前から出産を控えた時期に作られたアルバム。 伸びやかな声、柔らかな声、愛や平和に包まれた年らしい内容となっています。

2005年(33歳、YearCycle8)
3rdアルバム『joy』 産休から復帰後にリリースされたアルバムで、ソロになって初めてオリコン1位を獲 得したアルバム。テーマは「強くて、軽やかで、踊れるアルバム」

しかし、同じ年に長男(1歳11カ月)が朝、自宅にて突然死していたことを自身の ホームページ上で報告しました。死因は明かされていないが乳幼児突然死症候群( SIDS)の可能性が高いと報じられました。 この年にツアー『TOUR“joy”』が行われ、その最初に「33年生きてきた中で一番つ らかった」と報告。自身のホームページでも「いつも通り『おやすみ』と言ったま まの突然のお別れでした」と夫婦連名でコメントを発表しました。

子供を亡くし、失意の中でもライブツアーを行なったYUKIさんに批判の声もあった ようですが、パワフルな8の数字を持つ彼女が8の年にライブをしたのは、外に向く ことで自身のバランスを保つためだったのではないでしょうか。
亡くなった息子さんを想い、書いたといわれる曲があります。

『バイバイ長い夢 そこへ行くにはどうすればいいの?
迷子になるよ 道案内してね
バイバイ暗い雨 夢で逢えたなら何を話そう 気が付けば 棘だらけだ あーあ
バイバイ長い夢 そこへ行くにはどうすればいいの? 迷子になるよ 道案内してね
バイバイ長い夢 いつか完璧な環になるように 次の手を教えていて
教えて』(2005.4.27 長い夢)

この曲のPVにはYUKIさん本人は出ず、『ゆきんこ』という彼女がデザインした キャラクターが出ています。 2という数字をもつ彼女は、冷静になれないこの時期に彼女以外の「誰か」を置くこ とで、内面の調和をとっていたのではないでしょうか。



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2006年(34歳、YearCycle9)
4thアルバム『Wave』 この年の8月、精神的な成長を意味する9の年に第二子を出産。 家族を第一に考えた暮らしを考えるようになったようです。

2007年(35歳、YearCycle10) 5thアルバム『five-star』ソロで初のベストアルバム この年から新しいステージに入ったYUKI

Cycle No.8
Pinnacle No.9
Challenge No.7 と3つの数字が隣合わせになっていることで、たくさんの葛藤が起こったのではない でしょうか。

ソロになって5年。 まだまだ新しい曲を生み出していきたい気持ちと、進んできた5年を振り返りたい、 立ち止まりたい気持ち。そんな行ったり来たりの気持ちが、ベストアルバムを出す という形になったのではないでしょうか。

2009年5月(37歳、YearCycle12) 第三子となる男児を出産。 公式サイトで「「穏やかな生活を楽しんでいます」と発表

2010年(38歳、YearCycle13)
6thアルバム『うれしくって抱きあうよ』 新たな音楽の方向性を模索している中で生まれた作品でそのタイトル通り、誰かと 抱き合う時に感じる人肌のやわらかな温もりと、じわじわと満ちてくるような幸福 感に包まれている作りとなっている。
インタビューでは「どの曲も“今”を歌っているなと思う」と語っている。
13は『創造と破壊』の年だと言われています。高次の次元へ進むために、これまで の価値観を捨て、創造する彼女の世界はとても大きくて温かくて優しいものでし た。

2011年(39歳、YearCycle5) 7thアルバム『megaphonic』。アルバムタイトルは「最高の音」を意味する。 この作品は東日本大震災などの時事問題を反映したメッセージ性の強い歌詞が多く なっていて1番が震災前、2番が震災後に作詞されたものが多い。 新しいサイクルに入った年に震災を経験。5が意味する『変化』は、時に残酷に、唐 突にやってくるものなのだと感じました。

2012年5月6日(40歳、YearCycle6)
アニバーサリー・ライヴ『YUKI LIVE“SOUNDS OF TEN”』を、JUDY AND MARY 解散ライヴ以来、約11年振りに東京ドームで開催。女性として初めてバンドとソロ の両方で東京ドーム公演を行った歌手となった。

自己回帰の6の年に、JUDY AND MARYの解散ライブを行った東京ドームでソロラ イブを行ったYUKIさん。 バンド時代の自分と、ソロの自分との違いに悩む時期もあったようですが、同じ会 場に立つことができるようになったことからも「調和」されてきているように思い ます。

2014年(42歳、YearCycle8) 8thアルバム『FLY』発表。「
踊れるアルバム」がコンセプトになっている。 Personal「8」を持つ彼女がCycle8の年に8枚目のアルバムを発表。 彼女らしく、彼女にしか表現できない世界を、楽しんで、のびのびと作り上げてい るのではないでしょうか。

2017年(45歳、YearCycle11)
9thアルバム『まばたき』 ソロデビューから15周年を踏まえてリリースされる作品で 「自称“ミス・大丈夫”(YUKI)がお届けするYUKI史上最強超ド級無敵ポップアルバ ム」と語っている。



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リーディングをして

リーディングをすることになった時に、すぐに思い浮かんだのがYUKIさんでした。
私が高校生の時にJUDY AND MARYに夢中になり、ライブに行ったり、カラオケで 歌ったりしていましたが、ここ数年は特に彼女の曲を聞くこともありませんでし た。 そんな中でも迷いなく「「彼女のリーディングをしよう」と思ったのは何故だった のか。
リーディングを始めて、私自身が彼女と同じBirth No.を持っていることが分かりま した。彼女に惹かれた理由が一つ、分かりました。

2016年からPinnacle、Challenge共に「1」に入ったYUKIさん。
Destinyにも1を持つので、さらに強く1の性質が出てくるのではないでしょうか。 彼女は、バンドからソロになり、今まで当たり前だったものが当たり前でなくなる という経験をしてきました。
自分らしいと思っていた自分が自分らしくないという 葛藤があり、そこから彼女なりに答えを出して進んできたYUKIさん。
たくさんの葛 藤を経て、不要なものを整理し新しいステップへ向かっているのではないでしょう か。
たくさんのことを知った上で、自分が必要だと思うものだけを持って、新しい ステージに向かうYUKIさん。
デビューから変わらぬ笑顔を見せてくれる彼女ですが、その笑顔はデビュー当時か ら比べものにならないほど温かく、周りを包んでくれているように思います。

プライベートでは、最愛の息子を突然亡くされました。この経験は、とても悲しく 大きな出来事だったと思います。その悲しみを抱きしめながらも、その後、お二人 息子さんを出産し、今は妻として、母として、アーティストとしてパワフルであり ながら、のびのびと活動されているように感じます。
経験してきたことの意味を、強く感じているのではないでしょうか。

これからも「どう生きていきたいか?」を自分自身に問いかけながら、彼女は彼女 の答えを出し、それを曲に乗せ、たくさんの人に届けてくれることと思います。

『自分が感じることを信じること』

彼女からメッセージをもらった気がします。



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Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th class
Kumiko at Saitama Kawagoe class
by kej000 | 2017-02-28 22:31 | 数秘レポート

愛のうつわ「自己の思いを愛に溢れた言葉で表現する」*神谷美恵子


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神谷美恵子

愛のうつわ
~自己の思いを愛にあふれた言葉で表現する~ 


   出生名:前田美恵子
   生年月日:1921年10月3日
   逝去:1979年10月22日



医師、教師、作家、翻訳家、妻、母親、といろいろな顔を持ち、活躍された神谷美恵子さん。
ハンセン病と出会いやその他の経験や学びから感じたことを、文才も生かして世に投げかけました。
うつくしい文章からうかがい知ることのできるお人柄ですが、数秘からもその魅力を読み解いてみたいと思います。


★誕生数 
Birthpath Number ~生まれ持った資質・才能・運命~
 【19-10-1】 自分を創造し表現する

明るく前向きで、目標に向かって突き進む強い意志と瞬発力を備えています。
あふれる想像力で自分を表現し、行動します。
一見、上流階級でのびのび育ったエリートのようにも見られますが、幾多の壁にぶつかりながらも、自分を見失わず、運命とも思えるような出会いや自分の思いに素直に従い、やりたいものを形にしていかれました。
情熱的に物事に取り組み、表現してしく姿や言葉は、人々を惹きつけます。
まさにリーダー、指導者です。
そして、自分を信頼して発せられる愛のある思いに、人々は導かれ癒されたのだと思います。
また、自分の役目を果たしていかれたのだと感じました。


★運命数 
Destiny Number ~人生における使命・目的~
【5】 自由・チャレンジ

変化の多い環境の中で、旺盛な知的好奇心を活かし、自分も柔軟に変化しチャレンジしていきます。
有り余る冒険心と自由でのびのびした創造力やするどい分析力で、どんな仕事もこなせます。
既存の価値観を打破するチャレンジャーです。
父親や夫の仕事の関係からも、引越し、編入、留学など、また、戦争や病気など、その目まぐるしく変わる環境から多くのことを経験し学んでいきます。結婚し仕事と家庭の両立や、医学への思いと文学への思いなど、悩みながらも自分の中の制限と弱い心を取り払い、挑戦していかれました。
その経験と思いが、自由に心を開放して、言葉や行動に表現されています。
  
「・・・主体的に生きる、ということはしかし、ただ気ままに生きるということではない。たとえば、自ら進んで身を挺して何かに仕えることなどは主体的な行動のうちでも、もっとも主体的なものだといえる。いずれにせよ、主体性と自由には、つねに責任と何がしかの冒険が伴う。しかし、あえて責任を負い、冒険にのりだすことこそ、新鮮な生きるよろこびを約束してくれるのではなかろうか。」(『人間をみつめて』)


  
★ソウル数 
Soul Number ~魂の欲求~

 【9】 人類愛
崇高な理想へ向け、包容力、正義感、深い慈悲の心を持って、奉仕していきます。
すべての人の立場に共感し理解したいと人々に寄り添います。
 
“その人が生きてそこにいること、存在自体が誰かの何かの役に立つ”、“他人の役に立つ喜びを体感して人間どうしの交わりが相互に活かされ、それぞれ役に立つ存在として人間らしく生きていく”そうした存在をめざして、仕事をしていかれました。


「・・・・・・だれに見てもらうためでもなく、
ただそのよろこびの故に、こうして、ここにやってきて、
こうして生かされていることのありがたさ。
・・・・・・こうしたありかたが許されることのふしぎさ・・・・・・。」
(『人間をみつめて』)


『神谷美恵子の世界』の中で、川島みどりさんは、“美恵子の主体的な生き方と、その底に秘められた人間愛は、文字通り、ナイチンゲールの言う“犠牲なき献身こそ真の奉仕”通じる、そして、看護学生に「もっと自信を持っていいのよ。あなたたちは患者のそばに存在するだけでも意味があるのだから」との彼女のつぶやきを伝えたい“と書いています。

ハンセン病の問題などの治療の方針や、出版された本に対しても、すべての人が全くの批判がないかと言えば決してそうではないけれども、自分の信念に基づき、愛のある生き方を実践されたのだと思います。


★人格数 
Personality Number ~他者から映る自分~

【14-5】 真の自由の探究
その場その場で、素早く順応でき、多才でスピーディーな行動力があります。
「先生に会ったことのある人なら、嫌いになる人はいないのでは・・・。」と書かれていたり、“聖者”とも書かれるほど、人望が厚かったようです。女性が活躍していくには現代よりも更に大変な時代であったと思われますが、こころの声に従い、自分のやりたい道をすすんでいかれた人だと多くの人に映っているでしょう。
人はさまざまな事態にみまわれ、忍耐力をためされ、自己の生が全く無意味であると感じる状況になったとしても、その経験や葛藤に真に向かい合い、自分の答えを見つけていけるのだと、表現してくれた人だと思います。
自らも「生きていくこととは?人間とは?」と問い続け、学び経験し、それを多くの人に考え影響を与えた人です。



★実現可能数 
Realization Number

【6】 自己回帰
人々の役にたつ人間になるべく奉仕します。責任感と愛情深さ、人々に導きを与えることのできる知恵を持ち、行動します。包み込むようなやさしさと滅多なことでは投げ出さない面倒見のよさから、慕われ頼られます。調和を愛する理想主義者です。
 
ものを書くことへの思いと研究したい病への思いは、つきなかったようで65歳という若さで逝かれたのは、もしかしたら、悔いがあったのかも知れません。
けれども、それまでのご活躍は理想を実現できていると多くの人に認められたのではないかと感じます。





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History

★人生の歩み 
Year Cycle

1914年 1月 岡山市で誕生。二男三女の長女として育つ。    
(第一次世界大戦1914年7月~1918年11月)
1923年 9歳【19(10)】  父の仕事のため、スイスへ。

1926年 12歳【22(12)】  帰国

1927年 13歳【14(5)】 帰国後通っていた学校になじめず、登校拒否。新設されて間もない成城高等女学校へ編入。叔父の聖書研究会に参加するようになる。ものを書くということが、この頃から美恵子の大きな部分を占めるようになる。
変化・チャレンジの年です。受身であった時期、まだまだ受け取るものがたくさんですが、その中で自分はどうしていくのか訓練の始まりです。

1932年 18歳【19(10)】 津田英学塾本科に入学。

1933年 19歳【20(11)】 叔父がハンセン病療養所へ話をしにいく際に、オルガン伴奏者として同行。初めて見る患者の姿に大きな衝撃を受ける。
医師となることを考えて資料を取り寄せ、ひそかに受験準備を始めるが、両親や学長の猛反対にあう。ハンセン病の患者さんに会い、自分と同じ生を受けながら、どうして・・・と自分の存在そのものもゆさぶられたと感じた美恵子ですが、この分岐の年に、選択したい道にすすめなかったことも運命のような気がします。
また、この頃の初恋の相手の死も、その後、生きていくことの意味をを問い、医師をめざすきっかけとなったそうです。

1935年 21歳【22(13)】 津田英学塾卒業。同大学部に進学。
肺結核発病。 軽井沢の山荘で本を読みながら、療養生活。
英語科高等教員検定試験に必要な本を取り寄せ、読む。
国家試験に合格。結核も治癒。
思うように行かぬ中でも、あたらしい自分を探し基盤をつくりました。

936年 22歳【23(14)】 結核再発。再び療養所へ。ギリシャ語を独習し、新約聖書、
プラトンの『自省録』などを読む。 療養している時間を無駄にせず、次への模索です。
(この頃書いた詩を最後に掲載しました。)

1937年 23歳【15(6)】 結核治癒。病気も治り、愛、調和、家族を学ぶ周期の始まりです。

1938年 24歳【16(7)】 渡米。留学。

1939年 25歳【17(8)】 友との語らいの中で医学への決心を新たにする。
ニューヨークで開催していた万国博覧会の「公衆衛生医学」館に釘付けになる
美恵子に、ついに父の反対がとけ、医学の道にすすむことを許される。
第2次世界大戦1939年9月~1945年9月)

1940年 26歳【18(9)】 日米関係悪化。帰国。

1941年 27歳【19(10)】 東京女子医学専門学校へ編入。
導かれるように、ようやく医学への勉強を始められます。

1943年 29歳【21(12)】 医学を修める間も、ものを書きたいという思いにゆれる。
東京大学精神科医局長の島崎敏樹と出会い、精神医学への興味をかきたてられる。
国立療養所愛生園で12日間実習。園長の人柄にふれ、大きな影響をうける。
愛生園行きは、父の反対で、卒業後の進路を精神医学に定める。

1944年 30歳【22(13)】 東京女子医専を卒業。東京大学医学部精神科医局に入局。

1945年 31歳【23(14)】 空襲激しくなり、罹災被害者の処置にあたる。
父が文部大臣に就任。請われて、医局を休んで文部省で書類の翻訳などの仕事にあたる。
抗えない状況の中、本当の自由とは?と模索していきます。

1946年 32歳【24(15)】 父は文部大臣を辞職したが、そのあとも、GHQとの交渉における翻訳・通訳の仕事に従事。5月 医局に戻り、精神鑑定の仕事を手伝う。7月 植物学者と結婚。
週に三日医局に通い、家では英文論文の添削や、家計を助けるための和文英訳のアルバイト、家事に追われる。変化とチャレンジの多い年ですが、次の周期への糧となっていると感じます。

1947年 33歳【16(7)】 長男誕生。英語、フランス語、ドイツ語の家庭教師のアルバイトを始める。内省と探究の周期の始まりです。子どもが生まれ、ますます、自分のやりたいこととの葛藤がふえた状況の中、自分の今できることは何か?問いながら、しかし、子どもへの愛と感謝を忘れずすすんでいかれた姿は見習いたいところです。

1949年 35歳【18(9)】 夫、大阪へ単身赴任。訳書 マルクス・アウレリウス『自省録』。
次男誕生。

     
0 – 35 歳
Cycle Numbers 【1】  Pinnacle Numbers 【4】  Challenge Numbers【2】
自分を成長訓練させる時期、基礎となる学びを受け入れていく時期です。
個性の強い両親の軋轢に、人のこころは難しいものだという印象を早くから植え付けられたそうです。ハンセン病との出会い、これが大きな転機となりますが、海外での学び、戦争、キリスト教、
初恋の人の死や自らの病など、多くの経験が思索に影響をあたえました。



1951年 37歳【20(11)】 医局を辞め、一家は芦屋へ。
家計を支えるため、神戸女子学院英文科非常勤講師となる。
ここも分岐の年ですが、自分では選択できず、運命に流されるままといったところでしょうか。
家計を支えるための仕事で、医学、書くことに時間が取れないという苛立ちもありながら、教えるということによろこびもあったようです。

1952年 38歳【21(12)】 大阪大学医学部神経科に研究生として入局。
ハンセン病の精神医学的研究への取り組みということが心の中で育ち始める。家庭と学問の両立に苦しむ。

1953年 39歳【22(13)】 次男、結核発病。自宅でフランス語の塾を始める。
与えられた環境の中で、自分のしたいことは?できることは?またまた、考えさせられた状況であったと思われます。

1956年 42歳【25(16)】 神戸女子で語学に加え、精神衛生の講義も始める。
教える喜びを感じつつも、再び専任にとの誘いを断り、医学、ハンセン病への思いを 新たにする。
愛生園で非常勤職員となることが決まり、調査を行う。

1957年 43歳【17(8)】 非常勤職員としてスタート。
調査より、「生きがいがない」という悩みが多く見られたことから、「生きがい」についての思索が始まる。いろいろ思索してきたことをまとめあげる8の周期の始まりです

1958年 44歳【18(9)】 ゴッホ展を観に行った際に、自分の余生を「表現する」という使命に捧げるべき「啓示」を受ける。

1963年 49歳【23(14)】 津田塾大学教授となり、毎週上京。

1965年 51歳【25(16)】 長島愛生園精神科医長となり、月に二度、水曜から土曜を島で過ごす。津田塾大学は非常勤講師となり、年に一度集中講義をおこなう。「生きがいについて」を書き上げる。

1966年 52歳【26(17)】 『生きがいについて』(みすず書房)出版。
ひとつの集大成と感じます。しかし、ご本人にとっては、この作品が表層的ブームになったことに当惑したようです。

1967年 53歳【18(9)】 愛生園精神科医長を退き、非常勤となる。 



36 – 53歳
Cycle Nnmber【3】

36 – 44歳
  Pinnacle Numbers 【9】  Challenge Numbers【3】
視野が広がり、創造、表現していく時期、精神的成長の時期です。
医学、文学、そして家庭とどれにもよろこびを感じることができ、また、うまく時間のとれないジレンマを感じ、いろいろな思いを日記に書いています。作品にも影響をあたえたのでしょう。
『人間をみつめて』には、使命感についても書かれています。

ただ「そうせずにはいられないからやる」という「やむにやまれぬ」という必然性、すなわち自然さをそなえているはずである。必ずしも利益や結果を期待してのことでない「無償性」をそなえているはずである。

何かよび声がきこえたときに、それにすぐ応じることができるように、耳をすましながら、自分を用意して行くことだけだろう。そういう人のところに おそかれ早かれ使命が、何かのかたちをとって、現れてくる。前国連事務総長の故ハマーショルドはいう。
「使命のほうがわれわれを探しているのであって、われわれのほうが使命を探しているのではない。」

45 – 53歳
Pinnacle Numbers 【4】  Challenge Numbers【1】
経験してきたことを、独創性を持ち、慈悲のこころで、世に奉仕、発表していきます。



1971年 57歳【22(13)】 『人間をみつめて』(朝日新聞社)出版。
12月 最初の狭心症発作をおこす。

1972年 58歳【23(14)】 健康上の理由により愛生園を辞任。以後も、手紙や電話で患者との対話は続いた。この間、入退院繰り返しながら、『こころの旅』(日本評論社)『神谷美恵子エッセイ集』など出版。

1978年 64歳【20(11)】 岡崎の官舎に転居。『精神医学と人間』(ルガール社)刊行。
秋より翌年にかけて『みすず』誌に「V・ウルフ病跡おぼえがき」を連載。
十数年来構想をあたため、準備を重ねてきたウルフの病跡についての著作は、完成をみることはできなかった。

1979年 65歳【21(12)】 14回にわたる入退院、その予後から、いつまで意識を保っていられるだろうかという不安と恐怖を抱えつつ、自伝『遍歴』を執筆。
『生きがいについて』の改訂を終える。
10月22日、一時帰宅中に急性心不全の発作を起こし、死去。
晩年も、ギリシャ文学やウルフ病の研究など、まだまだやりたいことがつきなかったようですが、病床でも自分の思いを詩に表したり、訪れた人とは楽しく談笑し、ご自分の世界へひきこんでおられたようです。
完成の周期、体験してこられたことをできるかぎり表現して逝かれたと感じます。



54– 歳
Cycle Numbers 【15-6】  Pinnacle Numbers 【16-7】  Challenge Numbers【5】
本質を理解し、内省と探究をし、さらに活発に発信し、成功を果たします。
ご本人としては、完成されていなかった研究結果などもあり、まだまだ、書き足りないとの思いも
あったかもしれません。
しかし、教師として医師としての奉仕ともいえる仕事の仕方や、残していかれた多くの作品から、
人生を本当に力いっぱい楽しんでいきていかれた方だと思います。




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~リーディングを終えて~

レポートを書くことになり、学生時代に読んだ「生きがいについて」「人間をみつめて」の著者である、神谷美恵子さんが浮かびました。
ですが、Year Cycleが全て二桁ということで、なかなか読み解けませんでした。
もう一人、候補に考えたのは、ムーミンの生みの親 トーベ・ヤンソンさんですが、ヤンソンさんも
なぜか1914年生まれで、二桁の多い方でした。
ヤンソンさんの方が、誕生数【14-5】、運命数【9】、ソウル数【11-2】、人格数【7】、実現可能数【14-5】と自分の持っている数字と同じ数が多かったので、ヤンソンさんにするべきだったのか!?とも思いましたが、神谷美恵子さんの本を少し読み返しているうちに、時間がたってしまいました。

学生時代に読んだきりだったので、詳しい内容はすっかり忘れてしまっていましたし、神谷美恵子さんの人生も知らなかったので、こんなに病気と闘いながら書いておられたとは思ってもしませんでした。

そして、書いてある言葉がAeonsで聞いている言葉とリンクしてくるような気がして、実際、
Year Cycleは、なかなか読めなかったのですが、そのまま提出させていただきたいと思いました。
また、気になったのは、神谷美恵子さんと自分の数字のリンクが少ないことでしたが、5という数字がなんとなくフォーカスされてきて、ヤンソンさんにしてみても、5が入っています。
自分には、ない数字だ・・・と思っておりましたが、30 – 47歳のCycle Numbersが5、
48歳-のChallenge Numbersが5でした。

自分が何をしたいか・・・ずっとわからず、聞かれてもなかなか答えられなかった保育園のころ、小学生のころのことまで、少し思いだしました。

真面目だと茶化されるのは嫌だったり、素直に思ったことは、照れくさくて言えなかったり、偽善みたいだろうか、きれいごとたろうか・・・きれいごとのどこがいけないのか?理想をいうことは恥ずかしいことなのか?・・・など頭の中で、いろんな思いがごちゃごちゃになり、結局、自分が何を感じたのかわからなくなり、それを繰り返してきたことを思い出しました。

まだ、はっきりこれから何がしたいのかわからないのですが、自由に自分を表現したり、もっと変化を楽しむようにチャレンジしろ!!といわれている気がしました。
思い切ってためているものを爆発させてもよいのかもしれませんが、何か大きな変化をしなければ・・・と気負わず、少しずつ、人にちょっとしたヒントや刺激をいつの間にかあたえていたかも・・・くらいでも、外に向かって動きだせはよいのかも・・・とも、思いました。
と、いいながら、本当にやるの?といっているエゴ?がいる気もしますが、とりあえず、こうして今、学びを続けている自分を認めてあげてこれが外へつながる勇気となることを信じたいと思います。

最後に、結核療養中に生まれた詩を紹介させていただいてレポートを閉じさせていただきます。



 ********************************

 うつわの歌     1936.12.3

 私はうつわよ、
 愛をうけるための。
 うつわはまるで腐れ木よ、
 いつこわれるかわからない。

 でも愛はいのちの水よ、
 みくにの泉なのだから。
 あとからあとから湧き出でて、
 つきることもない。

 うつわはじっとしているの、
 うごいたら逸れちゃうもの。
 ただ口を天に向けてれば、
 流れ込まない筈はない。

 愛は降りつづけるのよ、
 時には春雨のように、
 時には夕立のように。
 どの日も止むことはない。

 とても痛い時もあるのよ、
 あんまり勢いがいいと。
 でもいつも同じ水よ、
 まざりものなんかない。

 うつわはじきに溢れるのよ、
 そしてまわりにこぼれるの。
 こぼれて何処へいくのでしょう、
 —そんなこと、私知らない。

 私はうつわよ、
 愛をうけるための。
 私はただのうつわ、
 いつもうけるだけ。




********************************
<参考文献> 『文藝別冊 神谷美恵子』河出書房新社 2014, 
『神谷美恵子の世界』みすず書房 2004


by Aeons Numerology Basic the 11th class
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Toki
by kej000 | 2017-02-13 23:48 | 数秘レポート

オイラの夢は、世界に通用する映画監督になることだね*北野武 Vol.1

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Takeshi Kitano
1947年1月18日
東京都足立区出身、血液型 O型、山羊座


『オイラの夢は、世界に通用する映画監督になることだね』

塗装職人の父・北野菊次郎(1897年4月1日‐1979年)と、母・北野さき(1904年‐1999年)の四男(幼少時に早逝した兄が一人いるため、実質は三男として育つ)として生まれ、「竹のようにどんなものにも耐えて、すくすく伸びて欲しい」との願いから「武(たけし)」と命名された。《両親の願い通りかは分かりませんが、想像以上の困難を乗り越え、世界が認める長~~く伸びた竹となったのではないでしょうか?》

大学入学の翌年に家出して、浅草で芸人の道に足を踏み入れる。
1980年代初頭に起こった漫才ブームの中で頭角を現し、「フジテレビのオレたちひょうきん族」などの多数のテレビ番組に出演し大人気となる。しかし、人気絶頂の最中、世間に衝撃を与えた、1986年の「フライデー襲撃事件」そして、1994年に起こした死の淵を彷徨うほどのバイクによる大事故と、数々の試練やトラブルが北野監督を襲う。ただ、そんなことも全て自らの糧としてしまう・・・今では世界が認める『天才 Kitano』として、国内外の在家信者であるキタニストから熱烈に支持される存在。





【基本データ】
①Birth path Number #4[#22‐#13]
Day#9[#18]・Year#3[#21]・Month#1・Day&Month#1[#19‐#10]
②Destiny Number#8
③Soul Number#4
④Personality Number#4[#22]
⑤Realization Number#3[#12]
⑥Stage Number#1[#10]
⑦Challenge Number#9[#18]
⑧Nature Number#1[#10]
⑨Action Number#8



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誕生数 Birth path Number #4[#22‐#13]

(資質・性格・個性・才能)

【#13】は、カルミックナンバーで創造と破壊を繰り返し、常に学びを喚起させられるナンバー。障害やトラブルを探し出して、渦中に自ら飛び込み困難を招くこともあるかもしれませんが、しかし困難を克服する度に、変容する修練を経験し、カルマの負債を清算することになるナンバー。
【#13】~生と死~ イメージとの大きなギャップ、「身内の死」に関する感情の高ぶり。

◆身内のように親しくしていた『逸見 政孝』の告別式では、弔辞を読む予定であったが、とても読める状態でなく参列者席で号泣。
◆母が死去した際、通夜の後に行われた記者会見で「俺を生んで良かったと思って欲しい・・・」と絶句し、その場でも泣き崩れた。

【#22】は、マスターナンバーであり、天と地の架け橋となるナンバーです。2+2=4(#4の増強版)で、【#4】の特性を全て持っており、有能で、頼もしく、気質が堅く、まじめである。

さらに【#22】は、現実的な世界でスピリチュアルな原理を使う能力を有しており、霊感・直感に基づく観点から物事に取組むとき最高の力を発揮することも出来ます。ただ、【#4】の人より、強運に恵まれていますので、同時に学びの機会(試される)として多くの障害やトラブルにぶつかることも多いです。しかし、そうした障害を克服する力を持っており、何であれ見事に克服していくでしょう。克服したのちに、【#22】の安定感とパワーの源が内側にもたらされます。あらゆる分野の創始・開拓・指導・権威者を目指す。

【#22体験】~人生の早期にさまざまな体験をし、体験から自信を培っていく人~
高校卒業後、明治大学工学部機械工学科に入学する。しかし、大学にはすぐに行かなくなり、新宿界隈で当てのない日々を送るようになる。当初、ジャズ喫茶や雀荘あたりをウロウロするが、長続きせずその後は。菓子の計り売り、実演販売員、クラブのボーイ、タクシー運転手、ガソリンスタンド、ビルの解体、羽田空港の荷役・・・などなど、アルバイトを転々とした後、芸人見習い志願として、25歳【Year cycle#20】で浅草のストリップ小屋でエレベーターボーイを始めるまでは数えきれないほどの体験をする。しかし、のちのち全てが必要な経験であったことを自覚する。

【#22挫折感】~最初のうちは何をしても結果が出ないような気がして、挫折感を味わったり、自分は理解されないなどと感じる~ まさに、前座時代は、演芸場のギャラは安いため、地方キャバレーなども回るようになるが、酔客相手の仕事を嫌い、出番をすっぽかしたり、酩酊して舞台に上がることが多かった。また、店を誹謗【#8am能力を認められない時、批判的になる】し、客やホステスに喧嘩を吹っ掛けたので、度々舞台から降ろされた。

【#22波乱の人生】逮捕歴・前科あり、顔面が崩壊するほどの事故を経験するも、その後の活躍を認められ、紫綬褒章受章の打診が来る。(俺はもらうような立場ではないとお断りを入れる。)まさに大波乱。

【#22あらゆる分野の創始・開拓・指導・権威者】
~国際的な関心事にまつわるプロジェクトの中で自分を活かす機会を見つけるでしょう~
芸人、役者そして、映画監督となり、今では世界を代表する映画監督『世界のKitano』として大活躍。

【#22卓越した才能】北野映画は黒沢明に愛されていたことは事実です。死を目前にした黒沢監督は「日本映画の未来は任せた」と言わせた・・・世界の黒沢が認めた才能。



【#1 Month Number】
~生まれ月のナンバー[#1]は、若年期の行動や雰囲気を現わす~

若年期のCycle#1・Pinnacle#1[#19]そしてNature#1[#10]とバイブレーションするためにより顕著に現れる。典型的な、すばしっこいガキ大将。


【#9[#18] Day Number】
~生まれた日のナンバーは、個性や行動特性を見る第二ツール。2桁なら波動が上がる~

【#9[#18] 】~人を惹きつける魅力~ 非常に高い波動で、多くの人間の心を掴み、国外からも多数のファンがおり北野監督を訪ねています。

【#9[#18] 】~若年期の経験が多い~ 関わった仕事・趣味・人との交流など盛りだくさん、兎に角多くの経験を積むこととなります。

【#9[#18] 】~ロマンティスト~ 本のタイトル名「星のはなし」という、絵本を出版するほどのロマンチストで、その他の執筆した書籍にも、星の話が登場している。しかし、同じ年に究極のバイオレンス映画の続編「アウトレイジビヨンド」を制作・公開するギャップもファンを魅了する一因。



運命数 Destiny Number #8
(才能・個性をどう活かすか、人生の目的・使命、社会的役割、社会へ打出す力)

権力の行使に関わる使命を携えています。その衝動と大望と才能ゆえに、権威あるポジションに立つ可能性がとても高い人。重要な決断を迫られるような局面でも、たじろぐことなく冷静沈着に対処できる人。集中力があり、やや格式ばっていて、堅実でとことん頼りになり、むやみにリスクを冒さず、何事も最初から決めてかからない姿勢を身に着けています。卓越したトラブル処理能力があり、常にバランスを回復させ、効率よくスピーディーにあざやかな手さばきで難題を次々に解決していきます。むしろ、そういう機会を楽しんでしまうでしょう。めったに時間を無駄にせず、よく自制し事情通で太っ腹です。



ソウル数 Soul Number #4
(魂の欲求、一番大切な価値観)

【#4 本質】~#22への覚醒を意識した#4本来の思考~(天才は天才を知る)
「99%努力したとしても、あと1%の才能がなければ、天才になんかなれない。だから、せいぜい我々に出来ることは、努力しかないから、せいぜい努力しなきゃどうしょうもない。つまり、1%の才能が、普通の人にはない。そこをして、天才と言わしめる。だから、我々に出来るのは、せいぜい努力でしょ。だとしたら、99%の努力なんか、当たり前だという意味だ。」と天才ならではの発言をしています。

【#4 頼りになる】~道義的な理由で、他者を助ける為なら全力で立ち向かう~
当時交際中の女性に対して、雑誌フライデーの記者が強引(女性の腕を掴むなど)な取材を敢行したことに対して抗議したが、反省のいろが微塵も感じられなかったので実力行使した。また、1980年代初頭に北野監督を慕って集まって来た軍団に所属するメンバーは、業界を干されて行き場の無かった者も少なくなかったのです。

【#4 基本・真面目】~基本に忠実~ 映画製作での拘りの一つとして、暴力シーンは淡泊に撮るが、音には拘っている。俺の映画で使っている銃の音はすべて本物だ。俺のところには、トカレフを撃っている時は、ちゃんとトカレフの音がしている。床に転がる薬莢の音までが本物だ。俺のところには、世界に出回っているほとんど銃やマシンガンの発射音の膨大なコレクションがある。音響さんがアメリカに行って、もの凄い苦労をして録ってきてくれたのだ。言わなきゃ誰も分らないだろうけれど、不思議なもので、観客は無意識にその違いを感じている気がするとのことです。

【#4 本質】~ものごとの本質を明らかにする~ 日本テレビから『24時間テレビ 愛は地球を救う』への出演オファーを受けたが、拒否したことを明かしている。さらに、「ヨダレを垂らした芸能人どもがめちゃくちゃ高いギャラを稼ぐくせに、これ以上貧乏人から金を巻き上げんな。チャリティーっていうくらいならお前ら全員ノーギャラで出ろよ」と発言、偽善番組とも述べています。
【#4 論理と感情の調和】「感情というのは抑えるのが当然なのに解放するのがいいって風潮になっている」ことを嘆くコメントを残しています。

【#4 信念】「最後まで押し通せなかったら、やさしさではない。途中でくじけるなら悪人になればいい。優しさは根性である。」とコメントしています。

【#4 働き過ぎam】~ワーカホリックになりやすい、リラックスできて自分が成長させられるような趣味を見つける~ 北野監督は、働き過ぎ解消の術を自然に身に着けたのか・・・所ジョージと非常に仲が良く、毎週日曜日に所の遊び場兼事務所である「世田谷ベース」へ遊びに行く。趣味の話などを酒とともに酌み交わすことが楽しみの一つとなっている。北野監督は「所から仕事以外の楽しみかたをというものをすべて教わった。」とも語っています。


人格数 Personal Number #4[#22] (他人からのイメージ)
非凡なオーラを与えます。どんな難題もきっと解決してくれると思われ、仕事を任せたいと多くの人が集まります。また、自分自身でも遣りたいことを山のように抱えています。


ステージ数 Sage Number #1[#10]
(活躍の舞台)

【#1-10】~絶対的存在や特別性~ テレビや雑誌・新聞の紙面、そしてスクリーンにて、たけし軍団・お笑い界・映画界などで常にトップランナーとして走り続けている。

【#1-10】~前世でやり残したカルマや、目的を今生で果たすためのカルミックナンバーで、人道的な目的や、人に癒しを与える方向へ向かいます。人生のある時期に全く別な道へ進む場合が多く見られる~ Cycle#10の時に、StageNumber#10とバイブレーションするのか?新たな活躍の舞台が用意されたり、活躍のステージがアップしたりします。勿論のこと、人に癒しを与える方向で活躍します。


チャレンジ数 Challenge Number #9[#18] (
現実に経験すること)

【#9】~愛と理解力で人類愛を実践~ 「愛」と言う言葉、それも真実の偽りのない愛が似合うと思います。

【#9 [#18]】~月の影響・若年期の経験~ 

◆中学は母親の希望で進学校に越境入学。そこでは成績が落ちしまう。また、雰囲気に馴染めずガキ大将になれなかった。その反動もあって、ボクシングジムに通い始めたようです。
◆子供の頃から、厳しい勉強を強いられて窮屈な思いをしていた北野監督は、これに猛反発.北野冢においても.近所の体裁を考えて「芸人を目指した北野家の武」という存在は無かった事になっていたそうです.

【#9 [#18] 物質主譱】~物質的野心には心を動かさない~
「金のことでつべこべ言うと、母親にこっぴどく叱られたものだ。誰だって、金は欲しいに決まっている。だけど、そんなものに振り回されたら、人間はどこまでも下品になるというのが俺の母親の考えだった。貧乏人のやせ我慢と言ったらそれまでだが、そういうプライドが、俺は嫌いじゃない。」

【#9 [#18] 寛容】「他人の裏切りを、心の中に毒持って生きて行くより、相手にいいこしてやったっていう感覚でいるほうがいいんだ。だって、裏切りなんてこれからもじゃんじゃんあるんだから。それをいちいち自分の問題にして、抱え込んだら、大変なことになっちゃうもん。」


ネイチャー数 Nature Number#1[#10]
(素の自分)

【#10 野心】~自信家で野心家・大胆不敵~ 『その男凶暴につき』、主演の立場を利用して「深作監督でなければ、出演しない。」また、「俺に監督をやらせたら、同じスケジュールで1本くらい映画、撮れると思うんだけどな」と啖呵を切って、見事に監督の座を勝ち取る。普通、映画監督未経験の北野監督が、深作欣二の代わりを務められるなんて、考えられない展開ですが、北野監督ならではの、自信溢れる態度と、大胆不敵な雰囲気に関係者が納得させられたのでしょう。



行動数 Action Number #8
(行動パターン)
【#8 コントロール・自信】

北野監督のNG芸能人は、菅野美穂。NGの理由は、映画『Do11s』撮影時に、菅野のシーンにOKを出した北野監督。それにもかかわらず、菅野は自分の演技に納得がいかなかったため、再撮影を何度も希望した……。この行動が逆鱗に触れそれ以来共演NGになったのだとか。「絶対に許さない」北野監督の信念。一見すると菅野の主張も一理あるかに思えるが、北野監督の映画監督としての持論はそれを許さない。ある記者会見では次ように語ったこともある。「たまに“監督、ここはこう撮るべきじゃないですか?”って言ってくる奴がいるんだけど、そいつ大嫌いで2度と使わない。監督に気に入られるように演技をするのが役者であって、監督の演出方法に意見するのは絶対に許さない」結果的にお互いのプロとしての信念が仇となり、共演NGとなった菅野。裏を返せば、それだけ二人が作品作りに妥協を許さないということだろう。
北野監督は映画に関しては自分への助言や提案は聞き入れません。ベテラン俳優でも、「自分はこう演じたい」などとロ出しをしたら下ろすそうです。本人自身、俳優として他の監督の下で演じる時は、一切口出ししないそうです。ドラマにしろ映画にしろ、それは監督の作品であり、俳優はただ命じられたまま演じるのが筋だというスタンスです。

【#8太っ腹】弟子の結婚祝いに、弟子から洗濯機の希望があったので、大きなタライを贈る・・・タライの裏には、‘百万円の束'が、張り付いていたというエピソード!!




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HISTORY


First-Stage 0~32歳 
Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8

【#1自立・種まき】~早期に自立を促される~ 19歳で自立を果たす
【#19カルマ】~カルマの負債を清算するため、家族や自分の殻から抜け出ようともがく~

小学生時代の北野監督はスポーツ大好き少年でしたが、母親が教育ママだった為に終始「勉強しろ」と言われていました。しかし特に勉強しなくても成績が良かった為、スポーツにばかり打ち込んでいたそうです。大変目立つ存在で、昭和のガキ大将そのもの、近所では有名でした。中学は母親の願望で進学校に越境入学、そこでは成績は「普通」になったし、雰囲気や状況的にガキ大将にもなれませんでした。子供の頃から厳しい勉強を強いられて窮屈な思いをしていた北野監督は、ついに猛反発して家を飛び出し、そして芸人の道へ。北野家では、近所の体裁を考えて「芸人を目指した北野家の武」という存在は無かった事になっていたそうです。19歳で、家を飛び出し自立を果す。本当の意味で天才Kitanoのスタート。

【#1成功の鍵】 ~個性や独自の才能を発見、新たな分野で究極の成功へ~ 
明治大学工学部に入学するも適応できず、紆余曲折の果て、芸人の世界へ、そして『世界のKitano』へ。
【#1 繋がり】~人との繋がり~ この時期に、多くの人と関わる。コントの師匠、漫才の師匠から、いろいろな人種の人達と出逢います。
【#19 AM】 ~過度の不安・心身のバランスに注意~ 

死ぬのが怖くて、どうにもならない時期があった。高校生から犬学生にかけて、毎日のように死について考え、死ぬことに怯えながら生きていた時期。死んだら人聞どうなるとか、天国や地獄があるのかとか、形而上学的な問題を思い悩んでいたのではない。自分が生きているという快感がないまま、生きたって記憶も何もないまま、この世から消えることが怖かったのだ。


◇17歳 YearCycle:21 Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8
【#21快楽主義】この時期、ボクシングジムに入門しているが、入門の動機はこんな発言から読み取れる。「快感には、みんな暴力的なものが内在してんだよ・・・」

◇18歳 YearCycle:22 Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8
【♯22】~大きなビジョンを描き、新しいステージに向かう開拓する年~ 明治大学入学。

◇19歳 YearCycle:23 Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8
【♯23】~環境の変動・自由・不安定~ 大学での生活には適応できず、五月病を患うようになり家出同然で一人暮らしを始める。その後、大学には通学せずに除籍。(のち、2004年9月7日、明治大学より「特別卒業認定証」及び知名度アップに貢献したとして「特別功労賞」を受賞。)

◇25歳 YearCycle:20 Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8
【♯20 出会い・愛する人とのコラボ】~永遠に目で語り合える相手・尊敬から結婚へ(男通しの結び付き)~この年、北野監督はその後の人生に多大なる影響をうけることとなる男(この上ないほどの理想的な師匠)と出会う。その男は、深見千三郎(ふかみせんざぶろう)北海道出身のコメディアン、舞台芸人・演出家・脚本家で浅草系の芸人に評価が高く、「師匠」と呼ばれていた。弟子には、渥美清、東八郎、ポール牧、萩本欽一、坂上二郎などなど…北野監督は、最後の弟子となる。弟子入りのきっかけは、エレベーター内で直訴したところ、何の芸もない北野監督にその場でタップダンスを披露し、「こういうのでも練習するんだな」と一言・・・弟子を許され、『前座芸人・北千太』が誕生しました。(後年、北野監督は、深見のタップダンスの余りの格好良さに感動としたことを発言しています。
また、簡単に弟子入りを許されたようだが、明治大学中退の変わり者に、依然より深見は目を付けていたようです。) その後は四六時中、深見から予告なしにボケをかまされ、間髪を入れずに罵倒するという技を仕込まれた。この日々の鍛練が、のちの独特な言葉の拾い方のアドリブによる巧みなかえしや、速射砲のようなテンポの速い漫才へと繁がります。座敷で飲んだあとに下駄履きに立ち、自分の靴をさっと出す北野監督に対して、深見は「ワザと違うものを出すんだ」と教える。その翌日、北野監督は、女性客のハイヒールを差し出し、深見は何ごとも無かったように、ハイヒールを履きながら「馬鹿野郎っ」とつっこむ・・・そんなやり取りも、北野監督の芸風として脈脈と受け継がれています。さらに、深見は「この馬鹿野郎」と言うなどロは悪い分人情味溢れる人物で、第子の暮らしぶりにも気を遣い、当時の北野監督の住まいを始め全ての面倒を見ていた。この点は、深見から鍛えられたというより、北野監督の本質と非常に良く似た点ではないかと思われ、そんな北野監督を慕うたけし軍団のメンバーは若き日の北野監督とどこか重なるようです。後年、北野監督自身も「芸人としての心意気・感覚すべてピッタリだった。自分はその心意気を継いでいる。」と語っており、別番組のインタビューでは「芸人としての生きざまは師匠の深見千三郎から教えられた。深見から言われた“笑われるのではなく笑わせろ“という言葉は未だに忘れられない」と語っています。深見の最期は、自宅であるアパートの自室でタバコの火の不始末が原因で火災を起こし、折しもはしご酒をして泥酔していたことが災いして逃げ遅れ焼死した。(59歳没)

たけしはフジテレビの『オレたちひょうきん族』収録中、楽屋で深見の訃報を聞いた。しばし絶句した後、たけしは、壁に向かい俯きながら無言でタップを踏み始めた。深見の葬儀の後、たけしは札幌での仕事へ向かうため羽田空港へ向かい、待ち合わせていた高田文夫に「深見のおとっつぁんもバカだよな死んだら人が焼いてくれるのに、自分で焼いちめえやんの」と師匠譲りの毒交じりの一言を口にしたといいます。


【#20】~出会いにより収入拡大~「ツービート結成」
ツービートは、最初きよしさんがボケで、おいらがツッコミだった。それでやってみたけど、これが‘間’をどうこう言う以前の問題。きよしさんは‘間’が悪い以前にネタがない。何を勘違いしたのか、舞台の上で世間話を始めちゃう。もちろん、客はクスリともしない。全くもってウケることのないきよしのネタに対し、北野監督はツッコミ入れるようになる。しょうがないから、おいらが「お金払って、お前の世間話とつまんねえギャグを聞いてどうする!」って、どんどん突っ込んでいったら、客がドッと笑ったんだ。それでお客が笑ったから、これだと思って、もうジャンジャン「こいつバカですから」と言いながら、きよしさんの出身地である山形の悪口をさんざん言った。そうしたら今度は、きよしさんがそのツッコミに対して、「そんなことはないよ」とか「よしなさい」って言うようになった。そうやってボケとツッコミが逆になったのが、みなさんの知っている「ツービート」のスタイルになったわけ・・・動き出す年となりました


◇29歳 YearCycle:24 Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8
【#6 やりすぎ】~自己破壊的~
【#19カルマ】~不当に軽んじられたり、手柄を人にとられて悔しいと感じることも多々あるが、その体験を通して正しい決断を学び、身につけることが重要~
演芸場での人気とは裏腹に、その破壊的な芸風は一部の関係者に受け入れられず激しい抑圧を受け、漫才協会から脱退を求める声すら起きたという。この年も、協会が主催するNHK新人漫才コンクールにツービートは3年連続で出場したが最優秀賞を獲得することは出来ませんでした。


◇32歳 YearCycle:27 Cycle:1 Pinnacle:19 Challenge:8
【#9完成】~サイクルの成就~
『花王名人劇場』(関西テレビ 企画:澤田隆治)において、人気落語家・月の家円鏡(8代目・立花家円蔵)の共演者に抜擢され、古典派から「邪道」と言われた円鏡と、「邪道漫才師」ツービートを競演させ、「円鏡vsツービート」と銘打って放送されたこの企画が好感触を得たことで、「花王名人劇場」での、「激突漫才新幹線」制作への布石となり、後の漫才ブームへ繋がりました。




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To be continued to Vol.2

by Aeons Numerology Basic the 11th class
in Bunkyo class
Tetsuya S.
by kej000 | 2017-02-06 08:27 | 数秘レポート

常に進化する強さとその裏にある努力に*伊達公子

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伊達公子
Date Kimiko 【プロテニスプレイヤー】
生年月日 1970年9月28日生まれ。



6歳からテニスを始める。
1969年(18歳)プロテニスプレーヤーに転向。
1990年全豪オープンでグランドスラム(世界大大会)初のベスト16入り。
1993年全米オープンベスト8入り。
1994年日本人選手初のWTA世界ランキングトップ10入り(ランキング9位)を果たす。
1995年WTAランキング4位。
1996年26歳で引退。(引退時ランキング8位)
2001年レーシング・ドライバーのミハエル・クルム氏と結婚。
2008年プロテニスプレイヤーとして【クルム伊達公子】名にて復帰。
復帰初年、全日本選手権シングルス・ダブルス制覇。その後、挑戦の場を、世界に移し、世界ツアーに参戦。
WTAツアー優勝回数8回。
2016年46歳、1月までWTAツアーに参戦。同年2月左膝半月板の内視鏡手術。
そして4月選手復帰の為、再手術をし、現在リハビリ中。
その他、テニス解説、執筆、国際協力機構(JICA)オフィシャルサポーター・園田学園女子大学客員教授等勤めている。




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【Birth】誕生数  
***深層意識***生きる姿勢や才能、潜在能力など普遍的な資質

♯9 完結  
ひとつの周期が終わり次の段階へ、意識の断捨離、いらないものは捨て必要なものは残し、次の段階へ進んでいく開始のナンバーです。

伊達さんは常に進化する事、新たな挑戦をし、常に次の段階へ進むことへ挑戦し続けるという。
46歳の現在もプロテニスプレイヤーでいること、一年に2回大手術を行ってまでも、プロとしてプレーを続けることを選ぶということからもわかる。
自分をあきらめさえしなければ、人はいくつになっても成長し続けるものである。
不安や恐怖はつきもの。覚悟を決めてまずは動き出してみる。すると思わぬ可能性の扉が開く
まさかという可能性どんどん開いていく。
常に自分を内省し、要らないものは捨て、そして必要なものは経験としてきたからこそ、ぶれない自分をつくり、挑戦し続ける覚悟そして、進化する強さを得てきたのだと思います。
これがまさに揺るぎなく進む彼女の本質であり、今もこの先も進化し続け、挑戦し続けていくのだと思います。



【Destiny】運命数 
***表面意識***人生における使命や目的・何を実現していくか

♯44-8 秩序・繁栄 不可能への挑戦と開拓・現実性
〈成功:繁栄の#8〉
伊達さんは6歳から好きでテニスをはじめ、高校卒業後、プロに転向し、
日本人としては初のWTAランキング最高4位に登りつめる。

〈不可能への挑戦と開拓の#8〉
26歳で引退したが、11年という長いブランクにも関わらず、38歳というプロとしては不可能ではないかとう体力の時期に、再度プロテニスプレーヤーとして復帰。
彼女は20代、我武者羅にプレーしていたときより、今のほうが強くなったと感じる。常に平常心を保ち、冷静な判断と落ち着いた無駄のないプレーができようにうなった。
実際に、復帰初年、全日本選手権シングルス・ダブルス制覇。
翌年、世界に場を移し、WTAツアーに参戦。WTAツアー優勝回数8回という実績をあげる。

自分があきらめず進化し続けるように、あきらめなければ無限∞の可能性の扉が開く、進化し続けることができるということを、プロテニスプレイヤーという表舞台に立つことで、それは誰にいうでも起こることで、恐れずに、まずは動くこと、ということを自分が実践することで伝えているのだと思いました。
「誰かに何かを強制することはしません。でも私のやっていることで、何かを感じて行動に移してもらえたら、私にとってもい刺激になります。私がきっかけとなって、それぞれの人生に変化が起こるとしたら、本当に感激です。それを聞くと私自信も力をもらえます。」と彼女は言います。


【Soul】ソウル数 
***魂の欲求***一番大切な価値観、優先したいこと。心の叫び

♯3 発展  能動と受容の合体により、新しさの誕生・自分で楽しい事を表現していく

伊達さんは【楽しい】【うれしい】【好き】がすべて根本にあります。
テニスが好き、勝負が好き、そしてチャレンジすることが好き。
人はいつでもチャレンジができる、思い込みやブロックをはずせばそれは克服でき、楽しみにさえなる
この先どうなろうと未来を怖がるより、今この瞬間を思いっきり楽しもう。

引退後、3から10歳までの子供を対象にした『キッズテニス』を展開したときも、
この活動で心がけていることは、子供たちがテニスを教わっているというより、やっている時間が
楽しいと思えるようにすること。自分自身が楽しいがあるから、苦難があっても乗り越えられた、楽しいが自分の原動力になってきたから、子供たちにもまずは楽しいという感覚を教えたかったのだと思いました。
このキッズテニスは日本だけでなく発展途上国の子供たちにも、JICA(国際協力機構)のオフィシャルサポーターとして活動がされ、デニスもの存在さえ知らない子達に、テニスというものを伝えながら、知ることの楽しさを教え、そしてその子供たちのきらきらした目・楽しい笑顔を受け取ると、また何かを考え感じ、あらたなことに挑戦することができるという。
やはり伊達さんを動かしているのは、楽しい、うれしいということが全ての根源なのだと私は思います。

【Personality】人格数 
***社会的な仮面(ペルソナ)***他者に映る表面的人格

 ♯14-5  変化・破壊・自由・
 伊達さんはよく人に『伊達さんからよく力をもらっている』といわれることがあり、ありがたいと思っているそうです。
その中には、昔やってたことをまたはじめられた。という内容が多いようだ。
19歳のときからのお付き合いのカメラマンさんから『また、こうして撮影できるなんて思わなかった。伊達さんが復帰しくれたおかげで。以前の自分になかった構図を発見できて、勉強になるし、自信につながっている』前とは違うカメラワークやタイミングで自分の成長や変化に気づかされると話してくれたそうです。

伊達さんの38歳での復帰は多くの人の固定概念を壊し、いくつになっても進化し続けることをあきらめない彼女の姿は、変化することを事をあきらめていた人たち、自分をパターン化してしなっていることに気づかせ、そして変化する勇気をあたえているのだと思います。

伊達さんの#5は#14というカルミックナンバーを持つ。アルケミー#とも言われ、自分とは違うものを受け入れることによって、変化が起きていく。異文化交流である。
自分では不可能、ありえないと思えていることが、伊達さんの常に進化という姿に触れることにより、変化をもたらしているというのもこのナンバーの影響があるのだと思います。

【Realization】実現数
***今回の人生での可能性や実現性***

♯17-8 秩序    自己信頼と能力の育成、地道な努力を続け、常に達成を経向かう。
38歳で復帰した際に伊達さんは、20代でがむしゃらにプレーしていたときより、今のほうが強くなっていると実感しているそうです。体力的には衰えてきますが、20代になかったような能力が備わっきたと。
それは心の声と身体の声が聞けるようになったからだそうです。
周りに見える強さでなく自分に勝つ内なる強さを身につけたそうです。
26歳で引退したときの経験、そしてブランク11年間に、進化するため常に高い目標設定を置き、達成する為に常に地道な努力をしてきた結果が、強い自己信頼を得、38歳にしてプロテニスプレーヤーとして世界で活躍をし続ける今を築き、今後も進化し続けるのだと私は思います。

#17をもつ#8はネットワークで人と人とをつなげていくということをし、大きなコミュニティーを作ると言うナンバー。JICA(国際協力機構)のオフィシャルサポーターとして活動している伊達さんは、さまざまな形で行われる支援活動に触れることで、テニスを通じていったい何が伝えられるのだろうかと、深く考えさせられる機会が多くなったという。そして活動していく中で、一人で世界に繰り出し闘っていたにも関わらず『キッズテニス』日本というくくりにとらわれててしまう必要があったのだろうかと。。。考えたときに日本だけにとらわれず世界に出て行く意義を感じたそうです。
常に新しく出会う人とのつながりがまた自分を変えてくれる。可能性を広げてくれる。お互いに出会ったことによって豊かですばらしい経験をとなり、その経験から目標を持って、夢をもっていくことによって、可能性が広げられることを子供たちに感じて欲しいという思いが強くなったそうです。



【Stage】活躍する舞台 

♯7 飛躍  内省・自分自身を信頼し、自分の人生と精神を解き放つこと
 「Nothinig to Lose」失うものは何もないじゃない
彼女が復帰するときに、「テニスがやりたい」だけで踏みきってしまって良いのか、到底歯が立つとは思えないし、思いだけでそこにたってしまっていいのだろうか。
テニスは1日練習を休むと取り戻すのに3日はかかると現役時代彼女は身をもって知っている。だから11年間のブランクがかなり大きいものも、年齢が37歳ということで迷っていた。
そのとき、夫のクルム氏が言った言葉が 「Nothinig to Lose」だった。
今の年齢で負けても問題はないよ。以前ようにできるわけもない。それがどうしたの?同じことはできるわけない。今できることをすればいい。」
とにかくシンプルにやりたいことをやればいい。プレッシャーは自分自身でかけているだけ。
この言葉で、彼女は精神的にも今まで生きてきた人生にも解放されたのだと思います。
色々なことに取り組んできたブランクの間、やはり本気で挑戦できるはテニス以外にありえない。
そして彼女は復帰。いつも彼女は自分の内側にといかけながら、目標設定をし、今の自分にできることを地道に目標に向かいながら行動し、新しいことに挑戦し続けている。



【Callenge】課題

#10-1 絶対 夢を現実的に地道な努力で達成していくこと「今ここにある自分をみつめる」

WTA世界ランキングトップ10入りしたとき、もっと向上させようと、精神的に追いつめられ、そして限界を越えてしまいテニスが嫌いになり引退。そのときのことを耐えられるだけの器はなかった。といいます。
その経験を踏まえ、今ここにある自分をしっかりと見つめる。現実を受け入れる。その上で成し遂げたい夢があるならば実現する為に目標設定をし、日々の地道な努力おこたらないことが重要になってくるのではないかと思ます。
カルミック#10があるので、自分で狙って到達するものでもなく、積極的に取りにいく代物でもなく、ただ目の前にある日々の目標を目指しているうちに自分のもとに夢の実現が訪れてくるものかもしれません。




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History


-0歳から27歳-

【Cycle Number】どのようなことを学ぶ時期なのか:#9 完成
ひとつの周期が終わり、自己再生のする時期。不要なものは、手放し、本物を見抜くことを学ぶ。
自分を見つめなおす時期でもある。
6歳からテニスを始め、どんどん夢が叶い日本人選手初のWTA世界ランキングトップ10入りを果たし最高ランキング4位。しかし、ランクを上げることに執着し、プレッシャーに押しつぶされそうな毎日。そして周りに壁を作り孤独に徹していた。そして大好きなテニスがだんだん嫌いになっていった。そして心が疲れはて26歳のとき引退した。この時、すべてやるだけのことはやったので後悔はないとこの時期のことを語る。

【Pinnacle Number】どんな状況の時期か: #1 絶対
自分の創造性を表現していくこと「自分がどう生きたいか」、開拓と勝負の時期。
6歳からテニスを始め、26歳のプロ引退まで我武者羅にテニスをしてきた時期。
日本人選手初のWTA世界ランキングトップ10入りを果たし最高ランキング4位。
日本のテニス界を絶対的な存在感でひっぱて来た時期でもある。

【Challenge Number 】与えられた試練や今回の人生の課題:#8 秩序
部室は精神向上のための手段であり目的ではないことを知る時期。社会での成功をまず果たすし、そこから精神を学ぶ時期。
大好きなテニスへの引退は、これから彼女かどう人生を歩んでいくかのを考える為、現実に起きた問題であり、がむしゃらに走ってきた彼女を一度立ち止まり自分をしっかり内省し、軌道修正かける機会であったように思います。
26歳のYear Cycleが#8でDestiny#8と重なることからも軌道修正をかけられる時期だったのではないでしょうか。


-28歳から45歳-

【Cycle Number】#10-#1 絶対
夢を現実的に地道な努力で達成すること「今ここにある自分をみつめる」
自分を俯瞰してみる事、心、身体をベストな状態に持ていく自分をコントロールする事学び、また大好きなテニスプレーヤーとして、新たな強さを持って復帰。

【Pinnacle Number】28歳から36歳:#9
よい環境、人の中に身を置き自己の信念を固め才能を発揮する時期。
引退後、幅広く人と交流しし始め、3から10歳までの子供を対象にした『キッズテニス』を展開する
テニスを通じて、楽しいと思う気持ちが変化をもたらすこと伝える活動を世界子供たちに伝え、自らも
その楽しいから自分の進化、チャレンジが生まれることを改めて知る。
【Pinnacle Number】【Challenge Number 】37歳から45歳:#10―#1
不要なものを整理して、新しいステップへ焦点を定め明確な目標作りをする時期。
37歳で現役復帰を決める。20代のときとは違い自分に打ち勝つ内面をつくり、ただテニスがしたい、
挑戦することは楽しいこと、本気で挑戦できるのはテニスしかないという真の心の叫びで新たなテニス人生を始める。人に自分にPowerやエネルギー循環させることをが、自分にも自分以外の人にもいい循環を生むことを知る。

【Challenge Number 】28歳から36歳:#7
『精神性への目覚め』本来の自分を内省し、精神の充実を図り平穏さを保つことが課題であり、
38歳の復帰のとき、ブランクの11年間に自分の心の殻を解放し、それは心の声と身体の声が聞けるようなった。そして自分を俯瞰し、冷静な判断で落ち着いた無駄のないプレーをすることが復帰後20代とは違う自分のテニスをすることができるようになったと語る。



-28歳から45歳-

【Cycle Number】【Pinnacle Number】#17-8:秩序
冷静な思慮深さを養い、より高い新しい可能性を開拓していくこと時期。
46歳で左穂座半月版の手術を2度する。再びプロテニスプレーヤーとしてコートに立つためにそのせんたくをした。そこに会った彼女の思いは『元気にテニスをしたい・姿を見せたい』というおもいだけだった。
復帰後、自分がテニスを通じて、多くの人が変化したことを実感し、それをかの自信がほんとにうれしいと思う気持ちが、自分のために挑戦し続けてきた彼女が、今度は自分が元気でコートに立つことが、多くの人の変化する一歩につながるというまた新たな彼女の進化した表れではないかと思う。

【Challenge Number 】#1 
大いなるエネルギー感じ滞らせないこと、正しく導くことがこれからの課題になて繰るのではないでしょうか。それは【Cycle Number】【Pinnacle Number】で自己から集合体意識への変化の時期であるから、
よりこの課題が重要になってくるのだと思います。




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1976年(6歳)テニスを始める。#6
1989年(19歳)プロテニスプレーヤーに転向。#9
1990年(20歳)全豪オープンでグランドスラム(世界大大会)初のベスト16入り。#11(サイクル4)
1993年(23歳)全米オープンベスト8入り。#5(サイクル5)変化サイクル
1994年(24歳)日本人選手初のWTA世界ランキングトップ10入り(ランキング9位)を果たす。#6
1995年(25歳)WTAランキング4位。#7
1996年(26歳)有明コロシアムのフェド杯にて当時WTAランキング1位グラフに勝利 #8
1996年(26歳)現役引退。(引退時ランキング8位)#8
1998年(28歳)3から10歳までの子供を対象にした『伊達公子とテニスであそぼカモン!!キッズテニス』を展開 #10(サイクル5)
2001年(31歳)レーシング・ドライバーのミハエル・クルム氏と結婚。#13(サイクル5)
2002年(32歳)国際協力機構(JICA)オフィシャルサポーターとして任命され活動開始 #14(サイクル5)
2008年(38歳)プロテニスプレイヤーとして【クルム伊達公子】名にて復帰。#11(サイクル6)
2008年全日本選手権シングルス・ダブルス制覇。#11
その後、挑戦の場を、世界に移し、世界ツアーに参戦。WTAツアー優勝回数8回。
2016年9月 ミハエル・クルム氏と、別々の道を歩くことをお互いに話し合い離婚。#10(サイクル7)2,016年公私とも次の段階への準備にはいったのかもしれません。チャレンジし続ける伊達さんの次のステージーが楽しみです。
2016年(46歳)1月までWTAツアーに参戦。同年2月左膝半月板の内視鏡手術。#11(サイクル7)
そして4月選手復帰の為、再手術をし、現在リハビリ中。





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リーディングして・・・
今回、彼女をリーディングしたしていく中で【Birth】誕生数9は1-8の統合した数字ということが
実感しました。そのため感情のゆれが大きいと、感情のゆれが大きいということは、自分がぶれやすい。
プロテニスプレヤーはメンタルのスポーツ言われるほどのメンタルが大きく左右するスポーツ。
プロとして世界でプレーしていく中で、どれだけぶれない様に自分を内省し、その上、常に進化する強さを持つ為に、地道な努力を日々してきたかを痛感しました。

でもそこにはただ楽しい、好きだから、しやりたいからというシンプルな思いだけであったこと。
自分が楽しいという思いが、どれだけの力を持つのか。それは自分だけでなく多くの人を変化させる力になることを改めて思い知らされました。そしてこのレポートは私に必要なことを気づかせ、またいやおうなく自分を内省させられたか事かをこれを書き終えた今思います。

そして私の課題に目をそらしていたことを洗い出されたようでした。私も日々コツコツ努力を積み重ねていくことが必要、あきらめない、自分で限界を設定しないことを覚悟をきめてしていかなくては、と次の段階に行く為にと痛感しました。そして変化する一歩の勇気を私ももらったように思います。



Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th class
Akiko in Bunkyo class
by kej000 | 2016-12-26 21:56 | 数秘レポート

熱き男・みやじ「胸をはって生きていこう」*エレファントカシマシ宮本浩次



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宮本浩次
Hiroji Miyamoto
1966年6月12日生まれ 現在50歳

ミュージシャン エレファントカシマシのボーカル・ギター担当。
東京都赤羽出身。
1981年、中学の同級生で結成。エレカシの作詞作曲を手掛ける。来年はデビュー30周年、音楽にかける熱い情熱とパワー、進化し続ける宮本さんの魅力と人生をみていきたいと思います。




誕生数 
B22-13-4 (生まれ持った資質・性格・個性・潜在能力)
22は強い感受性を持ち、高い理想を現実化できるナンバーです。
爆発的なパワーを持つ数字でその熱い情熱を世の中に伝えてゆく表現者であります。
22の卓越した才能という面では、宮本さんは小学生の頃合唱団に入っていてソロを任されるほど上手かったそうです。デビュー時も「破格の新人衝撃デビュー」とその才能を見出されました。
そして「自分たちの音楽は自信がある」「ちゃんと表現できる力を持っている」と自分を信じることができる人ですが、4の真面目という数字、それも堅苦しいほど真面目で高い理想を掲げ中途半端なことは出来ない人なのです。しっかり現実を見て取り組む姿勢が自信を持って自分の能力を社会で活かす事に繋がっているのだと思います。
真面目さ、不器用さ、正義感、真っすぐなところ、情熱という個性を音楽という形でバンドのリーダーとして表現しています。
13いう修練のナンバーは創造と破壊を繰り返し常に学びを喚起される厳しいナンバーでありますが、その経験が歌詞となり音楽としてバンドを進化させ、多くの人々の心の拠り所となり心を奮い立たせるパワーとなっています。


運命数
D9(人生における使命・目的・仕事・ライフワーク)
9は全体意識の数字なので、多くの人に愛を与え広い世界にむけて発信し活躍できるナンバーです。そして混沌とし、迷い揺れやすいナンバーです。
9の正義感や混沌とする心情をエレカシの曲からも感じます。
色んな経験やすべての感情を受け入れ、正直に音楽にして発信してゆくことが多くの人に光を与え使命なのかなと思います。


ソウル数 
S10-1(魂の欲求・一番大切な価値観)
自分の直感を信じて型にはまらずどんどん行動し、オリジナルを生み出して表現してゆくナンバー。
宮本さんは「何でも自分でやんないと」というのがあり、まさに1のリーダー気質で独創性を持つ人です。全身全霊で音楽を表現し、多くのミュージシャンや芸人、タレントから尊敬されファンも多いところに、「意味もなくすごい、それが宮本」「規格外」「宮本が歌えばそれだけで新しい価値観」という声があります。まさに彼の絶対的な存在感や特別性が現れているのではないでしょうか。


人格数 
P8(他者の目に映る印象や雰囲気)
力強く、パワフルに行動していく印象のナンバー。
向上心があり野心に溢れた情熱的な人です。
まさに力強い歌声、情熱的にステージで活躍する宮本さんそのものの数字が表れていると思います。破天荒な部分、リーダーとしてワンマンな印象も強いですが、実際は中学時代から変わらず寄り添うバンドのメンバーがあってこそ、そういった部分も生かされているのでしょう。

実現数
R13-4(今回の人生の可能性や実現性)
破壊と再生を繰り返しながらもいらないものをそぎ取り、軌道修正をしながら現実的に社会へ音楽活動で表現してゆく。それが自信になり豊かになることでより音楽に集中でき歳を重ねるごとにより良いもとを世の中に届けることができるでしょう。

ステージ数 
12-3(活躍の舞台)
楽しみながら表現すること。
ミスチルとの対バン、齊藤和義はじめ66年代生まれのミュージシャンとのイベントなどもこれまでありましたが、色んな人と12のコラボをするということで自分の枠が広がりより豊かになるようです。また執筆活動や俳優業などエンターテイナーとして音楽に限らず活躍の舞台は広がっています。

チャレンジ数 
8(試練数、試される数字)
不可能への挑戦と開拓をすること。
謙虚に人の意見に耳を傾ける。
リーダーだがワンマンになり過ぎず人と協調してゆくことも大事だといえます。

Nature数 
11-2(素の性質)
豊かな感受性を持ちさらなる内面への探求へ向かう意識。
宮本さんはとても繊細でひと一倍内向的な性格といわれています。
そういった面が音楽で表現し能力を発揮されています。

Action数 
5(行動性)
現状にしがみつかずに変化してゆくナンバー。
宮本さんは常に新しいロックを実現させたいと、現状にとどまることなく走り続けたいという思いで曲作りに励んでいます。





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Cycle Numbers その時期のテーマ
Pinnacle Numbersその時期の状況 
Challenge Number その時期にチャレンジするテーマ



0~32歳
Cycle Numbers   6 高い理想を掲げながらも自分をあるがまま受け入れる。
Pinnacle Numbers 9 迷いながら不要なものを手放してゆき完成される。
Challenge Number 3 視野を広げて自分の感性を表現してゆく。

33~50歳
Cycle Numbers   3 多くのことを経験し発展させてゆく。
Pinnacle Numbers 7 多くの経験が可能性を拡大してゆく。
Challenge Number 
(33~41歳)  1 新しいことへの挑戦
(42~50歳)  2バランスを整えて調整してゆく。  

51歳~
Cycle Numbers   4 人との和を心掛け堅実に生きる。今後の計画。
Pinnacle Numbers 1 現実的に新しい計画を立て努力してゆく。
Challenge Number 2 自己中心的にならず受け入れ調和してゆく。




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HISTORY

Year Cycle

8歳 19-21 発展
NHK東京放送児童合唱団で声楽指導を受け始める
歌の才能がこの頃から開花されていきます。

12歳19-25 内省
小学生時代がおしゃべりで目立つのが好き、正義感が強いタイプでしたが次第に周りの鼻につき嫌われて無視されるようになりました。
孤独になり人の恐ろしさを知った彼は極端に黙るようになったそうです。

13歳19-26 繁栄
中学に入りエレカシのメンバーとの出会いがあり気の合う仲間と楽しい時を過ごす。
仲間から音楽の影響を受ける。

15歳19―28 再誕生
今のエレカシのメンバーである石森さんと富永さんを中心とする中学の同級生で結成され宮本さんが中学3年生の時加入しました。
新しい人生の道が開きました。。

19歳 2-5 不安定
人に対する不安感がひどかった時期。
一人恐怖に陥るが自分で分析できるから病気じゃないと思っていたようです。

20歳2-6 調和
オーデションに入賞、デビューのきっかけをつかむ

21歳2-7 ステージUP
エピック・ソニーよりシングル「デーデ」、1stアルバム発売

28歳3-5 変化
7thアルバム「東京の空」宣伝活動に力を入れたがこれを最後に契約打ち切り、所属事務所も解散となる。曲を聴き手にどう伝えるか分かってないとダメな事に気づきました。。

29歳3-6愛
新事務所契約、ポニーキャニオンより「悲しみの果て」をリリースして再デビュー。
メディアへの積極的露出により売り上げを伸ばす。

30歳3-7 ステージUP
アルバム「ココロに花を」10位 10万枚
この時、宮本さんは具体的に7万枚以上売ると現実的に数字を出して曲作りに励んでいました。

31歳3-8 達成
フジテレビのドラマの主題歌として発売された「今宵の月のように」が80万枚を超える大ヒットとなる。
アルバム「明日に向かって走れ 月夜の歌」2位とまさに達成の時期。

この2年間は大きな変化を遂げた期間で以前のエキセントリックで威圧的なアプローチを一転、感情豊かなメロディーをライブで爆発させるポップなやり方に変えようやく正当に世間に受け入れられました。
曲と詩に一番自信のあるものさえ作っておけば、あとはどういう風にみんなに届けばいいのかを考えるだけと、新しい可能性への挑戦。

33歳 3-10 再誕生
ポニーキャニオンとの契約が終了し東芝EMIに移籍。
ライブの名曲、シングル「ガストロンジャー」発売。
ハードなロックナンバーで更に進化、エレカシの再誕生。

34歳 3-11 分岐点
音楽活動と並行して執筆活動やドラマ「フレンズ」出演、多彩な才能を発揮。

37歳4-5 変化
知人に全財産を持っていかれたことにより、高級マンションから引っ越し。愛車を手放す。
自分が求めているものは・・・音楽一つあるだけで幸せ。より音楽に集中できる環境になったと言います。

この時期、アルバム「扉」のレコーディングでは、中年になり今までとは違う中年の良さをロックで実現したいと何度も葛藤しながらも熱い思いで臨む。
もっといけるんじゃないか、信じる力がどこまで強いか...そういった思いが曲にも表れています。


40歳 4-8 野心
デビュー20周年。ユニバーサルミュージックへ移籍。
新たな気持ちで活動できると前向きな姿勢。

41歳 4-9 完結
「俺たちの明日」がCMのタイアップにもなり、ヒットがその後も続く。

42歳 4-10 スピリチュアルホール
生放送のラジオ番組での曲の紹介に気分を悪くし、暴言を吐き反響。
後日、謝罪する。

46歳 5-5 変化
左耳が聞こえなくなり、急性感音難聴と診断され手術をうける。
当面のライブ活動休止となる。

病気になって、今まで無茶をしていた生活から早起きしてちゃんと食事をし、大好きなタバコもやめ生活を改めたそうです。
これからも歌っていくために、病気がいいきっかけになったといいます。

47歳5-6 愛
療養生活を経て約1年後、活動再開。日比谷野外音楽堂で復活ライブ。
デビュー25周年、自身最大規模であるさいたまアリーナで記念ライブを行う。

48歳5-7 飛躍
14年ぶりのドラマの主題歌「Destiny」リリース。

49歳5-8 活力
復帰後、初のアルバム「RAINBOW」
エレカシの変化を感じさせる作品となる。過去の自分を否定するのでなくどんな自分も認め前を向いて歩いていく…そんな思いが伝わる、力強いアルバムです。

50歳5-9 変容
TVドラマ初主演。約16年ぶりのドラマ出演となる。
来年デビュー30周年の弾みになり、これからの宮本さんにますます期待です。




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最後に
ある日何気なくTVを見ていたら、活動休止を経て、復帰したエレカシ・宮本さんが現れ、彼の歌う姿を見て感情が凄く揺さぶられ心に響きました。
それから数々の曲を聴き、レポートを終えてなぜ宮本さんにこんなにも惹かれるのか・・・
宮本さんは、物凄く真面目で不器用で、繊細で真っすぐな人。
いつも一生懸命、自分に正直に生きていることが音楽からも伝わりとても魅了されます。
宮本さんと同じ数字は8です。共通の数字を大切に、これからも熱い情熱を行動に起こしていきたいです。
いつも心を動かす「胸を張って生きていこう」という歌詞。色んな自分を受け入れ、そして胸を張って生きていきたいという自分の思いに気づきました。



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Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th Class
Kaori Date in Itabashi class
by kej000 | 2016-12-18 21:24 | 数秘レポート

自分を信じ続けた人の奇跡「奇跡のリンゴ」*木村秋則さん


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奇跡のリンゴ農家
木村秋則

Akinori Kimura
1949年11月8日生まれ



birth number 【誕生数:生まれ持つ素質】15-6 愛・調和
destiny【運命数:表面意識・天命・ライフワーク】15-6 愛・調和
soul【ソウル数:魂の欲求】 11-2 霊性・・天と地の橋渡し
personality【人格数:社会的な仮面】4 堅実・生真面目
realization【実現数:人生の可能性・目指す所】12-3 楽観・成長・発展

stage【ステージ数:人生の舞台】10-1 再誕生・開拓・新しいこと
challenge【チャレンジ数:人生の課題】22-4 創造・偉業
nature【自然数:素の自分】5 冒険・変化・知性
action【アクション数:行動パターン】3 発展・成長・遊び心




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【もの静かで控えめな外見から滲み出る、愛に溢れた本質】

『奇跡のリンゴ』という映画の主人公にもなった木村秋則さんは、それまで絶対に不可能だと言われていた無農薬リンゴの栽培に日本で初めて成功した方です。
主要なbirth numberとdestiny number共に『6』を持つ木村さん。
6は愛・調和と平和を意味し、自然を相手にする農業にもとても縁の深い数字です。6は陰陽の統合を意味し、理想と現実のバランスを取りながら調和し内面を成長させるナンバーでもあります。

他人からの印象を表すpersonarityは『4』で真面目で控えめな印象。

心の声を表すsoul number『11-2』は高度な霊性を示し、天と地の架け橋になりたいという、静かだけど凛とした真っ直ぐ突き抜けるような想いを心に抱き続ける人。
actionの『3』は人を和ませて楽しませる雰囲気を作っており、もの静かで不器用そうな印象の中にも思いやりが溢れ出る親しみやすい人柄、けれど真っ直ぐな芯の通った強い人だというイメージを抱かせるようです。

challengeは『22-4』で人生において大きな事を成し遂げるという人生の課題。

人生のゴールを目指すrealizationの『12-3』は人を楽しませたいおもてなしのナンバー。相反する1と2の意味を含んでの3であり様々な経験をして視野を拡大させるという意味もあり、challenge numberと共にその軌跡を彩るドラマチックな要素になっているような気がします。

リンゴを無農薬で作りたいと思ったのは、妻の美千子さんが農薬に過敏な体質で、度々農薬によるアレルギーで体調を崩して苦しんでいるのを見て放っておけないというところからでした。

人を癒したい、楽しませたいという本質を持つ木村さんが、それまでリンゴ作りに農薬は無くてはならないという、疑いもされなかった業界での常識を疑ってまでも無農薬リンゴを作ろうとした動機、それはまさに6の象徴する「愛」から発生する、人を楽しくさせたいという願いからでした。

小さいけれど何よりも強い愛という動機の種、それを天地を繋ごうとする揺るぎない意思が育み、そして絶対不可能だと言われていたりんごの無農薬栽培を夢物語で終わらせず実現させるという偉業に結実させたのかもしれません。



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<HISTORY>

【0~30歳】
〜青森からの上京と都会での自立、天命に向かう再誕生〜

cycle number『2』
pinnacle number 『19-1』
challenge 『6』

木村さんは1949年に青森県の農家の次男坊として誕生しました。
特別に裕福な訳ではないが一家で代々所有している農地があり暮らしに困る事も無いという平穏な幼少時代を送りました。

action「3」の物事に楽しみを見出して取り組める気質なのか、何にでも興味を持つ少年だった木村さんは中学になると機械を分解して仕組みを自分で研究し無線機を作り上げたり、物事の成り立つ仕組みに興味を持つとても好奇心旺盛な少年だったようです。

この頃の現状を示すpinnacleは「19-1」。
1は行動力などを示し、興味を持った事は次々と試し積極的にチャレンジしながらも、cycle平和、受容の「2」、平穏な環境に守られて伸び伸び過ごした子供時代が伺えます。

19はまた『力』の意味を持つ、家族からのしがらみから愛を学ぶナンバーでもあります。
stage numberの10-1は再誕生を意味し、幼い頃は良い家庭環境に恵まれるが、人生のある地点で生まれ直しをし、全く違う道を歩む事になります。

高校卒業後自分の将来を考えた時、家業の農業には未来の可能性を感じられないと思った木村さんは、都会へ出て会計士になろうと川崎の会社に経理として就職しました。
一度は故郷を離れたのも、家族からの本当の自立とは何か?を知るために本人の心が望んだ事かなのも知れません。

しかし間も無く家庭の事情でやむなく故郷に呼び戻され、22歳の時にリンゴ農家の婿養子になり、再びここから人生のテーマは大自然と共に生きる「農業」になります。

この人生舞台の突然の変化はまさに再誕生の10-1。

都会生きていくという自分の予想に反して再び青森に呼び戻されなければ、将来無農薬のリンゴを完成させるという壮大なストーリーも起きなかった事になるのです。

故郷に戻ってからしばらくは他と変わらない普通の農家として、数年後にはリンゴ以外の作物の栽培にも成功し、それなりの収入も得てに平穏に過ごせていた日々でしたが、農薬散布の度に起こる妻美千子さんの体調不良や、自然農法家福岡正信氏の本との出会いなど度重なるメッセージを受け、木村さんの気持ちは徐々に減農薬、更には今まで誰もやった事の無い無農薬栽培農法へと傾いて行きます。
そして30代になるこの辺りから運命は波の大きい次のサイクルへと徐々にシフトして行きます。


【31~39歳】
〜創造と破壊を繰り返し厳しい現実の中で限界を越えていく〜

cycle number『8』
pinnacle number 『13-4』
challenge number 『3』

1978年29歳の頃からリンゴ畑を完全に無農薬に切り替え、30代の始まりはまだ誰も足を踏み入れた事のない領域への未踏のチャレンジのスタートでもありました。

pinnacle numberの13-4は修練、破壊と創造を意味する厳しいナンバー。

自然栽培に取り組み始めた木村さんは、アイデアと希望に満ち、農薬の代用品になる、ありとあらゆる素材を次々と試して行きます。しかしその道のりは予想をはるかに越えて遠く、成功させる方法にたどり着くまで何度も様々な方法を試しては上手くいかずまた新しいアイデアを試す・・という日々の繰り返しでした。
3年経っても4年経ってもリンゴの花は全く咲く気配を見せません。
そんな事を繰り返しているうち、生活費にも事欠くようになり家族をも巻き込んで生活は破綻の一途を辿ります。
追い打ちをかけるように、そこまでしても信念を曲げない木村さんへ周囲の人々からの風当たりも徐々に強くなって行き、お金や地位などを表すテーマcycle8の厳しい現実と正面から向き合わされます。

challenge numberは楽しむという事を意味する3。
どんな現状でもそれを楽しむ事にチャレンジするという厳しい学びの意味にも取れますが、失敗をも楽しむ事が荒波を乗り越えていく唯一の秘訣だと教えてくれているような中々深い意味の数字です。

そんな状態がいつまで続くのか先の見えないまま精神的にも経済的にも追い込まれていった木村さんは、35歳のある夏の祭りの夜、ついに思い詰めて死のうと思い一人きり山奥へ向かいます。しかし皮肉な事にそこで偶然見つけた山に自生する野生のくるみの木の土から、無農薬栽培を成功させる決定的なヒントを見つけたのでした。
暗い闇の中で一筋の希望の明かりに出会った木村さんはそのヒントを元に一からやりかたを変え再びやり直そうと決意します。
そして、それが正解だったと答えるようにりんごの木は、1年、2年と徐々に花をつけていき、38歳の春、木村さんのりんご畑はついに花で満開となります。


【40〜48歳】
〜啓蒙活動、農業界からの風当たりと和解〜

cycle number『8』
pinnacle number『5』
challenge number『3』

cycle numberは引き続き現実的な物に向き合う『8』。畑の収量も徐々に増えて行き、経済的にもどん底だったころから段々浮上していきました。

challengeは楽しむという意味の他にも生産と知性を表す『3』
この頃から木村さんは長年身を以て会得した命を頂くという事の本当の大切さと、自然と戦わない自然栽培の素晴らしさを伝えるため、全国や時には海外を飛び回り農業指導や講演会を行っていきます。

現状のpinnacleは変化と冒険を示す『5』。
nature numberにも5を持つ為か重複した5の示す不安定要素や衝突といった出来事も続く時期です。
講演活動を始めた頃はまだまだ農薬を大量に使用する旧来の農法のみが常識だとして譲らない人々からの風当たりも強く、度々批判や嫌がらせにも合います。
しかしそういった数々の経験を乗り越えて時が経つにつれ少しずつ理解者も増えていき、批判していた人の中からも後になって共感してくれる人たちが現れるようになりました。

5は他にも知識の分野での啓発活動や知的分野や海外も意味し、まさにこの時期の流れにぴったりという感じでしょうか。


【49歳〜】
〜果物という物質の枠を越えて人々の心を元気にする奇跡のリンゴ〜

cycle number『5』
pinnacle number『7』
challenge number『3』

cycleの5は冒険と共に未知の世界を解明してそれを広めていく役割という意味もあります。

木村さんのリンゴはただ無農薬で体に良いというからだけで支持されているのではありません。食べる人の体を元気にするだけでなく、そこには育てる木村さんの愛と長年の経験から学んだ真実が栄養となり実となり、そのストーリーは食べる人の心も元気にしています。

そのリンゴは一つの果物という物質の枠を越えて人々に色々な事を伝えていきます。

無農薬栽培に挑戦するという天命に沿う人生を歩みはじめてからchallenge numberはずっと3でまるで波多き人生を歩みながらもそれを常に楽しむという人柄を物語っているようです。

pinnacleの7は探求。これまでに会得した研究や自分の体験を世の中へアウトプットするサイクルです。
木村さんのリンゴ栽培の記録は本にもなりyearサイクルも7に当たる2013年には『奇跡のリンゴ』という映画も製作されました。




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木村さんの人生の課題を示すchallenge number 22-4は現実社会において大きなことを成すマスタービルダーと言われるパワフルな数。まるで歩んできた道のりそのものを示している様な数です。

これほどまでに大きなことを成し遂げたのは、パワフルな推進力だけではなく、birth number とdestiny number 6の天命と感じることをコツコツ積み上げて行ける献身的な忍耐強さ。
それに加え実はかなり重要なのはnature数5の持つ革新性や旺盛な冒険心とaction数 3 の何事も楽しめる楽天的な遊び心の部分ではないかと思います。

人はただ前に進んで行くだけでは不意に強い横風が来た時に倒されてしまいます。

時にそれに一見横道に逸れているとも思える遊び心が加わる事で、一直線で平面的だったエネルギーにまさに3の示すような変化と循環が生まれ、起こる出来事に対して柔軟にいろんな角度から取り組んでいけます。

その時には意味を見出せない出来事も楽しんで経験する事によって肥やしとなり、そうやって喜び周り続けることで、小さな輪から年輪を増やし、いつの間にか年月を経て大きな素晴らしい1本の大木のようになっていったのかもしれません。

木村さんの生き方はこれからも多くの人を励まし続け、どんな事があっても自分を信じ続けたその先に人の心が発揮する力は奇跡と呼ばれる現実をも作り出すという、人間誰もが本来持っている無限大の可能性に気づかせてくれるのではないでしょうか。



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Reported by
Aeons Numerology Basic the 11th Class
Keiko Osawa in Itabashi class
by kej000 | 2016-12-18 20:56 | 数秘レポート

自由になる自由がある・・・*宇多田ヒカル

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宇多田ヒカル
Hikaru Utada

生年月日 1983年1月19日
33歳
出生地 アメリカ合衆国ニューヨーク州



2010年から「人間活動」ということで活動休止されていました ずば抜けた音楽性の才能、独特な感性の持ち主、宇多田ヒカルさん。「人間活動」という表現にもセンスを感じ、しかし変な違和感をも感じさせない。そんな風に感じるのは私だけでしょうか?
今年2016年に音楽活動(アーティスト活動)を再始動されました。
6枚目アルバム「Fantome」 CMソング、ニュースのエンディングテーマやドラマの主題歌を聞いてもやはり 彼女の存在感を感じる曲ばかり。
そんな宇多田ヒカルさんをリーディングしてみたいと思います。




Birth number 生まれ持った資質・才能・運命
『14-5』 自由、多才、変化
14-5は海外に縁のあるナンバーです。事実 彼女は出生地がアメリカ、2014年にイタリア人の方と結婚され、翌年2015年に男の子を出産。
結婚の前の年2013年は彼女の母親である藤圭子さんの自殺。宇多田ヒカルさんは初期からよく母親のことを歌っていて、ラブソングにおいてもその求愛の対象は実は母親なのではないかということは、彼女の熱心なファンならば気づいていたそうです。
そしてご自身の出産で母親になったことなどもそうですが、常に彼女の人生において
家族の問題を心で感じ、そこからの14-5の自由とは何か?がテーマになっているように感じます。
アルバムの「真夏の通り雨」の中で『自由になる自由がある…』という歌詞も印象的でした。彼女は5の生まれ持った才能である 音楽の力でお母さんを亡くされた 悲しみを乗り越えようとしているんだと感じざるを得ませんでした。それが今回の復活の大きな動機といっても良いのではないでしょうか。


Destiny Number  人生における目的・使命
『 7 』 飛躍 内省・探究心・独創性
バースナンバー5と言うところから自由がテーマであることを突き詰めていく、7の内省、
探求心、そして独自の感受性から独創的な音楽が生まれているそのような気がします。
また彼女はテトリス DSのエンドレス設定で、カウンターストップとなる99999999点を
記録されています。この記録からは探求心、と言う言葉よりはオタク的要素も感じられます。
そして宇多田ヒカルというアーティストは、ボツ曲がひとつもない とても珍しいアーティストだそうです。常にこれしか作れないというものに魂を込めて世の中に発信しているのも自分の経験を通して世の中へ広め、人々の心を豊かにすること。そんな使命を感じます。
彼女の言う人間活動や音楽活動 全てから精神性への目覚めを感じ取ることができます。


Soul Number 魂の欲求
『 9 』 完結 変容
魂の欲求やその人の大切にしている価値観です。
『 9 』は情緒豊かさと強さを持ち外交的ですが内向的という複雑な二極性を持っています。
自分の内にある崇高な信条を発見すること、自分も人も許すことで、全てを受け入れる真の強さ、エネルギーを得る。彼女の場合、音楽を通して人々を感化・強化させる才能を活かし、人を導く力を発揮するようです。
彼女は人間活動に入る少し前にブログで高校卒業からの10年を次のように振り返っています。
なんかもう、手探りで好奇心の赴くままあっちこっち迷走して、全然自分を大事にしないで、人と関わりあうってどういうことなのか、周りの人のことを大事にするってどういうことなのか学ばないまま、楽しいこともたくさんしたけど結局無責任で、だれもしかってくれない、仕事はうまくいっても実際は破滅街道まっしぐら…みたいな
それってめっちゃ青春やん!!
ずいぶん長い青春だな(笑)っていうか子供のままだったんだな。。。

複雑な二極性を感じつつ、自分のこれまでの人生に疑問を感じ悩みがちになっているのではと感じます。これこそ彼女の魂の欲求で新しい自分への変容を遂げようとしているのではと思いました。


Presonal Number 人からどう見られるか
『 7 』 飛躍 内省 観察 分析
洗練され個性的 がぴったりのように感じます。しかし彼女の身の上を知ると7の持つ内省からの飛躍が今は当てはまりそうです。
彼女が幼少期の頃から、母親である藤圭子は精神の病に苦しめられていたといいます。また「本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました」と苦悩したことをブログで綴っています。
当時のブログでも、“悲しい記憶が多いのに、母を思う時 心に浮かぶのは、笑っている彼女”と綴っています。
ドラマの主題歌になった『花束を君に』、『道』は亡き母へ向けたメッセージソングなのかもしれません。
彼女は運命数でも『 7 』がきています。母親の問題を通して自分自身の中に本当の自分を見つけ、自由とは何か的な精神性に目覚め飛躍していくことが彼女の人生のテーマと言っても過言ではありません。


Realization Number 人生での可能性・実現性
『12- 3 』 発展 表現 真実 楽観
3の持つ、精神的喜びを与える、表現する分野、芸術芸能と本当に今の彼女にぴったりあてはまるのではないでしょうか、感情を表現していくアーティストに多い数字です。
「子供ができたことで、母親を思うようになったそうです。すると日常的に藤さんの『幽霊』が目の前に現れた、『常に母親の存在を感じる』と周囲に漏らしていたそうです。子育て中、何をしていても悲しくなる時期が続きました。そこからかアルバムのタイトルである『Fantome』はフランス語で気配、亡霊 などを意味するそうです。

また ジャケットの彼女のビジュアルは、藤さんソックリ。それは、わだかまりが残ったまま離れ離れになった母への『成仏してほしい』という思いからだそうです。アルバムを出したあと、宇多田は『気持ちが落ち着いて、母を見ることが少なくなった』と周囲に話しています。
このエピソードからも表現力、感性、直感力を惜しみなく世の中のために使うパイプを音楽を通して創ること、自分の感情を誠実に表現し、内的エネルギーを ここも音楽を作ることで解放することに繋がるのではと思います。
そして 母親との関係に悩み続ける彼女ですが 3の持つ楽観的に、Biethの5の自由にで楽観的に自由に親に縛られることなしに 生きたいという思いを抱き続けているのかもしれません。


Stage Number 持ち合わせた能力をどんな舞台で発揮するか
『 11-2 』
2の豊かな感受性、高い芸術性、鋭い直感力、そして天才的な能力は今の音楽の世界で発揮されていることばかりだと思います。しかしそんな能力とはうらはらに内面的苦悩がつきないのかも知れません。


Challenge Number この人生でチャレンジすると決めてきているNumber
『 12-3 』 
感情を表現していくアーティストに多くみられます。12-3なのでコラボするとすばらしいものが生まれるのかもしれません。実際、今回のアルバムには1998年に同じレコード会社からデビューした同期の椎名林檎とコラボしており、他にも数名ともコラボしています。


Nature Number もって生まれた性質・要素・特性
『 5 』
Birthにも5がきていました。自由、多才、冒険、変化 と本当に内面の自由を見つけるために冒険をしている 彼女の人生そのものではないでしょうか。
5の人は、自分の目標を絞って一つの分野を極めるということが人生の中でテーマとなってくるでしょう。そして それは「本当の心の自由」を手に入れるためなのかもしれません。


Action Number 行動のパーターン
『 1 』
彼女の才能から音楽界での絶対的存在であり、自分の創造性を表現していくこと ピュアな心で「どう生きて生きたいか?」そこが彼女の行動パターンの原点のような気がします。




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Cycle numbers 0-31才 その時期のテーマ
『 1 』
ニューヨークの小学校に通っていた頃は2年から4年に飛び級しており、日本では清泉インターナショナルスクールへ通っていたが 芸能活動禁止の学校であったためアメリカンスクール・イン・ジャパンに転校した。そこでも1年飛び級しており、コロンビア大学に進学するが休学の末に中退している
このような大学こそ中退しておりますが学歴からも知的で特別性を感じます。

Pinnacl numbers  0-31才 その時期の状況
『 2 』
調和・強調・受容 
内面の調和と統一を計り 流れを受け入れ 与えることと受け取ることのバランスを計る時期だったようです。
1998年15才のとき『Automatic』でデビュー。累計出荷枚数は255万枚を超え当時はとても話題になりました。そして1stアルバム『First Love』も累計売上枚数765万枚を超え 日本国内の歴代アルバムセールス1位になっているほか2ndアルバム『Distance』では初週売上枚数が歴代1位となる300万枚を記録している。
また、2007年発表の「Flavr Of Life」は当時のデジタル・シングルのセールスにおいて世界1位を記録しました。
そしてイメージの世界での価値ある創造物を現実社会で具現化することがテーマだったのではないかと思います。


Challenge numbers 0-31才 その時期にチャレンジするテーマ
『 9 』
2010年8月から『人間活動』のためとアーティスト活動を無期限休止することを発表しました。のちに対談で語っていたことは「こういう世界からいったん離れたくて、いったんリセットしたいなと。段々わからなくなってきて、みんなに求められている私と、ただの私が離れていくみたいな。行きたい方向に行っていない、かといってどこに行きたいかもわからなくて、『いったん止まろう』と語りました。若干15才からスターとなったが故の苦悩が感じられ、まさに複雑な二極性、現実的で非現実的であるとも受け取れます。
活動休止中の音楽との付き合い方について聞かれると、「音楽はもちろん聞いてましたが、まったく歌ってはいなかった。ほぼ6年間歌っていませんでした。マイクを通して集中して歌うとかはまったくありませんでした」とコメント。歌からは完全に距離を置いていたことを明かしています。
音楽的な行き詰まりではなく、思春期からの本当の自分を感じなおしたかった、取り戻したかった、つまり9の持つ『 変容 』をテーマとしていたのかもしれません。


Cycle numbers その時期のテーマ 32-49才
『 1 』
33才で6枚目アルバムを発表しアーティスト活動へと復活をはたしました。
コピーライターの糸井重里氏から活動休止前は「歌いたくて仕方ない にしては苦しそうだった」と指摘されると、彼女は過去の自分について「確かに苦しそうな歌い方してましたね、休んでいる間に一番変わったのはそこで、苦しくない歌い方ができるようになったんです。」
また、『人間活動』は楽曲自体にも変化をもたらした。これまでどこか空想的な雰囲気だった曲にリアリティが増し、「あなたの音楽はより肉体的になった」との反応があったそうです。
彼女はそれを「一番うれしかった」と語り、
「すごく受け入れられた気がした。勇気を出して裸になって、それをちゃんと受け止めてもらえたんです。それは私がリアルな生活をして、“宇多田ヒカル”というイメージや求められているものから離れて、普通のことをしていたっていうのも理由だと思う」。そう語っています。
『人間活動』を経て彼女が得たものは とてつもなく大きなもので絶対的な存在がゆるぎないものになったことは言うまでもありません。過去にとらわれることなく、「今ここにある自分を見つめる」、不要な物を整理し、つまり親を喜ばすためにやってきたという音楽を一旦、手放し 一人の人間として成長し、新しいステップへと向かうことがこの時期のテーマではないかと思います。


Pinnacle numbers その時期の状況32-40才
『 4 』
2014年、バーテンダーのイタリア人の一般男性と再婚します。そして翌年 2015年、男の子を出産します。新しい家族を手にし 現在はロンドンに生活の拠点を構えているそうです。
4の持つ安定という言葉通り、家族という新しい基盤を形成し固定していく そんな時期のようです。現在の家族を通し、この世の秩序、法則をみぬき、ものごとの本質を明らかにしてゆくことが大切になるでしょう。


Challenge numbers その時期にチャレンジするテーマ32-40才
『 2 』
2014年に再婚し、家族ができたことで協調性、受容を学び、変化を受け入れていくことが
彼女のこの時期にチャレンジすることだと思います。






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History

Year Cycle
1983年  誕生   5
彼女はアメリカで父宇多田照實と母藤圭子のもとに生まれました、産まれてきたときは息はなく心配停止の状態で医師にはあきらめてくださいと告げられた父親はなりふり構わず 懸命に赤ちゃんの体をマッサージしたそうです。そして心臓が動き出し、大きな産声をあげたそうです。
生まれた瞬間から死から生へと変化をとげたとも取れます。
15才までの彼女はアメリカと日本を行き来し、突然の引越しを余儀なくされることが多々あり、友達にも挨拶できずでとても悲しい思いをしたと語っています。
彼女の10代は自分の中にこもることが多かったそうです。7才のときに一桁の3へと下がっています。創造や表現がテーマとなりますが自己不信、表現への恐れ、過敏と落胆が3の持つ意味に含まれています。

1998年  15才  11  
『Automatic』でデビュー売上枚数100万枚を突破してミリオンセラー

1999年  16才  12   
1stアルバム『First Love』を発売 歴代アルバムチャート1位1999年
『Movin’ on without you』を発売『First Love』をリカット『Addicted To You』を発売

2000年  17才  4  
『第 72回選抜高等学校野球大会』入場行進曲に「First Love」が使用された
5thシングル『Wait & See ~リスク~』発売 6thシングル『For You/タイム・リミット』発売
コロンビア大学へ入学

2001年  18才  5  
7thシングル『Can You Keep A Secret?』発売 2ndアルバム『Distance』発売
8thシングル『FINAL DISTANCE』発売 9thシングル『traveling』と
ライヴDVD『UtadHikaru Unplgged』を同時発売

2002年  19才  6  
コロンビア大学休学を明かす 卵巣腫瘍の手術行う
10thシングル 『光』発売 11thシングル『SAKURA ドロップス/Letters』発売
3rd アルバム 『DEEP RIVER』発売 紀里谷和明との結婚を発表
             
この年の 6 は慶弔、病気という意味があります。15才から10代後半を走り抜けてきた彼女ですが身体は正直に反応したように思えます。そして卵巣腫瘍の手術のあと ホルモン剤での治療で一定期間ですが体調をくずし活動休止になります。

2003年  20才  7  12thシングル『COLORS』発売

2004年  21才  8  13thシングル『誰かの願いが叶うころ』発売

2005年  22才  9  15thシングル『Passion』発売

2006年  23才  10  16thシングル『Keep Tryin’』発売  4thアルバム『ULTRA BLUE』
            17 thシングル『ぼくはくま』発売

2007年  24歳  11  18thシングル『Flavor of life』発売 紀里谷和明との離婚を発表している
            19thシングル『Beautiful World/Kiss& Cry』
この年は紀里谷氏との離婚しています。11の年なので独りの時間が必要となったのかもしれません。真の目標に向かって目標をしっかり掲げる年となったのだと思いました。

2008年  25歳  12 20thシングル『HEART STATION/Stay Gold』発売
            5thアルバム『HEART STATION』発売

2010年  27歳  5  1月から2月にかけて、初の北米ツアー『Utada "In The Flesh" 2010 Tour』を開催し、ロンドン公演含む全10公演を行った。
8月、アーティスト活動を止めて『人間活動』に専念すると発表

2013年  30歳  8  母である 藤圭子さん自殺

2014年  31歳  9  イタリア人男性と再婚

2015年  32歳  10 男児出産

2016年  33歳  11 6thアルバム『Fantome』発売 人間活動から復帰を果たす

人間活動に入られた年が『 5 』とBirth numberと同じです。
ここから5の周期になり 新しい音楽を創作するために人間的な生活がしたいと、5の持つ変化を運命でもあるかのように自ら選んでいます。彼女が生まれたとき、息がなく、医師にも諦めるよう告げられたにも関わらず息を吹き返したのと同じように彼女は人間活動を経て生まれ変わったのではないかと感じざるを得ません。
母親を亡くされた年は8で受容性と強さ、その強さとは悲しみのパワーを現実的に新しいアルバム『Fantome』を出すという方向へ向け、きっかけともなったようです。翌年、イタリア人と結婚をされます、その年は9。ドラマチックな時期であり変容のときだったのかも知れません。
結婚の翌年は10で出産をされました。お子さんができたことでいままでの価値観が変わり意識の断捨離ができたかのしれません。曲を聴いて専門家たちも彼女の作る曲は別格でもう次元が違うのだそうです。人間活動の中には母親の死もあり、結婚あり、新しい生命の誕生と経験して、彼女の歌声の根底は切なさ、はかなさだったようですが、そこへ自身が母親となったことで温かみも加わったのではないでしょうか。




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~宇多田ヒカルさんをリーディングしてみて~

彼女が『Automatic』デビューされたときは鳥肌が立つくらいの衝撃を受けました。
若干15才の子がこんな曲を作り、歌っていることにもびっくりしました。特に彼女のファンだったわけではありませんが彼女の出すアルバムや曲は持っているものが多いです。
Birth number 『14-5』 自由、多才、変化 は彼女の人生を調べれば調べるほど14-5と言う数字が物語っていることに驚きました。『 7 』という数字が2つあったので 色々な経験を通して自由や変化を探求し尽くし、音楽で世の中へ発信し精神的成長をしていく、素晴らしい人生な気がします。
そして母親の藤圭子さんが波乱な人生を送られてきたことは知っていましたが娘の宇多田ヒカルさんもこんなにも親子の問題として心に大きなものを抱えていたんだということを知れたことが今回、私にはこの講座を受けて得た中で一番占めていることかもしれません。
私と宇多田ヒカルさんとのNumberはぜんぜん違いますが、私の娘は抱えている問題があり、今も世間一般的な生き方はしていません。そんなところから娘の思いを宇多田ヒカルさんに重ねながらレポートを書いていました。
宇多田ヒカルさんの生い立ちからも普通の子供とは違う生き方をしてきて、歌も親に進められたから、親が喜ぶからはじめたといっています。そんな環境から親からの呪縛みたいなものがあって、心の自由を求めるのかもしれません。このことに気づいて宇多田ヒカルさんをとおして娘を見たとき、やっぱり自分の心の叫びと同じなのかもしれない、やっぱり自分を重ねているんだと感じました。
彼女の生き方は自分の心の中をよくよく感じ取って、魂に嘘をつくことなく生きているのではないかと思います。
このリーディングをして私の娘ももっともっと素晴らしい人生を自分の手で切り開いていくのではないか、そんな風に思わせていただけたリーディングでした。


Reported by
Aeons Numerology the 11th Basic class
Yoko in Itabashi class
by kej000 | 2016-12-17 23:19 | 数秘レポート

孤高の自由へ * マツコデラックス

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マツコデラックス
松井 貴弘
MATSUI TAKAHIRO
1972年10月26日


テレビで観ない日はないくらいに活躍されているマツコさん。
人を傷つけずに弄ぶ?話術、画面からはみ出るほどのキラキラした好奇心、そして最後にポロッとこぼれる愛ある言葉、そのどれもが魅力的です。
なぜこんなに気になるのか?数秘でマツコさんを丸裸に??



誕生数10-1
(生まれ持った資質、個性、生きる姿勢や才能、潜在意識、普遍的な深いレベルでの目的、学ぶべき教訓など)

周りを圧倒する絶対的な存在感、唯一無二のキャラクター・・・#1はまさにマツコさんのイメージ通りのナンバー。発せられる力強いエネルギーはどうにも見る者たちを引き寄せますが、油断するとその冷静で鋭いコメントにバッサリ斬られる危険もあり。片やマツコさんが子供のようにピュアで裏表のなく感情を露わにする時、私たちは彼女から目が離せなくなってしまいます。

カルミックナンバー#10は、生まれながらの環境や与えられた価値観と本当の自分との間で迷い、悩み、ある人生のタイミングで全く新しい別の道への変化がみられるナンバー。答えを急いでしまいがちですが、ゆだねる方向へ行けるかどうかがカギとなります。幼少期から他者とは違うと認識せざるを得なかったマツコさんは、嫌でも 「いかに自分でいられるか?」 ということを意識せずには生きてこられなかったのでしょう。

「当初テレビに出るつもりもなかったんだけど、流れに身を任せるままに生きてきたら、今みたいな状況になったの。(中略)本能に逆らわずに流れに身を投じて生きてきた結果、自然とこうなったのよ。人生その繰り返しだった。」
「何かここは引っかかるな」という思いがあれば、その積み重ねが絶対何かにつながってくると思う。クソっと思いながらも、そのクソっという思いを積み重ねることによってどうしても我慢できない感情みたいなものが1個生まれてくるから。」

自身の想いで動くのでなく、自分のスピリットの領域で動いていることが感じられます。

「人間、自分のために生きているうちは幸福は感じないのよ。(中略)やっぱりヒトサマや別の生き物に愛情を注いでいるときが、いちばん幸福なのよ。(中略)分かっているんだけど、そんなときに “お前がそんなに簡単に幸福を手にしていいのか?ああ、見損なったよ“って、何かヘンな人が言ってくるのよ。そいつが、もう、”孤独と戦え!!“ってうるさいの。」

最近動物が好きになり、ペットを飼ってしまいそう・・・と不安がっているマツコさんですが、簡単にペットに逃げてしまってよいのか?と自問するあたり、もう意識レベルが異なっている気がします。冗談ではなく、マツコさんが救うのはペットレベルではないと自身の本能では悟っているのかも。最終的に人道的な目的や人に癒しを与える方向へ進み、世の中を導いていく指導者的な役割を担うのではないでしょうか。


運命数 13-4
(表面意識、与えられた才能や個性をどう生かしていくのか、人生における目的・使命、何を実現していくべきか、など)

カルミックナンバー#13は、創造と破壊を繰り返し、学んでいくナンバー・・・心の傷、多くの悲しみを経験し、その度に乗り越え、変容する修練を経験してゆきます。そして、その経験を生かして人を癒し、循環させていきます。

幼少期から自身が同性愛者(ゲイ)だという自覚があったというマツコさん。その葛藤は如何ばかりであったでしょう。幼いころのエピソードからもそれを窺い知ることができます。まわりの同級生が子供に見えて、遊んでいても全然楽しくなかったため、本能の赴くまま登校拒否した小学校時代。女の子を好きになれないと自覚していた上に、太っていた思春期。“みんなと一緒”を好む日本の学校教育や、周りの目が気になる多感な時期にあって、いくら成熟していたマツコさんでも悩まないわけがありません。

高校卒業後、美容学校に行くも、才能がないと感じあきらめ、その後ゲイ雑誌で編集者としての道をスタートさせるも、人間関係がうまくいかずに座絶。深くお付き合いしていた彼とも別れ、そこから実家にもどり引きこもり生活が始まります。
マツコさんは、自暴自棄になりつつも、#4本来の良さを生かし、忍耐強く着実にプロセスを踏んで、少しずつ目的を実現させてきました。このように数々の経験をされたマツコさんだからこそ、その言葉の中に愛とか優しさを感じて癒されるのでしょう。


ソウル数 30-3
(魂の欲求、深層心理、一番大切な価値観)

#3のナンバーをソウルに持つマツコさんは、まさに表現したい人。人に喜びを与える、人を楽しませるエンターテイナーであると思います。マルチで、遊び心や好奇心があって、感性が豊かで、表現していくこと、人に光を投げかけていくことで、マツコさん自身も喜びを強く感じているはず。

もともと雑誌の編集で注目され中村うさぎさんに見いだされてコラムニストとしてデビューされたので、どちらかというと活字の世界で活躍されていましたが、テレビの世界へ進んだきっかけは、初めてテレビの世界の人たちとお仕事した際に、「アタシ、この人たちと仕事をしていくんだわ」と、ビビビっと来たとのこと。

#30-3ですから、スピリチャルな直観力も豊かに発揮されるでしょう。テレビの方が反応をダイレクトに感じられる機会も多く、循環していく感覚が大きいことも、マツコさんがテレビの世界の方が合うと感じた理由のひとつかもしれません。

またマツコさんの場合、数々の苦難に直面してもそこからの復活が早く、「なんかもういいや!」とか、「なるようになれ!」と思った等のエピソードが多いのは、この#3の明るさが影響しているような気がします。
また中村うさぎさんに見いだされたのエピソードにもあるように、何らかのサポートを得やすいことも#3の特徴です。


人格数 10-1 (社会的な仮面、第一印象、他者に映る自分、表面的人格)
誕生数と同じ#10-1であるので、自分の内面と他者から見た自分にブレがないので、より強力に絶対的な存在感や特別性を印象づけます。


実現数 5(人生での可能性・実現性、どのような分野で活躍していくのか、など)
#5はマルチで、知性高く、芸能度数も高い。流行に敏感でトークもうまいので、テレビなどの表現の世界にピッタリはまります。
未知の世界を解き明かしそれを広く教えていくこと、まず自分が変化して人に刺激を与えていくといったミッションがあるので、今後の活躍はバラエティーだけにとどまらない可能性もあります。


Stage数 33-6 (活躍する舞台)
#6は愛と美と調和を求めていくナンバー。まず自分を愛し、家族を愛し、それから人を愛すること、あるがままを受け入れることを学んでいきます。世のため人のための仕事、美に関する仕事にかかわるナンバーで、芸能度数の高いナンバーでもあります。マスターナンバー#33という神おろし的な非常に高いバイブレーションの影響もありますので、最終的には平和や愛の世界を実現させるために活躍する方向に向かおうと決意なさるかもしれません。


Challenge数 20-2 (試練数、チャレンジする課題)
女性性を表すナンバー。マツコさん的には必須のナンバーでしょう(笑)マツコさんが良き相談相手的な絶対的安心感があるのは、#20-2というナンバーが示すように、スピリチャルな直観力や洞察力を生かして穏やかに自身のそして周りの変化を受け入れてきたからでしょう。


Nature数 8 (素質、素の自分、自然体の自分)
マツコさんは周囲を巻き込むほどにパワフルで情熱的、且つロマンチストな面もありカリスマ性十分で非常に魅力的です。

一人で向き合う作業の多い執筆活動よりも、組織やチームで動くテレビの仕事の方が本来のリーダーシップが発揮できて向いているというのもこの#8というナンバーから伺うことができます。これだけの影響力があるのですから、今後はテレビや日本を超えた大きな世界で新しい価値観を生み出すような、そんな力を発揮されるかもしれません。


Action数 4 (行動パターン)
自分の才能を生かし、着実に一歩ずつ目的を実現させるプロセスを学んできました。
美容学校も雑誌の編集も辛かった数々の出来事もすべて基礎があって、今のお仕事に生かされています。




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Cycle Number (環境や大きな流れ、向き合うテーマ、どういう学びをしているか)
Pinnacle Number (人生の山場、その時の状況やあり方、どんな状況の時期か)
Challenge Number (挑戦する課題、遭遇するトラブル)


0~35歳

Cycle#1/Pinnacle#9/Challenge#7
新しさを求め、独自性、独創性を大切にしながら、自分自身を模索していた時期。多くの経験を通じて視野をひろげ、より深く学んでいくことで、才能を開花させました。

(注)以下すべての年齢は、あくまでもご本人の著書等の記載からの推測であり、正確かどうか確認されたものではありません。


10歳 (Year Cycle #11)  
女の子を好きになれないことを自覚。
「周りに合わせるのがつらくなっちゃったの。子供でいるのが疲れちゃって」と小学校時代に不登校に。その後、「なんかもういいやって思ったの。仲良くする必要もないし、ひとりでいいや、って」と学校に復帰。

13~15歳 Year Cycle #5~7)  
中学時代。デブでゲイだが、「もうこうなったらなるようになれ!」と開き直る。

19歳 Year Cycle #11) 
アカデミックなゲイブームに影響される。

20~25歳ごろ Year Cycle #12、13、5、6、7、8) 
自分ことを見つめなおし、ゲイ雑誌の編集部に転職。
「何かしら世の中を変えていけるかも」と使命感を持つ。が、職場の人間とぶつかり5年ほどで退職。

25~28歳ごろYear Cycle #8~11)  
実家に戻り引きこもり。その後実家が引っ越すことになり実家を出る。

28歳ごろ  Year Cycle #11) 
中村うさぎさんに出会う。
「アンタは書くべき人間だ」と言われ、マツコデラックスの名前でコラムニストとしてデビュー。


29歳ごろ  ear Cycle #12) 
中村うさぎさんの対談集に当時無名ながら抜擢。

33歳ごろ Y ear Cycle #7) 
TOKYO MX 「2時に夢中!」に出演。

34歳ごろ Year Cycle #8) 
TBS 「ピンポン!」に出演。


36~44歳

Cycle#8/Pinnacle#9/Challenge#7
冠番組がどんどん増え、まさにこれまでやってきたことが結果に出るサイクル#8。
でもその達成に甘んじることなく、忙しさの中でも自分がブレることなく、良い環境に身をおいて高い意識をもつことが大切。
精神性に目覚め本来の自分を内省していくことで更なる飛翔があるでしょう。


37歳Year Cycle #11) 
フジテレビにて自身の冠番組「マツコの部屋」開始。

39歳Year Cycle #11) 
ラジオでも冠番組「井筒とマツコ禁断のラジオ」開始。
「マツコ&有吉の怒り新党」「マツコの知らない世界」など開始。

40歳Year Cycle #14) 
「月曜から夜更かし」開始。

43歳Year Cycle #8) 
「夜の巷を徘徊する」「マツコ会議」開始。その他、多数出演。
最愛の母が他界。



45~53歳

Cycle#8/Pinnacle#9/Challenge#9

54~歳
Cycle#19-10-1/Pinnacle#11-2/Challenge#9

現在44歳のマツコさんは、今後このまま順調に成功を収めつつ、よりスピリチャルな、全体意識へと移行していくでしょう。
カルミックナンバー#19 がありますので、最終的に自我を超えて、真の力のあり方を普遍の真理を学ぶことによって自立し、本当の意味での自信と威厳を現実社会で確立することを学ぶでしょう。




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マツコさんは昭和一桁生まれの慎ましいご両親の元に生を受けました。
母が39歳という、当時にしては高齢にて授かった大事な一人息子であっただけに、マツコさんは「女装でゲイ」ということをなかなか家族に打ち明けられず、苦悩されていました。
そこに「無職」という状況が加わった引きこもり時代はなおさらです。

特に内面で女性性を持つマツコさんは特に母親との関係が良好ではなかったようです。そんな中自宅が引っ越しすることになり、母親から並々ならぬ気迫で「今度の家には連れていけない。自分ひとりでなんとかしなさい。」と言われ、そこからボロアパートに引っ越し、消費者金融からお金を借り、執筆活動やドラッグクイーンなどをしてどうにか生活してゆきます。

その後徐々に売れてきて、処女作出版後はテレビ出演の話しが殺到するも、「母に見られたくない!」の一心でメディアへの露出をさけていました。ただ一回「サンデージャポン」に出演したものの、その結果はマツコさんの思うようなものではありませんでした。
「まともにコメントしたところで、結局はアタシの化け物ぶりが強調されるだけで、だだ醜態を晒すだけになってしまい、両親に申し訳ない、全国の同性愛のみんなに申し訳ないって、ひとりになった途端に号泣したわ。(中略)そのときアタシは思ったわ。ほかの出演者と同等に扱われるためには、同性愛者でもなければ、もちろん女装癖でもない彼ら、彼ら以上の力を手にいれなければならないって。」

その後、母親にみられないようにローカル局で力を蓄え、今のマツコさんへ成長してきたのです。マツコさんはこのローカル番組を母親は見ていないとずっと思っていましたが、なんと実は見ていた!という衝撃の手紙を母親から受け取ります。最後の一文は「今日も5時の生放送をみます」だったそうです。

「思わず大笑いしちゃったわ。そして孤独ではない自分を再確認し、号泣したわ。そんなあたしは絶対的孤独に耐えられるのだろうか。孤高の自由を手に入れられるのだろうか。」

マツコさんの最近の言葉に“孤独”がよく出てきます。
マツコさんのように少数派で時に社会的弱者になりがちな方は確かに孤独と向き合うことを余儀なくされることがあるでしょう。でも一方で差別されていて仲間外れだからこそ、誰にとっても“敵”にならない“ことを、毒舌であってもひとから嫌われない理由としても挙げています。


私たちは人生の中で、日々の生活の中で、当たり前のように、役割を生きています。
娘として、妻として、母として・・・いつの間にかそういった役割に存在意義を見出し、いつしか自分不在になっていることが多いのではないでしょうか。マツコさんのお母様が断腸の思いで、母の役割を手放し、マツコさんを突き放したことを契機に、今度はマツコさんも、男だとか、息子だ、長男だ、といった役割を全部とりのぞいて、男性・女性といった性を超え、そんないくつもの役割の先にある自分本来の光をつかんでいったからこそ、大きなチャンスの流れにのり、今の成功がつかめたのではないでしょうか。

惜しくも今年最愛のお母様を亡くされたそうですが、マツコさんがマツコさんとして活躍されていることをきっと天国から温かく見守っていらっしゃることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。

マツコさんのリーディングを通じて・・
自分らしく生きる。本当の自分に再生して生きていく。
私たちはいつだって、何回だって変わっていけるんだ!
私が本当に知りたかった答えがそこにありました。

最後に・・
偶然にも私とマツコさんは誕生日が同じ、Year Cycleも同じで、しかもひとりっ子など共通部分があることがわかりました。
彼女に勇気をもらって、私も自分を信じようと思いました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




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Reported by
AEONS Numerology Basic the 11th Class
Yuka in Meguro class
by kej000 | 2016-12-14 11:23 | 数秘レポート

自分のじゃまをするやつは、たいてい自分なのだ*糸井重里

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糸井重里
ITOI SHIGESATO
1948年11月10日生


群馬県前橋市
コピーライター、エッセイスト、タレント、作詞家など多くの顔を持ち
株式会社ほぼ日 代表取締役社長。日本モノポリー協会会長。妻は女優の樋口可南子




Birth Number『深層意識』 

#25-7   7  飛躍

探究心、独創性、分析力と直観力のナンバー
専門家、マイペースを示す数字です。物事をあらゆる角度から深く分析したり興味のある分野に関して非常に詳しい。不思議なことに興味がある。また興味のないことには目もくれず少し凝り性なところがあるでしょう。ですので中途半端になるのを嫌い納得いくまでは気が済まない性格でもあります
現状に満足せず、絶えず自らや未来を変えていこうとする意志や力や内的情熱を秘めている人。

べたつきは好まないまでも友情には厚く意外な社交性を発揮することがあるでしょう。ただ基本的には一匹狼タイプなので共同でやる作業よりも、単独作業や活動向きといえます。コピーライターというゼロから生み出していくクリエイティブな仕事に大変向いています。僕は「仕事をするのが嫌」というのが前提としてあるんです。小さいときから会社に勤めるのが怖くてしょうがなくて。夢に見るほど嫌でした。「何時から何時 まで会社に来い」と言われて喜んで来る人がいるとは、僕はいまも思っていません。皆いつでも「どこかに遊びに行きたい」と思っている。そのことを前提に組織や仕事のあり方について考えてきたというのが本音なんですねとご本人もおっしゃっています。

「仕事は無いけど儲かっている」より「仕事は忙しいけど稼ぎが少ない」ほうが、より楽しいのではないかと常に考えている。オリジナル商品の「ほぼ日手帳」も手帳に満足した覚えが無かったため「自分が欲しい」が動機で売れる物なら何でも売りたいというのではなく、商品も読み物も、すべてコンテンツ『やりたいことしかしたくない』と。

僕は、バンドマンが観客を呼ぶために工夫するのと同じようなことをやってきました。ミュージシャンが最初にギターを習うとき、ギターでどう稼ぐかではなく、「どういう音楽をつくりたい」「どういう演奏をしたい」といったことを真っ先に考えると思います。利益や売上、顧客の価値について考えるのはずっとあとになってからだと思うんです。たぶん僕も、「まず音楽がつくりたかった」というミュージシャンと同じような感覚で経営してきたと思います
この発言も、物質的な利益より夢や希望を大切にする#7らしい発想だと思います。


Destiny Number『表面意識』
#66-12-3   3 発展

表現、生産、社交的、育む
いつでも楽観的であり陽気で前向き多くのことに興味を持つ人生。豊かな表現力を活かしてクリエイティブな仕事は天職です。成功を左右する最大のカギは人脈の開拓であり、多くの人と接して沢山の意見や情報を得ることが大切です。糸井さんは多種多様なジャンルの方々と交流し、色々な方面でのチャレンジ、活躍を見ていると#3を存分に活かして社会に打ち出しているのだと思います。社交的で、いつのまにか人気者になって他者からサポートが受けられる人ですが、自分の事務所のスタッフの友人であるみうらじゅんが盛んに出入りするようになり、それを「ガロ」の編集部に紹介し漫画家デビューのきっかけをつくるなど、自分だけでなく人の幸せも願える人です。
                       


Soul Number『魂の欲求』
#45-9-9   9 完結

#9はすべてを受け入れるという意味です。
人の影響を受けやすい数字ですが、自身も周りに大きな影響を与え感化させていく人です。
Soul#9は思いやり深く包み込む愛。絆の深い結婚。

1981年に一般女性と結婚し娘が生まれたものの、翌年の1982年には樋口可南子との不倫が発覚。その際、糸井さんは報道陣に対し不倫を認め、妻も不倫を容認しており、樋口さんも不倫関係で納得しているという「公然不倫」の状況でした。その後、離婚が成立し晴れて不倫関係を清算し結婚に至りました。ふたりの結婚生活は現在も良好で、「ほぼ日刊イトイ新聞」に樋口さんが登場したり、樋口さんの著書に糸井さんがアドバイスしたりと、公私ともにかけがえのないパートナーとして夫婦生活を歩んでいるようです。

(絆の深い結婚)
おふたりの間に子供はいません。糸井さんには娘が一人いますが、その娘が大きくなり、状況が分かるようになってから樋口さんと一緒になりたかったそうで、その結果が10年以上の不倫ののちの結婚だったようです。娘さんは「あんだ」というペンネームで「ほぼ日刊イトイ新聞」にもたびたび登場しています。そこでは糸井重里に対する思いや、幼いころの思い出話も披露しており、親子関係はいたって良好なようです。

(思いやり深く包み込む愛)
仕事に関しても、僕はただ、「こうしたら人が喜ぶんじゃないか」「こうしたら自分が気持ちいいんじゃないか」と思うことを中心にやってきたんです。自分だけのために、自分が決めたことだけをやるのは、なかなか困難なことなのだけれど、誰かのためにもなることは、あんがいやれるという気持ちも#9の全体意識、人類愛からきています。


Personality Number『社会的なペルソナ』
21-3-3   3 発展

#3は周りの人からはおちゃめな遊び人とみられます
日本モノポリー協会会長、バス釣り、巨人の大ファン、徳川埋蔵金探しなどと多趣味多忙なひとです
いつまでも若々しく明るく開放的なのでいつのまにか人気者になっています

Destiny Numberも3ですし、仕事も遊びも楽しく陽気に表現できます。さらにSoul Number#9の寛容さを備えているので、周りの人に対しての包容力も持ち合わせているので「僕の理想は、国でいえばブータンのような会社なんです。小さくても、国民総幸福量という独自のコンセプトを打ち出して、存在感を示している。「ほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞)」も同じで、売上や成長率はちっぽけでも、多くの人にいい影響を与えることができたら、と考えているんです」という姿勢で人と接することができるのでしょう


Realization Number『目指すもの』
10-1   1 絶対
開拓精神と行動力で常に新しいステップへ踏み出していける人です。
興味の無い物には無関心な部分もありますが基本的に不可能はなくリーダーとなり模範になります
自らの意志で決めていきたいので、上司や権威者と衝突することもあり対人関係が見方か敵かに分かれる傾向もあります

また、古いものを壊し、新しいく創造する開拓者の素質も持っています。行動していく中に失敗もありますがその経験を次ぎにいかせる強みへと変えることのできる人です。
直観を信じコツコツと自分の創造性を表現して踏み出していくことが大切です。
2015年コピーライター引退宣言をしました。既にコピーライター以外の多彩な分野で活躍されているので引退を宣言する必要もないのでしょうが、「自分が薦めたい商品ならいい。

でも、もっと改善できるはず、なんて思ってしまうと、納得して商品を語れない。だからコピーライターはやめました」
「エルメスにキャッチコピーはないですよね。よいコピーをつくることと、売れるものをつくることは別。よくないものをコピーで売るなんて、やめたほうがいい」
と#1らしく、自分がどう生きたいか、表現したいかという自己主張をし、破壊→創造の一歩を踏み出していきます。


Stage Number『舞台』
33-6   6 調和
美と調和のナンバー。身の回りの環境や持ち物などセンスのよさが光ります
愛情や家庭のナンバー。家族や身の回りのひとを大切に守っていく責任感を持つ

Challenge Number
17-8   8 秩序
自己信頼と能力の育成。地道な努力を続けより高い新しい可能性を開拓していく




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Cycle Number


0〜29歳 
cycle# どのようなことを学ぶ時期か = 2
pinnacle# どんな状況の時期か = 3 (21)
challenge# 与えられた試練・課題 = 1


幼少時から漫画好きで、漫画家に憧れていた。
高校の頃は文学青年の友達ができアングラ文学などに目覚める、文化祭で「ハプニング」的なことを企画するなど感受性が豊かで人の気持ちを敏感に察し、うまく合わせていくことの出来る時期
多くの人との出会いを通して、視野を広げて沢山の経験から自分を表現することを楽しんでいけた時期です
勤めていた会社が倒産し、フリーになる行動力と明確な目的づくりが必要となりました。

30〜38歳
cycle# 1 = pinnacle# 5 (32) = challenge# 3

#1らしく、自信に満ちあふれ、開拓の精神で創造していく時期、行動力もあり新しいことにチャレンジする時期
沢田研二のTOKIOの作詞をはじめ矢野顕子、矢沢永吉、松本伊代、忌野清志郎など多くの作詞をしたり、自身の名義での処女出版を刊行。「東京糸井重里事務所」設立
NHK「YOU」の司会も担当。西武百貨店の「おいしい生活」などのキャッチコピーでコピーライターとしても脚光をあびる。#5の自由、冒険心をフルに活用して「新しい風」をおこし形になったものを外向きに活発化して「コピーライターブーム」をよんだ。


39〜47歳
cycle# 1 = pinnacle# 8 (53) = challenge# 2

今までの経験、体験からの自信も万能感ある時期ですが状況が#5から#8に変わったことでさまざまな力の中でのバランスやコントロールが必要な時期のためこのサイクルに入ったころは「外部の人との交渉の席でもっと偉い人出しなさいと言われた。こういう僕とは全く別の理屈を持った人たちを巻き込んで仕事をしていかなきゃいけないという理不尽を感じた」そうです。「ゼロになることを意識するように心がけた」バランスを学び受け入れるようにするとよい時期です


48歳〜
cycle# 4 (22) = pinnacle# 6 (33) = challenge# 2
#22-4マスタービルダー

現実社会での大きな事業の取り組みが出来るナンバー インスピレーションが働くので才能を活かして開拓していけます。結婚、離婚 、死別など家族の問題から内面の強さを養う時期
変化を受け入れ思いやりと暖かさをもたらしていくことが大事です
既に自分の会社は立ち上げていましたが、このサイクルに入って、この先の糸井さんにとって重要なワークとなる「ほぼ日刊イトイ新聞」を始めたことは#22マスタービルダーなのだと思います。従業員たちを「乗組員」と呼び 毎週水曜日にそれぞれのやりたいことを提案、会議して進めていくなどはPinncle#6。仕事とは別の自分が良いと思ったものとのコラボするなど、まさに#2の調和、バランス。イメージの世界での価値ある創造物を現実社会で具現化すること、です。




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Hisutory


1948年11月10日 #25 
群馬県前橋市出身。生誕後に両親はすぐ離婚し、司法書士であった父親の元に引き取られ祖母に育てられる。その後実母と再会したのは1981年(31歳)だという。

1956年 8歳 #24
父親が再婚

1963年 15歳 #22
群馬県立前橋高等学校に入学

1966年 18歳 #25
法政大学文学部日本文学科に入学

1968年 20歳 #27
デザイン事務所「サムシング」に就職

1969年 21歳 #19 カルミックナンバー
栗田工業主催 TVCFアイディア賞で銀賞受賞
#19自立し本当の意味での自信を現実社会で確立していくことを学ぶナンバー
大学中退して友達に薦められて「宣伝会議」のコピーライター養成講座に通ってるうちそのままデザイン事務所に就職してこの賞が自信になりこの先の仕事につながったのだと思います

1971年 23歳 #21 発展
TVCF 金賞受賞

1973年 25歳 #23-5 変化
「サムシング」倒産。そのままフリーとなる。 同年、宣伝会議賞受賞
変化の年にフリーになりました

1975年 27歳 #25 飛躍
「このジャンパーの良さがわからないなんて、とうさん。あなたは不幸な人だ!」のコピーで東京コピーライターズ新人賞受賞
コピーライターとして大変大きな受賞となります

1976年 28歳 #26 秩序
漫画雑誌「ガロ」の編集者の南伸坊の依頼で。糸井が原作。湯村輝彦が画の「情熱ペンギンごはん」シリーズ発表
7月「さよならペンギン」を刊行

1978年 30歳 #28-10-1 完結
矢沢永吉の自伝本「成り上がり」の構成、編集を手掛ける。同書はベストセラーを記録した
2桁最後の年 #10−1この仕事は糸井さんの一世一代の大仕事、「おいしい生活」でも「不思議、大好き」でも無くこれが代表作と言われています。

1979年 31歳 #2  2桁から1桁になった芽吹きの年
「東京糸井重里事務所」を設立
沢田研二の「TOKIO」の作詞を担当「スナック芸大全」刊行

1980年 32歳 #3 発展
サブカルチャー雑誌「ビックリハウス」で「ヘンタイよいこ新聞」を担当
その関係で新進気鋭のミュージシャン、アーティストとの交際も始まる
12月 「ペンギニストは眠らない」刊行

1981年 33歳 #4 安定
結婚 女児誕生

1982年4月 34歳 #5 から 1985年3月 37歳 #8
NHK の若者向け番組「YOU」の司会を担当

1982年 34歳 #5 変化
西武百貨店の「不思議、大好き」「おいしい生活」などのキャッチコピーでコピーライターとしても脚光を浴びる  女優、樋口可南子と不倫

1989年 41歳 #3 発展
ゲーム製作の為の会社「APE(エイプ)」を設立。製作した「MOTHERシリーズ」はカルト的なファンを生んだ

1993年 45歳 #7 飛躍
女優、樋口可南子と再婚
Birth Number 7 で、#7の年には大きな飛躍を体験されています
Cyvle3の時なので前向きに明るく行動できたでしょう

1998年6月6日 50歳 #12-3 発展 
「ほぼ日刊イトイ新聞」開設
大切にしているのは、「やりたい」という気持ち(動機)で最初は事業と思っていなかったウェブサイトですが創刊日から一日も休まず毎日更新をつづけています。企業や元請けの広告代理店の事情が優先されて、自分の動機とは重ならなくなってきたことがきっかけで自分で決められる仕事をやりたいと思って始めたのも
cycle3-12(表現、開放)の年だからこそだと思います

2001年 53歳 #6 調和
雑誌「インパク」の編集長を務めて話題となった

2015年67歳 #11 霊性
コピーライター引退宣言
cycle5-11(変容、自由)引退がコピーライターという仕事を全否定するものではないのだと思いますがこのサイクルは自由な為に変容する年ですのでコピーライターという枠内だけの仕事でではなく商品作りなどからの総合的な仕事をしていくということなんだと思います。

2016年 Year Cycle 5-11 67歳
今年は変容の年です。新しい体験が訪れます。転居や異動により人間関係、家族構成になにかしらの変化がおこりそうです。コピーライター引退宣言というのもこの流れの乗っての考えなのだと思います

2016年 12月1日 11月10日でYear Cycle12
「東京糸井重里事務所」の社名を「ほぼ日」に変更しました
糸井さんの挨拶の中で
東京糸井重里事務所にも愛着がありますが、ほぼ日刊イトイ新聞をスタートさせて、個人の仕事を管理する
事務所でなく、はっきりと「チーム」でなにかを実現させていく会社に変化してきたからです
新しい名前を10年以上もずっと考えていました。紺屋の白袴というけれど、紺屋としては一生懸命になりすぎていてなかなか染め替えができませんでした。



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糸井重里さんをよんで

糸井さんはcycle4-11 40歳のころを「暗いトンネルに入ったみたいに辛かった。絶対に戻りたくないというくらいに。自分がまだ何者でもないことに悩む。30歳を迎える時の辛さとは別物」と語っています。

「今までの円の中だけにいる」ことが出来なくなる。自分でもうすうす今までのままじゃ通用しないと感じている。別のコンパスで描いた円に入っていって、今までとは全然違うタイプの力を発揮しなきゃいけない。その時、自分が万能じゃないし、役に立たない存在だと突きつけられる。

30歳頃、生まれてきてから続いていた2桁から1桁になった時に会社を設立。
50歳頃、ライフワークとも言える「ほぼ日刊イトイ新聞」を始める。

社名を変えようかと思い立つ頃も、今年12月に社名を変更したのもすべてYear Cycle11前後の時期に大きな変化の波にキチンとのって物事を動かしてきています。

私が中学生の頃に糸井さんの「ペンギニストは眠らない」という本に出会ってからずっと、好きだなって思っていましたが、今回初めて誕生日が一緒だと知りました。

同じナンバーも多く「読みやすい」と安易に考えたのですが、全く逆でした。「見たくない」です。
『ちゃんとメシ食って、フロ入って、寝てる人には敵わない』最近の糸井さんの記事です。
つまり、毎日のキチンと過ごすことが大切ってこと。究極です。できそうで簡単にはできないです。
そして、今の私には気づくことはできないこのような発想も、Cycleに気づき辛くてもそれを受け入れ進んできた糸井さんだからこそ行き着いたのだと思います。
最後も糸井さんの言葉です。


『自分のじゃまをするやつとは、たいてい自分なのだ』


Reported by
AEONS Numerology Basic the 10th class
Mayumi @ Yokohama class
by kej000 | 2016-12-13 22:43 | 数秘レポート

神が与えた光・エトワールとしての輝き * イザベラ・シアラヴォラ




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Isabelle Ciaravola
イザベル・シアラヴォラ
1972年3月12日生



パリ・オペラ座のエトワールとして輝いた、イザベル・シアラヴォラさん。オペラ座きっての“女優”バレリーナとして広く愛された彼女は引退後もバレエに親しむ人々の心をとらえて離しません。有名なバレエダンサーは数多くいますが、その中でも個性際立ち、かつ現在も精力的に活動する彼女の魅力を、数秘によって紐解こうと思います。


 Isabelle Ciaravola イザベル・シアラヴォラ
 1972年3月12日生 元 パリ・オペラ座 エトワール (2014年引退)

 

【誕生数BirthNunmber】生まれ持った資質・・・♯7(25-7)

 7は飛躍、探究心、創造性のナンバーです。
 伝統のパリ・オペラ座に所属するダンサーの中でもトップ(主役)のエトワールになるまで、彼女は11回の昇級試験を受けました。というのも、18歳でオペラ座に入団してから、エトワールに任命される37歳までの間、19年の時間を要したのです。
(オペラ座ではダンサーは5階級のランク付けがされています。下から、群舞をする“カドリーユ”
 →出番の多い群舞は“コリフェ”→セカンドソリストの“スジェ”→ファーストソリストの“プルミエ”→主役・花形ダンサーの“エトワール”の順でピラミッドのような階層構成です。)
 在籍中、何度も受けてきた昇級テストは大嫌いと語るも、意思と夢をもって努力すれば誰でも上達するものだと思っている、と語り、エトワールに任命されるまでの間、一心にダンスの技術や演技の表現力に磨きをかけました。

 長い下積み期間にバレエを辞めたり、他のバレエ団に移りたいと思ったことはあったか、というインタビューに対しては、「若いバレリーナが出て自分は忘れられてしまうかもしれない、自分の在籍や進退が危ぶまれたとしても、オペラ座でエトワールになることを追い求めてきた自分のこれまでのことを思うと後悔したくない」という気持ちで自分の可能性を信じ踊ってきたと話しています。
 7というナンバーの持つ深い自己認識と、あきらめそうになる心…つまり感情を知性により支え、ひたむきな情熱で努力するという波動が、彼女の姿に重なります。


【運命数DestinyNumber】         ・・・♯3(12-3)

 3は“発展・表現・真実の解放・楽観”のナンバーです。
 彼女と3のもつ波動を重ねたとき、“表現力の高さ”というのが際立って感じられます。というのも、彼女はオペラ座きっての“女優”バレリーナとして活躍していたからです。
台詞・言葉が一切ないバレエの舞台は、ダンサーの表情や踊りといった表現と音楽で物語が作り上げられています。彼女の踊りからは、特に一つ一つの動きや表情、間の取り方が独特で、言葉というものを超える表現力を感じることができます。また、数々のドラマチックな作品に出演し、その演技力が高く評価されていることを考えると、3という数字の持つ“表現する分野で、見る人に精神的喜びを与える”というのがぴったり当てはまります。

また、12という数字も持っている彼女。この12という数字はコラボレーションナンバーともいわれ、誰かと組むことで道が開けるという意味があります。基本的にバレエの舞台では男性のソリストと組んで演技をしており、彼女の場合は息の合う男性パートナーに恵まれ、彼女自身だけでなく相手のパートナーも高く評価されることが多かったようです。そして、近年ではバレエコスチュームなどを大手メーカーと共同で制作しています。まさに、“コラボ”して道が開けています。


【ソウル数SoulNumber】魂の本質、求めるもの・・・♯2(11-2)

 2は“相対・受容”のナンバーですが、ここでは11も持っているので、11の持つ“霊性”という要素も濃く出ています。
 バレエを踊るにあたり、持って生まれた才能について考え、悩むことは避けては通れないことだと思います。これについて、彼女は才能について考えるより、まず自分自身の個性を表現できるよう励むこと、そして自己受容の大切さを語っています。また、どんなにやる気が起きないというときも、レッスン場にひとたび出向くと、そこで流れている音楽の波動に反応するように体が目覚め、自然と動き出すといいます。11の持つ霊性・感受性の強さ、理想に向かう揺るぎない意志、自分の理想を自らが体を使って踊り、表現することで具現化していくということを魂が求めているのでしょう。


【人格数 PersonalityNumber】・・・#1(10-1)

 10はスピリチュアルナンバーであり、カルミックナンバーです。彼女の経歴でも大きな転機が何度かあり、それぞれの節目で起きた出来事によって、それ以前と以後とで周囲の状況や環境・世界が大きく変わっていることから、カルミックナンバーの10が持つ、人生のある時期に天命の道に導かれるという特性が出ています。

 パリ国立音楽院(コンセルヴァトワール)に入学した時は、エトワールになるという志を固めたころでしょう。そして引退した今は、自分のこれまでの長い下積みの経験から、若手や後進をバックアップするために講師の職へと進み、ダンサーの育成に情熱をかたむけています。いずれも、対社会・対周囲の状況に対して起こす行動は、バレエという芸術の美しさ、そして表現することの喜びと素晴らしさを伝えたいという一貫した思いからくるものです。美や芸術という普遍の真理についての探究者として生きる道、そしてそれに向かう彼女の一途な思いとパワフルな行動力は、10の持つ“カルマを果たし、天明の道に進み人道的な目的で人に癒しを与える”波動や、1の持つ“行動力、決断力、絶対性、新生”という波動を受けてのことに違いありません。


【実現可能数 RealizationNumber】今世で実現していくこと・・・♯1(10-1)

 ここでも、前に挙げた人格数と同じ1、カルミックナンバー・スピリチュアルナンバーの10が出ています。
 1の持つ“絶対性、ピュアさ、独立”は、引退した現在は講師職を母校でつとめつつも、世界各地の講習会に出向き、バレエ用品のプロデュース業もこなしているところから、それが十分できるだけの行動力や計画性の高さを裏付ける要素です。

 さらに、彼女は東日本大震災の後、他のオペラ座のエトワールとともに被災地でのバレエレッスンを行い、経済やその他の事情でバレエレッスンを受けることが厳しい子どもたちのために行われる、ユネスコのダンス教育支援プログラムに参加するなどの社会貢献活動をしています。これは、10という数字の持つ“社会貢献”の波動から来るもので、彼女だからこそできることで、世に役立とうと、自らのエネルギーを発揮しているのでしょう。


【活躍の場 StageNumber】・・・#9

 活動の場は、9の“集合意識に働きかけ、芸術という切り口から、人を教化し導く”というものです。
 インタビューの中で、彼女は教えることに情熱がある、と語ります。プロダンサーの養成、アマチュアダンサーの講習といずれもジャンルを問わず、受講生の進歩を見つめ、かつ教えるという家庭の中で彼女自身も学び続け、進歩したいと言います。
 きっと、指導者としてのキャリアを積み、その名を知られるようになるでしょう。

【現世で生涯をかけて挑戦していくことChallengeNumber】・・・#2(20-2)

 1ケタ目に0、2ケタ目に2がくる“20”とうスピリチュアルナンバーを持っています。
0は“霊性の高さ”、2は“受容、協調”を意味しているところから、彼女自身がインスピレーションからくるイメージなどを受け取り、それを周囲と協調しながら、かつ真意が受け入れられるよう表現・伝えていくことが課題です。

 どんなダンスプログラムや企画も、授業を思い付いても、周囲との協調と協力がなければ成しえませんし、受け取る側の反応を予想したうえでどうアプローチするかを考えないと、せっかくの良いひらめきも生かすことができません。彼女の持つ絶対、唯一無二の強みを生かすための課題を、20という数字が示しています。




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【周期ごとで見る人生の道筋】

CycleNumber(サイクルナンバー)…何を学ぶかを示す 
PinacleNumber(ピナクルナンバー)…状況を表す 
ChallengeNumber(チャレンジナンバー)…与えられる試練や課題について示す


1:
0~29歳…サイクルナンバー#3、ピナクルナンバー#6、チャレンジナンバー#9
3の表現・クリエイトするということを学びながらも、おかれた状況は6の自己と周囲や環境との調和であり、かつ美にまつわる環境に触れることのできるものでした。そして、課題としては9の持つ“芸術分野での才能を発揮していくこと”、が現れています。

2 :
30歳~38歳…サイクルナンバー#3 ピナクルナンバー#4 チャレンジナンバー#2
引き続き、3で表現することを学びながらも、状況は4の表す通り、下積みや訓練をして自分の素養や地盤を固めること、試練は2で、様々な経験を受け止め自分のものにしていくこととなります。

3 :
39歳~47歳…サイクルナンバー#3 ピナクルナンバー#1 チャレンジナンバー#7
学ぶことは変わりませんが、状況が1の波動へ移行しています。下積みから、自分を強く光輝かせ、主役として立つという状況に変わったのです。また、試練としても7へ移行したので、可能性を信じてこれまでの自分を解放し、ステージアップを図るという流れになりました。

4 :
48歳以降…サイクルナンバー#1(19-1、10-1)
ピナクルナンバー#4(22-4) チャレンジナンバー#2
学びとしては、カルミックナンバーの10や19が出ています。10の再誕生や19の力…どちらもカルマの清算に取り組みながら、人道的な面で社会貢献するために表舞台にさらに出ていくことや、自分のこれまでの殻を打ち破るための試練に臨み、さらなる自己の確立と自信・威厳を強く世に出そうとしていくことを学ぶようです。また、状況としては22の“創造”…あらゆる分野の創始者になるという波動と、4の地盤を固めていくという波動から、新たに生まれ変わった自分の基礎を強固にしていく様子がうかがえます。試練のナンバーは2なので、壮大なテーマに臨む状況のなかで、ドラマチックな変容の場面に直面しても、それを受け入れていくことや、忙しさと自分自身のプライベートとのバランスをとっていくことが課題です。

彼女は現時点で44歳なので、これから最終周期で予想される48歳以降の動きがとてもドラマチックなものとなりそうです。




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【彼女の年譜】


0歳・・・YearNumber#25
 フランス・コルシカ島のアジャクシオに生まれる。両親は楽器商を営んでいました。
 生まれたころから12歳まで、20番台の数字が並んでいます。幼くして、知らず知らずのうちに精神的な学びを深めていったはずです。きっと、感性も磨かれていったのでしょう。

13歳・・・YearNumber#2
 パリ国立高等音楽院(コンセルヴァトワール)に入学。
 前年度で20番台のイヤーナンバーが並ぶ周期が終わっています。心機一転、目指す目標への扉をたたき、新たな世界へ踏み込んでいった年です。2番、“受容”の数字から、新たな世界を受け入れていった年ともいえます。

16歳・・・YearNumber#5
 パリ・オペラ座バレエ学校に編入。
 初めからオペラ座バレエ学校に入れれば良かったのですが、バレエを始めた年齢が遅かったため入学試験を受けることができなかった彼女。13歳で入った音楽院のなかで1位の成績をとったため、目標の学校に編入するという道に進むことができました。
 変化と自由を表す5番、またひとつ彼女の世界が大きく変わった年だということを示しています。

18歳・・・YearNumber#7
 パリ・オペラ座バレエ団に入団。群舞(カドリーユ)のクラスに在籍する。
 7という“解放、そしてステージアップ”の数字が出ています。学校を卒業し、やっと目指していたオペラ座の舞台に立てるバレリーナの一人になれた年です。

21歳・・・YearNumber#10
 上のクラス、以前のカドリーユクラスより出番の多い群舞(コリフェ)クラスに昇級。
 実は、この年から次の昇級までに7年間かかりました。奇しくも、ここで出ている10番は、彼女がコアに持っている実現可能数と人格数と同じもの。スピリチュアルフォールナンバーといわれる10番は、何度も出てきた“カルマの清算”が大きくかかわってきます。最短でエトワールになれるダンサーと比べれば、苦労は多かったと思いますが、それでも運よく進めてきた彼女のこれまでとは全く別の経験・・・どんなに努力しても、時機が整わない為に、自分の思った通りの成果が出ないこともある・・・を通して、その中で苦しみなどをも味わい、もがいていたはずです。

28歳・・・YearNumber#8
 やっと、群舞のコリフェから、セカンドソリストとして踊る(スジェ)クラスに昇級。
 これまでの下積みが報われ、群衆からやっとひとりのバレリーナとして立つことができるようになりました。ここでは8番が出ています。繁栄やこれまでの頑張りが結果として出ることを意味している数です。

31歳・・・YearNumber#11
 セカンドソリストから、準主役級のソリスト(プルミエール)クラスに昇級。また、徐々に講師としての話が持ち込まれるようになります。
 前回の昇級からこの年までに、彼女は一つのイヤーナンバーの周期を終えています。これまでの流れとは大きく変わったことが分かります。また、ここで11番の“霊性”を表すナンバーが出ていることから、この時期に出会った講師職・教える仕事というのがダンサーのつぎに彼女の生きる使命として差し出されたようです。
 
37歳・・・YearNumber#8
 37歳の誕生日から約2カ月後の4月16日、パリ・オペラ座の「オネーギン」初演初日、主役のタチアナ役で踊った直後、舞台上で、オペラ座最上級にして主役格であるエトワールに任命される。
 ここでも、繁栄や成果を意味する、8という数字が出ています。ようやく、彼女の黄金時代が幕を開けるタイミングが訪れました。

39歳・・・YearNumber#10
 フランス文化勲章を受章。また、フランスだけでなく世界各国に指導者として赴くようになる。
 日本国内は東京、京都、名古屋、北海道などで指導しています。
 
40歳・・・YearNumber#11
 レジオンドヌール勲章 シュヴァリエ(騎士)称号を受勲。また、仙台での被災地支援プログラムの講師として来日。
 
42歳・・・YearNumber#13
 オペラ座・ガルニエ宮での舞台、「オネーギン」のタチアナ役で、オペラ座を引退。
 ※エトワールに任命されたときと同じ演目と配役です。
 最後の舞台では30分もの間拍手が鳴りやまなかったという逸話が残りました。
 引退後はほどなくして、母校であるパリ国立高等音楽院(コンセルヴァトワール)の講師職の選抜試験を受けたのち、着任しています。実は、この年で彼女のイヤーナンバーの一つの周期が終わりました。引退後の新たな人生のスタートの節目ということが分かります。また、ここではカルミックナンバーの13が出ています。
創造と破壊を繰り返し、常に学んで行くとともに、自分自身のエゴに傾くことなく強い志をもって、うまく進めず痛みや苦しみで行き止まった人を指導者として導いて行くという流れが見えています。





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最後に…彼女の経歴を数秘によって追っていくと、いかに一途に努力して、誰もが憧れるエトワール“輝き”を手に入れたかが分かりました。そして、感性で生きつつも、感情には流されることなく、知性で生きてきた姿も見えました。演技やプライベートショットで見せる、すがすがしい表情や軽やかな振る舞い、気品ある姿からは、想像できない葛藤もあったことでしょう。とても華やかで強い女性です。エトワールとして実際に在籍できたのは、わずか5年という短い間でしたが、圧巻の存在感で人々を魅了し、大きな賞も授けられました。まさに大器晩成で、実り多く、素晴らしい現役時代を終えた人です。

彼女の踊り、そして彼女自身の生き方は、バレエという表現の手段を介して、芸術・美というものが、人の心に力を与え、奮い立たせてくれる素晴らしいものであること、神が与えてくれたものだという、ただ純粋なメッセージを伝えてくれます。きっとそれが彼女の使命であり、彼女はこれからも喜んでその大きな使命のために生き続けていくのでしょう。

彼女についてその魅力に迫っていくうち、純粋に自分自身の中に湧き上がる喜びの中から使命を見つけること、たとえ感情に揺さぶられても、知性で自己を保つこと、使命を全うするため一途に高みを目指し努力し続けることの大切さを感じ取りました。苦境に立たされても、停滞したままに思えても、自分の中にわきあがる喜びにより行動しつ続け、また行動できることが喜びなのだという彼女の姿は、私にとって精神的なロールモデルとなりました。そう、彼女は私の中のエトワール、輝きつづける星(目標)なのです。



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Reported by
AEONS Numerology Basic the 11th class
Maya @ Meguro class
by kej000 | 2016-12-13 22:01 | 数秘レポート