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Aeons Numerology Class

数秘学関連講座のご案内

アイオンズの数秘学関連の講座のご案内と説明をさせていただきます。


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Aeons Numerology Basic Course



先ず最初のステップは、数秘基礎講座です。
毎年、春分と秋分あたりに数秘学講座の参加の募集をさせて頂いております。
2017年、冬は、数秘基礎コースの12期生様の募集となります(祝!☆12期生☆)


● 数秘学の歴史
● 1−9までの数字の意味を識る
● 個人のコアナンバーの意味とリーディングの方法
● マスターナンバーとカルミックナンバー
● 生命の木
● リーディングセッション実践練習 数回
● 自分史の作成 
● 数字の逆相
● ヌメロロジー計算ソフトの解読法
● 数秘による相性の見方
● タイプ資質と特化項目によるリーディング
● 基礎科修了レポートの発表

以上のカリキュラムを全10回コースでお伝えしてまいります。


時間: 13時から17時まで
場所: 横浜クラス 埼玉クラス 板橋クラス 東京クラス
受講費:6000円(再受講は半額)

基礎科では、欠席は通常、認められません。
欠席回は他のクラスでの受講で代講をお願いしております。
また、2回まではプラス1000円にて、DVDでの受講が可能です。




アイオンズの数秘講座の特色は

*カウンセリングやセラピーに使えるスキルの習得を目指す
*自己認識を高め、潜在能力を発揮していくこと
*秘教・カバラの教えより、真理を学び、実践すること

を目的としてプログラムを構成しております。
基礎科では、簡単な3次元Levelでの現実に則したリーディング方法について学んでいただきます。
その後、修了した方は、アドバンス(4class)へ進むことが可能です。




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Aeons Numerology Advanced Class

アイオンズ数秘講座の大きな特色として、
10から22までの二桁の数字を学んでいただくことが可能です。

数秘学が三次元に対応する数字のヴァイブレーションだとすると
その後のUniversal Numerology は、この三次元と同時に存在する
多次元の数字のヴァイブレーションとなります。
この表裏一体を読み解くことで、全ての答えが導かれます。
そして、この二桁の数字たちはこの三次元と多次元の橋渡し的な
ヴァイブレーションとなっているのでありました。

特に、その方の現在の状況や、生まれ持った使命などを読み解くこと。
また、私たちが生まれてきた意味にまで遡り、そこに隠された
根深い問題やパターンにフォーカスすることが可能となります。

また、この二桁の数字には、カバラでいう探求の道筋の意が
こめられています。それは私たちが「ほんとうの自分」へ自己回帰していく
道筋でもあります。宇宙の真理(Universal Truth)です。
学びを深めつつ、深淵なる世界へご案内いたします。


● 二桁の数字の意味とその流れ(10−22まで)2class

二桁の2回の授業を受講された方は、次のカバラ応用のクラスへ進級が可能です。

受講費:●8000円 (再受講は半額)




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Universal Numerology


数秘基礎が3次元であったのに対し、こちらは多次元(宇宙次元)での数字の解釈を学んでいきます。生命の木とは何を物語っているのか。この地球に存在する全ては表裏一体。仮に3次元を表とした場合、この多次元が裏となります。そして、この裏・・目には見えないところにこそ、宇宙の秘密が隠されているのでした。こう考えていくと、数秘は或る意味では、このUniversal Truthへ至るためのステップであることにすぎない・・さらなる深淵なる世界へ歩を進めてまいります。



私たちはどこからきて、どこへ行くのか?

秘教といわれる「カバラ」を紐解き、生命の木に隠された神秘『宇宙の真理(Universal Truth )』を学んでいきながら、あらゆる次元、角度、視点からのリーディング・スキルを養っていただきます。

そしてもちろん、この宇宙の真理を知識だけではなく、実際に体験していただきながら、ご自身で先ずは「自分自身へ還る旅」へ。

人生を根源から変えること。
自分の人生をクリエイトすること。
自分が自分の人生の主人公になること。
ほんとうの自分を識ること。

同じ志の仲間がなぜか集います。
「ほんとうの自分に還る」こと。
宇宙の理を知り、その理に生きること。


全11回となります。

*欠席は2回まで。それ以上ですと退会扱い、
 または次期クラスでの参加をお願いしております。

受講費:8000円(再受講は半額)





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神託としてのTarot


全ての学びを統括する体系としてのタロット講座です。
古代、タロットは「神託」として使われておりました。
吉凶を占うのではなく、あくまでも宇宙の理(Universal Truth)を基盤にあらゆるシチュエーションを読み取り、根本に隠されているポイントを掴む力を養います。

最小限の知識とたくさんの実践により、右脳と左脳をバランスよく使いながらリーディングする方法を学びます。全12回です。

受講費:8000円(再受講は半額)




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卒業生用プログラム

この全ての講座を修了された方の次のステップとして

☆ マスター試験
☆ 個別スキルアップ指導プログラム
☆ 指導者育成プログラム Teacher's Course

があります。
さらなる活躍の場を広げられるよう、支援させていただきます。




マスター試験


各期修了日の翌週に、プロとしてのスキルが身に付いているかどうか?・・の
スキルテストを受験することが可能です。

★セッション形式による試験
・スキルは、数秘、ユニヴァーサル・ヌメロロジー、タロット(多次元占星術)
・45分の質疑応答
・その後、10分の講評
・クライアントによるアンケートの記入


審査の基準は以下の通りです。

○ クライアントの相談・要望に的確に答えているか?
○ プロとしての心構え、品行、服装は妥当であるか?
○ 吉凶占いではなく、理に基づいたカウンセリングが行なえているか?・・等々。


受験資格:
・数秘関連全行程を修了していること。
・何度でも受験可能です。

受講費:
・最終課程の講座料金(¥8000)

合否:
・合格者には、Aeons マスター資格を授与
・特典は、全講座が再受講費のさらに半額など



個別スキルアップ指導プログラム


前々からリクエスト戴いておりました、卒業生のための
スキルアップ・指導プログラムです。
ティーチャー制度のスキルアップ・プログラムに準じた個別指導を、希望者に開催します。

*10名のチャートをご用意の上、自力でリーディングをした上でお持ちください。
*全1日をかけて、その方のリーディング・スキルの見直しやアドバイスを徹底的に指導します。

日程:10時から17時まで(途中、昼食休憩含む)
金額:¥30000(¥3000/1名x10人分)



     *    *    *


アイオンズの講座は、
単なる知識の提供に留まらず、実践していくこと。
感覚を駆使していくこと。
あらゆる角度から、時間をかけてじっくりと「理解」を深めていただけるよう
プログラムを作らせていただいております。


ご縁ある方の受講を心よりお待ち申し上げております。
ありがとうございました。


                                2017年2月末日改訂
by kej000 | 2016-08-28 09:12 | おもしろ数秘学

沢穂希*その強さの源を紐解く

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澤 穂希
SAWA HOMARE

1978年9月6日生まれ
なでしこジャパン元代表選手(2015年現役引退)



1986年 小学校2年生で地元府ロクサッカークラブ入団
1991年 中学入学現日テレベレーザ入団
1993年 15歳代表選出デビュー戦4得点
1999年 大学を中退し渡米
2000年 アメリカクラブチームでプロ契約
2003年 アメリカ女子プロリーグ休止の為、帰国
2004年 日テレベレーザプロ契約選手で復帰 なでしこジャパンの誕生
2006年 2008年 なでしこリーグMVP
2009年 ワシントン・フリーダムへ移籍
2011年 INAC神戸移籍 ワールドカップ・ドイツ大会優勝
2012年 バロンドール賞受賞 良性発作性頭位めまい症を発症 ロンドンオリンピック銀メダル
2014年 アジアカップ初優勝
2015年 ワールドカップ・カナダ大会準優勝 W杯6大会連続出場
2015年12月27日 皇后杯 全日本女子サッカー選手権大会、決勝戦決勝ゴールを決め引退



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華々しい功績ばかり並ぶ澤穂希さん。
2011年ワールドカップ・ドイツ大会優勝
1度も勝てなかったアメリカ相手にPK戦の末勝利した。日本サッカー史上初のWカップ優勝へ導いた。
世界1を勝ち取ることを目標に、長い年月かけて地道に走り続けた。目標に向かい、あきらめずに日々努力する凄さ。挑戦し続ける強い意思はどこからくるのか?彼女の強さの源について紐解いてみたい。



【誕生数】~生まれ持った資質・才能・運命~

『22-4』【創造-安定】
鋭い感受性を持ち、それを形にする創造性豊かなナンバーです。
マスタービルダーと呼ばれ、社会が求めるものを感受し、広い視野と実行力をもって、天と地の架け橋となるような社会貢献をするとされているナンバーです。
利己主義にならず、世の中のためにエネルギーを広く循環していくことで、卓越した才能が開花し、高き理想をも現実化する力を持ちます。そのためには2+2足して4の物事の基礎を真面目に取り組み、土台を築き、2のダブルの力、強い感受性で人々を受容していくこと。自己の目的を公的なものへと定め、目の前のことから着実に仕上げていくことといわれています。

澤さんは、小学校2年生の時、地元サッカークラブの入団を断られましたが、お母さんが何度もお願いし入団することができました。澤さんのサッカー人生はそこから始まります。大きな大会では、女子の参加が許可されず、出場出来ずに悔しい思いをしたこともあるそうです。澤さんは何度も何度も基礎を繰り返し、基礎を磨き上げることに時間を費やし、それが今のサッカーの土台となっているといっています。
そんな澤さんでしたが、一度だけサッカーの道が閉ざされそうになったことがあります。
所属チームでの契約更新がない20歳の頃、必死の思いで渡米を決意します。ここからが本当の挑戦となります。
澤さんは15歳の頃、両親が離婚されています。それからは母子家庭生活の中、高い学費を払って入学した大学中退をし、渡米を決断。体格、パワーでなかなか敵わない海外での挑戦で幾度も幾度もチャレンジしました。覚悟を決めた渡米の中、弱音を言わず、吐くことも許されず、自らを鼓舞し努力したのだと思います。

やがて努力と忍耐力で自分なりに見出した答えを実践し、海外でも認められるようになりました。そして日本人がアメリカでプロ選手としてプレーする、最初の道を拓きました。海外での経験で揉まれながら気付いたことは、パワー、体格で適わなくとも、優れた技術力、ボールが来た時の瞬間的な判断の早さだと言います。澤さんのこの経験が日本女子サッカーに光をもたらします。世界1の目標が澤さんだけが抱く目標ではなく、日本女子サッカーへの目標に変化していきました。後に続く後輩の道を切り開き、海外で挑戦する女子選手が増えてレベルアップしていきました。高き理想を掲げ、幾年も掛けて努力し走り続け、日本のサッカー界のために、人々に希望を与えるために邁進し、その結果得た偉業。日本国民のどれだけの人が世界一を信じていたでしょうか?しかし高く目標を定め、自らが努力し続けること、そして信じることでチームをまとめ上げ、世界一の栄冠を手に入れました。高き理想が現実化することを彼女は教えてくれています。澤さんの魅せ続けた背中は、とても大きかった。それは決して簡単な成功ばかりではなく、厳しく険しい茨の道だったからこそ大きく強く感じられたのだと思います。



【運命数】~人生における目的・使命~

『5』【変化】
好奇心旺盛で革新的な人。常に変化を求め、興味のあることに次々チャレンジします。
未知の世界の解明と、それを広く人々に新しい知識を与え、教え導くことが使命とされています。
システムを学び、その中で多岐に渡る才能を身につけていくこと。深く経験し、単なる欲望、知識とせず、智慧に変えていくことです。
集中力を養い、じっくりと経験を積むことで内面の自由を見つけることとなるとされています。



【ソウル数】~魂の求める欲求・深層心理~

『14-5』【自由-変化】
14カルミックナンバーで「真の自由を学ぶ」ナンバーとされています。
家族との協調、家や職の余儀ない変化などによって、真の建設的な自由とは何かを学ぶ。
柔軟に形式に捉われることなく自由に人生を切り開くこと。

澤さんは、20歳の時、アメリカのクラブチームへ移籍しています。大学を中退し、渡米を決断しました。
誕生数の4【安定】と運命数の5【変化】の間で葛藤し、安定に執着せず、新しい土地での新たな経験に挑戦しました。文化や言葉、食生活などの不安を抱えての決断。米国での生活は言葉がまったく通じず、ホームシックにかかり何度も日本へ帰りたいと思ったそうです。実力もなかなか認められず、パスも回ってこなかった。体格やパワーの差も縮まらず悩みもがいた日々、その中で見つけた答えは「自分のプレーを貫き通す」こと。その結果チームの中心選手となっていった。この米国での経験が彼女を大きく成長させました。

自分の力がどこまで通用するのか未知数の中、単身海外へ飛び出し、多くの経験をして才能を得ていきました。
得た才能を、強豪チーム相手に発揮し、日本女子サッカーの可能性を見出して行った。
澤さんは30歳の時、2度目の渡米をしています。この時も決断には多くの時間を要し、生活は充実し、安定した環境を捨て、成功するかわからない米国での再挑戦。安定とリスクを天秤にかけていて決断ができなかったと述べています。勇気ある決断をし、変化、成長を望み更なる高みを目指して、米国での経験を積み上げていきました。帰国してからは、強い外国チームにどのようにしたら、日本が勝利することが出来るのか、組織力の強さ、細かい足技、パス回し。自らがプレーすることで選手に伝えてくれていました。

様々な決断には、母の力、存在が大きく彼女を支えてくれていました。
~「チャンスの波に乗りなさい」~この言葉はお母さんが澤さんに伝えていたことです。
チャンスは必ず誰にでも訪れ、そのチャンスの波に乗るかどうかで人生が大きく変わる。だからこそ、チャンスの波が来たら、あれこれ悩むよりも、逃がさずに乗ることが大事。この言葉には、そんなメッセージが込められています。
「母からこの言葉を言われていたからこそ、チャンスだと思ったときは、迷わずに思い切り行動にでられました。未だにこの言葉は胸の中にいつもあります。だから可能性がある限り、絶対にチャレンジするって決めてるんです。やらないより、やって後悔したほうがいいですから」とインタビューでも述べています。

いつでも不安や恐怖を打ち消すために意識している言葉なのだと思います。真の自由を学ぶため、変化に立ち向かい、内面の自由とは何なのか、制限をかけずに内面が開放されることを、経験を積み重ねることで見つけて行きます。自分の思いを断ち切り、現状から飛び出して未知の世界へのチャレンジ!この精神を培うこと、経験を持って力に変えて行きました。



【実現数】~人生での可能性・実現性~

『9』【完結】
深い慈悲と寛容さ。愛と理解力を持って穏やかに人類愛を実践することです。
不要なものを手放し、自分も人も許すことで全てを受け入れる真の強さを得ます。
混沌の中、自分だけでなく、自分の背中を追い続ける後輩、未来を担う子どもたち、世の中の人々に影響を与え、教え導くことです。



【人格数】~外なる自分・他者から映る自分~

『9』
オープンで寛大。人の気持ちを理解し、多くのことを共感している印象を与えます。
物腰が柔らかく冷静。柔軟性があり幅広い人々と交流の出来る人

『苦しくなったら、私の背中を見て』
多くを語らず、この言葉に掛けた思い。チームを信じ、自分を信じて自らが原動力となり、前を向き走り続けた。その背中を見て、チームは追いかけ、共に走り続けました。澤選手の存在がチームに活力を与え、観ている人々に勇気を与えてくれました。
澤選手はベンチスタートの多い時期でも、チームメンバーを支え続け、貢献する姿。ピッチに入った時、他選手に与える安心感。そこからの軌道修正力は観衆の期待を大きくしました。
澤選手の姿は、多くの選手、これからプロを目指す子どもたちに大きな影響を与え、目標を創り出してくれる大きな存在となりました。

今では陽気に優しく笑う澤さんですが、渡米前はシャイで人見知りだったようです。
米国生活で英会話も上達し、曖昧な表現の通用しない米国、はっきりした意見や態度を求められる風土に馴染み、変化していったようです。
交流関係も広く、サッカー界だけでなく幅広い分野の方との交流も多いようです。
友達関係では、男女問わず、悩みを相談されることが多く、他人と喧嘩になったこともないそうです。


【Stage数】~活躍する舞台~

『6』【調和】
真・善・美、調和、愛のナンバー。
完璧主義にならず、あるがままを受け入れ、まずは自分を愛し、人々を愛すること。
愛と思いやりを持って人々へ奉仕する。平和と美を愛し社会貢献をしていくことです。


【Challenge数】~チャレンジする課題~

『5』
現状に留まることなく、変化を恐れず多くのことを経験して、人々に伝えること。
柔軟性と機敏さで進み、自分の枠組みを外して、新しい世界への冒険をしていくこと。
経験を積み重ね、広く啓蒙していくことがミッションです。

運命数・ソウル数に持つナンバーでもあります。
現状の自分に満足することなく、自分の抱く恐怖や不安に打ち勝ち新しいことを経験してきています。
今ある充実した生活、安定を断ち、変化を受け入れ挑戦した後は、いつでも成長した澤選手でピッチに立ち続けてくれていました。
“変化することが不安なのは、いつだって決める前だけだということ”と述べています。


【Nature数】~素質~

『11-2』【霊性】
 鋭い直観力と洞察力を持ち、豊かな感受性で人々を受け入れます。バイタリティーもありリーダーシップを発揮します。


【Action数】~行動パターン~

『1』【絶対】
素早い決断力があり行動的。独創性があり創造性を表現する先駆者となります。人を先導するリーダー



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***Cycle・Pinnacle・Challenge Number***


0~32歳
【Cycle Number】~環境や大きな流れ、向き合うテーマ~
『9』
様々な体験を通して人を受容し、不必要なものを手放し、本物を見抜くことがテーマ
直観力が鋭く、人の本音、状況を見抜き、社会貢献や奉仕活動に携わる経験が多くなる時期です。
混沌とし大きな揺れ動きのある年代でもあります。多くを経験することで自己を成長させ、他者理解を深める時です。

【Pinnacle Number】~その時の状況やあり方~
『15-6』
家族の問題から内面の強さを養う時期
家族や近しい人から多くの影響を受ける時期。周りの人からの期待に応えること、人に感謝されることで喜びを感じる。人への奉仕、愛を注ぐことを多く経験するでしょう。他者への愛、自己への愛、愛し愛されることの大切さを実感し学ぶ時期です。

【Challenge Number】~挑戦する課題や遭遇するトラブル~
『3』
自分を表現することが課題となる時期。
創造性、感性を自分らしく表現することがチャレンジとなります。


《Year Cycle 2》7歳の時、兄の影響で地域のサッカーチームに入団。
《Year Cycle 5》10歳 いじめに遭う。
《Year Cycle 9》14歳 日テレベレーザ入団
《Year Cycle 10》15歳 両親の離婚 サッカー日本代表
《Year Cycle 3》17歳 アトランタオリンピック代表入り
《Year Cycle 7》20歳 大学中退 渡米 アメリカクラブチーム入団
《Year Cycle 11》25歳 大怪我の中、アテネオリンピック予選活躍、オリンピック出場を得る
《Year Cycle 12》26歳 大活躍、アジアMVP、チーム優勝
《Year Cycle 7》30歳 二度目の渡米
《Year Cycle 9》32歳 INAC神戸移籍 ワールドカップ初優勝・大会MVP 国民栄誉賞


大きな愛を持って、人々を受容し、表現していくことがテーマの時期
出会いと別れを多く経験し、家族、友人、世界との繋がりを経験し、視野を広げて、大きな愛を学んだ時期だと思います。《Year Cycle 11》25歳の時、オリンピック最終予選では大怪我をして、戦線離脱をしていました。
チームメイトに、「なにもできなくていい、ピッチに立ってるだけでいいから」と懇願され、痛み止めを打ち痛みを堪えての出場。見事五輪の切符を手に入れました。チームメイトの愛、それに応える大きな愛を持って勝利した。その後は多くの仲間、スタッフの支えで厳しいリハビリを乗り越えて、オリンピックの舞台で活躍をした。
20歳、30歳共に《Year Cycle 7》の時渡米、世界を経験し、視野を大きく広げ彼女は飛躍していきました。これらの活躍で、澤選手は日本のレジェンドと称され、人々に大きな喜びと希望を与えてくれました。


===================================
 33~50歳
【Cycle Number】
『6』【調和】
 調和すること。人のために役に立つこと、世の中のために自分が出来る事を考える。奉仕や育成の時期です。
 人との関わりが多くなる時期でもあります。近しい人へ愛を注ぎ、社会貢献し、責任も学び奉仕の精神を培います。
【Pinnacle Number】
 33~41歳 『13-4』【修練-安定】
『4』安定、基盤づくりの時期。安定を手に入れる時期
『13』修練、創造と破壊を繰り返し、常に学びを喚起させられる時期。本質に目覚める時でもあります。

【Challenge Number】
 33~41歳 『1』
 リーダーシップ、自立について学びが課題となる時期。

《Year Cycle 10》33歳 FIFAバロンドール賞受賞 ロンドン五輪銀メダル 
病気(良性発作性頭位めまい症) 
《Year Cycle 12》35歳 代表落選
《Year Cycle 13》36歳 カナダワールドカップ銀メダル 結婚
《Year Cycle 5》37歳 サッカー引退新たな道へ・・・


本質に目覚め、人々のために奉仕し、調和して行くこと。リーダーシップを学ぶことがテーマとなります。
病気や代表落選などの経験で新たな発見、挑戦を見出し見事代表復帰しました。家族、安定を求める時期に結婚をしています。新しい命が授かったとのうれしいニュースも届きました。どんなお母さんになるのか楽しみです。
調和しながら内面の成長を目指し、愛と責任を養うこと。仕事、健康、家族の現実的な学びに向き合い理解、創造、表現していきます。現在37歳これからどのような人生を創造していかれるのか、日本の女子サッカーが、再び世界一の栄冠を手に入れる時、澤さんが指導していることを期待しています。




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最後に・・・
澤穂希さんは、絶対的信頼でチームを牽引していた。欲しい時、欲しい場所に彼女はいてプレーしていた。
チームが一番苦しい時に力を注ぐ、一瞬のチャンスを逃さず点を取る。華麗で力強い選手でした。
プレーしているときの力強く、美しい姿がとても印象的でした。
このリーディングで、現状に背を向けず、どれだけの努力が実を結び、人々を魅了するのか、変化を恐れ、現状に甘んじると、本当に見るべき世界から遠ざかり、出会うべき世界、人を失うのではないかと思えてきた。
自分の弱さも認め、日々高めること、大きく成長する可能性を下げず、変化を楽しく、そして厳しく向き合い経験をしていくことがこれからの人生を送る鍵かもしれません。
一歩踏み出す勇気、本当の自分に向き合う勇気をもらえたような気がします。
ありがとうございました。


Reported by
AEONS Numerology Basic the 10th Class
Yoko @ Yokohama class
by kej000 | 2016-08-14 23:45 | 数秘レポート

いのちをむすぶ おむすびの祈り*佐藤初女 vol.1

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いのちをむすぶ おむすびの祈り
Omusubi, Connecting Lives
Sato Hatume



青森県の岩木山麓にある「森のイスキア」。苦しみを抱え、心が傷ついた人たちを受け入れ、痛みを分かち合う癒しの場です。佐藤初女さんは半生を通じて心を込めた手作りの料理で、食を分かち合い、いのちを伝える活動をしてきました。
初女さんは数秘で読み解くと、どんな方だったのでしょうか。


さとう はつめ
佐藤 初女


出生名 神 初女 
    Hatsume Jin

生年月日 1921年10月3日
逝去    2016年2月1日




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〜Personality〜

(Birth No. 17−8) 生まれ持った資質・個性・潜在能力

「生命の樹」にみる8の特性は行動的で直観思考型、一つを長く追求する熱中を表す数字です。


(1)尽きない心〜無限大∞の8

「私には心がある。心は汲めども汲めども尽きることはない。その心を差し出そう。」

初女さんは8の数字が示すように直観思考型で行動的です。
ある時、通っていた教会の神父様が、こんなことをおっしゃったそうです。
「奉仕のない人生には意味がない。奉仕には犠牲が伴う。犠牲の伴わない奉仕は、真の奉仕ではない。」
この言葉を聞いた瞬間、初女さんは何かに打たれたような衝撃を受けたそうです。その日初女さんは「今のままではいけない。私にできることはなんだろう?」と考えながら家路につきます。その帰り道に、ある交差点に差し掛かったときに、こうひらめいたそうです。そして、それから約40年以上、半生にわたって見ず知らずの人を受け入れ、おむすびを握り、人々に生きる力を与え続けました。

8の数字は、無限大を示す∞(レミニスケート)を象徴しています。
汲めども汲めども尽きることのない心。その尽きない心は神様とつながっています。初女さんの出生時の姓が「神(じん)」というのは、まさに「神」とつながって生まれてきたことと体現しています。8は初女さんを象徴する数字と言えます。


(2)行動の数字8

「私にとって祈りとは生活です。
生活の動作、ひとつひとつが祈りです。
心を込めて食事をつくったり
ともに食卓を囲んだり
ごく平凡な日常の営みの中にこそ
深い祈りがあるのです。」

数字の8は、行動の数字でもあります。
初女さんは、敬虔なクリスチャンでしたが、
静かにじっと座って祈ることは少なかったようです。

初女さんにとって祈りとは動、生活の動作ひとつひとつが祈りでした。
8の数字の持つ動的な性質を体現していると思います。

(3)パワーの8

「訪れてくる人は神様の代わり」

8はとても強いパワーを持った数字です。初女さんは、どちらかというと物静かで前に出て行くタイプではありませんでしたが、その行動はパワーに満ちていました。

40代の頃から自宅を開放して「弘前イスキア」を開設し、のちに岩木山の麓に
「森のイスキア」を開設します。
時には夜中でも、初女さんを頼って来訪者が訪れます。どんな時でも初女さんはすべてを神様に委ねてドアを開け続けました。もともと病弱で、決して頑強なお身体ではないなかでの長年の活動で、時には倒れてしまうのではないかとご自身でも思いながら、それでも命が尽きるまでその活動を続けました。
それは8の持つ情熱と、実行力、バイタリティーの力強さを物語っています。

(4)リーダーシップの8

イスキア活動は初女さんの活動に賛同し、お手伝いを申し出る方達によって運営されていました。また全国には、初女さんの活動に賛同するグループもいくつか組織されていました。初女さんの思いや活動に賛同し、その行いを支える仲間の存在がありました。8のリーダーシップ、組織立てる力がここでは発揮されたといえるでしょう。自然と人が集まる静かなカリスマの持ち主でした。


Reading ナンバー
計算途中の2桁:若年期から本来の意図する方向への学びの経路は?
1+7=8
若い時期に1、その後7を学ぶことにより中年期以降に8(社会へ出て行く)が活用できるような基盤を築く

1・・・幼いころから教会の鐘に引き寄せられ、高次のエネルギーやインスピレーションを受け取っていたと言えます。
7・・・その後キリスト教との出会い、神様とのつながりを深めるなかで、内省を深めました。
のちにそれらが、8へと開花させました。

_________________________________

(Destiny No. 3)使命、目的、仕事、ライフワーク

Destiny ナンバーはMissionナンバーとも言います。
初女さんのMissionはなんだったのでしょうか。
数字の3には、発展、成長のバイブレーションがあります。
3の数字の持つミッションには、
「精神的な喜びを人に与えること」「人々に未知の光を投げかけること」とあります。まさに初女さんの社会的な活動の変遷は3を生かした実践でした。


(1)おもてなしの3
「あなたに喜んでもらえるように」

常に自身の内奥から湧き上がるスピリチュアルな導きを行動にした初女さん。
初女さんは精神的な喜びを人に与え、未知の光を投げかけ続けました。
自宅で染物教室をしていましたが、その部屋を誰でも温かく迎え入れ交流できる場にしました。1983年、62歳のとき「弘前イスキア」と名付けました。自分を見つめ直し、新たな生きるエネルギーを得られる場にしたいという初女さんの願いが込められています
初女さんは表現力、感性、直観力を惜しみなく世の中のために使うパイプを創ることを使命にもって生まれました。初女さんのパイプとは、人をありのままに受け入れることであり、おむすびで結ぶつながりです。

(2)広がる活動〜広がる場所を

「心にはいつも、前に進むための言葉を持っています」

数字の3には発展や成長、開放の意味があります。
初女さんの持ち前の感性の豊かさと楽観性でイスキア活動は育まれてきました。

「私の生き方は、自然に任せる、直観で決めるということが多いのですが、何も不安に思わずにそのようにできることは、きっと私が何も持っていないからだとおもいます。そしてそのことが私の最大の強みではないかと思っています。」
3の持つ波動は明るく純粋で、天からのサポートが来やすいと言います。自宅を開放して人を受け入れる細々とした活動が、いつの間にか周囲のサポートを受けながら森のイスキア開設と発展していきました。


(3)好奇心と行動力の3
「子どもの頃の夢が70代で叶いました」

 初女さんの行動が本格化したのは60代から。初女さんの活動が青森県内にとどまらず日本全国、また世界へと広がるようになり、各地から講演会に呼ばれることが増えていきます。もともと楽しいことが大好きで好奇心旺盛な初女さん。
周囲が高齢だからとハラハラするなか、初女さんは招かれれば二つ返事でどこへでも出かけて行きました。
制限をかけない純粋な3の波動の持つエネルギーを体現しています。

(4)与える愛、育む3
 小学校の教師時代に、その学校の校長先生だった夫と結婚しました。当時、初女さん23歳、夫は28歳年上で、3人の連れ子がいます。周囲は強く反対したそうですが、初女さんの決心は揺らぐことはなかったといいます。精神性高く、与える愛を象徴していると思います。
 結婚後は退職し、自宅で染物教室を開き、生徒さん達に染物を教え、また短大で染物の講師もしています。人を育て、育むことを選択し、行動しています。
自宅での染物教室は、その後の弘前イスキア、森のイスキア活動へとつながります。
初女さんは常に純粋な精神から行動を選択し、それが積み重なり、のちの大きな礎になっていったと言えます。


(5)明るさと闇

「苦しいと思うほど、とことん苦しみます。
もうこれ以上できない、
もう限界、というところのどん底まで落ちるのです」

父親が事業に失敗し倒産、生まれ育った青森を離れ函館へと引っ越しを余儀なくされます。その心労から、17歳で結核を発症します。電柱1本分の通学ですら吐血し、学校に行く事もままならなくなったそうです。じっと闘病生活に耐える日々が続きます。
 28歳の年の差結婚で結婚した夫には3人の連れ子があり、周囲の猛反対にあいます。また初女さん自身、妊娠しますが、病弱だったことから出産を諦めるようにとどの医者からも断られますが、最後は神様に全てを委ねて息子を出産します。しかしその息子も、初女さんが81歳の時に55歳の若さで夭逝します。

初女さんの持つ数字の3の明るさと精神性の高さは、様々なことを経験したからこそ得られた輝きなのです。

__________________________________

(Soul No.  18−9) 魂の欲求、一番大切な価値観

数字の9は自然数のすべてであり、完璧、完成、真理の数字とも言われています。
初女さんの魂は、なんでも受け入れる懐の深さを持っていたと言えます。

(3)体と心、物質と精神性を結ぶ9

「食べることはいのちをいただくこと」「いのちの移し替え」

9の数には、物質的なものと精神的なものの統合の意味もあります。
初女さんは自分の気持ちを、おむすぶに込めて、人々に差し出していました。

初女さんのおにぎりは、ただ丁寧に作ったというだけではなく、そこに込められていたのは「愛」そのものでした。そんなおむすびを口にして、傷つき悩む人々は生きる力を分けてもらっていたのでしょう。
「初女さんのおむすびを食べて自殺を思いとどまった」というエピソードは
初女さんの活動を象徴しています。初女さんの精神性がおむすびに、食に現れていました。

「おむすびの祈り

「おむすびを握りながら、なにを考えていますか」
とよく訊かれますが
私はなんにも考えていないんです。
おいしくなれとも考えない。
一粒一粒のお米を生かすように
ただ無心に握っているだけ。
十の工程があったら、十のどこにも心を離したくないから
考える余地なんてないんですよ。
ひとつひとつの工程に心をかける。
それが私の祈りです。
本当にお伝えしたいのは、おむすびの作り方ではなくて
「信仰とはなにか」ということなのです。

「信仰

 信仰のみなもとは、愛を受け容れること。
それは誰もが生まれたときからできていることで
特別なことではありません。
信仰はじぶんでつくるものではなく、与えられ受け取るものです。」


「お米が息ができるように、ふわっと盛ってさしあげます。
おむすびもね、お米がいきができるようにと思って握るのです。
あまりぎゅっと握ってしまうと、お米が息ができなくなってしまうから。」

できあがったおむすびは、ラップやアルミホイルではなく、タオルに包みます。

初女さんは食を大切にしてきました。それは、ご自身が肺結核を患い、喀血を繰り返していた女学生の頃、お見舞いに桜鯛の潮汁を頂いた時、鯛のお出汁がスーッと指先にまでしみわたったそうです。薬や注射では得られなかった感覚で、食べたい、生きたいという思いが体の奥底からむくむくと湧いてきたそうです。
初女さんにとって食べることは食材のいのちをいただくこと。
おむすびをつくるときも、その思いの根っこは一緒です。


(2)柳のようしなやかな心 9
初女さんの魂の数字9を現すこんな表現があります。
「心が大揺れに揺れても、芯が通っていればいいのです。
(略)人も木々と同じではないでしょうか。
木々がそよ風に揺すられたり、大風にあおられたりするように、人生にはいろいろな出来事が次々に起こり、心を揺らします。そんなとき、どれだけ心が揺れても自分を見失わず、しっかりと芯の通った生き方をしたい。私はそういう人間になりたいと願っています。」

柔らかな柳のようなしなやかさで、幅広い人と交流できる方でした。
包容力があり、魂の根本には奉仕できる喜びにあふれていました。
深い慈悲心と、自己犠牲。愛と理解力を持って穏やかに人類愛を実践していました。
晩年には「初女おかあさん」「日本のマザーテレサ」と言われるように、
初女さんは私たちにとってどんな時でも温かく受け止めてくれる
お母さんそのものでした。

数字の9は全てを包含する数字であるがゆえに、なんでもありになりがちですが
初女さんは奉仕に生きること、キリスト教という揺るがない信条を得て
全てを受け入れる真の強さとエネルギーでもって奉仕を実践していきました。

(3)思いやり深く、包み込む愛 9
 初女さんの人生は、与える愛そのものでした。小学校の先生をしていた初女さんは校長先生だった夫と結婚します。その当時、初女さん23歳、夫は49歳、夫には3人の連れ子がいたそうです。周囲は強く反対したそうですが、初女さんの決心は揺らぐ事がなかったといいます。23歳で3人の母親になる、それは本当の愛がなければできないことでしょう。
初女さんは常に受け取るよりも与える愛を選び、純粋な精神的喜びから行動を選択していきました。

(4)精神的成長 次の光を求めて 9
 初女さんのその人生は、ドラマチックで、激動の人生でした。
それは、時代や環境に翻弄される激動ではなく、初女さんが置かれた状況の中で心の声に従い、その活動を広げていく中での変化だったとも言えます。

「神さまが備えてくださった道を、自分であるいきます」

初女さんは、いつも自分の中に神様を感じていたそうです。辛いことや悲しいことがあったとき、どんなときでも神様が見ていてくださると思うと、勇気が湧いてきたそうです。
自分の中にある神の声を常に感じ、心穏やかに生き抜いた、そんな人生でした。

(5)母の愛
 Soulに9を持つ初女さんは、よく「母の愛」とおっしゃっていました。

「母性愛とは 言葉を替えれば受け入れること

人は受け止められたと思った瞬間から、本当の強さを発揮することができます。
どんなに苦しんでいる人でも、すべてを話して受け入れられていると思った時から、自ら解決策に気づいていくものなのです。
そのような母性愛がもう少し一人ひとりの心の中で芽生えるなら、混沌とした現代のような状況も、少しは変わるように思えるのです。」

初女さんは東北のマザー、初女お母さんとも呼ばれ、私たちの心の母のような存在でした。

(6)全てを受け入れる包容力の9

9の数字には、全てを包含する力があります。初女さんは、どんな人も状況も受け入れる包容力のあった方でした。また初女さんは、活動を深める中でこんなこともおっしゃっています。




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「響きあう

ぬか床って
生物多様性だと思うんです。
米ぬか、塩、昆布、鷹の爪、
きゅうり、にんじん、ナス、大根
食パン、りんご、ヨーグルト・・・
それぞれがそれぞれのままに
おいしさを引き出しあう。
あるがままにいるだけで
互いに支えあっているの。
多様なものが
多様なまま響き合いともに生きる。
それがいのちの摂理です。」

ぬか床からこんなことを考える初女さんは、精神が高く、実践する哲学者のようでした。
「人にもものにも、それぞれにいのちがあって、そのいのちが響きあう中で、私たちは生きています。難しく考えなくても、すでに私たちは多様ないのちの中で暮らしているのですね。肝心なのは、その関係に気づいているかどうかです。気づいていなければ人間の、あるいは自分の都合が優先されて当然、のような考え方に慣れされてしまいます。気づいていれば、自然と「感謝」の気持ちが湧いてきます。」

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(Personal No. 3)他者に映るその人の表面的人格


敬虔なクリスチャンであり、自宅を開放して心病める人を受け入れ続ける・・・、
初女さんの活動を聞くと、どんな真面目な人だろうと想像されるかもしれません。
実際の初女さんは、とてもお茶目で、好奇心の旺盛な方でした。
自分が前に出るタイプではありませんが、人を癒し、人を惹きつけるチャーミングな方でした。

初女さんには、力んだところや無理をする様子はありません。
いつも、優しい東北弁でとつとつと話す自然体な方でした。
よく、揺らぐ柳の木のお話をしていました。
「柳の木のように風に揺らいでも構わない。
芯がしっかりしていれば元の位置に戻るから」
初女さんにはキリスト教というぶれない軸が一本ありました。

 初女さんの講演会の後は、参加者との分かち合いの時間を大切にされていました。
みんなからの質問や悩みにその場で回答する初女さんの、天然で素朴な回答に思わずみんなが笑いに包まれる。そんな純粋でまっすぐなところも初女さんの魅力でもありました。人をもてなす潜在的な力を持つ数字の3を体現するように、白髪を紫色に染めるおしゃれで上品な方でした。

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(Realization No. 11-2)今回の人生での可能性や実現性

(11)
数字の11は最も高次のバイブレーションを示す数字です。
人と天を結ぶ波動であり、天からその波動を受け取り、現実社会に下ろす役割を持って生まれました。

「昔から人にお会いする時間は「神様の時間」だと思ってきました。
神様の時間ですから、自分の都合は後回しにして、最優先で時間をつくり、
心を傾けるのは当たり前です。これは私が神さまからいただいた大切な使命
なのですから。」

初女さんは鋭い直感力と秀でた洞察力で高次からメッセージを受け取ります。
そのメッセージを汲めども汲めども尽きることのない無限のエネルギーに変えて行きました。晩年には、講演会に呼ばれることも多く、全国各地、時には海外までおむすび講習会に出かけて行きました。時にご自身でも倒れてしまうのではないかと思うほどの過密スケジュールでも、不思議とその場になると力が湧いてきたそうです。
青森県弘前の地を愛し、特に岩木山を愛し、自然に囲まれた森のイスキアを愛した初女さん。「岩木山とともに、大自然の中で人々を迎えたい」そう言います。
初女さんは神からのメッセージを伝える、メッセンジャー的な存在だったのでしょう。

また11は1の2乗の数字でもあり、心を高次の世界に常に開け放ち、
直観を信じて自分の創造性を大きく世の中に築きあげた人とも言えます。
初女さんはよく「今を生きる」という言葉を好まれました。
それは数字の1を持つ初女さんのピュアでまっすぐな心で、
夢を現実的に地道な努力でもって達成する、その姿に他なりません。
自分の自宅を開放して、私財を全て奉仕に投入する、
そんな前例のないフロンティア精神は数字の1の影響でしょう。


(2)
また2の数字が表すように、調和と受容を体現した活動でもあります。
初女さんは「愛とは受け入れること」と言っています。
「人とお会いするときは「神さまの時間」と言います。


(Stage No. 1−10) 活躍の舞台
霊性に基づいた独創性を発揮し、新しい活動を創り上げました。

(Challenge No.  2−20)試練数
奉仕の精神にあふれた初女さん。与えることと受け取ることのバランスや人との境界線と常にバランスを考えていました。

(Nature No. 3)素の性質
与えられた生を楽しむ気持ちを持っていた初女さん。どんな困難も自らの糧にして、人への奉仕へと繋げました。

(Action No. 1) 行動特性
直感を信じて前進し続けました。


(Month No.10−1)若年期の様相
近くの教会から聞こえるアンジェラスの鐘の音に心惹かれる幼い頃の初女さん。その頃から今世の一生を決める霊性に導かれていたのでしょう。
(Day No. 3) 個性や行動特性を見る第2ツール
自らが楽しいと感じ、そのインスピレーションを活かして人をもてなすのが初女さんの持つ波動と言えます。


(Year No.13−4)年代意識数 宇宙数
13は修練の数字です。創造と破壊を繰り返し、常に学びを喚起されます。
障害の度に変容する修練を経験し、カルマの負債を清算することになります。
また4の数字はそうした受難を経て基盤が強固に揺るがないものになることを示しています。


〜Cycle /Pinnacle/ Challenge No. 〜
☆サイクルナンバー どのようなことを学ぶ時期か?
☆ピナクルナンバー どんな状況の時期なのか?
☆チャレンジナンバー 与えられた試練や今回の人生での課題

【0〜28歳】
〜母となる・出生から息子出産まで〜
*Cycle No 1  種まきの時期。焦点を定めて明確な目標を作る時期。
*Pinnacle No. 4 準備と前進の時期。
*Challenge No. 2 受容と協力。境界線を保ちつつ奉仕する人生を確立する。


【29〜37歳】
〜染物で入選・自分の如何ともしがたい状況を受け入れつつ、受容と学びを深める時期〜
*Cycle No 3 より多くを経験し、さらに想像力を発揮し豊かさを受け取る時期。
*Pinnacle No. 7 内省と探求
*Challenge No. 1  霊的資質に目覚める。感性と直観を生かす。心の柔軟性を学ぶ。

【38〜46歳】
〜人が集まる・イスキア活動の礎の時期〜
*Cycle No 3 より多くを経験し、さらに想像力を発揮し豊かさを受け取る時期。
*Pinnacle No. 2 独創性と奉仕を発揮する時期。交流を通じて自己成長を図る時期。
*Challenge No. 1  霊的資質に目覚める。感性と直観を生かす。心の柔軟性を学ぶ。

【47歳〜】
〜イスキア活動の発展〜
*Cycle No 4 収穫、基盤づくりの時期。ステージアップの段階
*Pinnacle No. 5 変化と自由の時期。変化を楽しむ機敏さと柔軟さを学ぶ時期。*Challenge No. 3  自分の感性を表現していく。外へ出て行き視野を広げる。




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それでは初女さんの半生を数字と共に細かくみてまいりましょう。
vol.2へと続きます 。どうぞ引き続き、ご覧くださいませ。
by kej000 | 2016-08-06 09:59 | 数秘レポート

本当の自分との出会いに♡ いわさきちひろ

本当の自分との出会いに * いわさきちひろ


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いわさきちひろ

本名 松本 知弘 
   Chihiro Iwasaki
生年月日 1918年12月15日

いわさきちひろさんは 子どもの水彩画に代表される日本の画家であり 
「子どもの幸せと平和」をテーマとした絵本作家です


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■誕生数 ♯19-10-1■ 生まれ持った資質・性格・個性と生きる姿勢や才能・その人の潜在能力

カルミックナンバーである10-1は 一般的に恵まれた環境で育つがその与えられた環境や物が本当にあなたらしく生きるものなのか問われてくる本当の自分はどうしたいのか生まれた環境と言うのは潜在意識にインプットされているのでインプットされているものを乗り越えて
自分がどうしたいのと言うところに行くのが10番である人生の大きな目的の中に自分の価値基準や環境ではない本当の自分の価値基準を見いだすのが大きなテーマになってくる

人生のある時期に全く別の道へ変化する場合が多く見られる前世でやり残したカルマや目的を今生で果たすためのナンバーで人道的な目的や人に癒しを与える方向へ向かうことが多く見られる ディスティニー8で社会で仕事をするまで専門領域を極め精神性を極めていくことです

19 まず生まれて与えられた環境や価値が本当に幸せなのかと問われるのが10-1そしてそこから私ってもっと違う価値なんだと言う方向へ行くのが19
19は1から9に移行するナンバー 9は「月」月は母とかも表す家族とか身内とかに親族も含めてカルミックメイトでセットになってきている自立に関しての学ぶ対象がセットで自分の身近な環境に持ってきている
その中で本当の権力本当の力とは何か本当の自立って何とずっと模索している本当の自分になっていき自信と威厳を現実社会で確立すると言うのが19は最終的には1人と言う意識ではなくみんなのおかげで自分がいるのだというところまで立ち返るということもあるおそらく声させてくれないような自我がある
家計から来ている長くかかるかもしれないが超えさせてくれない自我を振り切って自立を目指すナンバーです

ちひろさんの環境は正しく当時としては非常に恵まれた家庭環境であったようです
何でもできる方で絵の才能があり書をやっても先生の代役ができるほどの力を持っていて運動神経も優れ何でもこなす人のようでした

美術学校に進むことを望んだが両親の反対で洋裁学校へ入学 その後20歳のときに3人姉妹の長女だったちひろは両親の勧めで婿養子を迎え望まぬ縁で形だけの結婚であったが夫の自殺で終わりを迎えたつらく苦しい思いを持っての再出発だったのでしょう与えられたそうした環境の中でもディスティニー8番のバイタリティーとパワフルさで再び絵と書を始め自立を目指しました
1945年疎開先で戦争を迎えその時ちひろは初めて戦争の実態を知り自分の無知を痛感したようです 両親に相談することもなくこのことが共産党に入党したり後にちひろは「子どもの幸せと平和」を願い原爆やベトナム戦争の中で傷つき死んでいった子供たちに心を寄せていったのでしょうまた当時挿絵画家は美術作品として認められずその時ちひろは持ち前の行動力を発揮し絵本作家の著作権を守るための活動もしていました
ちひろ亡き後夫の義明と息子の猛はちひろの足跡を残すためにいわさきちひろ絵本美術館を開館しましたがちひろ美術館はちひろの作品の収集展示という個人美術館の枠を超え(日本の美術の一ジャンルとして正当に評価し絵本原画の散逸を防いで後世に残していくこと) に目的を広げて活動を展開しました夫と息子と多くの作家らの協力で大きな社会貢献に結びついたと思いますまさに19-10-1の人生だったと思いました

■Destiny Number ■運命数 80-8
仕事表面的意識 社会へ打ち出す能力

社会に出て現実に勉強してやってみる事項を拡大するために現実と向き合って忍耐でコツコツ社会の学びをする地道な努力を続け常に達成向かうことを目指す1人ではなく組織の中で大勢と強調してやっていくことで自己信頼を得て8の学びが大きく与えられる0のつくナンバーは0的な素質を豊かに発揮する能力に恵まれています直観力や洞察力が目的成就への有効な手段となります
ちひろさんはどんな状況の時でも学び続ける努力を続けた人であった

■Soul Number ■ソウル数 8

内なる欲求にはパワフルさと行動力があり情熱的で自信と大胆さ
またロマンチストで思慮深さも併せ持っていただろうと思われます
バイタリティーがあり自信を持って積極的に進んでいく夫の善明が衆議院選に初当選した時はちひろは画家 1時の母、老親の世話大所帯の主婦と並行して国会議員の妻として忙しい日々をこなしていたパワフルでバイタリティーある日々だったでしょう

■Personality Number■ 人格数 9
ひとから見られる自分

物腰柔らかく落ち着いた感じ人当たりが良く幅広い人と交流できる人
面倒見の良さどんなタイプの人にも自然に接することができる人

■Realization Number ■ 実現可能数 9
今回の人生での可能性や実現性

人を感化 強化させ得る才能を生かし豊かな才能発揮し愛と理解力を持って人類愛を実践していける人
慈悲の心を持ち人々に自分の経験から得た叡智を伝え社会貢献すること
いらないものは手放して自分も人も許すことで全てを受け入れる真の強さ、エネルギーを得るまた自分の生き方を世の中の人や未来を担う子供たちに見せることにより後に続く人たちの道標となり人の心に寄り添うことを目指しています穏やかに人類愛を実践することがミッションです

■Stage ■活躍する舞台 9

1から8の要素を持っている人なので
どんな人とでも交流できる冷静な人です
指導者 慈悲深く落ち着いているそっといるだけでエネルギーが伝わってくるような人なので心の分野や芸術など

■Challenge■ 20-2

人を思いやる優しい心で安らぎや癒しを与えるイメージの世界での価値ある創造物を現実社会で実現化していくこと
0のつくナンバーは霊的な素質を豊かに発揮する能力に恵まれています直観力や洞察力が目的成就への有効な手段となります

■Nature■ 11-2

物腰柔らかく 皆を見守っている感じ
控えめだが聞き上手なのでよき相談相手になってくれそうな方
細やかな気配りのできる女性的な信頼できる人

■Action■ 7

深い洞察力と論理的な分析力を持ってひたむきに探究を続け
いろいろな環境の変化の中でも好きなことに対する情熱を持ち続けて徹底的にやることで専門性を極める




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■Cycle Number ■

0から30歳
Cycle 3-Pinnacle 9-Challenge 3

3は豊かな表現力 感性多趣味多忙な人
9番は才能豊かな人
幼い頃から書くこと描く事に優れていて環境のいかなる変化の時も描き続け書き続けることに努力を惜しまなかった人です辛さや苦しみの中でも自分の感情を誠実に表現し内的エネルギーを解放していたのだと思いますそして絵を通して表現力を惜しみなく世の中の人や子供たちに使い寄り添っていたのだと思いますがピナクル9はいろいろな問題を抱えて精神的な成長をしなければならない直揺れに揺れていた状況だったと思います

33から44歳
Cycle 6-Pinnacle 16-Challenge 5

輪郭のはっきりしないちゃんと描けていない技法と批判を受け
ちひろ自身もそのことに悩み孤立していった中で 多くの体験や事態に遭遇し何度も価値観を変え まず自分を信頼し人を信頼することあるがままを受け入れることでちひろはこれまでの迷いを捨て 自分の感性に素直に描いていくことを決意して1962年の作品「子ども」を最後に油彩画をやめ水彩画に専念することにした
変化を受け入れ内面の自由を見つけていたのでしょう

45から53歳
Cycle 6-Pinnacle 7-Challenge 2

独自の画風を追い始め それまで培った技法は絵本などの作品にも多く取り入れられている多くの経験を重ね視野を広げよりたくさんの人と交流を重ね心を解放し分かち合い自分自身を信頼して変化を受け入れながら愛の精神で幅広く世の中の人や子供たちの心に寄り添っていったのです

54歳から
Cycle 19-Pinnacle 13-Challenge 2

環境ではない本当の自分の価値基準を乱す大きなテーマを見つけ社会に貢献すべく専門領域を極め精神を極め人々に癒しを与え自分の内面や周りを安定できる状況になってきているそんな時体の変化を知りそれを静かに受け入れその時まで命の象徴として子供たちを描き続けたのでしょう



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〈History 〉

1998年12月15日
建築技師である岩崎正勝と教師である文江との間に武生市で長女として生まれた
岩崎家は当時としては非常に恵まれた家庭であった ラジオ 蓄音機 オルガン等の品々がありカメラも所有しており当時の写真が数多く残っているちひろは絵や書の才能があり
その一方で水泳スキー登山などもこなしていたようです

1933年15歳 (Year Number 16-7)
岡田三郎助に師事 デッサン油絵を習う
母文江はちひろの絵の才能を認め母の勧めでデッサンや油絵を習う展示会で入賞を果たした
極めるものを見出せた時である
美術学校に進むことを望んだが反対にあって断念する

1936年18歳(Year Number 19-10-1)
コロンビア洋裁学院に入学
自分の望む進路ではなかったようです

1937年19歳(Year Number 20-2)受容
小田周洋に師事し 藤原行成流の書を習う
両親の意向を受容しながらも自分の進むべき道を模索しながら小さな1歩を踏み出している

1939年21歳(Year Number 22-4) 波乱の人生
婿養子を迎えた結婚
夫の勤務地である満州大連に渡る
3人姉妹の長女だったちひろは両親のすすめを断りきれずに婿養子を迎える望まぬ縁で形だけの結婚であった

1940年22歳(Year Number 23-5)変化
夫の自殺により帰国
再び小田周洋に師事し書を習う
辛い苦しい思いを持っての再出発だったでしょう

1945年27歳(Year Number 19-10-1)
空襲で家を焼かれ母の実家長野県松本市に疎開そこで終戦を迎える
このとき初めてちひろは戦争の実態を知り
自分の無知を痛感し、後に共産党に入党したりちひろは「子どもの幸せと平和」を願って原爆やベトナム戦争の中で傷つき死んでいた子供たちに心を寄せていたのでしょう
19-10-1自分が進む本当の自由を見出したのでしょう

1946年28歳 (Year Number 20-2)
疎開先の松本で日本共産党に入党両親に相談することもなく同年上京して人民新聞社の記者となる日本共産党宣伝部芸術学校に入り丸木俊に師事する
この頃から数々の絵の仕事を手掛けるようになる
20-2 変容体験を通して自分に植え付けられたもの排除して自分が体験していることを人に伝えていく

1949年31歳(Year Number 23-5)
紙芝居(お母さんの話)を描きこれをきっかけに画家として自立する決心をした松本善明と知り合う
5で人生の目的自由勇気を持って変化にチャレンジしていった

1950年32歳(Year Number 24-6)
松本善明と結婚 6番のテーマは愛を学ぶ 結婚 離婚を経験して自分の内面の強さを学ぶ
結婚にあたって2人が交わした誓約書が残っている
そこには日本共産党員としての熱い情熱とお互いの立場 特に画家として生きるちひろの立場を尊重しようとする姿勢が記されている

1951年33歳(Year Number 25-7)
長男松本猛誕生

1972年54歳(Year Number 28-10-1)
童画ぐるーぷ社の展覧会に出品これが「戦火の中の子どもたち」制作のきっかけとなる
10-1始まり新たなステップ再誕生

1973年54歳 (Year Number 2)
病気が見つかる

1974年55歳(Year Number 3)
人々に道の光を投げかけていたのでしょう
1974年8月8日死亡


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*いわさきちひろさんを読んで*

以前からちひろさんの絵が好きでした
あたたかく優しさ溢れるきれいな絵です
優しいタッチで子供たちの顔の表情を生き生きと表現できる人
幸せあふれる優しい人の描く絵だと思ってました 写真から想像する彼女の印象です。
今回彼女をリーディングするのはまったくの偶然からでした。しかし数字を見たときディスティニー、ソウル、パーソナルが私と同じ それに8と9が多い方にびっくりしました
私も多い方です。俄然リーディングする意欲が湧いてきました。でも第一印象とあまりに違うことの戸惑いと数字の持つ意味に改めて神秘と驚きを感じました
自分の人生にリンクする部分にも驚かされました。穏やかに優しく微笑んでいる写真のちひろさんからは想像できない 辛く苦しい人生を受容しながらそこから自立していく長い日々を地道な努力とそれでいてパワフルでエネルギッシュな人生をあまりにも早く駆け抜けたちひろさんに私のこれからの人生まだまだ頑張れると背中を押された思いでした

私の両親は今の私の歳にはすでに人生を終えています
この先の私の人生はおまけの人生だと思っていました。いまさらこの年でこんなに頑張らなくてもと思う気持ちも少しありました でもこれからのおまけの人生精一杯頑張っていこうと思わせてくれました。
そして8番を持っている私は結構この頑張りを楽しんでいるのも感じています
やっとスタートラインに立っている私ですが穏やかではあるがパワフルでエネルギッシュに進んでいこうと思いました

Reported by Yoshie
AEONS Numerology Basic 10th Class @ yokohama
by kej000 | 2016-07-25 23:08 | 数秘レポート

生涯バンドマンにこだわった「忌野清志郎」


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忌野清志郎
(いまわの きよしろう)
職業:バンドマン
本名:栗原清志(くりはら きよし)※出生の時の名前は不明です。養子後の名前です。

生誕:1951年4月2日
死没:2009年5月2日


清志郎は、 RCサクセションのボーカルとして、日本のロック界に新しい風を起こし
「ロックンローラー現役で老衰で死んでいきたい」という希望はかないませんでしたが、
がんの闘病後もステージに立ち、あのソウルな歌声を聴かせくれました。
最後まで、アーティストではなく、シンガーソングライターではなく、バンドマンとして全うしました。人生そのものがロックの人でした。



★誕生数(生まれ持った特質・本来の姿)は、「22-13-4」

13-4は「修練」のナンバー。創造と破壊を繰り返す。オリジナリティ、リーダーシップを発揮する。ヒーラーの適正もあります。さらに、22は「創造」のマスターナンバー。創造性にあふれ、天と地の懸け橋となるような社会貢献をする。現実社会、組織の中で、大きな視野の愛のもと、偉業を成し遂げるパワーがあります。

「古いものを壊す側にいたい」・・・彼が生前に語っていました。
彼の作る音学の根底には、大ヒットするために綺麗にまとまるではなく、
今までの誰かを真似するでもなく、
とはいえ前衛的に走るではなく、
自分たちだけのオリジナリティやスタイルを模索し続けていたようです。
ラブソングばかりではなく、
時には、原発や君が代をテーマとした曲を歌う。
音楽やテレビ業界に向けての風刺的な曲を歌う。
時代時代に合わせて、ユーモアとお茶目な表現力で、
つねに権力的な立場に対して、正直な気持ちをこめた音楽もたくさんありました。
世間では、問題児として取り上げられるものの、
歌詞は、公平で、平和で「愛」のあるものでした。
彼は実の母と父を知りません。3歳の時に養子に迎えられ、その事実を両親は隠していたようですが、本人は知っていたそうです。甘えたいけど甘えられない・・・そんなジレンマを抱えていたと思います。両親の心の痛みも、自分の心の痛みも、両方を敏感に感じながら、人を感動させる歌詞を生み出してきたのかなと、改めて感じます。

彼の人生は
まさしく数字どおり、「創造と破壊」を繰り返しながらも、現実社会で、新たな視点を提示し、偉業を成し遂げてきたと思います。
私にとって「ヒーラー清志郎」。
彼の音楽と歌声は、みんなを元気にしてくれる「ヒーリング」そのものではないかなと思います。


★運命数(この世における使命や目的)は、本名:12-3 芸名:16-7

本名からも、3の数字があり、アートの才能がみられます。小さいころから漫画を描いていたということで、絵の才能もずば抜けていたようです。ミュージャンから素顔の清志郎に戻っても、絵本を出版したり、サイクリングなどの趣味に徹底的に打ち込むなど、子供のような好奇心で様々なことを挑戦していました。

芸名は7。ステージに立つと、奇抜な衣装と化粧で、場を盛り上げ、歌で感動させるエンターテイナーでした。7という音楽の追求に対してのマニアックさ、独創性もあり、皮肉を込めた歌詞もあったりと、つねに冷静に分析しながら、自分や世の中をみていたようです。霊的な感覚もすぐれ、詩や曲は丑三つ時に、天から下りてくることも多かったと語っています。16の要素の真理の探究とうテーマからか、年齢を重ねるごとに、普遍的な愛を、曲から感じることもありました。



★実現数(人生での可能性や実現性)は、本名:7 芸名:11-2

本名からの7では、音楽という表現で、人と人がつながり、幸せになるという素晴らしい仕事を成し遂げられました。からにこもりがちな性格も、音楽により開放することで、自信につながり、徐々に心の壁を取り払っていったと思います。

芸名からの11-2では、音楽がベースとなり、メッセージ性のある言葉選びにも、自分の霊性や創造性を発揮して、日本から世界の平和や調和、愛をつねに歌い続けてきました。自分一人ではなく、バンドマンとして、調和を大切に音楽活動も行ってきました。夢追い人で終わらず地に足のついた行動は、ファンだけなく、音楽業界も含めた現実社会でも、確実に認められていたはずです。


★ソウル数(価値観や内なる動機・行動の基準となるもの)本名&芸名:11-2

本名も芸名も同じでした。「11-2」。
バンドでもリーダーとしてではなく、みんなが同じお給料で、調和を大切にしていたそうです。
「2」調和とバランスの要素がとても強い人だなと感じました。なのでたぶん、「生涯バンドマンでいたい」と語っていたのだと感じます。映像でみると過激な様子もありますが、シャイで繊細な人でした。化粧するのは、シャイな自分から「忌野清志郎」に変わるためだったという話も聞いたことがあります。
オリジナリティの音楽に自信はあったものの、世間で認められるには、時間もかかりました。
心の揺らぎの中でも突き進めたのは、周りとの協力的な姿勢があったからだと思います。
繊細な感性は、現実社会では理不尽なことも多々あったと思いますが、音楽で精神性を昇華させていく努力を生涯されていたと思います。


★人格数(他者の目に映る印象や雰囲気)本名:10-1 芸名:5

本名は10をもっています。高校生の頃、母親が「息子が音楽に夢中になっていって、将来が心配です」と新聞の人生相談に投書し、それが新聞に掲載されたことがあるという話は有名です。
そんな中で、反対されながらも、自分の直感や感性を信じ、ピュアに積極的に行動し、突き進んでいきました。親から独立し、やるべき使命を全うした姿は、「10-1」の霊的な創造性をまさしく発揮したものだと思います。

芸名は5。自由で多才で革新的なイメージ。予想不可能なひょうひょうとしたイメージ。
どちらもステージの清志郎そのものが数字に表れていると思います。




★ステージ数(活躍の舞台・仕事)本名:9 芸名:12-3

本名では9。様々な実体験をもとに、人類愛や博愛精神を大切にし、芸術性を活かして、人々を導いていく使命があり、芸名は3で、音楽や絵の才能を活かして、人々に喜びを与えていくのが、活躍できる舞台となります。どちらも清志郎が実践してきたことかなと思います。



★チャレンジ数(今回のチャレンジ)本名:5 芸名:5

どちらも5。既存の価値観に縛られることなく、生まれ育った家族との関係、仕事として選んだ音楽、精神的にも肉体的にも、浮き沈みを経験しながら、自分のやりたい真実の音楽をつねに追求してきました。バッシングも多々あったかと思いますが、それに屈することなく、一つ一つ積み上げて、真の自由をつかんでいったと思います。



★Nature数(自然な雰囲気)本名:14-5 芸名:8

ひょうひょうとしているけど、カリスマ性がある感じはぴったりです。



★Action数(行動パターン)本名:4 芸名:2

一発屋ではなく、確実に自分のやりたい音楽での実績を積み重ねていき、だけど威張らずに協調性を大切にする人でした。






【 HISTORY】 

参考文献
『ロックで独立する方法』(忌野清志郎、太田出版)
『忌野旅日記』(忌野清志郎、新潮文庫)
『瀕死の双六問屋』(忌野清志郎、小学館文庫)
『Rockin’ on Japan特別号 忌野清志郎1951-2009』
『忌野清志郎が聴こえる 愛しあってるかい』(神山典士、アスコム)
『文藝別冊 忌野清志郎デビュー40周年記念号』(河出書房新社)
ウィキペディア
スポニチアネックス
朝日新聞コラム
徹子の部屋



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★0歳(year number 22-4)

東京都中野区に誕生します。


★3歳(year number 16-7)開放・内省

実母の死により、伯母夫妻に養子として迎えられたそうです。

清志郎は子どものころから、自分が養子であることを知っていて、親がそれを自分に告げないでいることも知っていたと、のちに語っています。彼の言葉によれば、「孤独に耐える術を身に着けた」子供時代だったそうです。



大きな変化は

★19歳(year number 23-5)変化

フォークグループ「RCサクセション」として「宝くじは買わない」でデビュー。


清志郎少年は、学校に馴染めず、かと言って不良でもなく、物静かな少年だでしたが、
中学・高校時代から、エレキやフォークブームに刺激を受け、
同級生でバンドを結成し、オーディション番組に多数出場していました。
番組で合格したのをきっかけにレコード会社と契約。
はじめは、アコースティック系のバンドとしてデビューしました。

数秘的にみると、year numberの二桁が、なんと42歳まで続いています。
ソロ活動ではなく、一人より三人、四人の、誰かと調和やバランスをとっていくバンドマン志向が、ここからも伺えます。

小さいころから絵の才能もありました。高校時代には、未来の自分たちのバンドの活動を、ノート一冊の漫画に描いて、オールナイトニッポンに送って、番組で紹介してもらおうと試みたらしいですが、失敗に終わりました。



★21歳(year number 25-7)開放

「僕の好きな先生」がヒットします。

音楽人生のステージアップはあったものの、その後ヒットが続きませんでした。
ヒットした曲は正攻法ではなく、イロモノ的だったと本で語っています。売れる曲と作りたい曲のギャップ・・・その後の曲作りのイメージでかなり悩んだそうです。そんな葛藤の中で、バンドとしても低迷期が続きました。



★25歳(year number 20-2)調整

事務所移籍。移籍と同時に発売しようと企んでいたアルバムが、契約条件のためにお蔵入りに。

契約が切れた後の1年間はレコードが出せないということで、レコードも出せず、バンド活動もままならずで、バンドの方向性を見直すことになりました。「個人と共同体」のジレンマに。仲良しの友達同士から始まったバンドマンのターニングポイントを迎えることになりました。


★26歳(year number 21-3)創造

メンバーの脱退の後、さして面識もなかった売れっ子ギタリストにより、ロックの新生RCへ。

偶然なのか、必然なのか・・メンバーが抜けて途方にくれていたとき、彗星のごとくあらわれたのが、RCのファンでもあった売れっ子ギタリストの春日さんという男性でした。彼のアドバイスやギタリストとしてのバンドへの参加により、ロックとしてのRCの原型が確立されていきました。高校時代に描いた漫画の通りの「夢のバンド」に近づいていったようです。曲にも新たな表現力が生みだされ、今までにない作品となっていきました。


★29歳(year number 24-6)調和

「雨あがりの夜空に」やアルバム『RHAPSODY』のヒットで、メディアの寵児に。

メンバーの脱退や加入を繰り返しながらも、低迷期に蓄えていた曲など、本当に自分のやりたい音楽が形になり、精力的にライブ活動を展開していきました。ライブでの人気も高まり、世間一般にRCサクセションの忌野清志郎が認知され始めました。ミック・ジャガーなどの影響でメイクを始めたり、パンクファッションにしたりと、一度見たら忘れられない、清志郎ファッションも確立されていきました。



★31歳(year number 26-8)繁栄

坂本龍一とのコラボ「いけないルージュマジック」でRC以外のユニット活動も。

テレビのCMにもなった「いけないルージュマジック」のユニット活動は、忌野清志郎の認知度をさらにアップしていきました。万人受けするとは言えないまでも、強烈な印象でお茶の間を賑わせていたのは確かです。



★34歳(year number 20-2)調整

事務所独立。その反面、個々のソロ活動が多くなり、バンド活動が低迷する。

数秘的にもセカンドサイクルに入り、「4」の安定から「2」の調整やバランスになったころです。pinnacleが9でchallengeが5なので、音楽やバンドとしての完成形に向けても、必要なことと不必要なことを取捨選択していき、その変化を受け入れるサイクルになっています。

実際に、自分たちの事務所を作って自由度をましたかのようで、バンド的には不協和音が発生していたようです。一つの目標をみんなが目指していた時代から、それぞれの方向性が変化していき、新たな道を模索していた時のようです。



★37歳(year number 23-5)変化

養父母の死をきっかけに、実の両親や弟のことを知る。

養母の死をきっかけに、養父が実の子ではないことを教えてくれたと清志郎は語っていますが、養子であることは小さい頃から知っていました。その養父の死をきっかけに、親戚の方から、実のご両親のアルバムや手紙などを初めて渡されたそうです。実の父は、弟だけをひきとって別れたことや、母親の写真、母親が歌が上手くてみんなをいつも笑わせいたことなど・・まさしく母の様子は清志郎そのものでした。それから、いつも母の写真をポケットにしまって持ち歩いていたそうです。長年の謎を知り、涙を流し浄化していくことで、今までとは違う心の変化がおきていったのは間違いありません。それは、曲作りにも大きく影響していきました。


★38歳(year number 24-6)調和

長男「たっぺいくん」の誕生。

30代後半で結婚し、長男が誕生。ライブで替え歌にしながら喜びを表現するなど、親バカぶりも発揮されていたようです。バンド内のメンバーはギクシャクしながらも、year number 6のとおりに私生活ではお喜びごとの年となりました。


★40歳(year number 26-8)繁栄

RCの無期休業宣言。個人事務所設立。

「忌野清志郎のRC」ではなく「RCの忌野清志郎」と常に語っていました。
ゴタゴタからの解放感があったとはいえ、この休業は、清志郎自身の一部だったRCがなくなり、ぽっかり大穴が空いた大失恋気分だったそうです。解散後の一年はとても新しいバンドを始める気分にはなれなかったとのことです。

過去から独立する機会にはなったようです。心の痛みはあったものの、繁栄の8、無限大の8のサイクルであることもあり、これからのステージの広がりが予想されました。


★43歳(year number 2)調整

俳優活動に挑戦。映画「119」の音楽を担当。新たな分野に挑戦。

year numberがはじめて一桁になった年は、役者や映画音楽という今までにない分野での仕事を積極的に広げていきました。これをきっかけに、様々な芸術の分野で表現をはじめています。



★44歳(year number 3)創造

映画『119』に音楽監督として参加し、第18回日本アカデミー賞で最優秀音楽賞を受賞。

RCサクセションの解散以降、前にも増してさまざまなバンド・ユニットを渡り歩き、その時の自分の気分に合った曲を作り続けてきました。活動の場は広がり、映画の音楽をはじめ、CMソング、時には絵本作家として、時には役者として、清志郎の個性を様々な分野で、楽しみながら発揮していた時代だったと思います。




★55歳(year number 5)変化

音楽の聖地「メンフィス」でアルバム「夢助」をレコーディング。
その2ヶ月後に喉頭癌で入院することを発表し、すべての音楽活動を休止。


メンフィスのキングオブソウル「オーティス・レディング」。
清志郎が、最も影響を受けたミュージシャンの一人だそうです。
その聖地でアルバム『夢助』をレコーディング。
新たな始まりを予感させました。
しかし、その発売をまたずに、喉頭癌がみつかり、入院治療を余儀なくされました。
癌の摘出をすると声が出なくなると宣告されたことから、手術はしないで治す方法を選んだと聞いています。
その決断は、最後まで、うたを歌い続ける覚悟だった、彼の強い思いを感じることができます。


★56歳(year number 6)調和・完全

日本武道館にて『忌野清志郎 完全復活祭』を開催し、本格的に活動を再開。

日本中のファンが待ち受けていた復活祭。清志郎の歌声は変わっていませんでした。
サイクル6が表すように、愛を学び、愛を与え、すべてを、あるがままを愛することを教えてくれる愛と調和のライブだったと思います。



★57歳(year number 7)開放・信頼

転移のため、ライブ活動を休止。

治療に専念しながら楽曲提供、ライブの飛び入り参加など、音楽活動も再開。ライブ活動はお休みしていましたが、精力的にできる限りの音楽活動を行っていました。まわりの存在を信頼し、今という時間を大切にして、精一杯生きていたと思います。


★58歳(year number 8)達成

2009年3月に体調不良で入院。5月2日に58歳の人生の幕を閉じ、天へと旅立たれました。

青山葬儀所でファンなどを対象にしたロック葬が行われ、弔問数は4万3000人に及んだそうです。

本人いわく、闘病後の復活祭では、「椅子にすわって地味に復活するのかと思ってたけど、バンドに戻れて本当に幸せだぜ!」とステージで声をはりあげてくれました。まだまだやりたいことはいっぱいあったかと思いますが、生涯ソロミュージャンではなく、バンドマンにこだわり、バンドマンを全うしたことは、彼にとっては本当に幸せだったと思います。



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最後に、
派手なようで地味な人だった、そんな清志郎の58年の人生は、つらいことも寂しいこともたくさんあったかと思いますが、誰に対しても平等で優しさにあふれた愛は、いつも私たちの心を明るく照らしてくれました。

歌と声で表現される彼のパフォーマンスは、日本を、世界を平和にしてくれるものだと思います。
永遠に私たちの心に生き続けるでしょう。



清志郎、たくさんの愛をありがとう!
「愛してます!!!!!」



清志郎の歌声をお聞きください
https://mojim.net/jp_video_u2_QnKykvIp4Yg.html?h=111911x7x11



reported by Moco
AEONS Numerology Basic the 10th class @ Yokohama
         
by kej000 | 2016-07-25 21:08 | 数秘レポート

数秘学 Teacher's program の設定について

数秘学 Teacher's program 


本日は、数秘学の指導者育成プログラムについての詳細を記させていただきます。


目的>

*数秘というツールを通して、これからの時代に必要な「個の認識を高める場と設定と伝達」
*専門的知識を多角的に学び、究めること(プロフェッショナルとしての在り方の育成)
*自らの闇を光に変え、同じ闇を持つ者に光を照らしていくこと
*特に女性の、精神的、経済的な「自立」の手段の基盤をつくること
*教師として、さらなる「自己の在り方の確立」を目指すこと


経緯>

数秘からカバラへと学び、この世の中には、法則があることを知りました。
すなわち、Universal Truth です。それを体験していくにつれ、私たちは、個からもっと大きなフィールドへ、調和の世界へ向かっていくことを感じています。その中で、私ができることは何か?・・それを考えた時に、自分が長年培ってきた知識を、敢えて後継者に伝えていくことだという思いに至りました。
そして今、その思いを引き継いでくれようとする人びとに、私は恵まれています。
感謝という言葉では到底、現すことができない大きな歓びです。

鹿乃子 拝



::::::::::::::::::::::::

以下、2016年8月26日現在の記録です。
施行後、変更があった場合は、随時、修正して記しますので、予め、ご了承くださいませ。


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Numerology Teacher's Program


受験資格>

*数秘基礎科修了(10credits)
*数秘アドバンス修了(2credits)
*Universal Numerology 修了(10credit:但し、カバラ・クラスで代用可)
*神託としてのタロット修了(12credit)
*カバラ占星学・修了(2credit :但し、占星学基礎クラス、または星のWSで1credit代用可)

注)タロットを学ぶ?不思議に思われるかもしれませんが、タロットを通じて、数字に隠されているヴァイブレーションと流れのSTORYを追うことで、数字の理解が爆発的に高まります。
占星学は、各、天体についての説明をいたします。生命の木の各セフィラには、それぞれの天体のヴァイブレーションがのっているのです。それによって、更なる多次元の理解が深まります。


以上、必要単位(36credits)を修了されている方は
Teacher's programへの受験資格があるとみなします。

これに加え、時間や金銭にルーズな方、
状況に応じた適切な対応ができない方等は、お断りする場合がございます。



::::::::::::::::::::::::


受験課題>

1)20〜30名のリーディング・レポート

課題のリーディング・セッションは基本として30分から1時間。
タロット使用の場合は、45分から〜1時間程度。
金額は、3000円を最低限として受け取ってください。

10名に達したところで、フルDayのカウンセリング•レポートの発表をしていただきます。
レポートには、所定の用紙へのクライアント様からの感想およびご意見をいただいてください。
セッションの進行を口頭で伝えるようにご準備いただき、チャートの添付をお願いいたします。
また、セッションは録音を残してください。提出をお願いする場合がございます。

10名レポートの発表の代金は、3万円です。
(セッション料金、3000円X10名と同額の料金となります)

この行程を続け、最終的には、全てのセッションが合格するように・・こちらから的確に、かなり厳しめにアドバイスしてまいります。20名を終えた時点で、今後のお話をさせていただきます。もしも、合格点が30人経過でなされない場合は、ケースに応じて、追加のレポートをお願いする場合があります。(遠隔者の場合は、15名まとめてなど考慮いたしますので、お申し出くださいませ)

金額:最終的には、3000円X人数分の金額をお支払いいただくこととなります。


2)実技テスト

実際に、クライアントを前にしてのセッション・テストを行ないます。
30分セッションX2人。
審査員は、2名くらい。総体的な評価が成されれば、合格です。


3)考え方、捉え方、理念のインタビュー

こちらは、基本的に(2)の実技試験と同日に行ないます。

*占いや未来予想に留まらない、リーディング、ティーチングを可能にしていけるか?
Universal Truthに基づいた考え方が成されているか?等を面接させていただきます。

金額:未定(審査員の方々への報酬も含め、検討中です。そう高くはなりませんのでご安心ください)


実践研修>

以上を経験された方については、以下の研修を行ないます。

*数秘クラスでの実践研修(2〜数回:個人による)

金額:無料です。
但し、全てのプログラム授与時に手数料1万円を申し受けます。


::::::::::::::::::::::

全てのクレジット、及び必須項目を修了された方に、
AEONS Numerology Teacher 資格の認証を授与いたします。


::::::::::::::::::::::


資格認証者のベネフィット>

*数秘・基礎クラスを個人で自由に開催可能です。
*アイオンズの数秘基礎科クラスで使用しているレジメ、資料のデータ一括授与。
*アイオンズの数秘関連講座をいつでも1000円で受講可能
*2ヶ月に1度のTeacher 交流会で、現状のシェアをいたします。
*基礎科終了された生徒さまにおいては、本部アイオンズ・数秘アドバンス、2桁、及び、Universal Numerology 等の講座への参加が可能です。


以上。

先ずは「究める」ことへの、覚悟。意志、強さ。
そのあたりが一番大切なことなのだと感じております。
その結果として、教師となる。
その在り方が一番、求めていること・・に他なりません。

全て、個人ベースでの申請となります。
ご相談、ご質問は、鹿乃子までお気軽にどうぞ^^

ありがとうございました☆




by kej000 | 2016-01-06 16:22 | おもしろ数秘学

慈愛と。不屈の精神と。 *マザーテレサ



沈黙の果実は祈りである
祈りの果実は信仰である。
信仰の果実は愛である。
愛の果実は奉仕である。
奉仕の果実は平和である




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この五行のシンプルな詩を名刺がわりに使用していたマザーテレサについて、まとめてみました。

Mother Teresa
《本名》 Agnese(アグネス) Gonxhe(ゴジャ) Bojaxhic(ボジャジュ)
1910.8.26生 ~ 1997.9.5 (87歳) 没



当時、オスマントルコ領だった現在のマケドニア共和国のスコピエにアルバニア人家族の3人兄弟の末っ子として生まれる。薬屋を営む熱心なキリスト教(カトリック)の信者である両親であったため、小さい頃から教会に通っていた。


Birth Number   18-9
Destiny   16-7
Soul     5
Personality   11-2
Realization   16-7
Stage    10-1 



《Birth》 誕生数  18-9

 完璧、完成、真理の数字とも言われ、自己再生、月のもたらす知性、冥界、魔術との関連のある数字です。深い人類愛と常に弱き者を支援する正義感にあふれた人・・・
包容力、奉仕への喜び、深い慈悲心と、まさに⑨の精神で人生を貫いた女性である。
17歳という若さで「一生を神にささげ、貧しい人達のために働こう」と決意させた理由が、ここで明らかになります。

18歳で家を離れ異国の地インドで生涯を通すような行動力にあふれ、理想を現実のものと有言実行してゆく姿は⑱という数字の影響のように感じます。

持ち物は「ロザリオ、聖書、サリー2枚、洗い桶」とシンブルだったと書物にありましたが、究極なまでにムダなモノは全て手放し、自分の中にあるキリスト教への崇高な思いを感じ、深い慈悲の心を持って真我に生きた正に数字のとおりの人です。


《Destiny》  運命数  16-7

ズバリ、真理の探求者であり、過去生で間違った「愛や信頼」の価値を修正するために、多くの体験や事態に遭遇するカルミックナンバー⑯
36歳の時に神の声を聞き、スラムという場所でより貧しい人々への慈愛と奉仕活動は、⑦の使命そのものです。


《Soul》 ソウル数  5

内面性や価値観を表す数字ですが、のびのびと自由に行動し、新しい風を起こす。
好奇心と鋭い知性を持って変化しながら自分の核となる「神の愛の宣教者会」を世界各地(インド以外70カ国、202ヶ所)に形成してゆく様は正に⑤の成せるワザに感じられます。


《Personality》  人格数  11-2

⑪は、1の2乗であり、霊性の数字です。パワーのあるスピーディーな決断力と直感力を持ち高次のメッセージを受け取り、すぐに行動に移せるリーダーシップあふれる指導者です。
一方、他者からは、物腰柔らかく皆を守っているような感じの良き相談相手と見られたのは②からくるものと思われます。


《Realization》   実現数  16-7

マニアックさを知的に出してこそ輝ける人、長期の努力が実を結ぶ大きな決心をした17歳から亡くなる87歳まで70年という歳月をかけて「飢えに苦しむ子供達、治療を受けられない病人、貧しい者の中のもっと貧しい人々に愛を差し伸べる活動」の成果は言うまでもありません。
人生の途中から運命的な絆に吸い寄せられるように神秘的な方向へ向かった絵に描いたような女性です。


《Stage》  活躍の舞台  10-1

カルミックナンバー⑩は、再誕生の数字。
前世でやり残したカルマャ目的を今世で果たすためのナンバーです。



《資質》の中で際立っているのは

  Maturity 6
集団意識をキャッチして引っ張ることが出来る人だからこそ彼女の仕事を支援する多くのシスター達が集まったのではと。

Support 5
まさに慈悲の心で貧しい人や病気の人達をあたたかくサポートする大きな力、マザーテレサそのものです。

Emotion 5  
様々なあふれる感情によって大きなエネルギーを得る。



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《人生の年表》
☆サイクルナンバー  どの様なことを学ぶ時期なのか?
《0~27》 8 精力的に活動しアウトプット。
《28~45》 8 さらにパワフルに活動。
《46~ 》 2 受容、物事をそのまま売れ入れ調和を大切にし協調性やバランスを学ぶ。

☆ピナクルナンバー どんな状況の時期なのか?
《0~27》  7 内省と探求
《28~36》 1 不要なモノを整理して明確な目標を立てて新しいステップへ。
《37~45》 8 サイクルナンバーと重なりパワフルに活動する忙しい時
《46~ 》 1 1人ではなく多くの協力者を得て形にしてゆく。

☆チャレンジナンバー  与えられた試練や今回の人生での課題
《0~27》  9
不要なモノは手放し、本質を見抜いていき変容すること。この時期、いかにエゴを捨て、自分軸をしっかり持つこと大事。

《28~36》 6
人間関係や愛について学ぶとき。
正に、この時期、カルカッタの聖マリア高等学校で地理を教えていた時期とかぶり、生徒との間に愛を学び育んだのではないかと思われます。

《37~45》 3 
楽しくクリエィティブに。自分のカラーを出したり、ヒントを得るために外に出る。

《46~ 》 6 
愛を持って理解し、ライトワーカーになることで周囲の人達を癒し、力づける。




☆大きな出来事を年式で追ってみました。

17歳《16-17》 ※24から16に落ちた翌年。
神の啓示を受け、「一生を神にささげ貧しい人達のために働こう」と決心する。人生の転期であるが、ここから⑯というカルミックの年が9年続く。

18歳《16-18》 ロレット修道会の会員になるためにアイルランドに行き、インドに派遣。

19歳~38歳  修道会経営のカルカッタにあるセントメリーハイスクールで地理の教師、最後の数年は学校長を務める。

20歳《16-20》 受容の②と霊性の0
ロレット修道会のイスターとして初誓願。修道名をテレサとする。

36歳《18-18》 26から18に落ちた年 バースの⑱とトリプルの年。その途中「より貧しい人の中のイエスに仕えよ」という神の声を聞きカルカッタのスラムで働くことを大司教に願い出る。

38歳《18-20》 ここでも⑳の影響が大きい。
ローマ法王から許しを得て、カルカッタのスラム街に移住し、学校開設

40歳《18-22》 ㉒の創造  
現実社会での大きな事業の取り組みスタート。インド国籍を取得。
「神の愛の宣教者会」をカルカッタで設立。ここからインド各地に広まる。

42歳《18-24》
カルカッタ市内のヒンドゥー教寺院の隣に「死を待つ人の家」を開設。
「この世の最大の不幸は貧しさや病ではなく、自分は誰からも必要とされてないと感じることです」 ・・・テレサのコメント

54歳《19-27》 ⑲
自立し本当の意味での自信と威厳を現実社会に確立「神の愛の宣教者会」にローマ法王の許可がおり、ここから世界各地に修道会施設を作る。

60歳《2-6》 
愛がテーマの受容の年 ※56歳から初めて1ケタ数字に。
ヨハネ23世平和賞をローマ法王パウロ6世より受賞。

69歳《3-6》 
愛がテーマの楽しむ年 ノーベル平和賞を受賞
「私は受賞者に値しませんが、貧しい人々を代表して、この名誉ある賞を頂きます」 ・・・テレサのコメント

71歳《3-8》  
外にアウトプットして楽しむ年
初来日、「日本人はインドのことより日本の貧しい人々への配慮を優先すべきです」・・・テレサのコメント

78歳《4-6》  
心臓発作で入院。ペースメーカーを埋め込むが、④安定の影響なのか驚異に回復へと向かう。

87歳《5-6》  ※13から5に落ちた翌年  変化と揺さぶり!?
9月5日心臓発作のため死去。 9月13日 カルカッタ市内で国葬。




《最後に・・・ 》 

「世界に最も偉大な女性10人」の1人にあげられるマザー・テレサ。
ある意味、恵まれた環境にありながら17歳という若さで、家を離れインドという異国の地で命を終えるまでの約70年間、平和の思いを胸に、より貧しい人達のために奉仕活動をしました。

究極なまでに、あらゆる物欲を捨て、国境も信仰も越えて活動した彼女の根底にある大きな慈愛と不屈の精神に感動を越えて心が震えました。

彼女自身が、神の啓示を受けて始まった活動ですが、「テレサのもとで一緒に働きなさい」という啓示を受けた沢山のシスター達が彼女のもとに集まったという類いのエピソードも多くあり、目に見えない大きな力が彼女を後押しした事実は見落とすことが出来ません。

また。ユーモラスでチャーミングな親しみやすさも持ち合わせる2面性に多くの人達も魅きつけられ、協力の輪が広がったのでしょう。これらの全てが、テレサの偉業に導いたのだと確信しました。
では、レポートの締めくくりに彼女のメッセージを・・・。




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「それでも」

人々は、理性を失い非論理的で自己中心的です。
それでも彼らを愛しなさい。
もし、いいことをすれば、人々は自分勝手だとか何か隠された動機があるはずだ。と非難します。
それでもいい行いをしなさい。
もし、あなたが成功すれば、不実な友と本当の敵を得てしまうでしょう。
それでも成功しなさい。
あなたがした、いい行いは、明日には忘れられます。
それでもいい行いをしなさい。
誠実さと親しみやすさは、あなたを容易に傷つけます。
それでも誠実で親しみやすくありなさい。
あなたが歳月を費やした建物が一晩で壊されてしまうことになるかも知れません。
それでも建てなさい。
ほんとうに助けが必要な人々ですが、彼らを助けたら彼らに襲われてしまうかも知れません。 
それでも彼らを助けなさい。
持っている一番いいものを分け与えると自分は、ひどい目にあうかも知れません。
それでも、一番いいものを分け与えなさい。

マザー・テレサ




Reported by
Yukari F.
Aeons Numerology Basic The 8th class
by kej000 | 2015-09-03 11:39 | 数秘レポート

アンパンマンの生みの親・やなせたかし氏の生涯   数秘学基礎科卒業レポートより

数秘基礎科クラスの生徒さまによる卒業レポート。
本日は、あんぱんマンの生みの親・やなせたかし氏の人生に迫ります。


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漫画家のやなせたかし氏にスポットを当てています。

 

★やなせ たかし★  


生年月日:1919年2月6日


    2歳 → 3サイクル

  12歳 → 4サイクル

13~22歳 → 5サイクル

23~32歳 → 6(15)サイクル

33~42歳 → 7(16)サイクル

43~52歳 → 8(17)サイクル

53~62歳 → 9(18)サイクル

63~72歳 → 1(19)サイクル

73~82歳 → 2サイクル

83~92歳 → 3サイクル

93~94歳 → 4サイクル

 

B=1(19・10)

D=8(44)

S=9

P=8

R=9

Stage=8

Nature:9、Action:7)


 


 

Birth path number [19-1番10-1番]

リーダーになるべくして生まれてきました。

激動の変化をくぐりつつ自立し、人道的な目的や人に癒しを与える方向へ向かってます。

直観や感性に恵まれており、自分の内なる力に注目してオリジナリティーある世界を繰り広げていました。それには、地道な努力が必要です。

彼は誰もが知る童謡を作詞したり国民的なアニメを発表していることからも分かる様に、成功者だと言えるでしょう。大器晩成型でした。

60歳を過ぎるまで代表作に恵まれなかった彼の人生は、若い頃より努力を惜しまず遠回りに思える事にも一所懸命取り組んだ誠実さを感じます。パッシングを受けても自分を信じて新しい事へ歩み続ける開拓精神があったと思われます。

   

Destiny number [44-8番]

多くの人をまとめる力があります。

パワフルに人との関わりを求めるので、組織のトップに立ち富や名声を得ました。

44-8番というナンバーは 粘り強さや完成させる力が、ずば抜けていると思われます。

彼はどんなに富を得ても贅沢をする事はありませんでした。

物質重視ではなく 大好きな仕事へ掛ける情熱で貪欲に仕事をこなしたと言えます。

「困った時のやなせさん」と言われる程に 周囲の人に慕われていました。

何をやらせても器用にこなすセンスがあります。

漫画家という垣根にこだわらず、舞台美術製作や放送作家も引きうけていたのです。

「とにかく貧乏は嫌だ」と言っていたそうです。8番のプライドもあるでしょう。

別の仕事で稼ぎながらも、その人脈によって本当にやりたい漫画の仕事にも繋げる社交性はお見事です。

 

Soul number [18-9番]

社会的に成功する人物です。

人類愛や悟りをテーマとして生まれて来ています。

やなせ氏は 「戦争体験・父や弟の死・母との別れ」など 混沌とした時代を生きています。その体験を軸に9番の特徴である人類愛意識を強く養ったと思われます。

代表作の「それいけ!アンパンマン」は【光と影】【陰と陽】【善と悪】と言った2極性の世界を分かり易く表現しており、必ず正義が勝つという事を子供達に教えています。

その反面、実は複雑なキャラクターもいて9番特有の哲学的な面を伺えます。

「正義は立場や状況で変わってしまうが、どんな状況でも餓えた人に食べ物を与えることは絶対の正義である」この信念により、アンパンマンは絶対的な正義なのです。

更に「自分が傷つくことなしに正義を行うことはできない」と語っています。

余っている物を差し出すだけでは足りないのです。やり過ぎちゃう9番とも言えます。

この代表作に至るまでには、自分の才能を全面に出して明るく革新者である経験と社交的で駆け引き上手なパワフルさが必要でした。

18-9番とは、現実世界で形に出来るパワーの先に深い愛があるという事なのでしょう。

 

Realization number [9番]

実行数も9番です。

愛と理解力を持って穏やかに人類愛を実践することがミッションでした。

人望もお金も才能に見合ったモノを手に入れています。

名声に甘んずることなく、ノーギャラで働くことも多く漫画の復興に取り組んでいました。

次世代を育み指導していたことからも、9番の「導く力」を遂行されていたと思います。

 

Personal number [26-8番]

Destinyと同じく8番。

見た目も、出来る男オーラをまとっていたのでしょう。

受容性とチームワークを大切にして仕切っていける人物だったと思われます。

 

Stage number [53-8番]

3つ目の8番。

社会的に大きな事を成し遂げる意欲が伺えます。

53-8番は、華やかな舞台が似合います。やなせ氏の職業は裏方でありながらも流行の最先端を生きているキラキラした世界だったと思います。

その中で、晩年は数々の受賞作品に恵まれ 勲四等瑞宝章もいただいています。

春の園遊会で天皇皇后両陛下に親しくお声を掛けられるなど 表舞台にも度々登場します。

実は80歳代には、ミュージカルやCD歌手デビューもしているのでした。

 

■その他

Nature[9]

8番と同じく、9番も多いですね。

「本当の正義は戦わない」とやなせ氏のお言葉。

辛い経験を 全て愛に変換出来た成功者だと思います。人に喜ばれる事が大好きで感謝も忘れない人物でした。

 

Action[7番]

小学生の頃より、絵を描くことに興味を持ち それを職業としました。

やりたい事への情熱は、漫画の仕事がない時期でも持ち続けています。

7番の知的探究心を生かし、徹底的にやった事が成功のポイントだったのですね。

Challenge[19-1番・10-1番]

カルミック№が2つ揃いました。Birth path numberと同じです。

このナンバーが、強調されていますね。

5歳の時に父を亡くし、間もなく母の再婚のため 叔父の家で育てられています。

叔父は裕福な家庭だったのでお金には困っていませんが、実父母と暮らした記憶が少ない幼少期の体験は寂しいものだったと推測されます。

ただ1人のオリジナルの家族である弟が戦死した時の気持ちが「アンパンマンマーチ」に反映されています。悔しかったに違いありませんが、そのエネルギーの出し方は光に満ち人々の心を強く打ちます。

また、絵柄はエンジェルの影響を受けています。

もしかしたら、やなせ氏は 天使が見えていたのかもしれませんね♪

 

 

❤若年期 Youth number [9番]

父方の実家は高知県にあり、伊勢平氏の末裔で300年続く旧家です。

東京生まれで4歳の時は異国の地 上海で過ごし、 5歳の時に35歳という若さで病死した父の兄である叔父を頼って帰国します。弟はすぐに預けられましたが、やなせ本人も小学2年生の時に母の再婚のため叔父に引取られています。(父の死:15番、母との別れ:18)

この頃を9番で表すと、「不安定」「警戒心」「人からの評価を気にする」内向的でおとなしい少年時代でした。本が大好きだったので「博識」とも言えるかもしれません。

絵に対する興味は、実父母の影響で小学生の頃にもちました。詩や絵を愛した父と、いつも人の輪の中心に居る様な華やかな母親でした。母親とはよく映画を観に行ったそうです。

叔父叔母の意を反して絵の道に進学しましたが、仕送りは欠かさず送ってくれていました。

 

❤20歳(year number21[]

東京高等工芸学校図案課(現:千葉大学工芸部デザイン学科)卒業。

学生生活はサイクル5の流れの中でした。たくさんの刺激を受け、自由に才能の基盤造りをしていたのではないでしょうか?「開花」の年に卒業です。

 

❤23~25歳(year number15・16・17[6・7・8])

前年、田辺製薬(現:田辺三菱製薬)宣伝部に就職。

日中戦争の為、徴兵されて乙種幹部候補生に合格。主に暗号解読や地元民への宣撫工作の為、紙芝居を演じたこともあったといいます。

人当たりの良い彼にはピッタリの役目ですが DeathYearで始まるこの時期は相当辛い経験だったに違いないです。なにしろ戦争ですから!

食糧がなくて タンポポなどの野草を食べていた経験も持っています。

❤26歳(year number18[])

日中戦争終結。9番という完結の年です。

やなせ氏は戦闘のない地域に居たので一度も敵に向かって銃を撃っていませんが弟は海軍の特攻で戦死しています。

この頃、戦友らと共にクズ拾いの会社で働いています。この時に拾った雑誌が切っ掛けで漫画家になる夢が蘇ることになります。

戦後の食糧が不足する中で、『正義』に対する持論が確立しています。

「逆転しない正義とは献身と愛だ」

この様に、正義とは立場で変わるものだと見抜いています。

その後誕生する アンパンマンというヒーローへのオマージュを予感させます。

 

❤27歳(year number19[])

絵への興味が再発して高知新聞に入社。編集部で編集の傍ら文章・漫画・表紙などを手掛けています。

自分の力を出せる1番らしい年です。

同僚として前の席に座っていた 後の妻となる女性 小松暢と出会います。

やなせ氏は すぐに好きになったそうです。

1番の年の出会いは電撃結婚にも繋がりそうですが、ソウルメイトだったかもしれませんね。

 

❤28歳(year number20[])

恋人の小松暢を追って上京。 暢さんはやなせ氏の才能を見抜いていて「田舎に居ては才能が埋もれる」と半ば強引に上京させています。漫画家を志しますが、生きるために三越宣伝部のグラフィックデザイナーになりました。兼業漫画家の道を選んだのです。

2番の年の「調整」する力が働いています。

この頃デザインした包装紙の筆記体文字は当初期間限定だったにも関わらず、今でも使われています。

 

❤29歳(year number21[])

6のサイクルの3番の年。資料では結婚の年がはっきりと書かれておりませんでしたが、この年だったのではないでしょうか?

結婚してからは、貧乏生活でしたが 暢夫人が全身全霊でやなせ氏をサポートしています。

強い絆を感じます。

 

❤33歳(year number16[])

コマーシャル漫画「ビールの王様」でデビュー。後のサッポロビールのCMです。

7番の年は、物事を回すのに良い年です。コツコツ頑張っているので16番でも順調!

❤34歳(year number17[])

三越を退社。7のサイクル8番の年です。

4番の年にコツコツ頑張った成果がこの年の成功に繋がります。本当に自分のやりたい事で現実的に動き出したのですね。

漫画で得る収入が三越の給料を3倍程上回ったことで独立を決意しました。

結果が出る年です。

 

この後しばらくは、漫画界の流れが変わり…やなせ氏は漫画の仕事が激減することになります。舞台装置製作・放送作家・作詞家など何でもやった時期です。

漫画以外の仕事で多忙でした。

 

❤42歳(year number25[])

前年に知り合った作曲家のいずみたく氏と組んで、今では教科書に載る程のスタンダード曲となっている「手のひらを太陽に」を作詞。ステージアップの1年になったと言えます。

 

❤45歳(year number19[])

NHK「まんが学校」の講師としてレギュラーに。これを切っ掛けに大人漫画から子供漫画の方へ変わっていく。1番の年にその後の方向性と向き合うことになった様です。

 

❤47歳(year number21[])

詩集「愛する歌」で詩人としてデビュー。本の出版は現在のサンリオ社長:辻信太郎でした。

インスピレーションを受取って実行する創造力開花の年です。

 

❤48歳(year number22[])

8のサイクル4番の年、週刊朝日漫画賞受賞。功績が形となって評価された年です。

この後も、流れに乗るサイクルが続きます。

 

❤50歳(year number24[])

手塚治虫の「千夜一夜物語」の美術監督を引き受けます。ヒットのお礼として、2年前に手掛けたラジオドラマ「やさしいライオン」を虫プロのスタッフを使わせてもらい映画化。そして大藤信郎賞を受賞。

アニメーションを経験することで、新しい世界に触れた年でした。

4番で仕上げた仕事を6番で調整する、歓びの年。

その実態は寝ずに仕事を続ける過酷な世界でした。

同年「アンパンマン」を発表します。この頃のモノは大人向けでした。

 

❤54歳(year number19[])

サイクル9の1番の年。「詩とメルヘン」を立ち上げ、編集長に。

次の流れに向かう9のサイクルで、詩人・絵本作家としての活動を本格化させます。

 

❤56歳(year number21[])

「やさしいライオン」を絵本にします。これが、初の絵本です。

その後、大人向けに描いていた「アンパンマン」を子供向けに改作し発表しています。

評論家やPTAには酷評されたこの作品は、子供達 特に2~3歳の幼児から絶大な人気を得ます。エネルギーが噴出する3番の年でした。

 

❤69歳(year number25[])

テレビアニメ「それいけ!アンパンマン」の放送開始。1のサイクル7番の年は、始まりの流れの中、ステージアップするのです。

この作品が大人気番組となり、売れっ子作家となりました。

私生活では、この年に暢夫人が癌で入院。余命三カ月と言われましたが、丸山ワクチンの接種で体調を持ち直します。絆が深まった7番でもありました。

 

❤70歳(year number26[])

多年にわたる童謡歌唱への功績に対して 第19回日本童謡賞特別賞受賞。

8番で名誉を得ました。

 

❤71歳(year number27[])

サイクル1の9番の年。「アンパンマン」にて日本漫画協会賞大賞受賞

アンパンマンをヒットさせ、1つの節目として完成させた年ですね。

 

❤72歳(year number28[])

春の叙勲で勲四等瑞宝章受章。暢夫人と共に園遊会に参加。

1番の年は「大物との出会い」がありますが、まさか天皇皇后両陛下だとは スケールが大きいです。恐れ入りました。

 

❤73歳(year number)

人生で初めてyear numberが1ケタになりました。

地元の高知県で行われていた一コマ漫画の大会「まんが甲子園」も立ち上げ時から深く関わり、晩年まで審査委員長を務めることになります。

そして 暢夫人との時間も大切にしています。

穏やかな晩年に向けて、バランスを取る時期なのでしょうか?それとも?!

❤74歳(year number)

暢夫人 死去。

やなせ氏曰く「痛快!第二の青春」が始まるのですが愛妻を亡くし、死神に取りつかれた様に元気がない中、仕事を猛烈にこなしています。

辛くとも陽気に明るく 生み出す道を選ぶ3番の年でした。

 

❤75歳(year number)

高知県香美郡香美北町名誉町民となる。

同年、故郷であるその地に美術館を建てる事を考えています。

新宿の実家の近くには直営店として「アンパンマンショップ」を開店。

「準備と前進の4番の年」でした。

 

❤76歳(year number)

日本漫画家協会文部大臣賞受賞

「アンパンマンの遺書」を出版。

“形になっていたモノが更に外向きに活発化する年”5番でした。

 

❤77歳(year number)

喜寿の祝いの会で、女流漫画家:里中満智子と架空結婚式を挙げます。出席者を驚かせるための企画でしたが、本格的だったので信じ切っている出席者へ「漫画家は本気で冗談を楽しまなきゃ」と笑ったそうです。6番の年に架空でも結婚!面白いですね。

計画中だった「アンパンマンミュージアム」が高知県にオープンし名誉館長に就任しました。その後館内に「詩とメルヘン館」も開館しています。

官庁や地方自治体、公益事業や業界団体などのマスコットキャラクターデザインを無償で引き受けていました。愛と奉仕の精神が出ている6番の年でした。

 

❤79歳(year number)

心臓手術を受けます。8番の年は「死」を示す場合もありますが手術成功。

里中満智子と2度目の架空結婚式を挙げました。またまた8番の年に架空結婚式()

皆に愛されているが故の企画なんでしょうね。

 

❤80歳(year number)

今まで多少の未練が有ったお金も名誉も要らなくなったと言います。

崇高さを感じる9番の年です。もう悟りの境地でしょうか?

帯状疱疹を患い顔にシミができて、一生残ると言われていても 間もなく消えています。

細胞が元気で 高齢で発症した癌もすぐ再発、その後10回も手術を受けています。

❤81歳(year number10[])

日本童謡協会功労賞受賞

日本児童文芸家協会児童文化功労賞受賞

日本漫画家協会理事長に就任。

自社ビルに日本漫画家協会をタダで入居させています。

この年齢においても、まだなおステップアップと言える理事長就任ですね。凄いです。

新聞は6紙読み、常に新しい情報を頭に入れています。

ただ、体調は悪いです。この年入院し、胆嚢・脾臓を切除しています。

 

❤82歳(year number11[])

「希望の歌」第31回日本童謡賞受賞

緑内障の手術を受けています。それでも活動的に自作のミュージカルを初演しています。

まだまだ、変化を受け入れる柔軟性があります。

 

❤83歳(year number)

高知県特別県勢功労者に。

熱をおして、ミュージカル「涙のデュオ」出演後、腸閉塞で入院しています。

自ら「オイドル」と名乗り、表舞台に積極的に出ますが相変わらず身体はボロボロです。

3番の年ですし、じっとはして居られないのでしょう。

 

❤84歳(year number)

第50回交通文化賞国土交通大臣表彰

『ノスタル爺さん』でCDデビュー。

4番の年は形として残るモノを生み出す年ですね。

 

❤85歳(year number)

新宿名誉区民となります。

若い時にはギラギラして見えた派手な服装を心から楽しんでいます。

 

❤89歳(year number)

東京国際アニメフェア2008第4回功労賞受賞

ついに“国際”的な賞も受賞しました。

まだまだ才能の開花は続きます。

節目となる9番の年でした。

 

 

❤92歳(year number12[])

視界がぼやけることを理由に漫画家引退を考えます。最後の大舞台として生前葬を企画しましたが、東日本大震災が発生し 不謹慎なので計画を白紙にしました。

3番の年らしく、お茶目な感性豊かと言える企画だったのですが…。

震災直後、アンパンマンが子供達を再び笑顔にしたことから引退をやめ、被災地向けにアンパンマンのポスターを作ったり、奇跡の一本松をテーマにしたCDを自主製作するなどしています。このエピソードは、もしかしたら翌年の4番で形にしたのかもしれませんね。

光を配るような3番の年でした。

 

❤93歳(year number)

高齢と体調不良を理由に日本漫画家協会の理事長を辞任。

4番の年は、現実的に身体への不調も出やすい時です。震災以降頑張った疲れも出たのかもしれません。

七夕の願いを聞かれると「もうあと2年生かして欲しい。そうしたら来年は25周年の映画を作れる。これで心置きなくこの世を去れる」と発言。

 

❤94歳(year number)

7月に行われた劇場版アニメ「それいけ!アンパンマン とばせ!希望のハンカチ」の初日舞台挨拶では…

「何とか今のところ死なないでいるんだけど、間もなくだね。病院からはあと2~3週間しか生きられないって言われてる。死ぬ時は死ぬんだよ。笑いながら死ぬんだよ。死ぬまで一生懸命やるんだよ」笑いながら語っています。

 

しかし裏では「まだ死にたくねぇよ。(ようやくアニメが)面白いところへ来たのに、俺はなんで死ななくちゃいけないんだよ」とも発言しています。

 

体はボロボロでも、魂は最後まで燃えています。

 

同年8月に入院。10月に心不全のため94歳の生涯を終えました。

 

「5の年はハプニングの年」やなせ氏の場合は常に走り続けていたので、決して変化を恐れたのではなく 魂は光の世界へ帰る道を選択したのではないでしょうか?

自分の人生をまっとうした人物だと思いました。

 

晩年はChallenge numberの9番をやり遂げてカルマフリーになったのでは?!と思います。

(追記)

気になった数値の感情特徴を追記しておきます。

(習っていない範囲なので曖昧です)

 

☆陰1[]

陰の要素が多い分、痛みを多く知ることが出来ます。

カルミック№1910 を持っていたことからも痛みを知り、それを乗り越えて愛にしたのだと思います。

 

Intuition 直感機能~自身から&環境から湧き出る~[]

直感値が4。時代の動きを直感で感じて活躍されたのでしょう。

ひらめきが大切でセンスを要求される職業でした。

そこには、説得力も伴っています。

80歳頃まで、新聞は毎朝6紙を読んでいました。時代に合った作品を生み出す直感もあったと思います。

 

Feeling感情機能~自己への憐れみ~[]

この数値が低いからこそ、被害妄想にならず前向きな人生になったのだと思います。

 

 

Other他者認識性[]

高い数値です。トップに立つ人物なので他者支配を望む気持ちがあって当然ですが5というナンバーが気になります。嵐を呼ぶナンバーです。

常に刺激を与える役割だったと判断します。

 

Maturity完成力・何かをなし遂げる力[]

この高い数値は信用や信頼にも繋がっています。底力があります!

 

Leadリーダーシップ[]

高い数値です。抜群の統率力をお持ちでした。

彼が亡くなって、光が消えたようです。

 

Emotion情緒・他者に対しての感情の働き[]

情熱的だったのですね。他のところにも嵐を呼ぶナンバーがたくさん出ましたが

行動力や実行力を伴った情熱家はカリスマ的です。

 

<あとがき>

 

正直言うと初めは「やなせたかし」という人物に興味はありませんでした。

 

ただ、ずっと心に残る曲として「アンパンマンマーチ」があります。

この歌詞を読んで、私は何度か涙を浮かべています。

幼児向けアニメのオープニングテーマ曲。

誰もが自然に口ずさめる程に慣れ親しまれているこの曲に、シンプルに核心をつかれている様な気がします。

やりたいことが分っている人はそう多くはないのです。

 

昔はね、「愛と勇気だけが友達?」って 寂しく思いました()

それでも大人になって「愛」と「勇気」の本質を思うと納得できましたよ。

愛も勇気も必ず ひとりひとりの人が本質に持っているもの。

だから友達の輪は無限に広がりますね。ワンネスです。

 

やなせ氏は、ご長寿でした。

晩年、体はかなりボロボロで 東日本大震災直後には、心筋梗塞と肺炎、腸閉塞を同時に起こして入院しています。

後に「“生きて”しまったんだよね。目も耳も悪いし、体は相当傷んでる。でも 生きている間にやれることはやると決めた」そう語られました。

 

被災地 仙台の少女から「私は地震がきても少しも怖くない。アンパンマンが助けに来てくれるから」と手紙が届きます。

そこで なんとかして元気づけなくてはいけない!と奮起されています。

その後、精力的に復興のために無償で働いている姿は 彼にしか出来ない要素がいっぱい詰っています。

もし彼(アンパンマン)が、いなければ、笑顔を忘れ 絶望に落ちてしまう ちびっこも居たかもしれません。

最後の大舞台とは、本人が企画した生前葬ではなく 震災の復興に関わることでした。

 

実父母との縁が薄い彼でしたが、ただ一つの教えを生涯守っています。

それは 「正直な人になりなさい」

この教えによって、損をすることもあったみたいですが…。 自分の心に嘘のない誠実な人生は素敵な出会いをたくさん引き寄せています。

 

さて、

話は変わりますが、私の今年のテーマは『統合』

 

この人物を選んだことにより、生きる強さと 「光と闇のバランス」を教わりました。

アンパンマンの世界は、2極性ながらも統合された世界なのです。

 

偶然に選んだ 私のターゲットは 必然だったと実感します。

 

「それいけ!アンパンマン」は世界で最もキャラクターが多いアニメシリーズとして世界ギネス登録に認定されています。

ワンネスには限界がないのです。

 

 

最後に・・・ 

 

私の数字の読み方は、まだまだ底が浅く甘いと思います。

いつか もっと自分が成長した時に、再び調べたいと思いました。

 

やなせさん

あなたの人生を調べさせていただき 感謝しています(*´人`*)

 

改めて、やなせたかし氏への心よりの尊敬を込めて ご冥福をお祈り致します。

 

     


reported by Sana

Aeons numerology basic class @ Kansai


by kej000 | 2014-04-09 20:38 | おもしろ数秘学

数秘で読み解く アイルトン・セナ その生涯   数秘基礎科卒業レポートより

数秘学から紐解く、あの「人物蔵」
今回は、かの天才レーサー。アイルトン・セナ

数秘学基礎科、関西クラスの生徒さまによるレポートです。


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Ayrton Senna da Silva   


生年月日 1960321(没 19945月1日)

 

 【数秘からみる人物像】

 

誕生数:22-13-4  彼が持って生まれた資質

 

【22】は、創造のナンバー。とても高い霊的感受性と、この現実世界で世の中を大きく揺さぶるよう

とてつもないものを創り上げていく人生。

そこへ辿り着くには、【4】の人生における様々な現実問題に対処し、経験を積み、コツコツとした地道な努力を重ね、しっかりとした基盤をかなり高度なところまで造り上げていなければなりません。その上に、霊的感受性が開かれた時、現実社会の中で偉業を成し遂げていく・・・という とても壮大なものです。

そしてさらに、【13】 創造と破壊を繰り返し、その経験の中から大切なものを学んでいくことで、自分をより高め深めていこうとしています。

 

それを実現する為には、高い理想や正義感から周りに過度に敏感にならず、そして様々な価値観に振り回され混乱や分裂をすることなく、強い感受性と実行力を持って、様々な課題に取り組んでいくことになります。

そして、自分の利益だけを追求することなく、世の中の為に・・これがとても大切になります。

 

彼は、類まれない才能があることを若い頃から自覚していたといいます。その才能を開花させる為、出来る限りの努力と犠牲、状況を的確に読み取る感性と行動力で、確実にキャリアをステップアップさせていきます。

様々な圧力や摩擦を経験し、速さを追求するあまり 時には“危険なドライバー”と評された時期もありました。政治的な問題や人種の問題、完璧を求めるがあまりの周りとのギャップ、真実を伝えてくれないマスコミ・・・そんな様々な嵐のような出来事に巻き込まれながらも、彼は誠実に仕事をし、実直に仲間と接し、その頃はまだまだ貧困にあえぐ母国ブラジルを想い、最後には大きな夢に辿り着いたと言われています。

「僕たちは、貧困という海の中で、もはや繁栄の島に住み続けるわけにはいかない」と、彼は言いました。

命を落とす2カ月前には、姉に「社会の役に立つプロジェクトを始めたい」と打ち明けています。セナの死後、その夢は受け継がれ現実となっています。

 

運命数:70-7  彼の使命

 

【7】は、探究者のナンバーです。専門知識を磨き深め、得た智慧を世の中に広めていくことで、人々の心を豊かにしていくことが、彼のミッションです。

その上、下ひと桁に【0】が付くナンバーは、直観力や洞察力に優れており、それらのスピリチュアルな能力が目的成就への力となります。

その為には、感情や思考に囚われることなく、他者との境界線を保ち、本当の自分を見つめていくことが課題となります。

 

歴史に残る偉大なドライバーの中でも、セナはその誰とも共通点がないと言われています。それは、知性と霊性。

マシンの状態や天候などをトータルに分析し、その時々の最高のセッティングをメカニックに指示が出来たこと―まだ、コンピューターが導入されていない時代には、メカニックが必要としたデータを自ら正確に伝えてくれたと言います。

また、セナは心の中で自分のドライビングをコーナーごとのラップタイムまで正確にイメージ出来たことーその上で、イメージを狂わすことなく、ドライブ出来たと言われています。

そして、もともと信仰心が篤いと言われていたセナですが、自分のドライビングを振り返った際、“ある時から、自分の意識を超えた領域で走っていた”とも話しています。

 

周りの状況に過敏になったり、傷つきやすく、時には毒舌を吐いてしまったり・・実力と結果だけで切り抜けていかなければいけないキャリア、そして、少しの妥協が命取りになる―そんな日々の中、若い頃にはこんなエピソードがたくさんあるのも事実です。ただ、そんな状況の中でも、彼はレースに必要な情報や知識を隠すことなく仲間に伝えていたと言いわれています。

彼と仕事をしたある若手メカニックは、彼と仕事をしたことで自分の誇りを持てたと言っています。

そして、ブラジルの人々は、セナの姿を見て夢見る勇気を与えられたと言われています。

別の側面からみれば、あまり大きく取り上げられることのなかったF1という興業が、世の中で話題となり、チケットが取れない状態にまでの人気を得たのは、セナが活躍していた時代とぴったりと重なっています。

 

 

実現数:11-2  彼の人生での可能性・実現された姿

 

 【11】は、霊性のナンバー。

【1】   のあふれる創造力と情熱・そして行動していく強いパワーと、【2】の霊的感受性が倍増される

ナンバー。

霊的感受性を生かし、高く大きなエネルギーを常に昇華させることでの創作・芸術活動が出来るとされるナンバーです。

 

ただ、繊細な為、自分の殻に閉じこもりがちになると、エネルギーが滞り【1】の自己不信と【2】の迷いが倍増して、心と体のバランスが取れなくなることも・・・それだけ、パワフルということですね。

 

そのパワフルさと霊性は、先にも述べたように、仕事への飽くなき情熱として発揮されたと思われます。

 

  また、彼が人生の中で一番苦しんだとされる、チームメイトとの確執が騒がれた時代があります。

その頃のセナは、レース以外の部分ではかなりの冷静さをなくしていたようでした。

もう、引退したいとまで思っていた彼は、新しいチームメイトと組み、彼と親しくなることで本来の自分を取り戻し始めます。セナは、レース以外でも人生は楽しめ、チームメイトは、レーサーとして成功するために必要なものを知ることになります。お互いがそれぞれの個性のままで、調和し協調することで、お互いが豊かになる経験をしています。セナが内省に向かう番号ばかりなのに比べ、そのチームメイトは、誕生数が【5】運命数が【8】と外に向かうエネルギーの持ち主だったようです。

 

ステージ数:12-3  彼の活躍の舞台

  彼の霊性とパワーを発揮させるのは、【3】精神的な喜びを人に与えたり、表現をしていく分野。

そして【12】は、コラボレーション・ナンバー。

レーシングドライバーとして彼は、自らの情熱や知性・そして精神性をも表現していました。

歓喜する人々・・彼の周りには、そんな人々の姿がありました。

  そして、チームメイトとの逸話は、コラボレーションの賜物だったのではないかと思われます。

 

ソウル数:6  彼の魂の欲求

 

 【6】は、愛・美・調和を表すナンバーです。

そして、真善美の境地を極め、自己回帰へと向かおうと彼の魂はしていたようです。

また、穏やかな温かい愛に溢れたものも求めていたのですね。彼の家族への愛、母国ブラジルへの想い・・そんなエピソードは、たくさんあります。

そして、彼のレースは美しかった。研ぎ澄まされたものの上にしかない調和のとれた美しさ。そして高い志。

そんなものを、彼の走りにも人生にも感じます。

 

 

人格数:10-1 彼の外見的な印象

 

人格数【1】、意思が強くて情熱的。そして、陽気でピュアな心の持ち主。頭脳明晰で決断力もあり、自信に溢れた姿。F1ワールド・チャンピオンにふさわしい・・・彼の印象そのものです。

 

そして 【10】は、再誕生のナンバー。恵まれた環境に育ち、苦労なく生きてきた方が、人生のある時期に全く別の道へ変化し、人道的な目的や人を癒していく方向へ向かわれる・・とされるナンバーです。

セナが亡くなる前に思い描いていた“社会に役立つプロジェクト”・・・それがこれに当たるのかもしれません。

 

その再誕生の時には、“スピリチュアル・ホール”が起こると言われています。彼のYearCycleからみると、33歳の時に起こったのではないかと思われます。ただ、それから1年後、彼は他界します。

 

 

 

チャレンジ数:5  彼にとっての試練

5】は、変化、そして刺激のナンバーです。

彼が人生を花開かせるために気をつけなければならなかったことは、周りに過敏になったり、自分の殻に閉じこもることなく、常にエネルギーを昇華させていくことでした。

【5】の常に刺激を与え、変化することで自分を活性化すること。相手とぶつかるのではなく、自ら流れを変えていくこと。その波を乗りこなせれば、自分が達成したかったものが実現するのでは・・と、思われます。

 

 

Nature数:8 彼が自然と醸し出す雰囲気

 

 8】は、現実社会で活躍するパワフルな人。

直観力に優れ、向上心を持ってパワフルに行動していく人。でも、ロマンチストでもあり思慮深くもある。

・・・彼から受けた印象、そのままです。

 

 

 

Action数:2  彼の行動パターン

 

 知的で洞察力があり、感受性豊か。その為、細やかな気配りと的確な仕事で信頼を得ていた セナ。

【2】   そのものでした。

 


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【歴史】

 

若年期 Youth number :3

【3】   は、明るく・楽しいナンバー。

彼は、経営者として成功した父と温かい母の元、裕福な環境で育ちました。

そして、4歳の誕生日にプレゼントされたカートに夢中になります。

カートの時間を増やすために、学校では集中して授業を受け、毎日毎日カートに乗っては、分解して

自分の思うセッティングに組み立てる・・そんな毎日だったようです。

 

13歳 (Year number :26-8

本格的にカートレースに参戦

【8】は達成の時。今まで、コツコツと練習してきた実力を、少し大きな世界で試す準備をしてきたセナ。

ようやくデビューです。

7歳 (Year number :3

南アフリカのカート選手権でチャンピオンとなる

【3】は、開花し、豊かさを受け取るとき。まさに、喜びにあふれた時だったと思われます。

 

20歳 (Year number :6

     幼馴染の女性と結婚。

     【6】は、慶弔ごとの多い時。そして、結婚にも良い年だと言われます。

     またこの年、彼は次のステップアップの為、自ら資金調達することが出来ないか動き始めます。

     これまでは、父の援助のもとレース活動をしてきました。そして、父の望みは、ファミリー・ビジネスを継ぐことでした。自らの力で生きる道を模索していた時でした。

21歳 (Year number :7

     レースのステージを1つ上げ、母国を出てイギリスに渡ります。

     【7】は、新しいことを始めるのに良い時です。そして、本当の自分を内省する年でもあります。

      新しいステージで初優勝を飾りますが、資金不足の為、レースが続けられず家に戻ることになります。

      父の仕事を手伝いながら、レース以外の道を模索します。

     その時、彼は「レースをもうやめようと思って、違った面を見ようとしたんだ。いくつかのビジネスもやってみた。それで、僕は気付いたんだ。レーシング・ドライバーになりたいという気持ちが、自分の中にいかに強いかということをね。」と、語っています。

22歳 (Year number :8

     彼は、再び イギリスにもどります。

     【8】は、達成の時。そして、【9】の完結に向かうための調整が現実問題として起こる時でもあります。

     イギリスに戻り、レースのステージを1つ上げ参戦することになります。

しかし、彼の妻はイギリスでの生活には戻りたくありませんでした。そして、離婚。

レースの資金は、自分に投資してもらう形で、父から借りるよう話を付けて。

この年、彼は参戦しているカテゴリーで、チャンピオンになります。

 

23歳 (Year number :9

   この年、再びカテゴリーを上げレースに参戦します。そしてこのカテゴリーでもチャンピオンとなります。

   【9】は、完結の時。そして、次に向かう準備を始める時です。

   チャンピオンとなったセナは、自動車レース最高峰のF1へのデビューを決めます。契約金も上り、スポンサーも付き、父への返済もできるようになりました。

そして、今までの登録ネームを英語圏では読まれにくい「ダ・シルバ」から「セナ」に変更しています。

24歳 (Year number :10

    いよいよF1デビューです。

   【10】は、新しい変化期。不要なものを整理して、新しいステップへと向かう時です。

    そして、ソウル・メイトと出会う時でもあります。

    この年、永遠のライバルであり、セナを内面的にも成長へと導くドライバーと出会います。そして、この世界で戦っていく為の肉体改造や自分をバックアップしてくれる環境を整えていきました。


28歳 (Year number :5

    トップチームに移籍し、最高のマシンを得ます。そして、初のワールド・チャンピオンのタイトルを獲得します。また、永遠のライバルであるドライバーとチームメイトになることで、セナの苦悩の日々がはじまりました。

    【5】は、変化と障害の時です。現状を良く把握して、衝突にも注意が必要な時でした。

    結果は残せたものの、衝突を起こしてしまいます。火種が発生。

  

29歳 (Year number :6

    チームメイトとのトラブルは、大きくなっていきます。失格処分や裁判など・・最後には、来季のライセンスが発行されないのでは・・というところまで、追い込まれました。セナは、「引退」を口にしましたが、最終的には、謝罪し事態の収束を図りました。そして、ライバルだったチームメイトは、移籍していくことになります。

    【6】は調和の時。そして、【7】の飛躍に向かう為に自分を成長させる様々な問題に直面する時でもあります。


30歳 (Year number :7

   【7】は、内省の時。精神の充実を計り、平穏さを保つことで、次の繁栄に向かう。

 2度目のワールド・チャンピオンに輝きます。新しいチームメイトを迎え、彼と親しくなることで、セナはレース以外の人生に楽しみを見出せるようになっていきました。ただ、1点に頑ななまでに集中されていたものが、解き放たれた年でした。

     

31歳 (Year number :8

     3度目で最後のワールド・チャンピオンとなります。この年、悲願だった母国ブラジルでの優勝も経験します。

     【8】は、繁栄・達成の時。

     この年、チームを移籍しようとするが、説得され残留することに。そして、敬愛していた本田宗一郎の死。


32歳 (Year number :9

     【9】は、一つの流れが完結される時。

     この年、長年 共にレースを戦ってきたHONNDAF1からの撤退を発表。F1という興業自体も一つの時代が終わろうとしていました。

 

33歳 (Year number :10

  【10】新しい変化期。不要なものを整理して、新しいステップへと向かう時です。

   この年から、マシン関係のごたごたなどで、勝てなくなっていきます。

   そして、最後の恋人といわれる女性と出会います。この年、セナは再び 引退を考え、次の人生の準備を始めていたと言われています。

   しかし、セナが選んだのは、チームを移籍し、再び 最高のマシンを手に入れることでした。


34歳 (Year number :11

  【11】ドラマチック・イヤーと言われます。自分の本質で生きるか・・・それを迫られる時でした。最高のマシンを手に入れたはずでしたが、仕上がりは思ったものではありませんでした。

  12年間、大きな事故を起こすことなくレースの開催をしてきたF1でしたが、この年の第3戦の予選1日目で大きな事故があり、翌日の予選2日目には、死亡事故が起こってしまいます。

  その日の夜、セナは恋人に電話をかけ、翌日のレースはしない・・と話したと言われています。そんな彼が、考えを変え、向かった決勝レースで自ら事故を起こし、帰らぬ人となってしまいましました。

一度は、出ないと決断した彼がレースに向かうことを決めたのは、レーサー自身の安全性の確保の問題を、その日のドライバーズ・ミーティングで話し合う為だったと言われています。

 

この事故の2カ月前には、姉に「社会の役に立つプロジェクトを始めたい」と打ち明けていた彼。その前に、仲間の命を守ろうと出かけて行った。それが、自分の本質で生きられるか・・・と問われる年でした。

   

 

 

   彼の死の2ヶ月後、生前のセナの願いを姉が受け継ぐことになり、非営利団体“アイルトン・セナ財団”が設立されました。

   ブラジル、特にセナが生まれたサンパウロでは、スラム街で物乞いをして生きているストリート・チルドレンが、その後、働く術がなくギャングとなっていく現実があります。それは、“自己を尊厳する意識が低く、社会を信用していないことが原因となって、不運を共有している者、生きるための術を共有している者がと徒党を組んでいる”為と考え、それを解消するために、合法的な職業に就かせるための職業訓練、スポーツ・トレーニングを通じての自信と尊厳の回復を助けようとして、活動されています。

   

彼がこの人生で成し遂げたかったことは、彼が自身の目で見ることは出来ませんでしたが、現実社会にしっかりと創造され、真の意味で“豊かさ”を与えることになっています。



reported by Saeko Doi

Aeons numerology basic 5th class @  Kansai


by kej000 | 2014-04-09 20:24 | おもしろ数秘学

いつも明るく愉しく・・水木しげる  数秘学基礎科卒業レポートより

数秘学基礎科の生徒さまによる卒業レポートです。

今回は、げげげの鬼太郎でおなじみの水木しげるさんです。

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水木しげる


本名 武良 茂 (むらしげる)

1922年3月8日生

2014年現在 92

妖怪漫画家  

出版物  ゲゲゲの鬼太郎・悪魔くん 妖怪大百科    

鳥取県境港市出身


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<Personality>



Birth167

 誕生数16は真理の探究、多くの体験を通して何度も価値観を変えながら、真理とは何かを探究していく。 

 そして会得した智慧や研究を世の中に広め、人々の心を豊にすること。

 

Destiny145 運命数

 未知の世界の解明とそれを広く啓蒙(けいもう)してくこと

 

Soul 213 魂の目的

精神的な喜びを人に与えること。 人々に未知の光を投げかけること

 

Personality 112 人格数

 感情豊かで洞察力が鋭い、繊細で知的、傷つきやすく過敏である。考えや行動性に一貫性がない気分屋。

 優柔不断な面もある。思考過多になりやすい。実行力に欠ける。

 

Realization 123 実現数

 魂の目的と同じ

 

Stage 112 舞台

人格数と同じ

イメージの世界で価値ある創造物を現実社会で具現化していく

 

Challenge 7 チャレンジ

  運命数と同じ

  精神性への目覚め、本来の自分を内省し、精神の充実性を計り、平穏さを保つ。

 

Nature 9 自然な状態 

  幅広く人々と交流でき、人当たりが良い。 物腰が柔らかく冷静である。

 

Action 5  行動パターン

活発で多才。如才なく予想不可能な行動、話しのまとめ役など





<Biography>



◆サイクル167

水木しげる(本名 武良茂)さんは1922年、167の年に武良家の二男として大阪に生まれました。

子どもの頃は両親が忙しかったため、賄い婦として出入りしていた「のんのんばあ」と呼ばれる信心深いお婆さんに育てられたそうです。

後に彼は「のんのんばあとオレ」と言う自伝を出版されていますが、幼少期の頃にのんのんばあが話して聞かせてくれたお化けや妖怪の世界のことが面白くて、楽しくて勉強どころではなかったと語っています。

若年期 Month3 で好奇心旺盛な明るい子ども時代を送ったと推測出来ます。

彼の妖怪漫画家としての豊かな表現力の基盤はこの時期に形成されたのではないでしょうか。

 


◆サイクル145 <少年期> 

1937224の年 15歳の彼は版画、印刷所などに入社しますが短期間での解雇が何度か続き、なかなか定職につけなかったようです。22と言う金銭面や仕事面などにおいて現実的な問題に直面する年になったようです。この後も入学、就職などを何度か繰り返しますが、5のサイクルの時と言うこともあってか、環境面で大きな変動が見られます。

 


◆サイクル156 <青年期>

1943191の年、21歳に召集令状が来て、ラバウルに出征します。

191の年は新しい始まり、開始などの時で戦地に赴く彼にとっては、これから始まる壮絶な人生の新しい一歩を踏み出したような年だったかもしれません。

 

1944年 202の年、22歳の年に戦地で爆撃に合い、左腕を失います。

20の年は人間関係と協調性の開発、穏やかさと妥協、種から発芽に至る急速な変容を冷静に見極める年であり、0は霊的な力の影響もあり、左腕を失った彼が、自分の身に降りかかった変化の時をいかに受け容れていくか、そしてまたこの時の体験が彼の今後の運命を大きく変える試練の時になったように思われます。

 

1945年 213の年。ニューギニアの病院で療養した彼は現地人と仲良くなっていきました。

23歳の彼はこの地で暮らしたいと戦地で除隊を申し出ますが、説得され、この申し出は却下され諦めたようです。3の年はより多くを経験し、更なる視野の拡大や開花を楽しむ年で、Nature9を持つ彼の人柄で現地人と自然に打ち解け、ごく自然な行動だったのかもしれません。

 

1946年 224の年、24歳の時に復員します。

22は現実的な仕事、お金などの問題に直面します。この年は身一つで戦地から帰国した彼が、これからの日本での生活の基盤づくりや現実的な安定を手に入れるための計画を練る年になり、忍耐と冷静さが必要な年だったと思われます。  

1948156サイクルの最後の年の246の年に26歳で美術学校に入り、輪タク業を営みます。

6は愛、美、調和、など内面の成長を目指す時でもあり、この年に美術学校への入学に再度チャレンジした彼にとって、これからの方向性が決まりつつあった時なのかもしれません。

 


◆サイクル167 <壮年期>

1950年、再び巡ってきた167サイクルの年の178の年

28歳の彼はのちにペンネームともなる「水木荘」と言うアパートを神戸で経営します。

8はコントロールが必要な時になります。組織のトップや管理する立場についたり、責任や義務などを学ぶ年になるようです。

しかし、このアパートの経営は3年後の1953167サイクルの202の年に破たんし、彼は西宮に家を買い引っ越します。同時に戦犯で巣鴨プリズンに拘留されていた兄が出所し、同居することになります。これまで1人で暮らしていた彼が2人暮らしになったのが「相対」を表す2の年であったのも興味深いとこです。

 

1957246の年、35歳で単身上京。彼の処女作である『ロケットマン』を完成させます。6の年は出会いと別れ、内面の成長を目指す年。そして内面の強さを養う時期でもあります。

翌年1958年、257漫画家としてのデビュー作として刊行されます。

7の年は内省と探求をしながら才能を開花させる年であり、漫画家としての彼の才能が開花し、その一歩を踏み出す年になったようです。

 


◆サイクル178 <中年期>

1959178サイクルの年になり、最初の178の年、調布に家を購入。

8の年は富と力を手にする繁栄の年でもあり、達成の年でもあります。彼がこれまで頑張った証としての成果を手にした年といえるかもしれません。

その2年後の1961191の年。

彼はこの年に両親のすすめるお見合いで結婚をします。1の年は電撃結婚になる可能性があります。

この後、次々と作品が刊行され、

1965235の年にメジャーデビューを果たし、講談社児童漫画賞を受賞します。

5の年は形になったものがさらに外向きに活発化していきます。

1966246の年に『悪魔くん』がテレビドラマ化

1968268の年、8サイクルの最後の8の年に『ゲゲゲの鬼太郎』のテレビアニメ放映が開始されました。

 


◆サイクル189 <中年期>

189サイクルに入り、彼の作品は次々とアニメ化されていきました。

1971202 49歳の年、偶然、再会した戦友と26年ぶりにパプアニューギニアを訪ね、現地人と再会を果たします。以後、何度も訪れ、彼の現地への憧れが強くなっていきました。

 


◆サイクル191 <中年期~高年期>

1979年から191のサイクルに入り、作品のアニメ化が続きます。



◆サイクル2 <高年期>

1989年から時代は平成へと移り、67歳になった彼に初めての一桁である2のサイクルが巡ってきます。

2のサイクルは人間関係と協調性の開発、芽吹きの時になります。


19903の年、『水木しげる画集40年』が刊行

19914の年 NHKテレビドラマ『のんのんばあとオレ』が放送。翌年には続編放送。

19925の年『カラー版妖怪全集』刊行

19936の年になり、ホピ族等のネイティブアメリカンを訪ねたことがきっかけとなり、この頃から「世界の妖怪」を求めて海外へ冒険旅行に出かけるようになります。



◆サイクル3 <老年期>

人生の開花の時を迎え、世界に認められるまでに豊かさを受け取る時期に入りました。

20037 81歳の年に「水木しげる記念館」開館。手塚治文化賞特別賞受賞。

20059 83歳の年に「妖怪大戦争」映画化

2006101テレビドキュメンタリーの撮影のため、パプアニューギニアへ

2007112「ゲゲゲの鬼太郎」の5度目のアニメ化、 「総員玉砕せよ」のテレビドラマ化

2008123 鬼太郎生誕40周年を記念し、「墓場鬼太郎」の初のアニメ化。

       「水木しげる妖怪道五十三次 妖怪と遊ぼう」展が、アメリカ・ワシントンDCにて開催。

       「ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌」公開

 


◆サイクル4  <晩年期>

晩年期に入り、安定を手に入れる時期に入ります。

20105 88歳の年に妻の著書「ゲゲゲの女房」がNHKテレビドラマ化。映画化。

20138 92歳で「水木しげる漫画大全集」刊行されるなど・・・、

まだまだお元気にご活躍され続けています。

 

―――――――


 

彼の誕生数167からみられるように、彼は、のんのんばあと出会い、そして戦地での体験を通して、人生のある時期から運命的な絆に吸い寄せられるように、神秘的な方向性へと向かいました。

Challenge数も同じ7で、妖怪漫画と言うこれまでになかった独自の視点を通して、自身が会得した多くの智慧や研究を世の中に広め、人々の心を豊かにしていきました。

 

運命数145で「妖怪」と言う未知の世界の解明と、それをわかりやすく人々に教え導く役割として妖怪百科事典なども出版しました。

 

Stage2のイメージの世界と言う舞台により、価値ある創造物である「鬼太郎」「悪魔くん」など、親しみやすい漫画の主人公を世に送り出しました。

人生早期に左腕を失うと言うハンデにありながら、左腕を失ったことに対して「私は片腕がなくても他人の3倍は仕事をしてきた。もし両腕があったら、他人の6倍は働けただろう」、命を失うより片腕をなくしても生きている方が価値がある。」と力強く語っています。

 

晩年には、戦地だったパプアニューギニアの現地人を幾度となく訪ねるなど、幅広い人々と交流できる自然な態度もNature9を持つ彼の魅力の一つだと思います。

 

誕生数167は、カルマの清算を強いられると言う少し厳しい数字にありながら、人々に未知の光を投げかけ、精神的な喜びを与え続けると言う魂の目的と実現数3。どんな時も明るく、楽しく、魅力的な人生を全うされ、彼なりのミッションをしっかりと果たされてきたように思います。

晩年、彼の人生は大きく花開き、素晴らしい一生を送られ方だと思います。

 

 


Reported by Cynthia
Aeons Numerology 5th term @ Kansai

by kej000 | 2014-04-09 19:10 | おもしろ数秘学